第1章 WーB 「隊長…!」 4人の旅団長の顔に、一斉に活気が蘇ってくる。 ウェラー卿コンラート…ルッテンベルク師団長閣下は、やはりこの事態を想定していたのだ。 それを裏付けるように、コンラートは手首を閃かすと細身のナイフをヴァルトラーナに投げつけ、彼がそれを防ごうと構えた瞬間…一気に突撃してシュトッフェルを拘束した。 「摂政殿の頚を掻ききられたくなくば、そこを退けっ!」 ヴァルトラーナは一瞬顔を引きつらせたものの、すぐに嘲笑を浮かべて鬼の首を取ったように勝ち誇った。 「とうとう尻尾を出しおったなっ!これで貴様は生涯反逆者として追われる身だっ!身分不相応に我ら十貴族と肩を並べようなどという妄想も、ここで潰えるのだっ!!」 挑発するように仰け反って笑うヴァルトラーナに対して、コンラートはいっそ哀れむような眼差しを向けるのだった。 「あなたには…結局、それしかないのですね」 「……なに?」 「あなたの望む眞魔国が出来上がったとき、本当にこの国が、国としてのかたちを維持していると思うのですか?」 口にしてはみたものの、意味のある返事などコンラートも期待してはいない。 もう、この男達に何を期待することも出来ないと知っているのだから。 「あなたに言っても詮無いことですね。そのような事を考えられるだけの想像力が一欠片でもあれば、このように愚かな行為に手を染めたりはなさらなかった筈だ…」 この男に、弟は狂わされたのか。 純血魔族の権威を護るためならば、どんな汚い手でも平気で使い、その事を恥じるだけの自省も持たない…。そんな男を、弟は自分よりも慕ったのか。 哀しかった。 たまらなく…哀しかった。 だが、このままでは終わらない。 コンラート自身はともかくとして、ここには大切な仲間がいる。 彼らとともに戦場で果てるのならばともかく、汚辱にまみれた罪を押しつけられた上に今まで護ってきた筈の連中に処分されるのは、あまりにも悔しい。 「さあ、お喋りはおしまいだ。摂政閣下はお漏らしをされそうだぞ。貴様らの上官がそのような辱めにあってもいいのか!?」 「お前ら、ど…退け…退け……っ!わ、私に疵一つつけてみろっ!貴様ら全員に処罰をあたえてやる!」 抜刀した護衛に対してシュトッフェルが悲鳴を上げれば、鼻白んだ中隊の面々は全員扉の前から退いた。 寧ろ、頑強に《この連中を捕らえろ》と言われるよりは遙かに安全性の高い命令であったため、彼らにとっては応じやすい内容であった。 扉の前までコンラートとその仲間達が出て行くと、コンラートは摂政の身体を室内に押し戻すと、勢いよく扉を閉めてポケットから取りだした塊を投げつけた。 それは、幼い頃に《大発明家》と自称していた兄の友人から貰った《玩具》であった。 塊は壁に接触するなり勢いよく触手を伸ばし、べったりと扉に張り付いて拘束してしまった。 部屋の内側から大勢で体当たりしているような音が聞こえるが、触手は見事に撓って抵抗し、扉が開く気配はない。 だが…音までを封じることは出来ず、背後の扉から…そして、叩き割られた窓から絶叫が響く。 「ウェラー卿、謀反!ウェラー卿、謀反!」 「ウェラー卿が反逆したぞっ!」 「捕縛しろーっっ!!」 * * * 南塔の城壁に入り込んだコンラートがしきりに壁の外を伺いながら走っていくと、覚えのある声が掛けられた。 「コンラッド、こっちだ!」 「ヨザ…っ!」 オレンジ髪の友人がノーカンティーら愛馬を牽いて待っていたのだ。 「隊長…あんた、用意よ過ぎだぜ…」 「無駄になっていれば良かったんだがな」 コンラートとて、こんな用意が役に立つことを望んでいたわけではない。 まさかとは思いながらも、それでも…自分たちが護ってきた国がそこまで腐敗していることを信じたくはなかった。 だが…現実は、コンラートの想定内ではあったものの、考え得る最低の形を辿ってしまった。 「あ〜あ、国の英雄から一気に反逆者かぁ…これからどーすっかねぇ?」 アリアズナはそんなことを言いながらも、どこか吹っ切れたような顔をして愛馬を駆る。あの腹立たしい連中の前から逃げられたことだけでも、多少は胸の空く思いがするのだろうか。 半刻前までは後方から蹄の音や馬の嘶きが聞こえたのだが、どうにかまいたらくし追跡の気配が無くなったことで安堵もしているのだろう。 「それも考えてはある。上手くいくかどうかはともかく…な」 「やれやれ、流石は隊長…手回しが良いこってっ!」 そうだ、アリアズナ達にはまだコンラートが居るのだ。 なんなら、このまま夜盗になってしまっても後悔はないだろう。人を殺して食い扶持を稼ぐ分には大した違いはない。気にくわない連中に頭を下げなくて良い分、寧ろ楽しいかも知れない。 「後は…ケイル・ポーが呼応してくれるかどうかだな」 「…何ぃ?」 ケイル・ポーは5日も前に王都を出立している。 白鳩便は移動していく目標を追うことは困難だし、それだけの距離にわたって念波を飛ばせるような魔力持ちも居ない。 そもそも、シュトッフェルはケイル・ポーの行動にも警戒を示しているようで、監視のためにかなりの数の部下を配備しているのだ。 《難しいのではないか》…そう言いかけて、アリアズナは苦笑した。 この男が言うことには必ず、何らかの裏付けがある。 おそらく…なにかの下準備をしているに違いない。 「へへ…やっぱ、あんたは佳い男だぜっ!あんたさえいれば、俺達ゃ地獄の底にだって笑いながら行けそうだ!」 「俺はもう少しマシなところに行きたいがね」 6つの騎影が何処に向かっていくのか…。 それを知っているのはコンラートだけであった。 * * * 「ポー閣下、お噂通り見事な行軍の手際ですな」 「恐れ入ります」 礼儀正しく会釈しつつも、ケイル・ポーは無表情なまま…内心《ポーって言うな》と思っている。眞魔国人としては冗談のように短い名は、家名と一緒に呼んで貰わないと如何にも収まりが悪いのだ。 それに、階級は下のくせにどこか上から目線で話し掛けてくるシュトッフェルの部下は、傍で同じ空気を吸っているだけで不快になる。 『師団長殿に、俺もついていきたかったなぁ…』 それでも、任された仕事に対する自負はある。 ケイル・ポーはウェラー領の農家の生まれで、物心ついたときから寝物語に領主様…《ダンヒーリー様、コンラート様》のお話を聞いて育った口で、彼らに強い憧憬の想いを抱き続けている。 若い分、どう頑張ってもアルノルド帰りの旅団長達のように近しい立場になることは出来ないが、それでも自分に与えられた任務をコンラートの期待以上にやり遂げることで、自分の存在価値を見いだそうと着実に努力している。 『ケイル・ポー、お前は副師団長としてルッテンベルク師団を率いろ。危急の際には師団長代理として、全ての判断をお前に任せる。いいか?これはお前にしかできない仕事だ』 ケイル・ポーはコンラートが引き継ぎの際に、遠回しに言い含めてきた内容を正しく理解出来ている…と、思う。 《合図》が来る…かもしれない。 来てはいけない合図。 この国を事実上統べる男が、その肩書きに相応しい男であるならば来るはずのない合図。 だが、来たら即座に呼応する必要のある…合図。 それを、ケイル・ポーは見逃してはならない。 「どうかしましたか?ポー閣下」 「いえ…」 何かしら無難な返事をしようとしたケレン・ポーの眼差しが、ある一点を見詰めた。 『来た…来て、しまった…!』 複雑な心境ながら、呼応しなくてはならない。 それは、草原の彼方に棚引く赤い煙であった。色彩から言って野焼きとも思われないその煙が二つか三つ…それぞれかなりの距離を経ながら連なっている。 それは、ヨザックの依頼を受けた男達…王都出立から継続的に跡をつけてきた者達が上げた狼煙だ。 それが上がると言うことは、コンラート達が何らかの形で重い罪を科せられて拘束されたか、そこから逃げ出したかを意味している。 蒼い狼煙ならば前者であるから、その後動きがあるまで(ヨザックに脱獄の手配をさせるつもりだったらしい)遅滞行動をとってシュピッツヴェーグ領入りを送らせる。 赤い煙であれば後者であるから、迅速にケイル・ポーは行動せねばならない。 「…なんですかな?あれは…」 ケレン・ポーに張り付いていたシュトッフェルの部下も同じ方角を見たが、視線が逸れた瞬間…首筋に冷たい金属の塊を押しつけられた。 それは…研ぎ澄まされた、鋭利な刃であった。 物干し竿のように長く、普段は腰ではなく背に挿しているケイル・ポーの愛剣が、底冷えするような蒼い光を纏って男を威嚇した。 「か…閣下?一体何のおつもりで…」 「グレーブス殿、申し訳ありませんが…これも役目ですので」 ケイル・ポーの動作に合わせて、一斉にルッテンベルク師団の中で《役目》を担っていた男達が動いた。 シュトッフェルの部下は監視をしているつもりで、実のところ全員がルッテンベルク師団の監視下にあったのである。 「縄を掛けろ!」 荷造り上手の梱包名人が手際よくシュトッフェルの部下を縛り上げると、訳が分からないまま平原に纏め置きされた男達は、近隣の村に言づてしてくれたケレン・ポーの配慮で開放されるまでの丸一日、そのまま放置されていたのだった。 「副旅団長、大隊長…かねてから命じてあった方角に転進するぞ!」 ケレン・ポーの声が次々に全軍へと伝令され、迅速に…そして整然と師団が方角を変えていく。 大隊長以下の一般兵は、この状況の変化に心理的には動揺していたものの、コンラートの信頼厚いケレン・ポーの命令に、身体の方は忠実に従った。今の状況なら、それで十分だ。 受け入れがたい現実を知るのはまだ後で良い。 今は、主戦力をコンラートに合流させることだけを考えればいいのだ。 * * * ドゥドゥ… ドドドドゥゥ……っ! 飛沫を上げて荒々しい波音が響くボルドレン河は、昨夜から起こった豪雨によって水嵩が増し、凄まじい轟音を上げて流れていく。 石造りの橋はようようその硬度を保っているが、上流から倒木が押し寄せてくる度にゴォン…ドォン…っと衝撃音を立て、今にも崩れそうな勢いだ。 ボルドレン河に掛かるその橋は眞魔国を走る表街道に連なるものであり、王都からウェラー領に向かうためには必ず通らねばならない場所である。 その橋の王都側に布陣しているのは、シュピッツヴェーグ、ビーレフェルト、ロシュフォール、ラドフォードの連合軍…いや、彼らの表現を借りるとすれば《討伐軍》と称することになろう。 コンラートの王都脱出から数週間が過ぎたこの時、ルッテンベルク師団は完全に《賊軍》として扱われることになっていたのだ。 * * * 《十一貴族案》を強力に推し進めていたフォンウィンコット卿オーディルは事件後、詳細解明に奔走した。だが、コンラートがシュトッフェルに剣を突きつけていた現場は複数の兵が目撃しており、ルッテンベルク師団もあり得ないほどの速度で呼応していることから、コンラートを擁護することは極めて困難な状況にある。 緊急に十貴族会議が持たれ、その場で討伐軍を送りルッテンベルク師団を掣肘することがシュトッフェルの口から提案された。 予定された兵力は4個軍団。 しかも、ルッテンベルク師団を除けば、突撃力にかけては国内最強と謳われるフォンビーレフェルト軍団が主軸として差し向けられるのだ。 『ルッテンベルク師団は、壊滅させられる』 オーディル等がそう確信するほどにその軍勢は大兵力であり、これまで他国との小競り合いで繰り出した兵力の比ではなかった。 これに対し、グウェンダルが提案したのはルッテンベルク師団の封じ込め案であった。 グウェンダルはオーディル同様、この事件には必ず裏があると確信している。だが、今の段階でコンラートの罪を濯ぐ事は難しいだろう。そうであるならば、正面からぶつかることを避けて時間を稼がねばならない。 万が一コンラートに翻意があるとしても、ルッテンベルク師団とて単独で眞魔国全軍を敵に回して勝てるほどの兵力ではない。ならば本拠地であるウェラー領に帰らせてしまって、その監視に努めてはどうかと提案した。 ルッテンベルク師団が精強であることは疑いなく、背水の陣を敷いて戦闘に入れば2個軍団とはいえど大きな被害が出ることは必至であるから、この案に賛同した者も多かった。 2つの案にはそれぞれ5家が賛成した。先日の宴でウェラー側に就いた2家が、再びシュピッツヴェーグ側に就いたのだ。 特に、娘の社交界デビューを謀反人に汚される形となったフォンラドフォード卿の怒りは強く、当主自ら軍団を率いる意欲を見せている。 得票が半々に分かれた場合、通常は魔王陛下の判断が最終決定に加味される。ところが…息子の謀反という衝撃に耐えられなかったツェツィーリエが判断を拒否したことから、議長であるシュトッフェルの意向が優先された。 『この時節に…これほど重要な判断を拒否されるとは…っ!』 良識派の苦悩を嘲笑うように…ルッテンベルク師団に対する《討伐軍》派兵が決定したのである。 * * * 「ヴォルフラム、緊張しているのか?あのような者とは言え、兄を手に掛けるとなれば心痛があろう」 雨を避ける天蓋の中で、ヴァルトラーナはお気に入りの甥の背を優しく撫でつけた。 彼は気に入った者には極めて細やかな気づかいを見せる男なのだ。 「いえ…」 ヴォルフラムは雨に打たれる兵達を見やりながら、言葉少なに佇んでいる。 移動用ながら十分豪奢な椅子に座っている伯父は悠々として如何にも大人物めいて見えるが、今は何故か…その真似をしたくはないと思った。 近々…ヴォルフラムは兄と《戦場》でまみえることになる。 だが、伯父から聞かされたコンラートを追い落とすための計略は、彼に強い不快感を与えていた。 『遣り口が、あざとすぎるのではないか』 もしも、コンラートがカロリアのリタという女の間に関係があったのだとしても、それをもって人間の国に通じていると断定する要素は乏しいのではないか?2年も前のことであり、グレナダ公国はあの戦いの以降急速に力を失って隣国に併呑されてしまい、それに伴ってカロリアを支配する者も変わった。 そもそも、リタはバルバロッサの正式な妻ですらなかったのだ。利用するにはその肩書きにあまりにも意味が無く、惚れているのだとすればただ行って、連れ去れば良いだけの女なのである。 そして、コンラートがその後カロリアに行ったことも、連絡をとっているらしいという痕跡もない。 しかも、今回の追求方法はあまりにも超法規的なものであった。 軍法会議にもかけず、自軍から引き離して兵で囲み《自白》を強要されれば、隙さえあれば誰でもそこから逃亡したくなるだろう。自白という名の拷問で廃人にされることが自明だからだ。 しかも、シュトッフェルはその経緯を自分たちに有利なように捏造して十貴族会議で報告したようなのだ。 『そもそも伯父上は、何故そんなにもウェラー卿を嫌うのだろうか?』 考え掛けて…自嘲の笑みが浮かんだ。 我ながら、随分と自分だけを高みに置いて伯父を卑下するものだと思ったのだ。 『何故嫌うだって?混血だからじゃないか…』 幼い頃にはそんなこと関係なかった。 ヴォルフラムにとってコンラートは強くて優しい…時には厳しく叱ってもくれる、大切な兄だったのだ。 いつでも彼の後を追いかけて周り、兄が関心を向けるものを自分も修得しようと懸命だった。 それが変わったのは、伯父の教育を受けてからだ。 伯父は…昔、愛していた女性を盗賊団に惨殺されたことがあるのだ。 その盗賊団は食い詰めた人間の流民だったらしく、魔族の女性に何の遠慮があるものかと辱め…暴力を振るい、散々苦痛を味合わせてから殺害した。 変わり果てた亡骸を抱いて、伯父は誓った。 この世界に存在する全ての人間の血を根絶やしにすることを。 『ヴォルフラム、人間の血とはそれほどにおぞましいものなのだ。お前の兄のうち、コンラートにはその血が流れているのだよ…』 憎悪に満ちた伯父の言葉は、少年期の過剰な潔癖さと、ビーレフェルト家特有の思いこみの激しさとで融合し、激しい火花を散らしてコンラートに向かったのだった。 『二度とお前を兄などと呼ぶものかっ!』 あの瞬間の…死人のような兄の顔が、忘れられない。 きっと、生涯忘れる事は出来ないのだと思う。 その後、長じるに従って伯父の婚約者を襲った蛮行が、決して人間特有のものではないことを知った。 大勢の護衛を引き連れてのこととはいえ…流石にヴォルフラムも実戦に参加しており、しかも人間を憎むこと甚だしい伯父が、戦地で略奪や強姦といった蛮行を黙認していることも知った。 醜悪な地獄絵図に、ヴォルフラムは何度も吐いた。 憎しみは憎しみを呼び、血は血を誘う…。 その憎しみを止められない自分に、第三者的立場から達観したような意見をする権利はないのだ。 →次へ |