第1章 VーA






「ねぇ、マリア…私、本当にこの髪型でおかしくない?笑われたりしないかしら?」
「いいえ、とっても素敵ですよ…お嬢様。皆さん、見惚れることはあっても笑うことなんてあるものですか!」

 大理石と金細工とで彩られた化粧室で、栗色の艶やかな髪を愛らしく結い上げた少女が、お付きの侍女相手に何度も何度も髪飾りやブローチの確認を行っている。
 ほっそりとした背筋と滑らかなデコルテが映える淡紅色のドレスは、腰の辺りから細かなレースが幾重にも重なって…彼女を一輪の華のように見せていたが、それでも色んなところが不安で不満らしい。
 本日が社交界デビューとなる少女とすれば当然の行動であろうが、今日という日は…このフォンラドフォード卿エレルラインにとっては更に大きな意味合いを持つのだ。

「ああ…マリア、マリア…っ!本当にコンラート様は私なんかに白薔薇を捧げて下さるのかしら?」

 エレルラインはハシバミ色の瞳を不安げに潤ませながら、尚もそわそわとレースの襞を直し続けている。

「まぁ…お嬢様。どうしてそんなにもご自分を卑下されますの?押しも押されぬ十貴族のご息女として、もっと堂々なさってくださいな!」

 恰幅の良い侍女マリアは、これまで5人の子どもとラドフォード家の三人の娘の世話をしてきただけに、こんな時には主よりも堂々と構えている。

「だって!そんなのコンラート様には関係ないわっ!十貴族なんて私が頑張って手に入れた地位ではないもの!そんなものを誇ったりしたら、私…コンラート様に《なんて愚かな娘なんだろう》って、きっと酷く軽蔑されるわ」

 輝ける眞魔国の英雄…ウェラー卿コンラート。
 れっきとした魔王陛下の嫡子でありながら、混血であるが故に不遇な扱いを受けるも、その都度苦難を跳ね返して勇躍する獅子…!

 幼い頃からエレルラインにとって、コンラートは憧れの王子様だったのだ。

「ふふ…そのような事をきちんと弁えておられるお嬢様なればこそ、ウェラー卿だって決して疎んだりするものですか!何しろ、私の自慢のお嬢様なのですから」

 ちまちまと小柄なエレルラインは、派手さはないが素直な気性が何とも心地よい少女で、彼女と共にいて不快感を覚える者はまずいない。
 甘い小花の香りのようにふわふわとした、やわらかい雰囲気の少女なのだ。

 それでいて芯の強いところもあるエレルラインは、十貴族の息女という立場を必要以上に誇示したりはしないし、時として父の日和見的な態度を批判する姿勢すら持っている。

『大丈夫…きっと、ウェラー卿もお嬢様を気に入られるはずよ』

 宮廷の噂話は、時として腕利き諜報員の情報網に勝ることもある。マリアもまた、豊富な情報量を誇る女であった。
 ウェラー卿コンラートにとって、今の時期にラドフォード家の懇意を得ることは極めて重要な意味を持つのだ。エレルラインが喩え醜女で居丈高な女であったとしても、コンラートは跪いてその寵愛を獲ようとするだろう。
 ましてや、エレルラインはマリアが手塩に掛けてお育てした自慢のお嬢様だ。決して、コンラートにとって悪い相手ではない筈だ。

『ただ…不安要素はフォンシュピッツヴェーグ卿だわ』

 《十一貴族案》反対派の主軸である彼は戦場に於ける雄ではないとしても、宮廷戦略とあざとい策略に掛けては右に出る者無き手腕を誇る。
 その彼がどのような妨害をしてくるか…。

『どのような手をお使いかは分からないけれど、お嬢様を哀しませるような手口を使われるようなら容赦はしなくてよ?』

 侍女の持てる力などたかが知れているとしても…女だからこそ出来る戦いもあるはずだ。


 リィン…
 ポロロォォ……ン……


 弦を弾く優美な音が、宴の始まりを予告する。

「さ、お嬢様。行きますわよっ!どぉんっと、フォンラドフォード卿エレルライン様の愛らしさを顕示しに参りましょうっ!」
「どぉん…って!あはは…、マリアったら!」

 市井の民のような気安さでマリアが勢いよくエレルラインの背を叩けば、ぽぅんっと緊張の塊が飛び出していったかのように肩が軽くなる。
 エレルラインは笑い声を上げながら…春の野原に向かって駆け出す少女のように、朗らかに歩を進めていった。
 


*  *  *




「ウェラー卿が到着されました…!」

 伝令の少年の声から一拍遅れて、コンラートは大広間に姿を現した。

「ほぉ…」
「まぁ……っ!」

 ご婦人方を中心に、感嘆と憧れに満ちた熱い眼差しが送られ…紳士方の半数は、その属する派閥に関わらず嫉妬に満ちた目線を送る。

 その先でゆったりと歩く男が、ウェラー卿コンラートであった。

 軍人らしく凛と伸ばした背筋と、貴族らしい優雅な足取りが見事な調和を奏でている。。
 
 顔の造作自体は、魔族の中では実はそれほど派手なものではない。
 だが、彼を型作る精神性というものが奥底から深みのある光きを放ち、この年まで幾多の戦場を潜り抜けてきたという自負が、精悍な渋みとなって滲んでいる。

 切れ長の瞳は透明感のある琥珀色で、その中に散る銀の光彩はウェラー家独特の煌めきをもって女性達を魅了する。
 秀でた額から高い鼻梁、薄目の唇…細い顎へと連なる横顔の軌跡は繊細と称しても良いほどだが、ひとたび彼が戦闘態勢にはいると、その面差しが怜悧な獣のように変化することを、共に戦場に立った者は戦慄と共に記憶していることだろう。
 
 また、そして何と言っても印象的なのが彼の髪だ。

 眞魔国では貴族である場合、男でも長髪であることは一般的なのだが、彼の場合は実にそのカッティングが野性的であり、馬上で疾駆する際にはその渾名が示すとおり《獅子》の鬣(たてがみ)のように靡くのだ。
 今日も戦場から直参したためだろうか。洗いざらしの髪はしっとりと濡れた艶を持ち、ぱらりと跳ねて頬を掠める毛束は艶やかと評したいほどの色気を醸しだしている。
 
「ふわぁぁ…す、素敵ぃ…っ!」

 案の定、エレルラインは瞳をうるうると輝かせて両頬を自分の手で包み込むと、うっとりと見惚れてしまい…賞賛の言葉を譫言のように呟き続けていた。

「ぁぁあああああぁぁ…ままま…マリアぁぁ…っ!やっぱりピンクのドレスなんて子どもっぽ過ぎたかしら!?今からでも着替え…」
「十二分に美しいですわ、お嬢様。それより、今から着替えて時間が掛かってしまえば、それこそウェラー卿から薔薇を頂き損ね…」

 くるりと控え室に向かってUターンしようとしたエレルラインの二の腕を掴むと、マリアは窘めるように言いかけて…はたと息を呑んだ。


『白薔薇を…お持ちでない!?』


 ざわ…

 マリア以外の者も気づき始めたに違いない。
 コンラートは肩に金モール、袖口に金糸の刺繍をした純白の軍装なのですぐには気づかなかったのだが…その胸ポケットには、明らかに白薔薇を挿している気配がなかった。
 白薔薇は原則として入場と同時に持っていなくてはならない。
 その場で相手の顔を見て決めるというのは失礼に当たるから、そのように定められているのだ。

「マリア…マリア……どうしよう…コンラート様、白薔薇を…お持ちでないわ!?」

 エレルラインも振り返ってコンラートを見直すと、わなわなと唇を震わせて真っ青になった。
 マリアが支えていなければ、その場でよろめいていたかも知れない…。



*  *  *




『ふふん…コンラートめ。やはり白薔薇を手に入れることは出来なんだな?』

 ざわめく人々の中で一人悦に入っているのはフォンシュピッツヴェーグ卿シュトッフェル…四方に手を回して、コンラートの手に白薔薇が入らぬよう画策した男だ。

 《禁忌の箱》開放から28年が経過したこの年…眞魔国ではシマロンなど人間の住む土地に比べればまだましとはいえ、それでも要素の乱れの為かあらゆる植物の実りが悪くなっている。当然、その実の元となる花の咲き方も悪いのだ。
 
 ましてや、薔薇はもともと虫が付きやすく痛みやすい華であり、染み一つ無い純白の薔薇ともなれば育成出来る庭師は限定されている。コンラートの手に入らぬように鼻薬を効かせることなど、シュトッフェルにとってはいとも簡単なことだったのである。
 
 寧ろ、簡単すぎて少々不安になってしまい、《もしや…奴め、運良く野薔薇でも手に入れたわけではあるまいな?》と疑ったりしたものだ。

 眞魔国には幾つか《聖域》と呼ばれる場所があり、密度の高い要素がより合わさって自然神のような力を持つ領域…森や林の中では、今でも瘴気に侵されぬ草花が生い茂ると言われている。白薔薇を手に入れられてしまうことを何よりもシュトッフェルは恐れていたのだが…それは杞憂だったようだ。

『ふふん…やはり所詮は戦場で勇猛なだけの男だな…まだまだ宮廷での駆け引きは甘いと見える…』



*  *  *




 にやつくシュトッフェルを苦々しく見やりながら、苛立たしげな足取りでコンラートに駆け寄ってきたのはギュンターであった。

「コンラート…どういうことです!?白薔薇が手に入らなかったのなら、何故私に連絡しなかったのですか?」
「連絡しても、あなたの手には入りませんよフォンクライスト卿。おそらく、オーディル殿の手にも…ね」
「…シュトッフェルの差し金ですね?」
「おそらく」

 師匠とは対照的に、コンラートは実に涼やかな笑顔を見せるのだった。
 薄く形良い唇から白い歯列が覗くと、そこから流れてくる響きの良い美声に安堵する女性も多かった。

『ああ…コンラート様…。てっきりエレルラインに白薔薇を差し出されるものとばかり思っていたのに…。お気の毒ではあるけれど、これであたくしにも運が回ってきたわ』

 ラドフォード家に比べれば家格は劣るけれども、それでも堂々たる家門の出である女性や、自分の女としての魅力に自信のある者は内心、舌なめずりしてほくそ笑んでいた。
 
『エレルラインは可愛らしい娘だけれど、コンラート様相手では荷が勝ちすぎるもの。これでよかったのよ』

 コンラートは戦場から戦場へと駆け回るような生活をしているため、宮廷に顔を出すことは少なく、性欲処理として後腐れのない色街の女を相手にすることが多い。時折り気が向いて貴族の子女と恋の鞘当てをするときも、基本的に妖艶な美女を相手取ることが多いのだ。
 少なくとも、エレルラインのようにちまちまとした娘を相手にしたことは一度としてない。



*  *  *




「どうしよう…私、コンラート様以外の方と踊らなくてはならないのかしら?」

 泣いては化粧が崩れてしまうので、ふんぎぎぎ…っと唇を噛みしめてエレルラインは耐えているが、それでも大粒のハシバミ色の瞳は見る間に潤んでしまう。

「私にお任せ下さい。なんとか、白薔薇を手に入れて見せますわ!」
「でも…マリア。白薔薇は今とても高価なのよ?急に捜したってみつかりっこないわ。私…大丈夫よ?泣いたりしない。泣いたらお父様の名誉を傷つけてしまうし…なにより、コンラート様もお困りになるもの」
「お嬢様…」

 き…っと顔を上げると、流石は十貴族の息女と言うべきか。
 眦を紅に染めながらも、エレルラインは笑顔さえ浮かべて見せた。
 
『なんてことかしら…!ええい…っ!コンラート様…なぜ白薔薇も無しにおいでになったのですかっ!!』

 まだ戦地からコンラートが帰参出来なかったのなら良かったのだ。エレルラインが体調不良であるとか何とか理由をつけて帰れば、再び機会を設けることも出来る。だが…ここまで来ては後に引けない。

 だが…無情にも魔王陛下の声が宴の始まりを告げると、楽団が奏でる円舞曲の音色が艶やかに大広間を流れていく。
 頬を紅潮させた男達が胸の白薔薇を確認しながら、エレルラインへと集ってきた…。

 彼らのうちの幾人かは既にコンラートの話は聞いていたのだろうけれど、万が一に賭けて…また、娘の社交界デビューに彩りを添えたということでラドフォード家当主の心証を良くするために白薔薇を用意していたに違いない。

 こうなれば、一発逆転を狙って傷心のエレルラインを慰めるという手もある。


 ところが、人々は驚嘆してある一点を見詰めることになった。
 なんと…コンラートもまた、エレルラインに向かって優雅に歩を進めてきたのである。


「え…?」

 驚きに目を見張るエレルラインの前まで来ると、コンラートは胸ポケットに長い指を差し入れ…



 そこから、純白に輝く華を差し出した。



 それは…磨き抜かれた銀細工の、薔薇であった。

「エレルライン様…生花ではなく、細工物を差し出す無礼をお許し下さい。何しろ不調法者ゆえ、戦地から早馬を掛け飛ばして来る間にこの華を手に入れるので精一杯でした」
「まあ…まぁぁ……」

 エレルラインは涙粒を瞳に湛えて両手で口元を覆うと、打ち震えながら銀細工の薔薇を見た。
 白銀の薔薇は花弁の襞や、葉脈に至るまで精緻に作り込まれたものであり、貴族の女性が初の舞踏に際して差し出されるに何の支障も無いほど見事なものであった。

 
 実は、この細工物はルッテンベルク師団に所属する旅団長…結構な洒落者の男が白薔薇の話を聞きつけて、自分の鎧から外して磨き込んだ装飾なのである。
 戦地では血飛沫を浴びてきた華ながら、コンラートが貴公子然とした態度で差し出せば、どれほど名の知れた細工師の手によるものかと…思わず息を呑むほど美しい。

「踊って頂けますか?」

 この瞬間のコンラートの笑顔ときたら…っ!
 琥珀色の瞳がお日様に透かした蜂蜜のような色合いで輝き、ウェラー家特有の銀の光彩が…瞬く星々の如く煌めいていたのだった。

 いかにコンラートに対して反感を持つ者であったとしても、その煌めくような笑顔には舌を巻いたことだろう。
 ましてや…夢に見るほどにコンラートに恋してきた少女にとっては、世界が薔薇色に染め上げられるほどの衝撃であった。

「ええ…ええ!喜んで…!」

 両手を口元で合わせて歓喜するエレルラインは少女らしい瑞々しさと感動に満ちており、コンラートを狙う女達も、あまりの初々しさに思わず微笑みを漏らしてしまうのだった。

 楽の音に合わせて、踊り手達の手が合わせられ…一斉に色とりどりの絹裾が閃いたかと思うと、あでやかな円舞曲が始まった。

 黒と銀に彩られたフロアに、一斉に花々が咲き乱れているかのようだ…。



「お上手ですね、フォンラドフォード卿」
「まぁ…エレルラインとお呼びになって?その名ではお父様と踊ってらっしゃるみたいですわよ?」

 コンラートと共に踊っているという高揚感で、逆に緊張の限度高を越えてしまったのだろうか?エレルラインは真顔で答えてしまい、コンラートを苦笑させる。

「失礼…お父君と仲良く踊っている自分を想像してしまいました」
「まぁ…」

 エレルラインも同じ様子を想像してくすくす笑ってしまう。

「あ…あらやだ!私ったら…子どもみたいにけらけら笑うなって、侍女にもよく注意されますの!」
「おや、どうして?」
「貴族の子女として、慎みを持ちなさいって言われますの」

 コンラートは礼儀を逸しない程度に顔を寄せると、甘い声でそっと囁いた。

「では…そのように愛らしい微笑みを見せるのは、今度から俺の前だけにして下さい」

 この一言で、エレルラインの脳漿は一気に沸騰したのだった…。



*  *  *




 最初の一曲が終わると、エレルラインは名残惜しそうに手を離して一礼した。

「エレルライン、次は私と踊って貰えるかな?」
「ええ、勿論…」

 慣習通り父親の手を取るエレルラインだったが、ついつい残念そうな顔と吹き出しそうな顔の両方を堪えるのに必死になってしまう…。




 一方…コンラートを狙う踊り手は勿論多かったのだが、彼は華麗な微笑みでその全てをそつなくかわすと、杖をついた紳士のもとに歩み寄っていった。
 長い白髪を薄手のガウンの上に垂らした男は、コンラートの最大の守護者と言っても過言ではない、フォンウィンコット卿オーディルであった。

 かつては一線級の軍人としてならしたオーディルに対して、コンラートが正規の敬礼…指先までぴしりと伸ばした手を額に添えて見せると、オーディルはニヤリと笑って異なる敬礼を示した。
 傍で佇む息子のデル・キアスンも、父の仕草に苦笑しつつそれに倣う。

 握りしめた拳をこめかみに押し当てるというこの仕草は、眞魔国軍規に定められた正式な敬礼ではない。

 ルッテンベルク師団…つまりは混血部隊で流行している略式の敬礼なのである。
 シュトッフェルはこれを《無骨だ》と嫌って禁止令を出そうとしたのだが、この敬礼を行うコンラートに魅了された貴婦人方があまりに賞賛の声を送るものだから、彼もこれを止められなくなってしまったのである。
 
 よって、今ではこの形式がルッテンベルク師団限定の敬礼と見なされている。

 コンラートが野性的な笑みを浮かべて拳をこめかみに当てれば、辺りで見守っていた貴婦人方から案の定黄色い歓声が上がっていた。

「見事なものだな。エレルライン嬢は春の野原を彷徨う蝶のようにふわふわと舞い上がっておられたよ」
「ええ…本当に、見ている方が頬が染まりそうでした」

 デル・キアスンが繊細な容貌を綻ばせてそう言えば、コンラートはどうしても彼の姉…スザナ・ジュリアのことを思い出さずにはいられない。



 肉親である彼らは、スザナ・ジュリアの魂がその死後どうなったのか眞王廟から知らされていないようだ。
 また、コンラートも知らせるつもりはない。

 だが、こうして親身になって彼らが自分に尽くしてくれればくれるほど…忸怩たるものが胸を掠めるのだった。

『俺のなした行為は…彼らにとってどのような意味を持つのだろうか?』

 ジュリア自身の望みに反して、コンラートは彼女の婚約者に魂を委ねてしまった。

 婚約者…アーダルベルトの行方はあの日から数年間不明であったが、グランツ家の者達が四方に手を尽くして捜した結果、どうやら人間の国で傭兵紛いのことをしているらしいと分かった。

 《婚約者を喪った衝撃で、眞魔国を逆恨みした長子が出奔したばかりか、人間側に寝返った》…その噂はグランツ家の人々を失意のどん底に突き落とし、この武門に優れた家系も取り潰しに合うのではないかと噂された。だが、当主の座を息子に譲っていたバーツァントが復職すると、何とか名誉の回復を目指して運動した結果、とりあえずそのような憂き目をみることだけは回避出来た。

 この際、《それほどにジュリアを愛してくれたのか…》との感動もあったのだろう…オーディルを初めとするウィンコット家の面々も尽力したことから、この二家は以前にも増して深い繋がりを持つようになった。
 婚約前には実のところ、ウィンコット家の方が《歴史はあるが辺境の田舎貴族に過ぎない》としてやや軽んじられている感があったのだが、今ではその関係は完全に逆転したと言っていい。



「どうかしたのか?」

 物思いに気を取られすぎたようだ。
 オーディルがやや不審げな顔をして尋ねてきた。

「いえ…俺の方こそ、可愛らしい女性と踊ることが出来てとても楽しかったものですから、舞い上がっていたようです」

 それは別段取り繕った嘘というわけではないのだろうが、コンラートの瞳に恋心めいたときめきといったものは見受けられない。
 まぁ…オーディル自身も、そこまでこの二人の仲に期待しているわけではないので特に残念とは感じなかった。
 要はコンラートがそつなく立ち回ってエレルライン…正しくは、父君であるフォンラドフォード卿の好意を得られればいいのだ。

 実際、コンラートは巧くやった。

 もしも入場時に銀細工の薔薇を胸に挿していれば、シュトッフェル辺りに模造品であることを見咎められて難癖をつけられたに違いない。

 それにフォンラドフォード卿に対しても、考えようによっては激しいクロスカウンターによってより強い印象を与えられたかも知れない。
 当初、《白薔薇を持っていない》という事実に、噂を聞いてすっかりそのつもりになっていたフォンラドフォード卿は小鼻を膨らませて怒りを表していたが…次いで、見事な逆転劇で取り出された銀薔薇によって歓喜の頂まで引き上げられていた。

 今も、フォンラドフォード卿は娘から如何に楽しかったか…嬉しかったかを語られてにこにこと相好を崩している。あの分なら、この後コンラートとオーディルがご機嫌伺いに行っても、さぞかし良い反応が返って来るに違いない。
   




 

 

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