第三章 ]WーA



 





 お祭りだってお葬式だって、目出度かろうが哀しかろうが大きな規模で行ったことには必ず《後かたづけ》が必要になってくる。

 コンラート達はその一つ一つの行程を粗雑に扱うことなく、つぶさに見守り、育む姿勢を見せた。



*  *  *




 まず、眞魔国軍はアリスティア公国軍などと連携して《禁忌の箱》が埋没していた地域に於ける救命活動に取り組んだ。

 頑なな信徒ばかりが集まっていることもあり、説得は難航するかに思えたが…予想外にすんなり進んだのには幾つか要因があった。
 ひとつは信仰の印であった革人形が自分たちを操ろうとしたこと、神父達がどう言い繕おうとも彼らの実施した儀式が《禁忌の箱》を開放した事が明確であった事が大きいだろう。
 また、眞魔国軍の粘り強い融和的態度も効を奏したかと思われる。

 信徒達はまだ複雑な想いや未消化な部分を抱えながらも…眞魔国軍の救助の手を払いのけることはなく、小声ながらも礼の言葉を口にするようになっていった。

 また、ルクサスが教会指導者の至らぬ点を率直に認めた上で、信徒達に新たな価値観への馴化(じゅんか)をとくとく説いたことも意義深かった。

 信徒達は打ちのめされてはいたものの、手を携えてくれる人々がいることで自我を保つことが出来た。

 ルクサスは被災者やアルフォード軍、アリスティア軍、眞魔国軍の一部と共に聖都に入り、混乱しきった教会の建て直しを図るのだという。

 ルクサス自身は老齢であり、基本的に何かを強く発進していくタイプではないので大教主の座に座ろうという意志はないらしい。なので、何とか混乱を取りまとめてウィリバルトに反抗した為に投獄された者や、野に逃亡した者達を呼び戻して健全な組織作りが出来れば…と、考えているようだ。 

『正直…何処から手をつけて良いのか分かりかねますが、まぁ…やり始めてみようと思います。幸い、手伝うと言ってくれる者もおりますでな』

 ルクサスの眼差しを受けると、傍らでミリアムが照れくさそうに微笑んだ。
 ミリアムは眞魔国に向かうというオードイルの事も気に掛かってはいたようだったが、やはり命の恩人であるルクサスと共にいたいという思いが強かったらしい。
 何かと細々気を回しては、この老人の世話を焼いていた。

 その様子は微笑ましい祖父と孫のようで、教会信徒達の頬にも気が付くと笑みが浮かんでいた。

 

*  *  *




 有利達コンユバトラーXの搭乗者達はと言うと、疲弊しきった身体をとにかく早く休めねば…ということで、白狼族が自分たちの身体に綱を縛りつけて馬車の荷台部分を吊り上げ、ひとまずアリスティア公国に向かうことになった。
 銀色の獣に運ばれて空を駆ける荷台は、季節はずれのサンタのようである。

 コンラート達もアリスティア公国を基点にして周囲国との連携をとっていき、その中で教会がどのように落ち着くかを見守ることにしたので、救援活動が一段落付けばおいおい合流してくるはずだ。

 そんなわけで、有利達は共に荷台に乗ることになった衛生兵のギーゼラ、ポラリス大公と共にアリスティア公国に向かったのだった。



*  *  *


 

 《とりあえず眠りたい》…へろっへろに疲労困憊したコンユバトラーXの搭乗者達は、不安定な荷馬車の中でも構わず転がって眠りを堪能した。
 荷台に掛けられていた幌はすっかり布切れに変えられていたが、代わりに厚手の毛布を繋げて被せているので、上空の風を受けてもそれほど寒いという事はない。

 有利はギーゼラの診断でお腹のリヒトには異常がないことを確認して貰うと、後は安心しきって吸い込まれるように眠りに就いた。
 勿論コンラッドはその身体を抱き込んで離さず、深く眠っているように見えても誰かが傍に寄ると猫のように《すぅ…》っと薄く瞳を開いて、相手を認識してからゆっくりと瞼を閉じていた。

 そしてアリスティア公国に到着する頃には、有利と村田以外の軍人組はかなり明瞭な覚醒状態まで回復していた。



「ああ…見えてきました。あれが我が国の誇る円月防御壁です」
「ほお…」

 幾ばくかの眠りの後に覚醒したグウェンダルは、幌代わりに掛けた毛布の隙間からポラリス大公に促されて防御壁に見入った。夏の陽光を浴びて輝く淡黄白色の壁は美しく、上空から見ると見事な正円であることが明瞭になる。
 
 目を凝らすと周囲の荒れ地よりも遙かに緑が濃く、瑞々しい若葉が揺れる様子にポラリスは目を細めて見入っていた。
 おそらく、この国を出たときよりも《禁忌の箱》を滅ぼした影響で緑が濃くなっているに違いない。

「見事な建造物ですな」
「あなた方の祖先が、我らに造って下さったものです…」

 深い感謝を込めて語るポラリス大公に、グウェンダルは興味深げな視線を向けた。

「我々は…あなた方魔族に詫びねばならぬ事、感謝すべき事が多すぎて、一体どうやってこれからお返ししたものか途方に暮れるばかりです」
「何を仰る。我らこそ、あなた方アリスティア公国が苦境の中で示して下さった誠意に、どう感謝して良いか分かりません」

 それは社交辞令などではなかった。
 実際問題として、独立国家たるアリスティア公国が《禁忌の箱》廃棄前に眞魔国軍に同盟を申し出てくれたことは、グウェンダルの中で大きな意義を持っている。

 人間関係にせよ国家間の関係にせよ、この辺りの機微は同じだろう。

 勝利の美酒が杯に注がれた頃ひょこひょことやってきた者より、最も苦しく膝をついてしまいそうな時期に一杯の水を分け与えてくれた者の方に、より深い愛情を感じるのは物の道理だ。

 全くもって…教会勢力が精神的基盤としても圧倒的な威厳を持つ時期に、周囲国から孤立することを覚悟の上で義を通したこの国の誠意は驚くばかりだ。
 過去の文献から魔族に対する恩義があることを知っていたとはいえ、数千年を経過した今、その時代の記憶は両者の間で失われ、個人的な友誼や交流があるわけでもない。

 それでも尚、ポラリス大公が決断した影には何があったのだろうか?

 一つは大陸中を拘束する閉塞感からの脱出であったのかも知れない。
 ロンバルディア軍との闘いで圧倒的な戦力差を見せ付けた眞魔国軍に組することで、先見の明を見せたかったのかも知れない。

 だが…それらは単なるきっかけであり、国家的な決断にまで行き着く因子とはなり得ぬ気がした。

「コンラート陛下は貴君の実弟でらっしゃると伺いました。実に、素晴らしい方だ。英雄とはあのような男の事を言うのだと…しみじみと感じ入りましたよ。兄君の薫陶の結果でしょうか?」

 その言葉に包含されている感情の熱さに、グウェンダルは目を細めた。
 コンラートの英雄的魅力…それが、ポラリスの決断に大きな影響を及ぼした事が知れたからだ。

「いえ…私は何も。彼とは母親は同じですが父が異なりまして、家系が異なることもあって長く疎遠だったのです」
「ほう…それは少々複雑ですな」

 《すかかー…》と眠るヴォルフラムにもちらりを視線を送るから、肯定するように頷く。

「複雑…なのですかな。それ以上に私自身の不徳の致すところで、弟たちとの関係は長い間希薄なものでした。ですが…こうして異国の方に褒めて頂くことは我がことのように喜ばしく感じます」
「良い兄君ですな」
「いえ、お恥ずかしいほど私はあいつに…何一つしてやれないでいるのですよ」

 全ては、レオンハルト卿コンラートが自分自身を変える事で為しえたものなのだ。
 おそらくは…傍らで健やかな寝息を立てている小柄な少年(今は少女か?)に多大な影響を受けたのだろうが。

「私こそ…コンラートにどうやってこの恩義を返して良いのか分かりません」

 当人が居合わせぬせいか…魔族が相手ではないせいか、普段のグウェンダルからは考えられないくらい饒舌に弟への想いを語っていた。

 そんな様子を、先程から横たわりながらも覚醒しているらしいコンラッドが苦笑しながら眺めていた。



*  *  *




『随分と素直になられたものだ…』

 典型的なツンデレ気質の兄は、異世界でも同じ性質を持っているらしい。
 コンラッドが有利の誕生を見届けた後、眞魔国に帰ってきた際にも一見質実剛健なこの男がこんなにも豊かな感情を抱えている事に驚いたものだった。
 
 きっとこちらのコンラートもまた、会うたびに新鮮な驚きを感じている事だろう。

「……ウェラー卿…ニヤニヤしながら見るのは止めて頂けるかな?」
「おや、寂しい事を仰るものですね。俺も同じコンラートなのに…。異世界の弟を可愛がっては下さらないんですか?」
「……」
「いま、《私のコンラートの方が可愛らしい》とか思いましたね?言っときますけど、そのうちレオもふてぶてしくなってきますよ?弟とはそういうものです」

 有利の頭髪を撫でつけながらくすくす含み笑いをしていると、グウェンダルは実に居心地の悪そうな顔をして眉間に皺を寄せた。

「ふふ…父が喜びますわ。こんなに仲良くおなりで…。父は、ずっとお二人の心が通じ合う事を祈念し続けておりましたもの」
「よせ、ギーゼラ。あいつは無駄にはしゃぎすぎなのだ」
「そんな事を言って…。父が喜ぶ顔を見たいとは思いませんの?フォンカーベルニコフ卿の薬開発が本格化すれば視力も戻るでしょうし…三兄弟仲睦まじくお過ごしの様子を視認すれば、輝き渡るような笑顔を浮かべると思いますわよ?」
「全く…」

 グウェンダルは不利を悟ると、何とかして自分から話題を逸らせようと視線を辺りに巡らせた。

「もうすぐ着陸だろう。ユーリ陛下を起こして差し上げなくて良いのか?」
「眠れるだけ寝かせてあげたいですから、俺が抱っこしていきますよ」
「……そうか…」

 蕩けそうなほど甘い表情で有利を抱き寄せるコンラッドに、グウェンダルはもう何も言う気が起こらなくなった。
 軽く胸焼けすら感じたのだ。
 これ以上惚気られたら脳が砂糖漬けになりそうだ。



*  *  *





「な…なんだあれは…っ!?」

 アリスティア公国に残留していた防衛軍の長、セスタ副将軍はあんぐりと口を開けて空を見上げた。
 周囲国や教会からの攻撃を予期して荒野への警戒は360度怠りなかったものの…よもや、空から何かがやってくるとは想像だに出来なかったのである。
 
「落ち着きなさい、セスタ。あの銀色の獣は聖騎士団との闘いでアリスティアに味方してくれた者…。では、彼らが運ぶ者達もまたアリスティアの友でしょう?」

 肝の据わった物言いをするのは、ポラリス大公の一人娘…ファリナ・カンザミアである。
 拷問吏に殴りつけられたせいで端麗な顔には青黒い染みが残ってしまったが、気高く背筋を伸ばした姿は相変わらず女王然としている。

 ハルステッド公国への手出しを防ぐ為に自ら身を差しだしたファリナの身柄が、ハルステッド公国の中で公式にどのような扱いをされているかは分からない。もしかすると、既に離縁されているのかも知れない…。
 だが、彼女は常に心の夫としてバルザント・カンザミアを据えており、公式の場で名乗れぬのだとしてもその名を変えるつもりはなかった。

『どこにいても、何をしていても…妾はバルザント・カンザミアの妻であり、ポラリス・カティアスの娘だ』

 その要諦さえ大樹の根のようにどっしりと構えていれば、何が起ころうとも驚き騒ぐには値しないと思っている。

 大体、こんな非常識な来訪を遂げる者相手に慌てたところでどうなるものでもないではないか。

 ファリナは堂々たる態度で獣の運び込んだ荷台に面すると、そこから現れた父の姿に一瞬目を見開いたものの…すぐさま優雅な動作で淑女の礼をしたのだった。

「父上…ご無事の帰還、お喜び申し上げます」
「うむ、お前も息災でなりよりだ。それより、すぐに客室の用意を裁量しては貰えぬか?賓客をお迎えする事になるのだ」
「……っ!」

 流石に肝の据わりまくったファリナも一人の女である。
 粗末な毛布の影から現れた美麗な男女の姿に思わず息を呑んでしまう。

「これ…メイド長!執事長!国賓用の客室を用意をなさい…っ!」
「は…っ!」

 指導の行き届いた使用人達はすぐさま機敏な動きで動き出したが、彼らもやはり人の子であるから、仕事は問題なくこなしながらも唇の端は溢れ出る好奇心を抑えきれないようだ。

 


*  *  *




 国賓を迎えるに相応しい客室はゆったりと広く、アリス湖を見下ろすバルコニーが大きくとられている。室内の調度品も歴史を感じさせる重厚なものだが、それ以上に目を惹くのは壷に入れられた花々だ。

 アリス湖の周辺にだけ咲く白百合は透明感のある大きな花弁を持ち、アリスティアが精霊に守護された土地なのだということを信じさせてくれる。

「どうぞ、ゆっくりと身体を休めて下さいな」
「ありがとうございます」

 有利を抱えたコンラッドが優美に微笑むと、年嵩の侍女カリハは頬を真っ赤に染めてぎこちない動作でお辞儀をした。

『や…やだわ…年甲斐もなくこんな…』

 そうは思うものの足取りはどこかふわふわとしてしまい、紅茶を注ぐ動作もどこか覚束ないものになってしまう。

「ん…ん……」
「ユーリ…目が醒めた?」

 コンラッドの腕の中で《ふにゅ…》と目覚めた有利は、ぱちぱちと瞬いてその漆黒の瞳を露わにした。

「まぁ…」

『なんて美しいのかしら!』

 噂には聞いていたが、髪だけでなく本当に瞳も真っ黒なのだ。けれどそこには微塵の暗さもなく、濡れた果実のような色は心に沁みるような暖かみを帯びていた。
 大陸では《不吉》とされる黒がこんなにも美しく感じるなんて、なんという不思議なのだろう?

『それに、こんなに愛らしいなんて…』

 噂では眞魔国に豊穣をもたらした双黒の少年がこの方であり、今回の《禁忌の箱》を滅ぼすに際しても大きな働きを見せたと聞くが…同じ年頃の娘を持つカリハからすると、《護ってくれた方》というよりは《護ってあげたい方》という印象をもってしまう。

「ん…コンラッド……ここ、どこ?」
「アリスティア公国の大公邸にお邪魔してるんですよ」
「あ、お世話になります」

 カリハの視線に気付いた有利がぺこりと愛くるしい動作でお辞儀をするものだから、カリハは目尻が蕩けるほどに垂れ下がるのを感じてしまう。

「まあまあ…なんてお可愛らしいのかしら!あ…あらあら、失礼しました!無礼な物言いを…」
「いやいや…俺なんて別にそんな大層なもんじゃないし!気にしないでくださいよ。あ、お茶煎れて貰ったんなら、飲みたいなー」
「ええ、ええ…!どうぞ暖かい内に召し上がってくださいな!」
「できれば、消化の良い小麦粥か何かも用意して頂けるだろうか?」
「ただ今、ご用意致します!」

 スカートの裾を翻してカリハが扉を開けると、ポラリス大公の心遣いで様々なものを籠に抱えた小姓がお辞儀をした。

「浴室に湯をお張りするのは何時に致しましょう?お着替えだけでも置いておきましょうか?」
「わ…!嬉しいっ!お風呂に入れるの?それに着替えも嬉しいな〜。出来れば、すぐ入りたいっ!結構汗かいたり砂が吹き付けてジャリジャリしてたんだよっ!ありがとうね?」
「は…はいっ!」

 綺麗な顔立ちをした小姓もカリハ同様ぽぅっと頬を赤らめ、両手を唇の前で合わせてちょこんとお辞儀する有利にぺこぺことお辞儀を返してしまう。
 長い歴史を誇るアリスティア公国の使用人としては、少々不本意な慌ただしさを見せてしまった。

「これ、そのように騒がしくては失礼に当たるではありませんか」
「こ…これは、ファリナ様…っ!誠に申し訳ありませんっ!」

 小姓の大きすぎる声が気に掛かったのか、通りがかったファリナが眉を顰めて注意する。が…その不機嫌な顔も長くは続かなかった。

「あ…あ…っ!そ、そんなに怒んないで下さいっ!俺が騒がしかったせいなんで…」
「まぁ…」

 あわあわと慌てふためく有利に、気位の高いファリナですら微笑まずにはいられなかった。

「それでは叱れませんわね」
「はい、叱らないで下さいね」

 ほっと安堵した有利はソファに腰掛けたまま、小姓が持ってきてくれた籠の中から室内用と思われる服を取りだした。
 丁度有利の体型に合うゆったりした長衣と幅広ズボンは肌触りが良く、薄青い色合いの布地を縫い上げたものだ。よく見ると同色の刺繍が細かに施されており、有利が身に纏えばさぞかし映える事だろう。

 しかし、コンラッドはその生地を横から見て…特に、上に着る長衣の方を確認すると少し心許なげに首を傾げた。

「申し訳ないが…もう一枚、下に着るものがありませんか?」
「えー、でも結構暑いよ?俺はこれで十分…」
「ですが、その…胸が透けてしまいますよ?」
「あっ!」

 有利は《すっかり忘れていた》という顔をして自分の胸元を確認した。
 ボタンを3つ外した下からシャツが覗くと…そこに垣間見えた膨らみにカリハやファリナ、そして小姓の目がまん丸に見開かれてしまう。

 立ち居振る舞いや言動、そして伝わってきた噂ですっかり《少年》と決めつけていたのだが、これは…この方は……。

「失礼致しました。すぐに用意させますわ」
「すみません…」

 頬を上気させて恥ずかしそうに礼を言う有利にアリスティアの民はまたしても《ほぅ》…と溜息をついてしまうのだった。






  

→次へ