U.崩壊の始まり 終戦を迎えた眞魔国歴3980年から一年が経たぬうちに、シマロンでは大きな変化があった。 もともと複数の小国を征服して作り上げた植民地国家であるシマロンは、時には二国間の小競り合いを推進させたり、時にはシマロン自らが力づくで反抗勢力を押さえることでその舵取りをしてきたわけだが、眞魔国との間に自国に不利な形での条約を締結させたことが、傘下に服従させていた国々を活気づけてしまったのである。 結局、戦争によって疲弊していたシマロンが全ての国を押さえきることは叶わず、2年間の熾烈な内乱の後に《小シマロン》を分離し、元シマロンに属する王家が《大シマロン》として宗主国の立場に就く形で一応の決着を見た。 だが、この決着は当然互いの思惑とは大きく隔たりのあるものであった。 大シマロンにとっては目下とはいえ、自分の領土に隣接した国に自立を認めていることは具合が悪く、いつ寝込みを襲われるかと気が気ではないし、小シマロンにとってみても何とかして独立国家としての体裁を持ち得たいと、宗主国の隙を伺うことに余念がない。 よって、この二つの国家は常に互いの動向に目を配り、かつ、眞魔国の動きにも気を回すという形となることで、一種の三竦み状態に陥る。 そのおかげと言うべきか、世界は二十年近い時を大きな戦乱に巻き込まれることなく(当然、小競り合いや内乱は頻発したものの)、それなりに《平和》と呼べる程度の時代を迎えることが出来た。 では、眞魔国内部ではどのような時間が経過したのかといえば…実のところ、戦中と殆ど変わっていないというのが実情だ。 フォンシュピッツヴェーグ卿シュトッフェルは相変わらず摂政としての権勢を誇り、大戦を始めた責任には言及せず…終わらせた功績を強く喧伝すると、追従者達は挙ってこの男の元に馳せ参じ、栄華のお零れに預かろうと集まってきた。 政治機構の中枢を占める派閥は凝り固まり、新たな息吹が吹き込む気配はなかった。 大きすぎる大戦の傷跡を修復するために、魔王の長子たるフォンヴォルテール卿グウェンダルは手を尽くしてシュトッフェルを追い落とすための手立てを講じたが、政策には秀でているこの男は残念ながら、政治の裏側での根回しや宴席でのお世辞に長けているとは言い難かった。 その領域にだけは異才を誇る伯父に頭を押さえられ、十貴族会議の席でも過半数の同意を得ることが出来ないばかりに多くの優れた国家復興案を闇に葬られてきたのである。 『あの兄弟が力を合わせれば、この国も変わろうものを…』 フォンクライスト卿ギュンターや、フォンウィンコット卿オーディルといった良識派の面々は顔を合わす事にそう語り合ったが、その意見は主要意見になるどころか兄弟当人達にまで却下されたものだ。 魔王の息子たる男達は、その家系…もしくは能力によって、絢爛たる肩書きを持つ者ばかりである。 先に述べた長子は政策立案とその実施面での運用に高い能力を持ち、次子はあの《ルッテンベルクの獅子》として名高い、ウェラー卿コンラートである。 アルノルドで全滅に近い形にまで崩壊したルッテンベルク師団を再編した彼は、精力的にその陣営を整え、フォンウィンコット卿オーディルの協力を取り付けると兵士の育成機関を独自に設立して、若い戦力…特に混血魔族を鍛えていった。 また、己の持ち領土であるウェラー領の産業にも改革を行い、寒冷で穀物の育ちにくい土壌にも適応する種穂を開発すると、積極的にこれを農家に提供して収穫を増やしていった。 更には強壮な軍馬の育成に於いては、誰もがその成果に目を見張ったものである。 他の領土に類を見ないほど大柄で強壮な悍馬を産出し、そのうちの特に良質なものを麾下の部隊に宛うと、徹底的に騎兵部隊を教育していったのである。 この仕込みが華々しい戦果となって発露するのは後年のことではあるが、この当時に於いても見る目を持つ者の目には、彼が何か強い志を持って軍隊陣容を整えていることに気づいたことだろう。 『眞魔国軍の主軸として、独自展開出来るだけの戦力を備える』 その意図に気付いた者のうち大半は混血の男が台頭してくることに懸念を示し、時にはあからさまな圧力を掛けてくる者もいたため、何もかもが順調に進んだ訳ではない。 また、この時期のルッテンベルク師団にはまだあどけない顔立ちの若者ばかりが揃っており、《仔猫師団》等と陰口をたたかれたものである。 末子のフォンビーレフェルト卿ヴォルフラムは成長過程にあり、まだその能力については未知の領域が大きすぎるが、少なくともその家系の持つ権勢には特筆すべきものがある。 叔父が現在の領主を務めているが、彼はこの甥を非常に可愛がっているので、ヴォルフラム自身が強い意志を持って牽引すれば、ビーレフェルト家は国の動向を左右するほどの力を持つはずである。 だが…今のところ、その気配はない。 純血魔族の誇りを強く持ちすぎるこの叔父は、寧ろヴォルフラムを引き込む形でその価値観を教え込み、元々はコンラートを慕っていたこの少年を重篤な《血統崇拝者》に仕立ててしまったのである。 また、この叔父はフォンヴォルテール卿グウェンダルとも非常に仲が悪かった。 ヴォルテール家は十貴族の中でも、創主を封じた勇者の家系としてビーレフェルト家同様の伝統を誇るので、この場合は血筋がどうこういう問題ではなく単に《馬が合わない》としか表現出来ない。 ヴォルフラム自体は長兄のグウェンダルを慕っていることを伯父の前でも公言し、それを否定されることはなかったが、手を結んではどうかという提案は何かと理由をつけては拒否されるのが定石であった。 直情型のビーレフェルト家は、質実剛健をもって成るフォンヴォルテール家の者とは基本的に相容れず、しかもその感情を基点として政治を進めてしまうため、グウェンダルの提示する政策の内容そのものよりも、《あいつは気に入らない》ということを判断決定の基準としてしまうのである。 元々の能力はともかく…一国の盛衰を担う主要な家門の者としては幼稚に過ぎると言わざるを得ない。 こうなると、せめてグウェンダルとコンラートだけでも…と祈るような思いでギュンターは仲介に努めたりしたのだが、この二人は冷静な政治家・軍人として語り合う分には申し分なく、特段憎しみを抱いているわけではないというのに…その仲は兄弟の親しみと表現するには頑なさが強く、必要以上に馴れ合うということがなかった。 それに、コンラートは十貴族ではない。 具体的にグウェンダルの後押しになることは出来ず、また、他の十貴族と兄とを結びつけるための架け橋になろうという意図もなかった。 当たらず触らず…という二人に、ギュンターはよく嘆息を漏らしたものである。 * * * 眞魔国歴4000年……新たな千年期を迎えるという言祝(ことほ)ぐべき年を迎えた眞魔国では大々的な催しが数多く行われ、魔王ツェツィーリエの美貌と御代とを讃える歌が国中の吟遊詩人の口から流れ出ていた。 貴族達は何時にも増して華やかに宴を催し、有力者を招いては歌い踊り…密談に励んだ。 だが、その一方で二十年を閲した今も戦争の傷跡を残す地方は捨ておかれたままで、十貴族ではない…ましてや、フォンツュピッツヴェーグ卿の派閥に組することのできない領土には貧民街が多く存在していた。 貧富の格差は貴族制国家ならば当然とはいえど、心ある者にとっては愁眉を寄せたくなるような光と影が色濃く浮かび上がる。 さて…それでは、他国の状況はどうであろう? 眞魔国とは異なる暦を用いるシマロンでは当然、この年を迎えた当初は特段の意味を認識することはなかった。 だが、世界中の誰にとってもこの年は、決して忘れることの出来ない呪われたものとなる。 この年小シマロンによって開かれた《禁忌の箱》が、シマロン…いや、人間が住まう大陸の殆どに甚大な災いをもたらしたのだ。 《禁忌の箱》…それは、かつて眞魔国の祖…眞王が、創主の力を4つに区分して封じたとされる魔器であった。 その名の示すとおり《禁忌》である箱は、眞王の忠実な臣下に護られて厳重に保管されていた。だが、時を閲していく内に《凍土の劫火》と《鏡の水底》は姿を眩ませ(この内、《鏡の水底》については更に厳重に封じようとした魔族が異世界に運んだのだとも言われている)、《風の終わり》と《地の果て》もまた何処かに持ち去られたと言われていた。 それが…4つの内2つまでもがこの眞魔国歴4000年に、揃って大小シマロンの手に渡ったのは唯の偶然なのだろうか?今世を生き抜く者達にとってはその意味を知る知らぬに関わらず、大いなる災いが押し寄せてくるのに変わりはなかった。 大シマロンが手に入れたのは、《風の終わり》…鍵となるのは、かつてシマロンを治めていたローレンツ・ウェラーの血を引く者の左腕。 小シマロンが手に入れたのは、《地の果て》…鍵となるのは、ジークベルト・ヴォルテールの血を引く者の左目。 その真の鍵を用いることはできず、似て非なるものが用いられた。 当初、《風の終わり》を持つ大シマロンはウェラーの血を引くコンラートを捕らえようとしたのだが、今や眞魔国軍の主軸として重要視されている男をそうそう捕らえることなど出来なかった。この為、大シマロンについては箱の開放に頓挫することになる。 そして《地の果て》を持つ小シマロンは、ヴォルテールの親戚筋に当たるグリーセラ卿ゲーゲンヒューバーを捕らえて鍵にしようとしたが箱は開かなかったため、大胆にも眞魔国内に拉致団を派遣してグウェンダルの親戚筋の少年を捕らえると、公開実験によって箱を開くことに成功した。 いや…成功したと表現して良いのだろうか? 自国ではなく、統治下にあったカロリア自治区で実験を行った事から考えても小シマロンが実験によって何が起こるか、ある程度知識を持っていたことは伺える。 だが…よもやその力が大地を引き裂き、シマロン全土を砕くほどの力を持つとは考えなかったのだろう。 それは…身も凍るような光景であったという。 実験に立ち会わされた兵士達のうち、幾人かが命からがら逃げ出して近隣の国に逃げ込んだが、その殆どは生気を失い、逃走中の数日の中で老いさらばえ…皮膚には深い皺が寄り、目は落ちくぼんでギラギラと血走り…髪は白髪に変じるか抜け落ちるかしていた。 また、自分たちが見聞きしたことを口にした衝撃で事切れた者も多かった。 大陸中西部の大地は深い断裂を見せて次々に割れ…地層の継ぎ目という継ぎ目が崩れ…滑り、湧き出てきた水と土砂がまるで津波のように高い位置から人々を飲み込み、押し流していったのだという。 沸き上がる瘴気が蜷局を巻いて天空を覆い、悲鳴とも怒号ともつかぬ叫び声が大気の中を何時までも轟いていたのだと…。 だが、ここまでなら単なる天変地異…出くわした者には不幸であっても、時過ぎれば過去の悲劇として語り継がれはするものの、記憶の中からは薄れていくはずの《地方性大規模災害》に過ぎなかった。 だが…事態はここで収束することはなかったのである。 人の手が及ばぬほどの地底へと沈み込んだ《地の果て》は、己の塒(ねぐら)の中でほくそ笑むようにして猛威を振るい続け、大シマロンに保管されていた《風の終わり》、そして、フランシアに密かに保管されていた《凍土の劫火》の開放までも誘発したのである。 巨大な竜巻が大シマロンの居城を粉砕したかと思うと、見る間に複数の竜巻が出現してありとあらゆる建物…人…農作物…生きとし生けるものが発火し、それら全てが紙切れのように噴き上げられ、大地に叩きつけられた。 更にはぐらぐらと沸き立つような地震が頻発して土壌を液状の泥へと変えていき、それがまた竜巻に巻き上げられるという地獄絵図が続いた。 不正な鍵によって開放された箱を封じる術はなく、人々は唯祈り…泣き叫びながらその日を待つほか無かったのである。 荒れ狂う箱は自分たちの破壊に満足したのか…はたまた他の要因があったのかは不明だが、発生から7日後、突如としてその動きを止めた。箱が沈んでいると思しき地域一帯には瘴気が渦巻いてはいるものの、土砂崩れ・竜巻・水で消せない劫火といったものは何とか収まった。 しかし、7日間の地獄をようよう生き残った者達は呆然として立ち尽くすことになった。 まず国土の面から言えば、この崩壊の度合いは自然災害によるものの比ではなかった。 地中に植えられたもの…木に成るもの…およそ全ての作物が甚大な被害を受けており、僅かに残った食糧を巡って血みどろの戦いが繰り広げられることになったのである。 また、政治的な面から見ても困難な事態が生じていた。 大シマロン・小シマロン共に、政治の中枢にあった王族のうち主要な地位にあった者が全て死に絶えていたのである。 このため、かつてはシマロンであった領土には大小の勢力が次々に勃興し、国盗り合戦が繰り広げられることになる。 《凍れる冷戦》が崩壊したとき、《呪われた戦国時代》が始まったのである。 * * * 血縁者を攫われたグウェンダルは捜索隊の指揮官として眞魔国軍を率い、密かにシマロン領土に入っていたのだが…大地を伝わってくる波動に驚愕して進軍を止めたことで、辛うじて全軍崩壊の危機は免れた。 そして波動が幾らかの落ち着きを見せた頃に偵察隊を出して調査させたところ、シマロン全土がほぼ崩壊しているという状況を知らされたのである。 勿論、血族の少年を救うことも叶わなかった。 おそらく左目を抉られ…《地の果て》が開放されたその時に、既に絶命したのだろう。遺体を回収することもできなかった。 無骨ながら情に厚いこの男にとって、幼い少年を無惨に殺されたことは声を失うほどに酷(むご)い衝撃であった。 『なんという…愚かな事を…っ!』 人間達は、かつて絶大な力を誇った眞王ですら一人の力では封印すること叶わなかった箱を何故、意のままに操れるなどと信じたのだろうか? あまりにも大きすぎる過ちは、人間の住む世界はおろか全ての世界を飲み込むことになるだろう。 不完全ながら封印を解かれた《地の果て》は、誘い込むようにして《風の終わり》《凍土の劫火》の開放を促した。異世界に送られたとされる《鏡の水底》が反応するかどうかは不明だが、この三つが開かれ…そして、閉じる宛がないだけでも絶望的な状況だ。 『眞魔国の要素にも、必ず余波は来る』 先に眞魔国へと帰らせた者に白鳩便を飛ばせたところ、強い魔力を持つ者は力が不安定になった程度のようだったが、もともとあまり力をコントロール出来なかったものは《要素が応えなくなった》と漏らしているらしい。 それは、箱から漏れだしてくる創主の瘴気によって、要素が怯え…集合性を乱されている為だろう。 次第に、殆どの者が魔力を使えなくなって来るに違いない。 グウェンダルはシマロン領から抜けるまで、無惨な姿で逃げ延びてくる怯えきった人間達の様子にも目を覆いたくなった。 最初は女、子どもに対しては、義侠心から食糧や毛布の提供をしようとしたものの…恐怖と元々根深かったのだろう魔族への敵愾心に燃え立つ人間達は、食糧を《貰う》のではなく《奪う》為に襲いかかってきたのだ。 殺しはしなかった。 剣に掛けるだけの値打ちもない者達だと判断したグウェンダルは騎馬で人間達を蹴散らすと、もうそれから二度と人間に手を差し伸べることはなかった。 それよりも、彼にはやるべき事があった。 早急に、眞魔国の防衛を強化せねばならないのだ。 人間世界の大半を占めるシマロンでこれ程の混乱があったのだ。もはや国家として収拾のつかなくなった人間達には、以前のような魔族へのプライドによる戦争ではなく、喰うための…命がけの戦いを挑んで来るに違いない。 食い詰めた…帰る宛のない正規軍ほど手を焼くものはない。 元々希薄であった国際法など、《守ろう》などと口にした人間は仲間に虐殺されるに違いなく、正規軍であるだけに、えげつないほど殺人の手管に通じているのだから…。 これ程大陸全土が疲弊していては、流石にすぐ侵攻…というわけにはいかないだろうが、数年後には必ず手出しをしてくるはずだ。 『おそらく、胸が悪くなるような戦いになる』 グウェンダルは暗然たる想いを抱えて、眞魔国へと帰還した。 |