第三章 ]TーD



 


 冷たくて心地よい感覚が頬を撫でていく。
 多分、濡らしたタオルか何かだ。

 汗と埃にまみれた肌がどんどん心地よく清められていくのを感じながら、リネラは声にならぬ掠れた声で問いかけた。
 
『…誰?』
『あなたを癒す者よ』

 癒してくれる者?
 そんなもの、両親と死に別れてからのリネラには存在しなかった。
 
 病気で寝込んだとしても手厚い看護や投薬など受けられるはずもなく、ぼろぼろの毛布だかシーツだか分からないものにくるまれたまま、時折訪れてくれるリーシュラや仲間に薄いスープを飲ませて貰ったり、励ましてもらうことが看護といえば看護だった。
 みんな生きていく糧を得ることに精一杯で、容態が安定するまでついていることなど出来なかったのだから当然だ。

『まだ眠るといいわ。起きたら、あなたは色んな現実を受け止めて生きて行かなくてはならないから』
『そう……』

 現実…そうか、やはりこんなにも心地よい状態に置かれているのは一時的なことなのだ。きっと目が覚めたら…また、見知らぬ大人の男達に抱かれるのだ。

 だったら、アルフォードのことも夢だったらいいのに。

 アルフォードがリネラ達を裏切ったりはしてなくて、輝ける英雄として魔族達を打ち倒す為に眞魔国に赴いているのなら良いのに。
 そしたら、自分の穢れた身を嘆きながらも眩しい彼を夢見続けることが出来るのに…。


 リネラは再び眠りについた。

 ひとときの心地よさに安らぎながらも、漠然とちらつく不安に心を揺らしながら…。



*   *   *




「目が覚めたようね。良かった…少し、顔色も回復したみたい」
「あなた…は……」

 リネラが目覚めると、薄明るい天蓋に包まれた空間に緑色の髪を持つ女性がいた。
 ここはどうやら大型の幌馬車か何かの中らしく、うっすらと透けて見える幌布から、外では軍人と思しき人影が盛んに行き来しているのが見て取れた。
 
 少しずつ覚醒していくに従って、片膝を突いてリネラの様子を見守る女性が魔族であることに気付いたのだが…彼女があまりに穏やかな顔をしており、不用意に触れてもこないことから、どのように行動すべきか判断がつかなかった。

 彼女もリネラの戸惑いを理解しているようで、一定の距離を保ったまま語りかけてくる。

「多分…認識していると思うけれど、私は魔族よ。ギーゼラと呼んでくれると嬉しいわ。良かったら、お名前を教えて貰える?」
「……」
「名乗りたくない?」

 ギーゼラはにっこりと微笑んでこう告げた。

「では、あなたは恩を感じず罪を償う意志もない劣悪な生物なのだと見なすわ」
「……っ!……」

 か…っと頬が染まった。

 確かに、杭によって打ち抜かれていたリネラの手足には包帯が巻かれ、衣服も簡素ではあるが清潔なものに着替えさせられている。独特の消毒臭からして、医薬品も使っているに違いない。
 
 気を失う前に何があったのか正確に思い出すことは出来ないのだが、夢でないのだとすれば…リネラは仲間達と共に《神の戦士》となって魔族に立ち向かおうとし、よりにもよって勇者アルフォードに敗北したのだ。

 自分たちがやったことを考えれば…それ以前に、噂に聞く残虐な魔族の性質を考えれば、このような扱いを得ることなど信じがたいことである。

『そういえば…』

 少しずつ…思い出したくないような記憶が蘇ってくる。

 リネラ達の操る《神の戦士》の力は甚大で、人間ごとカロリアの街を破壊していったが…被災する人間達を救っていったのは魔族だった。

『どうして?』

 あの時は、魔族と触れ合う人間達への怒りが込み上げてきて暴れてしまったのが、冷静に考えてみると…一体何故、魔族達は人間を救おうとしたのだろう?

 カロリアとの交渉は港を安全に使用することが目的であったのだとしても、リネラ達が街を襲った時点でかなりの兵が上陸を済ませていたのだ。人間の救済に兵を回すよりも、リネラ達への戦闘に回す方が得策ではなかったのか。

 しかも、何故倒したリネラ達をわざわざ貴重な医療品を使ってまで治癒するのか。

 身体が目当て…などと考えるほどリネラもおめでたくはなかった。

 この、衛生兵と思しきギーゼラですらその容色は貴婦人のようであり、人間など遙かに越えた美しさを持っている。
 しかも、栄養状態もよく女性らしいまろみも湛えた彼女に比べて、リネラの身体など枯れた枝のように見窄らしいではないか。
 
 わざわざ、こんな身体を抱きたいなどという変わり者は魔族にもいないだろう。

『そうだわ…カールも……』

 ぽんやりとした夢想家の彼が、あんなにも激怒してリネラ達に意見してきたのは初めてのことだった。
 魔族を庇い、どれほど魔族に良くして貰ったのか…それに対して、リネラ達が一体何をしているのか分かっているのかと強く問いかけてきた。

『何が正しくて…何が間違っているの?』

 怖い。
 知りたくない。

 知れば、今まで信じてきたものが根底から覆されそうな気がして、ぶるぶるとリネラは震えた。

 今こそ、リーシュラに縋り付きたいのに…怯えたように辺りを見回しても彼の姿は見えなかった。
 流石に彼だけは、既に処刑されてしまったのだろうか?

「探しているのはあの老人かしら」
「……」

 沈黙を認定と認めたのか、ギーゼラは淡々と続けた。

「あの方は、あなた達とは別にして収容しているわ」
「拷問をしているの!?」
「私たちに老人を鞭打つような趣味はないわ。何故あのように呪われた術を使ってまで魔族を憎むのか聞かせて貰っているだけよ。それに、彼は叫んだり暴れたりするから、負傷者と一緒にしておくのは問題があるもの。最大の治癒は安静と深い眠りですからね」
「私達やリーシュラ様を…憎んではいないの?」

 《敵なのに…》と、言いたげなリネラに、少しだけ困った顔をしてギーゼラは答えた。

「衛生兵として任を受けた以上、上官の命令は絶対なのよ。レオンハルト卿コンラート陛下は命じられたわ。《決して、捕虜を粗悪に扱ってはならない》《個人的な感情で懲罰を加えることは厳に禁じる》…とね。私は与えられた役割を果たしているに過ぎないから、私が今していることに《憎しみ》という要素は含まれていないわ。そう、訓練されていますからね」

 《それでも》…と、ギーゼラは一瞬だけ…世にも恐ろしい形相を浮かべたような気がした。

「任務には影響させない。それでもね、私はどんな理由があれあなたのような子ども達の身体を売った上に、呪術の道具に使うような者は許せないわ。…心の底から、軽蔑する…!これは種族の問題ではないの。分かるかしら?」
「……」

 答えられなかった。
 ギーゼラは…リネラ達の為に憤ってさえいる。

 何故これほどに清らかな人が、敵なのだろう?
 
 ギーゼラはそんなリネラをじぃ…っと見つめると、苦笑めいた表情を浮かべてこう言った。

「あの怪物に載っていた中ではあなたが最年長のようね。では、良くお考えなさい。自分たちがこれから、どうしていくのかをね」
「何をさせるつもり?」
「私達からあなたに何をして欲しいといった希望はないわ。ただ、認めては欲しいわね。このカロリアの街を破壊し、無辜の民を傷つけたのは自分たちなのだと」
「……っ!」

 鋭く突きつけられた現実に、リネラの喉がひゅう…っと鳴る。

「私達魔族に対して憎しみしか持てないのだとしても、せめて同種族である人間には礼儀を尽くしてはどうかしら?かつての《禁忌の箱》破壊による大災害の教訓から、フリン・ギルビットが区画や住居に使用する材料を検討していたからこそ奇跡的に死者がいなかったけれど、死の淵に立たされている重傷者は多いし、かなりの人数が不可逆的な障害を負うことになる…。それに、全ての資材が枯渇しているカロリアにとって、あなた達がもたらした災厄はあまりにも大きなものよ?」

 もう、《神の使者》になっていたときのように《魔族と手を結んだからだ》と突き放すことは出来なかった。
 リネラ本来の理性が蘇ってしまうと、それが何の言い訳にもならないことが理解できてしまうのだ。

 《慌てないで?》…打ってかわったように優しい声を掛けながら、ギーゼラの手がそっとリネラの肩に置かれた。
 どうしてだろう…振り払う気には、なれなかった。

「ひとつひとつ、解決して行きなさい?やってしまったことは事実として受け止めた上で、一体あなた方に何が出来るのか、よく考えるのよ。人間にはそうする力があると私達魔族に証明してご覧なさい?」

 ギーゼラの言葉は厳しいけれど、何故だか深い愛情が感じられた。

 リーシュラの…優しいけれど、過酷な運命を突きつける行いと大きな違いがあることを、認めたくはないけれど考えざるを得ない。

「他の子も容態は安定しているみたいだから、私はもう行くわね?もしも他の子が目覚めて酷く痛がるようなら呼んで頂戴」

 痛がったら…何をしてくれるのだろう?
 傷を癒しただけでなく、痛みまでも和らげてくれるのだろうか?

 ギーゼラが幌を開けると、眩しい外光と少し土臭い夏の風が入ってくる。
 ちらりと見えた景色の中に、崩れた建物やひび割れた街路が確認できて息を呑んだ。

「ギーゼラ…さんっ!」
「なに?」

 呼び捨てにしようと思ったけれど、明らかに年長者であるギーゼラに対してギリギリで敬称をつけてしまった。

「手当…ありがとうございました。私は、リネラと言います…」

 何をして良いのか本当に分からない。
 けれど…せめて、礼と名乗りだけはしておこう。

 人間が恩と礼儀を知らぬという評定を、少しでも是正してもらう為に…。

 ギーゼラは少しだけ驚いたように目を見開いたけれど、すぐに…初めて見るやわらかな表情でふわりと笑ったのだった。

「すぐに戻るわ。食事を持って…あら?」

 ギーゼラは何かに気付いたように幌を出ようとした姿勢のまま足を止め、誰かに向かって手を挙げた。

「リネラが目を覚ましたわよ」
「入ってもよろしいでしょうか?」

『アルフォード様の声……っ!』

 ドン…っと、胸の中で心臓が跳ね上がった。
 急にズキズキと手足が痛み始め、頭まで痛いような気がしてくる。

 敵だと思っていたギーゼラにまで《行かないで》と縋ろうとしている自分に気付いて、リネラは驚愕した。

『私…こんなに弱くなってしまったの?』

 こんな心根では、神様に罰せられる…!
 怖くて堪らなくなり、ぶるぶると震えていたら…隣に寝ていたバッソが目を覚ました。

「う…」
「バッソ…!」
「姉ちゃん…痛いよぉ……」

 瞬きを繰り返したバッソは手足の痛みに呻いていたが、幌の中へと入ってきたアルフォードを目にすると、弾かれたような勢いで飛び起きた。

「裏切り者…っ!」

 アルフォードはバッソの言葉に傷ついた顔をしたけれど、それでも毛を逆立てているような少年に歩み寄り、そぅ…っと痩せぎすの身体を抱き寄せた。

「ごめんな…でも、俺は後悔はしていない」
「何でだよ…何で…何で俺たちを裏切ったんだよ!」

 バッソは抵抗しようと藻掻くが、傷つき疲れ切った身体にそんな力は残されてはいなくて、悔しそうに啜り泣くことしかできなかった。

「それが、本当の意味でお前達を救うことになるからだよ」
「魔族なんかの言うこと聞くのが、どうして俺たちを救うんだよ!?」

 せめて口だけでも…と言いたげに食ってかかるバッソの両肩を少しだけ引き離すと、アルフォードは真っ直ぐに目と目を合わせて問いかけた。

「ではバッソ…俺はお前に聞くよ?お前達の治療をして、お前達によって傷ついたカロリアの人々を救っているのは誰だい?」
「あ…いつらは…っ!」
「魔族だから、何をしても憎いのかい?でも…お前は、魔族の何を知っているんだい?」
「沢山教わったもん!」
「量は問題じゃないんだよ」

 噛んで含めるような物言いのアルフォードに、バッソの声はどんどん尻つぼみになっていく。
 感情的に怒鳴られれば手足を振るって暴れたのだろうけど、肌と肌が触れ合った状態で、アルフォードの感触とやさしい声を聞きながらでは、どうしても気持ちが萎えてしまうのだろう。

「姉ちゃん…な、何とか言ってよ…っ!」
「……っ!」

 縋るような目をバッソに向けられたリネラは、何も言えない自分に絶句してしまった。
 
 ギーゼラと話したのはほんの数分のことであったと思う。
 なのに…魔族について語り聞かせられた何年もの数月がころりと覆されるほどに、その印象はあまりにも清雅なものであったのだ。

「………分からない。私にも、分からないの……」
「姉ちゃん…っ!」

 頼りにしていただろうバッソの瞳が絶望に歪むのが可哀相だけれど、それでも…分からないものは分からないのだ。

 だが、これは分からないままで放置して良いことなのだろうか?
 
 これから、何人もの子ども達が目を覚ましていく。
 きっと目覚めるたびにバッソやリネラのように驚き、慌て…怯えることだろう。
 その彼らにしてやれることは何だろうか?

『まずは私自身の目と耳で、得られる限りの情報を得て判断することではないかしら?』

 リネラは間違うかもしれない。
 神様に罰せられるかもしれない…。
 だが、少なくとも今の状況でリネラ達の行動を丸ごと容認してくれる存在がいるとは思えなかった。今まで考えてきた《普通》が通用しないことを、まずは受け入れなくてはならないのだろう。

 ここに来て初めて、リネラは《相対立する価値観》というものを客観的に捉える必要性に気付いたのだった。

「アルフォード様…」
「なんだい?」
「…教えて、頂きたいのです……」

 リネラは礼儀正しく膝を揃え、教えを請う姿勢でアルフォードを見つめた。
 あれほど裏切られたと傷つき、憎んだのに…やはり目の前でバッソを抱きしめる勇者は勇者のままで、《穢れた魔族》に魂を売って堕落しているようには見えなかったのだ。

 異なる価値観を持つ者たちに問いかけ、自分でもう一度考えてみよう。
 そして、手足の痛みが許す限りこの幌を出てみよう。

 そこに何があるのかは分からないけれど、今なら…歩き出せる気がした。



 アルフォードが、とても晴れやかな…嬉しそうな笑顔を浮かべてリネラを見てくれたから…。



*   *   *




「被害状況、及び、我々になし得る支援は以下の通りです」
「了解しました」

 《禁忌の箱》解放の衝撃にも耐えたカロリア領主の館は、ガラスや戸が破壊されたものの、がっちりとした地盤に建っていたおかげで骨組みに異常はなかった。
 今回の被災にあたっても災害本部となったこの館には多くの人の出入りがあったが、フリンの私室は離れに建っているおかげで比較的静かだった。

 ただ…静かすぎて、コンラートと二人きりでいると変な緊張感を覚えてしまう。 
 すると、それを悟られたくなくてどうしても硬い口調になってしまう。
 
 本当は…泣きたいくらいに感動しているのに…。

 実際問題として、被災後にもたらされた眞魔国からの支援は驚くほどに潤沢なものであった。
 
 現在渡されている物だけでもかなりの質量だが、更に白鳩便によって連絡を受けた眞魔国本土から医療品・食料などが届けられることになっている。
 しかも、コンラートの率いる本隊が進軍した後にも、復興支援と周囲の国々からの略奪を防ぐ為に部隊を残してくれるというのだ。

「何故…これほどまでにしてくださいますの?」
「あなたを尊敬しているからですよ」

 だから、さらりと綺麗な顔でそういうことを言わないで貰いたい。

 一瞬…小娘のようにはしゃぎそうになった心を全力でねじ伏せ、フリンは殊更に不機嫌そうな表情を作ってコンラートを睨み付けた。

「納得できません。あなたと私はこれまで直接言葉を交わすことも殆どなかったのに、それほどの信頼と尊敬を得られているなどと自惚れるとは出来ませんわ」
「時間を掛ければ理解して頂けるのなら、長逗留させて頂きたいところですが…俺も先を急ぐ身ゆえ、それは《禁忌の箱》を処理できた後にゆっくりとお願いしたいですね」

 くすりと苦笑しながら、コンラートは優雅な動作で椅子から立ち上がった。

 この引き継ぎ終了後、怪物の襲撃に併せて伏兵を敷いていたホイツァー公国軍との戦闘(これは、怪物が討ち取られたことで向こうも戦意を消失していたのか、ごく小規模に終わったのだが…)、そしてカロリアの復興で思わぬ時間をとられたコンラートは、取り急ぎ次の目的地へと駒を進めるのだ。

『お別れなのだわ…』

 本当に…また、会えるのだろうか?

 今回の事件から考えても、眞魔国の進軍に対する人間世界の激しい反発は常識の範囲を大きく逸脱するものになることだろう。
 その戦いの中でレオンハルト卿コンラートを喪うようなことがあれば、それは…魔族のみならず世界にとって大きな痛手になるのではないだろうか?

 フリンは急に気付いて頬が染まった。

 それほど大きな存在として考えている彼に、フリンは一度も正式に感謝を伝えたことがないのである。

『い…言わなくては…っ!』

 早くなる鼓動と熱くなる頬は、まるで少女時代に戻ってしまったようにもどかしく…浮き立つような心地をフリンに味あわせる。

 結局、声を声として唇から伝えることが出来なくて、駆けだしたフリンは閉じようとする寸前の扉から腕を伸ばして、コンラートの袖を掴んだのだった。

「…何か?」

 思いの外やさしい声を掛けられてますます胸の鼓動は早くなるが、フリンはこれまで示すことの出来なかった思いを…今度こそ声に載せて伝えようとした。

「レオンハルト卿コンラート陛下…」

 小娘のような振る舞いを恥じながら急いで容儀を整えると、優雅にスカートの裾を摘んで貴婦人の礼をする。

「これまでの無礼を、なにとぞお許しください。そして、我らカロリアの民を代表して、このフリン・ギルビットが礼を申し述べることをお許しください。そして…」

 コンラートの瞳が驚きに見開かれ…次いで、ふわりと光に透ける蜂蜜のように綺麗な笑みを浮かべた。

「御武運をお祈りしております。どうか…どうか、無事に帰還されますことをお祈りしております…!」
「誠を尽くされた礼…確かに、受け取りました」

 コンラートは右手を差し伸べると、その掌にフリンの誠意を載せているかのように、丁寧な所作でゆっくりと自分の胸元へと引きつけて…一礼する。

『この胸に、受け取りましたよ』

 そう言いたげな瞳に、フリンは目元に涙が込み上げそうな感動を味わっていた。
 今…フリンの胸にあるのは尽きせぬ感動と敬愛の想いだ。

 5年前、無力なカロリア領主館を襲うことなく、糧食すら置き去りにしてくれたコンラート…彼に対して抱いた敬意は、確かな証をもってフリンの元へと返ってきたのである。


『信頼することの出来る魔族もいるのだ…!』


 全ての魔族が彼のようであるとまで幻想は抱かない。
 けれど、少なくとも彼はこの地上に存在するどんな人間よりも崇高であり、敬意を抱くに足りる存在なのだ。

『どうか…生きてお戻りください…!』

 瞳を潤ませて唇を噛むフリンに、コンラートは初めて見るような…はにかむような表情を見せて、立ち去りかけていた脚を再びフリンの部屋に戻してきた。

「フリン・ギルビット…少しの間だけ、お話をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「陛下のお時間が許す限り…私からもお願いしたいですわ」
「では…俺の敬愛する友について語らせてください。異世界に於いて、その世界に住まうあなたと深い友誼を持つ方でもあるのです」
「………?」


 フリンは不思議そうに小首を傾げていたが、コンラートの口から紡がれる《友》の物語に胸を震わせ…驚嘆し、そして…深い感動を味わったのだった。



 不思議と、その破天荒な物語を耳にして《信じられない》という感想を抱くことはなかった。

 これは本当のことなのだと、素直に心へと沁み込んでいった。

『そうか…コンラート陛下は、ユーリ陛下への友愛から私を信頼してくれたのだわ』

 それは乙女心からすると少し残念な気もしてしまうのだけれど、同時に強い興味も湧いてくるのだった。

『ユーリ陛下に、お会いしてみたい…』

 異世界に於いての、フリンの友。
 そして…今またこの世界を救おうとしてくださる慈愛の王。

 
 レオンハルト卿コンラートを生み出すに至った奇跡の王にまみえたとき、また新たな扉が開かれる…そう、感じたのだ。





→次へ