おやゆび陛下−6
〜ちっちゃな陛下のすてきな日常〜
血盟城に向かったユーリは、そこで熱烈な歓迎を受けました。
「まぁあ…っ!なんて可愛らしいんでしょうっ!!」
豊満な肉体に扇情的な衣装を身に纏った女王ツェツィーリエ陛下は、ユーリの姿を目にするなり黄色い歓声をあげて抱きつきました。
「むむむ…くるちぃ……」
「母上っ!ユーリ陛下が窒息しなさいますっ!」
それはコンラートにも覚えのある体験でした。
豊満でむっちりとした胸元を顔に押しつけられると、すべすべとした素肌であることも相まって、全く息が出来なくなるのです。
ちっちゃなユーリであれば尚更でした。
「ふぅ…。苦しかった」
「ごめんなさいね?ユーリ陛下…ずっと大変だった魔王陛下の重責まで負って頂けると聞いて、もうそれだけで舞い上がっていたところに、こんなに愛くるしい姿を拝見したんですもの。もう、私嬉しくて嬉しくて…」
「ずっと嫌だったの?魔王陛下でいるの…。やっぱり大変?」
「そう…ね。大切な人が傷ついているのに…護れなかった時が、一番辛かったですわ…」
瞬間…ツェツィーリエの瞳が泣き出しそうに潤みました。
その魅惑的な双弁は、今だけは女としてではなく母としての慈愛と、狂おしいほどの後悔を滲ませて息子を見詰めていました。
きっと、戦争でコンラートをとても辛い目に遭わせてしまったことが悔やまれてならないのでしょう。
「じゃあ…これからは、大切な人をいっぱい護ってあげて?」
「ふふ…でも、手遅れではないかしら?私…その方が一番辛い時に、なにも出来なかったんですもの」
「大切なひとを大切にするのに、遅いなんてことないよ。あるとしても…だったら、余計にいっぱい、はみ出しちゃうくらいいっぱいいっぱい大切にしてあげたらいいんだ」
「まぁ…そうかしら?」
「うん!おれだったらまずは抱きしめるよ。さっきの《ぎゅう》は苦しかったけど、《むに》だったらすごく気持ちが良いと思うもの」
ちっちゃくても流石は男の子です。
マックスボインの正しい楽しみ方も心得ているようでした。
「そう…ね?」
少女のようにはにかむと、ツェツィーリエは上目遣いに愛らしくコンラートを見詰め…そして腕を伸ばして大切な息子を抱き寄せました。
「可愛い可愛い私の息子…!ずっと、護れなくてごめんなさい…いたらぬ母で、ごめんなさいね…」
「華を…俺のために作ってくださったと聞きます」
「まあ…!本当?私…アルノルドに立つ前に渡したかったのだけど、戦場に旅立つ者に華なんて…と引け目を感じてしまって、持って行けなかったの…」
「母上の華が、俺にユーリ陛下を与えてくれたのですよ?幾ら感謝しても…足りません」
潤んだ琥珀色の瞳に深い感謝の念を込めて注げば、ツェツィーリエは吃驚して頬を染めました。
そして眞王廟で聞いた事情も伝えますと、それはそれは喜んでくれました。
「そうなの…そうなのね?私…初めてあなたの役に立ったのね?」
「いいえ、母上。俺はずっと感謝しておりました。人間の父を厭うことなく愛し、俺を産んでくださったこと…これこそ、どんな感謝の言葉でも語り尽くせぬ祝福です」
「コンラート…」
親子はひし…っと抱きしめ合って、互いの愛情を確認し合いました。
本当は誰よりも大切に想っていたのに、すれ違っていた二つの愛が初めて綺麗に合致したのです。
『なんてすてきなんだろう…!』
ユーリは胸の中がきゅうん…とした暖かみで満たされていくのを感じました。
コンラートが幸せであることが、なによりユーリは幸せだと感じました。
* * *
さて、魔王様は交代することにしましたが、ツェツィーリエと同じくらいユーリは政治ってものがどういうことになっているのか分かりません。
魂として逃げ回っていた時に引き出した記憶だけでは、とても魔王様としてやっていくには足りないのです。
ユーリが一人前の魔王様になるまでは、やはり宰相を立てるべきだということになりました。
血盟城に引っ越してきたユーリの元には、毎日引きも切らず《忠誠心》や《愛国心》を喧伝する人々が集まってきます。ですが、ユーリはそれが本当のことなのか分かりませんし、簡単にくじで決めて良いことだとも思えませんでした。
ユーリが一人前になる頃に、眞魔国が滅びていたら困りますからね。
「ねえコンラッド、あんたと真逆の立場にある人でとても賢くて信頼できる人はいる?」
「真逆…ですか?」
ある日、そう質問されたコンラートは驚きました。
コンラートが信頼する人…というのなら分かりますが、《真逆の立場》の人で、しかも《信頼できる》という条件は少し難しいものでした。
ですが、すぐにコンラートはそれがとても賢明な案であることに気付きました。
『ユーリ陛下は、独善的な政治になることを避けておられるのだ』
普通なら、何もかも頼り切っているコンラートに頼むのが普通でしょう。
ですが、ユーリは無意識のうちにそれは避けていました。
実際、寵臣だけに権力を集中させれば政治は傾いてしまいがちです。
コンラートも《宰相にと望まれたら困るな…》と思っておりましたので、素晴らしい英断だと思いました。
そこでコンラートは、シュトッフェルの配下であった重臣のカルパナート卿メッケルという老人を呼びました。偏屈者で知られていますが、シュトッフェルの配下でなければコンラートも親しくしたいと思うくらい、能力は極めて高い人です。
* * *
「この私に、新たな宰相を選べと申されるか?」
魔王居室の大きな机の上には小型の絨毯が敷かれ、そこに置かれた猫足のアンティーク椅子にユーリは腰掛けております。目尻がついつい下がってしまいそうなお姿ですが…カルパナート卿は小さな魔王様の真意を測りかねて、慎重な物言いをしました。
シュトッフェルに長年仕えていた自分が、主と敵対しているはずのコンラートにこのような案件で呼ばれたことがとても不思議だったのです。
「カルパナート卿、あなたの意見がそのまま反映されるわけではないが、ユーリ陛下の判断材料たり得る意見が欲しい。あなたはそれが出来る人材と信じて、今回お招きしたのだ。眞魔国が豊かで穏やかな国として在り続けるために…力を貸して欲しい」
「…っ」
カルパナート卿は薄く煎れたお茶色の瞳を細めると、コンラートを見詰めました。
そして、重々しく頷くと二人の候補を上げました。
「フォンヴォルテール卿グウェンダル閣下とフォンクライスト卿ギュンター閣下を、陛下の政治を支える双璧として登用されるべきでしょう」
今まで、その二人は能力を認められながら閑職に甘んじてきた人たちでした。
カルパナート卿の本来の立場から言えば、主君筋のシュトッフェルを再び推すべきなのでしょう…ですが、彼はシュトッフェルの判断によって行われた数々の悲劇を目の当たりにしてきた人でした。
無惨に、息子や孫を奪われてきた人でもありました。
シュトッフェルは金品を積まれて寵臣や財産家の親族を前線から外してきましたが、兵士を戦場に送る側の義務として、《それだけはやってはならない》とカルパナート卿は頑固に信じていたのです。
その結果、大切な人たちは残らず失われました。
カルパナート卿はその決断を一片たりとも恥じてはいません。
けれど…《恥じない》からといって、どうしてカルパナート卿が《辛くない》などと言えましょう?
辛くて苦しくて哀しくて…今でもこの心からは血潮が噴き出しているのです。
殆どの人は気付いていないその事実を、コンラートは気付いているのではないでしょうか?
戦争によって深く傷つけられたからこそ、二度とあのような悲劇が起こらないよう尽力したいという欲求に、きっと気付いているのでしょう。
それならば、カルパナート卿は誠意を持ってその期待に応えるべきです。
カルパナート卿は候補に上げた二人の長所と短所を簡潔にまとめ、その他にも国の枢要に相応しい人々について詳しく語りました。その知識は、その人々について既に知っているはずのコンラートも感嘆するほどの観察眼でありました。
うんうんと頷いて聞き終えたユーリは、とたた…っと机の上を歩くと、カルパナート卿の手にちょこんと自分のそれを重ねました。
本当は握手をしたいのですけど、寸尺の関係で出来ないのです。
でも、気持ちだけはちゃんと伝わるように…まっすぐに、想いを込めて話しました。
「ありがとう。おれは物知らずだけど、これだけは分かるよ?あなたはおれに、自分の立場や損得なんて考えずに、眞魔国って国のために何が必要かちゃんと考えて話してくれたんだろう?ありがとう…っ!あなたは、信じていい人だ」
「……陛下っ!」
カルパナート卿は目元に込み上げてくる涙を懸命に堪えましたが、慈しむようにちっちゃな手が皺くれた皮膚を撫でると、もう耐えられませんでした。
どう…っと熱い涙を零すカルパナート卿に、ユーリは吃驚仰天しました。
「だ…大丈夫?お腹痛いの?」
「いいえ…申し訳、ありません…少々、感傷的になっていたようです。私は、戦争で息子や孫を失いました。その子らが小さかった時のことを…失礼ながら、陛下を見ていると思い出してしまうのです」
「そうなんだ…ゴメンね?辛いことを思い出させちゃったね?」
ユーリがしょんぼりと肩を落としますと、カルパナート卿は強面の顔にせいいっぱい優しい表情を浮かべました。
「いいえ、陛下…涙の全てが悪いものではございません。それに…陛下の御身に息子達の姿を重ねられることは、この老人に未来への希望を抱かせるものでもあります。どうか…そのまま、健やかにお育ち下さい」
「そのままはヤだなぁ、おれはもっともっと大きくなりたいもの」
「はは…姿の事ではございませぬよ。その素晴らしい精神性のことを申し上げているのです」
真剣な顔をして唇を尖らせるユーリに、今度は笑いの波動を収めることが出来なくなったようです。カルパナート卿はくつくつとした笑いを喉奥で転がすと、目尻に深い笑い皺を刻みました。
そういう顔をすると、この老人は意外と人好きする顔になるようです。
きっと、息子や孫の前ではそういう顔をしていたのでしょうね。
「ウェラー卿…私に声を掛けてくれたことに深く感謝する」
「こちらこそ、人生の先達に思慮に富んだ意見を頂けましたこと、ありがたく思っております」
二人は決しておざなりではない握手を交わして別れました。
カルパナート卿はやはりシュトッフェルの元で働き続けなくてはならないのでしょうが、きっとこれからも力になってくれる…そう感じました。
* * *
ユーリは結局、グウェンダルを宰相に、ギュンターをユーリの教育係に据える方向で話を進め、彼らの意見も取り入れながら政治を担う陣営を整えました。
ユーリは日に何時間かは色んな案件がどう進められているかの報告を聞き、やはり何時間かはギュンターのもとでお勉強をします。
そして何より、愛を教えて貰うための勉強だってたっぷり必要です。
その為の人員は、コンラートを置いて他にありません!
「ユーリ、はい…あーん」
「あーん…うん、美味しい。もっと欲しいな」
「ユーリのお腹に合わせて作ってありますからね。全部食べても大丈夫ですよ」
あむ…っと匙で掬われたババロアをお口いっぱいに含むと、ユーリは満面の笑顔を湛えます。膨らみきった栗鼠のようなほっぺにちっちゃなお手々を添えますと、隣で見ていたギュンターが悶絶します。
「へ…陛下……たまには私の手からも食べてくださいまし…」
「おれに愛を教えてくれるのはコンラッドだもん。おれ専用の愛★臣下だもん」
なんとなく誤解を招きかねない響きですが、コンラートはちっとも構いません。
満足げな笑みを浮かべて、魔王様の求めるままにおかわりを差し上げます。
「はい、あーん…」
「コンラッドがくれるものは何でも美味しいなぁ…」
「ユーリが美味しそうに食べるから、俺は見ているだけで美味しい気持ちになります」
「コンラッド…」(←目の中にハートマークが散っています)
「ユーリ…」(←上に同じ)
「きーっ!悔しいーーー…っ!」
ハンカチを噛みしめるギュンターの横で、二人はバカっぷるのようにいちゃいちゃと愛を確かめ合いましたとさ。
ぱらりのぽんと、どっとはらい。
続きは次回のお楽しみ。
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* これでいったん設定立てが終わりましたので、後はのんびり小さいエピソードを連ねていこうと思います。ヴォルフラムやヨザックも、そのうち登場しますね★ *
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