おやゆび陛下−11
〜ちっちゃな陛下のすてきな日常〜



 ぴょこ…
 ささ…っ!

 そ〜…
 さささ…っ!

 眞魔国のちっちゃな魔王陛下は、先程からぴょこたんぴょこたんしてします。

 忠実な臣下にして大親友のウェラー卿コンラートのポケットにおさまっているのですが、実は…本日は初めての城下町探索を実施中なのです!
 いわゆる、《お忍び》つてやつですから、そりゃあ《そわそわ》したり《うきうき》しても当然ですよね。

 ポケットのボタン穴から覗く風景は、どれもこれも新鮮です。

「コンラッド、とっても賑やかな様子だねぇ」
「ええ、この辺りは城下町の中でも特に盛況を誇る商店が立ち並んでいますからね」

 道行く人々…特に娘さんは華やかな衣装に身を包んでいて、まるでお花のようです。男の人や年老いた人々もこざっぱりとした服に気の利いた飾りをつけており、趣深い街並みの中を楽しそうに行き来しております。
 
 そんな中、二人連れの男女が目に入りました。
 男の人が揚げ菓子を一口囓ると、女の人に渡します。すると、女の人は控えめに…さくりと男の人が囓った部分を口にしました。

 少〜し恥ずかしそうな…それでいて幸せそうな表情を浮かべた恋人達の様子を、ユーリはコンラートの胸ポケットの中からこっそりと覗きました。

「ねえねえ、コンラッド…あの人たちは恋人同士なのかな?」
「そうですね。とっても仲が良さそうですね」
「うん、とっても仲が良さそうだね」

 ユーリには何だかとても、その情景が気になってしまいました。



*  *  *




「お兄さん、佳い男だねぇ…良かったらこいつを食べてみないかい?」

 色んな店を冷やかしながら歩いておりますと、露店果実売りのおばさんが声を掛けてきました。年はいっていそうですが、なかなか徒っぽい魅力の女将さんです。

 それに、色とりどりの果実はどれも艶々しており、大変美味しそうな香りを放っておりましたから、ユーリはポケットの中でごっくんと唾を飲み込みました。

『食べたい?』

 ちいさな声でコンラートが囁くと、ユーリはこくこくと頷きます。その振動を察知したコンラートは特に美味しそうな紅い果実を手に取ると、硬貨をおばさんに渡そうとしました。

「ああ…お代なんて良いよ。あんたが美味しそうに食べてくれるだけで、多分とっても宣伝になるからね」

 おばさんの見込みは正しかったようです。
 コンラートが果実を手に取っただけで、既にわらわらと手が伸びて、同じ実を掴んでおりました。

 カシ…っ

 お礼を言うと、いい音をさせてコンラートは果実を囓りました。

 真っ赤に熟れた紅い果実の中からは爽やかな甘酸っぱさが広がり、汁気の多い果肉は淡黄色の断面を覗かせております。
 コンラートは良い歯並びをしておりますから、果実の断面も綺麗なものです。

『わぁ…』

 なんて美味しそうな果実なのでしょう?
 コンラートの歯形が、より一層果実を魅力的に見せているようでした。

「よっす、隊長!何してんスか?」

 そこに通りがかったのはグリエ・ヨザックです。
 熟れた柑橘類みたいな髪をした彼はやはり果実に惹かれたのか、素早くコンラートの手から奪って《かしり》と齧り付きました。
 なにしろ大きなお口ですから、コンラートが囓った痕など丸かじりです。


「あーっっ!!」 


 ユーリが吃驚してポケットから飛び出しますと、周りの人達は《ひゃああぁ!?》と驚嘆してしまいました。

 だって素敵な男の人のポケットからステキに可愛らしい小人さんが出てきたら、そりゃあ誰だって吃驚するでしょう?
 もうもう、驚きすぎてみんな声が出せないくらいでしたが、暫くすると、やっと声が出るようになってきました。

「ま…魔王陛下?」
「本当に…こんなにお小さいのか…」
「それに、なんて見事な双黒でしょう!」
「な…なんて可愛い…っ!」

 感嘆する人々でしたが、すぐに慌ててしまいます。 

 ちっちゃな魔王陛下が大きな漆黒の瞳いっぱいに涙をたたえたかと思うと、長い睫をぱしぱしする度に、ぽろぽろと零れる雫で頬を濡らしたのです。
 こんな可愛らしい魔王陛下に、いったい何があったというのでしょう?

「どどどど…どうなさったのですか!?」
「うっ…それっ…お、おれも…たべっ……たべたかっ…うぅ…うっ」

 どうやら、ユーリ陛下も果実を食べたくてしょうがなかったのに、自分が貰えると思っていた果実をヨザックに奪われたのが衝撃的だったようです。

「こ…こいつはすみません…。すぐに露店買い占めてお返ししますっ!!」

 ヨザックはほっぺを真っ赤にして涙を流すユーリと…それ以上に、氷のように凍てついた瞳で睨め付けてくるコンラートに恐れを成して、懐にしまっていた財布を丸ごとおばさんに渡そうとしました(このままでは惨殺されそうだからでしょう)。

 ですが、ユーリは《そんなにいらないもん》と、余計に拗ねたような声になります。

「じゃあ、どうしてそんなに泣いておられるんですかい?」
「だって…こ、コンラッドがかじったトコ…ヨザが、たべちゃったんだもん…っ!」

 《ふぇっ…えく…っ》としゃくりあげるユーリは、コンラートが囓ったトコを自分も囓りたかったのだと言います。
 《だって、とっても美味しそうに見えたんだもんっ!》と言い張るユーリのために、コンラートは新しい果実を囓ってから渡しました。

 ユーリは濡れたハンカチでほっぺを拭って貰ってから、かしりと果実に齧り付きますと、ほっぺを大きく膨らましてにこにこ顔になりました。


 なんとも、見ているだけで幸せになりそうな笑顔です。

 にこにこかしかしと囓ってから満足したところで、ユーリは様子を伺っている人々を見上げると、ぽんっとほっぺを紅くしました。

「わがままいって、ゴメンなさい…」
「何を仰いますか陛下。この不調法者が無遠慮・不作法・不躾・不細工なのがとてつもなく悪かっただけです。陛下はちっとも悪くなんかないですよ?」
「いやいやあんた…不細工はこの場合関係ねーし…そもそも俺、不細工じゃないモン…」

 ヨザックが語尾を可愛くして拗ねたところで、コンラートは聞いてはいません。

「コンラッド…俺のこと、わがままって思わない?」
「ええ、ちっとも思っていませんとも」
「えと…で、でもね?やっぱりわがままだよ。だって…おれ、コンラッドがかじったトコ、おれ以外のだれにもあげたくなかったんだもん…。おれ…おれ……コンラッドのお口にふれたものに、他の人がふれるのがどうしてもイヤだったんだ」

 自分の気持ちが初めてもやもやとした暗いものを帯びていることに、ユーリは吃驚したり怖くなったりしているようです。

「ゆ…ユーリ…それは……」

 コンラートは動揺のあまり、敬称も忘れて口元を緩めそうになりました。
 だって、それではまるっきり《嫉妬》みたいじゃありませんか。

「そういうのも、愛のうちなんですよ?その為に誰かを酷く傷つけたりしたらいけませんが、そんな風に感じること自体は…とても自然なことなんですよ?」
「そうなの!?」
「ええ…。俺だって、ユーリのちっちゃなお口が囓ったところを、他の人に囓らせたりしたくないですもん」
「そーなんだぁ…っ!」

 ユーリがお日様みたいに晴れやかな笑顔を浮かべた途端…。


 ぎゅむっ!!


 急激に大きくなったせいで、ユーリはコンラッドのポケットにぎゅうぎゅうと押し込まれるような形になってしまいました。着ていた服も、《バリンっ!》と裂けてしまいますから、ユーリは耳まで真っ赤になっておろおろと狼狽えました。

「やーっ!は、恥ずかしいよぅ…っ!」
「慌てないで、ユーリ。大丈夫…すぐに出られますからね?」
「出たら出たでヤダーっっ!!服がビリビリだよぉお〜っ!」
「大丈夫ですユーリ、俺が掌で隠して差し上げますから、ユーリの裸を見るのは俺だけです。すぐにハンカチを巻き付けて差し上げますからね?」
「う…ぅう〜…。こ、コンラッドに見られるのも恥ずかしいよぅ〜っ!」

 ヨザックはそんな主従の遣り取りを見ながら思いました。


『傍で見ている方が恥ずかしいよ…』


 …と。




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