第三章 ]VーF



 




 有利達が非常警報の音を聞いて工場に駆けつけると、そこには仁王立ちになったフォンカーベルニコフ卿アニシナがいた。
 ほぼ同時にグウェンダルと村田、ヨザックも駆けつけてくる。

 心なしかヨザックの顔が残念そうで、村田が微妙に襟元を直しているのは…何かがどうにかなりそうで時間切れになったのかもしれない。

「遅い…っ!」
「面目ないっ!」

 有利がぱぁん…っと額で両手を合わせて勢いよく謝れば、アニシナもそれ以上は追求せずに5人を促した。

「さあ、ここに入るのです!」
「え…?」

 一体何時の間に造っていたのだろう…工場の壁面にあったスイッチを押すと、《ガー》っと音を立ててシャッターが上がり、5色の穴が出現する。それぞれに人が通れるくらいの管が続いているから、ここから各コクピットに入れるのだろうか?

 コクピット内での操縦訓練は各自やってはいたのだが…実物に入るのは初めてである。

「さあ、自分の名前が書いてある穴にお入りなさい!」

 アニシナがビシリと入り口を指し示すと、5人はそれぞれに色調に対する感想を口にした。

「やった!俺青だっ!」
「僕は黒か…いや、まー別に良いんだけどね?二人双黒がいるのに僕だけ黒ってどうなの?」
「私は緑か…」
「何故僕がピンクなのだっ!」
「俺は白ですか。救急隊員みたいですね」
「ぐだぐだ言っている暇があったらとっとと入りなさいっ!!」

 全くもってご尤もな指摘を受け、蹴りこまれるようにして5人は管に追いやられる。
 
『しまった…俺、コンラッドとチューもしてねぇよっ!』

 別々のコクピットに入ることになるので、出撃前に一度こそっとしておくつもりだったのに…。

 本人にとっては切実なのだが、端から見ると《馬鹿野郎!》と言いたくなるような反省を載せて、有利の身体が管の中で加速する。
 空間の狭間を移動する時のような浮遊感を味わう間に…有利の服は管から出てきた小さなマジックハンドによってどんどん脱がされていく。

「え…えぇえええええ……っっ!?」

 全裸に剥かれて、まいっちんぐマチ○先生のようなポーズを取っていたのも束の間、すぐさま新たな服が装着されていく。

「うをわをぁぁあああ……っっ!!」


 スポーン…っっ!


 勢いよくコクピットに填り込んだ時には、見事に衣装の装着完了である。

 有利は自分がどんな格好をしているかも確認できぬまま、コクピット下面のディスプレイに並んだ搭乗員達の衣装に目を見張った。 

「うっわ…派手……つか、これってどっかで見たような……」
「良いだろう?僕の監修だよ?」
「うん…聞くまでもなくそんな感じがするよ…」

 入り口と同じ配色の衣装を身に纏った4人の姿に絶句する。
 確かこれは…勝利も大好きな《サ○ラ大戦》とかいうゲームの戦闘服ではないだろうか?
 
 基本的には宴席でコンラッド達が着るような礼式軍服に似ているが、上着は後ろが長い燕尾服様になっており、襟飾りと袖の折り返しが大きめ。ズボンは比較的ぴったりとした乗馬仕様な点が異なっている(ちなみに、座席シートもちょっと健康器具の《ジョーバ》に似ているようだ)。
 手には白い礼服用の手袋を填め、足下は膝上までのブーツを履いていた。
 派手なことを除けば、馬で遠出をするお貴族様に見えなくもない。

『うっわー…俺、好きな色は青って言っといて良かったな…』

 おそらく、コンラッドが白なのも有利が彼に白を着せたがるから配慮してくれたのだろう。

 気の毒なのはヴォルフラムである。
 《戦隊モノにピンクは必須》と村田が主張したのだと思うが…幾ら美少年とはいえピンクはきつかろう。

「ヴォルフ…いつもの濃い水色とかにしてやれば良かったのに…」
「じゃあ君が着るかい?ピンク」
「嫌です。ゴメン、ヴォルフ…それで行って?」
「嫌だぁぁああ……っっ!!」

 ヴォルフラムは全力で嫌がったが、お構いなしに機体は発進準備に掛かる。


 ココココココ…………


 微振動と同時に、握ったレバーから馴染み深い感覚が伝わる。
 
『あ…これ……魔力抜かれてるんだ』

 それはそうだろう。これは究極のエコエネルギー…魔力で動く魔道装置なのだ。
 それでもって巨大な鉄の固まりを空に飛ばし、《禁忌の箱》が待つ大陸中央部で戦闘に入るというのだから、相当な魔力が必要なはずだ。

 実は作戦会議の中で少々驚いたことがある。

 この機体が大陸に無事到着した段階で、眞王廟の水鏡を介して封印している《鏡の水底》を開放する手筈になっているのだ。
 危険な突入劇を果たしてやっと封印した箱を何故開いてしまうのか…答えとしては、《余裕がない》為らしい。

 理想的にはそれぞれの箱を各個撃破するのが安全なのだが、そのためには封印と攻撃を同時に行わなくてはならない。
 どう計算してみてもそれに十分な魔力は算出できなかったようなのだ。

 大陸にある3つの箱と戦っている内に魔力不足で眞王廟の封印が解けたりすると、報復として眞魔国の民を虐殺される恐れがある。

 そうさせない為には、わざと《鏡の水底》の封印を解いて有利の持つ《鍵》で誘導し、全ての箱を相手取る必要がある。


『俺…責任重大なんだよな?』


 急にどくん…どくんと胸の中で心臓が弾み始めた。

 もしかすると…村田がこのようなビジュアルで馬鹿馬鹿しさを演出しようとしたのは彼の趣味ではなく、有利を過剰に深刻な気分にさせない為であったのかも知れない。
 
 レオンハルト卿コンラートを初めとする様々な人々が息づくこの世界の命運が、今…この魔道装置に掛かっているのだ。
 そして…それを最終的にコントロールして《禁忌の箱》を滅ぼすのは誰あろう渋谷有利なのだ。

『俺…俺、できるかな?』

 《さてはてふむ》とボケるような余裕もなかった。

 急に背中が冷たくなったような気がして、手袋に包まれた手がじっとりしてくるのが分かる。
 焦っているのに今この瞬間にはどうにもできない…そんなもどかしさの中で、心臓が奔馬の勢いで跳ね回る。


「ユーリ…できるよ。ユーリなら、絶対出来る。一緒にやろう?」


 凛と響く美しい声は、誰よりも大切な男のものであった。

「コンラッド…」

 ディスプレイの中で、華麗な戦闘服に身を包んだコンラッドが微笑んでいる。
 見れば、仏頂面をしたヴォルフラムでさえ有利を励ますように強い眼差しを送っていた。
 勿論、グウェンダルや村田もだ。

「やろう…渋谷。このド派手衣装で気分アゲ↑アゲ↑で行こうよ」
「村田さん、微妙に古いデスよ」

 くすくす笑えば、やっと普通に息が出来るようになってきた。

 そうだ…できる、やれる…!   
 渋谷有利は、その為にここまで来たのだ。

『俺一人でやる訳じゃない…。俺はみんなに託されたものを、最後にこの手で握る役割なんだ』
『そうだ…1点差で勝ってる試合の9回裏の守備…ここまで力投していたピッチャーが2アウトながら1・2塁に走者を抱えてる状態でツースリーから外野奥に打たれた時に、外野と内野が絶妙の中継で繋いで、捕手が体当たり同然に突っ込んでくる三塁走者をブロックアウトするようなもんだ…っ!』 


 《吹っ飛ばされたらどうしよう》なんて考えてたら捕手など出来るものか。
 《護り抜く》…そう、信じるのだ…っ!


 野球好きには物凄く理解できるが、そうではない者にとってはただ単に長いモノローグを経て、こくりと有利が頷いた瞬間…搭乗者の思いに応えるように機体が発進した。



*   *   *




 前方方向からのし掛かる重力に耐えて大陸入りした有利は、《禁忌の箱》上空で悶絶しそうになった。


 ……例の《テーマソング》のせいである。


「村田…何コレっ!?」
「僕が提唱して、ウェラー卿が歌詞をつけたんだよ。ちなみに、コンユバトラーとは君が女体で僕らが男体であるところから来てるよ!」
「……混湯?」
「ご名答!ちなみにバトラーは《闘う人》ではなく《執事》だ」
「何で執事っ!?」
「流行ってるからダっ!」
「だったら形状にもちょっとは執事要素入れようよっ!」

 有利が深刻になりすぎないように配慮しているのだと信じたいのだが、ここまでいくと単なる趣味なのではないかという疑惑を拭い得ない。



 だが、見守っているこちらの世界の方々には幸いにして歌詞は伝わっていないようだ。
 遙か地上から声援を送ってくれる。 

「来た…」
「来たぞ……っ!ユーリ陛下の魔道装置だ…っっ!!」

 
 おぉぉおおおおおお………っ!

 
 轟く歓声が大気を揺るがし、意気盛んになった兵は鬨の声を上げながら土人形や溶岩の化け物に斬りかかっていく。

 だが…もはや、化け物達の目に眞魔国兵など映ってはいなかった。


 ぉぉお……
 鍵…鍵だぁぁ……。
 鍵ぃぃいい……っっ!

 
 ズォオオ…っと裂隙から飛び出した化け物達は深紅の魔道装置を囲むようにぐるぐると渦巻き始めた。箱は半ば開きかけているものの、真の開放を求める創主達は鍵の存在に我を忘れているようだ。

 土砂…溶岩…竜巻…そこへ、眞魔国から飛び出した沼色の水が加わって目まぐるしく渦を巻き、互いに摩擦し合って凄まじい熱と光を放ち始めると、魔道装置の内部では急激に温度が上昇し始めた。

「あ…つぅう…っ!」
「ユーリ…っ!」

 苦鳴をあげる有利にコンラッドは青ざめるが、不意にこの機体に装備された剣のことを思い出した。

 コンラッド自身には要素を操る力はないものの、地球で冷却能力を持つ《凍鬼》という霊剣を手に入れていたのだ。

「…今、機体を冷やします…っ!」
「お願いっ!…そーだ、俺も…」

 この魔道装置は機体全体としては一つのものだが、それぞれのコクピットが分離しているのには意味がある。

 四大要素を操る有利はともかくとして、他3人の鍵保持者はそれぞれに操る要素が異なる為、それが最も効果を発揮するように計算されている。
 このロボ○ンを思わせる機体は、アニシナの技術力は勿論のこと、大賢者村田の底知れない能力と趣味が遺憾なく注ぎ込まれたスーパーロボなのである。 

「凍鬼…っ!」
「上様ぁあああ……っっ!」


 《御意》…っ!


 暗雲の中から意気揚々と飛び出してきたのは巨大な水蛇の群れであった。
 銀色の鱗が雷に照り映え、空中でうねると…この世のものとも思われぬような凄まじい情景が空一面に広がる。

 これまで眞魔国国境を護ってきた水蛇の上様はここぞとばかりに大暴れする気満々のようだったが、まずは大切な主の身を護るべく魔道装置を取り巻き、凍鬼と共に適度に冷却した。

「わー、涼しい〜…っ!ありがとうっ!」

 《では、後は存分に暴れさせて貰うぞ?》…そう言いたげに上様が向かった先は、機体を取り囲んでいた泥水の怪物だ。
 あちらの方も特段の敵愾心を抱いていたのか、憤怒の色も露わに大きく避けた口で噛みつき、複数の触手で掴みかかっていく。

 ドォォン……っ!
 ズォォォン……っ!!

 拮抗する二つの力によって、竜巻が逆流を始めた。
 吹き付ける水飛沫が大地を叩き、雷雲のもたらす稲光に教会信徒達は恐れ騒いだ。

「この世の終わりだ…」
「蘇るのは、《神》ではなかったのか!?」
「あれは…あれでは…まるで11年前の《禁忌の箱》による災害のようではないか…っ!?」

 もはや魔族に対する敵愾心と狂騒的な集団心理は弱まり、人々は打ちのめされたような無力感に立ち上がることも出来ずにいた。


 いや…人間の全てが唯へたり込んでいたわけではない。


「立ち上がれ…!みな、立ち上がるのだ…!」
「る…ルクサス様……」

 老齢期に入ってから突然守護天使が目覚めたらしいルクサス神父長は、数日間受けた暴力によって疲弊はしていたものの、狂信を打ち砕かれた人々に比べれば遙かに強壮な精神を持っていた。

 元聖騎士団長オードイルに支えられながら、ルクサスは重ねて声を上げた。

「大教主が道を誤った責任は我々上層部にある。君達もまた間違えたかも知れない…だが、諦めてはならない。誤りは、生きていれば必ず正せる…!だから今は、怪我人を少しでも安全な場所に移動させるのだ。その為には魔族だ人間だといった固定概念は棄てよ。自分や大切な者達の生命を護る為に、今できることをやるのだ」

 常に弱々しく周囲を見回していた瞳には光が宿り、かつては責任を逃れに執心していた男が今…己の為すべき道を見いだして、大地に脚を踏みしめている。
 依って立つところがある…そう信じればこそ、人は勇気を持って次の行動に出ることが出来るのかもしれない。

 今のルクサスには、自分自身で掴んだその確信があるのだ。

「し…しかし、あれほどの戦いを経た魔族と手を結ぶなど…っ!」
「それを言いたいのは魔族の方だろうよ…。正直、私ならこれほど苦労掛けさせられた相手に、優しくしようなどとは思わん…。だが、彼らはそれだけの慈愛を持っておるのだよ。人間として、こちらが恥ずかしくなるほどにな」
「な…何を言われますか!魔族は悪虐な存在だと教義にはあるではありませんか!」
「教義についても、それは我々の責任なのだろう…。だが、今…自分自身の目で見てどうだね?魔族が…少なくとも、ここにいる魔族が、君らに、君らがしたこと以上の悪行を働いたかね?」
「………」

 誰もが互いの顔を見交わし、困惑したようにブツブツと囁き合う。

『時間は…かかろうの……』

 誰もが驚くような体験を経て一気に開眼するのであれば、宗教などいらない。
 迷いながら…日々の暮らしの中で苦しみながらも、きっと素晴らしい何かがあると信じて、昨日よりも素敵な自分になりたくて信仰を続けるのだ。

 その道筋を造るべき指導者達が、こぞって享楽に耽った結果が今の教会なのだろう。

 この体質こそが、勇気を持って立とうとした先代大教主を死に至らしめ…数々の告発を闇に葬ってきた。
 教会が再び意義を持つとすれば、この無力感に打ち拉がれた人々に立ち上がる力を分け与えることだろう。…というより、せめてそれだけは何としても為さなくてはならない義務なのだ。

 ルクサスは、教会の全てが悪だとは思えない。
 もしもそうであるならば、これほど多くの人々に受け入れられることはなかったはずだ。

 日々の暮らしを支える暖かみが何処かにあったからこそ教会がここまで続いてきたものだと信じたいし、それを見つけ出して後世に繋げていくことこそ…ルクサス達が本来しなければならなかったものだろう。

「共に…立とう。長い時間の中で歪んでしまったろう教義の解釈云々は後にして。せめて目の前で手を差し伸べてくれる隣人の心に、寄り添ってはみぬか?」

 好々爺然とした表情は、皺くれた老人の貌を深みのある人生の達人に見せていた。
 
「……」

 まだ、明確に声を発する者はいない。
 だが…小さな会釈に始まり、ぼそぼそと呟く《ありがとう》の声が、少しずつ…少しずつ、人々の心に浸透していく。

「魔王陛下…お願いがあります」
「なんでしょう?」

 少なからず感動している風なコンラートが、ルクサスの言葉に丁寧な所作で応じた。

「私を、他の二つの《禁忌の箱》が埋まる地点に連れて行っては下さらぬか?」
「それは…願ってもないことですが…」

 おそらく、先程のように教会信徒達を説得するつもりなのだろう。
 だが…それでなくとも暴力に晒された老体に、この凄まじい暴風雨の中を移動するのは辛かろう。

「少しだけ…お待ち頂けますか?他の二つの場所にも、腹心の部下を送っております。彼らなら…必ず、傷ついた信徒の方々にそのまま膝を突かせたりはしていないことでしょう。どのみち、あの魔道装置を操るユーリ陛下の勝利でこの世界は変わります」


 勝利は実りを…
 敗北は破滅を導く。


 敢えて口にはせぬ二つの可能性を了承したのか、ルクサスは静かに頷いた。






 

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