第二章 YーB







 はぁ……


 興奮のままに放った言葉を、俄に訪れた静寂の中でレオは反芻した。

 
『ならば、俺がやってやるっ!俺が…王となって眞魔国を変えてみせる……っ!!』


 まさか、自分がこんなに衝動的な男だとは思わなかった。
 大賢者にはまた嘲笑されるだろうか?

 しかし、見やった先で村田は席に戻っており…その表情には先程まで迸っていた激情も…嘲るような色も全く無かった。

 無色。

 今の彼の印象は、まさにその色だ。


「その言葉に、偽りはないね?」


 神のように厳かに…静謐(しず)かな問いかけが為されれば、決して嘘偽りは許さないという緊張感が、ぴりぴりとレオの肌合いを刺激した。

 しかし…その様な緊張感など、レオはこれまで幾度も乗り越えてきたではないか。

 何より、偽りを口にした覚えはない。
 例え馬鹿馬鹿しいと嘲笑われようとも、やってやる。
 
 これまでは偽りであった《反逆者》の汚名が真実に変わってしまうことになっても、もう…揺るがない。

 大賢者のささやかな好意など知ったことか。
 そんなもの無くても、この身に宿る力の全てを尽くして…戦い抜く。


「言を違えるつもりはない」


 独り立つ獅子は孤独だ。
 だが、独り立つ勇気もない獅子に誰がついていくだろう?

『俺は、自分自身の脚で立ち…闘おう』

 その確信がかちりとレオの中で固まった瞬間、村田は我が意を得たように微笑んだ。


 ほわりと…白い芙蓉が華開くような華麗な笑みに、一同は息を呑んで見惚れた。


 これが…先程まで意地悪な魔法使いよろしく、レオをねちねちと苛めていた少年だろうか?
 穢れなど一切感じさせぬ清らかな微笑みは、だが…一瞬にして姿を潜めると、今度は悪戯を成功させた子どものような笑みに取って代わるのだった。

「やっと誓ったね?では…僕たちも全力を尽くして協力することにしよう」
「はぁ〜…ドキドキしたぁ…。掴み合いの喧嘩になるかと思ったよ!」
 
 村田が機嫌良く頷くと、緊張の糸が切れたらしい有利がその横でくたりと脱力していた。
 先程は全く口を挟まなかったところから見て、このような展開になることを既に知らされていたのだろう。

「これは…策略ですか?」

 やや不機嫌そうにレオが唸ると、如何にも心外だと言いたげに村田が肩を竦める。

「誓いが欲しかったのさ、騙した訳じゃない。だって君、あそこまで追い込まなきゃ《王様になる》なんて誇大妄想じみた誓いなんか自分から立てないだろ?」
「それは…そうでしょうが……」
「こういうことは人に言われちゃうと《やらされ仕事》になるからね。誰のせいにも出来ない、自分からの積極的な誓約が必要だったのさ」

 ふぅ…っと息をつくと、村田は長い睫を静かに伏せた。
 
 村田はからかっているわけではなく…少なくとも真剣ではあるらしいが、その意図はまだレオには掴みきれない。

「俺に、王の資質があるとお考えなのですか?」
「あると信じたい…ってとこかな?少なくとも、僕は《ウェラー卿コンラート》という男を、渋谷さえいなければ王として立てる男だと信じる程度には買っているよ」
「先程は散々な言いぐさでしたが…」
「しょうがないだろ?君を乗せるためだもの」

 ぺろりと村田が舌を出すと、有利はぷぅ…っと唇を尖らせて苦言を述べた。

「それにしたって酷いよ…村田。俺、途中で聞いてて泣きそうになったよ?コンラッドをあんな風に言うなんて…」
「ユーリ…」

 努めて表情を平静に保っていたコンラッドも、拗ねて涙声になりかけている有利の様子を目にすると、こちらもちょっぴり眦を朱に染めてしまう。
 根も葉もない中傷というのならともかく、心当たりがありすぎるせいで…正直、相当に胸が痛いようだ。

「ま、実はあれも嘘ではないんだけどね。全く思ってもないことを口にしたって訳でもない」
「村田ー……」
「泣くなよ渋谷…僕がウェラー卿に腹を立てているのは過去の行状に対してだ。今のウェラー卿にはそれなりに満足しているよ」
「本当?」
「ああ。彼の夜の生態がエロ亭主だとしても、日中は君に対して新妻のように尽くしたいと思っていることは信じて良い。雄の権力欲を剥き出しにして《俺が眞魔国の王になる》なんて言いだしたら即刻死んだ方がマシって目に遭わせてあげるよ?」

 本当に遭わせること間違いなしなので恐ろしい。

「では、何故俺には王になることを勧められるのですか?」
「能力があるだけでは勧めないさ。こちらのウェラー卿はあくまで《臣下》だ。それがこちらの世界では最もしっくりくるし、お互いにとって幸福なことだ。だが、君はそうはいかない。あちらには渋谷は居ないんだからね。あちらの世界を変えていくには、君がうってつけなんだよ」
「本気で、レオが王になれると信じておられるのですか?」

 怪訝そうに眉根を寄せたのはグウェンダルである。
 


*  *  *




『一体…何を考えておられる?』

 グウェンダルは如何にも怪訝そうな顔をして、形良い指をがっしりと下顎に沿わせる。
 
「難しいと思うかい?」
「ええ…。レオは反逆者として追われる身であるのは勿論のこと、言い難い事ながら…混血です」

 その言葉に、レオとコンラッドは表情こそ変えなかったものの…深く感じるものがあることは確かであろう。

『彼らの前で指摘したい事項ではないが…どのみち、この問題点には気づいているだろう』

 混血であるが故に魔族の一市民として生きていくことさえ難しい状況下にあって、王として立とうとするレオをどれだけの者が支えようとするだろうか?

 レオが十一貴族に昇格しようとした時には、半分の大貴族が賛同してくれたそうだが…《王》として彼らの上に君臨しようとするのなら、話は全く違ってくるだろう。

 力量を高く買っていてくれたというフォンウィンコット卿オーディルでさえも、レオが《王になりたい》などと言い出せば失笑するか、心配だからこそ激しく叱責してくるかもしれない。

 グウェンダルもまた、そのような逆境に置かせたくないからこそ…断固として反対したいのだ。

「おや?君達の王は純血だとでも言うのかい?」

 村田がくすくすと笑みを零すと、グウェンダルは怪訝さの中に困惑を混ぜて唇を枉げた。

「混血とはいえ…ユーリ陛下には、絶大な魔力がありました。レオがコンラートと同様の性質を持つのであれば、魔力は持ち合わせないでしょう?」
「ふん…。魔力を持っていないと王になれないなどと誰が決めた?」

 尤もな指摘はしかし…村田によって軽くあしらわれてしまう。
 彼にとって、レオが魔力を持たない等と言うことは何の支障もないのだろうか?

「伝統的に、そう引き継がれてきました」
「伝統?…いや、全くね。やはり君は有能な官吏ではあるけれど、新時代を切り開くことは難しいね…フォンヴォルテール卿。まあ、渋谷がすぐに忘れてしまう《正論》というやつを思い出させてくれるには有り難い存在だけどさ。銀英伝に於けるムライのような存在だね、君は…」

 残念そうな村田の声にグウェンダルは恐縮する他ない。実際問題として、グウェンダルには村田の意図が全く読めないのだから…(ついでに、喩えに引き出された例も分からない)。

「渋谷が強い水系の魔力を持っていたことは、眞王にとっては計算外のことだったんだ。あれは自分自身の力というわけではなく、水の妖怪…《水蛇》に幼少のみぎりに惚れ込まれたせいだ」
「魔力持ちである必要すらなかったと?」
「そうさ…君達は、そもそも何故渋谷が《混血》なのか考えたことはあるのかい?」
「何故…ですと?それは、チキューでお育ちになられたからでは?」

 久し振りにギュンターが口を開くが、この言葉にも村田は嘆息を漏らした。

「おやおや、フォンクライスト卿…君までそんな調子なのかい?地球で育ったところで、あちらには少ないとはいえど…男女ともにそれなりの数の魔族がいるんだ。それが何故、わざわざ母親が人間である渋谷を選んだと思う?」

 改めて提示されたことで、初めてグウェンダル達は真剣にその理由を考え始めた。
 
『ユーリはたまたま混血であったわけではなく…混血だからこそ選ばれたというのか?』

 だとしたら、その意図は何だ?
 
「分からないかなぁ…四千年前とは違うんだよ?魔族と人間世界との関わりも、色々と変わってきているとは思わない?」
「もしや…法力に対抗できるからですか?」

 本気で不機嫌になりかけている村田に対して、発言したのはコンラッドだった。
 村田の漆黒の瞳がほんの少し…《分かっているじゃないか》と言いたげに笑む。

「そうさ。今の人間達は魔族の持つ魔力なんて恐れてはいない…。法石で囲まれただけで動けなくなってしまうような魔力持ちが、ここ近年の戦場で役に立ったことがあるかい?法石がなかったとしても、正直…君達の魔力なんてただの花火や水芸の域を出ないんだよ?魔力とは、渋谷の持つ四大要素や眞王級の力になって初めて戦術的な価値を持つんだ。寧ろ、魔力など持たなくても法石に動じることのない混血の方が余程役に立つ。人間世界で正体を知られることなく行動することが出来るからね」
「確かに…そうでしょうな……」

 憮然としつつも、グウェンダルは肯定せざるを得ない。
 眞魔国有数の魔力持ちと言われるグウェンダルやヴォルフラムでさえ、人間世界を行き来するだけで激しい苦痛に晒される。更に強力な法石に囲まれた日には、身じろぐことすら出来なくなってしまうのだ…。

 大量の法石を効果的に戦場で用いられれば、確かに純血魔族は無力化してしまうだろう。

「眞魔国国内でふんぞり返っているのなら問題はないけど、こと《禁忌の箱》の始末が至上命題になっている以上、純血よりも混血の方が都合が良かったのさ。なにしろ、地球の魔族が保管している《鏡の水底》以外は全て人間の国に押さえられていたんだからね」
「では、レオも混血だから王に据えたいと言われるのですか?ですが…そうだとしても、それだけで十貴族を納得させることは難しいでしょう」

 その十貴族の一人であるグウェンダルは尚も言い募る。

「おや?何故十貴族の承認など必要になるんだい?渋谷はそんなものの承認などなくとも魔王に就任できたよ?」
「それは眞王陛下の御指名があったからです」

 《眞王陛下のお墨付き》…それは良くも悪くも強力な決定力を持つ。
 その意向に逆らった者はいずれも悲惨な最期を遂げているからだ。

「そうさ…腐っても眞王。その影響力はこの国に於いて絶大な影響力を持つ。あちらでも…ね」
「お忘れですか?猊下…。あちらの世界の眞王陛下は発狂しておられるではありませんか」
「だが、そのことを知っているのはシュトッフェルと一部の貴族だけだ」
「勅令を捏造されるおつもりですか?」

 ある程度の効果は見込めるかも知れないが、あまりにも危険な賭だ。 

 眞王廟からの撤回が正式には入らないとはいえ…シュトッフェルは火になって否定するだろうし、反逆者に対する唐突な《魔王指名》はあまりにも信憑性を欠く。
 下手をすれば、レオに対して個人的には好意を持っていた者達の信頼さえ失う可能性があるではないか。

「私は反対です。レオは好ましい性質と高い資質の持ち主ではあるでしょう。そうであればこそ魔王などという過大な地位は狙わず、ウェラー領の地盤を固めて堅実に交渉を重ねていくという原案を、私は支持します」

 グウェンダルは声を強めて主張するが、村田はその勢いを打ち消すような態度で冷然と否定した。


「それでは間に合わない。まもなく、一年を待たずして…あちらの世界は完全に崩壊するからね」


 確信を込めた発言に、レオの顔色が変わった。

「確証はおありなのですか?」  
「ああ。君の話で眞王廟や眞魔国の状況は大体分かった。こちらの眞王にも聞いてみたが、やはりあちらの眞王廟はかなりの度合いで《鏡の水底》に侵されている」
「それは…チキューにあるという《禁忌の箱》では?人間の世界で開放されてしまった中には無かったかと…」
「開放された三つが呼びかけているんだよ。ギリギリまで眞王や巫女は食い止めようと頑張ってたみたいだけどね…眞王廟にある水盆から侵入されたんだ」
「あの…チキューと繋がっている水盆ですか?あそこから四つ目の箱の力が侵入していたなんて…。もし、食い止め切れずに四つの箱が反応し合ったら…」

 レオがぞっとして背筋を震わせる。
 おそらく…その日、世界は終焉を迎えるのだ。 

「それを、何とかして止めようとしたんだよ…。実際、彼らの努力は涙ぐましいばかりだよ。三つの箱が開放された際、人間の土地では凄まじい天変地異が続発したんだろう?」
「ええ…。7日間に渡って竜巻、津波、業火があらゆるものを飲み込んだと聞きます」
「何故、7日間で終わったか考えたことはあるかい?」
「もしや…眞王陛下のお力で…?」
「そうだ。溢れ出してくる創主の力を、何とか押さえ込んだんだよ。その負担が、自分を一層狂わせると知っていながらね…」

 異境に於けるかつての《支配者》をどう思っているのだろうか?村田の声は淡々としたもので、その感情を伺わせるものはない。
 ただ…その内容から察するに、やはり《分かって欲しい》との思いはあるのだろう。
 
 《力在る者》として全てを解決することを期待され、その身が死した後まで尽くし続けたその男の事を、忘れないで欲しい…。

 そう、思っているのかも知れない。

「だから、あちらの眞魔国を救いたいという渋谷の願いを叶えるためには、迅速かつ確実な方法を用いねばならない」
「虚偽を用いることが《迅速かつ確実》とは、私には思えません。どうしてもあちらの世界の崩壊が食い止められないのであれば、レオとギィにはこちらの世界で生活させるという選択肢もあるのではありませんか?」

 尚もグウェンダルは食い下がるが、これにはレオの方で否定を示した。

「申し訳ありません、フォンヴォルテール卿…。俺にその選択肢はありません」



*  *  *




 真心から出た言葉ということは分かっていても…レオには賛同できない。

『自分だけこんな豊かな国で暮らすなど、赦されることではないし…俺自身、そのようにして生きて行くことなど望まない』

 《お前はどうだ?》と、ギィに水を向ければ…こちらも当然のように頷く。

「どうにも死ななきゃならないとすれば、仲間と背中を合わせて死にたい。その時、担ぐ王が隊長だっていうなら、少なくともウェラー領に文句のある奴なんているもんか」

 ギィにとってレオの決断は喝采に値するものであったらしい。
 清々しい表情に迷いはなかった。

「おいおい…フォンヴォルテール卿、君…さっきから捏造だの虚偽だの、僕を詐欺師呼ばわりするのは止めてくれないかな?」
「……詐欺ではないと?」

 《呼び方の問題だけではないのか?》…そのように考えているらしいグウェンダルに、信用の色はない。

 大賢者が普段どういう実物と捉えられているかを如実に現すような反応だ。

「ああ、僕はねぇ…嘘とシリコン巨乳は大嫌いなのさ」
「村田、おっぱい星人なのに?」
「君…久し振りに口をきいたと思ったらその突っ込みかい?僕はお尻星人でもコリン星の住人でもないよ。君が女体化したときのおっぱいは、大きすぎない美乳で僕好みだったけどね。マシュマロみたいに柔らかそうだったし」
「ぎゃーっ!このセクハラ魔神っ!」

 有利が顔を真っ赤にして胸元を両手で隠すのだが…彼は女性になったことがあるのだろうか?
 うっかり現状を忘れて身を乗り出しかけたレオは、自分の行動を反芻した途端に頬を朱に染めた。

「困るなぁ…渋谷。今は大事な話をしているところだよ?女体化したときの君のお尻が小振りなのにぷりんっとしてて、思わず撫で回したくなるくらい弾力性に富んでいたことなんて思い出させないでよ」

 《思い出してもいいから、口に出さないで頂きたい》…詳細に思い描きそうになったレオは、眉間に皺を寄せることで真面目な顔を保とうとした。
 案外、グウェンダルが始終仏頂面をしているのも、こういう理由からではないのだろうか…。

「あのお尻…ウェラー卿には撫で回されるどころか、嘗め回されていたんだと思うと怒りが込み上げてくるなぁ……」
「げ…猊下……もうその辺にしておいて下さい……」

 性的な嗜好を暴露されて、コンラッドは目を泳がせている。
 嘗め回したのは勿論、他にも色々とやっていそうだ…。
 いま追求するようなことでは、本当に全くちっともないんだけども…………(←気にはなる)。

「ああ…ゴメンゴメン。何の話だったっけ?」
「レオの王様立候補が眞王の公認を取れるかって話だよ。なあ、みんな…村田は別に嘘偽りでレオを王様にしたいわけじゃないんだよ?本当に…眞王の指名を貰うつもりでいるんだ」

 有利は最初の内、ぽんぽんと飛び交う軽口の延長として話していたが…次第にその口調は、ゆっくりと…噛みしめるような発音に変わっていく。

 何か、重い物事に胸を塞がれているように…。

「だから、眞王陛下は発狂しておられると言ったばかりではないか」

 グウェンダルが苛立たしげにその点を指摘しようとするのだが、有利は困ったように瞼を伏せ…村田は理解の悪い子どもを相手にする教師のような顔で、《ぐるぅ》…と喉を鳴らした。

「もー、分かってるって」

 村田は細い腕をするりと有利の肩へと回すと、そっと引き寄せて頬を合わせた。
 そうすると、綺麗な仔猫めいた顔がきゅう…っと寄せ合わされて、何とも愛くるしい映像を投げかけるものだから、ギュンターなどは危うく間欠泉を吹き出すところであった。

 だが…その愛らしい唇から奏でられた言葉は、一瞬にしてその場の空気を凍らせるものであった…。



「だから、僕たちが命を賭けるんじゃないか」 





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