第二章 VーD









「そこで問題です」
「……は?」

 集中して聞き入っていたレオは、突然の出題に対応できずにぽかんと口を開けてしまった。
 この男にこれほどの不意打ちを食らわすことが出来る者はそうはいないだろう。

「ここまでの俺の行動には大きな問題点がありました。特に重要な過失について論述しなさい」

 レオの驚愕を置いてけぼりに、コンラッドは大まじめな顔をして問題文を読み上げた。

「いや…あの……え?」
「ほら、早く」
「ええと…それは、その…指示通りに箱の処理が出来なかったことか?」

 狼狽えながらも、急かされるとついつい真っ当に考えて答えてしまう。

「ブッブー、大はずれ」
「……………正解は?」

 からかわれているのかと思ってレオは憮然としたが、何故だかコンラッドの瞳には痛みを帯びた哀しみの影があって…喉元まで出掛かった文句が嚥下されていく。

「分からないかな?」
「ああ…」

 コンラッドは瞼を伏せ、一拍おいてからたとえ話を始めた。
 
「では、自分とユーリの立場を置き換えて想像してみたらどうだ?今まで蕩けるほど溺愛されていて、毎日《コンラッド大好き》《あんた以外の奴なんて目に入らないよ》なんて言われて過ごしていたのに、急にいなくなって生死も分からぬ状態になったかと思いきや、敵地で再会したユーリは見知らぬ男達と一緒にいて…《必ずしもあんたが最高の男って訳じゃないんだよ》と嘲笑するんだ」
「………………辛いな」

 なんだかもう、想像するだけで泣きそうだ。

「その挙げ句…自分のために身を犠牲にしていたことが分かった途端、目の前で矢に貫かれながら微笑んで…《ゴメンね…愛してるよ》と囁いてがくりと意識を失うんだ……」
「………………………………想像するだけで胸が潰れそうだ………」
「だろう?」

 コンラッドは苦笑の形に口角を釣り上げたけれども、笑いきれずに薄く開かれた唇はそのまま深い溜息を漏らしてしまう。

「同じ事を、俺はユーリにした。誰よりも大切にしたい人なのに…誰よりも深く、残酷に傷つけてしまった」

 月明かりに照らされたコンラッドの頬は無機質な白さを呈し、琥珀色の瞳の上へと落ちかかる睫が微かに震えた。
 
「しかも俺は、それだけのことをしてもまだ分からなかった。何本かの矢を受けて意識を失った俺は眞魔国に搬送されたが、意識が戻るとすぐにそこから逃げようとした」
「ユーリのもとに帰ることが、居たたまれなかったからか?」
「そうだ。それに…俺の身には、その当時唯一正しい鍵として認知されていた《左腕》があった。この危険極まりない代物を身につけたまま、ユーリの傍にいることは出来ないと思ったんだ。かといって、あれだけ派手に裏切っては大シマロンにも戻れない…なら、せめて鍵である自分を始末しようと思ったんだ。ジュリアと同じ方法で…」
「……っ!」



 スザナ・ジュリアは戦地で命を失うに際して、親友であるギーゼラにその身を完全に焼灼し切ってしまい、灰もまた跡形もなく処分してくれと依頼していた。
 その身が、《ウィンコットの毒》として悪用されないように…。

 コンラッドもまた、同じ選択をしようとしたのか。



「だが、ユーリは追ってきた。縋って…頼むから傍にいてくれと子どものように泣いた。俺は、死ねなかった…。死なずに…ユーリの傍で、ユーリの幸せの為に生きる方法を新たに模索しようとした」
「上手くいったのか?」
「…………顔を見れば分かるだろう?大失敗だった……」

 コンラッドは潰れた饅頭みたいな顔をして、ぐったりと枕に顔を埋めた。

「はりきって仕事をして…何とかユーリの傍にいても不審に思われないくらいに周囲の信頼を勝ち得ようと必死だった。そして…ユーリを更に傷つけていった」
「傷ついた?何故…」
「まだ分からない?」
「ああ…」

 一度は主に剣を向けた男が、許されたからと言ってひょいひょいと側近面をしていれば、どうしたって風当たりはきつかろう。
 当然のように傍へと侍るためには、まずは自分の地盤作りをしなくてはなるまい。

「俺自身が何を思ってそんな行動をしているのか、何一つユーリに説明してあげなかったからだよ」
「それは…そんなにも重要なことだろうか?」

 まだ納得いかないという風に小首を傾げるレオに、コンラッドは深みのある笑みを浮かべて肩を竦めた。

「とても大切なことだよ。少なくとも…ユーリにとって、それは凄まじい苦痛だったんだ。精神的な負荷によって…消化管から出血してしまうほどに…」

 血を吐いたのか…あの子が。
 いつでも天真爛漫な笑顔を浮かべているようなユーリが、そこまで追い込まれてしまうなんて…。

「何故…そんなことまで俺に話してくれるんだ?」

 先程から、コンラッドは随分と饒舌だ。
 おそらく、誰に対しても…いつもこのような調子であるはずがない。
 彼は別の歴史を辿ったとはいえど、根っこの所ではレオと同じ素材を持つ男なのだから。


「あんたが、ユーリを愛しているからさ」


 つるっと…何でもないことのように言われて、暫く反応に困った。
 気付いているだろうとは思っていたが…面と向かって指摘されるとは思っていなかった。

「…………何故、分かっていてここまで内情を明かすんだ?」

 純粋な惚気話で、《お前に付け入る隙はないのだ》と提示される方がまだ納得いく。
 コンラッドの話は、自分がユーリの恋人として問題あり過ぎな過去を、よりにもよって恋敵に暴露しているのである。

「俺と同じ失敗をして、ユーリを傷つけさせない為さ」

 くすりとコンラッドは苦笑した。

「俺も…おそらくはあんたも、《ユーリの幸せ》が本当はどんな形なのかということよりも、《俺が思うユーリの幸せ》を押しつけがちなんだよ。あんたもさっき言っていたろう?《どちらが幸せかは、本人にしか分からない》と…。ユーリを想うなら、本当に大切にすべきはそこなんだと知って欲しいんだ」
「だから…自分の失敗を教えてくれたのか?」
「そうだよ」
「……あんたは、俺があんたと同じように変わることを望んでいるのか?」
「まさか!あんたは俺のようになりたいかい?」
「悔しいが…幾らか、そういう気持ちはある。正直…あんたとユーリの話に加われなくて時々、本気で寂しいんだ…」

 本当に正直な意見がぽろりと零れて、自分でも驚いてしまう。
 どうやら、レオは随分とこの異世界の自分に気心が知れてしまったらしい。

「言ったろ?俺はあんたに同じ轍を踏んで欲しくないだけだ。俺と全く同じようになって欲しい訳じゃない。寧ろ、なって貰っては困る」
「何故?」

 レオの問いかけに対して、コンラッドは真顔で答えた。

「キャラが被ると困るんだ」
「…………頼む。俺に分かる言葉で話してくれ……」

 ……レオは頭を抱えてしまう。

「あんたはあんたとして面白い個性を持っているから、その線で押した方が良い。俺が今ユーリに受けているからと言って、同一キャラで押すのは戦略ミスだ。芸人として大成できないからやめておいた方が良い」
「芸人を目指した覚えはないんだが…」
「ほら、あんたはそういうクソ真面目な返答が面白いじゃないか」

 くすくすと笑うコンラッドはやたらと包容力を見せつけてくれるから、レオは悔しい反面…少しくすぐったいような気分を味わう。
 仲の良い兄弟にからかわれているような気分だ。

「芸風は大事だぞ?多分、ユーリにとっても俺達のもつ印象は違う。当然、押していくべき売りも変わってくるさ」
「芸風はさておき、それはまぁ…印象は違うだろな。別に何を売ろうとしているわけでもないが…」
「ああ。ユーリにとって俺の印象は《抱きしめて欲しい男》だが、あんたは《抱きしめてあげたい男》だ。多分」
「喧嘩売ってるのか?」

 確かに、人生最下層の苦しみに押し潰されそうになっていたとき、心ごと包み込むように抱きしめてくれたあの腕の優しさを否定するわけではない。
 だが…男として(いや、有利も男なんだが)、やはり目指すべきは《抱きしめて欲しい男》だろう。

 そういえば…コンラッドは有利とレオが一夜を共にしたことについて鋼を責め(?)はしたものの、当事者に対してはお咎め無しであった。
 それは…ひょっとして……

「俺に怒らなかったのは…安全な男だから、一晩だけは寝ても許してやろうと思ったのか…?」

 男として矜持を傷つけられたような心地になって、レオは唇をへの字に枉げてしまう。
 本人に自覚は全くないが…その表情は、兄に拗ねてみせる弟のそれであった。

「その夜はどうせ何もなかったんだろ?性的な意味では」
「ああ…残念ながらね」
「だが、あんたにとっては生涯を分ける重要な夜だったんだろう?だから、四の五の言ったりはしないさ。責めたりしてはユーリが可哀想だ」
「………」

 何もかもお見通しという訳か…。
 どうも、コンラッドと居るとレオは父のことを思い出してしまう。  



 どこか生真面目で融通が利かない息子を見て、父はよく笑っていたものだ。

『可愛いなあ〜お前は!一体誰に似たんだろうな?俺とツェリよりも、グウェンの奴に似たところが多いぞ?』

 野性味の強い豪放な父は、まだ華奢だった息子の身体を抱き込んでは、ぐるんぐるんと振り回したものだった。

 コンラッドの成育状況から鑑みるに、似てないようで…レオにもまた、父と同じ性質が宿っているのだろうか?
 《キャラが被ると困る》と意味不明なことをコンラッドは言うが、出来うることなら…レオもまた父のようになりたいと思うのだが…。



「さ…そろそろ寝ないか?急がなくても、俺達はまだ色んな話が出来るはずだ」

 ふぁ…っと欠伸を漏らすコンラッドに、レオも頷いた。

 目が醒めたら、またユーリやコンラッドと会話が出来る。
 その事を、何だかとても嬉しいと思いながら…。



*  *  *




 翌日、目覚めたコンラッド達を待っていたのは完全に出来上がったオカマ三人だった。
 何故かフルメイクを施したギィとヨザック、そしてヒト型をとった鋼が露出度の高いドレスに身を包んでおり、大股を広げて酒瓶を抱えたまま泥酔していたのである。

 筋骨隆々とした長身の男三人が組んずほぐれつ転がっている様は何とも凄まじい…。

「うわぁ…グリ江ちゃんってば、官能的というか……」
「いえ、ユーリ…あれは官能的と言うよりは、悪寒が走るので今すぐお棺に納めたいという感じですね」
「…ええと…それは駄洒落?」
 
 呆れ果てる二人とは対象的に、レオは眠る友人の顔がえらく幸せそうなことに気付いていた。
 それに、彼は任務で背中や腿に大きな痂皮が出来てからというものの、決してこういった服を着ることはなかったのだが…今日はどうしたのだろうか?

「おい、ヨザ…見苦しいから早く起きて身繕いをしろ!」
「ぁあ〜ん…いま良い夢見てたのにさ〜…」
「んぁー…?ぁ〜あ、朝かー…」
「ぅわ…顔がゴビゴビする…」
 
 飲んだくれ三人は起き出してくると、完璧に毛剃りのなされた脇を思う様かっぴろげて大きく伸びを打った。

「あー…いっけね。勢いで化粧したまま寝ちまったか」
「やーん、お肌が荒れちゃう〜。ギィ、これ貸してあげるからあんたも落としなさいよ」
「あいよー」

 妙に気心が知れた感じのヨザックはギィに化粧落としのオイルと石鹸を渡すと、自分もいそいそと浴室に向かった。
 取り残された鋼は化粧まではさせられていなかったらしく、もそもそとドレスを脱いで、ヒト型に戻ったときのために買って貰っていた服へと袖を通した。
 やっとヒト型を取れるようになったというのに、二日酔いのせいか顔色は冴えないようだ。

「あれ…?あの二人、昨日まですんごい仲が悪かったのに…どうしたんだろ。鋼、知ってる?」
「ああ、俺が部屋に戻った時には喧嘩してたんだがな。急にヨザックの奴が自分の荷物から化粧箱やら衣装やら取りだしてな?気が付いたら意気投合して酒盛り始めたんだよ。そしたら、有利の力が戻ってきたせいか、俺がヒト型取れるようになってよう…」

 鋼はちょっぴり遠い目をして窓の外を眺めた。
 なにか、無くしてはならないものを失ったらしい。

「女装…無理矢理させられたんだ……」
「おうよ…」

 袖口で目元を擦りながら、鋼はまた窓に懐いた。
 
「あいつがまた女装をするなんてな…どういう心境の変化なんだか」
「え?レオ…ギィは女装しないの?」
「前はよくしてたんだけどね…任務で毒を受けて目や背中に痂皮が出来てからは、好みの恰好が出来ないとかいって着なくなったんで、平和だったんだが…」
「かひ?」
「ケロイドの事でしょう。ある種の毒は、広範囲の皮膚に不可逆性の傷を残すことがありますからね」
「ふぅん…そういえば、ギィのドレスは少し変わってたね」
 
 背中や腿に濃い色のレースを掛けてあったが、鮮やかな色彩のドレスと相まって色味的にはなかなか素敵だった。
 筋肉スキーの有利だから、素敵だと思うのかも知れないが…。

 四人は何だかよく分からないながらも、ヨザック達が戻ってくるまでお茶を飲んで待つことになった。



*  *  *




 とぷとぷとぷ…

 化粧落としのオイルを掌に満たすと、とろりとした質感の黄色い液が朝日を受けてきらきらと光る。
 その液体を顔に掛けようとして…ギィは鏡を覗き込んだまま暫く見入っていた。

 久し振りに施した化粧は、流石に白粉のノリが悪くなってしまったようだが…それでも、血色を明るく見せる頬紅と鮮やかに彩色された唇、幾重にもマスカラを重ねた睫は往年の迫力(…)を蘇らせていた。

 痂皮の残る目元には上手く髪を垂らし、じゃらじゃらと雫のように垂れ下がる髪飾りとも相まって、違和感なくギィを装わせていた。

『ふん…良い腕じゃねえか…』

 昨夜、レオと有利とコンラッドが三人で寝室に入ってしまった後、自分の部屋に戻ろうとしたギィをヨザックが止めた。

『俺達があんまり険悪にしてると、坊ちゃんが気にするからな。友好的…とまでは行かなくても、平和的な無関心位には昇格しとこうぜ』

 自分と同じ素材だとは思えないような発言に、馬鹿にしたような視線を送れば…案の定頭に来たらしいヨザックはギィの襟元に掴みかかってきた。

『テメェ…なんだってそう協力性に欠けんだよ。ちっとは坊ちゃんの精神衛生確保に努めろやゴルァ…っ!』
『お前こそ、なんだってそうユーリ万歳なんだよ』

 喧嘩腰で始まった問答だったが…ヨザックが《有り難く聞きやがれ》と始めた話を、ギィは思いのほか大人しく聞いた。
 
 最初は、コンラッドに対する拘りもあって反感が強かったこと…。
 危険な目に遭わせられたと知っていた筈のユーリから、魔剣の石を委ねられたこと。
 そして…傷口が腐食していく毒から救って貰ったこと…。


 毒の話を聞き終えたギィは、驚くヨザックの前で突然服を脱ぎだしたのだった。

『…そいつは……』
『お前がやられたのと同じ毒だ。羨ましいこった…お前は、魔王陛下自ら救ってくれたんだな…』

 皮肉げなギィの微笑みをどう思ったのか、ヨザックは荷物の中から化粧道具を取り出すと、半ば無理矢理彩色しようとした。
 嫌がるギィを押さえつけて、ヨザックは言ったのだ。

『…ったく。工夫がねぇんだよ、テメェにはよ!』
『なんだと…?』
『痂皮があるだ?目が潰れてるだ?そんなことで女装も出来なくなっちまうなんて、お前にはオカマ魂が無いのかよ?』
『いや、オカマ魂はねぇよ…』
『良いから大人しくしてろっ!綺麗にしてやんよ』

 口は悪くとも、ヨザックの声がどこか優しげだったものだから…そのままギィは身を任せてしまった。
 そして暫くされるがままにコーディネイトされたギィは、痂皮を隠すだけでなく、逆にスパイスとして用いることで艶やかな装いを施されたのである。

 言葉はなかった。

 ただ、鏡に見入るギィを満足そうに見守ってから、ヨザックはやはり何も言わずに自分も化粧を始めた。
そしてどこからせしめてきたものやら、大量の酒瓶を抱えてきて、丁度帰ってきた鋼も交えて酒盛りを始めたのだった。

 そして、互いの国の話だの、コンラッドとレオの話だの、有利の話だのに花を咲かせて一夜を過ごした。



『ふん…こうまでされて突っかかってちゃあ、俺の方が度量を疑われるじゃねぇか』

 ギィはぽとぽとと指の間から落ち始めたオイルを丁寧に掬い上げると、メイクの上にとろかしていった。
 くるくるとオイルと化粧とが混じり合い、その姿を歪めていくことを少し寂しいと感じながらも、ギィの口元には微笑みがあった。

 

  


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