50万打&2周年お礼企画第一弾

「ゲルツヴァルトの王子様」−4 










「ねえねえ、渋谷君…王子様とどんなお話したの?」

 コンラートの部屋を訪ねた翌日、有利は食堂で朝食を選んでいるところで、《好奇心一杯》という表情の秋山貴代子に問いかけられた。秋山は有利と違ってみるからに《才媛》といった印象の、眼鏡がよく似合うクールビューティーなので、こんなにはしゃいでいるのを見たのは初めてだ。成績の方も優秀らしく、進路希望にもかなり余裕があるので3学年に所属しているにもかかわらず、今回の交換留学にも推薦されたらしい。

「王子様?」
「コンラート・ウェラーのことよ。学園の子…特に夢見がちな初等科や中等科の生徒達はそう呼んで憧れてるらしいわ」

 そう言う秋山も無関心ではいられないようだ。
 あまり恋愛関係の噂は聞いたことがないが、そういえば…往路の飛行機の中で少女小説のようなものを読んでいたように思う。きっと、恋に恋するタイプなのかも知れない。

 昨夜も、怪しいネグリジェふりふり少年のところではなく、コンラートの部屋に行くと訂正したら激しく身悶えていたのでどうしたのかと思ったものだ。

「普段は冷静沈着で、誰にでも親切だけど一人に執着するって事のないタイプみたいなのよ。その王子様が、渋谷君に対してはなんだかとっても意味深な態度よね〜?なんかこう…ときめくような出来事があった?」

 ………どうしてだろう。秋山の目が眼鏡ごとかまぼこみたいな笑みの形になっているように見える…。
 少女小説愛好家にしては…ちょっと方向性が違わないだろうか?

「ええと…個人的な話だから……」
「うふふ、そうよねぇ…。渋谷君って、そういうところ大事にする子よね?いいわぁ…。《今夜だけの秘密だよ…》《うん、俺達だけの秘密だよ…》なーんてね。ふふふ…」

 語尾の方は口の中にくぐもって聞こえにくく、有利に聞き取ることはできなかった。
 
「うふ。具体的な会話とかは話さなくて良いから、何か困ったことがあったら言ってね?ひょっとして、力になれるかも知れないから」
「それってどういう…」
「やだ、察してよ。ふふふ…王子様はテクニシャンかも知れないけど、渋谷君の方はあんまりそういう知識無いでしょ?色々教えてあげるからね〜」

 《うふふふふふ……》っと、独特の笑いを浮かべながら秋山はトレイに食事を盛っていく。どうしてだろう…できれば、あまり相談したくない感じだ。何の相談なのかよく分からないし…。

 しかし、変な雰囲気なのは秋山だけではなかった。
 どうやらコンラートの部屋に呼ばれて行った…しかもそれは、コンラートが他の生徒を阻んでまで積極的に誘ったのだということはかなりの範囲に流布されているらしく、擦れ違う生徒達の眼差しもなにか物言いたげなものになっている。

 敵意というほどではないのだが、何処かしら…《羨ましい》というような、じっとりとした感情を孕(はら)んでいるように思う。
 元々、昨日から二人の間に何か親密なものがあるという噂はあり、複雑な感情を向けられては居たのだが、《夜間に二人きりでいた》というのは更に強烈なインパクトがあったらしい。

『コンラッドって…本当に愛されてんだなぁ……』

 無理もないこととは思う。
 あんなに綺麗で雰囲気が良くて、声も滑らかで…傍にいて心地よいと感じる人は初めてだった。
 昨日は期せずして彼の深い悩みの一端に触れることも出来たから、何だか更に距離感が縮まったようにも感じるのだが…。

 もし、今…急に他の誰かがコンラートのお気に入りになって、突き放されたらどんな気がするだろう?
 
『………なんか、凄いショック受けるかも……』

 その想像は、予期せぬほどの痛みで胸を締め付けてきた。

 誰からも愛される王子様。
 だけど、その王子様の愛はとっても気まぐれなものなのかも知れない。
昨日当然のように傍にあったものが、今日は失われているかも知れない…。

 そう考えたら急に辛くなって、ちょっと泣きそうになる。

 有利はどのみち、あと2週間で日本に帰国してしまうのだから、その間に飽きられてしまうということは流石にないかも知れないけど、その代わり…日本に帰ってしまったら、飽きられる代わりに忘れられてしまうかも知れない。

『俺はどうだろう?コンラッドのこと…忘れちゃうのかな?』

 即座に答えは出た。《それはない》…多分、生涯彼のことを忘れることはないと思う。
 思い出すたびに何処かくすぐったい…甘くてちょっと痛みを伴う感覚が、胸に蘇ってくるのではないだろうか。
 
 ずっとずっと会えなくても。

「……っ!」

 《会えなくなる》…その痛みにつくつくと胸を刺激されていたせいだろうか?有利はあまり朝食を採れなかった。それに、その日は時間帯があわなかったのかコンラートの姿を見ることもできなくて、えらく寂しい気持ちになったのだった。



*  *  *


 

『コンラート…君は常に人々の頭上に君臨すべき存在であって、誰かの機嫌を伺ったりするような小者ではない』

 コンラート・ウェラーは孤高で在らねばならぬ。
 ふにゃけた顔でしあわせそうに笑み崩れたり、転がらんばかりに噴き出すなどあってはならぬ事なのだ。
 ロダンの彫像にお笑い漫談をさせるような愚挙だ。

 ウルツキーはそう確信していた。
 理想家の彼は一度確信してしまうと、もう他の要素の入り込む余地がないほどに思考が硬直してしまう。これはロシア時代から指導教諭などに口を酸っぱくして注意されていたことなのだが、なまじっか勉学についてはずば抜けて優秀であっただけに、ウルツキー自身の心にその難点が《克服すべきもの》であるという意識はない。

 だから、この日も計画を立てて迅速に行動したウルツキーは自分の選択に何の疑いも持ってはいなかった。
 
 ヒューーー……

 音としては殆ど捉えられない波長に合わせて、ウルツキーの足下に伏していた獣が立ち上がる。訓練の行き届いたドーベルマンだ。
 ドーベルマン・ピンシェル…この筋肉質でありながら優雅で機敏そうな犬は、ドイツの生み出した最高傑作だとウルツキーは思う。
 力強く、がっしりとした体格に優れた持久力を持ち。更に気高く、警戒心に富んだ立居振る舞いと、のびやかで力強い足取りが特徴的だ。被毛は短く硬く滑らかで、すっきりとした筋骨たくましいラインが、見ているだけで心にぴりりとした緊張感を抱かせる。

 今日、ウルツキーが借りているのはドイツに住む伯父のドーベルマンで、普段はペットと言うよりも伯父の警護犬として活躍している。定期的に専門の指導官に調教されている、一線級の犬なのだ。

 ウルツキーはこの犬に昔から馴染んでいたこともあり、訓練士について調教の講習を受けたこともあるので、伯父の次に忠誠を勝ち得ていると信じている。

「ベック…今日はあの猿に目に物見せてくれよ?」

 怪我をさせるつもりはないが、心底肝を冷やして貰おう。ひっくり返って醜く立ち騒ぐ有利を見れば、きっとコンラートの蒙昧も払われるはず…きっと真実を見極めて、このベックのように優秀なものだけを周囲に侍らせる、元のコンラートに戻ってくれるはずだ。

「ふふ…せいぜい派手に騒いでくれよ?」

 有利がみっともなく泣きながら逃げ回れば逃げ回るほど、コンラートの失望は大きくなるはずだ。そう信じて、ひゅう…っとウルツキーは犬笛を吹いた。



*  *  *




「あ、格好良い犬…」

 講義が終わってから療舎に戻る途上で、有利は話し掛けてきたエルザとその友人にやはりコンラートのことを尋ねられていたのだが、秋山に話したのと同様、あまり深い話はできずに苦笑していた。
 すると…不意に大型の犬が近寄ってくることに気付いた。

 すらりとした体格を持つ犬…如何にもドイツらしい鋭利な佇まいを見せるドーベルマンが、優雅な足取りで進んでくる。
 近くに主人らしい者がいないのが少々気がかりだが、しっかりとした首輪はつけているし、丁寧にトリマーを施されていると思しき毛並みは艶々と美しい。

 なので、そこまで恐怖を感じることはなかったのだが…突然、ドーベルマンの纏う雰囲気が変わった。

 グルゥウウウ……っ!!

 一体何がお気に召さなかったものやら、前脚を攻撃姿勢を思わせる形に前屈させると、眉間に皺を寄せて…唸りをあげてこちらを威嚇してきた。

「きゃ…っ!」

 犬が苦手らしい少女が駆け出そうとするが、有利は咄嗟の判断で腕を廻して止めた。

「駄目…走るの、駄目。追いかける」
「でも…でも、こ…怖いわ……っ!」

 今にも走り出しそうな少女の肩を優しく叩くと、有利はドーベルマンから視線を外さないまま、エルザ達を背後に庇った。

「ゆっくり、歩く。背中向ける、急に走る、駄目。ゆっくり…ゆっくり……」
「あ、あなたは?」
「俺、みんな行くまでここにいる」
「でもっ!」
「俺、男。みんなより年上」

 きっぱりとした物言いに気負いはなく、自然な誇りがそこに滲み出ている。
 
「私たち…助けを呼ぶから…っ!」
「うん、俺…待つ」

 有利が平気なはずがないと、エルザは気付いていた。
 ドーベルマンが唸りをあげるたび…体勢を変えるたび、ふるる…っと華奢な肩が揺れ、ちいさく指先がびくつく。
 それでも有利は決してエルザ達を置いて逃げ出そうとはしなかった。
 
「ユーリ…ユーリ……」
「行って。ゆっくり…友達、怖がってる。エルザ、強い。護ってあげて」
「ユーリ……っ!」

 覚悟を決めたように、エルザは怯える友人達を誘導してゆっくりと物陰に移動していった。ドーベルマンはちらりとエルザ達を見たようだったが、どうやら追いかける気はないらしい。一心に有利へと注視を深めると、じり…じりっと間合いをつめていった。

『こいつ…襲ってくるのかな?』

 誰彼構わず飛びかかっていくような馬鹿犬には見えない。その目線と動きにはある種の統一美があり、整然とした動きは全て計算し尽くされているかのようだ。
 だとすれば…この犬は、誰かの命令で動いていると言うことではないだろうか?

『怖い…っ!』

 本当はひっくり返って泣き喚いてしまいたい。
 誰よりも速く安全な場所に隠れてしまいたい。
 だけど…ここにはまだ、有利よりもか弱くて護ってあげなくてはならない少女達が居るのだ。彼女たちの顔や身体に傷が付いたらしたら、有利が怪我をする比ではない衝撃があるだろう。今後の人生にも関わってくるのだ。

『逃げて…早く、速く逃げて…!』

 泣きだしそうな瞳を…へたりこんでしまいそうな脚を奮い立たせて、有利はドーベルマンに対峙し続けた。



*  *  *

 


「…あれは…っ!?」

 コンラートは校舎の2階渡り廊下から、ドーベルマンと対峙する有利を見かけて顔色を変えた。
 狂犬というわけでは無さそうだが、何故か明らかな敵意を込めて有利に近づいていくドーベルマン…。脚を伸ばせば全長が有利の身長を上回りそうな大型犬に、コンラートの目の奥で花火のようなスパークが起こる。

 想像の中で、あの爪に…牙に引き裂かれる有利を想像した途端、全身の血が足下に引いていくような感覚を味わったのだ。

『させるか…!』

 前後の見境などまるでなかった。
 コンラートは有利とドーベルマンの間に駆け寄ることだけに意識を集中した結果、血相を変えたコンラートに《どうしたのか》と問いかけてくる友人達を無言で振り払い、夢中で廊下の端にあったロッカーを開くと、そこから《武器》を取りだした。



*  *  *




 ドーベルマンに対する有利の反応は、甚だウルツキーの期待に反するものであった。
 丁度渡り廊下をコンラートが通過する時間に合わせて有利が路面を歩くよう、諸条件を加味して計画を立てたというのに、肝心な有利が実に男前な態度でエルザ達を庇っているのだ。

 だが、よく見ると男らしく振る舞ってはいてもその顔は血の気を失い、指先は頼りなく震えている。もう一押しすればコンラートに無様な姿を見せることができるだろう。

 ヒュゥウウーーーっ!

犬笛を吹くと、ベックが心得たとばかりに身を躍らせて飛びかかって行くものだから、流石に堪えきれずに有利が恐怖の叫びを上げた。

「わぁあああ…………っ!」

 頭を庇って半泣きでしゃがみ込んだ有利の頭上に、巨大なドーベルマン…ベックが飛びかかっていく…かと思われたその瞬間、その身は勢いよく突き飛ばされた。

「な…っ!」

 驚愕するウルツキーの視界の中で、ベックは中空を跳躍するその瞬間、長い棒の一突きを喰らって《キャン…っ!》と叫ぶと、無様に横っ腹から石畳の上に落下した。

「な…な……」

 ウルツキーの頬から血の気が引いた。
 何と言うことだろう…怒りに形相を変えたコンラートが、モップの柄と思しき棒っきれを構えてベックと有利の間に対峙して居るではないか!

 しかも、怒りに我を忘れているのはコンラートだけではない。思わぬ反撃を喰らったベックもまた野生を取り戻したかのような唸りを上げて、コンラートとの距離を測っているのだ。
 必死でウルツキーが犬笛を吹いて制止を掛けるが、どうしたものか…ベックは答えようとはしなかった。コンラートから吹き寄せてくる殺気の強さが、訓練の成果を忘れさせているのだろうか?

「駄目だ…ああ、あああ…こ、コンラート…君のように美しい人が、犬の牙で引き裂かれるなんて…!」

 飛び込んでいって、身を盾としてコンラートを庇うべきだとウルツキーの《理想》は叫んでいる。だが…現実のウルツキーは動けない。

「何故だ…どうして、どうして…!」

 理屈上では、ウルツキーは華麗にコンラートを護れる筈なのに、かつて見た映像…ドーベルマンの牙と爪で容易に引き裂かれていく人間の姿が脳裏をちらついて、自分がそうなる可能性がある場所に行き着くことを拒んでいるのだ。

 そうなったとき初めて…ウルツキーは軽蔑していたはずの有利の強さに気付いた。

 どんなに怯えていても…彼は、踏みとどまって少女達を先に逃がした。
 理屈では《当然のこと》だと思えたが、我が身に置き換えてみたとき初めて…それがどれ程の勇気を要するものであるかを実感したのだ。

 そして、今まさに飛びかかってこようとするドーベルマンの前に、飛び込んでいけるコンラートの勇猛果敢さへの畏敬も新たになる。

 彼は、そういう勇気と華を持つ男なのだ。
 だからこそ彼は王子と呼ばれ、崇められているのだ。

 彼らこそ…選ばれた男なのだ。

「ああ…僕は……僕は…」

 優秀であれば、《選ばれた存在》になると信じていた。だが…それこそが無知蒙昧の極みであったのか!
 本当に選ばれた者とは、追いつめられたその瞬間に真の力を発揮できる者…。
 平時にどんな理想を叫ぶことよりもそれは難しく、だからこそそうできない者達の尊崇を勝ち得る身であるのだ。

 そんな男達に対して、《選ばれざる者》たるウルツキーがしたことは、嫉妬に目が眩んだ愚者の典型的な行動ではないだろうか?そう…これは崇高な行為などではなく、明確なテロであったのだ。
 まるで仏陀に嫉妬したダイバダッタが酔った象をけしかけたように、爪に毒を塗り込めて夜襲を掛けようとしたように…。嫉妬の焔に目を灼かれて、蓄えた知識の中から本当に必要なことを抜き出すことができなかったのだ。

「僕は…なんて事を…っ!」
「後でたっぷりお仕置きしてやるよ」

 微かな笑みと大量の怒りを込めた、ハスキーな男の声が耳朶に響いたと思った瞬間…ウルツキーは首筋に激しい衝撃を感じて意識を手放した。 



*  *  *




「こ…コンラッド…!」
「よく頑張ったね。後は、俺に任せて」

 コンラートだ。
 コンラートだ…っ!

 襲いかかってきたドーベルマンを見事に一蹴…いや、一突きしたコンラートは、やさしくも凛々しい声で有利を励ますと、戦闘者の移行を告げた。

「逃げて、ゆっくりとね」
「でも…!」
「俺は武器を持ってる。それに、君より年上だよ?」
「……っ!」

 自分と同じ論法を持ってこられては反論のしようもない。それに、武器を持たない有利は下手に傍にいると足手まといになるのは必至だった。

 《コンラートが負けたらどうしよう》という発想は、その時は意外なほど浮かんでは来なかった。
 きりりと伸びた広い背中は逞しく、雄々しい威厳に満ちて有利を信じさせるだけの力を持っていたからだ。

『この人ってば…マジで王子様だよぉ…』

 沸き上がってくる感動と崇拝の念で、堪えようとしても目元に涙が浮かんでくる。
 彼が持てば掃除用モップの柄さえも華麗な剣に見えるのだから不思議だ。

『大好き…俺…この人のこと、大好きだ!』

 親切に道を教えてくれる優しさ、家族のことで悩んだりする繊細な心、そして…向かうところ敵なしと信じさせてくれるこの雄々しさ。その全てが愛おしくて堪らない。

『好き…好き、大好き…!』

 有利はゆっくりと距離を置くと、そこで両手を組んだまま動けなくなった。
 このままコンラートの勇姿を見つめていたくて…心が乙女のように震えてしまうからだ。

 けれど、その想いを引き裂くように凶暴な怒りを込めてドーベルマンが飛びかかってくる。流石にその一瞬は肝が冷えてちいさく叫びを上げてしまったけれど、目は閉じなかった。そこは幾ら指を《乙女組み》していても日本男児である。大好きな王子様の勇姿は最期まで見届けねばならない。

 そして、見事に《王子様》はその威厳通りに華麗な剣(柄)捌きをさせたのだった。

「はぁ…っ!」

 気合い一閃。
 優美とさえ表現できる弧の動きを見せて棒を操ると、コンラートはドーベルマンの横っつらを弾くと、再びその大型の獣を地に伏せた。

 そして、やや気勢を削がれたかに見えるドーゲルマンに向かって、しなやかな腕を伸ばし…伸びのある美声で鋭く命じたのだった。


「伏せ!」


 ドーベルマンは驚いたようにビィン…っと首を跳ね上げたが、どうしたものか…最初はおずおずとではあったが、重ねてコンラートが《伏せ》を命じると、今度は従順な動きで端然と前脚を揃え、腰を落とした。

「わ…」

 思わず、感嘆に息を呑む。
 おそらく固唾を呑んで見守っていた観衆達も同様であったろう。一斉にごくりと唾を飲み込み、ほぅ…っと熱い溜息を漏らす音が響いた。

 コンラートは、襲撃してきた犬を…従えさせたのだ。
 その技量と、気迫によって! 

「コンラート!」
「我らがゲルツヴァルトの誇り!」
「ルッテンベルク寮の獅子王!」

 校舎や渡り廊下から一斉に歓声が沸き上がり、口々にコンラートを褒めそやす言葉が降り注がれる。
 その中でちょっと気が引けるのを感じて身を竦めていた有利だったが、ドーベルマンが最早襲撃の意図を失ったことを確信すると、コンラートの方から近寄ってきてくれた。

「君が襲われると思ったら、心臓が…止まるかと思った」
「あ、ありがとう…助けてくれてっ!」
「良かった…無事で、良かった…っ!」

 感極まったように、コンラートは腕を伸ばすと有利の華奢な身体を抱き込んで、息が詰まるほどの勢いで抱きしめた。

「コンラッド…コンラッドぉ…っ!」

 暖かくて広い胸に抱き竦められたら急に安心してきたのだろう。有利は先程から目元に込み上げていた涙をぼろぼろと零しながらコンラートにしがみついていった。人前だとか恥ずかしいとかそんなことは意識の彼方に飛んでしまって、もうもう…コンラートの存在をより深く感じ取ることだけに集中していたのだった。


 だから…そっと顔を包み込まれて仰向けられたときも、最初は抵抗できなかった。






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