第三章 ]U.路程に交わる者
カッカッ…
カッカッカッ…
闇の中を軍勢が進んでいく。
星明かりのない曇天に覆われていることと、彼らが僅かな灯火しか掲げていない為にその全景を掴むのは困難であったが、辛うじて騎馬兵が幌馬車を囲むようにして進んでいくのが分かる。
軍勢の規模のわりにその隊列は前後方向に長すぎ、前方と後方の部隊が離れすぎている感があるが、それはしょうがない。
彼らは今、細く狭まった峡谷を進行中なのだ。
その様子を眼下に見やりながら、ロンバルディアのバナ将軍はにやりとほくそ笑んだ。
50代を迎えたばかりのバナ・ホールディングはこってりとした髪を香油で後ろに撫でつけ、角張った顔の中の大ぶりな鼻が特に存在を主張する、精力の強そうな…男臭い将軍であった。
彼らは小国であるロンバルディアから掻き集めてきた1万近くの兵力を、ほぼ二分する形で峡谷を挟み込んでおり、特に多く配置した弓兵達が眞魔国軍が射程圏内に入るのを今か今かと待ち受けている。
峡谷の中央で矢を射掛けられた眞魔国軍は壊乱し、逃げ口を求めて先頭方向と末尾方向に殺到するはずだ。
そこへバナ将軍の号令のもと騎馬兵が駆け下りていき、掃討作戦を行う。その為の通路も各下級指揮官が熟知しており、駆け降る際に混乱が生じないよう十分に訓練もした。
実のところ、馬を養う飼い葉もままならない為に十分な規模の騎兵を率いているわけではないが、それでも思わぬ方向からの夜襲を受け、矢を射掛けられて混乱した軍相手なら効果は高いはずだ。
三倍以上の敵に対して、寡兵をもって圧倒的な優位に立つ戦略…誰もがそう信じているだろうとバナは笑みを深めた。
「ふ…。魔王コンラートは戦術家として知られる男と聞くが…まだまだ甘いな。戦略に於いて優位に立つ我らの勝ちは硬い…!」
この時代に将軍職を続けているだけあって豊かな戦歴を持つバナだが、魔族と闘ったことはまだ無い。
噂に聞く《英雄》《勇者》居並ぶ眞魔国軍に対して、敵愾心以上の興味を持っている様子だ。
また、《そんな輝かしい通り名を持つ者よりも、俺の方が上だ》と自他共に評価したいらしく、同意を求めて頭を廻らせ…部下達を見やる。
「人間世界の地形に疎いのでしょうね。この峡谷は一見すると馬が降れるようには見えない…襲われるとすれば隊列前後からだと思っているのでしょう。先頭と後衛の警戒はなかなかのものです」
バナ将軍は参謀長の言葉に思わず口角を歪めた。どうやら彼にとって、心地よい返事ではなかったらしい。
ヘルバント・ウォーレス…まだ二十代半ばの参謀長は口と態度の悪さで何度か降格させられているが、その度に戦功を上げて階級を回復させるという行程を繰り返している。
バナ将軍が多少持て余しつつもこの男を手放せずにいるのは、近年の作戦に於いて大きな成功を収めている影に彼の功績があるからだ。
「油断はなさらないことです。コンラート王の戦闘術は極めて高い…。たとえ作戦初期に於いて眞魔国軍を混乱させることが出来ても、もともとが精強な軍人揃いですから個別戦闘で盛り返され、陣営を整えられれば我らが敗北する可能性もあります」
作戦自体の精度には高い自信を持つものの、運用次第では失敗する可能性もあると指摘してみせるヘルバントは、バナ将軍の機嫌には全く興味がない様子だ。
天才的な能力を持つ者にありがちなことだが、彼は世渡り…ことに、お世辞や追従の能力に甚だ欠けていた。
灰色の長髪を項(うなじ)で一本に括り、細い一重瞼の瞳を持つヘルバントは、あまり《武人》というタイプではない。学者めいた顔は特段気負い込むことはなく…淡々と作戦の流れを見守っている。
まるで、釣り師が川の流れと魚の様子を見守るかのように、その表情は平穏なものだった。
『やりにくい男だ…』
バナ将軍だけでなく、他の指揮官や参謀達も同じ想いを共有して視線を交わすのだった。
* * *
『さて…どう出る?コンラート王…』
ヘルバントはバナ将軍のように、この作戦行動が順調であることを手放しで喜ぶ気にはなれなかった。
寧ろ不気味な気さえする。
『何か考えがあるんじゃないのかな…』
眞魔国軍の目標地点は《禁忌の箱》の一つ《地の果て》開放地点…あるいは、誘発された残り二つの箱がある地点も制圧するつもりでいるのだろうが、そこに致る道程は当然一つではない。
複数ある道筋から何故この峡谷を選んだのか…ヘルバントは幾らかの疑念を持って今回の作戦を練ったのだが、どうにも不愉快なものが思考の隅を掠めるのだった。
『俺は、乗せられているんじゃないのか?』
小さな損害で大きな戦果を上げたいという、戦略家としては極まともな発想を逆手に取られて誘導されたのではないか…今になって、そんな迷いが生じる。
それでも決断してしまったのは、そんな迷い以上に追い込まれた自国の状況によるものだ。
この峡谷で眞魔国軍から糧食を奪うことが出来なければ、ロンバルディアはおそらく今年の冬を乗り越えることは出来ないだろう。
それでなくとも実りが薄弱であったこの国では、この春芽吹くことの無かった畑の惨状に誰もが絶望したのである。
こうしてあらん限り掻き集められた兵も、殆どが腹を空かして苛立たしげに戦闘の時を待っている。彼らにとって魔族は憎むべき敵というよりも、食糧を抱えてやってきた客人の様に映るのかも知れない。
その客を引き留めて食糧を頂くには条件が色々あって、裾を捕らえることなく行きすぎてしまわれると、ロンバルディアと敵対するゾーンヴォーツ国の領土に入られてしまうのである。
よって、幾らヘルバントが妙な予感を持っているとしても、このまま眞魔国軍を行かせるわけにはいかないのだ。
『まあ…コンラート王が何を考えているにせよ、こちらが先手を打つことくらいは出来るだろう…』
そう信じたいだけなのかも知れないが…警戒は維持したまま、ヘルバントは眞魔国軍の進軍状況とバナ将軍の判断を待つ。
バナ将軍の手が高く掲げられ…勢いよく振り下ろされた瞬間、合図の角笛が吹き鳴らされた。
フォォォオオオン……っ!!
ヒュ…ヒュヒュヒュヒュヒュ……っ!!
一斉に弓弦の音が闇夜に響き渡り…騎馬兵と幌馬車に向かって雨のように弓が降り注いでいく。視覚ではちらつくような鏃(やじり)の軌跡を追うことしかできないのだが、耳と皮膚とを震わせる振動音はここ近年類を見ないほど壮大なものであり…一瞬、ヘルバントに勝利を確信させるほどであった。
だが…幌馬車に矢が到達した瞬間、信じられない事態が発生した。
「な…に……!?」
針山の待ち針のようにぷすぷすと矢が幌へと突き刺さった途端に、《ぶぉ》…っと幌が膨れあがったかと思うと、驚愕するヘルバント達の前で…破裂したのだ。
パァン…っ!
パパパパパァン……っ!!
「わぁああ……っ!?」
炸裂音が耳を劈(つんざ)き、眩い光が闇に慣れた目を灼く。
人ですら取り乱すほどの衝撃に、馬が耐えられるはずがなかった。
口泡を飛ばして疾走を始めた馬達のうち、反射的に平地へと逃れたものは幸いな方であった。たとえ乗り手を落っことしてきたとはいえ、野生化して生き抜く道もあるからだ。
より不幸であったのは、定められた進路に向かって…峡谷へと繋がる細道を駆け降りだした馬であった。奔走する馬たちは互いの身体をぶつけ合い、蹄で脚を削り合い…恐慌状態に陥ったまま次々に崖を滑落していったのである。
掌中の珠のように大切にしてきた騎兵部隊は、あろうことか…敵とやり合うこともないまま自滅の道を突き進んでしまった。
しかも騎兵部隊の混乱によって歩兵までが蹴散らされ、指揮系統が混乱してしまう。
「落ち着け…っ!まずは馬を押さえろっ!」
指揮官達の叫びに呼応して落ち着きを取り戻した兵もいるにはいたが、一度混乱した馬を沈静化するのは至難の業である。特に、バナ将軍を欠く峡谷対岸では混乱を食い止める事など不可能であるらしく、馬と人の絶叫が闇の中で延々響き渡っていた。
「我が元に集え…!」
混乱の中でも、どうにかバナ将軍は残存兵力を戦闘集団に戻すべく奔走したのではあるが…闇夜で指揮系統が乱れた軍隊を指揮することは極めて困難であった。
『何故だ…?』
ヘルバントは幌馬車から発せられた光と音響が、噂に聞く《花火》というものだと察したが、火の気のない矢を打ち込まれた途端に発火したのが何故であるのかは理解できない。
更に謎であったのは、眞魔国軍の動静だ。
彼らはロンバルディア軍の混乱を尻目に馬も人も落ち着き払っている。
あれほどの炸裂音と光に至近距離で晒されながら、何故こんなにも落ち着いていられるのだ…?
そこへ、更なる災厄が襲いかかってきた。
「全軍…突撃……っ!」
オオオオォォォォオオオ………っ!!
朗々たる声音(こわね)が響き渡ったかと思うと…闇夜を切り裂く鬨(とき)の声がロンバルディア軍を包囲したのである。
ドドドド……
ドドドドド……っ!
半弧の陣を採った騎馬隊が疾駆し、切り立った峡谷に向かってロンバルディア軍を圧倒的な勢いで押し込もうとしてる。
闇の中で敵の姿を正確に見て取ることは出来ない。
だが…だからこそ見え隠れする断片的な情報が、人々の恐怖心を常よりも一層増大させていく。
鎧の鈍い輝き…閃く武器の光沢、汗を滲ませながら疾走する馬の巨体。
地響きに乗せて伝わる興奮しきった人馬の荒い息づかいと嘶(いなな)き、叫び声…。
それらが迫る、迫る…迫ってくる…!
高波の如く押し寄せてくる軍勢が恐るべき圧迫感を持って殺到してくることに、耐えきれなくなってきた兵達が無意識のうちに叫びをあげ始めた。
「わ…」
「わぁあああ……っ!」
剣を交えずして、心が折られる。
これこそが…味方にとっての危険を差し引いても熱望される、《夜襲》というものの真の効果なのだ。
本来はロンバルディア軍が魔族に対して行使するつもりであったものが、二倍三倍の衝撃を持って自らに襲いかかってきたのである。
『これが…コンラート王の実力か…!』
慄然とするほど鮮やかな手口に、ヘルバントは唇がわなわなと震えるのを感じた。
何か策を採られているのではないかと疑いはした。
だが…ここまで見事にしてやられるとは…!
眞魔国軍とみられる軍勢は的確にヘルバント達を追い込み、詰め寄ってくる。対岸で混乱している軍隊はそっちのけであることからみてもこれは偶発的な事態などではなく、全てが見抜かれていたのだと理解された。
『これで…おしまいだ……!』
傍らで蒼白な表情になったバナ将軍も、同じ思いでいることだろう。
彼は出世欲の強い男で、正直職人肌のヘルバントなどから見ると生々しすぎる性質を持っている。
だが…それでも彼らは共通の思いを持っていた。
『ロンバルディアの民を救いたい』
餓えた民に、戦利品を持ち帰りたかった…。
他国との争いに負けぬ軍を維持したかった…!
ここで彼らが壊滅すれば、ロンバルディア民の守護者は誰もいない…敵対する周囲国に飲み込まれた民は良くて奴隷とされ…老人や障害者は飢え死にするか殺されるか、どちらかを待つばかりとなるだろう。
『赦してくれ…!』
ヘルバントは郷里に残してきた両親を思い、絶望の中で唇を咬んだ。
そして…彼らしくもなくやけっぱちになって、せめて武人としての最後を全うすべく剣の柄に手を掛けた時…
バナ将軍の絶叫が轟いた。
「全軍、撤退…!」
予想外の言葉に、寧ろきょとんとしてしまう。
なるほど…《逃げる》という手があったのかと驚いてしまったのだ。
だが、その意図を理解した兵達がてんでばらばらに逃げをうとうとした瞬間…
…唐突に、眞魔国軍の突撃が止まった。
「全軍制止……っ!」
事故や不慮の事態…というわけではなさそうだ。戦場中に響く伸びの良い声が制止を告げると、実に訓練の行き届いた馬と兵とが整然とした動きで疾走を制止させると、その中から…悠然とひとつの騎影が進み出てきた。。
不意に雲間から差した月明かりによって辺りが淡い卵色の光に包まれると、馬に跨る男の容貌が明らかになった。
その姿に…ロンバルディア兵は言葉を失う。
漆黒の軍服に身を包み、緋のマントとダークブラウンの頭髪を靡かせるその男こそ…眞魔国の魔王、レオンハルト卿コンラートに相違ないと認識したからだ。
「バナ将軍はおられるか」
「な……に…?」
圧倒的に優勢な軍を率いているとはいえ、ただ一騎で歩み寄ってきたコンラートの呼ばわりを受け、応じねば武士道に悖(もと)るであろう。
バナ将軍は精一杯の矜持を掻き集めたのかも知れないが、それでも一軍の将に相応しい態度でコンラートの至近に馬を進めた。
「初めてお目に掛かる。我が名は眞魔国第27代魔王…レオンハルト卿コンラートと申す」
「名指しで呼ばれたからには理解の上と思われるが…我が名はバナ・ホールディングと申す。此度は、何用あって呼名されたのか?」
長い戦歴のお陰か、口を開けばなかなかに威厳のある物言いが出来る男だ。
その内容よりも、少なくとも表面上は落ち着いた態度に安堵したらしく、コンラートは綺麗な顔で笑って見せた。
「和議を申し出たい」
「…何?」
突撃の優位を自ら捨てたとはいえ、陣形的に見て眞魔国軍は相変わらずの優位を保っている。
対岸に配されたロンバルディア兵はほぼ死兵に等しくなり、虎の子の馬は散り散りになっているし、何より最高指揮官が《撤退》を命じた瞬間に全ての兵が心を折られているのだ。
この状況で勝者から和議を申し出るなど、どうにも考えにくいことであった。
「何故にそのような申し出をされるのか?我らを嬲る気であるのなら…」
《それなりの反撃はするぞ》…そう言いたげに怒りを見せかけたバナ将軍に、コンラートは頭を廻らせて否定の意を示した。
「我が軍の目的はあなた方を壊滅させることにあるのではない。あなた方が攻撃を仕掛けてこなければ、あのまま峡谷を通過しようと考えていた。だが…」
「我が軍は自ら掘った墓穴に埋まった…そう言いたいのですかな?」
一気に老け込んだ感のあるバナ将軍に、コンラートは尚も辛抱強く語りかけた。
勝者が敗者の機嫌を伺うというのも奇妙なものだが、不思議とその行為に企みは感じられなくて、ロンバルディア兵は一体どういう表情をすれば良いのが決めかねたように互いの顔を見合わせていた。
「お国の状況を考えれば無理からぬ事とは思うが、それでも降りかかる火の粉は払わねばならない。我らの目的が《禁忌の箱》を滅ぼすことである以上、かの地に辿り着くまでに十分な兵力を維持しておくことは必須事項ですからな」
「それはそうでしょうな…」
バナ将軍はコンラートに対して敵愾心を維持することが難しくなったらしい。
彼らしくもなく眉の端を下げると、《どうしたものか》…とでも言いたげに途方に暮れていた。
「そちらの戦意が喪失した段階で、この戦場における我らの目的は達せられた。だから、進軍を止めたのですよ。決して、あなた方の武人としての誇りを傷つける気は無い。今の状況は言ってみれば…真剣による立ち会いに際して、喉元に剣を突きつけているのに等しいのですよ」
「降伏しろと申されるか…」
『確かに、今から戦況を盛り返すのは不可能だ』
ヘルバントにも痛いほど自軍の状況が理解できる。
コンラートに対しても敬意に近い感情を覚える。
だが…それらを整合させるのは難しかった。
『どうするつもりだ?将軍…』
彼の上位に据わる将軍がどのような決断を下すのか…気になって耳を峙(そばだ)てるヘルバントの前で、コンラートは意外すぎる申し出をした。
「喩えが拙(まず)かったですね。我らが求めるのは降伏ではなく、交渉です」
「何と引き換えに?」
正直、この状況下で交渉に足る材料がロンバルディア側にあるとは到底思えないのだが…。
「あなたの部下であるヘルバント・ウォーレスを、一時的に借り受けたい」
「……何!?」
呆気にとられるバナ将軍以下、ロンバルディアの兵達の前でコンラートは尚も条件を出していった。
「無論、タダとは言わない。我々の物資を一部お譲りするし、ヘルバント・ウォーレスの身柄も《禁忌の箱》まで無事に辿り着く事が出来れば丁重にお返しする」
「な…ぜ、そこまであの男を高く評価されるのか?此度の闘いの作戦を練ったのもあの男だが…」
「だからこそ、請うのですよ。我らが優位に立ったのは諜報力の差だ。もしもこの場所に陣取られていることを察知できていなければ、屠(ほふ)られていたのは我々の方であった可能性は高い。俺は、ヘルバント・ウォーレスという男の、地形を利用した戦略・戦術に大きく期待している。ことによると、剣を交えずに目的地に辿り着く術を教授してくれるのではないか…とね」
ぶるりと背筋が震えて、ヘルバントは目を見開いた。
恐怖の為ではない…今日まで生きてきた中で、ついぞ覚えたことのない興奮が我が身を突き上げたのだ。
これは…武者震いだ。
『あのコンラート王に、俺は期待されているのか…!?』
これまで、ヘルバントは戦史から様々な情報を得てきた。
その当時の政治的な状況や兵力差などが複雑に絡み合うので、優れた戦史がそのまま次の作戦に結びつくとは限らないのだが、特に敗戦の原因を突き止めることは有益である。如何にして《負けない》軍を作るかという方策を生み出すのは、勝因より敗因にあることが多いのだ。
その中でヘルバントは知った。
どれほど《負けない》為の方策を尽くしても、やはり負けることがある。
それは…《天才》を敵にした時なのだと。
どれほど不利な戦略的状況からでも巻き返してくる恐るべき力…それを、一体どのように表現すればいいのだろう?
天の寵愛を受ける将というのが、やはり存在するのだ。
その最たる者がこの男…かつて《ルッテンベルクの獅子》と謳われ、現在は眞魔国の獅子王として名を馳せるレオンハルト卿コンラートなのだ。
その男に見込まれたという事実は、ヘルバントの中にあった拘りや魔族への偏見というものをポーンっと勢いよく吹き飛ばしてくれた。
「俺の身と引き換えに、兵を引いた上に食糧を分け与えてくれるというのか?」
「俺の言葉を信じてくれるのならば、それは現実のものとなる」
凛と告げるコンラートを前にして、ヘルバントは馬から降りると…深々と頭を下げて恭順の意を示した。
「ヘルバント…!」
「バナ将軍…どうか、この話…お請け下さい!」
「しかし…」
「俺のロンバルディアへの忠義は失われません。そうでしょう?コンラート王」
確信を込めてコンラートを見やれば、やはり同意の笑みが返ってくる。
「勿論だ。我らの進路はあくまで《禁忌の箱》…ロンバルディアがこれ以上手出しをしてくることさえなければ、君の忠誠を損なうような争いは起こらない」
「ならば、どうかこの俺を好きなように使って頂きたい!」
「ああ…楽しみにしている」
すっかり話がついてしまった感のある二人を前にして、バナ将軍は多少鼻白んだようではあったが…それでも一拍の後には重々しく頷いた。
「了解した…!ヘルバント、お前の行為が国への忠誠から出たものであることは、この俺が必ず国王陛下にご報告する。だから…無茶をするなよ?」
「バナ将軍…!」
正直、そのように暖かい言葉を掛けられるとは想定していなくてヘルバントは言葉を見失ってしまった。
気の利いた切り返しをすることは叶わなかったので…せめてもの想いを伝えるべく、ヘルバントはぴしりと背筋を伸ばしてバナ将軍と…仲間達に向けて見事な敬礼を示した。
まだ混乱の中にある兵達の殆どには状況が伝わっていなかったようだが、それでも…間近で状況を理解した幾人かが答礼を返した。
その中でも、バナ将軍からの答礼は長く…ヘルバントが背を向けるその時まで続いたのだった。
『あの方は…意外と俺を買っていてくれたのかな?』
内心では《俗物》と見なしていた男の誠意ある行動に、意外なほどの感動を誘われてヘルバントはへにゃりと唇を歪めたが…それも長くは続かなかった。
再び馬に跨って眞魔国軍の陣中に向かうに連れて、堪えきれない程の高揚感が沸き上がってきたのだ。
『世界を変える闘いに、俺は参加できるのかも知れない…!』
じりじりと迫り来る滅亡を横目で見やり、無力感に晒され続けてきたヘルバントにとって、その期待感は喩えようもない興奮と喜びであったのだった。
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