おやゆび陛下−1
〜ちっちゃな陛下のすてきな日常〜







 昔々なのか今のことなのか、ずっとずっと先のことなのかは分かりませんが、ある世界の眞魔国という国に、一人の騎士がおりました。

 眞魔国という国は、《魔族》と呼ばれる風変わりな人達の住むところです。

 でもね、《風変わり》というのはあくまで周りの国の人達が言うことですよ?
 だって、住んでいる魔族にとっては《普通》のことですからね。

 まず特別に感じられるのはとても寿命が長いことと、《魔力》と呼ばれる不思議な力を持っていることでしょうね。魔力というのは、自然界を構成する要素にお願いして力を貸して貰えるってことです。
 ああ、でもこのお話の中心人物である騎士には魔力はありません。
 魔力というのは純粋な魔族でないと持てないものなのです。

 なので、騎士は人間から《風変わり》と言われる魔族の中で、更に《風変わり》と言われる人なわけです。
 ややこしいですね。
 そのややこしい生い立ちのせいで、この騎士はとても苦労しています。

 つい先だって行われた大きな戦争でも、えらく酷い目に遭いました。
 人間と魔族の間に生まれた混血が眞魔国に対する忠誠心が無いのではないかと疑われたことで、《なにくそ!》と思った騎士は、名誉と国のために混血部隊ルッテンベルク師団を率いて、言葉に尽くし難い激戦を乗り越えたのです。

 騎士はとても頑張りました。
 もう負けてしまうかも知れないと思った戦争が、ルッテンベルク師団のお陰で救われましたから、国中の人達が騎士を《英雄》と呼んでくれました。

 でも、騎士はちっとも嬉しくありません。

『きっと、俺の心は壊れてしまったんだ』

 そうなのかもしれません。
 たくさんの仲間や友達を目の前で亡くして、酷い死体を埋めてあげることも出来ずに戦い続けなければならなかった騎士の心は、だんだんと何も感じなくなっていたみたいです。

 哀しいと感じなくなったことを最初は楽だと思いましたが、平和になってから女の人と遊んでも、お酒を飲んでも、綺麗なもの…前は綺麗だと思っていたものを見ても、何にも感じなくなっていましたから、これはきっと心が壊れてしまったということなのでしょう。

『しょうがない』

 騎士はもう口癖みたいになってしまった言葉を心に思い浮かべました。
だって、しょうがないものはしょうがないのです。

でも、騎士を心配する人達はそうは思いませんでした。

 特に、強面だけど実は根のやさしいお兄さんは、騎士のことをとても心配していました。
 騎士とお兄さんはお母さんだけ一緒でお父さんは違うから全然似てませんし、お兄さんは純血魔族の立派な血筋ですから、騎士との間には色んな溝がありました。
 ちゃんとお話しをしたことも、ちょっとしかありません。

 それでもお兄さんは騎士のことが心配でしたし、大事でした。
 何とかして幸せになって欲しいと考えているのです。

 けれど…お兄さんはとてもそういうことに関しては不器用な性質ですから、《心配してるよ》とか、《元気出せ》なんて言ってあげることが出来ません。

 そこでお兄さんは考えました。

『これなんかどうだろうか?』

 意外と可愛い物好きのお兄さんは、幾つもの可愛いお花を育てていました。
 その一つ…蒼い花弁をつけるお花がもうすぐ咲くところです。
 蕾の内から育てさせて咲くところを見たら、少しは楽しい気持ちになるのではないでしょうか?

 素直にその気持ちを伝えることは出来ませんから、命令という形にしましょうか?



*  *  *




「フォンヴォルテール卿も妙なことを頼むものだ…」

 げんなりとした顔をして、ウェラー卿コンラートは鉢植えを見ました。

 小振りな鉢に堅い蕾をつけた華が一輪植わっています。
 なんでも、とても大切な華だから大切に育ててくれということですが…そんなに大事なら自分で育てればいいのではないでしょうか?兄のフォンヴォルテール卿グウェンダルは隠していますが、綺麗なものや可愛いものが大好きで、花壇の手入れにかけては庭師以上に詳しいこと等ちょっとした事情通ならみんな知っています。

 これに対して、コンラートは友人から《カラカラ男》と呼ばれるくらい、この方面には無精なのです。
 この名前は、カラカラと呼ばれる殆ど水をあげなくても生きているはずの植物を枯らしてしまったところから付きました。

「ヨザの奴に頼むかな…こんなもの、俺が面倒を見ていたら絶対に枯れてしまうぞ」

 そう言った途端、何故か蕾はしょんぼりと項垂れたように見えました。
 妙に罪悪感を覚える動きです。

「…………取りあえず、水だけでもやっておくか」

 溜息をついてコップの水を無造作に掛けてやると、蕾は嬉しそうにぴょこんと真っ直ぐ立ちました。
 その様子は、不思議なほど可愛らしく感じます。

「ふん…まあ、枯れそうになるまでは面倒を見てみるか…」

 頷くように蕾は揺れました。



*  *  *




「あれ…?」

 コンラートが水をあげ始めてから3日目のことです。
 朝…蕾が変な様子でした。

 ぐったりと項垂れているのです。

「おい…」

 声を掛けても、新しい水をあげてもいつもみたいにぴょこんと立ちません。
 その様子に、コンラートはドキドキしてしまいました。

「…枯れてしまうのか?」

 きっとお兄さんのグウェンダルは怒るでしょう。
 いえ、怒った顔をして哀しむかも知れません。

 口には出しませんが、結構グウェンダルを慕っているコンラートは、お兄さんに哀しい思いをさせたくはありませんでした。

 それに…不思議なことですが、何に対しても殆ど動かなかったコンラートの感情が、この華に対しては少し働くようになっていたようです。
 お兄さんに対して詫びる気持ち以上に、ぐったりとした蕾を見ているのが純粋に苦しいのだと気付きました。

「どうしよう…」

 今回に限っては、《しょうがない》という言葉が出てきませんでした。
 だって、諦めてしまったら華は枯れてしまうのです。

「そうだ…。確か、この辺に本が…」

 昔友人から押しつけられた植物図鑑に、育て方も書いてあった気がします。
 物の少ないコンラートの家ですから、図鑑はすぐに見つかりました。
 よくよく読んでみると、どうやら無造作に水をやっていたのが悪かったようでした。あげるたびにぴょこんと動くのが面白くて、ついついあげすぎていたのです。
 もうそろそろ咲くという今の時期は土が湿る程度の水を与えたら、後は蕾や葉を霧吹きで潤してあげる程度で良いようです。
  
 そういえば、別れ際にグウェンダルもそんなことを言っていたような気がします。

「ゴメンな…?」

 ちいさく詫びて蕾を撫でつけると、微かに揺れたような気がしました。



*  *  *




 コンラートがちゃんと手入れをするようになってから2日後、華は蘇りました。
 生き生きと弾むように茎は伸び、蕾は前よりも大きくなっているようです。

「良かった…こうなったら、しっかり咲いてくれよ?」

 こくんと蕾は頷いたように感じます。
 何も話さないのに、随分と雄弁な蕾です。

 微かに蕾の縁が青みを増し、ふんわりと開きかけているように見えて…コンラートは気が早いなと思いながら中を覗き込みました。じっと見ていたら、今にも咲きそうな気がしたのです。

「綺麗に咲けよ?」

 そう言うと、コンラートは開きかけた蕾にキスをしました。
 すると、どうでしょう…!

 ふわ…
 ふわわ……

 ゆっくりと蕾は花弁を広げ、彩りを増し…コンラートの目の前で咲き始めました。
 今まで見たこともないような、綺麗な綺麗な蒼です。

 そう、コンラートは久し振りに何かを見て《綺麗》だと感じていたのです。
 
「……っ!」

 コンラートは思わず息を呑みました。
 華の中心には…ちいさな子どもが居ました。

 身体や顔の造作は魔族でいう50〜80歳くらいに見えますが、大きさはとてつもなく小さいようです。
 多分…立ち上がっても親指くらいしかないような、とてもちぃちゃな子どもだったのです!
 
「な…なに……?」

 驚きにぽかんと口を開けるコンラートの目の前で、子どもはこしこしとお目々をこすり、伸びを打って起きあがるとぱちくりと目を開きました。
 
 まあ…なんという可愛らしい子どもでしょう!
 それに、更に驚いたことに双黒なのです。

 さらさらした質感の髪もぱっちりと大きな瞳も見事な漆黒で、じぃ…っと不思議そうにコンラートを見ています。

「俺は…ウェラー卿コンラートというんだけど、君は…?」
 
 沈黙に耐えかねて名乗ると、子どもは口の中でもにもにと名前を口ずさんでいましたが、ちょっと困ったようでした。

「ええと…うぇらきょー…こんらぁと…コンラッ…コンラッド…」

 愛らしく小首を傾げて何とかちゃんと発音しようとするのですが、少し舌足らずなせいか上手く言えません。
 何回か練習してから、結局自信無さそうに呼びかけてきました。

「えと…コンラッド…?」
「それで良いよ。君は?」
「おれの名前?」

 きょん…とちいさな子どもは首を傾げます。
 
「なんて言うんだろ?」

 いきなりお喋りが出来たので今までの記憶があるのかと思ったのですが…どうやら、名前はないようです。
 いえ、思い出せないだけでしょうか?
 
「おれ…どうしてこんなとこいるのかな?あ…っ!は、裸だね?恥ずかしいな」

 子どもは恥ずかしそうに下半身を花弁で隠しました。白い肌に黄色い花粉がぱふりと降りかかります。

 この子は一体どういう子なのでしょう?
 いきなりお喋りが出来ましたから、きっと眞魔国の言葉はある程度修得しているのでしょうが…自分の名前も覚えてないというのです。

「おれ…おれ、あんたと全然違うね?どうしてあんたはそんなに大きいの?」
「君が小さいんだと思うけど…」
「他の人達はやっぱりあんたみたいに大きいの?」
 
 子どもは大粒の瞳に水膜を浮かべると、泣き出しそうにくしゃりと顔を歪めました。
 きっと…とんでもなく心細いのでしょう。

「泣かないで…」

 呼びかけようとしますが、名前がないのでは呼べません。
 コンラートは今の季節を思い出して、ぽん…っと一つの名を思い浮かべました。

「ユーリと呼んでも良いかな?」

 《ユーリ》は眞魔国で《7月》という意味です。
 多少安易ではありますが、響きも綺麗だしコンラートの好きな季節でもあります。

「ユーリ…おれの名前?」
「うん。思い出せないようなら、こう呼んでも良いかな?」
「ユーリ…!いい名前だねっ!」

 ユーリと名付けらけれたばかりの子はぴょんっと華の中心で跳ねて、ころりと転げてしまいました。
 華の中心というのは、楚々と立ち振る舞わないと不安定なところなのですよ。

「わあ!」
「ユーリ…っ!」

 ころころりんと転がったユーリを掌で受け止めると、コンラートはほぅ…っと安堵の息を吐きました。なんとか、どこもぶつけたりはしなかったようです。

「ユーリ…大丈夫かい?」
「うん、平気…」

 ユーリはコンラートの掌に収まると、ぺこりとお辞儀をして恥ずかしそうに股間を隠しましたから、ハンカチを持ってきて身体に巻いてあげました。
 すると、すっかり落ち着いたように掌の上に座り込みました。

 その様子は可愛くて可愛くて…胸がきゅうんとなります。

「コンラッドの掌って落ち着くなぁ…。あ、コンラッド…ひょっとして、俺が寝てる間も声を掛けたりしてくれた?」
「蕾の中にいた頃、呼びかけていたのが聞こえたかも知れないね」
「うん、なんか懐かしい気がする」
「じゃあ、フォンヴォルテール卿に会ったらもっと懐かしいかも知れないね」
「ふぉん…?」
「君が入っていた華をくれた人だよ」

 そう言ってから、コンラートはちょっと口籠もりました。
 グウェンダルはユーリのことを知っていたのでしょうか?大切な華だから育てろと命令してきましたが、それは咲いたら返せと言うことだったのでしょうか?

 面倒見が良くて家事に長けているグウェンダルに返した方が、ユーリは大切に育てて貰えることでしょう。コンラートは料理だけはわりと得意ですが、後は平均程度というところですし、特にお裁縫なんかはからきしですからね。ちっちゃなユーリに合わせた服なんて、とても作ってあげられません。

 でも…どうしても返したくないと思ってしまうのです。
掌の中にちょこんと収まったぬくもりを、手放したくないのです…。

「ユーリ…あのね?君は俺と暮らすのと、もっと家事が上手な人と暮らすのとどっちが良い?」
「そりゃあコンラッドと一緒が良いよ。なんか落ち着くもん」

 じぃいん…と胸にしあわせな気持ちが染み渡ります。

「じゃあ、俺達は今日から家族だね」
「うん!」

 元気よくユーリは掌で弾みましたが、今度はコンラートがしっかりと支えていましたから落ちたりはしませんでしたよ。



*  *  *




 コンラートとユーリが家族になったのと同じ頃、眞王廟と呼ばれる神聖な場所で一つの託宣が行われていました。
 それは、眞魔国中を揺るがすような重大な託宣でした。

「眞王陛下によって、新たな魔王陛下が指名されました」

 言賜巫女ウルリーケが指し示した先はウェラー卿コンラートの家…。
 そこに、双黒の魔王陛下がおられるというのです。

 眞魔国の政(まつりごと)の中心にいた宰相、フォンシュピッツヴェーグ卿シュトッフェルは大慌てしました。

 これまでは政治に無頓着な妹のツェツィーリエが魔王陛下をしてましたので何でも好きに出来たのですが、新しい魔王陛下になったりしたらそうはいかないかも知れません
 確かに以前から妹は《魔王なんてもうやめたい》と言ってましたが、眞王廟がそれに応えるなんて夢にも思わなかったのです。

 だって、ツェツィーリエはまだまだ若い女王様でしたからね。

 ですが眞魔国に於いて眞王陛下の決定は絶対的です。魔王陛下の交代が覆ることはまず考えられないでしょう。

 では、新しい魔王陛下に急いで取り入らなくてはなりません。
 どういう経緯でコンラートの家にいるのかは知りませんが、大急ぎでお迎えに行きましょう。

「ありとあらゆる宝物を用意し、血盟城に山海の珍味と美女・美男を集めよ!双黒の魔王陛下を盛大にお迎えするのだっ!」
 
この大号令によって国中から凄まじい勢いで言った通りのものが集められ、血盟城にお迎えの準備が整いますと、シュトッフェルはとびっきり立派な服を着込んで、豪奢な馬車に乗って魔王陛下をお迎えに行きました。


 さあ…ちっちゃな魔王陛下のユーリと、勇敢な騎士コンラートの物語はどう紡がれていくのでしょう?
 今日はこの辺でとんからり、続きは次のお楽しみ。




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* 「おやゆび陛下」話、実は某サイト様主催で企画を組んでおられたときに物凄く大好きで、「いつかサイトを持ったら参加したい…!」と思っていたのに、サイト立ち上げる前に企画が終了してしまったんですよ…っ!オロローン…(涙)。今回は思いがけずリクエスト頂きまして、念願のシリーズを始めることになりました。

 マニメ設定のお話は色んなサイト様が書いておられたお話で、既に自分の中で充足しきっているので、リクエスト主様の希望に即しているのか微妙ながら、眞魔国ベースでパラレルな話にしてみました。楽しく愉快に展開して行ければいいなと思います。

 あ、ほのぼのとした日常生活も眞魔国の新体制が整ったら展開します。ハイ。 *