U.収穫祭






 妖怪、高柳鋼は焦っていた。

 有利の部屋の前で丸まって一夜を過ごした彼は、朝の眩しい日差しを受けて目を覚まし、扉を開いて…そこに有利が居ない事にやっと気付いた。
 青くなった鋼がもしやと思いながら駆けていった先はレオの部屋で…鍵の掛かっていたその扉を肉球のついた前足でぽむぽむと叩いた。

「誰だ?」
「俺だよ、鋼だ!なあ、有利を知らねぇか?」
「ああ…知ってるよ」

 焦った鋼の声とは対照的に、妙に清々しい声音でレオが答えたかと思うと、扉はあっさりと開かれた。

「…ぉ…?」
「どうかしたのか?」
「いや……」

 扉の脇に佇むレオは夜着には着替えておらず、昨夜風呂上がりに身につけていたシャツをそのまま着込んでいた。
 白いシャツには寝皺がついており、幾らか草臥れていたのだが…微かに寝癖の跳ねるダークブラウンの髪と共に、明け初めし陽の光に照らされて何とも柔らかな印象を持っていた。

 昨夜の衝撃を考えれば、さぞかし激情しているか…さもなくば虚脱しきって思考力を失っているかと思われたのだが、涼やかなレオの顔には安らぎがあった。

 動揺を抑えるための仮面の様な冷静さではなく、厳しすぎる現実を受け入れてなお立ち続けていられる強さを、彼は持っているのだろうか?

『いや…強いというよりも……』

 靱(つよ)いと表現した方が適切なのかも知れない。
 昨日出会ったばかりの鋼がこのようなことを言うのも何だが、それでも…一夜にして彼の印象は随分と変わった。

 昨日の彼は、何処か張りつめたような強さの持ち主であった。
 衝撃に耐えて耐えて…ある日、ばきりと折れてしまうのではないかという不安を感じさせる、強さとは裏腹な脆さも感じる青年だった。

 けれど、今はどうだろう?
 
『こいつは、しなやかになった』

 衝撃をそのまま喰らうのではなく、かといって逃げてしまうのではなく、柔軟に受け止めて伸びやかに対応する…そんなしなやかさを帯びているように思う。

『へぇ…』

 ちょっと、本気で惚れてしまいそうだ。
 
 だが…ときめきメモリアろうとした鋼は、次の瞬間ひっくり返りそうになってしまった。

「ん…」
「有利ーっっ!!なんでそこで寝てんのーっっ!?」

 だかだかとフローリングの板に爪を滑らせながら駆け寄ると、寝台の上でうにゃ…っと寝とぼけている少年を見つけてしまった。
 しかも…掛け布団の乱れ具合から伺うに、先程まで有利の横にはレオが寝ていたはずだ。

『嫌ぁぁあああ……っ!!』

 殺される。
 絶対コンラートに殺される!

 背後に瘴気を漂わせた独特の笑顔が、脳裏をグルグルと回る…。

「んー…鋼さん、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもあるかぁぁっ!何でこんなトコで寝てんだよぉおっ!」
「あー……」

 鋼の監視をかいくぐって窓から侵入した事をようやく思い出したらしい…。有利はへにょ…っと申し訳なさそうな顔をすると、もじもじしながら頭を下げた。

「ご…ゴメンね?どうしてもレオと話がしたかったんで、窓から移動してったんだ。んで、危うく落ちかけたところをレオに助けて貰って…色々話したりしてそのまま寝ちゃった」

 《てへ》…っとでも言いたげな語尾に、鋼はでろりと床面に頽(くずお)れてしまう。

「あーん…?何やってんだお前ら」

 騒ぎを聞きつけたギィも、入り口の扉に凭れるようにして声を掛けてきた。
 眼帯に覆われていない方の瞳は気怠げに淀んでおり、放つ息からかなりの酒を呑んでいたのだと予想される。
 
 しかし、レオの凛とした立ち姿を目にしたギィは、鋼と同様にぱかりと瞼を開大させたかと思うと…じわりとニヤついていくのだった。

「…どうした?」
「いや、何でもねぇよ」

 ギィは寝台脇へと大股に近寄っていくと有利の肩口に鼻先を埋め、獣じみた仕草でくんくんと嗅いで再びニヤリと笑った。    

「ハガネ、心配するこたぁねぇよ。こいつら、実に健康的にただ寝てただけだ」
「…何が?何の心配してたの鋼さん」

 きょとりと三角口になる有利を恨めしげに見上げながら、鋼は実に言いにくそうにもごもごと牙を軋ませた。

「いや…だってよ……」
「よぉ…実際問題、お前さん…婚約者殿とは何処までいってんだ?清い身体なわけかい?」
「へぁっ!?」

 ぷにりとパジャマ越しに胸の尖りを押さえつけられて、有利は寝台の上でひっくり返ってしまった。

「にゃにゃにゃにゃにおぅ〜!?」
「あーあ、こんな素朴な反応示すようじゃあ、綺麗な身体なのかな?」
「え…えぇ!?え…エッチしてるかどうかってこと?」
「……エッチ?」

 聞き慣れない言葉に戸惑うが、有利の表情からいって意味合いはギィが考えているものと一緒なのだと思う。

「フツーの恋人同士がする様な、夜の営みをしてますカー?って事だよ」
「ゃ……やって
……」

 顔を真っ赤にして、語尾を段々小さくしながらも明瞭に認めてしまった瞬間、レオが壁に激突した。

「どうしたのレオさん!?」
「何でもない……………………」

 何でもないにしては、何故そんなに空虚な顔をしているのだろうか?
 水平面から70°程度の角度で、壁に凭れたままつっかい棒みたいな形状になっている。

「え…本当に?やってんのか?唇ひっつけるだけとかじゃねぇぞ?」
「えと…その……わりと色々……やってるかも………コンラッドって、エッチ濃いから……」

 どんどん真っ赤になっていく有利は、何か色々と思い出してしまったらしく…ばふっと枕に顔を埋めてのたうち回ってしまった。

「ぅもーっ!ナニ言わすかなっ!」

 あんたもナニ言い出すかな。

『ぁあ〜…。生気を取り戻してた奴が灰になりかけてるぞー…』

 鋼とギィは、気の毒そうにレオを見詰めていた……。    

「しかしさぁ…ユーリ、お前さんはその恋人と同じツラしたレオと寝て、何で平気なわけ?欲情したりしないのか?」
「そう言えばそうだよねぇ…」

 自分でも不思議なのか、有利はきょとりと小首を傾げた。
 異なる歴史を刻んだせいか、素材は同じでも個性に差違を生じているらしい二人。彼らの特に大きな違いは何だろうか?

「うーん…でも、そう言えばコンラッドと一緒の時も、そーゆーコトしそうな雰囲気にならないと、そのまんま安心しきって寝ちゃうこと多いんだよね、俺…。他の男友達とかだと幾ら仲が良くても抱き合って寝ることとかないのに、コンラッドやレオとだと抱きしめられてすっぽり収まる感じが安心できるというか…」
「要するに、レオと一緒に寝てると安心しきっちまって、性的な気持ちになったりはしないと…」
「うん、そういうことみたい。やっぱレオが俺にそーゆーエロい気持ち持ってないからじゃない?俺みたいな儒子をどうこうしたいなんて、ちょっとマニアックな趣味だもん。ボンキュッバーンな女の人相手ならともかく、俺相手じゃあ会ってすぐにそんな気になったりはしないよね?」

 信頼しきった仔犬のような双弁に見詰められて、《実は一発やらしてくれるんじゃないかと期待した瞬間がありました》とは間違っても口に出来ない。

「そう…だね……」
「ほら、やっぱりね!レオってなんか清潔感あるもんね。あ…コンラッドが不潔って意味じゃないよ?」

 曖昧な返事を寄越すレオに、有利はにぱりと笑って手を叩いた。
 
「良かったなぁ…清潔感あるってよ?」
「信頼して貰えて光栄だよ……」

 ギィの言葉に、レオは引きつった笑みを返すほかなかった…。
  


*  *  *




「よぉ、方策は決まったのかい?隊長」
「いや、全然?」

 有利が鋼を伴って、ぽてぽてと自分の部屋に帰っていった後…ギィは相変わらずのニヤニヤ顔でレオへと語りかけた。
 
「ふぅん…それにしちゃあすっきりした顔してるじゃないか。身体の方はちっともすっきりしなかったらしいのにさ」
「お前…ほとほと下品だな」
「お育ちが良いもんでね」

 ソファにだらしなく凭れ掛かったギィは、気怠げに伸びを打つと眼帯に覆われていない方の瞼をゆっくりと閉じた。
 離れていてすら酒臭い身体は、昨夜よほど酒量を過ごしたものと知れる。

「随分呑んだみたいだな。まだ治ってないのに…傷に障るぞ?」
「昨日はもう、どうにもならないんじゃないかと思っちまったからな…自棄酒だよ」
「お前にしては、随分と珍しい…」
「ああ…そうさ、初めてだよ。こんなのは…」
 
 レオとは異なり、湯を使うことの出来なかったギィは濡れタオルで身体を拭いただけであり、無精髭が顎を覆っている。そのじゃりじゃりとした感触を確かめるように掌で下顎をなぞると、彼にしては珍しい、心細そうな表情を掠めさせた。

「俺は…結構ふてぶてしいタチだと思ってたんだけどな」
「まるで自分が繊細なような言い方だな」
「極端に走るなよ。思ってたよりは…ふてぶてしさが足りないと思ったのさ。俺は…結局の所あんたに頼り切ってたんだと自覚したんだ」
「それはまた…」

 妙な感じだ。
 この男が自分の心情を赤裸々に語ることは、例え相手がレオであっても希少な事例と言える。

「どういった心境なんだ?えらく殊勝だな」
「昨日…な。あの坊やに言われたんだよ。《レオについてなくて良いの?》…ってな。俺は反射的に断った。そんなことをすりゃあ、余計にあいつが辛いってな。だが…あの子は、あんたのとこに行ったんだな」
「ああ…窓の外にある柵を伝って上がってきたんだ。しかも、手を滑らせて危うく落ちるところだった…!吃驚したよ…何もかも、吹き飛んでしまうくらいにな」

 くすくすと堪えきれないように笑う顔は不思議なくらい清々しくて、ギィは眩しいものを見るような眼差しを向ける。

「凄い子だな…。あんな事があった翌日に、あんたをそんな風に笑わせてやれるんだな」
「ああ…そうだな。凄い子だよ」

 頷いてから、レオは悪戯っぽい顔つきでギィに尋ねた。

「あの子が、昨日俺に何をしてくれたと思う?」
「大人の意味合いで寝た…てワケじゃなさそうだったな」
「抱きしめて、《生きててくれて、ありがとう》って…言ってくれたんだ」
「そりゃあ…また……」

 衝撃が…ギィを貫く。
 レオの口調とその内容から、彼が昨夜…何をしようとしたかを直感したのだ。

 可能性の一つとして考えてはいたのだが…やはり、レオは自決を考えていたのではないだろうか?
 有利の様子からいって、その場に思いっきり居合わせてしまった訳ではないだろうが…彼の出現がレオの意志を挫いたのは間違いない。


「嬉しかった…」


 琥珀色の瞳に浮かぶものに、ギィは戸惑うように喉のつかえを感じた。
 レオは泣きそうな…それでいて、えらく嬉しそうな顔をしていたのだった。

『こいつは…洒落にならないくらい真剣に、あの坊やに惚れちまったのか?』

 多分、その事をレオもまた自覚し始めたのだろう。
 だが…真剣に想えば想うほど、悲劇に繋がるとしか思えない。
 恋敵は、自分自身なのだから…。

 おそらくは、それが分かっていてもレオは《嬉しい》のだろう。
 それほどに、この男は全面的な許容に飢えていたのかと思うと…ギィは息苦しいような心地を覚える。

『当然と言やぁ、当然か……』

 実際…彼を取り巻く人々は、彼を憎むにせよ愛するにせよ、彼が何者であるかに大きな影響を受けていた。
 《混血》《成り上がり》…《英雄》《智者》……それらの肩書きは彼を型造る一因ではあるけれど、全てではないはずなのに。
 丸ごとの彼をありのまま受け入れてくれた者が、果たしていただろうか?

「嬉しかった…嬉しかったんだよ」
「そうか…」 

 下肢を一度上げ、勢いをつけて立ち上がると…ギィは荒々しくレオの身体を抱き寄せて、ごつんとその胸板に頭を埋めた。

「あのさ…後出しで格好悪ぃけど…俺も、お前が生きててくれて嬉しいんだぜ?」
「……ありがとう…と、言うべきかな?」
 
 あまりにも珍しい…この男からのストレートな表現に、レオは柑橘皮の飛沫を浴びた猫のように面食らってしまう。

『飲み過ぎたのは…逃げたからだ。あんまりにもデカすぎる重荷に耐えきれなかった時、こいつが潰れちまう姿を見ることに耐えられなかったからだ』

 もしかしたら自害を企てるのではないかと予想もしていたのに、そこまで追いつめられたこの男を救い上げる自信がなかった。

 ギィにとって、何時だって《ウェラー卿コンラート》は輝ける星であったのだ。
 その星が《死にたい》と言いだしたとき、何と言って止めて良いのか分からなかった。

 だからといって、どうして放っておくことが出来たのだろう?
 自分にとって、この男はそれだけの存在だったろうか?
 
 格好良くて、正しくて、強くなければ認められないような存在だったろうか?
 英雄でなくたって、失敗したって…大事な男であることに違いはないというのに。

『テメェは這い蹲ってでも命根性汚く生き延びようと思ってるのに…こいつにはそれを赦さないなんて…どうして思えたんだろう?』

 肌合いから伝わる、低めの体温がギィには堪らなく切ない。
 彼が生きていることに、深く感謝を捧げたい。

「生きてる…あんた、生きてんだなぁ……」

 痛いくらいの強さで抱きしめながら絞り出すようにそう呟くギィに、レオは何も言わず、唯…ぽんぽんと背を叩いた。

 昨夜、自分がそうされたように…
 幼子が、母や父にして貰うように…。

  

*  *  *




 朝食をとった後、再び治癒者が来て癒しの手を翳してくれると、有利達はまた少し回復することが出来た。
 有利もレオと共にぐっすりと眠ったのが良かったのか、かなり回復してきたらしく顔色が良くなってきた。

 しかし、元気になると途端に動き出したくなるのが有利である。
 《迎えが来るまでは大人しくしていろ》と鋼に言い含められて、午前中はなんとか宿の中にいたものの…窓の外を覗いているうちに、祭りの準備に心ときめかせ始めてしまった。

「わー…洋燈や灯籠が綺麗だなぁ!お祭りって今日の夜だっけ?」

 昼ご飯を持ってきた宿の青年が、誇らしげに胸を張ると饒舌に喋り始めた。

「ええ、近隣の村からも人が集まってきて、そりゃあ賑やかになるんですよ?娘達は銘々趣向を凝らして《豊穣の精霊》に扮装するんです。村の特産果実や華で冠を作ったり、衣装に飾り付けて大広場で踊るんですよ。どうでしょう、良かったら陛下も参加なされては?みんな、魔王陛下が収穫祭に参加されると噂して、随分と盛り上がっているんですよ?衣装でしたら、それらしいものをこちらでご用意しますが…」
「おいおい…お前さん、有利のことを辺りに触れ回っちゃいねぇだろうな?」

 鋼が胡乱げに睨め付けると、《グルル》…っと喉奥で唸る声に宿の青年はびくびくと背筋を震わせたが、自分のせいにされてはならじと必死で言い訳をした。

「い…いえいえ!私はそんな…ただ、村の入り口で子ども達に会われましたでしょう?それに、この宿に入られるまでもその双黒の美麗なお姿を目にした者達がおりますから、それはもう…各家庭や酒場で触れ回ったのでしょうね。この村どころか、近隣の村々にも噂が流布しているようですよ?」
「うー…ああ…。そうか、そうだよな」

 何しろ有利の体調が優れず、日も暮れかけていたから焦っていたのだ。本来なら染め粉か何かで髪だけでも隠せれば良かったのだろうが、希少な双黒を露わにして村に入ったのだから、広告塔を掲示しているも同然であった。

『うう…俺はウェラーの旦那にどんな目に遭わされるんだろう……』

 ちょっと泣きたい気分の鋼に向けて…これまた不安をそそるような映像が送り込まれる。

 椅子にちょこんと座った有利が、両手を顎の辺りで組み合わせ…上目づかいに、じぃ…っと鋼を見ているのだ。

「ねぇ…ちょっとだけ、お祭り会場とか見に行っても良い?」
「……ダメ…」
「ねー…お願い!あんたの傍から離れないから!」
「信じられねぇ。俺ぁこれ以上点数を下げたくねーんだ。今だって失策続きで、ウェラーの旦那にどんな目に遭わされるか分かんねぇんだからな!」
「コンラッドには俺から言うから!ね…お願いっ!」
「う…ぅう〜…そういう目で俺を見るなぁ……」

 有利は鋼がこのおねだりアイズに弱いことに気づき始めたらしく、潤み気味の黒瞳をきらきらと輝かせながら、ちょん…っと小首を傾げて頼み込むのだ。

「まあ、祭りぐらい良いじゃないか。ここは平和な町で、ユーリは敬愛されているんだろう?」

 レオが応援を始めてくれると、《きゃうー》っとでも言いたげな眼差しで有利が見詰めてくる。

「そりゃまぁそうなんだけど…」
「なら、鬘か何かで風貌を変えてみてはどうだ?なあ、そういう衣装を貸してくれるんだろう?」
「ええ、そりゃあもう!」

 そういう企てが好きな達らしい宿の青年、わくわくして早速廊下に出て行った。

「ねー、気をつけるから!」
「ううう……」 
 
 外堀まで埋められた鋼に、これ以上抵抗する術はなかった…。






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