第三章 ]VーE
ズ……ン……
ズウゥゥウウ………ン…
地鳴りの音と激しい律動の中で、まともに立っていられる者は極少数であった。
コンラートは巧みに馬を操ってはいたものの、怯えが激しい馬の鼻面を撫でつけると、マスクを外してキスを与えて逃げるように促す。
そして、腰が抜けた様子のルクサスを抱え起こして他の兵に委ねた。
「お逃げ下さい。ミリアムも心配しておりました」
「お…おお……っ!何と礼を申せばよいのか…っ!」
「礼には及びません」
《後できっちり具体的に倍返しして頂ければ…》とは言わず、コンラートは爽やかに微笑んでルクサスを涙ぐませた。
「アルフォード!」
「はい…っ!」
裂隙から這い出てくるおぞましい瘴気…湿気を帯びた土人形のようなものに、かなりの人数が半狂乱に陥っていたが、アルフォードは辛うじて状況を冷静に見ていた。
コンラートに呼ばれるとすぐさま駆けつけ、聖剣の柄を握る。
「押さえられるか?」
「やります…っ!」
言葉はそれほど必要ではなかった。
アルフォードはコンラートの意図を読み取ると、すぐさま聖剣を抜刀して土人形へと向かっていった。
「ぉおおおお……っ!」
眩い光をぶつけていくと、《ぐぬ…》と呻き声を上げて土人形が怯む。
だが、カロリアの怪物のようにそれで浄化されるということはなかった。
「くそ…っ!」
「アルフォード、それで構わないから動きを押さえていてくれ!」
コンラートの方も、聖剣の働き一つで《禁忌の箱》がどうにかなるとは思っていない。カロリアでの成功はあくまでリーシュラ神父の術によるものだったからであり、世界創造に関与した創主そのものが敵では話にならないだろう。
『しかし、足止めだけでも出来れば十分だ』
コンラートは這い出てきた土人形をアルフォードに任せると、荷馬車が入れなくなった地点から人力で運ばせた蜘蛛型装置を自ら誘導して、長く珍妙な脚をこちら側の岸辺に固定した。
「此岸への4本脚固定完了、対岸への脚を発射します!」
「了解!」
ドォン……っ!
しかし、そうはさせじと土人形の一部が腕のように伸びて来て、脚先を対岸に撃ち込むドリルのうち二つを弾いてしまう。
「くそぉ…っ!」
「リールで引き戻せ!もう一度撃ち込む…っ!」
コンラートも魔剣を引き抜くと牙のような岩に駆け上がり、軽やかに瘴気へと飛びかかって太刀を振るう。
「モルギフ…お前の力を見せてやれ……っ!」
「むほぉおおおお……っっ!!」
コンラートにベタ惚れ状態のモルギフは鼻息も荒々しく仰け反ると、鞭のように撓(しな)って瘴気を打ち据える。
しかし、《ゾワ…》と蠢く瘴気は何かに気付いたように嗤い声を上げ始めた。
ほう…ほぅ…ほぅうう……
魔族…ククク…魔族…っ!
鍵だ…鍵だぁああ……っ!
ゾワワワ……っっ!!…と広がる無数の腕が、まるで地の底から伸びる触手のようにコンラートの四肢へと絡みついてきた。
モルギフには触れられないようだが、その付け根であるコンラートの腕をもぎ取ろうとするかのようにきつく締め上げられると、ギシギシと骨が軋轢音を立てた。
手足を拘束されると、しなやかな肢体が中空で弓のように反り返り…獅子の鬣を思わせる頭髪が苦しげに振り乱される。
「く…そぉお…っ!」
正確には、レオンハルト卿コンラートの腕は正式な鍵ではない。
だが、異世界の眞魔国ではウェラー卿コンラートから斬り落とされた左腕によって《地の果て》が開放されかけたのだという。
当然狙ってくるだろうとは思っていたが…攻撃を防げなかったのはコンラートらしくもない失策であった。
「コンラート陛下…っ!」
「陛下ぁあああ……っっ!!」
眞魔国の兵士達は絶叫し、アリスティア公国やアルフォードに従ってきた者達までも怒声をあげて剣を抜く。
正直、巨大でおぞましすぎる土人形に対してどのような攻撃を仕掛けて良いのかも分からなかったのだが、この時はとにもかくもコンラートを救いたい一心で駆けだしていた。
「コンラート陛下を離せぇぇえ…っっ!!」
アマルとカマルが勢いをつけて剣を打ち込んでいくが、聖剣でも魔剣でもない…人が鍛えた単なる剣が土人形を傷つけることは叶わない。ズシャア…っ!と勢いよく剣を振り抜いたものの、濡れた土砂を貫通してしまった。腕はすぐに元の形状を取り戻してしまい、何らの被害も与えることは出来なかったようだ。
双子はそのままの勢いで突っ込んだものだから、危うく裂隙へと墜落しかかったのだが…すんでの所で投げられた縄によって此岸へと引き上げられた。
皮肉なことに、救い主は彼らが毛嫌いしている元聖騎士団長ソアラ・オードイルであったが、その事に文句を言っている暇はない。
「あれが《禁忌の箱》から溢れ出た創主であるならば、法力避けのマスクは効かないだろうか?」
「…っ!…試してみるしかあるまい!」
アマルとカマルは頭に血が上りやすいものの、まだ若いせいか緊急事態に於ける柔軟性はなかなかのものがある。気にくわない相手の提案とはいえ、可能性が一欠片もあるのであれば試さないわけにはいかないとばかりに、すぐさま口元を覆っていたマスクをその辺の岩石に巻き付けた。
「とぉ…りぁあああ……っ!!」
そのまま投擲(とうてき)の勢いで投げつければ、命中した触手の何本かがブツブツ…っと断ち切られる。
「効果ありだ!行くぞ…っ!!」
「はい…っ!!」
アマルの行為を視認していた兵達は一斉にマスクを外すと、砂塵に噎せながらもどんどん岩に巻き、投げつけていく。
「とりぁああ……!」
アルフォードは脚を触手に拘束されて時間を取られていたようだが、どうにか振り切って聖剣を振るうと、コンラートの利き腕を拘束していた触手が断ち切られる。
素早く手首を返す一閃でコンラートは自由を取り戻したが、不安定な体勢のまま崖に落下しかけてしまう。
「陛下ぁぁあああああ………っっっ!!」
すんでのところで、絶叫を上げながらまろび転びつやって来た兵士達が受け止めた。
その姿は坂道を転がるどんぐりのようであったが、この際見てくれの格好良さなど追求していられない。
「陛下…陛下ぁぁ…っ!」
「ああ、良かった…ご無事で…っ!」
「すまない…失態を晒した」
恥ずかしげに苦笑する姿も麗しく、兵士達は一様に胸をきゅうんと弾ませるのだが…勿論、今は恋のときめき(?)に身を焦がしている場合ではなかった。
「蜘蛛の脚は…っ!?」
「は…た、ただいま…っっ!!」
うっかりコンラートに気を取られていた兵士達が我に返ると、巻き戻していたコードをもう一度セットし直して再び射出する。
「行け……っ!」
今度も土人形が腕をニョローリと伸ばして来るが、ルッテンベルク軍がそうそう同じ轍など踏むものではない。矢にマスクを取り付けて、狙い定めて撃ち込んだ。土人形は悲鳴を上げて触手を断ち切られ、蜘蛛の脚は無事に弧を描いて飛んでいく。
ドォォン……っ!!
「せっつがーん完〜了ーっ!」
暢気な声が装置の設置完了を告げたその時…
ゥゥウウウウウウ………
クルクルクルクルクル…………っっ!!
凄まじい速度で蜘蛛の中核部分…金属製の籠の中に入れ込まれていた深紅の珠が光を放ちながら回転を始めた。
そして、二つの方向に向かって眩いほどの紅い光が線状に放たれる。
3つの蜘蛛型装置の設置が完了したことで、眞魔国から魔道装置を呼び込む誘導システムが完成したのだ。
* * *
蜘蛛の反応は、他の2カ所でも始まっていた。
「蜘蛛を護れ…っ!」
アリアズナが吼(ほ)えると、《おう…っ!》と兵士達が呼応する。
既に彼らはかなりの時間に渡って教会信徒達と攻防を続けており、体力はともかくとして精神力の消耗が激しい。
アリアズナは先ほど投げつけられた石で額から出血しており、たらりと鼻面に滴ってきた血の流れが唇まで達する。
それをぺろりと嘗めあげながら、アリアズナは不敵に嗤った。
「悪魔…悪魔…っ!」
「神の再生を邪魔だてするな…っ!」
発狂したような集団が簡易的に造った柵を圧し、ありとあらゆる物を投げつけては罵倒してくるのだから、血斧を振るって突撃するのよりもきついのはきつい。
だが…それでもアリアズナは笑っていることが出来た。
『こんなもん、何だって事はねぇ…っ!』
彼らを防ぎきることが出来れば、この大陸は眞魔国程ではないにしても再び実りを得ることが出来るのだ。そうなれば、アリアズナを慕うカール達も身体など売らなくてもまっとうに生きていけるようになる。
『その為ならよ…こんなもん、屁でもねぇや…!』
しかし、アリアズナの瞳にその笑いを引きつらせるような光景が飛び込んできた。
「…何……っ!?」
破城槌のような形状の棒が、数人の男達によって抱え上げられ…こちらに向かって突進してきている。
それは、鉄条網の輪に針金で手足をくくりつけた人間達であった。
アリアズナ達の目が及ばぬ場所で造られたその《人柱》が今…加速をつけて《禁忌の箱》を目指している。
「…止めろ…っ!阻止しろぉぉお……っ!!」
絶叫をあげて、とうとうアリアズナは抜刀した。
あの生け贄をきっかけにして《凍土の劫火》が本格的に目覚める様な事態はなんとしても防がねばならないのだ。
『コンラート…っ!カール……っ!』
大切な者達を頭に思い浮かべながら、アリアズナは兵と共に柵を人間側に押し出し人柱の槌を食い止めようとする。
だが…この時、裂隙の間からおぞましい熱波が押し寄せてきたかと思うと、ズォ…っと伸びた腕のようなものが伸び出してきて、運搬者ごと人柱を裂隙へと飲み込んでしまった。
すると…
グァラグァラ…
グララグァララァァアア……っ!
ぞっとするような振動音だか、獣の叫びだか知れないような音が裂隙の中から響き始めたかと思うと、噴き上がる溶岩の如き固まりが…ズゥン…ズウゥン…っ!…と、複数の腕を伸ばして裂隙から這い出てきた。
そいつが動くたびに真っ黒な膜が引き裂かれ、それが痛みをもたらすのか《ぐぎゃあ…っ!》と叫んでは悶絶するようにして腕を大地に叩きつける。
その度に大地は揺れ、打ち付けられた腕から飛び散る火の玉が兵や人間達に激突していった。
「わぁあああ……っ!」
「ひ、ひぃいい……っ!!」
衣服に着火して転げ回る者達は、地獄絵図を展開してのたうち回った。
「水を出せぇえ…っ!革布を濡らして火を消せ…っ!適当な布がなけりゃ、背嚢の中身をぶちまけて濡らせ…っ!!」
アリアズナの号令に応えて、兵達は一斉に行動した。
指示の行き届いている兵達は仲間達だけでなく、自分たちを罵倒しながら投石してきた人間達の火をも消してやるのだが…恐慌状態に陥っている人間達は口々に《悪魔に触られた!》《呪われる!》と叫んで救いの手を弾く。
中には、火達磨になったまま水を拒否して裂隙に飛び込む者までいた。
「畜生…っ!」
アリアズナは悪態をつきながら、火に巻かれそうになった子どもに濡れた背嚢を押しつける。
「馬鹿野郎…畜生…っ!何だよ…こんなちっせぇ子までが…なんだってこんな馬鹿なことをしやがるんだ…っ!」
怯えたように《悪魔…悪魔》と繰り返す子どもに、涙が出そうになる。
こんな…枯れたような細っこい腕になったのは、いったい何のせいだと思っているのか。
無知と盲信が最も蝕むのは、こういう幼い子ども達なのか…!
『カールは…あいつは、違ってたな…』
世間的な知識に乏しくとも、あの真っ直ぐな子どもは人生の智慧というものを持っていた。
何に感謝し、何を憎むべきなのかという真実を見抜く目を持ち合わせた子だった。
今…無性に、あの子どもに会って、くしゃりと笑う春の空みたいな顔を見たくなった。
ドォオン……っ!
背後で爆裂音がする。
ちらりと振り返った先で、視界の端を大きな火の玉が掠めた。
そいつは、アリアズナ達の方角に飛んでくるようだった。
『…避け…られねぇか?』
一瞬、この子どもを庇って突っ伏そうかと思ったが…ぶるりと頭を振ると、喚きながら暴れる愛想のない子どもを荷袋みたいに放り投げた。アリアズナ自身も身を逸らせるようにして飛びすされば、巨大な火の玉はすれすれのところで二人の間に落下する。
『俺は生きる…生きてやる……っ!』
悲劇的な最後など誰が遂げてやるものか。
生きて生きて生き抜いて、絶対に大切な者達の笑顔を見るのだ。
そう誓いながらアリアズナが向かった先は、アニシナ製の魔道装置の元であった。
足場が溶岩によって熔け崩れそうになるのを、荷台に積んであったロープを投げて食い止めれば、状況に気付いた眞魔国兵達がこぞって同じように蜘蛛の脚を支える。
「お前ら…死ぬなよ……っ!」
「はい…っ!!」
《死も恐れぬ》等とは決して言うものか。
使命を果たし、なおかつ生き残るのが真の勝者だ…!
『俺たちは…勝つ…っ!』
熱い闘志を受けて、焔(ほむら)に映える深紅の珠は勢いよく籠の中で回転を続けるのだった…。
* * *
ケイル・ポーを擁する第2軍も、狂信的な人間の群れに囲まれていた。
そして、やはり同じように人柱を触手に奪われてしまうと、こちらでは囂々(ごうごう)と吹きすさぶ竜巻のようなものが現れた。
「蜘蛛を護れ…っ!」
「はい……っ!」
兵達は吹き飛ばされそうになりながらも、互いが互いを支えるようにして踏みとどまり、蜘蛛に掛けたロープを握り続ける。
クルクル…
クルルルル……っ!
深紅の珠が回り、光を放って《彼ら》を呼び続ける限りケイル・ポー達は決して持ち場から離れるつもりはないのだ。
『ユーリ陛下…どうか…どうか、コンラート陛下の御代を…この世界を、お護り下さい…っ!』
ケイル・ポーが…他の兵達の全てが共に同じ願いを捧げる。
その祈りが…報われる瞬間が来た。
「き…」
「来たぁああああ………っっ!!」
頭上を一直線に駆け抜けていくあの機影は、見まごうはずのない深紅のボディ…あれこそ、異世界の魔王陛下と愉快な(?)仲間達を載せたアニシナの魔道装置…
《コンユ(混湯)バトラーX(ファイブ)ゴーゴー乗ってけ爆裂弾》だ…っ!
ファイブ!ファイブ!ファイブ!五人乗り〜っ!
んコ〜ンユ、バイ〜ン、ワンツースリー
んゴー〜ファ〜イブ、出撃だぁ〜
大地を揺るがす超〜魔道ロボ〜
あーいのメーカだ、コ〜ンユバトラ〜ファイブ!ファイブ!ファイブ!
タタ〜ン、タタ〜ン
ん超〜魔道〜っ空手チョーップ
ん超〜魔道〜っ踵落としーっ
真空〜飛び膝蹴りーっ!
見たか魔道の必殺の技
愛を込めて〜嵐を呼ーぶーぜー〜っ!
ん我〜らのー、ん我〜らのー…
んコ〜ンユバトラぁーXっ!!
異様に景気の良い曲調と、コブシのきいた歌を響かせながら機影は進む。
その深紅のボディは巨大な楕円形をしており、凄まじい加速の為か先端部分が発火しているかのように空気の色を変えて、後尾部分からは飛行機雲が棚引いている。
彼らは3つの《禁忌の箱》を結ぶ中間点でその力を発揮して、創主と戦うことになるのだ。
「どうか…御武運を……っ!」
オォオオオオ……っっっ!!
眞魔国兵は、全員が深紅の魔道装置に向かってありったけの叫びをあげた。
彼らと彼らの住まう大地の運命を握る者達に、せめてもの祝福があるようにと祈りながら。
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