おやゆび陛下シリーズ
手乗り陛下と愉快な眞魔国民−2
めぇ…
めえぇ…
どこからともなく、弱々しい鳴き声が響いてきます。
一体なんでしょう?
中庭をお散歩中のユーリ陛下とウェラー卿コンラートは耳を澄ましました。
「コンラッド、あれは何かな?」
「仔猫の鳴き声のようですね」
「どうしたのかな…コンラッド、探してくれる?」
「ええ」
コンラートは聡い耳で音源を聞き分けると、すぐにちいさな仔猫を見つけ出しました。
まだ本当にちいさな…尻尾以外の本体だけ見れば、ユーリと同じくらいの大きさをした掌大の仔猫です。縞々模様は勇ましい獣を示しているのに、ちんまりとした丸い耳やピンク色の肉球は、なんともあどけない様子です。
背中のところが二カ所ほわほわしているのが少し変わったところですが、それ以外はごく普通の仔猫に見えました。
「迷子かなぁ?」
「暫く泣き続けていたようですね。このまま放っておくのは心配ですね…」
眞魔国はまだ夏の頃ですが、それでも夜は結構冷え込んできますから、母さん猫のお腹でぬくもれないのであれば仔猫にとっては厳しい温度になるでしょう。夜は活動的な肉食動物も多いですからね。
「自然の摂理に反する事は少々問題ですが、ユーリ陛下に巡り会ったのは何かの縁かもれません」
「うん、そうだね。ご縁は大事にしなくしちゃね」
コンラートは掌に仔猫を包み込むと、そうっとお部屋に運びました。
* * *
仔猫の仮の住まいは、果物が入っていた籠にふかふかの毛布を切り取って詰めたものです。ふにふにして歩きにくそうですが、暖かいのは間違いありません。
グウェンダルに教えて貰った調合でミルクを作り、飲ませますと、仔猫はすうすうと眠り始めました。
そんな仔猫を見ていると、ユーリもすぐおねむになってしまいました。
* * *
カタン…
その夜、不寝番に立っていたコンラートは奇妙な物音に気付きました。
それは、窓辺から響いているようです。
「誰か居るのか?」
ユーリを起こさないようにそっと部屋に入りますと、なんという事でしょう…開けた窓硝子の間から、進入してきたものがいます。とは言っても、金属製の頑丈な飾り枠がある窓ですから、魔族や人間のような大きさのものが侵入してきたわけではありません。
そう、侵入者は細い飾り枠の隙間を抜けられるくらいちいさな生き物だったのです。
ごく普通の猫に見えますが、その背中には毛皮と同系色の逞しい翼がついておりました。
「君は…飛び猫かい?」
「おや、旦那…あたしの種族を知って居なさるんで?」
「…っ!」
風変わりな生き物が住まう眞魔国ですが、飛び猫は特に珍しい種族です。とてもとても長い…魔族並みに長い寿命を誇り、特に長命の猫は人語も解すると言います。その代わり滅多に仔猫が生まれず、生き残る事も少ないそうです。
このため、飛び猫の親は仔猫を珠玉の如く大切に育てると聞いていますが…それが一体どうして血盟城の中庭に仔猫を落としていたのでしょう?
「仔猫を取り戻しに来たのなら、止めはしないよ?どうぞ連れてお帰りなさい」
「あんた…良いお人だねぇ。このあたしに恩を売ろうとは思わないんで?」
飛び猫のお母さんは随分とべらんめぇ調のお喋りをしますから、目を細めたそのお顔に、つい《姐さん》と呼びたくなってしまいます。
「人語を解するまでに生育した飛び猫は、隠された財宝の在処を知っているという伝説があるけれど、俺にはもうとても大切な財宝があるから、今更何も要らないよ」
「それは、この可愛らしい陛下でしょうかね?」
姐さん猫がぺろりとユーリの頬を舐めますと、少しざらりとした質感に、ユーリがふるっと震えて目を覚まします。
「あれぇ…?」
「おや、こいつぁ失礼…。起こしてしちまったみたいだねぇ…」
「うにゃ…《メー》のお母さん」
「おや、名前までつけてくれたんで?」
メーと呼ばれた仔猫はうにゅ…と鳴きながら目を開くと、母猫の姿を見つけて嬉しそうにめぇめぇ鳴いた。母猫は懲らしめるように首を甘噛みすると、少し荒っぽくブルルっと震った。
母猫は反省した様子の仔猫を降ろすと、改めて畏まったように前足を揃えた。
そういう格好をすると、大変仁義を重んじる姐さんという感じがした。
「やれやれ、この仔がもう飛べるなんてあたしゃ想像もしてなかったもんでねぇ…。ちょいと油断してる間に、巣から飛びたっちまったんでさ。兄さん方に拾って頂けて、命拾い致しました。誠にありがとうござんした」
「いえいえ、大したおもてなしも出来ておりませんよ」
「ふぅん…兄さんあんた、佳い男だねぇ…。あんたが猫なら、あたしゃ放っておかないよ」
「それはどうも…光栄です」
「あんたは礼なんていらないって口だろうが、それじゃああたしの気が済まない。何かお礼が出来ませんかねぇ?」
「うーん…猫の手も借りたいくらいの忙しさがあるかな?」
律儀な母猫には応えたいですが、具体的なお礼の内容が思いつきません。
すると、寝ぼけ眼のユーリが母猫の背中から生える翼に興味を覚えました。
「うわぁ…凄いねぇ、お母さんの背中には羽根があるんだね?」
「珍しけりゃあ、好きなだけ触って下さいまし」
「わーい!」
気性が荒く誇り高いという噂の飛び猫にしては、大変鷹揚な構えです。
恩義を感じている事もありましょうが、それ以上にあどけないユーリが可愛かったのでしょう。母猫はごろごろと喉を鳴らして、機嫌良く翼を撫でられています。
「そうだ…この案は如何でしょうね?ちいさな…この魔王陛下が吹けるくらいの笛を作れますかね?」
「とても器用な人がいるから、可能だと思うよ?」
「ねぇ、ちいさな魔王陛下…用事がおありの時に、笛を吹き鳴らして下さいまし。そうしたら、あたしゃ何を置いても馳せ参じますよ。ええ、誓いますとも」
「それはありがたい」
好奇心いっぱいのユーリは、油断するとどんな間隙に挟み込まれるか分かりません。そんなとき、すばしっこくて空中からの哨戒も可能な飛び猫の助力が得られれば、こんなに心強い事はありますまい。
「それじゃあ話は決まりましたね?」
母猫が嬉しそうにユーリの頬を舐めますと、ユーリはまた《うにゃ!》と声を上げました。
* * *
その翌日から、血盟城のむ中では勇ましいユーリの姿が見られるようになりました。
堂々と立派な毛並みの飛び猫に跨り、お庭をお散歩したり上空を飛んだりしているのです。
ただ…あんまり高いところを飛んでいると、コンラートは心配でしょうがありませんから…あんな申し出を受けてしまった事を、ちょっぴり後悔したんですけどね。
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