第二章 YーA 魔王陛下の居室を本日守護するのは、夜半過ぎまでは血盟城付きの衛兵である。 今のところ、コンラッドもヨザックもレオの部屋に行って話し合いをしているからだ。 村田は豪奢な客用寝室を独占することも出来るのだが、《あんな広い部屋に一人なんて寂しいじゃない》と言い張るので、血盟城に居るときは大抵魔王陛下の居室に上がり込む。 「レオとコンラッド…何か相談してるのかな…」 「どうだろうねぇ」 大きな寝台の上にころりと寝っ転がった双黒の少年達は、色違いのパジャマに身を包んで軽食を摘んでいる。 寝台の上で食べ物を口にするという習慣は如何なものかとは思うのだが、育ち盛りは食べ盛りな年代の二人(主としてムラケンズの眼鏡じゃない方)にとっては夕食から就寝までの時間は長いので、こうしてだべりながらモグモグやるのは至福の時間だ。 寝る前にはちゃんと敷布もはたくし、歯も磨くので許して欲しい。 「本家ウェラー卿が言っていたようなことで、元祖ウェラー卿は計画を立てているのかな?」 「多分…」 「《禁忌の箱》の始末と、郷土の復興か…こちらで魔石を集めるつもりかな?」 その対処は大筋では間違っていないのだろう。村田の声に馬鹿にしたような色はない。 だが…彼の中にはそれ以上の思惑があるのではないだろうか? 漆黒の瞳の奥で展開されているだろう思考の波を、自分にも分かるように説明して欲しくて有利は問いかけた。 「なあ…《禁忌の箱》の始末って、やっぱりモルギフで何とかなるのかな?」 「そうだね。今は別々の場所で開放されているから、一撃で…というわけには行かないだろうけど」 「あと、ボロボロになってる畑…作物だよね。飢饉に強い種類の麦まで芽吹かなくなってるそうなんだけど…春の内に戻れたら、夏とか秋に実るやつは何とかなったりするかな?」 「ある程度はね。ただ…その為には大量の魔力が必要だ。君の負担を最小限に抑えるためにも、こちらからの《持ち出し》魔力を出来る限り絞り出していくことと、あちらの聖域を利用することが重要だろうね」 村田は血盟城に到着するなり、グウェンダルの居室を通じてアニシナに手紙を送っていた。 コンラッドを地球に送ったときに使用した魔力増幅装置…《ぎゅんぎゅん吸い取る君VR6今日という日よさようなら号》を倉庫から出してメンテナンスしておくことを依頼したのだ。 おそらく…眞魔国の統治のために残留が必須となる人材で、魔力が高い者は概ねこの装置に搭乗することになるのだろう…。 彼らは前回も一応、この世に《さようなら》と言わずに済んだようだから、今回も大丈夫…と信じたいところだが、アニシナが妙な気を利かして《VR7》にバージョンアップしていたりすると、どうなるかは保証できない。 「あとさ、レオの疑いを晴らすためにはどうしたら良いんだろう?多分、順番としちゃあ…まずはそれだよね?そーでないと、幾ら《郷土の復興》だなんだって言ってても捕まっちゃうもんね」 「うん、それなんだけどさ…君、覚悟はあるかい?」 「覚悟…?」 脚を上げて勢いをつけた村田がくるんと身を起こすと、真っ直ぐに有利を見詰めた。 改めて覗き込むと、驚くほどに深い漆黒のその瞳は…軽い口調とは裏腹に、村田が怖いくらいに真剣なのだと教えてくれた。 突然、空気がきぃん…っと張りつめ、屋外を吹き抜けていく風の音が異様なほど大きく感じられた。 ザワワ…… ザァアアアアア……… 村田の形良い唇が開くと、そこから紡がれた言葉に…有利は暫く言葉を失うこととなった。 「僕と死ぬことになっても、後悔しない覚悟はあるかい?」 * * * ふわふわとした微睡みの中、有利は自分が夢を見ていることに気付いた。 地上数メートルの所を綿雲のように浮いている有利は、標識や陸橋と擦れ違っても《すぅ》…っと通り抜けてしまう。 『あー…夢か』 何となく覚えのある風景の中を、有利はぽんやりと流されていく。 ここは、地球…有利の故郷だ。 くるくると回転しながら大気の中を流されていくのは、慣れるとなかなか楽しい。 見知った景色が万華鏡のように姿を変え…目まぐるしく変わっていく様はとても綺麗だ。 『おりょ…』 気が付いたら、壁を擦り抜けて部屋の中に入ってしまった。 『あれ…?これって、村田?』 随分と幼いが…間違いなく村田と思しき幼児がぺたりとカーペットの上に座っている。 擦り抜けてしまうことを忘れて、肩を叩こうと伸ばした手が《すぅ》…っと村田の皮下に入り込んでぎょっとした。 …と、同時に…どぅ…どぅ……っと雪崩れ込んでくる映像の群に驚く。 基本的に、それは暗く重苦しい映像ばかりだった。 焦土を埋め尽くす中世風の鎧を着た兵士達の死骸。 十字架に掛けられて、石を投げつけられ…生きたまま火炙りに掛けられる女性達。 信じていた男に押し倒されて、泣き叫びながら犯される自分…。 『これって…村田の…記憶?』 古いフィルムの中を擦り抜けていくような感覚に、頭と目が酷く痛むのを感じた。 きっと、心も締めあげられている。 だって…その一つ一つの映像の中で感じた《想い》までもが流れ込んでくるのだ。 恐怖…嫌悪…痛み…… そんなものが綯い交ぜになった感覚が、ざらりとした不快な断面を押し当て…やわらかな身体の内側を否応なしに削っていく…っ! 『やだ…怖いよ、苦しい…っ!』 泣きそうになって喉元を掴んでいたら…不意に明るい映像が飛び込んできた。 ふんわりと微笑む可愛らしい幼女。 藍色と白で構成されたエプロンドレスを身に纏い、短かめの黒髪をちょっと無理矢理ツインテールにして藍色のリボンを結んだその子。 彼女の周りだけが暖かく、優しい雰囲気に包まれていた。 よく見ると…村田は手に持った写真を一心に見詰めることで、自分の中に渦巻く恐ろしい映像をはね除けようとしているらしい。 真っ青な顔をしているが…それでも、女の子の写真を見詰める眼差しはとてもとてもやわらかい…。 『村田…この子が好きなんだな?』 弾むような気持ちが呼応してきた。 《好き》…《大好き》… 《この子は、絶対に僕が護ってあげる》… 『そっかぁ…この子のために、頑張ろうって思えたんだな?』 友人の心を覗き見している申し訳なさと同時に、この少女の存在で幼い村田が励まされた事への喜びが沸き上がる。 『良かったねえ…良かった、村田…』 村田は、幸せになって良いんだよ。 もう、今まであった色んな事は忘れちゃって良いんだ。 村田健として、幸せになるんだよ…。 喜びの中でうんうんと頷いていたら、ふと…有利は少女の顔に見覚えがあることに気付いた。 『…………あれ?』 どこかで見たような…。 よく知っているような……。 あれは、誰だったろうか? そこで…ふわぁ……っと意識が引き上げられた。 * * * 「ゴメンね、僕の夢に…また巻き込んじゃったね?」 「あ…ゆ、め……」 寝汗を掻いた肌を清潔なタオルケットで拭われるが、村田の方が余程酷い汗を掻いているのに気付いて有利は跳ね起きた。 「お前、人の汗なんか拭いてる場合じゃないだろ!?酷い汗じゃん…」 「僕は、もう慣れたもの。それに…君が入り込んでくれたおかけで、今日はとても寝覚めが良かったんだ」 「そう…?」 有利は村田の首筋を伝う汗をタオルでごしごし拭いながら、ちょっと言い難げに口を開いた。 「なぁ…あの女の子の写真」 「やだなぁ、男の子だよ」 「…………………やっぱそーなの?」 がくりと有利の頚が下がる。 「つか、何でお前あんな写真持ってたんだよ!あれは門外不出の渋谷家の羞恥心…いや、悲壮感…」 動揺のあまり、流行りモノが色々混ざっている…。 「僕の主治医…ロドリゲスがくれたんだよ。入手ルートは教えてくれなかったけど…多分、渋谷勝馬氏は定期的に次代魔王の成育状況をボブに報告する義務があったから、そこから流れてきたんだろうね」 「お…オヤジ……よりにもよって何であんなの…っ!」 「多分、美子さんに押しつけられたんじゃないかな?でも…そのお陰で、僕は随分救われたんだよ」 「ふぅん…なら、良いけどさ」 有利はまだ何か不満そうに唇を尖らせていたけれど、村田の汗を一通り拭くまでは何も言わなかった。 「んー…も、ひとっ風呂浴びて着替えちゃう?」 「そうしようか」 するりとパジャマを脱ぐと、お互いの肌はしっとりと濡れていて…随分と汗を掻いていたのだと改めて確認することになる。 「村田は、いつもああいう夢観るの?」 「最近は、随分と減ったんだよ?」 以前、有利は自分の棺を運ぶ村田の夢に巻き込まれたことがある。 あれ以降減ったというのならそれは良いことなんだけど…減っていたのに、また観てしまったことには今の状況が大きく関わっているのだろう。 「……俺が空間の狭間でレオ達を拾ったって知ってから、また見始めたの?」 「…そうだね」 村田は、ほんの数日で随分痩せていた。 昨夜一緒に風呂に入ったときにも思ったけれど…寝汗を掻いた肌は青白く薄闇の中に浮かび、元々薄い胸壁にくっきりと肋骨が浮かぶ様は、どこか病的な印象を伺わせた。 「ゴメンな…多分、これからも暫くは見るよな?」 「いいさ。もう…決めたことだ。また君が助けてくれるのなら、あの夢もそう悪くはない」 現状を受け入れた村田が綺麗に笑うから、有利も微かに笑みを浮かべることが出来る。 「頑張ろうな…。最初の、一撃」 「ああ…それが全てを決める。難しい場合は可能な限り帰還できるようにするけど…多分、一度それをやってしまうと二度とその方法は使えない。気取られて、空間を移動中に撃墜される恐れもある。一発で決める覚悟がなければ、成し遂げることは難しい…」 「うん、やろう。準備を整えて…絶対に一発で決めるんだ」 「ああ…」 全裸の少年達は互いの指を絡め合い、決意を新たにした。 「…ねぇ、この事…コンラッドに打ち明けといても良い?」 とても重要な決断になってしまうから…コンラッドには、早めに伝えたい。 もしかしたら酷く反対されてしまうかも知れないけれど、それでも…分かって貰うまで話をしておきたい…。そう思ったのだが、村田は頚を否定の形に振った。 「駄目だよ。内緒にしておいて?」 「どうして?」 「仕返し…かな」 有利の唇が《むきゅ》…っと枉げられる。 「なんで?仕返しなんて…」 叩かれたのはコンラッドの方なのだから、寧ろ謝った方が良いのではないかと有利は思うのだが(考えても見れば、あの争いをギュンター辺りの前でやれば《すわ、求婚!?》と騒がれるところだ)…村田はコンラッドを認めているようで、常に何かを試さずにはいられないようだ。 「正確に言うと、《分かっていて欲しい》からだよ。君が…どれだけ危険な目に遭う可能性があるのか」 《だからこそ、早く知っておいて欲しいんじゃん…》そう思って、ぷくっと唇を尖らせていたら…村田は瞼を伏せて、掠れる声で囁いた。 「肌身に感じて狼狽えて欲しいんだ。僕だけが君を失う恐怖に怯えているなんて嫌だもん。僕は想いの量で僕に劣るような男に、君を渡したくはないんだよ」 「……それで、村田は満足できる?」 「多分。まぁ…彼の反応次第ではあるけどね」 村田の表情を見た瞬間、有利は諦めたように溜息を吐いて頷いた。 彼が嗤っていたのなら、きっとどうやってでも説得した。 けれど…村田は泣きそうな顔をしていた。 『ゴメン…コンラッド……』 有利は瞑目して謝罪の言葉を胸中に繰り返した。 深すぎる友人の思いを少しでも労る為に、どうか赦して欲しいと祈りながら…。 * * * 血盟城の会議室には、かつて特殊な《円卓》が置かれていた。 十貴族が囲み、魔王が囲まれるという《ハンカチ落としに於ける便所虫》のような配置があまりにも不条理だと有利が主張したため、円卓は改造されて上座に当たる位置に魔王陛下が腰を下ろすようになっている。 この日も有利が一際豪奢な席に着くと、その横に村田が座り、円周に沿ってグウェンダル、ギュンター、コンラッド、レオ、ギィが腰を下ろした。 ヴォルフラムが居ないのは、この事態の当事者ではないためである。彼はこの会談の後に予定されている(現在、魔王陛下の名において正式に書状を発送している)十貴族会議の場において、改めて話し合いに参加することになっている。 ヨザックはギィと相対する身であるので参加権利があるのだが、コンラッドが二人分の発言をしうると判断されて、その会議の警備に回っている。 ただ、彼はお庭番という特性に応じた守備位置に着いているため、話自体はこの部屋のどこかで聞いていることだろう。 「それじゃ…皆は既に耳にした話もあるかと思うけど、改めてレオに説明して貰います」 有利がそう切り出すと、レオがすらりと起立して語り始めた。 レオのいた眞魔国が置かれている状況。 その原因と思われる、こちらの世界との差違。 故郷の置かれた現状を回復させるために、必要と思われる方策…。 特に、最後の内容についてはレオがここ暫くの間に得た情報から導き出した、彼なりの《解決策》であった。 それによると、レオはギィと共にまず集められる限りの《魔石》…特に大地の力を持つものをこちらの眞魔国で回収してウェラー領に戻る。 そして特産の大麦を実らせて、その糧食と引き換えに眞魔国首脳と話し合いの席を設けて名誉回復を図る。 そして環境を整えたところで有利を迎え、やはり糧食と引き換えに人間の国と交渉して《禁忌の箱》に近づき、その処理を行う…。 華々しさはないが堅実な手法であると感じられる。 しかし、村田を納得させることは出来なかったようだ。 双黒の大賢者様は見るからに不機嫌な表情を浮かべると、神経質そうな仕草でトントンと机を叩いた。 レオは意識して不快さを顕さないように心がけていたので、外見上は平静そのものであったけれど…不安はどうしても胸中に滲む。 『何か大きな不満があるのか?なるべく…ユーリの身に危害が加わらないように配慮したつもりなんだが…』 「なるほどね…」 レオの思いを見透かすように、花弁のような村田の唇が声音を響かせる。 淡々としてはいるが…やはり、何処か不満げな色が滲んでいるようだ。 「食い詰めた国に対する食糧支援というのは僕の暮らす地球でも良く行われる、外交の常套手段だ。主に、国交が成立していない敵対国家から最低限の条件を引き出すための手法だがね」 「では…」 「方法自体は間違っていない。だが、君の案には甘さがある。その最たるものは、国の指導者をそのまま放置していることさ」 冷然とした双弁がレオを射抜くと、こちらの世界の長男次男も自責の念に眉根を寄せる。 それは…何をさておいてもまず何とかせねばならぬ事柄であるのに、どうしてもこの三兄弟が後回しにしてしまう事項だったからだ。 「母では…王として成り立たぬと…?」 「君だって分かっているだろう?シュピッツヴェーグの兄妹に、統治能力などありはしない。第26代魔王は、単に眞王が三兄弟を産ませるための《借り腹》として使ったに過ぎないのさ」 あからさまな侮蔑が混じるその言葉に、レオを含めた兄弟の頬が紅潮する。 禁忌の箱を始末する過程の終盤に於いて、彼らが薄々感じていたことを…村田はざくりと切り出して見せたのだ。 《禁忌の箱》の鍵としての存在…それが、眞王が求めたものだったのだろう。 第27代魔王…有利もまた、その鍵の一つとして用意され…更に、創主の器として利用された場合には、三兄弟との繋がりによって意識を繋ぐという計算だった筈だ。 極めて非人道的な…個体としての存在意義を無視した作戦。 更に苛立たしいことに…結果だけ見れば、その作戦は見事に的中して創主は討ち滅ぼされている。 「君が眞王の命令に逆らい、スザナ・ジュリアの魂を運ばなかった段階で、眞王と大賢者の仕組んだ計画は頓挫しているのさ」 「時を遡り、決断を下した瞬間を違えることは出来ないのですか?」 「出来るが、君の世界に影響は出ない」 「何故…?」 「分からないのかい?」 如何にも馬鹿にしたように嘲笑する村田に、レオは耐えた。 彼の懇意を得ることが出来なければ、故郷は滅びるしかないからだ。 今度こそ、レオは彼の思いのために世界を巻き込むことは出来ないのだ。 「この世界との差違を君は既に見ているはずだ。同じ要素を持っているのに、少しずつ違って…そして、今では大きな差違に発展している。遡って決断を変えたところで、君が《別の決断を下した世界》が一つ増えるだけだ。平行世界とは、そういうものなんだよ」 「分かりました…」 遡って歴史を変えることが出来たとしても、それは今現在危機に瀕している世界に繋がるわけではない…言われてみれば、確かにそういうものなのかもしれない。 あの決断を下した瞬間にレオだけが戻って、その時点の《ウェラー卿コンラート》を説得し…そいつが魂を無事に運んだとする。さて…その時、レオはどうすれば良いのか? その地点には別の《コンラート》がいるのだ!この世界に、似てはいるが全く異なる《コンラート》が居るのと同様に。 だとすれば、レオはそこで生きていくわけにはいかないではないか。 結局、《ああ、こっちではちゃんと運んでくれた》とささやかな満足感を得ながらも、レオ自身は彼が生きてきた時点まで戻るしか無いのだろう。何故なら、レオという存在が重複しないのは結局そこだけだからだ。 やはりレオは、レオが居た世界に戻っていくしかないのだ。 「いいかい?君の世界に於ける第26代魔王の役割は既に終わっているんだ。不発に終わった作戦の残り香など嗅いでいても仕方がない…。この状況を打開するためには、まず魔王をすげ替える事が必要になるのさ。そうでなければ、僕は決して渋谷を君の世界に送ることは出来ない。渋谷は巨大な王器を持つ男だ。滅びに瀕して強力な指導者を求める世界に赴いたりすれば、必ず王として擁立されてしまうからね」 「では、フォンヴォルテール卿を擁立します!」 ぴくりとグウェンダルの眉が跳ねた。 何か言いかけるが…村田の目線に制されて、言葉を紡ぐことはなかった。 「ふん…君はそうやって、無難な所を攻めていくんだね」 「フォンヴォルテール卿に何が不足していると仰るのですか?彼以上に次代の王に相応しい男を、俺は知りません」 「そこが君の世界の浅いところさ。フォンヴォルテール卿の統治能力は確かに高い。だが、彼の持つ能力は官僚のそれだ。少なくとも、乱世を乗り切る王器は持たない。そうだね?フォンヴォルテール卿」 「仰る通りかと…」 グウェンダルは特に不機嫌になるでもなく、同意を示すように頷いた。 彼は有利の代行として魔王業を勤めていたが、その間、一度として魔王になろうとしたことはないという。 《私はどうやらそういう器ではないらしい》…その言葉を謙遜と感じたのは、レオの誤りであったのだろうか? 「フォンヴォルテール卿は変化の少ない歴史の中で王になるのであれば、まずまず名君と呼ばれるだろう。だが、既成概念を越えて大きな変化をもたらすことは不可能だ。これは善悪の問題ではなく、それぞれ個々の魔族が持つ器の問題なんだよ。君はそれが分からないのならともかく、分かっているのに認めていないんだ」 「何故そんなことがお分かりになるのですか?」 「基本的な気質は本家ウェラー卿と一緒だからね、分かるさ…。君は敵対する者には容赦ないが、自分が愛する者との争いを徹底的に避けようとする。常に愛する者を立て、自分は裏方に回ろうとするんだ。それは美質に見えるが、実のところ…相手の能力に応じてそうしているわけではなく、単に愛情故の盲目から出ている場合には有害とさえ言える」 「ですが、俺は別の歴史を辿った別の男です。こちらのウェラー卿コンラートと全く同一の人物というわけではない!」 コンラッドは確かに正しい選択を為して運命を美しい方向に導いたかも知れない。だが、長所も短所も同一視されることは、個体としての誇りを持つレオには耐え難い屈辱であった。 《どうせ同じだろう?》…そう、嘲られ…レオという個人を無視されているように感じるからだ。 血の気が登り始めると、レオの琥珀色の瞳は殆ど金に近い光を帯び…長いダークブラウンの頭髪は揺れて…獅子の如く彼を彩る。 「どこにその違いを主張できる?僕が見る限り、君は本家ウェラー卿と全くの同一さ。自分よりも大きなものを見つけて取り憑き、勝手に夢を託す大馬鹿野郎だ。期待された方の苦痛も知らず、《あなたの幸せのために》等と負担を押しつけてくる無責任な男だ。結局君は、国のため…民のためと言いながら、それを全て自分で背負っていくだけの度胸も勇気もない小者なんだ」 村田もまた感情が高まってきたのだろうか…全身で嫌悪を露わにすると、立ち上がって高らかに哄笑した。 「何が《ルッテンベルクの獅子》だ…嗤わせるね!」 その言葉が投じられた途端…レオの中で何かが弾けた。 《ルッテンベルク》…それは、彼にとっての象徴であった。 彼が護り、愛し…育み…この戦力をもって眞魔国を守り抜こうと誓った、決意そのものであった。 《ルッテンベルクの獅子》の名は、虚名であるかも知れない。 レオ自身は本当は…唯の弱虫で、愚かな男であるのかも知れない。 だが、その名を他人に嗤わせることだけはするものか。 その名を穢されることは、《ルッテンベルク》を支えてきた仲間達をも侮辱されるのと同じだからだ。 瞬間…体腔内に渦巻くマグマのような猛りが、噴き上げるような勢いでレオの喉を突いた…っ! 「ならば、俺がやってやるっ!」 轟くような叫びが迸るのを、止めることは出来なかった。 「俺が…王となって眞魔国を変えてみせる……っ!!」 獅子吼が、会議室の壁をびりびりと震わせ…。 この時…歴史が動いた。 |