おやゆび陛下−2
〜ちっちゃな陛下のすてきな日常〜









 ユーリが身につける洋服をお兄さんに作ってもらうために、コンラートは訪問の準備を始めました。
 お兄さんはとても良い家柄の人ですから、幾ら兄弟でも挨拶に行くためにはちゃんとした身なりで行かなくてはならないのだそうです。

 でも、ちっちゃなユーリは《きちんとした身なり》をすることができません。
 だからこそ、お兄さんを頼りに行くわけですからね?

 そこで失礼がないように、《きちんとした身なり》をしたコンラートの胸ポケットに収まることにしました。
 ユーリは柔らかい素材のハンカチに穴を開け、頭を腕を通して腰にリボンを巻いていますので、ちょっとしたプレゼントのようにも見えます。
 腰のところで、リボンを大きくふんわりと結ばれたからです。

 胸ポケットに入るとコンラートからふわりと良い香りがするものですから、ユーリはうっとりと目を瞑りました。

「コンラッド、良いにお〜い」
「そうかな?別に香料とかはつけてないんだけど…」
「ふぅん。そうなの?でも、落ち着くような良いにおいがするよ?」
「それは嬉しいな」

 正式な軍服に身を包んで、コンラートはにっこりと微笑みました。
 胸ポケットから顔を伺うとうまく角度が合わなくて正確な表情は見て取れないのですが、どうしてだか彼がどんな表情をしているのかは分かる気がしました。

『おれたち、きっととっても気が合うんだ』

 それはとても素敵なことに思えました。
 
ですが…穏やかな空気が流れるコンラートの部屋に、突然不調法なノックの音が響きました。

 ドンドンドン…!

「なんだ?いやに荒っぽいな…」

 音の激しさは、建て付けの悪さによるものだけではないようです。
 その音だけで、訪問してきた人がコンラートに対して好意を持っていない…寧ろ、積極的な悪意を示していることが伺われました。
 ですから、ユーリは顔を見る前からやってきたお客さんに良くない印象を抱くことになりました。

「ウェラー卿コンラート…!速やかに次期魔王陛下を引き渡して貰おうか!」

 まあ、なんて図々しくて礼儀知らずな呼ばわりでしょうか?

 色んな事を知らないユーリだって、きっとこういう時には《入っても良い?》とか、《入れてくれてありがとう》と言うべきだと思いました。
 どうにもむかむかして、ぷく…っとほっぺが膨らみますので、横から見るとさくらんぼが二つ並んでいるようです。
 
 入ってきたのは大勢の人たちで、いずれも居丈高に命令をしてきますがコンラートは平然と受け流します。

「突然人の家に上がり込んで、随分な態度ですな、フォンシュピッツヴェーグ卿…我が伯父上殿」

 コンラートはユーリをポケットの中に頭までしまい込ませると、平然と荒々しい来客を迎えました。
 ユーリはその様子をボタン穴からそぅ…っと覗きました。

「貴様に親族呼ばわりされるなど虫酸が走るわ!」
「そうでしょうね。俺もいま口にして、同じ事を思いました」

 金髪の派手なおじさんとコンラートは、互いに負けず劣らず相手のことが嫌いなようです。

「言い逃れは出来ぬぞ、ウェラー卿!ここに次期魔王陛下…双黒の君がおられることは言賜巫女ウルリーケの託宣で示されたことだ!」
「双黒の…魔王陛下?」

 コンラートはちっとも表情を変えずに、小さく溜息をつきながら肩を竦めました。
 大したポーカーフェイスです。

「では、どうぞお探し下さい。丁度俺は出かけるところですから、部屋の中は好きにして良いですよ。どうせ盗まれても大したものはありません」
「貴様から盗むほど落ちぶれてはおらぬわ…!」
「ほう…?名誉や戦果は盗んだおつもりではないらしい」
「ぐぬ…き、貴様…っ!」

 とても長い名前(だから、ユーリには覚えられません)の金髪おじさんは顔色を赤黒く染めてコンラートに掴みかかりました。
 ですが、コンラートは全く怯む様子がありません。

「ルッテンベルクの功績を、自軍のそれであるかのように広報されたそうですな…」
「…っ!」
「混血の穢れた血で贖われた功績が、それほど欲しかったのですかな…っ!?」

 それは、痛烈な批判でした。
 ですが…その言葉の剣は自らの心をも切り刻むような、ぎざぎざとした刃を持っているようでした。

 こんなに激しい憎しみが、このやさしそうな青年の中にあるのでしょうか?
 こんなに素敵な人なのに…。
 この人は誰よりも幸せになるべき人だとユーリは思いましたので、はらはらと胸が迫るような感覚に涙が浮かびそうになりました。

 《こんけつ》がどんなものなのかは分かりませんが、コンラートは自分達の血を《けがれた》と表現しました。
 きっと、そんな風にコンラート自身は思っていなくても、きっとたくさんの人が…少なくとも、この派手な金髪おじさんにはそう言われたのでしょう。

『でも、そんなの口にしたらいけない!』

 自分で信じていなくても、だんだんと《そうなんだ》って思うようになるかも知れません。
 コンラートが自分を汚れてると思うなんて、とんでもないことだと思います。

 だって、コンラートはとっても良いにおいがするのです。
 実際にこうして嗅いでいるユーリが言うのだから間違いありません。

 コンラートはとってもきれいです。
 ですから、きっと血もきれいです(見てませんけど、絶対にそうです)。

「この…っ!調子に乗りおって…っ!少々の戦果をあげたことで、英雄にでもなったつもりかっ!貴様等、なにをしている!この失礼な男を不敬罪で捕らえぬか!」
「は…はぁ…」

 たくさんいる部下達(なんだかいっぱい、宝物みたいなものを抱えています)は、みんな剣を腰に下げていました。ですが、誰もそれを抜いてコンラートに斬りかかりたい者はいないようでした。

 殆どの人が、《一番に俺が行くのは嫌だ》という顔をしていますから、きっとコンラートの方がとっても強いのを知っているのでしょう。
 後、腕が立ちそうな何人かの人たちは《お前が行くが良い》という顔をしてシュトッフェルを睨んでいました。きっと、金髪おじさんよりもコンラートの方が好きだからだと思います。
 好きという表現がおかしければ、きっと尊敬しているのです。

「ガルガン卿バーレイ…行け!」
「…は」

 一際強そうな男の人が、直接名指しされたことで不承不承出てきました。
 
「ウェラー卿…申し訳ないが、主君の命令ゆえ…お手合わせ願えますか?」
「ああ、君の立場は分かっている」

 金髪おじさんに対して見せた敵愾心はなりを潜め、コンラートは静かな笑みを浮かべていました。
 こうして立場が違いさえしなければ、ガルガン卿は信頼に足る男なのだと思います。 

『そんな人と…戦うの?』

 ユーリはポケットの中でぎょっとしました。
 すぐにやさしく布越しに撫でられましたが、ユーリが心配しているのは自分が傷つく可能性などではありません。
 本当は嫌いでない人を、コンラートが斬ってしまったために余計に傷つくことでした。

『コンラッドはやさしい人だもん…俺、分かるよ…!』

 今だって、直接顔を見ることは出来ませんがコンラートが何を考えているかは分かります。
 彼は自分の不用意な発言によって、ガルガン卿と戦わなくてはならなくなったことに哀しみを抱いているのです。

 ユーリは意を決すると、ぴょこんとポケットから飛び出しました。

「だめ…!戦っちゃ…だめ…っ!」
「ユーリ…!?」
「な…な……こ、小人!?」

 金髪おじさんもガルガン卿も…他の軍人さん達もびっくりして目をまん丸にしています。
 好気の目で見られることは恥ずかしいことでしたが、今はそんなことを言っている場合ではありません。
 コンラートに…こんなにいい人に、胸が苦しくなるような戦いをさせてはいけません。

「けんかしたのは金髪おじさんとコンラッドだろ?だったら二人で喧嘩すりゃあいいんだ!どうして別の人…戦いたくないって思ってる人に頼むの?そんなのずるいずるいするい…っ!」

 ユーリが声に調子を付けて《ず・る・い!ず・る・い!》…と繰り返しますと、先に落ち着きを取り戻したガルガン卿がくすくすと笑いました。
 そうすると、強面の目元に笑い皺が寄って、なんだかとっても良い感じの顔になります。
 やっぱり、ガルガン卿は良い人みたいです。
 
「ま…魔王陛下…こ、これはどうしたことですかな…。随分とちいさいお姿で…」
「まおーへーか?」

 金髪おじさんは顔色を青くしたり紅くしたりしながらへどもどしています。どうやら、ユーリに対しては大きな事を言えない立場みたいです。

「まおーへーかって何だっけ?」
「この国を治める一番偉い人ですよ。どうやら、あなたはその魔王陛下に選ばれたみたいですね」
「一番えらいの?」
「正確には眞王陛下の次になりますが…」
「とりあえず、ここにいる人の中だと一番えらい?」
「ええ、それは間違いありません」

 それは良いことを聞きました。
 
「じゃあ、おれのお願い…聞いてくれる?」

 ユーリが上目遣いにきょん…と小首を傾げると、ほぼ全員の観衆は目尻をでろりと垂れ下げました。
 それはそれは、たいそう愛らしい様子でしたから仕方のないことですね。

「も…勿論ですとも…っ!そのつもりで私は、山海の珍味も金銀財宝も女も男もたっぷりと持ってきて…」
「そんなのいらない。俺はコンラッドがあんたに馬鹿にされないような立場になる方が良い。そんで、そこのガルガンさんがあんたの命令を聞いたりしなくて済む立場になったら良い。ね、聞いてくれる?」
「な…は…ゃ…えは…っ!?」

 金髪おじさんは真っ青になって舌を強張らせています。

「だめなの?ねぇ…コンラッド、だめなのかな?」
「だめではないと思いますよ。ユーリはこの国で一番偉い人ですからね」
「じゃあ、ガルガンさんは金髪おじさんじゃなくて、コンラッドの言う事を聞く立場になるのは嫌?」
「いいえ…魔王陛下、例え口が裂けても斯様(かよう)な事など口にしますまい…!」

 ガルガン卿は精悍な面差しに晴れ晴れとした微笑を湛えると、恭しく跪き…腰からさっと剣を引き抜くと、柄をコンラートに差し出しました。

「我が剣の誓いは、未だこの生涯を通じて誰にも捧げたことのない真白のものです。それが価値を付加すると信じて良いのなら、この誓い…受けて頂けますかな?」
「《鉄壁のバーレイ》の忠心に対して、拒絶する舌など持ち合わせぬよ」

 朗らかにそう告げると、コンラートはうっとりするくらい優美な仕草で…それでいて、とっても男らしく剣の柄にキスをしました。

「剣の誓い、確かに受け取った」

 ガルガン卿バーレイは褐色の肌を上気させると、喜々として剣を受け取りました。
 きっと、一生の宝物にするのでしょうね。

「良いなぁ…。おれもコンラッドのちゅーがついた剣ほしい…」

 ユーリが持つとすれば、まち針みたいな剣になりそうですけどね。

「何を言われます、陛下。立場が逆ですよ」

 コンラートはそう言うと丁重な仕草で有利の身体を卓上に置き、ガルガン卿と同じように跪いて剣を捧げました。

「俺の剣もまた、生涯を通じて未だ誰にも捧げたことのないものです。どうか…我が生命の全てをあなたに捧げるという誓いをお受けください」

 熱く真摯な眼差しを向けられて、有利は吃驚しました。

「お…おれに…?」
「ええ…あなたにお仕えしたいのです。どうか…あなたの臣下として、手足として動くことをお許し下さい」

 剣の柄を寄せられると、ユーリの全身よりも大きなそれを抱えるようにして、ちゅ…っとキスをました。
 コンラートの真似っこですが、それで十分だったみたいです。

「えへへ…。これでコンラッドは、いつでもおれと一緒にいてくれるんだね?」
「ええ、神聖な誓いですから」

 そういうと、コンラートはまたユーリをポケットに入れてくれました。
 どうやら、ハンカチの丈が短くて白い腿がちらちらと人の目に入るのが気になってしょうがないみたいです。

「早く服が欲しいなぁ…」
「すぐにフォンヴォルテール卿を訪ねましょう」
「ま…待て…っ!」

 尚も何か言おうとする金髪おじさんを、ユーリは一喝しました。

「おれは言ったはずだよ?もう、あんたはコンラッドに命令できない!これはまおー命令なんだからね!」
「な…な…っ!」
「じゃましたら許さないからな!」

 ちっちゃな拳を振り上げて雄々しくユーリが叫びますと、金髪おじさんは目に見えてしょぼくれて、しゃがみ込んでしまいました。

「わ…私の権威を奪うと仰るのか…?」
「コンラッドや、あんたに従いたくない人に命令するなって言ってるだけだよ。あんたの《けんい》とかは知ったこっちゃない」

 ユーリは知りませんでした。
 金髪おじさんが、今までこの国で魔王様の次に《命令できる》人だったなんて…。
 そういう人から《命令できる》力を取り上げることがどういう意味を持つかなんてのも、当然分かりませんから、もうへたり込んでしまったおじさんなんかには見向きもせずにコンラートのお兄さんの家に向かいました。




 さてさて、今日はここまでからりとしゃん。
 続きは次回のお楽しみ。



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* シュトッフェルは跳ね除けたものの、グウェンダルの家に行ったりユーリ生誕秘話で次回もちょっともちょもちょして、それからほんわか日常話に移行…になると思います。 *