第三章 ]V.箱よ、さらば



 





 アリスティア公国で飲料水などの補給を済ませると、眞魔国軍とアリスティア軍は一夜明けた早朝には《禁忌の箱》を目指して出発することになった。

 戦勝の後…それも、圧勝と言っていい戦であったというのに、一体何故ここまで素早く動くのかと両軍の兵士達は疑問に思っていたようだったが、それを口に出す者はいなかった。

 既に彼らの中でレオンハルト卿コンラートは偉大な戦神とも呼べる存在になっており、口さがない真似をして軽蔑されるのは御免だったのである。

 コンラートの焦燥を知る者はごく少数であった。
 その少数も、殆どはアリスティア公国内で一夜過ごす間に説明を受けた両軍の上級士官達であり、自らの思考展開だけでコンラートと同じ判断を下した者は更に僅かであった。

 その内の一人は当然というべきか…双黒の大賢者であった。

『まあ…君のせいじゃないけどね』

 報告を受けた村田は珍しくコンラートをからかう気にもなれなかったらしく、この状況下に於いて最善と思われる措置を執れるように眞魔国内でも準備を進めてくれた。
 すなわち、必要に応じて何時でも魔道装置を稼働させる…という意味である。

 もしかすると、《禁忌の箱》を万全な体勢で囲み込んで有利を迎えるという状況が困難である可能性があるのだ。

 何故か…?
 それは、眞魔国軍が《勝ちすぎた》せいだ。

 
 教会側の余裕を根刮(こそ)ぎ奪ってしまうほどに…。



*  *  *




 アリスティア公国を出立する際、軍勢は3手に分けられた。
 ここまでは各個撃破の標的とならぬように集団で行動していたのだが、大陸最大規模と思われる聖騎士団との戦闘によっても大きな被害がなかったこと…そしてコンラートの《懸念事項》から、予定よりも早く個々の《禁忌の箱》を目指したのである。

 コンラートが指揮する第一軍は《地の果て》を目指しており、ヘルバント・ウォーレスやアリスティア軍の主要部隊といった人間勢が多く混在している。
 眞魔国軍に合流して日の浅い彼らを統括するには、やはりコンラートでなければなるまいとの判断だ。

 ちなみに《風の終わり》を目指す第二軍はケイル・ポーが指揮しており、《凍土の劫火》を目指す第三軍はアリアズナ・カナートが指揮している。



「コンラート陛下…教会は、ろくでもない手段に出てくるのでしょうな?」
「そうだろう…忌々しいことにな」

 馬を併走させながら、コンラートはヘルバントの問いかけに嘆息した。

 ヘルバントはコンラートの焦りを見抜いた数少ない士官であり、聖騎士団との戦いに於いても重要な役割を果たしている。教会の認識よりも迅速に眞魔国軍が戦場に到達できたのは、地理に詳しいヘルバントの手引きがあったからだ。

 眞魔国に…というか、コンラートに貢献できたことで喜んでいたヘルバントだったが、聖騎士団の残党を片づけていく過程でコンラートが懸念を滲ませていたことで、彼が何を思い悩んでいるのか必死で考えた。

 コンラートが送る眼差し、表情…そしてこの戦の状況からヘルバントが出した答えは、問い合わせてみたところほぼ正鵠を射ていた。


『教会は、破滅的な手段に出てしまうかもしれない』

 
 大陸を渡る間に《これだけは起こさせない》と、コンラートが神経を尖らせていたこと…生贄や集団自決の促しによる儀式が、《禁忌の箱》に対して直接行われる可能性が出てきたのである。

 何故かと言えば、聖騎士団が予想以上に派手な敗け方をしてしまったせいである。 
 
 コンラートはそうさせない為に聖騎士団長の闘気を受け止め、自ら剣を振るって闘ったのだが…圧倒的な技量の差を見せつけ、尚かつ命も取らずに気絶させたコンラートの侠気に感応した兵はいなかった。
 また、堂々たる一騎打ちの果てに倒された聖騎士団長を、命がけで救おうという者もいなかったのだ。

 聖騎士団の兵達は高級士官までが感情に流されてしまい、《神の加護があるのに敗けている》という現実を受け止められずに、がむしゃらな個人戦を演じてしまったのだ。
 これで勝つ方がおかしいし、敗け方にしても勝者たる眞魔国側が困惑するほどに酷かった。

 戦争の結果として当然出てくるはずの捕虜という存在を許さず、自決しようとしたり、降伏しようとする味方を後ろから斬り殺す連中を眞魔国兵が止めなくてはならないかったくらいだ。
 ならばせめて聖都へと逃亡してくれればいいものを、どうやら《悪魔に背を向けることは罪》という意識らしくそれもしてくれない。

 結果、逃げることも降伏することも出来なかった兵が大量に死亡してしまったのである。

 うんざりするような死体処理をアリスティア公国の後方組に任せると、コンラートは急いで判断をしなくてはならなくなった。
 救いがたい敗戦報告を受けた教会は、武力を頼みに出来なくなれば怪しげな技…カロリアで見せたような、酷い犠牲を試みるに違いない。

 それが実際に《禁忌の箱》を開くことになるのかどうかは分からない。
 だが…そこに至る過程上で、間違いなく出現するのは救いがたい傷痕…多くの罪なき者達の死なのだ。



*  *  *




『何という方なのだろう……』

 アマルは少し離れた場所から、コンラートの後ろ姿を熱く見詰めていた。

 感激屋のアマルは昨日コンラートの卓越した剣技に惚れ、更には気高い志(こころざし)と崇高な思想に触れて心酔の域に達してしまった。

 ほんの数日前…というより、昨日の昼頃までは父親の決断に否定的であったアマルは、遡ってその時間帯の自分を叱りつけてやりたい気分だった。そして同時に、父と大公とを尊敬する気持ちも強まっている。

『こんなにも…人間を想ってくれる方だったなんて…っ!』

「兄上…」
「うむ」

 カマルも兄の気持ちが分かるのだろう、双子としての共鳴を感じながら眼差しを送れば、同じ思いを湛えた瞳が見返してきた。
 
「あの方と、馬首を並べて闘うことの出来る幸福に感謝しましょう…!」
「そうだ…。我らは、あの方の為に命を賭けるぞ…!」

 こっくりと頷き合う双子はダブルヒートでホットな眼差しをコンラートに送るのであった。



*  *  *




「なんたる…なんたる……っ!」

 大教主ヨヒアム・ウィリバルトに聖騎士団の歴史的大敗を報告するという役回りは、激烈な押し付け合いの末…金色の巻き毛を持つ天使のようなミリアム少年に押しつけられた。
 
 《日頃寵愛を受けているお前ならば、大教主様も無体はされまい》…そう言い含められて来たものの、ウィリバルトの視線は正気を失ったかのようにぎょろぎょろと動き続けている。

 この部屋に入る際には、勝利報告を期待しているらしいウィリバルトに弾むような声を掛けられ、気色悪く筋張った手で尻をまさぐられながら、酒臭い息を吹きかけられていたのだが、今やその手は痛いほどミリアムの尻を掴み、ふっくらとした双丘を引きちぎらんばかりであった。

『オードイル様…っ!』

 ミリアムは心の中で崇拝する男の名を呼んだが、勿論口にすることは赦されない。
 オードイル自身も自分と同じ運命に耐えているミリアムを気に掛けてくれたが、今や彼は栄光《燦たる》聖騎士団長から《惨たる》敗戦士官に身を堕としており、ウィリバルトの怒りを一心に受ける身であるのだ。

『誇り高いあの方のことだもの…きっと、自決の道を選ばれたに違いない』

 教会の教義では自殺を禁じているが、何時の頃からか《敵に辱められる危険性がある場合は、寧ろ積極的に自決すべきである》との説が主流になってきたのだ。
 
 ミリアムはふるふると長い睫を震わせては、ウィリバルトの怒りが自分や仲間の稚児衆に向かわぬ事を祈るばかりであった。

「くそ…くそぉぉお…っ!ふ、不信心者めぇ…っ!どうしてくれよぅ…神の怒りを…打擲(ちょうちゃく)をあたえてやらねば…!」

 とはいうものの、《打擲》を与えるべき聖騎士団自体がほぼ全滅という事態に陥っている。
 聖都防衛の為の一軍はまだ残しているものの、それらを全て繰り出す勇気はウィリバルトにはない。彼は、とにかく自分の身は最大限に守り抜いた上で敵を傷つけることを考えるのだ。
 当然、自ら軍を率いて出立することも考えられない。

「ミリアム…何か考えはないのか…っ!?」
「も…申し訳…あ、ありませ……っ…」

 喉を痙攣させるようにして怯えると、普段なら面白がって頬や尻、陰部などを叩くウィリバルトも、今日はそんな余裕もないらしい。苛立たしげにミリアムの肩を揺さぶると、出来の悪い玩具でも扱うみたいに力一杯突き飛ばした。

「この役立たずのミルク飲み人形め!男の逸物を銜え、尻の穴でよがることしか知らぬ無能者よのっ!」
「申し訳…ございません……」

 ひたすらに平伏しながらも、悔しさと憤りに喉が震えた。

 ミリアムを初めとする稚児衆は、気分屋のウィリバルトにいつもこうして撲たれたり嘲られたりしている。
 だが…ミリアム達が一体何をしたというのだろう?
 自分たちはこんなにも馬鹿にされ、辱められるような存在なのだろうか?

『それは違うよ…ミリアム。口にすることは赦されずとも、心の中でだけは…自分を卑下してはならない。《なにくそ…いつか、いつか…!》と、夢を見続けるんだよ』

 耳介の奥に…オードイルの優しい声が思い出される。

 ウィリバルトや下位の教主達、そして他の聖騎士団員のようにミリアムを陵辱することのないオードイルは、二人きりでいるときにはいつもミリアムを励ましてくれた。
 深い疵になっているのだろう自分自身の過去についても触れた上で、いつか必ずこの状況から抜け出せると信じさせてくれたのだった。

『そうですよね…オードイル様?』

 心の中の自由まで、踏み荒らされてなるものか…!
 どんなにひ弱で色子としての能力しか認められないのだとしても、いつか必ず誇れる何かを見つけてみせる…!

 そう心に誓うミリアムであったが、今日に限ってはそれが裏目に出た。
 ウィリバルトが…ミリアムの瞳に宿る光に気付いてしまったのだ。

「なんだ…その目は……」
「な…なんでしょう!?」

 びくりと震えるが、皺くれた両手は異様な膂力でもってミリアムの頬を拘束し、澄んだ碧眼を覗き込んでくる。

「今…儂を馬鹿にしたな?」
「してません…そのようなこと、しておりません……っ!」
  
 必死で叫ぶが赦しは与えられず、がしりと掴まれた頭が潰されるかと思われた瞬間…天啓でも受けたかのようにウィリバルトが仰向いた。
 血走った眼球がギョロ…ビクッ…っと上方向に眼振を繰り返し、長髭の間から覗く妙に紅い唇がにやぁああ…っと釣り上がっていった。

「なるほど…そうですな……」

 ミリアムはぎょっとしてウィリバルトを見やる。

『何と…話しているんだ?』

 ミリアムではない何かの声を聞くかのように、ウィリバルトはこくこくと頷いている。

「聖騎士団のような不信心者共ではなく、あなたに縋れば良いのですね……」


 ヒャーッ…ヒャッヒャッヒャッ………っ!


 狂気めいた嗤いは慄然とするような恐怖をミリアムに与える。

「のう…ミリアム。お前は信心深い子であろう…?天使のように愛くるしいのは、顔だけではあるまい…?」
「……ひ…っ!」

 否定することなど出来ず、無理矢理に首を上下して同意させられてしまう。

「よしよし…その調子だ。はぁ…っはははは…っひぃ…ひぃっ!」

 ウィリバルトはミリアムの身体を老人とは思えぬような力で抱え上げると、そのままずかずかと早足で扉の外に出て、驚くほどの大声で呼ばわった。


「魔族に対する聖戦を開始する…!聖都中から《我こそは神に身を尽くす者なり》という信心深い者を集めよ…っ!そして…その者共を三つの《禁忌の箱》に集めるのだ…っ!」


 何か…とてつもなく恐ろしいことが起ころうとしているのではないか…。
 形の掴めない恐怖に、ミリアムは老人に掴まれたままガタガタと震え続けた。



*   *   *




「大陸で…何が起きようとしてるのかな?」

 有利はアニシナによって建造された魔道装置を撫でつけながら村田に尋ねた。深紅なのは当然の選択なのか…どこか向こうの眞魔国からこちらに運んでくれたのとよく似たフォルムに、《同じ性質のヒトが作ったんだなぁ…》という感慨がちらりと浮かぶ。

 血盟城の敷地内に立てられた特設工場はほぼプレハブのような造りで、夏を迎えた今…えらく暑くなっている。
 
 触れた金属の熱さを掌に感じながら、有利は遠き地の友を想った。

「レオ…無事かな?」
「どうかなぁ…」

 《無事って言えよ》と言いかけたものの、いい加減な励ましなど意味がないことを分かってもいるので、有利はあむりと唇を噛む。
 
 そんな有利に、傍らに立つコンラッドは手を伸ばすとくしゃりと漆黒の頭髪を撫でつけた。彼もまたいい加減な安請け合いは出来ないのだが…それでも、少しでも有利に心強さを覚えて貰いたいのだ。

 アリスティア公国で通信したのを最後に、コンラートとの連絡は取れなくなっている。
 おそらく…彼らがあまりにも強い法力の中に入り込んでいる為に、要素が乱れて中継できなくなっているのだ。

 人間の恐怖を煽らぬように、眞魔国軍とは別働隊で動いている白狼族とも連絡はつかない。
 ただ、彼らは有利が魔道装置で大陸入りする際にナビゲーターとして機能する必要があるので、既に集合場所は決めているから予想外の動きを見せていない限りは大丈夫だろう。

 それでも、便利な魔道通信手段を失った有利は不安げだ。

「正規の鍵がないにも関わらず11年前に三つとも開いているところから見て、こっちの《禁忌の箱》はかなりユルい状態なんだよね…。眞王の力で押さえていた間もどんどん世界を荒廃させているし、それは自然界への影響にとどまらないと思う。おそらく…この状況下で力を得ているっていう教会は、能動・受動の判別は就かないものの、思考判断に相当な影響を受けているだろうね」
「ゴメン、村田…もーちょっと分かりやすく噛み砕いてクダサイ……」

 有利が涙目で訴えると、村田も困ったように唇を枉げる。

「僕だって正確に分かっている訳じゃないからね。あくまで仮定の話だよ?」
「うん、いいよそれでも…。だって、村田に分かんないくらいの事は他の誰にもどうにも出来ないことだろ?」
「まぁ…ね」

 無意識なのだろうが…自分に対する高評価に村田は面はゆそうに頬を撫でた。

『全く…僕ともあろう者がさ。君に褒められるとついつい椰子の木だか須弥山だかに登りそうになっちゃうんだよねぇ…』 

 にやけそうになる口元を意識的に引き締めて、村田はやはり《推測だからね?》と念押しした上で持論を語った。

「実のところ、僕は大陸側での《禁忌の箱》の動きのなさを怪訝に思っていたんだ。フォングランツ卿が使った法石からあれだけの力を放ったにしては、連中…大人しくしすぎてるだろ?だから、レオンハルト卿がこちらにいる間にも様々な可能性について語り合ってたんだ」
「ふんふん」
「そして…彼が大陸で行動する間にも《禁忌の箱》は殆ど動きを見せず、カロリアで怪物が暴れたときも、ロンバルティアと交戦したときも…とうとう、聖騎士団が惨敗するという状況に至っても変わらなかった。こうなると…考えられる可能性は……」
「もー、賞味期限切れになってる」
「…とかだったら良いねぇ…ホント」 

 有利の方もそれは分かっているのだろうが、嫌な予感がむくむくと湧いてくるのに耐えきれなかったらしい。

「……おそらく、奴らは待っているんだよ。眞魔国軍の主力が近づいてくるのをね。それを纏めて迎え撃つだけの自信があるんだ」
「もう全然、連中は封じられてないって事?」
「全然って訳じゃないにしても、ギリギリで食い止めている拘束を断ち切るだけの自信があるんだと思うね。連中…きっと大規模な儀式をやるつもりだ。かつて中国の殷で行われた炮烙やら凌遅刑やら、さぞかしおどろおどろしい方法で……」

 《…苦痛を与えながらの大量殺人をやらかすつもりなんだと思う》…そこまでは口にすることが出来なかった。
 恐ろしげな儀式という段階で、有利の顔色がさぁ…っと変わったのだ。

「……え…っ!?もしかして…カロリアで子ども達がやられてたようなやつ…っ!?」

 《多分、もっと酷い》とは説明できなかった。
 それに、大変な事をしでかそうとしていることが伝われば十分なのだ。

「…とにかく、犠牲が出る前に食い止めなくてはならない。これは人の生死に関わることでもあるけれど、もう一つ…それだけの苦痛を投入すれば、《禁忌の箱》が活性化する可能性も含んでいるんだ」
「許せない…許せない……っ!」

 有利の肩や拳はわなわなと震え、涙で潤んだ目元が怒りを湛えて戦慄(わなな)いた。

「そんなことの為に…あんな酷いことを、もっと大規模にやるつもりなのかよ…っ!そんなの…絶対に許さない……っ!!」
「ああ…防ごう、渋谷」

 こくりと村田は頷く。
 この状況下に於いて、村田は意外なほど落ち着いている自分に苦笑した。

 もしも魔道装置に搭載して向かうのが有利単体であれば、きっと《世界なんか勝手に滅びろっ!》と叫んで有利を監禁していたと思う。
 そうしなかったのは…村田も魔力増幅器として搭乗することになっているからだ。

 ちなみに、コンラッドが泰然自若としているのも同じ理由だ。
 彼もまた有利と共に魔道装置に乗り込むことになっている。

 魔力を持たないコンラッドは当初、アニシナから搭乗許可が下りなくて死にそうな顔をしていたのだが…彼の左腕が《風の終わり》の鍵であることが分かり、ヴォルフラムとグウェンダルもまた残り二つの箱の鍵であることを知ったアニシナが、一気に魔道装置の仕組みを変えて来たのである。

『そういうことは最初に仰(おっしゃ)い!』

 という、ご尤もな怒声を受けはしたのだが…。

 そんなわけで、アニシナ製の魔道装置は5人の操縦士を乗せた…見た感じ、どこからどう見ても立派な《巨大ロボ》になっている。
 形状が《マジン○ーZ》とかならまだ良いものの、なんとなく《ロボ○ン》に近いのが気がかりなところだが…。

「愛と勇気と力とが静かに眠る海の底から、飛び出せ正義の鉄拳!だよね」
「海底から出てくんの?え?今、フツーに工場にあるのに?」
「例えだよ例え。僕的には湖とかプールが割れて出てくるのが楽しいんだけど、時間ないからね」
「時間があったらやるのかよ……」
「オトコの子の憧れじゃな〜い?」
「俺は別に……」
「もう、渋谷君たらノリ悪〜い!」

 少々ぐったりしつつも、有利はくすりと笑って拳を村田のこめかみに当てる。
 わざと馬鹿馬鹿しい話を振って、深刻になりかけた空気を浮上させてくれたことに気付いたのだろう。

「ありがと…村田。頑張ろうな?」
「ん…」

 そんな三人を、工場の影からじっと見つめている影があった。



*   *   *




『俺だけ…仲間はずれ……』

 大陸に渡って一生懸命諜報活動していたグリエ・ヨザック(両目ある方)は、眞魔国に帰ってくるなり衝撃的な事実に飛び上がっていた。
 有利についてはある程度覚悟していたものの、村田やコンラッドまで飛び立ってしまうとは聞いていなかったのである。

「あ、ヨザック!」
「おや、君…ナニしみったれた顔してるんだい?」  
「しみ……」

 ヨザックは扉の影にしゃがみ込むと、いじいじと砂に眞魔国文字で「の」の字を書き始めた。

「どうせ俺はしみったれの染みまみれですよぅ〜だ。目尻の染みがとれませんよぅ〜だ」
「グ…グリ江ちゃん!落ち込まないでっ!ツェリ様の美容液譲って貰えるように頼むからっ!」
「うぅ…」

 がっちりとした三角筋は縮込ませても限界があり、大きな掌でめそめそと顔を覆う姿は落ち込んだ熊のようだ。

「鬱陶しいなぁ〜…。君がそんな事じゃ困るじゃないか」
「すーみーまーせーん〜……」

 うっそりと垂れ気味の眦に白いハンカチ(レース付き)を押し当てると、ヨザックは何時までもこうしては居られないとばかりに立ち上がった。

「何時までもいじけてても良いことありませんよね…。分かってます!こうなったら陛下や猊下や隊長の無事を祈願して、千人針で腹巻きでも作りますよ」
「君…余計な知識ばかり豊富になってるよね」
「だって、猊下が喜んでくださるんだもんっ!」

 可愛く(?)しなを作って見せれば、コンラッドは嫌そうに顔を歪ませていたが…有利と村田は微妙ながら笑みをうがてくれた。

「可愛いねぇ…グリ江ちゃん」
「ホント?嬉しい…っ!じゃあ、グリ江頑張って千人針の紐パンとか作ります。あ、隊長の分もついでに」
「いらん」

 一応気を遣ったのに、コンラッドの返事はすっぱりしたものであった。

「そんなこと言わないでぇ…」
「あ、僕も千人針の紐パンはいらないよ。千人に股間撫でられてるみたいでビミョーな気分になりそうだから」

 コンラッドの形相が更に負の方向に傾いた…。

「そんなもの、絶対ユーリには穿かせないぞ…」
「あーあ、嫉妬深ぁ〜い。渋谷、良いの?こんな男でぇ〜…」
「いーもん!俺の股間はコンラッド専用機だからね!」

 有利のお返事は清々しいほどに直球だ。
 下方向にまっしぐらだが…。

「あー、やだやだ馬鹿っぷるー」
「羨ましい…」
「ナニ?グリ江ちゃん、まさか僕に載りたいなんて言うんじゃないだろうね?」
「猊下がお相手なら、特別にグリ江ちゃんに載っても良くってよ?」
「へー…本当?」

 きゅるんと可愛く人差し指を頬に添えたまま、ヨザックはビシリと固まってしまった。

『冗談…だよな……?』

 でも…なんだか…村田の眼鏡はキラリと輝いているようないないような…。

「今夜、試してみる?」
「え…えぇえ…!?」

 載るか載られるか…その辺はちょっと気がかりだが、正直なところこういう話に村田が乗ってくるとは思わなかったので、その真意の方が知りたくて一も二もなく頷きまくってしまった。

「はいはいはいっ!お試しじゃなくて一発速攻お買いあげ現金払いでも良いです!」
「ふふん…」


 村田が妖しく微笑みながら立ち去る背中に、ヨザックがわふわふとついて行くのを…コンラッドと有利は呆然と見送るのだった…。






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