第三章 ]ーE



 






 王都入りしたルッテンベルク軍歓迎の宴が血盟城に於いて催されるその日、城下町の住人達も自主的な祭りの準備に取りかかっていた。
 血盟城での宴とは言っても堅苦しいのは開始の挨拶だけで、兵士達はすぐに街へと流れてくることが予想されたからだ。



 朱の空が藍色へと色調を変える頃…一番星の輝きと競うようにして、王都の至る所に明るい燈火が置かれ始めた。

 辺境地に比べればまだ潤っていたはずの王都においてすら、それは実に…久方ぶりに見られる光景であった。

 料理ではなく愉しみの為に脂を使うなど、つい先日までは無駄遣い以外の何ものでもない贅沢だったのである。

 それでも富裕な貴族達には、《やろうと思えば出来ぬことはない》と宴会場に燈火を眩いほどあしらった者も居たが、やはり《民が餓えているのに、貴重な脂を宴会の座興として使うなんて…!》と、心ある魔族からの叱責を受けることになった。

 それがどうだろう?
 今日は誰もがこの日のために貯めておいた脂を取りだしては、思い思いの数だけ燈火をともしているではないか。

 風除けの透紙には何を描いても良いのだが、注意してみると星や月、太陽をモチーフにした絵が多いようだった。

 彼らは、祈りを込めて灯火を掲げているのだろう。

『せめて彼らの行く道が、光に照らされたものでありますように…』

 不遇の中にあっても眞魔国の護り手として戦い続けた男達…ルッテンベルク軍が、あと数週間の後には再び編成を整えて出撃する。

 《禁忌の箱》を破壊するために人間世界へと赴く彼らの内、一体どれほどが無事に故郷へと帰り着けるのだろうか?

 《混血》と詰られ、貶められてきた彼ら…。

 だが、今…眞魔国の命運を受けて旅立つ彼らは、まさに《混血》であるからこそ使命を果たすことが出来るのだ。
 
 強い魔力を持つ純血貴族のなかで、獅子王レオンハルト卿コンラートを敬愛する兵士達の多くは嘆きに枕を濡らしていると聞く。

『何故、俺には魔力なんかあるんだ…!』

 前の大戦の頃ならいざ知らず、《禁忌の箱》開放によって噴出した創主の力が犇めいている以上、人間の領域で魔力の強い《純血》が十分な能力を発揮することは難しい。
 寧ろ、足手まといになるだけだ。

 双黒の大賢者によってその旨が布告されるまでは、コンラートの元には従軍を求める兵で魔族絨毯が出来そうな勢いだったのだが…その騒動もようやく落ち着いてきたという。



*  *  *





『俺達が、羨望の的になるなんて…』

 ケイル・ポーは支給された礼装軍服を着込むと、魔王直属軍ルッテンベルク軍団長、そして中将たることを示す獅子王飾を左胸と襟章につけた姿を鏡の中で確認した。

 かつてコンラートを《十一貴族に》という運動を推し進める要因にもなった、《十貴族でなければ中将以上の階位につくことは出来ず、軍団長にはなれない》という規約は先日の十貴族会議に於いて撤廃され、その能力有りと会議と王とが認めた場合は認可が下りることになったのだ。

 そして選出された、眞魔国始まって以来の混血軍団長がケイル・ポーと言うわけだ。
 
 彼の中では《コンラート閣下が初代》との意識が強いのだが、当時の《ルッテンベルク軍》はなんといっても非正規軍であったため、正式には認定されていないのである。

 それが少し不満ではあるのだが、《初の混血魔王》にはコンラートが就任しているのだから良しとしよう。

『夢みたいだ…』

 本当に…これが夢なら、目が覚めた途端に酷く落胆することになるだろう。

 それも、目が覚めた時にコンラートが居てくれれは良いが、あの地獄のような日々…敬愛する彼が血盟城の地下牢に捕らえられ、昼夜を問わず拷問の責め苦に喘いでいるのではないかと疑惑を抱いていた時期に戻るのなら、精神を立て直すまでに暫く時間が掛かることだろう。

 自分がそれで壊れてしまうとは思わない。
 委ねられた使命がある以上、ケイル・ポーに壊れることは赦されないのだ。

 コンラートが居ない間にルッテンベルク軍が瓦解することだけは、決して赦されない。

 …そう、思い続けた日がこの時に繋がっているのだ。

『嬉しい…』

 ふつふつと湧き上がってくる喜びに、自然と笑みが浮かんでしまう。
 コンラートに自分の全存在を委ねて、また闘いに赴くことが出来るのだ!

 うきうきしながら宛われた部屋から出ると…突然、廊下の角から飛び出してきた者にぶつかりそうになった。

「…えっ!?」
「ありゃ…ケイルさん?」
「ユーリ…陛下!?」

 ケイル・ポーの腕の中に飛び込んできた(正確には、すっ転びかけたところを受け止められた)子どもは、《ユーリ陛下》の要素を多分に持っていた。

 漆黒の瞳と髪…そして、類い希な美貌…。
 華奢な体躯に、機敏そうな身のこなしは以前言葉も交わしたことのある有利の筈だ。
 感触が心地よくて受け止め続けていたのだが、ぴょこたんっと身を起こされて少し残念に思う。

 だが…

「ユーリ陛下…一体その格好はどうなさったのですか?」
「ええと…そのぅ…。あ、あのさ?」

 そこに駆けつけたのは漆黒のドレスを翻す上王陛下であった。

「ユーリ陛下ったら、こんな所にいらしたのね?」
「あ…ツ、ツェリ様っ!」

 麗しのフォンシュピッツヴェーグ卿ツェツィーリエは、有利の姿を視界に認めると華のように微笑んだ。

「ユーリ陛下、こちらにいらして?折角の宴ですもの…素敵な装いをしましょうよ!その為に私にお声を掛けて下さったのでしょう?さあ、こちらの衣装を…」
「か、勘弁して下さいツェリ様っ!」

 涙目で訴える有利は、既に《素敵な装い》をしかけていた。
 だが、ツェツィーリエとしては完成度がもう一つらしい。

『今でも、物凄く可愛らしいのに…』

 ケイル・ポーなどは強くそう思うのだが…。

「だって…む、胸見えちゃうしっ!」
「それが良いのですわっ!」

 《大きいことは良いことだ》と言いたげにツェツィーリエが身を捩れば、ぷるるんっと胸が弾み、彼女に限って言えばその言葉は真実であろうと思われる。
 
 ケイル・ポーの背後にくるりと回り込んで小動物のように怯える有利にとっては、必ずしもそうではないようだが…。

「まあ…ユーリ陛下ったら、ルッテンベルク軍団長の背後に回り込むなんて…コンラートとコンラッドに告げ口しちゃいますわよ?」
「え…ひゃ…そ、それ困るっ!」

『俺も困ります!』

 目の前でアリアズナが撃沈されるところを目にしたことのあるケイル・ポーは、背中にどっと脂汗が滲むのを感じた。

「うぅう〜…わ、分かりましたから…変なコト言わないで下さい…」

 《お願い!》…とでも言うように、両手を顎の下で合わせ、潤んだ瞳で上目づかいに見上げてくる姿は殺魔族的な愛くるしさを呈しており、ツェツィーリエとケイル・ポーは同時に《ごきゅり》と生唾を飲んでしまった。

「ほほほ…大人しくして下されば結構ですわ!さ…宴まで時間がありませんよ?」
「はーい〜…。あぅう…相談相手、間違えたかなぁ…」

 《間違いなく間違えている》…そう思いながら、ケイル・ポーは連れられていく有利の背を呆気にとられて見送ったのであった…。

 ケイル・ポーが地球の風物に詳しければ、きっと《ドナドナ》を歌ったことだろう…。



*  *  *




『あれは一体、何だったんだろう?』

 大広間に移動してからも、ケイル・ポーは首を傾げ続けていた。
 あれは確かに有利だった。
 
 けど…それでは、あの格好は一体?

 その時、大広間に集まった人々の間から《わぁ!》…っという歓声が上がった。

「……っ!」

 大扉が開かれて入室してきたのは、華麗な純白の礼装軍服に身を包んだ異世界のウェラー卿コンラート…コンラッドであった。
 金色のモールが肩口に揺れ、襟合わせと袖口に配された濃紺と金糸の縫い取りが、引き締まった体躯を優雅に彩る。
 
 彼の優雅な歩みに併せて貴婦人方の視線が…いや、紳士達の眼差しまでもが熱いものを含んで靡いていく。

 壇上でにこりと微笑むレオンハルト卿コンラートの方は、コンラッドとは対照的な漆黒の礼装軍服に緋色のマントを合わせたものなので、二人並んで立てば更に目を惹くことだろうと思われた。

 それは、コンラートスキーのケイル・ポー的には、《お願いだからやってみて下さい》と懇願したくなるような絵図等だ。

「やあ、ケイル・ポー!」

 声を掛けて来たコンラッドに歩み寄ると、彼は何処かそわそわとして周囲を見回していた。

「なあ…ケイル・ポー。ユーリを知らないか?」
「ご存じないのですか!?」
「いや、こちらの母上…いや、上王陛下のもとに何か相談に行くとは聞いていたんだが…それから帰ってこないんだ。その内…あちらはあちらで盛り上がっているから、先に行ってくれと伝言が来るし…」

 はぁ…っと嘆息するコンラッドの横顔には明瞭な寂寥感が漂っていた。
 有利と離れていることがよほど寂しいらしい。

「あの…実は……」

 言ったものか言わないものか悩んでいると、周辺に積極的な女性達がわらわらと寄ってきた。
 
「御機嫌よう、異世界のウェラー卿閣下…」
「本日の踊りのお相手はもうお決まりかしら?」
「私、踊りにはちょっと自信がありますの。よろしければお相手を…」
「あら…ずうずうしい」
「あなたこそ、狙っているからこそお声を掛けたのではなくて?」

 色鮮やかなドレスを身に纏う貴婦人方はいずれもなかなかの美貌と体型を持つ者ばかりで、本人達もその事を十二分に自覚しているようだった。
 雌豹のようにしなやかな身のこなしで、麗しの異世界人を虎視眈々と狙っている。

「申し訳ありませんが…」

 困ったような…疲れたような顔でコンラッドが断りの文句を入れようとしたその時、再び大扉が開かれて…またしても人々のどよめきが発生した。

 いや…今度は、先程のように大気を震わせる音声としてではない。
 
 誰もが息を呑み、自分が見たものを理解して漸く…《ほぅ…》っと、感嘆の吐息を漏らしたのだ。


 それは、奇蹟のように愛らしい…一人の少女だった。


 まろやかな頬には淡く朱を掃き、咲き染めたばかりの薔薇を思わせる唇にも光沢を帯びた紅が差されている。
 ちんまりとした形良い鼻はつんっと指を触れさせたくなるような愛らしさで、吃驚するくらい大粒の瞳は澄んだ夜の色だ。

 眞魔国では貴色とされるものの、暗い色として知られる《黒》が安らぎと癒しを与えるなど、直接まみえるまでは思いもしなかった者が多いことだろう。

 漆黒の髪に白い華とリボンをあしらった髪飾りをつけ、華奢ながら伸びやかな印象の体躯には黒を基調としたドレスを纏っている。
 ドレスの胸元は大きく開いて、眞魔国人の平均としてはやや小ぶりながら…ふくっとした水蜜桃のような胸の上半分が覗いており、形良い膨らみを呈している。
 細頚に巻いたリボンをふんわりと結んで、その裾を胸もとに垂らしているのも更に可憐さを際だたせる。

 露出した肩から肘、ほっそりとした前腕にかけてのラインも美しく、手首にあしらった黒いリボンと白い小花のアクセサリーが小気味よいバランスを見せている。

 その初々しい装いは、はち切れそうな胸を誇示されるよりも男心を擽(くすぐ)るものであった。
 
 シフォンのように重なった布地が歩を進めるたびにふわふわと揺れて、裾野からきゅっと括れた踝(くるぶし)が覗くのも心ときめかすものがあるし、高い踵のある靴に不慣れなのかちょっと覚束なげな足取りで歩いてくる様子にも、駆け寄って手を添えたい衝動が突き上げてくる。

 いや、突き上げるだけで止まらない男がここにいた。

 時間にして0.1秒という早業で駆け寄ったその男の名はコンラッド。
 先程までの疲れた顔は何処へやら…銀色の光彩を瞳の中に煌めかせて、美しい少女の手にそっと自分の腕を沿わせている。


「ユーリ…」


 独特の甘い響きを持つ声が、愛おしそうに囁きかける。


 そう、あれは…有利だ。
 実りの奇跡を起こして眞魔国を救った、双黒の魔王陛下…。

 だがしかし、彼は…《少年》ではなかったのだろうか?

 
「は…あぁぁ…っ!?」


 案の定、何処からか素っ頓狂な声が聞こえてくる。
 口をあんぐりと開いたアリアズナ・カナートだ。
 それに、期せずして有利を《少女》と言い当てたガーディー・ホナーと、勇者アルフォード・マキナーも目を見開いている。

「え…あれぇ…?おっかしーな…確かにちんぽが生えてて、あんな胸ついてなかったのに…」
「ほーら、俺が正しかったじゃねぇか、アル」
「そんな…いや…え?魔族って、そういうことがあるのか!?」

 その他の連中もそれぞれに思いがあったのか、有利があの《双黒の魔王》その人であることが分かってくると、わいわいと声を上げて噂話を始めた。


 こほんっ!


 ざわめき始めた空気を、咳払いの音がぴたりと止める。
 何故だか、そうしなくてはならないような気がしたのである。

「えぇ〜と、お集まりの皆様方、初めての方もそうでもない方もおられますが、改めて名乗ります。俺は…異世界で眞魔国第27代魔王をやってます、渋谷有利です!会場係の人には尤もらしく《粛々と出てこい》って言われましたけど、堅苦しいしコンラッドの傍にいられなくなりそうなんで、略式にして貰いました!」

 ざっくばらんな物言いは、愛らしい声ではあるのだけれど…実に砕けた《少年》らしいもので、人々はより一層困惑の度を深めてしまう。

「えと…諸事情ありまして、俺…この、婚約者のコンラッドと…」

 《えうぁ…っ!?》という珍妙な声が響いた。

 どうやら、コンラッド狙いの方々が度肝を抜かれたらしい。
 こんなにも愛くるしい救世主様が敵では、闘う気自体が失せるではないか。

「静粛にお願いします…っ!えぇと…だから、この…コンラッドとの間に、子どもが生まれる運びとなりました!なので、まだ婚約者ではあるけど、既成事実もありますんで、コンラッドは俺のものです。誰にもあげません。だから、コンラッドを狙てる人は諦めて下さいっ!」

 《えうう゛おがぁ…っ!?》という、更に珍妙な声が響いた。

 可憐な少女の口からの《出来ちゃった》発言に対して、《幼妻》…だの《羨ましい》…だの、《英雄なら何をしても良いのか…?ユーリ陛下は18才だろう!?は…犯罪じゃないかっ!》という声まで聞こえる。

「あと、俺の子は…コンラート陛下のお言葉から、リヒトと名付けました」

 有利の言葉に、コンラートの瞳が驚きを現し…次いで、じんわりと広がっていく何か…きっと、深い感動のようなものが…ひたひたと彼の身に沁みていく様子が感じられた。 
   
「リヒト…《光》…そうか、俺は…ウェラー卿リヒトの名付け親というわけだね?」
「そうです。事後承諾になりますけど、良いでしょうか?」
「勿論。喜んで拝命仕(つかまつ)る…!名付け親として、リヒトに…我が生命の全てを捧げ…」

 勢い込むコンラートに、有利はわたわたと両手を振った。

「いや、生命とか胸とか腕とか脚はいらないから!コンラート陛下は…」

 有利は《それはもう勘弁!》とでも言うように口角を引きつらせていたが…不意にしみじみとした微笑みを浮かべると、噛みしめるように言ったのだった。

「コンラート陛下は…ただ、愛して下さい。実りの奇蹟を起こした魔王の子どもとしてではなく、希少な双黒としてではなく…唯の子どもに対して、名付け親として…リヒトに愛を与えて下さい」
「ユーリ陛下…」


 有利の言わんとするところを了承したように、今度は深く…強い自覚の元に、コンラートは誓った。


「約束しよう…。決して、ウェラー卿リヒトを君と混合はせぬと。希少な者として、《特別》という名の檻に入れることもせぬと…」

 リヒトはこうして宣言をしなければ、髪と瞳を染めて市井の民のように振る舞うことも出来たかも知れない。
 あるいは、有利との相似が明らかではあっても、《偶然だ》と言い張ることも出来たかも知れない。

 だが…有利は敢えて自分の身から子どもが生まれ、その子がどちらかの世界で生きていくのだと明言した。

 きっと…真っ直ぐな彼は、生まれてくる子どもにも嘘や誤魔化しの中で何かから逃げながら生きるのではなく、正面切って挑んで欲しいのだ。

 それがどれほど重いものか分かっていても、それでも…乗り越えられると信じているのだろう。


 必ず、支えてくれる人が居ると信じているから…。


「頼むね。この子は…俺とコンラッドのいるあっちの眞魔国と、レオのいるこっちの眞魔国の両方を故郷にする子だから…16才までは直接の親である俺達が育てるけど、それからはどっちで、何をして暮らしていくのかはリヒト自身に決めさせようと思うんだ。その時…この子がどんな決断をしても支えてあげてね」
「心して、支えよう…っ!」

 凛と通るコンラートの声が大広間に響いた。



 新たな絆が結ばれたことを、満天のもとに誓ったことを証明しながら…。









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