第二章 UーC







 その男は…恐ろしいほどレオによく似た面差しと体躯の持ち主であった。
 平凡な旅装に包まれたその身体からは、卓越した武人としての風格が漂っている。

 頭に被っていたフードを後方へと引き降ろしたことで、ダークブラウンの頭髪を襟足部分で短く刈り込んでいるのが判別できた。
 髪型が異なる分、多少風貌から受ける印象が変わる。

 男の身体には戦闘でついたと思しき傷が数多く見られたが…特に、右眉の端に刻まれた傷痕がレオの目を引いた。

『あんた、眉の傷どーしちゃったの!?』

 昨日の朝(ああ、そうだ…あれは、ほんの数十時間前のことなのだ)、有利がレオの顔を撫でつけながら叫んでいたことが思い出される。

『この男が…こちらの世界の《ウェラー卿コンラート》…《コンラッド》なのか…!』

 おそらく、間違いない。
 二人は凍れる彫像の様に立ち竦み、互いにどう出るべきかを伺っていた。
 まるで、武道家の立ち会いのような間合いであった。

 しかし…突如として硬直を解かれたコンラッドの動作は、迅雷の素早さを見せた。

「何をしている!?」

 コンラッドが声を向けた方向に、は…っとレオも視線を送ると…鋼が《三歩あるくと面倒ごとに巻き込まれる》と表現していた有利が、数歩離れた場所で人相の悪い男達に囲まれていた。
 小さな子どもがその男の一人に当たったのか、食べ物のソースか何かで服が汚れている。
 その子どもが叩かれそうになっているのを、有利が庇っているらしい。

 どうしてそう…一瞬にして、お話に出てくるような典型的事例に巻き込まれるのだろうか…。

「…コンラッド!?」

 思わず…といった具合に叫ぶ有利をその体躯で隠すようにして、コンラッドは男達の前に立つ。

「洗濯代だ。とっておけ」

 緊迫する男達に向けてコンラッドは笑顔を浮かべると、幾らか小銭を渡す。
 世慣れた男の動作である。

 ただ…その笑顔の背後には《ごねたら殺す》と描かれたオーラが立ち上ってはいたのだけど…。 

 案の定、男達は恐縮しきって小股に駆けていった。
 何かが縮み上がってしまったらしい…。

「全く…あなたって人は相変わらず色んな事に巻き込まれますね…」
「ゴメンな…コンラッド。心配した?」

 有利は言葉の中に色んな感情を満たして、コンラッドを見つめた。この二日間にレオとの間にあったことと、彼とを重ねているのかも知れない。

「ええ…それはもう。ユーリが熱を出している…俺とヨザックに似た男達をユーリが拾った…と、蝶に聞かされたときには、心底肝が冷えました」

『あれがそうですか?』

 そう言いたげに向けられた視線には好奇心しかなく、特に敵意は感じられない。
 
『……敵視するところまで、危機感を覚えなかったということか?』

 矜持を傷つけられた思いがしてレオは内心憮然としてしまうが、訓練の行き届いた表情筋はコンラッドと同様、友好的な好奇心のみを浮かべてみせる。
 ひょっとすると、相手も同様の対処をしているのかも知れないが。

「あなたが《コンラッド》殿ですか?ユーリには大変お世話になりました、レオンハルトと申します。どうぞ…レオとお呼び下さい」
「いや、敬語など結構ですよ。なるほど…俺によく似ている。レオ…こちらこそ体調が悪い陛…いえ、ユーリの面倒を見ていただいて助かりました」

 《陛下》と言いかけたところですかさず手の甲を抓られ、コンラッドはくすぐったそうに苦笑した。まるで、子猫を構って引っかかれた飼い主のような顔だ。
 《可愛くてたまらない》…甘やかな淡紅色のオーラに、レオのこめかみがぴくりと震える。

 その反応に気づいているのかいないのか…相変わらず友好的な笑みを浮かべたコンラッドは何気ない口調でレオに問いかけてきた。

「父君のお名前はパンジャですか?」
「…………は?いえ…」

 レオは思わずきょとんとしてしまうが、有利の方は先程拗ねていたことをすっかり忘れたみたいに《ぷふっ!》…っと吹き出してしまう。

「やっぱ分かるんだー!NASAの科学技術恐るべしだよね!あ、ちなみにレオって言うのは俺が住んでる国の《ジャングル大帝》って話に出で来る白いライオンでね?パンジャはその父親なんだよ。ちなみに、俺が好きな野球チームのイメージキャラクターでもあるんだ!」

 有利が気を使って解説してくれるのだが、分からない単語が増えただけだった。

「レオ、レオ、パンジャの仔〜♪というのが主題歌でしたよね」
「うっわー、凄いよコンラッド!無駄に良い声だし、ネイティブの昭和人みたい!村田級だよねっ!」
「……………すみません、調子に乗りすぎました」
「あれ?何でそこで落ち込むのコンラッド」
「すみません、落ち込んだことを猊下にばらすのも止めてください」

 何だろう…この会話……。
 レオはすっかり疎外感を覚えてしまい、小石をかつんと蹴りたい衝動に駆られてしまった。
 気分は夕焼けの中、一人親のお迎えがない子ども状態だ。

「それにしても…血盟城からここまで結構距離があるって聞いてたんだけど…よく2日で来れたねぇ!」
「ええ…通常だとどんなに馬をとばしても5日は掛かると聞いたので、射出して貰いました」
「…………射出って言った?今……」
「ええ…アニシナの道具の射程距離圏内だったんですよ…幸い」

 《幸い》ならどうして唇を噛み締めて空を見つめるのか。
 そして、微妙に身体が傾(かし)いでいるのはどういうわけなのか。 

「ご…ご苦労様です…。じゃあ、ギーゼラさんは?」
「幾らギーゼラとはいえ、女性にあの装置は…」
「ええと…その、《幾らギーゼラ》っていう表現も言っちゃ駄目だよね?」
「ええ、駄目です」

 何故そこで深く頷き合うのだろうか。
 ギーゼラはスザナ・ジュリアの親友で、女傑だとは聞いているが…アニシナに近い何かを孕んでいるのだろうか?
 
「ギーゼラは早駆けの名手ですから、明後日くらいには到着すると思いますよ。ヨザは俺の後に射出された筈なんですけどね…。さて、どこに飛ばされたんだろう?」
「相変わらずデンジェラスだよね…」

 顔色が色んな意味で悪くなってしまう有利の頬を、気遣わしげにコンラッドの手が撫でた。

「それにしても…思ったより元気で良かったような悪かったような…」
「元気で悪いって何だよー」
「……元気だから、こんな格好をしてお祭りに出ちゃったんでしょう?」

 《ふぅー》…コンラッドの嘆息は深く、長かった。

「ぁう…っ!」

 痛いところを突かれて、有利が絶句してしまう。

「うう…でも、よく俺ってすぐに分かったね?こんな格好だし、ショール被ってたし、夜だったのに…」
「あなたの気配くらい読めなくて、ウェラー卿コンラートはやってられませんよ。」

 甘やかに琥珀色の瞳を煌めかせれば、お日様に透かした蜂蜜のような光沢が有利の心をときめかせてしまう。
 見ているレオは胸灼けしそうになってしまうが…。

『うーん…端(はた)で客観的に見ていると、甘い雰囲気を出している自分の姿というのはかなり気恥ずかしいな……』

 嫉妬というよりも、そんな感慨を抱いてしまうレオだった。   

「そーだ!ちょっと夜店で旨そうなもん買い込んだら宿に戻ろうよ!あのさ、コンラッド!!めちゃめちゃ深刻な事態が発生してんだよっ!こんなとこで油売ってる場合じゃないんだ!」
「だったら《ちょっと夜店で旨そうなもん買い込》むのをやめませんか」
「いや、そこは削除出来ないんだよ!分かるだろ!?お祭りなんだよ!?」
「いや…まあ、分かりますけどね?ええ……」

 半眼で変な汗をかいているコンラッドと、大真面目な顔をしてすっとぼけている有利は妙に良いコンビだ。

 先程までのレオと有利が切ない恋愛演劇だとすれば、今のコンラッドと有利のそれは夫婦漫談に近い。
 親密さで言えば後者が上なのだろうが、果たしてそれがレオの目指すべき道なのかどうか確信が持てなかった。

 結局…コンラッドとレオは両手にいっぱいに軽食を買い込んで、帰途に就くことになったのであった。



*  *  *




『確かに…そっくりだな』

 コンラッドはちらりと横目でレオの姿を確認しながら、石畳の上を慎重に歩いていく。レオを気に掛けながらも、それ以上に危なっかしい主へと意識を寄せていなくてはならないからだ。
 彼は、機敏なくせに何もないところで転ぶという特技を持っているのだから…。

『さて、こいつはどういう男なんだろう?』

 有利が《めちゃめちゃ深刻な事態》と呼んでいたことが何なのかは分からない。
 宿に戻って、落ち着いてから話をすることになっている。
 だが…鋭敏なコンラッドの感受装置は、このレオと呼ばれる男が自分に《似すぎている》ことに鈍感ではいられなかった。

 以前も、地球で土の要素を操るエルンスト・フォーゲルと顔を合わせたときには、容貌が似通っていることに驚きはした。

 だが…彼とコンラッドとの相似は…強すぎる。

 内在する要素があまりにも共通しているのだ。
 ふとした仕草…物腰…。物音や気配に対する眼差しの配り方。
 そういったものに鋭敏なコンラッドだからこそ、恐ろしいほどの相似に気づくのである。

 間違いなく、相手も同じ事を考えているに違いない。

『厄介なことになったものだ』

 単純な好奇心と友好的な態度など、どうせコンラッドと同様見せかけのものだろう。
 レオは、おそらく己の自律神経や表情筋まで完璧にコントロールできるタイプだ。

 それでもコンラッドがあからさまに警戒を示さないのには理由がある。
 
『こいつは、ユーリに惹かれている。少なくとも…危害をくわえる意図はない』

 前者だけならば余計に警戒を強めただろうが…不思議なことに、この男は有利に対する物腰までがコンラッドと一緒なのだ。
 
 断っておくが、今のコンラッドに似ているのではない。
 今のコンラッド級の馴れ馴れしさを持っていたら、物陰に引きずり込んでそのまま地獄行きの特急券を握らせているところだ。

 似ているというのは、昔のコンラッドに…という意味である。

『惚れていて…惹かれすぎて、手が出せないタイプだな?』

 送る眼差しの切なさから察するに、恐らく初めてこんな想いを抱いたのではないだろうか?
 今までコントロールしてきた意識が有利の前ではてんでばらばらに動作してしまい、戸惑いを隠せない…そんな感じだ。

『何というか…自分が脱したはずの青春の甘酸っぱさを、マントのようにはためかせた自分を見ているような…そんな気恥ずかしさがあるな』

 レオの方ではどう思っているのか…時折有利とコンラッドが会話を交わすと、嫉妬というには微妙な半笑いか苦笑を浮かべている。

『…………あっちはあっちで…周りが見えないラブラブ新婚夫婦をみるような、居たたまれなさを感じているような気がするな…』

「どうかしたの?」
「いえ、レオがあんまり俺に似ているので…生き別れの双子の兄弟だったりすると、往年の時代物少女漫画みたいで面白いかな…と。俺が一応元王子様ですから、あっちは海賊王の息子とか…」
「ゴメン…白い獅子ネタ以外だと俺、昭和までは遡れないんだよね。血盟城に村田を呼んだらそういう話してあげてよ。喜ぶから」
「喜びますかねぇ……」
「喜ぶよぅ〜。ただ、途中から流石のあんたも付いてけないくらいのネタに入り込んで、《分かりません》って言うと、《つまんない男だね、君は》って冷え冷えと言われる可能性はあるけどね」
「………じゃあ、嫌です」

 …またしても、レオは寂しいのか居たたまれないのか、よく分からない顔をしている。
 この親しげな態度で《先手をとった》と主張するには、心許ないコンラッドであった。



*  *  *




 有利達が東海道中膝栗毛も吃驚の帰路を経ている間、ギィの元には来客が訪れていた。
 
「ギィ様、お客様がお見えなんですが…」
「…あぁ?客ぅ?」

 恐る恐る…という感じで宿屋の老人(青年は祭に繰り出してしまったらしい)が声を掛けてくると、ギィは薄く扉を開いて外の様子を伺った。
 彼を狙う者がこの世界にいるとは思えないが、つい習慣で何時でも防御態勢をとれるように腰の剣を掴む。レオが町で手に入れてきたなまくら刀だが、無いよりはましだ。

「よぉ、お・は・つー!」

 扉の隙間から顔を覗かせた男に、ギィは目を剥いた。
 老人の方は面倒ごとに巻き込まれてはならじと、関節痛を感じさせぬ速度でそそくさと退散してしまう。

「お前…《ヨザック》か?」

 そこにいたのは逞しい上腕をこれ見よがしに露出させた、《グリエ・ヨザック》と思しき男であった。
 
 どうやらギィの下情報を少しは持っているらしく、あからさまに驚いたりはしないのだが…その分、じろじろと値踏みするような視線が癇に障った。
 
「ご名答。あんたは一体何なんだ?それよか…こうして双子ちゃんみたいな俺たちが狭い隙間越しに話をするのも何じゃない?入れてくれよ。ここに…陛下もいらっしゃるんだろう?」
「入れよ…ただ、坊やはいないぜ」

 《坊や》という呼び名に、ヨザックはカチンと来たのかぴくりと眦を震わせる。

「…随分と馴れ馴れしい口を利くもんだな…陛下を治癒でへとへとにさせて、お熱まで出させたくせしてよぉ…感謝の気持ちってモノ持ってんのか?…ぁあ?」
「こっちじゃ魔王陛下でも、俺にとっちゃタダの坊やだ」

 本当はそれだけではないのだが…何となく強く出られたことへの反発、そして深酒のしすぎで頭が痛いこと等々が手伝って、急激にギィの感情は煮え滾ってしまう。

「ほぉ〜お?タダの坊やねぇ…じゃあ、陛下はすぐに連れて帰るぜ。お前はこの町で勝手に管巻いてろや…俺や隊長に似せた姿で、陛下を惑わせてんじゃねぇよ」

 なるほど、このヨザックは先入観を強く持っているらしい。
 《コンラートとヨザックに似た男》と聞いた段階で、あの人の良い有利が良からぬ陰謀に巻き込まれかけているとでも思ったのだろう。

 結果的には、確かに間違っていない。

 難しくはあるだろうが…それでも、ギィはレオの腕に有利を堕として、自分たちの世界に連れ帰りたいのだ。

「それを判断するのはあの坊やだろう?それこそ…魔王陛下の御意志に逆らうのかい?」

 我ながら嫌な言い方だ。
 ヨザックの眼光が見る間に凶暴性を増していく。
 
「何を企んでやがる?」
「多くの民の幸せさを祈ってんのさ」

 あながち、嘘ではない。
 あくまでギィの側の世界について言えば…の話だが。

「世界なら、あの方は何度も救ってる。いい加減食傷気味だろうさ。テメェの小汚い領土の事なんざ、自前で何とかしろや…この玉無し野郎!」

 ヨザックはギィをどこかの地方貴族とでも思ったのかも知れない。何かを想定して険悪な表情を強める。
 向き合うギィの感情もまた無駄にヒートアップしてしまう。ついつい…思ってもないような言葉が口をついて出てしまうほどに…。

「だったら、ついでに俺等の国も救ってくれよ。あの可愛いツラでよ…竿でも舐めながら《お願い》なんておねだりすりゃあ、大抵の奴が言うこと聞いてくれそうだぜ。…なあ、あんたも一度くらいはしゃぶって貰ったのかい?その腐れチンコをよ」

 ギィン…っ!

 鞘走った二本の剣が灯火を反射して鈍い光を放ち、ギリギリと軋りながら鐔元で鬩ぎ合う様が互いの力量を教えていた。
 互いに人体の急所を知り尽くした男達が、煮え滾る闘志をぶつけて獣じみた笑みを交わす。

「犯ってねぇのか?この甲斐性なし」
「陛下はなぁ…テメェみたいな奴には言葉ででも穢されちゃなんないお方なんだよ。その下劣な舌、ぶった切ってやるから今すぐ出しな。タン塩にしてやるぜっ!」


「何してんのっ!?」    


 切羽詰まった叫びに打たれて、二人は反射的に廊下を見やる。
 スカートの裾を両手でたくし上げた有利が、だかだかと二人の元へ駆け寄って来るではないか。

「坊ちゃ…」

 ヨザックの一瞬の隙を狙ってギィの手首が返されるが、手に持っていた物が彼の愛剣でなかったことが災いした。
 根本からバキリと折れた刀身は勢いよく空中を跳ね飛ばされ…よりにもよって駆け込んできた有利の額へと突き進んだのである。

「わ…っ!」

 両手を顔の前に翳して屈もうとするが、間に合わな…っ!

 …という間一髪のところで、有利の前に二本の腕が伸びる。

「う…わ……っ」

 ぺたん…と腰を抜かしてしまった有利の目の前で、見事にコンラッドとレオの手が折れた刀身を掴んでいた。
 
「わ…わ、二人とも手ぇ離して!け、怪我してるよ…!すぐ治…っ」
「掠り傷です」
「君が手を煩わすほどの傷じゃない」

 あわあわと涙目になってしまう有利へと、サラウンド効果を利かせながら囁くと…

 ゆっくり……二人の顔が前方に向き直る。
 その顔は、荒ぶる神を想起させる凄絶さに満ちていた。

「………で?」
「どういう事なのか説明して貰おうか?」

 ヨザックとギィは真っ青になったまま…殆ど無意識のうちに互いの両手を握り合っていた……。






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