第三章 ]VーA



 




「むむむ…村田ってヨザックとそういう関係なのっ!?…かな?」
「さて…?」

 コンラッドは何か物思うげに下唇を人差し指で叩いていたが、一瞬だけ振り返った友人の顔を見ると…微かに苦笑した。

 それは長い付き合いの中で…様々な感情交流を果たした者だけが持ち得るような、深みのある表情だった。

「あいつは、ああ見えて寄り添うのが得意な男ですからね。猊下のことは…任せて良いと思います」
「村田を任せるの?」

 主体が違うのではないかと小首を傾げたものの、有利もまた村田の行動を思い起こして小さく頷いた。

「そっか、そうだよな…。村田って凄く強いけど、どこか脆いトコも持ってるよね」

 余裕綽々といった態度で居ることが多いから見逃されがちだが、彼はやっぱり…18年生きてきただけの《村田健》なのだ。
 有利と同じように迷いもすれば傷つきもする、年相応の少年らしい心を持っている。

 特に有利の身に危険が及ぶかもしれない事態に対しては、錯乱に近い状況に陥ったこともある。
 今回は共に行けるということで多少は落ち着いているものの、やはり大きな不安に押し潰されそうなのかもしれない。

「傷つきやすいことが分かっているから防御が強くなる…というのもありますからね」

『やっぱさ…こういうトコ、凄いよな…』

 ヨザックと共に、コンラッドは村田のこともよく理解しているのだと思う。
 村田からは厳しい扱いを受けることが多い彼だが、それらを受け入れた上で包み込むような心配りを見せるコンラッドと、同様に懐の大きさを伺わせるヨザックが親友であるのは、こういうところから来るのかもしれない。

『俺も…ちゃんと村田のこと、分かりたいな…』

 大切に思っているのは間違いないのだけれど、こういう洞察に関してはまだまだだな…と反省してしまう。

「ヨザックが…包み込んでくれると良いなあ」
「大丈夫でしょう。あいつは程度に待てるし、適度に押せる男です」

『そうだと良いな…』

 女心と男心の双方を併せ持つ《グリ江ちゃん》相手なら、少し(?)難しい性格の村田も安心して甘えられるかもしれない。

「でもさ…」

 ふと、想像した絵面があんまり怖くて有利はぶるりと震えた。

「なんです?」
「ん…あのさ?村田が言ってたのって何処まで本気だと思う?」
「ヨザがネコ役で猊下がタチ役ということですか?まぁ…奴ならどちらでもいけるでしょう。それこそ、猊下の希望に合わせて日替わり定食なんてのも設定自在でしょうね」
「ま…マジで!?」

 確かに、どちらも男同士なのだから決まった上下関係があるわけではないだろう。
 でも…何となく体格差とか、性的経験値で自動的に決まるという印象があった有利は意外そうだ。

 昔…一度だけ《将来的には俺がコンラッドを抱いたりもした方が良いのかな?》と聞いたらやんわりと却下されたのだが…今はどうなのだろう?

「コンラッドも日替わり定食やってみたい?」
「俺は毎日毎食Y定食と心に決めているので、変化は持たせたくありません」
「栄養…偏らない?」
「偏食上等です!」

 きっぱりと言い切るコンラッドは、新しい道を模索する気は当面なさそうだ。


 コンコン…


 かなり《禁忌の箱》等の深刻な内容から会話の主題が外れた頃…特設工場の扉近くで、柱を叩く音がした。
 どうやらノックのつもりらしい。

 視線を向けてみればそこには、憮然とした表情の美少年が佇んでいた。

「ヴォルフ!」

 親しげに愛称を呼びながら駆けてくる有利に驚いたのか、ぎょっとしたように瞳を見開いているのはフォンビーレフェルト卿ヴォルフラムだ。
 ビーレフェルト領で蟄居していたのだが、今回のことで王都に召還されたのである。

「お話中に失礼致します。少々…尋ねたいことがあるのですが、お時間はよろしいでしょうか?」
「他人行儀だなぁ…って、あ…そっか…。こっちのヴォルフと俺はそんなに喋ったことなかったっけ?なんか頭がごっちゃになるな」

 極めて礼儀正しい扱いを受けると、お尻の辺りがむずむずするような違和感を覚えてしまう。
 グウェンダル相手の時にもそうだったのだが、この兄弟から《偉大なる双黒の魔王陛下》扱いされるというのは予想以上に気色悪い。

「んー…申し訳ないけど、もーちょっとざっくばらんに話してくれる?」

 両手を合わせて上目遣いに《お願い》のポーズをしてみれば、ヴォルフラムのすべらかな頬は淡紅色に染まり、恐縮しきった様子で肩を竦める。
 小さくなった姿がなんて似合わない男だろうか…。

「…ユーリ陛下のお言いつけとあらば、最善の努力を尽くします…!」
「うぁぁあん…」

 《気持ち悪い》とは流石に申し訳なくて言えないが、やっぱり気持ち悪いものは気持ち悪い。
 涙目になってしまった有利も辛いが、最大限の敬意を顕しながら困ってしまわれているヴォルフラムはもっと居心地が悪いだろう。
 
「も…申し訳ありません……」

 全身に嫌な汗をかいているらしいヴォルフラムは、困り果てた顔をして畏(かしこ)まる。
 そんな彼の肩をぽぅん…と叩いたのはコンラッドだった。

「肩に力が入りすぎだよ。こんなところで立ち話もなんだし…お茶にしようか?」

 にっこりと微笑まれて、ヴォルフラムは更に一層奇妙な顔になってしまった。
 奇妙等と表現すると美少年に対して悪いような気もするが、そうとしか言い表しにくい。

 困ったような…恥ずかしいような…怖がっているような、そんな感情を持て余している自分自身に、一番腹を立てているような…そんな顔だ。

 それでもコンラッドの言うことには同意できたのか、礼儀正しくお茶のお誘いは受けていた。



*   *   *




『こいつが…異世界のコンラート、なのか…?』

 屈託のない様子でやわらかく微笑み、自ら慣れた手つきで紅茶を煎れるコンラッドに、ヴォルフラムは不作法にならない程度ではあったが、ちらちらと視線を送る。

『それに…この双黒の魔王陛下と僕とは、あちらの世界では親友同士だと聞いたが…』

 混血でありながら魔王になったという点ではこちらのコンラートと同様だが、更に有利の場合は眞魔国の状況を何も知らずに召還されてしまった為、右も左も分からぬ中であちらのヴォルフラムに喧嘩を売られたのだとも聞いた。

 それがどうして愛称で呼び合うような《親友》となり得たのか、ヴォルフラムにはどうしても理解できなかった。

 理解という点で言えば、このコンラッドという男にしてもそうだ。
 どうして…同じ素材でありながらこんなにも屈託のない性格なのだろう?
 あちらの世界でのコンラッドとヴォルフラムは、ずっと仲の良い兄弟で居続けているのだろうか?

「それで…話ってナニ?」
「それ、は……」

 お茶の香気にほぅ…っと息を吐くなり、さらりと直球勝負に出た有利にヴォルフラムは少々噎(む)せてしまう。   

「お聞きしたいことが…あります。その…ウェラー…いえ、コンラート陛下から、僕のことを何か聞いてはおられないでしょうか?」
「ああ…」

 有利はこっくりと頷くと、優しげな黒瞳に理解の色を示した。

「そっか…お兄ちゃんの事が気になるんだな…!分かる分かる!ずっと喧嘩してたんだもんな。やっと仲良くなれるって時にレオは遠征しちゃってるんだもん。気になっちゃうよね!」
「……仲良く…」

 …なれるのだろうか?
 あんなにも深く傷つけたのに…。
 取り返しの付かないほど残酷な言葉で、何度も心を切り裂いたのに…。

 王都の防壁前で再会したコンラートは頬を染めつつも、およそ彼らしくもない程の動揺を見せながら…精一杯の愛情を示してくれた。

 それはヴォルフラムがずっと憧れていたような、冷静で全てが完璧な姿ではなかったけれど。その代わり…もっとずっと身体の奥底からふつふつと込み上げて来るような…泣きたくなるような、抱きしめたくなるような愛情を感じさせるものであった。

『兄上…っ!』

 あの時、突き上げてくる衝動のままに抱きついて、泣きながら謝れば良かったのかもしれない。
 けれど…高すぎる自尊心に振り回されがちなヴォルフラムには、そんな芸当は出来なかった。

「レオはさ…ヴォルフのこと、大好きだよ?《大事な弟》…って、言ってた」
「……っ!」

 きっぱりと言い切る有利に、ヴォルフラムは二の句が告げなくて黙り込んでしまう。
 やはりコンラートはヴォルフラムを赦し、その上で昔と変わらぬ愛情を送ってくれているのか…。
 それに対して、ヴォルフラムは一体何が出来るのだろう?

『アニシナの魔道装置に乗り込んで大陸に乗り込むという話だが…その折に貢献できれば何か変わるだろうか?』

 本当に?
 この…自分でももどかしいような自尊心を御することが出来るのだろうか?

 ぐるぐると思い悩むヴォルフラムに対して、コンラッドが柔らかな声を掛けてきた。

「…ヴォルフは、どうしたい?」

 そっと寄り添って…囁きかける声は身体の芯に沁み入るような美声だった。
 懐かしい、兄の声…。

「役に、立ちたいのです。その、コンラート…陛下の役に立つことは、眞魔国の為にもなるでしょう?」

 この期に及んでも言い訳めいた事を口にする自分が何とももどかしい。

「そうか…。それも良いかもしれないね」
「他に、何かあるのですか?」

 言葉遣いは丁寧でも、どうしても口調に険が出てしまう。

『ああ…まただ。僕はこうやって、甘やかしてくれる人に居丈高な態度を取ってしまうんだ…』

 何もかも許して受け入れてくれた…そして、傷つけてしまった兄。
 そして、その彼にあまりにもよく似た異世界のウェラー卿コンラート…。
 重なる二人の像に、ヴォルフラムは唇を噛んだ。

 こんな風に…険のある話し方をしたいわけではないのだ。

「良いんだよ…。ヴォルフはヴォルフのままで」
「…え?」
「ヴォルフが気を病みすぎる方が、きっとレオにとっても辛い。だから…ヴォルフはその口調で良いから、話しかけたい内容を素直に口にしてご覧?会話をしていれば、きっと会わない時間の中で悶々と思い悩むよりも、すんなりと答えが出ることがあるよ?」
「……っ」

 優しく、根気よく語りかけてくるコンラッドに、やっぱりヴォルフラムは何も言えない。
 やはりコンラートもそのように言うかもしれないと思しきことを語りかけられて、甘やかされている自分を再認識してしまうのだ。

 嬉しいのと同時に…《本当にそれで良いのだろうか?》という気がしてくる。

「んー…コンラッドが言うのも尤もだけどさ…。話しかけるのは一人で考え込んじゃうより絶対良いんだけど…。ヴォルフが悩んでるのって本当にそれだけ?」
「僕は…」

 鼻の頭をぽりぽりと掻きながら、有利が尋ねてくる。

「あのさ…ヴォルフ、レオに謝りたいんじゃないの?でも…なんて言って良いか分かんないとか」
「……それは……」

 まさしくその通りだ。

 傷つけたことを謝りたい。
 混血と蔑んだあの言葉を取り消したい…。

 けれど、あの時から時間はあまりにも長く過ぎ去っており、しかもその後もちまちまと大小の傷を与えてきた身としては、具体的にどの点についてどう謝って良いのか分からないのだ。

「どう…謝れば、良いのでしょうか…?」

 そう口にするのが精一杯だった。

「分かんない?じゃあ、グローバルに幅広く謝ってみたら?」
「ぐろ……?」

 有利は上手く言葉で表現しようとして暫くの間思案していたのだが、あまりそういう思考過程が得意でないらしい彼は、ちらりと傍らのコンラッドを見やると勢いよく飛びついていった。

「ゴメン…悪かった!今までのことは全部許してっ!…大好きだよコンラッド…っ!!」
「ああ…何もかも全て、つるっと許したくなりますね…っ!」

 仔犬のように縋り付き上目遣いに謝り倒す有利の姿に、コンラッドは目尻をてれりと下げて歓喜の表情を浮かべた。

「うん…この方法が良いんじゃないかな?きっと、レオも滝のような涙を流して喜ぶと思うよ?」
「……………え?」
 
 ごきゅりと喉が鳴る。

 異世界のコンラッドがそう言うのだから確率は高いのだろうが…。
 だが…それは幼い時分ならともかく、いい年になった弟が兄に言うにはちょっと問題がないか?

「俺相手に練習してみるかい?」
「え…は、はい…っ!」

 ヴォルフラムは反射的に受諾してしまったが、横で見ている有利はちょっぴり複雑そうな表情だ。

「うわぁ…なんだろう。このくすぐったい感じ…。兄を持つ者としては、思わず自分とこの兄弟間で想像しちゃうな…」

 コンラッド相手には平気でも、有利とて自分の兄相手ではかなり嫌らしい。

「ユーリも一度は言ってあげたらどうですか?きっとショーリも泣いて喜びますよ」
「いや…それは多分間違いなくそうなんだけど、その後が鬱陶しそうなんだもん」
「そうですね…。ああ、すまないヴォルフ。放ってしまって…じゃあ、練習しようか?」

 コンラッドはいそいそとヴォルフラムを立たせると、両手を広げて満面に笑みを浮かべた。

「おいで…ヴォルフ」
「あ…あああ、あにっ…あ、あに…うぇ……」
「吐いてるみたいだぜヴォルフ」
「うるさいっ!は…っ…も、申し訳ありません!」

 横から茶々を入れてくる有利へと反射的に罵声をあげてしまい、心臓が縮み上がるが…有利の方は《その調子…!》と上機嫌だ。
 
「いいっていいって!ほら…頑張れヴォルフ!」
「は…はい……。あに…うえ………。だ…だい……っ…」

 声援を浴びながら、コンラッドの包み込むような慈愛の眼差しを受けると、ヴォルフラムの頬は如何ともしがたく真っ赤に染まり、目線を合わせることが出来なくなってしまうし、掴んだ拳の中に生暖かい汗が溜まってしまう。

「ふふ…そのくらい頑張れば、きっとレオも同じくらい真っ赤になって気持ちを受け止めてくれると思うよ?」

 どうにもこうにもまともな言語として発声できないヴォルフラムに、コンラッドはくすくすと苦笑している。
 きっと…向こうのヴォルフラムもこの調子で、生暖かく転がされていたのだろうか?

 そんなほんわかとした雰囲気を打ち砕くように…突然、けたたましいサイレンの音が鳴った。  
 
 
 ウゥゥウウウウウウウゥゥゥゥゥ……………

 カンカンカンカンカン……………っ!!
 
 
「な…何っ!?」
「アニシナの警報装置です。急ぎましょう!」
「……っ!」

 先程までの暢気な雰囲気を払拭すると、即座にコンラッドの表情が変わる。
 俊敏な肢体は完璧な動作を見せて有利の手を取り工場へと歩を進めると、ヴォルフラムを視線で促した。

 非常事態警報…おそらくそれは、大陸で何かが起こっていることを示しているのだろう。

 大陸にいる…レオンハルト卿コンラートの身に、何か起こったのかもしれない。


『コンラート…っ!』


 悲鳴のような声が喉を突き上げそうになる。
 今…この瞬間に叫ぶことでコンラートの身に降りかかる危険が減るのなら、何度でも《大好き》と口にしてみせる。

 
 ヴォルフラムは締め付けられる胸の痛みと闘いながら、コンラッドと有利について行った。

  




 

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