Z.残される者 血盟城に、威風堂々たる大貴族達が次々に馬車を乗り入れてくる。 普段はあまりこの城に顔を出すことのない者もいたが、今回はある《噂》…のせいもあり、誰もが招待を受けるなり、可能な限り迅速に王都入りを果たしていた。 その噂とは次のようなものであった。 『ウェラー卿コンラートに驚くほどよく似た男がユーリ陛下の庇護下にある』 『その男は何か重要な秘密を抱えているらしい』 『ユーリ陛下はその男を援助するために、大胆な決断をされるおつもりではないのか』 事が有利に関わることであるだけに、今後の眞魔国に於ける政策路線に影響を与える可能性が高いと見たのだろう。血盟城へ乗り込む前に、懇意にしている貴族同士で会談の場を持つ者、独自の情報網を駆使して思案する者と…様々な動きを見せた。 * * * 「伯父上の馬車が門を潜ったぞ」 ヴォルフラムが窓辺から声を掛けると、レオの頬に微かな緊張が走った。 彼に宛われた客室で、グレタも交えて有利との思い出を聞かせて貰っていたところだったのだ。 二人は会議の中で為された話を、翌日になってから有利に説明されたらしい。 ヴォルフラムは怒り…詰め寄ったそうだが、それでも…やはり説得されて魔力を提供することを約束したのだという。 「随分と早いお着きだ…やはり、噂が気になられたのだろうか?」 「そうだろうね」 レオの声は硬い。 仇敵…本人ではないものの、それに極めて相似した存在とあっては、平静を保つことは困難に思えた。 「レオ…君は、伯父上を恨んでいるのか?」 「こちらの世界のヴァルトラーナと、あちらの世界の彼とは違う人物だ。俺とコンラッドが異なるように…」 「立て分けが出来ていると?」 「どうだろうね…。理屈では分かっているつもりだけど、目の前にしたら…どう感じるんだろうな」 ヴォルフラムは物思うように瞼を伏せていたが、微かに言い淀みつつも…レオの言葉を反復するように告げた。 「僕の伯父上と、あちらの世界の伯父上は違う。きっと…本当に、違うと思うんだ」 「ヴォルフラム?」 「昔の伯父上なら…きっと、グレタと僕の結婚に強硬に反対していたと思う」 言われてみればそうだ。 ヴォルフラムがヴァルトラーナのお気に入りであることは有名な話で、幼少から青年期に差し掛かる時期までその思想は同色の彩りに染め上げられていた。 コンラッドの話によれば、こちらでもその事実には変わりはなかったはずだ。 純血と十貴族としての誇りに異常なまでの重きを置くヴァルトラーナが、その最愛の甥が混血どころか人間と結婚することを認めるなど、天地がひっくり返るような衝撃だ。 「一体…何があったんだ?」 「僕にも正確には分からない。婚約したいのだと挨拶に伺ったときも、半分殴られることを予想していたんだが…見事な仏頂面ではあったけれど《そうか》と一言だけ仰られて、反対はされなかったのだ」 ヴォルフラム自身、未だに不思議であるらしい。 「何故だろう…やはり、アンシア殿の存在が関与しているのだろうか?」 「どうだろう…。ああ、ほら…今日も共に来ておられる」 ヴォルフラムが笑顔を浮かべて窓の外に手を振っているので、レオも釣られて窓辺に寄っていった。 近代眞魔国の悲恋の中でも特に有名な《悲運の花嫁》…ヴェローナ卿アンシアがどんな女性であるのか、レオは生前の姿を遠目で見たことはあるが詳細は知らない。 コンラッドの説明からは随分と豪快な女性が思い浮かぶのだが…それが、人間の盗賊に襲われて虐殺されたという話が結びつかないのも気になる。 窓から覗いてみると、見覚えのある男の横にそれらしき女性が居た。 鮮やかに陽光を弾く紫紅色の頭髪と、きびきびとした動作が印象的だ。 ドレス姿ではあるが、それほど丈の長くないその裾野を見事に捌きながら早足に歩いてくる。 ふと…彼女の目線が上げられ、レオのそれと交わった。 『力強い瞳だな…』 髪と同色の瞳は釣り上がった見事なアーモンド型で、なかなかの美形だ。 つんと尖った鼻先がやや気になるものの、全体に漂う威勢の良さが剛直さを醸しだし、どこか人を惹きつける魅力を持っていた。 『…ん?』 ダダダ…っ!! 一体どうしたのだろうか? アンシアは、レオに気付くなりぱちくりと瞳を開大させたかと思うと…スカートの裾を閃かせて走り出した。 『え…?』 驚嘆するレオの視界からあっという間に紫紅色の人影が消え…そして、《トカカカ…っ!》っと軽快な音が廊下に響いたかと思うと… ドォン…っ! 勢いよく開けられた扉(観音開き)から、アンシアが華々しく登場した。 「まぁ…驚いた!あなたがお噂の、コンラート様のそっくりさんね?初めてお目に掛かりますわ。私、ヴェローナ卿アンシアと申します。どうぞお見知りおきを!」 疾走してきたとは思えないほどの優雅さで(馬車とこの部屋とは、かなり距離があったはずなのだが…)、アンシアは完璧な貴婦人の所作を見せて一礼する。 「や…これはどうも。こちらこそ初めまして。俺はレオンハルト・ライバークと申します」 「姓は異なるようですけど…コンラート様のご親戚なのかしら?」 「何と申しましょうか…似たようなものではあるのですが…」 「まぁあ…うふふ…っ!困ったお顔も素敵だわ。ねえ、レオンハルト様…手をこのように、頬に掛けて下さらないかしら?」 「はあ…」 アンシアが自分の手を頬に掛けて姿勢の指示を出してくるので、不思議に思いつつも同じポーズを取ってみると、彼女は身を捩って歓喜の声をあげた。 「きゃぁあああ…っ!素敵素敵…っ!!あぁ〜っ…今すぐスケッチさせて頂きたいわっ!」 「あの…一体……」 ドォォン……っ! ぽかんと呆気にとられていると、またしても勢いよく扉が開かれ(やっぱり観音開き)、怒り心頭に達した風なヴァルトラーナが飛び込んできた。 「アンシア!この尻軽女が…っ!」 「失礼ねっ!」 ドゴォン…っ! 勢いよく頬に鉄拳を打ち込まれ…吹き飛ばされて壁に叩きつけられたのはヴァルトラーナであった。 「全く…あなたときたら何て礼儀を弁えない方なの?妻として恥ずかしいわ」 「人目も憚らずにドレスの裾を捲し上げて疾走する女に言われたくはないわっ!」 口角から血を滴らせながら…ヴァルトラーナがゆらりと立ち上がる。 貴公子然とした顔の半分が見る間に赤黒く腫れ上がっていく様は、かなり凄惨だ。 「私、恥ずかしい所が見えてしまうような走り方をするほど未熟者ではありませんわ。貴婦人としての嗜みを持っていますもの」 「嗜みを持つ貴婦人は夫を拳で殴るのかっ!?」 「日によりますわ」 アンシアはしれっとしたものである。 この女性は、本当にレオの居る世界では悲劇的な最期を迎えているのだろうか? 寧ろ、盗賊を返り討ちに遭わせていそうなのだが…。 「雨の予想確率のように殴られては困るっ!」 「では、私を怒らせないで下さいな?私…素敵な殿方にお会いできて気持ちが乙女のように弾んでおりましたのに、あなたのせいで雨に濡れた綿飴のようにその気持ちが萎んでしまいましたわ」 「そんな下らない乙女心など豪雨で熔け流してしまえっ!」 「んまっ!下らないですって?」 ガーン……ゲスッ! ……ゴッ! 見事なアッパーカットが決まった瞬間、ヴァルトラーナの身体は宙を舞い…あろうことか、天井にぶちあたったかと思うと、その反動も手伝って叩きつけるように床へと引き戻された。 凄まじい勢いで展開される夫婦喧嘩に、レオは《あわわ…》っと動揺しながらも見守るしかなかった。 「あらやだあなた…意識を失ってしまわれたの?どうしましょ!」 「取りあえず、襟元を締めるのを止めて差し上げてはどうでしょう?」 呆れ顔でヴォルフラムがアンシアの手を止めさせると、脱力しきった伯父の身体を抱きかかえて隣室に運んだ。 取りあえず、少し治癒をしてやるつもりなのだろう。 「邪魔者が居なくなったことですし、ゆっくりお話でもしましょうか?お茶を頂けますかしら?グレタ様」 「ええ、アンシア様…どうぞお座りになって」 グレタは清楚な風貌に似合わず、こういった展開に慣れているのだろうか? 何事も無かったようにアンシアを椅子に座らせると、侍女を呼んでお茶のお代わりを頼み、床についた血の痕をささっと拭き清めていた。 「随分賑やかでしたね」 「まあ!コンラート様っ!」 きゅるりんと少女のように頬を染めて、アンシアは立ち上がる。 廊下からコンラッドが姿を見せたのだ。 「お恥ずかしいわ、あの方ったら結婚しても相変わらず焼き餅焼きでやかましいの」 ほぅ…っと溜息をつく姿は艶かしい人妻の色香に満ちており、つい先刻…夫を血祭りに上げた人物には見えない。 「でも、愛しておられるのでしょう?」 「そうですわ。愛とは不思議なものですわね…」 本当に不思議だ。 常日頃から凄まじい殴打に晒されつつも、あの自尊心の高い男が離縁を申し出ないとは…余程アンシアを愛しているのだろう。 「うふふ…それにしても本当にそっくりだこと。ご親戚のようなものと伺いましたけど、言い難いことでしたら説明は結構ですわ」 アンシアの態度は確かに惚れ惚れするほど気っ風がよく、そこいらの男よりはよほど侠気に溢れている。 「あなたには知っておいて欲しいことです。ですが、今それをお伝えするわけにはいきません」 「…会議の席で話されることですのね?」 どうやら頭の切れる女性らしい。 ヴァルトラーナの妻とはいえ十貴族会議列席の資格を持たない彼女が、先に知ってはならない事なのだと察したのだろう。 それ以上は誰何する素振りも見せず、優雅な動作で席につくとカップを口に運んだ。 「では、待たせて頂きますわ」 「ええ…どうぞゆっくりなさって下さい」 『この女性が、ヴァルトラーナと結ばれなかった…悲劇の女性なのか…』 相変わらず、彼女とその悲劇性とは結びつきがたいが…それでも、武器を持った男達に集団で襲いかかられれば、幾ら拳闘家として類い希な才能を持っていても抗うことはできなかったのだろうか? 『この女性は…俺の住む世界では、もう居ない人なのだ…』 その事はとても残念だし、この女性がいないことでヴァルトラーナが受けた哀しみと衝撃もある程度推し量ることが出来るように思う。 何もかも違う価値観を持っていて、それでも尚…ヴァルトラーナを惚れ込ませていたのだろう、力強い魅力。 それが失われたとき、あの男の中で何かが壊れてしまったのだ。 そして…間隙を埋めるために没頭しようとしたのが権勢を追うことであり、混血を含めた人間を憎むことだったのではないか。 レオが眞王の勅令を得て王として君臨しようとしたとき、その能力や可能性などとは関係なくあの男は立ちはだかることだろう。 * * * 「何と…そっくりなものだな!」 「本当ですわ!何て可愛らしいのかしら!髪が長くて、まるで昔のコンラートのようだわっ!」 フォンシュピッツヴェーグ家の壮麗な馬車から降り立ったのは、シュトッフェルとツェツィーリエだった。 相変わらず尊大そうではあるが覇気に欠ける男は、幾分肩身がちいさいのか…険しい目線の三兄弟に晒されて口籠もる。不用意な発言をして吊し上げられたくないというところか。 そういえば、この男は蟄居を解かれたとはいえ…内乱を起こした首謀者として危険視されているのだ。 再び何か事を起こせば、今度こそ家門取り潰しという可能性もあるのだろう。 レオの世界に於ける権勢とは隔絶しているのだ。 「初めまして、レオンハルト・ライバークと申します」 妙な気分だ。 こうやって、良く見知っているけれど何処か異なる者達と、何度《初めまして》を交わすことになるのだろうか? 特に、相手が優しく愛らしいけれど…臣下としてのレオには何一つ報いることの無かった母なのだと思うと、何とも奇妙な心地がする。 向こうもそうなのだろうか? ツェツィーリエは子どものようにあどけなく…それでいて悩ましい垂れ目を瞬かせながら、じぃ…っとレオを見詰めている。 「不思議ねぇ…あなたを見ていると、とても懐かしいような感じさえするのよ?」 「そうですか?」 曖昧に濁しながらレオが答えると、困ったようなその顔を包み込むようにして両手が添えられる。 相変わらず良い香りがするその身体と…細く形良い指。 郷里でも、豪奢なその肉体は贅を尽くした手入れによって更に輝きを増しているのだろうか。 沢山の死体と血の上に築かれた、贅によって…。 瞬間…吐き気がして目元を眇めたら、哀しげに母の瞳が潤み…手が怯えたように離された。 「ごめんなさい…」 ツェツィーリエは両手を揉みしだいて口元に寄せ、長い睫を哀しげに伏せた。 思わぬ母の態度に、レオは動揺してしまう。 「…どう…なさいました?」 「どうしてかしらね…あなたを見ていると、やっぱり思い出すわ。荒んだ目をして…心も身体も傷だらけになった、戦争が終わったばかりの頃のコンラートみたいに見えるのよ。私のせいで、とても辛い想いをさせてしまったこの子に…良く似ているんだもの…」 ドクン…っと、胸が変な形で弾む。 ツェツィーリエは、これから別の世界で何が起こっているかを知るだろう。 今ここに存在する彼女のせいではないけれど、彼女が相変わらず《第26代魔王》のままであれば、当然訪れたであろう歴史を知ったとき…彼女はどう思うのだろうか? 傷ついては欲しくないと、思った。 無理な話だと分かってはいるけれど。 「…コンラートの傷は、癒えたのでしょう?」 「でも、傷は…なくならないわ」 「無くなりはしません。ですが…乗り越えることはできます」 自分自身に言い聞かせるように、レオは囁く。 そしてツェツィーリエに向かって手を伸ばした。 交わされた握手は心地よく、彼女の爪にはかつて盛り上がるほど飾られていた華や貴石はなく、ただ鮮やかな珊瑚色に塗られて居ただけであることに気付いた。 「どうかなさって?」 「爪を…以前は、もっと華やかに彩られていたと伺っていたので…」 「ああ、これね?そうなのよ…酔ったときにユーリ陛下を抱き寄せようとしたら、あの可愛らしい頬に疵をつけてしまったことがあったの…。そしたら、ユーリ陛下は《気にしないで》って言って下さったんだけど、コンラートが酷く心配して…塞ぎ込んでしまったのよ。それから、あまり色んなものをつけないようにして、先を丸く整えることにしたの」 「そうですか…」 この人も、少しずつではあるが…確かに成長しているのだ。 きっと、元から素直な気質は持っているのだろう。最初から…魔王になど指名されなければ、ただの華やかな女性としてその能力に見合った生涯を送ることが出来のだ。 そういう意味では、彼女もまた被害者と言える。 『開放してあげよう…』 世界開闢以来とも言える未曾有の危機の中で、嵐の中を漂う木の葉のように揺れているのだろう母と…巻き込まれている眞魔国の民の為に、自分に出来る何かをしていこう。 今はまだ、何が出来るのかは分からないけれど。 傷ついた心を振りかざして、膝をついているだけでは何も始まらないのだから…。 * * * その後も、招待を受けた大貴族達が次々に血盟城に入って来た。 フォンウィンコット卿オーディルに会ったときには思わず目元が潤んでしまい…まだ何も打ち明けていないというのに、何かを感じ取ったらしい老人にレオは強く抱きしめられた。 『君は、とても懐かしい感情を私に思い出させてくれる』 老いたりとはいえ矍鑠とした男の声は、生き生きと響いた。 * * * そして更に印象的だったのはフォングランツ卿アーダルベルトであった。 他の大貴族とは異なり供も連れずに単騎で訪れた彼は、あまりにも気安く有利やコンラッドに声を掛けていたので、《一度は人間世界に寝返った裏切り者が…》と、彼を白眼視する者にとっては面白くない光景を繰り広げていた。 だが、飄々としたこの男はそれに動じる風もなく、気の向いた話題を口にし、興味を引かれたレオをまじまじと見やった。 「ふぅん…良く似ているもんだな。ちぃ…っと、ウェラー卿に比べると擦れてない感じはするが」 「人をすれっからしの酒場女のように表現するのは感心しないな、アーダルベルト」 「酒場女だぁ?そんなイイもんかい。初な魔王陛下を巧みな性技で籠絡してるタラシのくせしてよ」 「人聞きの悪い…。深い愛によって結びついた恋人同士を捕まえて…」 「そういう切り返しがすぐにつくところが、お前さんの可愛くないところさ」 人の悪い笑みを浮かべて豪快に笑う男に、眞王廟で別れたときの影はない。 彼は有利の魂が自分の恋人のものであったことを知っているそうだが、そのことに頓着するような素振りも見せなかった。 この男は…別の世界で自分が恋人の魂に執心したことで何が起こったのか知ったとき、どのような反応を見せるのだろうか? 打ち拉がれる…とは想像もできないが、それでも何かを感じるのだろうか? 自分が…世界の崩壊を招いたかも知れないという可能性に、慄然とするのだろうか? 十貴族会議が…それぞれの思いをのせて、開催されようとしている…。 |