お嫁においでよ−1










 お盆を過ぎると高温多湿の日本の夏も幾らか凌ぎやすいものになってくるのか、コンラートは冷房無しで眠れる夜に感謝しながら勤労生活を送っていた。

 ドイツの本社から指導官として送り込まれた日本の会社は最初の内こそ戸惑うことだらけだったが、今年に入ってからは文化風習にも馴染み、社員達にも慕われて忙しい中にも充実した日々を送っている。

 そんなある日のこと…露出度の高い華やかな女性がマンションを訪ね、一枚の写真を提示したところから、コンラートの生活軸はグイ…っと移動させられることになる。



*  *  *




「随分…ボーイッシュな娘さんですね」

 コンラートはかなり控えめな表現をした。
 発言理由の第一は、写真に映し出された子が《見た目に反して本当に娘さんだったら悪いな》という配慮であり、もう一つには《娘さんであれば嬉しいな》という願望であった。

 《もしかして女の子なんじゃないかな?》と期待してしまうくらい、写真の中の子は可愛らしい顔をしていたけれど…身につけているものが漆黒の学生服であることがコンラートの希望を挫こうとする。
 体育祭の応援合戦の時にでも撮った写真だと信じたい…。

 だが、コンラートの心境内でそんな鬩(せめ)ぎ合いが展開されていることなど知らぬげに、ツェツィーリエ・フォン・シュピッツヴェーグは朗らかに笑った。

「あらやだ。確かにユーリちゃんは可愛いけれど、決して口に出してそんなこと言ってはいけなくてよ?きっと拗ねてしまわれるわ。ユーリちゃんは歴とした16歳の男の子なんですもの」
「…………そうですか……」

 ドイツ共和国には現在、貴族階級は存在しないので正式な名に《フォン》の称号はつけないのだが、世界でも有数の名家であるシュピッツヴェーグ家の正当な後継者であれば、大抵の者がこの称号を冠せられる。

 その母とは別姓…それも、《フォン》などという貴族名を持たないコンラートであったが、母に対しても貴族名の付く別姓の兄弟に対しても、隔意は全く持っていない。

 寧ろ、飄々とした風貌の割に意外と律儀な彼は、家族への愛情故に不必要な苦労を背負い込むことも多々あるのだ。

 特に、この母親…35歳の長兄グウェンダル・フォン・ヴォルテールを筆頭に、27歳になるコンラート、16歳になるヴォルフラム・フォン・ビーレフェルトの三兄弟を経腟分娩したとはとても思えない若さと美貌の主には、様々な種類の苦労と困惑を与えられている。

「ひとつ聞いてもよろしいですか?何故…俺は男の子とお見合いをしなくてはならないんでしょう?」

 そう…この写真が《旅先で知り合った可愛い子》というだけの紹介であれば、コンラートとて口をそやして褒め称えることだろう。

 だが、それが自分のお見合い相手となれば話は別だ。

 コンラートは琥珀色の澄んだ瞳に、ウェラー家特有の銀色の光彩を鏤めた美しい瞳の持ち主で、伸びの良い声や端正な面差し、均整の採れた逞しい体躯に卓越した運動能力、優れた頭脳…と、冗談みたいに揃った条件の持ち主であり、相手に困ったことは未だかつて無い。

 性格も適度に砕けているし付き合いも良い方なので、女性だけでなく男性にもモテてしまうが、コンラート自身はまがう事なきストレートだ。

 幾らこの子が可愛くても少年愛に目覚める予定はない。

「だって、とっても素敵な男の子なんですもの!私、手元で撫で撫でして可愛がりたいのよ〜。それで養子に貰えないかって頼んだら、先方のご両親に凄く怒られてしまったの」
「それはそうでしょうね…」

 平均以上の愛情を注いでいる家庭であれば、幾らツェツィーリエが莫大な財産を持っていると知っていても、息子を養子にやってしまうことには反対するだろう。

「でも…私どうしても諦めきれなくて、うちの息子達のお嫁さんとしてお迎えできないかってお願いしてみたのよ」

『余計に怒られるだろう』

 高速で突っ込みたいのを喉奥で食い止める。
 既に先方のご両親に叱られた後だろうから、傷口に塩を塗り込むこともないと思ったのだ。

 …が、その配慮は虚しいものであった。

「そしたら、《お互いが気に入れば問題ないでしょう》って言ってくだすったの!」
「…はぁ…っ!?」

 声が素っ頓狂に跳ねてしまう。
 
「ねぇ〜お願いよコンラート!会うだけでも会ってみて頂戴!私の子どもの中で、コンラートが一番モテそうなんですもの。きっとユーリちゃんも気に入ってくださるわ!」

 三兄弟の中で一番に白羽の矢が立ってしまうことを喜ぶべきなのか悲しむべきなのか…自分が、一番母の無理難題を聞いてくれそうな人物と見なされていることは間違いないようだ。

「そんなこと、勝手に決めつけられても困ります!」

 可愛らしく両手を組んで上目づかいにお願いされると心が揺れてしまうが、以前もその手で酷い目にあったので、心を鬼にして怖い顔をして見せる。
 すると、ツェツィーリエはしょんぼりと肩を落としたものの、お見合い話自体を諦めたわけでは無さそうだった。

「そう…どうしても駄目ならグウェンかヴォルフにお願いしてみるわ」
「え?」

『グウェンやヴォルフにねぇ…』

 あからさまに嫌がりそうな顔が目に浮かぶ。
 だが、彼らとてもこの魅惑的な母の我が儘には弱い面を持っているから、ごり押しをされれば引き受けはするだろう。その代わり、《ユーリ》という少年は酷い目に遭うのではないだろうか?

『ヴォルフ辺りが出ることになれば、あからさまに《財産狙い》なんて言い出すかも知れないしな…』

 それはあまりにも気の毒だろう。
 きっと、この子自体はそんなこと何一つ知らないだろうし、両親だって決して財産に目が眩んだというわけでは無さそうなのに…。

 このつぶらな瞳が不条理な怒りに晒されて傷つけられるのは、何だかとても可哀想な気がした。

「………会うだけですよ?」
「あぁん…っ!嬉しいわコンラートっ!あなたはやっぱり素敵な子だわぁ…っ!」

 嬌声のように蠱惑的な声を上げて身を捩る母は、豊満な胸で息子を圧死させる勢いで抱きついてきた。



*  *  *




 約束の日、今時珍しいくらい正式な場で見合いが行われることになった。
 歴史ある武家屋敷を改造して作られたホテルは立派な庭園があることが有名で、コンラートもその色彩に見合った燻墨色のスーツを纏っている。ただ、頑なになりすぎない程度に薄青のシャツを合わせ、ズボンを細身にしていることで相手を威嚇しないようにしている。

『16歳でお見合いというだけでも早すぎると思うのに、相手が年上の男じゃあさぞかし困惑してるんだろうなぁ…』

 正直、コンラートの方では引き受けたものの、先方の渋谷有利が引き受けるとは思わなかった。
 もしかすると向こうの母親も押しが強いのかも知れないが、最悪…本人が乗り気だった場合はどうしよう?

『嗜好も性格も、そういえば何も知らないんだよな』

 釣書は渡されたが忙しくて、今日一日時間を取るだけでも苦労したのだ。
 下調べをする余裕もなかったので、有利に関する知識はないに等しい。

 ごく一般的な少年に思えたが…ひょっとして、年上男性に憧れを抱くような嗜好の持ち主であった場合、断るのに苦労するだろうか?

 変な方向に緊張してしまって、ホテルに入ってから二度目のトイレに向かう。
 《殿方》と書かれた和式のトイレは綺麗な小石を敷き詰めた趣のある物だったが、便座自体は様式のウォシュレットだった。

 すっきりして出てくると、ぱたくたと足早に駆けてくる人影があった。
 鮮やかな振り袖に身を包んだ、華奢な少女だ。

 紺色の地に牡丹をあしらい金糸銀糸で彩った振り袖は、勢いよく翻ると蝶のように華やかだ。
 けれど、それでなくても歩幅の制限される着物であんなに走っては危なくははないだろうか?

「あ…っ!」

 案の定転びかけたから、素早く駆け込んで抱きとめてやった。

「大丈夫?」
「あ…あ。ご、ごめんなさい…っ!俺、急いでて…っ!」

 荒い息を吐く少女は何故か一人称が《俺》で…落ちかけていた牡丹の髪飾りを直してやると、コンラートはその容貌に目を開いた。

 それは…驚くほど愛らしい子だった。

 今時珍しいくらい純粋な漆黒の髪とはさらさらと流れ、大粒の瞳は長い睫に包まれて生気に満ちている。
 小さな形良い鼻の下にはこぶりだが《ふくっ》とした質感の唇があり、淡く紅をさしている。化粧と言えばこの紅の他は軽く白粉をはたいている程度だろうに、よく日に焼けているのにすべやかな肌は着物によく映えていた。

 だが、ある一点が物凄く気に掛かる。

『この子…お見合いの子じゃないのか?』

 どうしよう…。
 女装が趣味の本物さんだったのだろうか?
 
 《写真で一目惚れでした》等と迫られたら何と言えばいいのかと焦っていたが、有利の方はコンラートをまともに見ることなく、来た道を振り返ってすぐに立ち上がった。

「ぶつかってゴメンなさい」

 もう一度ぺこりと頭を下げるが、不自然な体勢を取ったせいかゴロリと草履がよろめいてしまう。

「…んっ!」
「…っ!捻ったかい?」

 草履がよろめいた瞬間足を内反してしまったらしい。
 横倒しに転びそうになるから、また抱きとめるしかなかった。

「痛…」
「少し捻ったね…立てる?」
「ぁ…っ!」

 草履を脱がせると許しも得ないまま足袋を脱がせてしまう。

「失礼。だけど、腫れて脱げなくなるともっと辛いからね」
「か、重ね重ねすみません…」
「気にしないで。うん…少し捻ったみたいだけど、腱は無事だね。安静にしておけば大丈夫だと思うよ。確か…このホテル、横に薬局あったよね?ホワイトテープを買ってテーピングしてあげるよ」
「出来るの!?足関節のテーピングって、一番難しいのに…」
「昔、軍にいた頃に講習を受けたし、今でも時々友人にしてあげるから多分大丈夫」
「軍人さんなの?」
「いや、ドイツ人なものでね。決められた期間軍役に付くことが義務づけられているんだよ」
「ドイツの人なの?ああ…そういえば色白だよね」

 言われるまで白人であることに気付かなかったのだろうか?
 鈍いと言うより…それだけ何かに焦っていたのだろうか。

 足早に駆けてくる足音が聞こえてくると、有利と思しき少女…いや、少年はびくりと震えてまた逃げだそうとする。

「駄目だよ。走ったらまた痛めてしまうよ?」
「でも…でも、俺…このままじゃスケベ親爺に売られちゃうんだよっ!」
「…はあ?」

 自分でも驚くほど素っ頓狂な声を上げてしまった。
 スケベ親爺…未だかつて、そのような形容を受けたことは一度としてないのだが…。
 やはり相手が16歳ともなると、27歳は立派な親爺なのだろうか?

 怒って良いところだと思うのだが、あまりに少年が切羽詰まった涙目をしているものだから、それ以上追いつめるような事を口には出来なかった。

 それに、よく考えると話が噛み合わない気もする。
 有利はコンラートの顔が見合い相手のそれだとは気付いていないようなのだ。スケベ親爺と認識しているのなら、きっと草履を脱がせるか、そもそも抱きとめた段階で大暴れしていることだろう。

「ああ…、だ…ダメ…来ちゃう…っ!」
「待って、ユーリ。走らないで?スケベ親爺に売られたりしないから!」
「何で分かるんだよっ!凄く年が離れてる男が男子高校生と見合いしようってんだぜ?薬漬けにされてエッチなコトされてマカオとかに売られちゃうって勝利が言ってたもん!」
「大丈夫だから、落ち着いて?」

 肩を掴むと、強い調子で言い聞かせた。

「そんなことには絶対させないから、このまま座っていなさい」
「…ほんとう?」

 泣きそうな顔が、少しほっとしたように和らぐ。
 どうやら信じてくれたらしい。

「本当だよ。君に、嘘を付いたりしない」

 精一杯真摯な眼差しを向けて頷けば、有利の肩から強張りが解(ほぐ)れていく。

「信じてくれる?」
「うん…」

 こくりと頷くと、有利はほわりと微笑んだ。
 それはそれは綺麗な笑顔はお日様に向けて咲く向日葵みたいで…思わず見惚れてしまった。



*  *  *




「まあ、ゆーちゃんたら一足先にウェラーさんに会っちゃったのね?」

 コーラルピンクの留め袖というなかなか可憐な出で立ちで駆けてきたのは渋谷美子で、年の割に可愛らしい声が更に一オクターブ高くなっていた。

 それにしても今…彼女は何と言ったろうか?

「え…?ウェラーって…えっ!?」
「あらあら、気付いてなかったの?ゆーちゃん…この方がツェリ様の息子さんで、コンラート・ウェラーさんよ?」
「えぇええええ……っ!?」

 驚愕してコンラートを見やれば、複雑そうな顔をして苦笑していた。
 どうやら、コンラートの方では有利に気付いていたらしい。

「うちの母のせいで妙な事に巻き込んでゴメンね?だけど、俺も俺の母も絶対君を変なところに売ったりはしないから、どうか落ち着いていて?」
「あ…あんたがウェラーさん?」
「うん、スケベ親爺のね」

 くすくすと笑う表情は悪戯っぽくて、怒っている様子はないけれど…とても失礼な事をしてしまったのは間違いない。
 先程までとは違った意味で泣きそうになって、有利はしゃがみ込んで頭を下げた。

「ごごご…ゴメンなさい〜っ!俺、あんたの写真も見て無くて…そもそも、今日ここに来たときにはお見合いって聞かされてなくて…。そこに勝利が…あ、俺の馬鹿兄貴が突入してきてあんな事吹き込んだから…っ!」
「気にしないで?混乱しちゃっただけなんだよね?」
「うん…あ、あんたを見てスケベ親爺だとか思ったんじゃないんだよ?ホントだよ?」
「じゃあ、少しはマシな男に見えたのかな?」

 怒った素振りもなく優しげにそう囁かれるから、有利は仔犬みたいな勢いで《マシどころではない》印象に太鼓判を押した。

「うんっ!凄い格好良いお兄さんだなって…目とか蜂蜜みたいに美味しそうな色で、あ…っ!笑ったら銀色のきらきらした色が散るんだね?きれーい…」
「光栄だな」

 思いつく限りの賞賛の言葉を口にしていたら、ややこしいことに美子が歓喜の声を上げ、そこに勝利が駆け付けてきた。

「まぁあ…っ!ゆーちゃん、やっぱり気に入ってくれたのね?私もね?ゆーちゃんを養子に欲しいなんて言われたときには何を言い出すのかしらっ!…て怒ったんだけど、ほら…ウェラーさんの写真を見せられちゃったじゃない?そしたら物っ凄い美形でしょ?爽やかキラキラ〜って感じでしょ?絶対ゆーちゃんと仲良くなれそうな気がして、お見合いを設定したくなっちゃったのよね!」
「ゆーちゃぁあんっ!お兄ちゃんが来たからには安心しなさいっ!地の果てまでも一緒に逃げてやるからなっ!幾ら大金持ちでも、お前の貞操を蹂躙させたりはせんぞぉおっ!」

 波長が見事な逆ベクトルを描く親子に、有利の怒りが爆発した。

「お袋っ!最初からちゃんとこの人の写真みせて事情を話してくれたらこんなややこしいことになんなかったのにっ!なんだよっ!《亡くなったママが、娘が生まれたら着せるのよって遺言した振り袖をどうしてもゆーちゃんに着て欲しかったの》って…。涙ながらに言うから真に受けて着た俺が馬鹿みたいじゃんかっ!」
「男の人とお見合いなんて言ったら絶対に着てくれなかったでしょ?」
「当たり前だーっ!」
「そうだそうだ!お袋、ゆーちゃんをよそんちの男の魔手に陵辱させるなんてとんでもないっ!」
「勝利は勝利で、ナニ無茶苦茶な設定作ってんだよ!ウェラーさんのどこがスケベ親爺だっ!凄い良い人じゃんかっ!」
「何だとーっ!ゆーちゃん、早速薬でも盛られたのか?それとも、出会い頭にキスでもされて籠絡されたのか?」
「失礼なこと言うなっ!ウェラーさんは紳士だっ!」

 ぎゃあぎゃあと有利達が言い争っている間に、気が付くとコンラートは姿を消していた。

「あれ…ウェラーさんは?」
「帰ったんじゃないのか?お前が言うとおりまともな奴なら、話は流れたと思って普通だろう」
「そんな…っ!俺…ちゃんと謝ったり、お礼も言ってないのに…」

 散々苦労を掛けて、失礼な事を言ったのに、笑って許してくれたあの人にまだ何も出来ていないのに…。
 もう、会えないのだろうか?

『どうしよう…』

 胸が着物の帯のせいか、きゅう…っと締め付けられるみたいに苦しかった。

「ウェラーさん…」
「呼んだ?」
「わぁ…っ!」

 切ない声で呼んでいたら、至近距離の背後から声を掛けられた。

「ウェラーさんっ!」
「そこのソファに座ってて。テーピングしてあげる」

 手際の良いことに、コンラートはいつの間にかホワイトテープとアンダーラップを買ってきてくれたらしい。

「あ…俺、今お金持ってないけど、テープ代払います…っ!」
「良いよ、元はと言えば俺の母が君を気に入って無理にお願いした話だからね」

『そっか…この人は巻き込まれただけなんだ…』 

 別に有利の写真を見て気に入ったとかではなく、綺麗で魅惑的なんだけど、思考回路が今ひとつ読めないツェツィーリエに強引に押し切られたのだろう。

「痛い?」
「ううん…ウェラーさん上手だから、気持ちいい…。巻いて貰ったら、楽になったみたい」

 有利は、少し落ち込んだ顔をしていたらしい。コンラートが心配そうに覗き込んでくるから、気合いを入れて笑顔を作ってみたのだが、それでも強張った顔になってしまったようだ。

「…やっぱりまだ痛いね?無理はしない方が良い…。家まで送るから、今日はもう帰りなさい」
「え…わ…っ!」

 有利の身体をふわりと抱きかかえると、コンラートは危なげなく駐車場の方向に歩き始めた。

「フラウ・シブヤ…息子さんをお送りしますので、ナビを頼んでもよろしいでしょうか?」
「ええ…ええ…っ!わ、分かりましたわっ!」

 王子様然としたコンラートに押されて、美子もこれ以上お見合い路線を押しつけてくることはなかった。楚々とした仕草を装うと、ころころと笑いながら道案内をする。
 勝利も有利が足を痛めていることを知ると、そう無茶は言ってこなかった。

「ありがとうございます、何から何まで…」
「ユーリは謝ってばっかりだね」
「だって、ろくなことしてないし…」
「君は笑ってる顔の方が可愛いよ」

 《可愛い》なんて言われたら大抵の場合は盛大に臍を曲げるのに、どうしてだかこの時は嬉しくて、自然に微笑んでしまった。
 流石親子と言うべきか…美子と同じような反応をしてしまったのが恥ずかしい。

「じゃあ…謝るのはもう止めるね?ありがとう…」
「うん、その方が嬉しいな」

 にっこりと微笑むコンラートはとてつもなく爽やかで、有利はこんな素敵な人が世界にはいるものなのだと感心したのだった。

『また…会えないかな?』

 そんな無茶が通るわけないと分かっているのだけど、もっとこの人と話をしてみたいような気がする。
 年は凄く離れているみたいだけど、良い友達になれるような気がするのだが…そんな妄想を抱いているのは有利の方だけだろうか?

 コンラートにお姫様抱っこされていることも忘れてもじもじしていたら、コンラートが小さく囁きかけていた。

「ねぇユーリ、今日は散々だったけど…これも何かの縁だと思わない?」
「え…?」
「良かったら、また会わないかい?」
「ほんと?い…良いの!?」
「君さえ良ければ」
「うん…うん…っ!絶対また会いたい。今日のお礼させて?」
「楽しみだな。じゃあ、後でメル番教えてくれる?」
「うんっ!」

 元気よく頷くと、身体がふわりと軽くなった気がする。
 着物で締め付けられて苦しかった身体がまるで羽根のようにふわふわとして感じた。

『嬉しい…!』

 ふくふくと湧いてくる気持ちがどういうものなのか…有利が気付くのは、もうちょっと先の話。

 


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