第三章 ]ーG



 



「う…ぅう〜…うーっ!」
「渋谷…泣かないで?」
「ごめ…俺……っ」

 ぼろぼろと大粒の涙を零しながら、有利は泣きじゃくる。
 先程…人間世界の状況を伝えられて、堪らなくなったのだ。

「どう…したら……いいのかなぁ?ま、魔族が人間の世界に行くってだけで…そんな…集団自決とか…酷い…っ!」
「ユーリ…」

 椅子に座ったまま顔を覆って泣く有利を、コンラッドは背後から抱きしめて安心させるように囁きかけた。

「考えましょう?何か…いい手があるかも知れない。警戒心を抱かせないように、ヒステリックな反応を止める手立てが…」
「なんだろ…?いい手…お、思いつかなきゃ…っ!」

 ひっくひっくとしゃくりあげながら暫く黙っていた有利だったが…《どぁ〜》っと涙を溢れさせたかと思うと俯いてしまう。

「駄目だー…俺、アホだったんだぁ〜…こんなんだから卒業も怪しいんだ〜っ!」
「いやいや、ユーリ…咄嗟に思いついたら苦労はしませんて」

 頭を撫でこ撫でこしながらコンラッドが宥める。

「……確実に上手くいくとは限らないけど…。一つ、手がないことはない」
「マジ!?流石ダイケンジャーっ!」
「あまり期待されすぎても困るんだけどね…」

 村田は嘆息しつつ、その《案》というやつを口にした。



 人間世界の最後の希望とされたアルフォードに、真の《勇者》として働いて貰う…というのだ。



*  *  *


 
 
「凄い国だな…」
「ああ…そうだな。少しでも、この国の素晴らしさが人間に伝わればなぁ…」

 色とりどりの燈火を見詰めながら、ガーディー・ホナーとアルフォードは嘆息した。
 
 ルッテンベルク軍の士官達と共にいるせいもあり、人間であることが分かっても街の人々は暖かく彼らを迎え入れてくれた。

 アリアズナ達の行き着けの店が今も王都にあったので、そこでは特に歓待されて、安値で腹一杯飲み食いさせて貰った。

 有利の実りの奇蹟によって食糧事情や経済が持ち直したことも当然あるだろうが、それ以上に感じられるのは、魔族の意外なほどの懐の深さだった。

 ルッテンベルク軍の兵達は《昔はこっちだって結構酷かったんだぜ?》とは言うものの、それでも人間世界に比べれば随分とましな扱いだと思う。出世や結婚で差別されることはあっても、混血であるからということで公然と殺される事はないからだ。

 人間世界に於ける混血は大抵が収容所送りとなり、荒れ果てた土地を開墾して死なない程度に生き延びていくのがせいぜいだ。

 村で何か悪いことでも起これば更に恐ろしい事態…《魔族狩り》が起こる。
   
 混血や魔族は、悪いことを引き起こしたという証拠もないまま捕らえられては、全財産を没収された上で教会の拷問に掛けられる。
 混血の澄む集落が周辺地域の住人から虐殺されて、住人が全員死亡したという事例も多々ある。

 昔ですらそうだったのだ…今では、混血であることを何とかして隠している者以外は、人間世界で魔族の血を引く者は死に絶えているに違いない。

「俺は…教会という存在を嫌悪してる訳じゃない。貧しい子ども達を何とか死なせないようにしてあげようとする者だっている。だが…それが魔族に対する嫌悪として現れた時の不寛容さには、時として恐怖すら覚えるんだ」



 かつてリーシュラ孤児院を訪ねた時に、アルフォードは吐き気を催す光景に出くわしたことがある。

 教会の前の木の根本に、《混血》とされた少年が惨たらしい姿で縛られたまま絶命していたのだ。
 教会の中ではリーシュラが《神の愛》を説き、魂の救済を得るためには何が必要なのかを語っていた。

 とても…とても、シュールな光景に、アルフォードは暫く食欲を失っていた。
 
 それでも、アルフォードはあの少年の遺骸を開放し、埋葬してあげることが出来なかった。
 《神に逆らう者》として見られるのが怖かったからだ。

 聖職者に…人間にそう思われるよりも、全てを見通すという《神》に見られているのではないかと思ったのだ。

『そうだ…俺は、臆病者だったんだ…』

 勇者なんかじゃない。
 
 だが…今ほど切実に、勇者でありたいと願ったことはない。 
 《救おうとした》のではなく、《救った》という事実が欲しいのだ。
 
 たとえ誰に知られなくても、讃えられなくても良いから…あの人々を救いたい。



 酒杯を口に運びながら夢想していると、不意に声が掛けられた。

「アルフォード様、見てみて〜!」

 リーシュラ孤児院のカールが、綺麗な首飾りを手に満面の笑みを浮かべている。

「綺麗だな…どうしたんだい?」
「給料貰って、アリアリさんにもお金貰ったら結構お金が貯まったの。んで、お店を覗いたら、こんなに綺麗なの売ってくれたの」

 その様子に、アリアズナが気付いて怒声を上げた。

「ああっ!この馬鹿…っ!俺がやった金まで注ぎ込んだなっ!?飯喰えっつったろーが!」
「あぁ〜、アリアリさん。見てー、綺麗〜!」
「あーもー…そいつは大事にしまっとけ!結構良い石も使ってるみたいだからな。いざとなりゃ、売っても良い金になる。取りあえずお前はこれでも喰っとけ!」

 アリアズナは呆れ果てた顔をしていたが、溜息をつくとテーブルの上にあった皿を幾つかカールとマルクに押しつけた。

「おい、マルク。こいつがちゃんと食うの見張っとけ。んで、お前も一緒に食え」
「了解」

 マルクは最近になって漸く、アリアズナにカールの身体をどうこうする気がないのを理解したのか、わりと素直に言うことを聞くようになった。

 カールとマルクがもぐもぐと串揚げを食べていると、アルフォードはふと気になって声を掛けた。

「なぁ…君達はリーシュラ孤児院で育ったんだろ?」
「うん」
「今回、眞魔国に来ることになって怖くはなかったのかい?特にカールは、真っ先に声を上げてくれたろ?」
「そりゃあ怖かったよ?だって、リーシュラ様はいつも魔族ってのは恐ろしいことや卑怯なことを平気でする連中だから、そんな奴らと仲良くしたら神様が罰をお与えになるって言ってたもん」
「では…何故?」
「うーん…」

 何故と聞かれても、語彙が豊富でないカールには上手く説明できないのかも知れない。
 《何となく》という回答が来るような気がして待っていたアルフォードだったが、時間は掛かったものの…カールは串揚げの脂を付いた指を丁寧に舐めてから言葉を紡いだ。

「俺は、リーシュラ様に怒ってのたかも知れない」
「え…?」

 リーシュラを尊敬しているはずのカールの言葉に、アルフォードは小首を傾げた。
 尊敬していても尚、納得出来ない何かがあったということだろうか?

「俺ね…前にね、ラートって子と仲良しだったの。凄く良い子で、お母さんと旅をしてる途中だったんだけど、近所にいる間は毎日遊んでたんだ。マルクも一緒だったよね?」
「……ああ…」

 頷くマルクの声も沈みがちだ。
 何か苦いものが口内に込み上げているように、口元に運び掛けた鶏の唐揚げを皿に戻してしまう。

「そしたら、そのお母さんに言い寄った村の男が…振られた腹いせだと思うんだけど、ラートは混血でお母さんは魔族と通じた女だって言い出したんだ」
「それは…」
「アルフォード様も、そういえばいらっしゃる頃だったよね?二人が井戸に毒を入れようとしたって話になって、二人は別々に罰を受けて…ラートは俺がいる教会の前で、木にくくられたんだ」

 春の空のような瞳にはうっすらと水の膜が掛かっていたが、カールの中にあるのは哀しみよりも…強い怒りのようだった。

「俺は泣いて泣いて…せめてちゃんと埋めたいってお願いしたのに…ラートが毎日犬に食われたり鳥に突かれたりするのが嫌だったのに、リーシュラ様は《神様の怒りが下るぞ》って言って、許してくれなかったんだ」
「そんな…あれが……」

 埋めてやれば良かった。
 どんなに非難を受けることになっても、ちゃんと荼毘に付してやれば良かった。

 激しい後悔がアルフォードを襲った。
 それはきっと、カールも同じ事なのだろう。

「だけど、アルフォード様がコンラート様に負けを認めても神様は何の罰もお与えにならなかった。あの時、俺は思ったんだ。リーシュラ様はきっと、勘違いしておられるんだって。魔族を魔族だってだけで嫌うのには、意味はないんだって。俺、間違ってないよね?」
「うん…カール。君は、正しい目を持っているよ…」
「そうだよね?だって、俺は眞魔国に来てから親切にばっかりされてる。神様だって怒ってる感じじゃないもの。だから、早く帰ってリーシュラ様に教えてあげたいんだ。《魔族はいい人達だったよ。ラートも、お母さんも、きっと毒なんて井戸に入れてないよ!》って…。リーシュラ様はとても神様についてとっても難しい話を沢山してくれたけど、俺は母ちゃんが聞かせてくれた話の方が本当だと思うんだ。神様は、人間に罰なんか与えたりしないんだって…。それは、人間が都合良く神様の名を使ってるだけなんだって。神様はそっと寄り添って、苦しい時に立ち上がろうとする人を支えてくれる存在だから、高い空の上に居るんじゃなくて意外と身近にいるんだよって…」

 村田がいれば《日本の立川って地域で、他宗教の開祖と仲良くルームシェアとかしてるかも知れないしね…》とでも突っ込んだのだろうが、幸いにしてここに村田は居なかった。

「そう…か……」
「ねえ、母ちゃんの言うことが正しいんだとしたら、ひょっとしてユーリ陛下とかコンラート陛下が神様なんじゃないかな?」

 頓狂なはずの発想なのだが…何故だかアルフォードは笑い飛ばすことが出来なかった。
 彼らの大きな器と深く広い愛を想う時、彼らは真に救いの手を差し伸べる《かみさま》なのではないかと…アルフォードにも思えたからだ。

「そうかもしれないね…カールの母さんが言うように、神様がそんな存在だったらいいのにね…」
「だよねぇ?よし、リーシュラ様にも教えて差し上げよう!」


 きっとリーシュラが簡単に認めることはないだろう。
 認めることは…彼がこれまでやってきたことが邪悪な行為だったという事実に繋がってしまう。

『それでも…』

 新たな悲劇が起こるのを防ぎたい。



 アルフォードは強く祈るのだった。

 


  


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