50万打&2周年お礼企画第一弾
「ゲルツヴァルトの王子様」−5
『ユーリ、ユーリ…ユーリ!』
ドーベルマンを服従させ、有利に向き直ったコンラートは無事なその姿にほぅ…っと安堵の息を吐いた。すると、背筋にどれだけの脂汗が浮いていたかが自覚できる。
ドーベルマンが有利に対して攻撃態勢に入ったとき、本当に息が止まるかと思った。
たかが犬と侮(あなど)るなかれ…基本的に、大型犬に分類される犬種は全て人間を殺傷するに十分な能力を有している。ことに、訓練され、人の急所を知り抜いたドーベルマンの前にモップの柄だけで向かっていくなど、普通のコンラートなら考えられないことだ。たまたまドーベルマンを屈服できたから良かったようなものの、あくまで抵抗されて攻撃態勢を解いてくれなければコンラートの身もどうなったか分からない。
だが…そんなことを考えている暇など無かったのだ。
『君が、無事でいてくれれば…』
純粋にそれだけを考えて飛び込んでいった。そこには何の打算も計画性もなく、それこそ、ウルツキー辺りからは《君らしくない》と侮蔑されるような行動であったかも知れない。
だが…コンラートは今のような自分をこそ愛したいと思う。
ああ、そうだ。
ずっとコンラートは醒めて世の中を斜めに見ている自分自身こそが嫌いだったのだ。本来、コンラートはそのような男ではなかったのだから。
『孤高の王子様なんて、クソっ喰らえだ』
喉奥で笑いながら、コンラートは衝動のままに有利を抱き竦めた。
「コンラッド…コンラッドぉ……っ!」
途端に泣きじゃくる華奢な少年が愛おしくて堪らない。
震えながらも一歩も退くことなく少女達を逃がすその侠気(をとこぎ)、それでいて…こうしてあどけないほどの愛らしさを見せて素直に泣きじゃくるその可憐さ…全てが愛おしくて堪らない。
出合ってほんの数日しか経っていないの言うのに、有利はもうコンラートの全てを屈服させ、喜んで従属したいと願わせるまでに心を奪い尽くしている。
『ああ…君に全てを捧げたいよ』
誓うように、コンラートは有利を仰向かせると…そのまま唇を重ねていった。
途端に、先程までとは別の意味で《どぁーっ!》…っと観衆が盛り上がる。
「ん……ーーっっ!?」
しかし唇を重ねて暫くすると…我に返った有利がじたばたと暴れ出すものだから、そこで漸くコンラートは気付いたのだった。
舞い上がっていたのはコンラートの内部環境内でのことであり…ひとことも有利に告白などしていないことに。
「……っ!」
自分たちは恋人同士などではなく、そもそも友人としても日の浅すぎる者同士であったはずなのに、特殊な状況(吊り橋現象とでも呼ばれるものだろうか?)のせいか、すっかり舞い上がってしまったコンラートは思いのままに有利の唇を奪ってしまったのだった。
恐る恐る伺えば…涙目になった有利が戸惑うようにうごうごと手足を動かしている。
「…………」
「…………」
ちょっと気まずい沈黙の中、ゆっくりと唇が離されていく。
嫌悪するようではないけれど…吃驚しきっているらしい有利は口元を押さえて恨みがましそうな声を響かせた。
「こ…こんな時までからかうなんて…コンラッド、酷い…。お、俺…キス、初めてだったのにぃ〜…」
《うにゅにゅぅ〜…》…と小刻みに震えながらぷるぷる震えている有利に、コンラートは心底慌ててしまう。後手には回ったが、その誤解は是非とも解いておかねばならない。
す…っと身を屈ませると、膝を突いて愛を請(こ)うた。
「了承も得ずに唇を奪ったことを許して貰いたい。だが、君の心を請う気持ちは変わらない。愛しているよ、ユーリ。どうか…俺の愛に応えてくれないか?」
「えーっっ!?」
垂直跳びでばびょんと飛び上がる姿は大変愛嬌がある。ジャパニメーションの《ど根性ガエル》のワンシーンのようだ。
「駄目…だろうか?」
小首を傾げて精一杯誠意を伝えれば、有利は首元まで真っ赤に染めてぷるぷるしてしまう。
「…………ホントに…からかってない?」
「信じられない?」
「コンラッド…時々意地悪なんだもん。俺だけ大好きっ!…て本気で言った後で《嘘だよ》なんて笑われたら、俺…心臓が潰れちゃうよ」
コンラートの瞳がふわ…っと見開かれた。
途端に、琥珀色の澄んだ瞳の中で瞬く星のような銀が煌めき、形良い唇が歓喜の声を上げる。
「ユーリも…俺のことを大好きなんだね?」
「…………っ!」
有利は《しまった!》とばかりに両手で口を覆うが、時既に遅し…コンラートはすっかり有利の心を悟ると、今度は遠慮容赦なく抱きしめて唇を寄せてくる。
「愛してるよ、ユーリ…!」
「お…俺も好きだけれどもっ!お願いコンラッドーっ!頼むから人前では止めてぇええ…っ!」
有利の絶叫が轟(とどろ)くが、《恥ずかしがり屋のサムライと、氷の心を溶かされた王子様の恋》はゲルツヴァルト中の生徒達に喧伝されることになる。
* * *
警備員グリエ・ヨザックは個人所有のスタンガン付き警棒を持って駆け寄ろうとしていたようだが、結局コンラートが一人でドーベルマンを撃退してしまったため、そのお手柄は首謀者のウルツキーを捕らえたことに限定された。
ウルツキーはというと、目が醒めるなり憑き物でも落ちたみたいに素直になってしまい、コンラートと有利に平身低頭謝罪をすると、ゲルツヴァルトにも退学届けを出してロシアに戻ることを決めたらしい。基本的に、一本気すぎるくらいに思考が直線型なのだろう。多少なりと今回のことで柔軟性がつけばいいのだが…と思わずにはいられない。
なお、襲撃に使われたドーベルマンのベックについてはちょっとややこしいことになった。事情を聞いてウルツキーの伯父が引き取りに来たのだが、全く彼に従おうとしないのだ。しかも、伯父が命じても食事すら採らない。
このままでは薬殺処分か餓死を待つしかないと伯父が頭を悩ませていたら、どうやらコンラートには絶対服従するらしいことが解った。ベックの中で、完全に主人の切り替えが行われたらしい。
重ね重ね申し訳ないと青くなった伯父は、可愛がっていた甥の愚行を謝罪する意味も含めてコンラートにベックの飼育費等々の諸経費を含め、多額の賠償金を支払うことをほぼ強制的に決めてくれた。また、ロシア本国にいるウルツキーの両親からも賠償金の申し出があった。
どうもこの血縁者達は一様に一本気であるらしく、コンラートが幾ら《気にしないでくれ》と説得しても聞いてはくれないのである。
ただ…この事はコンラートの将来選択に幅を持たせることにもなった。
そう、その多額の支援のおかげでコンラートは母からの資金援助を必要とせず大学に進学することが可能になったのである。
* * *
「ユーリ…アビトゥーアに合格したら、北栄大学の入試手続きを取るよ」
「え?」
ばたばたとしたやりとりが終わって数日後、気持ちを決めたコンラートは寮舎の一室で有利にそう告げた。
北栄大学は有利が通う高校のすぐ近くにあり、コンラートが専攻する分野の研究では国際的にも名を馳せている。
「できれば、就職も日本の企業に出来ればと思う。君が、ドイツに進学・就職したいというなら別だけど」
「そ…そりゃあ、俺は日本が良いけど…でも、本当に良いの?あの…家族の人とか…」
「うん、彼らともちゃんと向き合って話をしてみようと思うんだ。これまで、俺は逃げていただけなのかな…って、ユーリのお陰で気付いたからね」
「本当?」
有利の顔が《ぱぁ…》っと明るくなる。
「…でね、お願いなんだけど…。ユーリの家に俺がホームステイをするか、俺がマンションを借りて、ユーリが一緒に住む事ってできるかな?」
「…………えっ!?」
有利の顔が、今度は《ぼぁ…》っと紅く染まってしまう。
二人が恋人同士の名乗りを上げたことは教官達も知るところになっているため、《それらしい声が聞こえたり、あまり夜更けまで過ごすようなら退去させるぞ》と警告されているため、キス以上の関係には進んでいない。
けれど…マンションで一緒に暮らすということは、そういう意味も含むのだろうか?
前者であれば、《唯一緒にいたい》という要素が…後者であれば………かなり直接的に《したい》という意味を含んでいると、有利も気付いているのだろう。
その選択を、有利に委ねていることにも…。
「…………少し、考えさせて?」
「ああ、まだ俺が合格してもいないのに…気が早くてゴメンね?」
「俺こそ…」
有利はコンラートを《大好き》とはいうものの、やさぐれている間に夜の経験値を積んでしまったコンラートとは異なり、恋愛面に関しては対女性であってすらも初(うぶ)な少年なのだ。急かすのは禁物だろう。
ことに、男相手の恋愛ともなれば何もかもが未知との遭遇であるはずだ。
『焦らずに、育てていこう』
もしも彼がコンラートと《寝る》ことに抵抗があるというのなら、堪える事も出来るとは思う。それだけ…彼のことが一人の人間として大切だと思うから。
少し…いや、かなり我慢強くなる必要があるだろうけども。
* * *
有利が日本に帰国する日がやってきた。
別れの式自体は既にギムナジウムの方で済ませているので、普通、見送りに来る生徒達は交換留学のサポートを行う生徒会役員くらいなものなのだが、この日はコンラートは勿論のこと、エルザとその友人達、そして有利のことを信奉している中等科の生徒や、可愛らしいと溺愛していた高等科の生徒達、指導教諭達と大勢が駆け付けてくれた。
「本当に、お世話になりました」
有利は2週間の間にかなりドイツ語が上達していたのだけど、この時は…胸が詰まって、お別れの挨拶はそのひとことしか言えなかった。
生涯から言えば、ほんの僅かな時間であったかも知れない。
けれど…その間に体験したこと、出会った人との思い出は強く…深くこの胸に刻まれている。
下げたまま、なかなか頭が上げられなかった。
「ユーリ、あなたは偉大なサムライだわ」
「ええ…あなたのヤマトダマシイに、ゲルツヴァルトのみんなは尊崇の念を深めたわよ」
エルザ達も感極まったように声を震わせ、先程からぼろぼろと涙を零してはハンカチに染み込ませている。
「私…私、ユーリのことずっと忘れないわ!」
「うん…俺も、忘れないよ」
エルザ達の勢いが激しいせいか、お別れの挨拶は昨夜しっかりと済ませたせいか(勿論、キス以上のことは誓ってしていない)、コンラートは少し離れた場所で静かに佇んでいた。
涼やかで凛々しい立ち姿は相変わらず綺麗で、見ているだけで胸が一杯になる。
こんな人が…有利を好きだと言ってくれた。愛しているとも…。
『俺は、コンラッドが目移りできないくらい素敵に成長しないとな』
離れている間に気持ちも変化していくのではないか…そんな風に心配することもあるけど、それは無意味だし勿体ない。
これだけ素敵な人に好きだと言われた以上、少なくとも今の理由にはその価値があるのだ。
だったら…その価値を目減りすることなく更に輝かしていけるのは有利だけなのだ。
『あんたにとって、恥ずかしくない男になるよ』
まっすぐに見つめる先で、コンラートが美しく微笑んだ。
* * *
「随分とメロメロになったもんだねぇ…」
にやにやと意地悪そうな笑みを浮かべてヨザックが嗤う。そんなに有利に対して笑み崩れていることがおかしいのだろうか?
「そんなに滑稽か?それより…ヨザ、こんな所にいて良いのか?」
「非番だよ」
《非番を使ってまでわざわざ…》そう言いかけたが、ヨザックの横顔がやけに幸せそうなので、それ以上は追求せずにおいた。何となく…友人の気持ちが伝わってきたからだ。
友人は、多分コンラートのことを一時のウルツキーの様に蔑んでいるわけではない。寧ろ…好ましい変化だと捉えているらしかった。ただ、そのことを素直に表現できるほど真っ直ぐな性格をしていないだけなのだ。
《可愛い男だ》…ちょっとそんな風に感じる。
「おい、そういう目で見るなって。襲いたくなるじゃねぇか」
「俺が嫌がることは、お前はしないさ」
「…たく。性悪」
苦虫を噛みつぶしたみたいに、ヨザックが口の端を歪める。
「お前に言われたくはないな」
親しげな空気を漂わせて囁き合っていたせいだろうか…ふと見やると、ずんずんと勢いよく有利が歩いてくる。心なしか頬が膨らんでおり、唇が尖っている。絵に描いたような《拗ね顔》だ。
「コンラッド!」
「なに?」
「俺…また会うときまでに、もっとあんたが好きになってくれるくらい、佳い男になってるから!」
「うん…楽しみにしてる」
「…………」
何か意を決してやってきたのだろうけれど…有利はいざとなると勇気が出ないのか、顔を真っ赤にして俯いてしまう。
なんとなく…意を察して、コンラートは壁に凭(もた)れていた大柄な友人を立たせると、自分たちと他の生徒達との間に立たせた。
「元気で…」
「あんたも…っ!」
有利は勢いをつけると、一瞬触れあうだけだったけれど…自分からコンラートへと唇を押しつけてきた。歯列が当たってちょっと痛いけど、有利からの初めてのキスにコンラートはご満悦だ。
「おーい…俺はいつまで盾をやってりゃあ良いんだ?」
「一生そのままで居て欲しいくらいだ」
そう言うと、コンラートは友人に《性悪》と評された笑顔を浮かべて有利を引き寄せると、舌を差し込んで甘い…大人のキスをした。
ずっとずっとこの味を忘れないでね…と伝えるように。
おしまい
あとがき
カエル様のリクエストで、「コンラッドさんが来るもの拒まず去るもの追わずなプレーボーイだったけど有利に会って一目惚れしちゃって最後はハッピーエンド的な物語。全寮制パラレル」…でした。
ギムナジウムの雰囲気は最後まで出ずじまいでしたが…せめて次男が王子様っぽくなっておったでしょうか?(涙目)
もーちょっとこー、学園祭だのパーティーだの賑やかな企画があっても良かったかな…とは思ったのですが、その辺は今後のリクエストの中にも「ドイツ観光」とか「学園祭」がありますので、そちらで出せればいいなと思います。
ドイツやギムナジウムにお詳しい方、風習やお祭りなどで「こんなのが面白いよー」というのがありましたら教えて下さいませ★
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