50万打&2周年お礼企画第一弾

「ゲルツヴァルトの王子様」−3 









 ゲルツヴァルトの学生寮には幾つかの棟があり、コンラートが生活しているのは南向きのルッテンベルク棟である。この棟では他にも、最上学年としてアビトゥーアを受けることになる生徒達が生活しており、原則として一人部屋となっている。また、棟自体も周囲の喧噪を避けるように他の寮棟とは距離を置いており、豊かな緑が窓辺をほどよく隠している。学習を深めるには、随分と恵まれた環境と言えるだろう。

 その代わり、設備自体は古いものを修繕しながら使用しているので大部屋の多い初等科、中等科などに比べて豪華かと言えばそうでもない。いい年をした生徒が多い為、そう頻繁に大規模な破損も起こることがないので自然とそうなるのだろう。

 有利はルッテンベルク棟に入って来るなり、良く磨かれてつやつやしている手摺りや、少し歪んではいるけれど、味わいのある光沢を呈した廊下が気に入った。大きな吹き抜けの階段やがあったり、踊り場に落ち着いた色合いのステンドグラスがあったり、もう使われてはいないようだけど、雰囲気のある洋燈が吊られているのも異国情緒を感じさせた。

 通して貰ったコンラートの部屋もやはり古めかしい造りで、屋外に通じる壁は上の方だけ斜めに切り取られており、小さな天窓から覗く月がとても綺麗だ。
 ふわ…っと良い匂いがするなと思ったら、壁に掛けられた香木とドライフラワーのリースが放つ芳香のようだった。コンラートの身体からもそういえばこれとよく似た匂いがしたように思うから、日々の生活の中で自然と染みこんできたのだろう。すっきりとした、彼らしい香りだ。
 
 また、ベッドには大判のキルト布が掛けられたりして、《意外と可愛い趣味だ》なんて思う。
 コンラートの方も有利の視線の意味に気付いているのか、少しはにかむように言い訳をした。

「このベッドカバーは兄がくれたものでね。少し俺には可愛すぎる気がするんだけど…中等科からずっと使ってるんで、愛着が湧いてしまって捨てられないんだよ。俺の兄は強面なんだけど、裁縫が好きらしくてね?これも仏頂面で押しつけてくれたんだけど…手縫いなんだよ。凄いと思わない?」
「うん…凄い!」

 なるほど、端の方がほつれたのを直した痕跡もある。
 面映ゆそうな顔をしているが、大切に使っているのだろう。

「仲が良いんだねぇ。俺にも兄貴いるけど、くれるものっつったら《ゆーちゅん、これを着なさい!》とかって、猫耳メイド服とかセーラー服とか寄越すんだもん。速攻叩き返しちゃったよ」
「……変わったお兄さんだね」
「あ…あ…っ!で、でも…昔はちゃんとしたのもくれたんだよ?お袋がなかなか買ってくれなかったグローブとか、誕生日に自分の小遣いで買ってくれたりしたし!」

 異国の地で不当な名誉毀損をするのは如何なものかと思い、慌てて弁明すると楽しそうにコンラートが笑った。

 夕方の歓迎会での様子も明るかったから、朝の体調不良(?)はすっかり良くなったらしい。そういえば、有利が話しかけた時にはもう上機嫌だったから、きっとそうなのだろう。

「じゃあ、ここに座って?何か飲み物を煎れるけど…珈琲と紅茶どっちが好き?」
「あ…じゃあ、紅茶をお願いします」

 勧められたクッションの上にぽふんと座ると、コンラートがお茶を煎れてくれる間見るともなしに部屋の様子を眺めた。

 物は少ないけれど、気に入った物は長く使う人のようだ。先程のベッドカバーだけでなく、彼の生活歴を感じさせるような物が壁や棚にいくらか置いてある。

 何枚か壁に貼られた写真は、家族のものだろうか?
 幼いコンラートと、よく似た面差しの精悍な男性が特に多く映っていた。

「お父さん、そっくりだね…やや…ですね」

 なんだか部屋に招待された気安さのためか、先程から言葉が馴れ馴れしくなっているような気がする。

「気楽に喋ってくれて良いよ。さん付けもない方が好きだな」
「そう…?」

 自然な態度でそう言ってくれるから、お言葉に甘えて気楽なしゃべり方をしてしまう。時折コンラートの面差しが大人っぽい陰影を湛えて夜光に映えるから、その瞬間だけは気が引けて急に敬語混じりになったりもするのだが…気が付けばまた引き込まれるように親しげな口調になっていくのだった。
  
 きっと、コンラートが聞き上手なせいもあるだろう。

 自分からは聞かれない限り何か言うことはなくて、有利の話す内容に丁度いい加減で相槌を打ったり、質問を掛けてくれたりする。続きをどんどん話したくなるような絶妙な投げかけに、有利はにこにこ顔で熱弁を振るう。

 耳朶に響く心地よい美声とも相まって、有利は何時まででもこの場所にいて彼とお喋りしていたいという衝動に駆られてしまうのだった。



*   *   *




『どうしてこの子だと平気なんだろう?』
 
 コンラートは昔から、自分の個人的な空間に他人が存在することを好まない。
 肌に触れたりすることはここ数年でわりと平気になったが、行為が終わった後まで粘りつくように絡んでくる相手は嫌いだ。そんなことをされようものならすぐさま別れを告げて、とっとと部屋から出て行って貰うか、相手の部屋であればシャワーを浴びるなりその足で部屋を出るのが常だった。

 それなのに…この部屋の中の、自分のお気に入りのポジションで、お気に入りのクッションに座る有利がちっとも邪魔ではない。
 
 いや…邪魔どころか、ずっとこのままこの部屋の調度品のように…そこにあることが当たり前のように存在して、息をして、笑ってくれたらどんなに良いかと思ってしまう。

 くるくると表情を変えながら喋る有利が可愛くて…自分の中にはこんなにも豊かな感情があったのかと思うほど、胸にふつふつと息づくものがある。

 有利の真っ黒な瞳は、懐かしい光景を思い出させる。
 昔…冒険家の父がまだ存命だった頃、広葉樹の森で幾度も目にした大粒のどんぐりようだ。または、そのどんぐりを囓る栗鼠などの小動物の瞳のようでもある。
 つぶらで、素朴で…それでいて、奥深く力強い生命を感じさせるもの。
 小さなその体の中には、これから芽吹こうとする大地や…自然の力が内包されているかのようだ。

『この子の瞳は、決して俺を《あの連中》と同じようには見ないんだろうな』

 あの連中…物欲しそうに、想像の中でコンラートを淫猥な姿に剥いて辱めているのだろう連中…。

 昔は、そんな目を向けられていることにすらコンラートは気付かなかった。
 けれど、全寮制のギムナジウムという閉鎖的な空間にいれば、どうしたって思春期の衝動が自分に向かってくることに気付かざるを得ない。

 幾度かコンラートを押し倒そうとする不埒者を撃退した辺りから、コンラートは自分がある種の人間達に強い劣情を感じさせる男なのだと自覚させられた。

 または、そのような行為を封じる代わりにコンラートを人間とは違う超越した何かであるように崇拝してくる者もいた。

 正直、どちらも同じだけ不快だった。
 どちらも、コンラートをそのまま受け入れているわけではなかったからだ。

 身体を繋げてみればまだ何か分かるのかと思って、多少なりと居心地の良さそうな者を求めて抱いたりもしたけれど、幾度か付き合う内にどうしても鼻についてくる。とっかえひっかえしている内に、そういった繋がり自体に飽きてしまった。

 ただ、昔からの友人であるヨザックはましな男だと思う。
 彼だけは誘いを掛けられたコンラートが、とても醒めた目をしていることに気付いてくれたからだ。

 彼は特別な男なのだと思う。
 きっと、幼馴染みだからそういった深いところの感情まで読んでくれるのだろうと思った。

 けど、だからといってコンラートの中にある虚無を癒してくれるわけではなかった。

 虚無…一体これは、いつからコンラートの中にあるのだろう?
 とっかえひっかえ付き合う相手を変えてみたのも、きっと…ぽっかりと開いた穴を埋める何かが見つかるのではないかと期待したのではなかろうか?

『この子は、俺を癒してくれるのかな?』

 ゆっくりと有利に近づいて、ひたりと間合いを詰める。
 息が掛かるほどの距離に近づいても全く警戒心を持たないのか、興が乗ってくると《ぽんぽん》…っとコンラートの肩や胸を叩いてくるくらいで、《迫られている》という意識は微塵もないらしい。
 
そこで、ふとコンラートは気付いた。

『そういえば俺…迫られたことはあっても迫った事って無いな……』

 大抵、コンラートがそこそこ《良い感じ》と思って意味ありげな眼差しを送れば、向こうの方からほうはうとアプローチを掛けてくれたので、そんな気遣いをする必要はなかったのである。

 ところが…この有利には、その手法は全く通じないらしい。

 コンラートが艶やかに双弁を細めて流し目を送っても、素直に《うわ、色っぽい!》と感心し、しゅるりとしなやかな腕を絡めていっても、間合いが近くなったのを良いことにばしばしと感情の激するまま肩を叩かれてしまう(叩くものがないときには自分の膝を叩いているから、癖らしい)。

『て…手強い……っ!』

 背中に変な汗が滲み、急に自分が経験の浅い若僧になったような気がして焦るが、同時に…何とも言えない笑いが込み上げてくる。

『ああ…そうだ。俺はまだ若僧と呼ばれていい年なんだ』

 変に肉体方面だけ擦れてしまったので、精神的にもそうなのだと思いこんで老人じみた厭世観を醸しだしていたのだが…まだまだコンラートの心の中には、こんなにも初(ウブ)で世慣れない部分が残っていたのだ。

「どうかしたの?」
「ううん…何でもないよ」
「そう?」

 有利はまだ少し不思議そうな顔をしていたけれど、途中まで話していたコンラートの生い立ちに話が戻った。
 
「コンラッドの兄弟って、みんなお父さんが違うんだ…」
「そうだよ、母は恋多き人だからね。《愛の狩人》と自称しているくらいだし…」
「え?今でも?」
「そうそう。ほら…この絵葉書の写真なんて、この夏のものだよ?」
「うっわ…若ーいっ!うちのお袋も若作りな方だけど、限度越えてるなぁ…っ!」

 有利はナイスバディの母の写真に見入ると、胸の谷間を強調させたポーズにどぎまぎしているようだ。
 
「兄なんて、もう就職しているしねぇ…。とても20代の子を持つ母には見えないだろ?」
「うん、全然っ!」
「だから、余計に心苦しいんだよね…。一時の気の迷いで産んだ子の養育費なんて、ずっと出し続けさせるのが…」
「へ?」

 有利はきょとんとしたように目を見開くと、怪訝そうにコンラートを見上げた。
 眉根は少しばかり寄っていて、その疑問は先程までの素朴なものとは異なって…どこか、
咎めるような色を含んでいる。

「父は、世界中を旅して回ってる冒険家だったんだ。当然、その旅自体で儲ける事なんて出来ないから、その冒険譚を聞きたたがる富裕なパトロンを何人か抱えていてね、その一人が母だったんだ。母はドイツでは有名な家系の出だったから、父と結婚すると言い出したときには揉めてね…。多分、そのせいで仲が微妙だった兄の父とも離婚したのだと言われてる。それなのに俺の父とも結局は離婚してしまって、挙げ句の果てに父が事故死したせいで俺の面倒を見なくてならなくなった…。その頃には別の男性と結婚していたのに…だよ?迷惑な話だと思うね。正直、父と結婚したことだけが…俺を産んでしまったことだけが、若々しく富裕な母にとって唯一の汚点だと思うんだよ」

 この話は、あまり人にしたことはない。
 噂話としては流布しているだろうが、コンラート自身がどう感じているかについてはおそらく、ヨザックくらいしか知らないだろう。

 自分の誕生が母の人生にとっての汚点であり、その母が望むならば…何でもしたいと思っているなど。

「それ…お母さんが言ったの?」
「いいや…母は、やさしい人だから…決して言わないよ。《コンラートの好きにして良いのよ》と、いつも言ってくれる」
「じゃあ…どうして、そのまんま信じてあげられないの?」

 驚いた。
 有利は…目尻に涙を滲ませて鼻の付け根に皺を刻んでいたのである。

「汚点とか…哀しいこと、言わないで。お母さんは《愛の狩人》なんだろ?だったら…自分から選んでお父さんを狙い打ちした、誇りある狩人さんなんだよ。財産とか名誉とか…そんなのが物凄く気になる人なら、きっとこんな風にキラキラしたまま年を取らないなんて事ないと思う」
「ユーリ…」
「それでも信じられないなら、こっちであれこれ心配するより…ちゃんと話をして?絶対絶対…誤解だと思う。コンラッドのこと汚点だなんて、そんな風に思う人いないよ…!ましてや、お母さんなら絶対にないよ…っ!」

 感情が激してきたのだろう。
 有利はぽろぽろと涙を零して頭を振った。

 すると…《しゃらら…》と、軽やかな音を立てて素直な黒髪が空を舞い、涙の粒もふるりと弾かれた。

『この子は…俺の為に泣いているのか?』

 思いがけず吐露してしまった想いがこんな風に受け止められるとは思わなくて、コンラートは少々狼狽えながら有利の頭を撫でつけた。

「ゴメンね…変なこと言って」
「ううん…俺こそ……ごめ……っ…か、勝手に人んちの事情にああだこうだ偉そうなこと…でも、俺…コンラッドは……汚点じゃな……っ…そんな事…ずっと考えてたのかって思ったら、た…堪んなくなって……っ」

 ひっくひっくと泣きじゃくる有利に、コンラートはおずおずと手を伸ばして頭髪を撫でつけた。見た目以上にさらさらとしたその感触は掌に心地よく、するりと撫でれば形良く小さな頭のカーブに胸がどきりとする。

 華奢でちいさなこの身体を…抱きしめたくなってしまう。

『いいだろうか…?』

 今まで身体を開いてきたどんな状況下よりも緊張して、コンラートはそろりと腕を伸ばすと有利の身体を胸に抱き込んだ。
 とくん…とくんと伝わる拍動と啜り泣く越えに胸を締め付けられ、ゆっくりと…けれど、確実に抱きしめる腕に力が籠もっていく。

『なんて素敵な子なんだろう…?』

 こんなにも、心が震えたことはない。
 ずっとずっと…父を亡くしてからコンラートの心の中に蟠(わだかま)っていたことが、こんなにも綺麗に否定されたことはない。 

『ずっと…抱きしめていられたら…』

 しかし、コンラートの願いは数分間で断ち切られることになる。
 気の利かない壁時計が、ボーン…ボーン…と鈍い音で鳴ったのである。

「あ…もうこんな時間。ゴメンね…好き勝手に喋ったり、な…泣いたりして…」

 確かに、幾ら寮監に話を付けているとは言え、そろそろ戻らなくてはならない時間だろう。たとえ同性間であっても、この辺りの規則に寮は厳しい。

「こちらこそ、引き留めてしまってごめんね」
「あの…怒ってない?」

 まだぐすぐすと鼻を啜りながら、有利は恥ずかしそうにコンラートを見上げた。

「怒ってなんかないよ。寧ろ…凄く、嬉しかった」
「本当?」

 有利はほぅ…っと安堵すると、照れくさそうにもじもじと提案してきた。

「…また、明日も遊びに来て良い?」
「勿論」

 笑顔と握手を交わして約束をすると(有利の国では小指で約束かも知れないけど)、コンラートは有利を高等科の棟に送った。



*  *  *




 リィィン…
 リィン……リリン……

 夜気を震わせて、一匹の虫が鳴いているようだ。
 冬の最中だから、仲間達は次の世代に命を繋いで鳴くことは止めているはずなのだが…一匹だけと思われる声が寒々しい大気を震わせながら鳴き続けている。

 《寂しい…寂しい》と言いたげに。

 有利を引率教員達がいる部屋に帰してお別れをした後、そんな鳴き声を聞くのは嫌なものだった。

 とても楽しい時間を過ごした後なのに…その間は、心の中央にぽっかりと開いていた穴も塞がっていたのに、じわじわと染み込むように寂しさが浸食してくる。
  
 しばらくすれば…有利は日本に帰る。
 ゲルツヴァルトでの滞在期間は僅か2週間なのだと言っていた。

『2週間で何が分かると言うんだ』

 不条理とは知りつつも、コンラートはこの交換留学という制度に対して沸々とした怒りが込み上げるのを感じてしまう。本来なら一度も会うことなく生涯を終えるはずだった二人を引き合わせてくれた制度なのだから、本来感謝すべきなのだろうが…その期間はあまりにも短いではないかと怒ってしまうのだ。人間の欲とは始末に負えないものである。

『2週間では…国を越えてまでまた自力で会いたいなんて気持ちにはなってくれないだろうか?』

 コンラートを思い出して《懐かしいなぁ…》と瞳を細めることはあっても、いても立てもいられなくなって、ボストンバック片手に飛行機に乗り込んでドイツまで飛びたくなる…なんてとこまでは、思い詰めてくれないだろうか?

『そうだ…俺から、会いに行っても良いだろうか?』

 それなら歓待してくれるのではないか…。
 
 そんな風に考え事をしていたせいだろうか?コンラートは珍しく、人の気配に気付かなかった。おかげで、気付いたときには回避しようのない位置までウルツキーに詰め寄られていた。

「……君らしくないな」
「ウルツキー?」

 宵闇の中、ウルツキーの神経質そうな顔がぼわりと浮かび上がり…ちょっとしたホラー映像のように映し出される。
 可愛い有利の泣き姿を見た後では、癒されないこと甚だしい。

 ウルツキーはそれでなくとも巌のように硬い顔を更に強張らせて、苦々しげに吐露するのだった。

「君ともあろう者が、何て顔をして歩いているんだ!」
「どんな顔をしていた?」
「とろけそうになったり、捨てられた仔犬みたいに心細そうになったり…見ていて恥ずかしく思ったよ!」

 そりゃ結構恥ずかしい姿である。
 だが…どうしてだかそれほど羞恥は感じないし、その事を責め立てるウルツキーに対しても、怒りを覚えることはなかった。

『こいつは、狂おしいくらいに俺のことが好きなんだ』

 例えそれが偶像であっても、本来のコンラートの姿ではないにしても…彼にとってそれは掛け替えのない《コンラート像》であるのだ。
 そう思ったら、今まで侮蔑していた人々の幾つもの想いを、自分が踏み躙ってきたのだという悔恨…そして、不思議な愛おしさというものが滲んできた。

「すまない、ウルツキー…。昼間にも言ったが、俺は君の思うような男でいたいとは思わないんだ」
「謝らないでくれ…っ!君が…君が謝るだと…っ!?誇り高い、氷の彫像のような君は何処に行ったんだっ!」
「春の陽射しに、溶けてしまったのかも知れないね」

 どれ程の強風に晒されても孤高の彫像として佇んでいた《コンラート・ウェラー》などというものは、きっと…有利という温もりの中で溶け始めているに違いない。
 それを認めることは少々面映ゆいが、予想外に嫌なものではなかった。

「認めないぞ…僕は、そんな君は認めない…っ!」

 《可哀想だ》…初めて、そう思う。
  自分の中の偶像が崩れてしまいそうなとき。現実を拒絶して新たな事態に対応しようとしないウルツキーは、一体どのような人生を歩むつもりでいるのだろう?
 幾ら優秀な頭脳を持っていても、過去の踏襲のみでは前進していくことは難しいだろうに。

 踵を返して駆け出すウルツキーの背中を見詰めながら、コンラートは胸騒ぎを覚えた。

 変わってしまった自分を過去のそれに戻すことは出来ない。
 だが…変わる要因となったものを消されたら…?

 戻せずとも、壊すことは出来るのではないだろうか。

「ウルツキー…ろくでもないことを思いつかないでくれよ?」

 目を眇めて…コンラートは呟いた。




→次へ