第三章 ]VーC
ジャ…っ
ジャ…ジャ……っ!
馬車の荷台に掛けられていた幌布が切り分けられると、次々に細い紐に縫いつけられて兵士達の口元を覆う。
《禁忌の箱》へと近づくに連れて瘴気の度が増し、今や魔力を持たない混血や人間でさえ耐え難い濃度になっている為、法力除けの加工が施された帆布をマスクとして使っているのだ。
これは眞魔国軍を3つに分ける際、コンラートが指示していたことだ。
この処置により、魔力の強い兵は幌という《防御壁》を失って消耗することになるだろうが、マスクをしておけば死には至らないはずだ。
最悪、動けなくなった兵がいた場合は小隊規模で引き返すように指示してある。
『瘴気…ねぇ……』
直接的な火山ガスなのか瘴気なのかは判別できないものの、確かに臭い。
アリアズナは鼻や咽頭粘膜を刺激する硫黄臭に、辟易したように顔を顰めた。
アリスティア公国にほど近い《凍土の劫火》を目指してきた第3軍は、最も早くこの瘴気の固まりに出くわすことになった。見るからに怪しくくぐもった大気の中に、うねるような影がちらついて何とも不吉な様子だ。
「この瘴気ってのは、要素のなれの果てなわけかい?」
「ええ…千々に乱れて、発狂したように叫んでいます」
「聞こえるってのも辛いもんだねぇ…」
真っ青な顔色をして馬上で揺れる衛生兵の背を撫でてやるが、それでどうなるものでもない。
比較的元気な混血兵と衛生兵の二人を乗せた馬も苦しそうに喘いでいるから、水筒の水で濡らした飼い葉を口元に寄せてやった。
『アリスティアで良い水を貰えたのがせめてもの幸いだな…』
それがなければ、この地域の毒水を飲まねばならぬ所だった。
「なあ…お前ら、アリスティアに戻っちゃどうだ?」
あの強固な円形防御壁の中であれば純血魔族も息をつけるだろうと思ったのだが、衛生兵は精一杯の力で否定の形に首を振った。
「嫌ですよ。こんな時に参加できないなんて…何の為にここまで来たか分からないじゃないですか。僕だって、コンラート陛下のお役に立ちたいですもん」
憔悴しながらも、若い衛生兵は精一杯の茶目っ気を見せて笑った。
マスクの影で、苦しそうな表情が少しだけ和らぐ。
「そうだな…」
どれほど苦痛を示しながらも、衛生兵達は誰も《もう進めない》とは言わなかった。
実際問題として、恐ろしい儀式や戦闘によって傷ついた兵士や民間人がいたとしても、彼らの今の状況で十分な治癒が出来るとは思えない。
それでも…幾ばくかでも命の灯を繋ぎ止められる可能性があるのなら、彼らは賭けようとしているのだ。
かつて…スザナ・ジュリアがそうしたように、彼らは直接武器を手にすることはなくとも誰よりも勇敢に戦っている。
己の命を賭(と)して、任務を全うしようとしているのだ。
『止められるもんじゃねぇよな…』
誇り高い衛生兵に、アリアズナは小さく敬礼を送った。
「お…あの辺り、かな…?」
次第に地図で知らされていた地形が見えてきた。
溶岩が流れ出して冷えたものが奇妙な地形を型造るこの土地は、かつてフランシアと呼ばれる国であったという。
国家は滅び、民は流出したり他国に従属することとなったのだが、逃げることの叶わぬ植物たちは枯渇したり、拗くれ猥雑に蔓延(はびこ)っている。
「縁起の悪い景色だぜ…」
アリアズナは不快げに呟きつつ、自ら先導して幌を外した馬車の荷台から《装置》を取りだして設置させた。
それは、実に奇妙な《装置》であった。
金属の丸い籠の中に一回り小さい深紅の珠が入っており、籠には更に足長蜘蛛よろしくにょきにょきと棒状の8本の脚が生えている。脚が極めて長い為、全体像としては大ぶりな邸宅ほどもあるだろう。
そいつは大きな黄色いスイッチを押すと、まるで生きているようにきょろきょろと周囲を伺い…とってけとってけと歩いていくと、巨大な裂隙の淵までやってきた。
「こっこっかー?」
そいつは変に可愛らしく小首を傾げると4本の脚で体重を支え、勢いよくもう4本…先端がドリル状になった槍のようなものを対岸に撃ち込んだ。
その機能を戦闘用に加工すれば相当な殺傷力が得られると思うのだが…不思議とフォンカーベルニコフ卿は直接戦闘に結びつく装置を作ろうとはしない(フォンヴォルテール卿に対する魔道装置については、《平和利用》を謳いながら立派な拷問器具に成りはてていることは多々あるそうだが…)。
アリアズナは奇才と呼ばれるアニシナのことをよくは知らないが、《殺戮の為の装置を作れ》などと言われたら即座にその依頼主を《いっそ殺して下さい》と言わせるような装置に入れてしまうのではないか…そういう印象があった。
「せっつがーん…完〜了ー」
気が抜けそうなほど暢気な高声でそいつは叫ぶのだが…はて、アリアズナの仕事はこれで終わりなのだろうか?
いやいや…やはりそうは行かないようだ。
土煙を立てて疾駆してくる一騎の兵に、アリアズナは瞳を眇める。
「アリアズナ閣下、来ました…っ!」
「おーう…ご苦労さん」
周囲を警戒巡視させていた兵の一人が騎馬で戻ってくると、簡潔に事態を報告してきた。
「教会信徒の連中です。神父と思しき連中数名が騎馬隊を率い、大きな荷台に何やら物騒なものを載せてこちらの方向に進んでおります。後ろには幾らか離れて信徒達の群が徒歩にて接近中です。如何なさいますか?」
「あり合わせの枯れ木を組んで防御壁を作れ。可能な限り、死傷者を出さずに次の指令を待つんだ」
「はい…っ!」
どうやら、この光景以上に辛気くさい戦いが待っているようだ。
『コンラート…早いトコ、ユーリ陛下をお迎えする準備をしてくれよ?』
ここから先は、アリアズナ達魔力を持たない兵にとっては《持ちこたえる》為の戦いしかできない。
世界の運命は今、有利達に掛かっているのだ。
* * *
『ここも…酷いな』
ケイル・ポーの率いる第二軍が向かったのは、かつて大シマロンの王宮があったとされる地域であり、大規模な廃墟には栄光の面影が残されている。
だが…それだけに人工的な遺跡蹟にヒト一人いないという現実が、《禁忌の箱》がもたらした被災の凄まじさを物語ってもいる。
この場所に埋まっているのは《風の終わり》であるせいか、囂々(ごうごう)と吹き寄せる風は人馬を吹き飛ばす勢いであり、ケイル・ポー達の作業を難航させていた。
アニシナに委ねられた足長蜘蛛が烈風に煽られて安定性を保つことが難しく、《風の終わり》が埋まっている近辺に兵士達が簡易的な足場を組んで蜘蛛の脚を支えようとしているのだが、落下しないように命綱をつけていてすらも滑落が起こり、怪我人が後を絶たない。
特に、裂隙から噴き上がってくる瘴気がマスク越しにも衛生兵を苦しめ、殆ど動くことが出来ないような兵も出てきた。
それでもどうにか作業を完遂できたのは、魔族とはいえ主戦力が混血であったお陰だ。
「蜘蛛、設置完了しました!」
「ご苦労…!引き続き、防御壁部隊は作業を続けてくれ」
とはいうものの、瘴気と突風によってこの辺りには高い木は生えておらず、防御壁を張り巡らせるだけの資材不足は深刻であった。
仕方なく、負傷兵を乗せる為の荷台まで崩して資材に回さねばならなくなった。
しかし、ケイル・ポーは生来の性格でもって足りない物資に文句をつけるということはなく、可能な限りの手を尽くして淡々と作戦準備を進めていく。
『完遂できなければ、言い訳なんてしている暇もないだろう』
冷静に現状を受け止め、対処する能力を持たぬ者に《ルッテンベルク》の軍人であることを名乗る資格はない。
ケイル・ポーはそのように認識している。
「ケイル・ポー閣下…っ!教会の連中がこちらに向かって接近中です…っ!」
「分かった」
ケイル・ポーは部下の報告に頷くと、務めて敵意を見せぬ表情で歩いていった。
時間稼ぎの為ならば、気に喰わぬ狂信者どもに謙(へりくだ)ってでも、《風の終わり》への接近を無血で阻止してみせる。
『頼みます、ユーリ陛下…』
祈りを込めて、ケイル・ポーは一瞬だけ灰色の空を見上げた。
じきにこちらに向かってきてくれるだろう有利のことと、この正念場に際して傍に控えることが出来なかったコンラートのことを想いながら…。
* * *
コンラートの軍はかつてカロリア自治区に含まれていた地帯を疾走している。
現在、フリン・ギルビットによって自治を認められているのは港湾地域だけであり、11年前に開放実験が強行された《地の果て》が埋没している地域は長年、《神に見放された土地》と呼ばれて放置されており、常に不気味な地鳴りが続いて、時には激震による滑落が生じる土地に住まう者は人っ子一人いない。
また、港湾地域との間に構築された《悪魔の山鋒》と呼ばれる山脈は絶壁に近く、地底の基盤が盛り上がったのかと思われるほど硬質なせいもあって人馬共に登ることが出来ない。この為、迂回路を取った第1軍は他の2軍よりも目的地到達までに時間を要することとなった。
先を急ぐ第1軍は食事すらも完全に馬を止めることなく、徐行させて馬上で乾し肉を囓っていたため、ミリアム少年が丁度そのタイミングに遭遇して声を掛ける事が出来たのは奇跡的な確率であった。
「すみません…どうか、どうか話を聞いて下さい……っ!」
徐行しているとはいえ、丈高い悍馬の足下に躍り出てきたミリアムは危うく蹄に引っかけられそうになったが、慌てて手綱を操作して馬を止めてくれた兵に、激しく安堵してへたり込んでしまった。
『本当に…この人達、紳士的なんだ…!』
どんな思惑があってのことなのかは分からないが、伝え聞いている話によれば眞魔国軍は戦場にあっても倫理を重んじ、ことに民間人に対しては決して傷つけないように配慮していると聞いた。
それでも、産まれたときから寝物語に聞かされている魔族の印象はあまりにも強く、ミリアムは半信半疑でここまでやってきたのだ。
「君…どうしたんだい?食糧が欲しいのかい?」
「いいえ…いいえ…。た、助けて欲しい方が…いるんです…。どうか…指揮官の方にお伝え下さい…っ!聖都の人間が来たと…。ルクサス様をお救いしてくれるのなら、僕が知る限りの情報をお教えすると…っ!」
「なんだって…?」
兵は自分の手には余ると思ったのか、近辺にいた格上の士官らしき男にミリアムを委ねると、すぐにどこかへ伝令に走ってくれた。
* * *
「聖都の人間だって…?」
馬を徐行させながら乾し肉を囓っていたコンラートは、兵の言葉に小首を傾げた。
この時期に聖都からやってきて魔族に対話を求めてくるとなると、一般的には間諜を疑うところだろう。
「ええ…人間にしてはとても綺麗な子なんですが、足なんてもう可哀想なくらいボロボロになっていて…その子が、必死にルクサスという男を救う為に力を貸してくれと言うんですよ」
この非常事態に際して教会内のいざこざに付き合っている暇はないだろう…とは思いつつも、性格の柔和な兵士は必死の子どもを無碍に突き放すことが出来なかったのだ。
少々その事を恥ながら伝令してきたものの、コンラートの方は《馬鹿馬鹿しい》とは感じなかったらしく、真剣な表情で何事か思案していた。
「ルクサスという名を知っているか?」
コンラートは傍らを走っていた男…ソアラ・オードイルに尋ねた。
この男はつい先日まで聖騎士団を率いていた指揮官である為、報告にやってきた兵は心なしか不審げな眼差しを送ってしまう。
無理もないだろう…一般に、聖騎士団といえば狂信者の集団であると見なされている。
降伏した敵兵すらも惨殺し、逃げ込んだ先で少しでも住民が敵兵を庇ったことが分かれば、集落ごと焼き尽くすような連中だと噂されているのだ。
そんな集団に所属し、第一責任者として指揮していた男が一体何故、魔王コンラートの傍に侍(はべ)っているのか…誰もが疑問視していた。
特に、すぐ傍で見守っているアリスティア公国のアマルとカマルなどは、《妙な動きを見せれば瞬時に飛び掛かってやる》と言いたげに臨戦態勢を解かない。
「現在の神父長がバイアント・ルクサスという名であったはずです。同一人物かどうかは分かりかねますが…」
兵の思惑を知ってか知らずか…オードイルは淡々と知る限りの情報をコンラートに告げると、後は黙して長い睫を伏せた。
聖騎士団の鎧をアリスティアに置いてきたオードイルは、白い軍服に簡易的な鎧を身につけただけの軽装である。
しかしその心情は容儀ほどに軽いものではないらしく、表情には時折…考え込むような色が浮かぶ。
「神父長とは、どういう役職なのだろう?」
「大教主に次ぐ位です。大教主の気に障る行為で失脚したのかも知れませんが…。あの教会の中で身を挺して救出を求める…それも、魔族を頼ってくる者が居るとは考えにくいですね」
「足止めの為の嘘だとすれば、設定に無理があると?」
「ええ」
オードイルの言葉にコンラートは更に思案を深めると、口から乾し肉を外して兵に頼んだ。
「……すまないが、その子を連れてきてくれるか?進軍を止めている時間はないが、どうも気に掛かるんだ」
「はいっ!」
兵はコンラートが関心を示したことで、自分の判断に誤りがなかったことを喜びながら馬を走らせた。
* * *
馬首を巡らせて離れていく兵の後ろ姿を見やりながら、オードイルは不思議そうにコンラートを見た。
『この男は…どうして、こんなにも心を配るのだろうか?』
不思議だ…とても。
不思議と言えば、この男の何かを知りたくて…こうして眞魔国軍に帯同している自分も不思議だった。
聖騎士団をほぼ全滅させてしまったことで、敵地も故郷も同じくらい寄る辺ないものになってしまった事をオードイルが認識したのは、コンラートに気絶させられてから数時間後のことだった。
オードイルの前にやってきたコンラートは、簡略にそこまでの戦闘経緯などを伝えてくれた。
『これから…どうするつもりだ?』
『それを考えるのは私ではないと思うが?』
敵の捕虜となった以上、オードイルは過去の事例に倣って自決すべきなのだが…それを見越したようにがっちりと後ろ手に拘束されていた。
オードイルの生死は、全てこの魔王…ないし、魔族に握られているのだ。
だが…どのような辱めを受けることになろうと、あの老人に犯されるのと大差はあるまいと思った。
強いて言えばそれが明るみに出たときの家族の嘆きを気に病むが、抵抗してみたところでどうなるものでもあるまい。
諦めきって、無力感に満ちたオードイルの言葉はしかし…コンラートによって鮮やかに否定された。
『いいや…考えるのは君だよ。君の人生を動かせるものは他の誰でもない、君だけだ。試しに、どうしたいか言ってはみないか?』
《全て叶えられるとは限らないけれど、言うだけ言ってみてはどうだろう?》…ふわりと少年のような貌で笑う男が、本当にオードイルを完膚無きまでに敗北させた男なのだろうか?
オードイルはこれまで感じたことのない…不思議な心地に包まれて、気が付いたら思いがけないことを口走っていた。
『魔王…あなたと共に在ってもいいだろうか?』
更に思いがけないことに、コンラートはそれをあっさりと受け入れた。
行動の自由を与え、帯剣まで許して傍にいさせてくれる理由をまだ尋ねてはいない。
最初…少しだけ、コンラートにも《その手の趣味》があるのかと疑ったのだが、兵士達の会話の中から漏れ聞いた話によると彼は基本的に女性を相手にするし、決して強制的に行為を迫ったことはないという。
そもそもこのコンラートという魔王は、美貌をもって知られるオードイルが井の中の蛙だと自覚するほどに美しいではないか。
わざわざ敗将を閨に引き込んで悦に入るほど餓えているはずもない。
『何故…私はあんな事を言い出したのだろう?そして魔王もまた、それを簡単に受け入れてくれたのだろう?』
これまでオードイルが感じてきた疑問…《何故?》《どうして?》という問いかけに、納得のいく答えをくれたものはなかった。
それは常に《お前がいやらしい子どもだからだ》《その綺麗な顔で男を誘うのだ》と、極めて不本意な罵声と嘲笑で返されてきた。
コンラートへの疑問も、やはり答えはないのだけれど…どうしてだろう?
どうして…彼を想うと、きらきらと光る期待感のようなものが湧いてくるのだろうか。
『この男は…力を持ちながら、とても美しい精神を持っているのではないだろうか?』
教会の誰に対しても感じたことのない尊敬と期待を、よりにもよって魔族の王に対して抱く自分に、オードイルは何とも言えない不思議さを感じずにはいられなかった。
* * *
「オードイル…様……?」
「ミリアム…!」
この時、より多くの驚きを感じたのはどちらの方だろうか?
オードイルとミリアムは唇を淡く開いたまま、呆気にとられて言葉を忘れてしまった。
『オードイル様…どうして?』
てっきり殺されたか自害したものとばかり思っていたミリアムだったが、そうではなかったことに失望よりも寧ろ強い安堵を覚えた。
魔族を頼るという選択に戸惑いと迷いも持っていたミリアムにとって、自分と同じ陣営に属していた者が帯同しているという事実が心強かったというのもあるし、それに…。
『オードイル様…今まで見たこともないような顔をしておられる』
不安定な立ち位置に自他共に戸惑いながらも、オードイルは常に放っていた鋭利な雰囲気を和らげている。
そして…コンラートに送る眼差しはどこか尊敬の色が滲んでいるようだ。
『魔王とは…どういう男なのだろう?』
こんなにも短時間でオードイルを手懐けているところからみると、ついつい《閨での駆け引き》などといった下品な発想をしてしまうのだが、ミリアムはすぐにそれを思い直した。
『違う…きっと、そういうのじゃない…』
オードイルはミリアム同様、少年時代からウィリバルトに蹂躙されてきたことを恥じているし、そういったやり方で籠絡されたのであれば、眼差しにはもっと粘性のものが混じっているはずだ。
しかし、オードイルは澄んだ光を湛える杯でも見守るように、清らかな何かをコンラートの中に見いだしているようだった。
「知り合いなのか?」
「ええ、この子は大教主のもとで…小間使いなどをしている少年です」
《小間使い》という言葉の直前に言い淀んだことで大体の意味を察してくれたのか、コンラートは優しく語りかけてくれた。
「ミリアムといったね?まずは話を聞かせてくれないか?」
「は…はいっ!」
『なんて声だろう…!』
胸に沁み入るような…澄んだ声。
これが魔族の王が発する声だなんて…!
居丈高なウィリバルトとはあまりにも違いすぎる声音に動揺しつつ、ミリアムは精一杯簡潔にと心がけて、聖都での出来事と依頼内容を説明した。
* * *
「瘴気が…大教主の身体に入ったと言ったね?」
「はい。それから数分の間、怪物みたいなものになりかけていたんですけど…《止せ》とか言って、元の状態に戻ったんです。あれは…一体何なんでしょう?」
一通りの説明を受けた後、コンラートは異世界で聞いた事例を思い出していた。
あちらの世界でも《禁忌の箱》の封印が弱まり創主の力が滲み出てきた時、操られて凶暴化したものや、《禁忌の箱》を開放へと導く為に操られた者がいたという。
大抵は心に迷いを持つ者であったというが…ミリアムの話から考えると、どうやらウィリバルトという男は積極的に身体を貸しているのではないだろうか?
おそらくは、教会内での実権を握る為に。
『そうだ…確か、自覚を持たずに創主に操られている場合、明らかに気配がおかしいことに周囲が気付いたと聞く…。では、ウィリバルトという男は創主の意図に従って自由意志で動いていたのではないか?』
厄介な存在だ。
単純な狂信者も困るが、自分が闇黒側の存在だと分かった上で開き直って行動している者もタチが悪い。
そういった手合いは、純粋な信仰者に対してはやけに神々しい態度で扇動するのが得意なものだ。
そんな男が十数年間に渡って作り上げた組織ということは…極めて創主にとって都合の良い存在なのではないだろうか?
教会とは、来たる日に創主を目覚めさせる為の切り札として養成された集団なのではないか。
コンラートは嫌な予感に眉根を寄せながら行く手を見やった。
土の要素が歪められた《地の果て》が埋没する土地は、そんなコンラートを嘲笑うように不気味な地鳴りを続けるのであった…。
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