第三章 ].戦場へ吹く風










「もはや…この手しかないのか……っ!」


 広大で薄暗い、石造りの室内で痛切な声音が大気を引き裂き、皺くれた男の拳が壁に叩きつけられる。
 そこは居住用の部屋にしては天井が高く、また、それらしい灯りもない。

 本来は多くの蝋燭を立てるべき燭台が随所に置かれているのだが、それらは灯されることが無くなってからかなりの時間が経過していると察せられる。
 受け皿には微かに黒く変色した鑞滓がこびりついているだけで、薄汚れた埃が幾層にも重なっているからだ。

 また、本来は荘厳な造りであろう室内…おそらくは、何らかの宗教的な儀式に使うと思しき部屋にも埃が満ち、灰色の長衣を纏った老人と、彼を囲むようにして立っている子ども達が動くたびに、僅かな光源の中を埃が舞う。

「リーシュラ様…どうか、もう嘆いたりしないでください」

 十数人の子ども達の内、最も年長の少女リネラが穏やかな声で老人を宥めた。
 頬がこけて骨張った関節ばかりが目立つが、それでも藍色の長い髪に包まれた白い顔は愛らしさを含み、薄水色をしたアーモンド型の瞳に深い敬意を湛えて老人を見やる。

 その他の少年少女達の瞳にも、老人に対する憧憬と…彼のために尽くすことを喜びと感じる気持ちとが溢れていた。
 何かしら拭いきれない恐怖心も小さな子ども達の間には見受けられたが、老人への愛と仲間同士の連帯感に引っ張られてか、逃げようというような素振りは見られない。

 《リーシュラ孤児院の団結力を見せる時だ》…どんな幼い子どもの胸にも、その言葉が刻み込まれているのだ。

 この孤児院の子ども達は、飢餓や戦乱の中で親に死なれ…あるいは捨てられた者達で、神父リーシュラ・コルネリアスの手で養育されており、年長者についてはこの土地…ガリアノスを支配するその時々の領主(勢力争いに巻き込まれやすい土地柄ゆえ、年ごとに支配者が交代することも多々あるのだ)のもとに兵士として召し上げられるか、あるいは…兵士達の慰み者として扱われる。

 後者については望んでそうしたいと願うわけではないが、それでも…なにがしかの食糧を与えられることに代わりはなく、自らと非力な年少者を養うためには仕方のないことだと、みんな割り切っている。

 リーシュラは敬虔な神父であり、世が乱れた最初の頃は近隣住民の布施や自らの稼ぎで子ども達の糊口を凌いでいたが、それはいつまでも続くものではなかった。
 戦乱があまりに続くこの時代にあって、子ども達を食わせていくことは極めて困難であり、リーシュラの教育によって多少読み書きが出来るようになったところで、真っ当な手段で食っていくことは出来なかったのである。
 
「僕たちは、幸せです…」
「リーシュラ様の秘術のお役に立ち、この世界を救うことが出来るのが…本当に幸せなんです」

 その言葉は嘘ではなかった。
 それがどれほど恐ろしいことでも、彼らは逃げようとはしない。

 だって、彼らは真の《英雄》になれるのだから。

「しかし…あやつ、アルフォードさえ失態を犯さねば、お前達がこのような最終手段に使われることも無かったろうに…!」
「もう、彼のことはお忘れ下さい…っ!勇者と讃えられ、人間世界最後の希望と呼ばれながら、おめおめと魔族の軍門に降(くだ)った者のことなど…っ!」

 リネラの声が鋭く響く。
 彼女は、アルフォードが勇者と呼ばれていた頃には淡い恋心と、兵士達の慰み者としての自分を恥じる心とに相挟まれて懊悩していた。
 だが、今は微塵も恋心など残っていないのだろう。少なくとも、残っていないと信じているはずだ。

「そうだよ、リーシュラ様…!あんな奴、結局意気地なしだったのさ!」
「そうよそうよ!あたし達は逃げないよ!」
「そうだ…俺達は、リーシュラ様と神を信じているし、人間の最後の希望になるんだもの…!」
 
『そうさ、僕らは逃げない。勇者だなんて呼ばれていい気になってたあいつみたいに、危なくなったから逃げるなんて事はしないんだ…!』

 年少者のひとり、バッソは強く奥歯を噛みしめた。
 
 オリーブ色の髪と目を持つ痩せぎすのバッソは、ついこの間まで勇者アルフォード・マキナーを神の如く礼賛し、口ぶりや動作を真似しては仲間達にからかわれていた。
 だが、今はそのことを深く恥じ入り、その男の名を口にすることも汚らわしいと感じるようになっていた。

 現在このガリアノスを支配する領主は、歴代の平均値を遙かに超える《マシな領主》だった。孤児院の暮らし向きをどうにかしてくれるほどの仁慈の人ではないにしても、この時代の支配者としては珍しく未来に思いを馳せる性質であり、勇者アルフォード・マキナーに希望を託し、彼が眞魔国への侵攻軍を旗揚げする時にも身を尽くしていた(眞魔国からの略奪物を得ようという魂胆も勿論あったのだろうが…)。

 自然とこの孤児院出身者もアルフォード軍とは近しく触れあう機会を得て、先だっていよいよ旅立つという時にも年若いながら、それなりに兵士や従者として役に立ちそうな連中…カールやマルク等が従軍していったし、行けない者も精一杯の贈り物をしたものだ。

 リネラなど、これまでは頑として拒否していた複数の男達による陵辱に耐え、その稼ぎで買った御守りをアルフォードに贈ったのだ。

 《私の穢れた身体で贖(あがな)ったものではあるけれど…少しでも、あの方の守りとなるのなら…》そう祈るリネラの姿は、決して穢れているようになど見えなかった。

『リネラ姉ちゃんは、綺麗だ…!』

 バッソは強く想う。

 アルフォードもまた、リネラに対して幾らかの想いがあったからこそ微笑みながら首飾りを受け取ったのだと…。
 リネラが年少者を食わすためにしていることを、決して穢れているなんて思っていなかったと、ついこの間までは信じていた。

『裏切り者…っ!』

 血を噴き上げそうなこの怒りを秘術の道具として使われるのなら、こんな望ましいことはない。


 たとえ、その役割が《生贄》であったとしても…。


「さあ、リーシュラ様。お願いします。どうか…私たちの肉体を使って、秘術を完成させて下さい…!」
「う…うむ……」

 まだ思い切れぬようなリーシュラを、半ば強引に引っ張ってリネラは祭壇に赴いた。
 そして、めいめいが自分たちに宛われた場所へと横たわる。

 天井側からその光景を見下ろせば、円形の魔法陣に万歳をした子ども達が配され…リーシュラがその中央に立っていることが分かったろう。

「お前達の志(ここざし)は…決して忘れぬ…!この世界の人柱として、立派につとめを果たしたと…っ!」
「ええ…私たちだって忘れません…!リーシュラ様が、どれほど私たちを愛して下さったか…」

 《そして…どんなに辛い境遇であっても、私たちがこの世界を愛していたか》…リネラの美しい高音が、泣くような響きを載せて大気を震わせる。

 リーシュラの手に持った銀色の杭が、一本…また一本と、子ども達の手を魔法陣に打ち込んでいったからだ。それが、純朴な彼の心をどれほど引き裂くか…分かっていたからだ。

 《うわあぁ…っ!》《痛いよぉ…っ!》…堪えきれずに泣き出した子ども達の啜り泣きが、胸を掻き毟(むし)られるような痛みを与える。

 杭を…大切な、愛おしい子ども達の手に打ち込みながら…リーシュラは泣いていた。

 血の涙を零しながら…かつて、神学校の書物棚の奥に隠されていた禁忌の書…生贄と引き換えに、《異形の戦士》を呼び起こす秘術を行使しようとしているのだ。
 発見した当時には、その方法のあまりのおぞましさを忌避してこっそり焼却処分をしたリーシュラだったが、どうしても好奇心を抑えきれずに一読し…その内容を暗記してしまったという。

 呪わしい方法…だが、それしか人間世界を救う術はないのだ…!


 異形の戦士の力で、邪悪な魔族軍を打ち破る。

 
 それだけが人間世界に残された最後の希望なのだと…この時、リーシュラと孤児院の子ども達は信じ切っていたのだ……。



*  *  *




 ゴウ…
 ゴオゥゥウ……


 強い風に煽られて、バタバタと馬車の幌が揺れ動く。
 馬や兵士達も巻き上がる砂と細い草には辟易しているようだが、それでも一様に表情は明るく、足取りは疲労に負けず前へ前へと進んでいく。

 鮮やかな蒼穹の頂点でぎらぎら輝く太陽は彼らの肌から汗を噴き出させるが、その感触すらも心地よいのか、たっぷりかいた汗を布地で拭っていく。

 何故なら、彼らの進めるその一歩一歩が王都との距離を縮めるからだ。

 ウェラー領の混血部隊で構成されるルッテンベルク軍…彼らにとって王都の名は、ほんの数週間前までは複雑な心境を呼び起こすものであった。
 
 ルッテンベルク師団は創設当初、《捨て石》同然の存在として…戦略的意義よりも、眞魔国に対する忠誠心を示すことに重きを置かれて構成された集団だった。
 だが、大きな犠牲を払いながらもウェラー卿コンラートに率いられて戦線の崩壊を防いだ彼らは、一転して英雄扱いされるようになり、師団長の地位と共にぐいぐいとその格を上昇させていった。

 だが、栄光の頂点を極めんとしたその時…陰謀によって突き落とされた。

 コンラートの機転によって瓦解の危機は防がれたものの、忸怩(じくじ)たる想いを抱かずにいられる者など居なかったろう。

 それが今また…以前考えられていた《頂点》の更に高みに達したコンラート…第27代魔王レオンハルト卿コンラートの元で闘うことが出来るのだ。

「正直、転落と上昇の格差が激しすぎて脳がついてこねぇよ…」

 本当の本当に、これは《本当は嘘でした》というような展開ではないのだろうか?

 暑さのために厚手の銀鎧は外し、平服を纏うアリアズナ・カナートは、地平線の向こうに防壁を捜しながら独りごちた。 

「随分と、そわそわしてらっしゃいますねぇ」

 先程から鞍の据わりが悪いとでも言いたげに、うずうずと尻の位置を変え続けているアリアズナに、ルッテンベルク軍を指揮するケイル・ポーがくすくすと笑みを漏らす。

「しょうがねぇだろ?一体…どんな顔して王都に入りゃ良いのか考えちまうじゃねーか」
「いつも通りで良いじゃないですか」
「そんな事いってよぉ…お前、コンラートに会った途端に泣き出すんじゃねーぞ?」
「泣きませんよ!子どもじゃあるまいにっ!お元気なのも知ってますからねっ!!」
「へぇ〜?」

 そんなことを言いつつ…物に感じ入りやすいこの青年が、通信連絡の画面に映し出されたコンラートの姿を見るたびに瞳を潤ませていたことを知らぬ者は居ない。
 直接顔を合わせ、苦労をねぎらいながら抱きしめられたりすれば、滂沱の涙を流しながら子どもに返ってしまうのではないだろうか?

「それに…お会いできたからって、それで万々歳とはいかないでしょう?」
「おー、流石は指揮官!冷静だなぁ〜」

 からかうような口調ではあるが、内心では本気で感心したりする。
 士官クラスの中では最も年少でありながら、ケイル・ポーがコンラートの信任を受けるのはこういう理由なのだろう。
 瑞々(みずみず)しい感性を持ちながらもそれに振り回されることなく、戦況を越えた政略面にまで目を向けられる人材はそうはいない。

「陣営が整うまで猶予は与えられると思いますが、《禁忌の箱》を始末に行く主力隊には確実にルッテンベルク軍が選ばれるでしょう。眞魔国の命運を握る闘いに向けて、俺達は死力を尽くす事が出来る…。その為に必要なことならば、俺は何だってしたいんですよ…!王都の連中の対応だなんだなんて、気にしてる場合じゃないでしょ?」

 そうだ。自分たちの旅はこれで終わりではない。

 明言されたわけではないが、《禁忌の箱》が人間世界に眠っている以上、その始末が出来るのは魔剣を持つコンラートか有利…そして、その警護に当たることが出来るのは、魔力を持たない混血…ルッテンベルク軍だ。 
 
『へへ…腕が鳴るねぇ…』

 先日の闘いでも血湧き肉躍る思いをしたが、今度は本家本元…自分たちの主であるコンラートと共に闘うことが出来るのだ。
 しかも、一局面の戦闘などではなく、眞魔国の…いや、世界の命運を握る闘いに赴くことが出来るのだ。


 軍人として、戦士として…これ以上の誉(ほま)れがあるだろうか?


「お…!見えてきたぜ…っ!」

 緑為す地平線の彼方に、とうとう防壁が見えてきた。
 
「王都だ…っ!」


 わぁああああ……っ!!


 先頭を行く隊の連中にも視認できたらしく、一斉に歓声が上がるが流石に歩速を上げる者は居ない。
 ここまできて、見苦しい入場などできるものかという気概もある。

 ただ…彼らの内の一群だけは、不意に緊張の度を上げていた。

『あー…あの連中にとっちゃ、複雑だろうな…』

 アリアズナは軽く同情を含んだ眼差しでその一群を見やる。
 彼らはウィンコット軍と対峙していた人間…勇者アルフォード・マキナーと、彼に付き従う覚悟を決めた者達だ。



*  *  *




「あれが…眞魔国の王都……」

 ごくりとアルフォードの喉が鳴る。
 覚悟を決めていたはずなのに、つい馬上で腰が浮き気味になってしまった。

 ここまでの道程でも、眞魔国の集落には立ち寄り買い物などもしている。
 彼らは既に事情を把握しているのか、人間と知ってもアルフォード達に襲いかかってくるようなことはなかったけれど…その事が余計に気持ちを重くさせていた。

『俺達は…あの人達から、略奪しようとした』

 それが正義だと信じていた。

 悪逆非道な魔族を退治して、食糧を餓えた人々に分け与える…。
 光彩煌めく夢想によって、アルフォードはこの国にやってきたのだ。

 だが…それが自分たちに都合の良い詭弁であることを痛撃され、自分たちこそが略奪者であるのだと理解した瞬間、アルフォードは以前のように聖剣を握ることが出来なくなっていた。

 もともと軍がその規模を拡大し、魔族の集落を蹂躙していく先々で非道な行為も黙認せざるを得なくなっていった頃、聖剣は発動しなくなっていた。


 その意味が…やっと理解できたのだ。
 偶然でも聖剣の不具合でもなく、アルフォードに勇者たる資格が無くなっていたのだと…。


「アルフォード様、王都って大きな街なんでしょうか?」

 痩せぎすの癖にふわふわとした雰囲気を纏うカールという少年が、脇を走る馬車の中から声を掛けてきた。
 人間・魔族を問わず、搬送できる程度の負傷度の者は馬車に乗せられて王都に向かっている。

 彼らを率いるケイル・ポーの弁によると、人間世界で《禁忌の箱》を消滅させるためには魔力を持たない混血ないし、人間の力が必要であり、アルフォード達はその働きを期待されているのだと…。

 人間の内、飯炊き…あるいは、慰み者として扱われていた者達も、兵に混じって同行しているのだが、その中でもこのカールという少年は少し精神に発達障害が見受けられるためか、単に生来そういう性格なのか…屈託なくふるまっては好奇心のままに行動している。

「ああ、きっと大きな街だよ。魔族達の都だからね」

 多少皮肉な口ぶりになってしまうのは致し方ないことだろうか…。
 
 アルフォードは、魔族というのは野蛮で同族間でも容赦なく卑怯な手口を用い、争いの絶えない連中なのだと聞かされていた。
 人間世界に比べて、農作物の実りが豊かであるのは生贄を用いているせいなのだと…。

 だが…数週間の間、旅をしているだけでそれが誤りであることを嫌と言うほど突きつけられた。

 魔族は概して誇り高い種族ではあるが、人間比べて特段好戦的というわけではなく、自ら魔族の理念に共鳴したアルフォード達を蔑視することもなかった。

 また、劇的な実りの時を迎えたのが異世界の魔王による奇蹟であるとしても、それを可能にしたのは堅実な農民達の努力によるものであった。
 彼らは殆どの者が農地を投げ出さず、自棄になることなく地道に田畑を耕しては工夫を重ね、少しでも良い方法を思いつく者があれば、その情報は活版印刷や口伝によって国中に流布されていた。

 そう…領土ごとに幾らか毛色は違うにせよ、彼らの間には《眞魔国》という絶対的な繋がりがあり、有益な情報は共有するというネットワークがあったのだ。

 微かな実りを抱え込み、奪い合い…醜い闘いの中で時を閲(けみ)していた人間達との違いを思う時、アルフォードはがくりと頭を垂れる思いであった。

 しかしその旨を何気なく口にすると、わりとさばさばした気質の魔族…アリアズナなどはこう言うのだった。

『ま、それほど卑下したもんでもないだろ?今は眞魔国のイイトコばっかり見えてるから余計にそう思うのかも知れないぜ?所詮、国は国だからな。色んな矛盾を持ってるし、汚いところだったある。農作物に関する情報交換だって、仲の良い領土間ではあったろうが、不仲なトコにゃいってねーだろーし、そもそも内乱でバタバタしてた領土は今回の奇蹟の恩恵にあずかれなかったって聞くしな。あんたの国だって農作物が十分に取れて落ち着いてくりゃあ、また良いところも出てくるかも知れないぜ?』

 何ということだろう…《朱斧のアリアズナ》と悪鬼の如く恐れられていた男に、勇者が慰められるとは…。

 軽く落ち込みもしたが、そんな男達と触れ合い…理解できることを嬉しくも思った。

『知らなければ、とんだ道化者として生涯を終えたかも知れない』

 何も知らなければ、自分たちは《運悪く、力及ばずにここで倒されるのだ》と信じ込んで、魔族を恨みながら死んでいたろう。
 そうであればこんな後悔の念に晒されることは無かったろうが…その代わり、真に民を救うための方法も知らず、まさに《犬死》をするほか無かったろう。

『今、俺がやっていることが…本当に人間世界を救う手立てとなるのなら…』

 そう信じて、生きていくしかない。

 もっと大きく瞳と心を開いて、どんなに忸怩たる思いに襲われようとも、もう真実から目を背けたりはすまい。

「アルフォード様、リネラ姉さんにお土産買ってくれる?」
「…………え……っ!?」

 暢気としか表現出来そうにもない口調で言われ、アルフォードは口の中から心臓が出そうな勢いで背筋を跳ね上げた。

「アルフォード様もリネラ姉さんに首飾り貰ったでしょ?貰ったもんは何かの形で返せって、母ちゃん言ってたよ?」

 カールはリーシュラ神父の孤児院にいたのだから、その《母ちゃん》とは死に別れたのだろうか?
 今は綺麗事を貫こうとする者には生きにくい世の中だから…。

「俺も、旨い飴を貰ったから何か返したいんだけどなー…。俺、芸が無いから寝台の上で転がったまんまなんで、みんなあんまり駄賃を弾んでくれないんだよね。飯を炊くのは出来るけど、飯盒に残った分を食えるだけ有り難いって話で、お駄賃は貰えないもん」
「そ…そう……?」

 こういう話題は苦手だ。
 生きていくために仕方のないこととはいえ、子どもが身体を売らなくてはならないなんて…。

 リネラもまた兵士達に身体を開き…そして、恥じていることがアルフォードには辛かった。

 《幸せにしてあげたい》…強くそう思うのだけれど、いつか…彼女を妻として迎えるだけの甲斐性を、アルフォードは持つことが出来るだろうか?もともと結構な年の差があるし…。
 
『そもそも…リネラは俺を赦してくれるだろうか?』

 《禁忌の箱》を破壊し、魔族と人間が仲良く暮らす…そんな、お伽噺のような世界が本当に実現するのだろうか?
 《ユーリ》という双黒の魔王が治める国ではそうなのだと聞いたが、簡単に信じることは難しかった。

 少なくとも、短期間に成就するとは思えない。

 だとすれば…きっと、彼女はアルフォードに失望し続けることになるだろう。
 あんな生業(なりわい)をしていても、どこか誇り高く…凛と前を向いて生きている彼女の目に、アルフォードは卑怯な裏切り者と映ることだろう。

『それでも、待っていてくれ…』

 本当の意味で彼女を救う方法があるのなら、やってみたい。
 そんなに富裕ではなくとも、親の元で子が笑顔で暮らせる…そんな国ができるのならば、賭けてみたいのだ。

『待っていてくれ…リネラ……』

 アルフォードはまだ知らない。
 彼の知らぬ薄暗い空間で、リネラを含む孤児院の子ども達が秘術の生贄となり…。



 彼の、敵になろうとしていることなど。 

 





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