「お伽噺を君に」 プロローグ 黄金の太陽に、銀色の月。 美しいお姫様に、凛々しい騎士。 洋燈一つを手に持って、冒険の旅に出かける男の子。 叶わぬ恋に身を焦がす女の子。 はたまた動物たちや精霊と、神様の戯れ。 あなたにたくさんのお伽噺を聞かせてあげましょう。 お腹を抱えて笑ってしまうものから、しんみりと涙するお話まで、あなたの瞼が閉じてしまうまで、今宵もたっぷり聞かせてあげます。 おや、あの話が良いのですか? とても長いお話だから、最後まで聞いていられるかな…。 《もう大きいから、ちゃんと最後まで聞ける》って? それは頼もしい! さあ、それでは始めますよ? あなたが大きくなったことを、俺に確かめさせて下さいね。 * * * 昔々あるところに、混血の王子がおりました。 お母さんは眞魔国という国の女王様で、とても強い魔力を持つ純血の魔族です。そして、お父さんは剣の腕がぴかいちの人間でした。とても素敵な両親の間に生まれた男の子は、すくすくと成長しました。 男の子が騎士として独り立ちできるようになった頃、眞魔国は大きな戦争を始めました。人間の国であるシマロンと戦うのです。 長く続く戦争の中で、魔族と人間の血を両方持つ混血の立場はとても不安定なものになりました。 その内、混血を嫌う純血貴族達はこう言い出しました。 『我々の作戦がうまく行かないのは、きっと混血が知っていることをわざとシマロンに教えているせいだ』 そんなのは根も葉もない嘘でしたが、戦争が長く続けば続くほど、信じる人は増えていきました。 とうとう、騎士のお母さんである魔王陛下や、力を持つ十貴族のお兄さん王子でさえ止めることが出来ないほどに、その噂は強くなってしまったのです。 騎士は心を痛めました。 混血があらぬ疑いを持たれることはもとより、大好きなお母さんやお兄さんに苦しい思いをさせるのも嫌だったのです。しかも、大好きな弟王子がその噂を強く信じてしまったことが、騎士には辛くて辛くて堪りませんでした。 ですから、騎士は混血兵士だけで構成された《ルッテンベルク師団》を作って、戦争に参加しました。混血がどれほど勇敢に戦うか、どれほど眞魔国を愛しているかを、みんなに知って欲しかったのです。 とても激しい戦いの末、騎士は勝利しました。 ですが、死にものぐるいで戦った《ルッテンベルク師団》の兵士達は殆どが戦場に倒れ、騎士もまた重傷を負ってしまいました。 病院で意識を取り戻した騎士の元には、更にひどい知らせが届きました。大切な友人が、騎士とは別の戦場で死んでしまったというのです。人々の傷を癒す衛生兵だった友人はとても優しい人で、敵味方の区別なく癒しの技を使う人でした。たくさんの人を癒して自分は力尽き、亡くなったのだそうです。 騎士はとても哀しかったけれど、泣くことが出来ませんでした。 結婚を間近に控えていた大切な友人が何故死ななくてはならなかったのか、どうしても納得がいかなかったのです。 友人を死に追いやった全てが憎くて堪らず、戦争に勝ったことなどどうでもよくなりました。 ただ、騎士の心は癒されませんでしたが、若くて元気な身体は暫くすると治ってしまいました。すると、軍人である騎士には新たな命令が与えられます。 魔族にとっての神様のような存在、眞王がおわします眞王廟に来るように言われた騎士は、そこで信じられない命令を受けました。 なんと、元々は友人の中にあった魂を、次の魔王となる人物に入れるよう命じられたのです。 騎士は苦しそうに言いました。 『……俺は逃げるかも知れません。あなた方の予想と期待を裏切って、これを抱えて逃げるかも知れませんよ。或いは瓶を岩に叩きつけ、揺らめく光を採りだして、俺の望みの者に与えることも出来る。そしてその子供を思うとおりに育て上げ、魔王としての絶大な力を操って、この国を覆すことも不可能じゃない!』 眞王廟の巫女は騎士の脅しに動揺することなく、きっぱりと明言しました。 『そうしたいのなら、おやりなさい。あなたが望み求める道こそが、希望を開く…眞王陛下はそのようにお考えです』 騎士は悩みましたが、真っ白でまんまるな魂をその場で壊すことは出来ませんでした。澄んだ色合いには全く濁りがなく、友人が何の悔いもなく死んだことが分かったからです。 『ジュリア、君はどうしてそんなにも迷いなく、生き抜くことが出来たのだろう?』 魂を手にしたとき、初めて騎士は友人の死に向き合おうとしていたのかもしれません。《不本意に死んだ》のではなく、《思い通りに生き抜いた》のだと思った瞬間、少なくとも友人が満ち足りていたことだけは分かりました。 でも、騎士はまだ癒されることはありませんでした。 騎士自身は、まったくもって《思い通りに生き抜く》自信など無かったからです。自分で選んで切り開いてきたと思っていたことの何もかもに、自信が無くなってしまったのです。 迷いながらも、結局騎士は魂を封じた玻璃瓶を懐に入れました。 そして、次の魔王になる人物に魂を封入する気があるのなら、7日後に眞王廟へと戻るよう言われました。 どうしようかと迷っている時間は、意外と短いものでした。何故なら、眞王廟を出てすぐお城に呼ばれた騎士は、恐るべき知らせを聞いたのです。 『シマロンは休戦協定を蹴って、呪わしい法力兵器を使おうとしている』 シマロンが今までその兵器を使わなかったのは、魔族だけでなく、使った人間も死んでしまうからでした。ですが、休戦協定の内容に納得できなかった彼らは、敢えて危険な方法を選んだのです。それでもシマロンの兵士を使うことは流石に憚られたので、彼らは侵略した国の人々から家族を人質にとって、無理矢理兵士として法力兵器を持っていかせることにしたようです。 大急ぎで対応策を練ったお城の人々は、ある結論に達しました。 『あの法力兵器が発動する前に、壊してしまわなくてはならない』 ですが、問題は兵器に大きな法石が填め込まれていることでした。魔力の強い純血の兵士では、近づくことさえ出来ません。 ちらちらと、将軍達の視線が騎士に集まります。 勇敢に戦った混血達を、もはや表だって馬鹿に出来る者はおりませんでしたし、《ルッテンベルク師団》の兵士達が、騎士を含めて死ぬか、重傷を負っていることも知っていましたから、とても頼むことは出来ませんでしたけど、これは混血にしか出来ない任務だと誰もが分かっていたのです。 沈黙の後、騎士は自ら名乗りを上げました。 信頼できる少数の仲間と共に、法力兵器を破壊する作戦に志願したのです。 すぐ出発した騎士は、僅かな手勢を率いて国境までやってきました。 そこで見たものは、たくさんの人間達や馬、彼らの進路に存在した生きとし生けるもの、草花の全てが石になって転がっている様子でした。まだ発動していないにもかかわらず、漏れ出す力だけでゆっくりと生き物たちは石になっていくのです。 …と、いうことは、混血だってきっとそうです。迂闊に近寄れば、石になるに違いありません。 発動すれば、より大きな範囲に存在する者達が石になるのでしょう。彼らは、より眞魔国に大きな被害を与えられる場所の限界点まで運んで、そこで発動させるつもりなのです。 騎士は懐に入れた玻璃瓶を握りました。 旅立つ際に眞王廟に返そうとしたのですが、それは許されなかったのです。 この魂を運ぶことが出来なくなったら、友人の死は無駄になってしまうのでしょうか?ですが、ここで法力兵器を使わせては、たくさんの魔族が死んでしまうかも知れません。国土の多くも石化してしまうかも知れません。そんな国に新しい魔王陛下がやってきたからどうなるというのでしょう? 騎士は迷いながらも、決断しました。 愛馬に跨った騎士は、人間達を切り伏せてぐんぐん法力兵器に近づきます。 そして、強い力を持つ魔石を填め込んだ剣を、中心にあった法石に突き立てました。 バキン!と大きな音を立てて、法石は割れました。 けれど同時に、呪わしい力は騎士を襲ったのです。兵器は発動こそしなかったものの、断末魔の悲鳴を上げるようにして、最も近くにいた騎士を巻き添えにしようとしているようでした。 あっという間に指が、腕が、肩が…全身が石になっていくのを感じた騎士は、懐にしまっていた玻璃瓶を取りだして仲間に投げようとしましたが、間に合いません。胸に抱えた姿のまま、騎士は石になってしまいました。 『ああ…駄目だ、この魂だけは運ばなくては…!』 硬い石に変わっていく自分を感じながら、騎士は心で悲鳴をあげました。 今になって、この無垢な魂を巻き添えにしてしまうことが、とても罪深いことに思われたのです。 その時です。 石になった身体から、ぽぅんと騎士の精神は抜け出しました。 死んでしまったのかと思いましたが、魂になったのなら、こんなにはっきりと自分の意志が残っているはずはありません。どうやら、魂と心の合体した生き霊が抜け出したようでした。 騎士の近くを真っ白でまん丸な光がふわふわしています。こちらは全く意志というものは感じられませんから、きっと玻璃瓶の中にあった魂なのでしょう。 『こいつを運ばなくては…!』 掌(の、ように感じる部分)で魂を包み込みますと、騎士は一心に天空を駆けていきます。黄金の太陽を掠め飛び、銀色の月を跨いで、騎士はどこまでもどこまでも飛んでいきました。長い間だったのか、短い間だったのかは分かりません。その間中、騎士は大事に魂を抱えておりました。まん丸で綺麗な魂だけが、孤独な騎士の心を支えました。 そしてとうとう行き着いた先で、あるお母さんのお腹の中に飛び込んだのです。魂はぽふんとお腹に収まりましたが、騎士はぱちんと弾かれてしまいました。そして、お母さんの傍にあった銀細工の騎士像に入り込んだのです。 『おや、なんとしたことだろう?』 騎士は吃驚しました。 そして、淋しいなと思いました。 ずっと傍にいた魂が離れてしまったことを、とても心細く感じたのです。 でもそれは杞憂というものでした。 胎児が成長して行くに従って、騎士は深い結びつきを感じるようになりましたから、傍にいるだけで幸せな気持ちになったのです。 そして無事に生まれてきたのは、堪らなく可愛らしい男の子でしたから、騎士はすっかり夢中になりました。 大事に抱っこしていた魂もすっかり男の子の色に変わって、お日様のように輝きます。 『ああ、なんて素敵な子に運べたんだろう!この方が、次の魔王陛下になられるのだ!』 大喜びした騎士は、銀細工の身体で男の子をずっと護ると誓いました。 『可愛いわぁ…!名前は何にしようかしら?』 病院から帰ってきたお母さんは男の子を抱えて、にこにこ顔でそう言いました。そしてソファにもたれ掛かったままとろとろとうたた寝を始めました。 騎士はそれを良いことに、生まれたばかりの赤ちゃんに話しかけました。 『夏を乗り切って強い子供に育つから、7月生まれは祝福される。俺の育った故郷では、7月はユーリというんですよ。とても素敵な響きでしょう?』 その言葉は夢の狭間を彷徨っていたお母さんの耳に入っていたようです。 翌日、お母さんはこう宣言したのですから。 『この子の名前はユーリよ!夢のお告げでとっても素敵な王子様がそう言っていたの!』 騎士は名付け親になるという幸運を得て、ますます男の子の為に尽くそうと誓いました。 * * * お話はここでおしまい。 おや、眠ってしまったのですか? とっても長いお話だから、最後まで聞いてくれるのはもう少し先の話かな? 大事な大事な、俺の名付け子。 大事な大事な、俺の魔王陛下。 早く大きくなって欲しいけど、あなたの成長をゆっくりと傍で見守るのも、とても楽しいことですよ。 だからゆっくりしっかり、伸びやかに成長して下さいね。 大事な大事な、俺のユーリ…。 |