「お伽噺を君に」
第1話







 眩しい夏の陽が照りつける、正午の繁華街。
 道行く人々のうち、学生服を纏う連中の顔がやけにきらきらと輝いているのは、殆どの学校で今日が終業式になっているからだろう。二学期制の学校も多いから、まだ暑い教室で授業を受けている生徒もいるのだろうけれど、6限目が終われば同じように街へと繰り出してくるはずだ。

 お昼時のファーストフード店も、既に終業式を終えた学校の生徒達でごったがえしている。幾つかの中学・高校が集中しているエリアだから、様々な学生服が入り乱れており、中には違う制服同士の子が同席していることもある。同じ中学だったか、部活で知り合った他校の生徒と言うところか。
 出口近くの二人掛けに座った男子達も、異なる学生服に身を包んでいた。

 その内、優秀な進学校に通っている証のブレザーに身を包んだ村田健が、ごくごく一般的な普通校に通っている証の学ランに身を包む渋谷有利に、ちいさな声で囁きかけた。
 
「渋谷、君…その人形をいつも持ってるのかい?前に遊びに行ったとき、部屋に飾ってたやつだよね?」
「別に良いだろ?」

 ギクリ。

 友人からの指摘に、渋谷有利の鼓動が跳ねる。

 ポケットからはみ出した頭部が見つかったらしいと気付くと、有利は慌てて角度を変えて、外から見えない位置に騎士像を納めた。
 高校生男子がお人形さんを持ち歩いていると知られるのは、幾ら周囲の目を気にしない有利とはいえど幾分羞恥を覚える。ただ、馬鹿正直な気質が災いして《いつも持っている》ことを否定はしない。

 実際問題として、物心ついたときからこの人形は常に傍にあって、あらゆる場面で有利のポケットに入っていた。同じ物を見てきたことにかけては、家族よりも密接な関係にある。
 場合によっては《置いていった方が良いよな…》と思うこともあるのだが、置いていくとこいつは酷く《拗ねる》し、危ないところを助けて貰った事が多々ある。
 そのせいか、こっそり置いていこうとしたりすれば、《俺を置いていくと危ないですよ?》と釘を刺されてしまう。

「意外と、お兄さんと同系統の趣味を持ってるんだね」
「勝利と一緒にすんな!こいつは特別なの!」
「へぇ…君にだけ喋るとか?」

 ぶふ…っ!

 どうしてこの友人は、時折心臓が止まるほど正鵠を射てくるのだろうか?単純な構造の銀細工人形が、有利といるときだけは親しげに声を掛けてくるのだと。

「うわ、汚いなぁ!」
「ご、ゴメン…っ!でも、村田があんまり突拍子もないこというもんだから…」
「唯の冗談じゃないか。誰もそんなこと疑ってやしないよ。お人形が喋るなんてさ。髪の毛が伸びるだけでもどうかと思うのに」
「コンラッドをお菊人形と一緒にするな!」
「素直なのは君の長所だけど、ほどほどにしといた方が良いよ?人形に名前をつけて庇うなんて、虐めの対象になってもおかしくないからね」

 この人形の正式な名前はウェラー卿コンラートというのだが、幼い頃の有利はうまく発音する事が出来なかったので、コンラッドと呼び始めたらそれが定着してしまった。

 …等といった経緯を説明すれば、余計に《イタい奴》扱いされてしまうだろうか?

「苛められてた奴に言われたくねーよ!」
「ご尤も」

 ぺろりと舌を出して認める村田には独特の愛嬌があり、結構な毒舌にもかかわらず得をしていると思う。
 数週間前の公園で不良連中に絡まれていたのは、よほど間が悪かったか何かなのだろう。

「こう見えて、僕だって結構感謝してるんだよ?中学時代には同じクラスだったけど、ただそれだけで別に仲が良かったわけでもない僕を、君は身体を張って助けてくれたんだからね」
「大したことないよ」
「大したもんだよ。この辺では結構名の知れた不良連中を叩きのめしちゃったんだからね」
「うーん…それは……」

 《実はこの銀細工人形がやったんだよ》なんて言ったら、幾ら村田でも引くだろうか?でも、それが事実なのだから仕方ない。

 この銀細工人形のウェラー卿コンラートは、異世界の騎士なのだそうだ。その経歴については、幾度もせがんで語り聞かせて貰っている。《お伽噺》の中に登場する騎士がコンラート自身なのだと気付いた日から、彼誰よりも頼りになる有利の英雄になった。

 事あるごとに、《君を永遠に護るよ》と激しく佳い声で誓ってくれるのは面映ゆいが、やっぱり嬉しくて堪らない。

 特技なんて何もない自分が、コンラートにとっては特別な存在であることがこの上なく誇らしかったし、彼に恥じない人間になりたくて、有利なりに毎日真っ直ぐ頑張って生きている。

 さて、コンラートは基本的には銀細工として日々を生活している。きしきしと軽い摩擦音を立てながら歩くことも出来るし、寝しなにお伽噺も語り聞かせてくれる。更には騎士としてもちゃんと戦えるのだが、そちらは瞬間芸に近いことらしい。

 有利が本当に切羽詰まって危機に晒されているとき、コンラートは僅かな時間だけ陽炎のような姿で具現化して、物理的な攻撃を仕掛けることが出来る。素早く敵の背後に回って攻撃するから、正体に気付かれたことはまだない。

 例の不良連中達も、一体どうして自分たちが殴られ、気絶したのか今でもさっぱり分からないままだろう。前に一度街で擦れ違ったことがあったが、気味悪そうに視線を逸らしていた。

『いつもああして、具現化できてると良いんだけどな…』

 コンラートにもそう要望したことはあったのだが、具現化出来ること自体が彼にもどうしてなのかよく分からないらしいし、具現化した後には疲れ切ってしまって、二、三日は銀細工の身体すら満足には動かせないと言うから、結構無茶な荒技であるようだ。

 《不思議なものですねぇ…。魔力なんか欠片もなかったせいで、色々と苦労もしたんだけど、今になってこんな不思議な力が使えるなんてね》と、コンラートは複雑そうなコメントをしているが、《そのおかげであなたを守れるんだから、有り難いな》とも言っていた。

 こちらこそ有り難いことである。

「ええと…たまたまだよ。何か避けてる内に、あいつらが勝手に同士討ちしたり壁に当たったりしたんだ」
「でも、僕を助けてくれたことはたまたまじゃない」
「そりゃまー、そうなんだけどさ」

 にっこりと微笑む村田は結構綺麗な顔立ちをしていて、通りすがりの女の子達が気になっている風な視線を送っていた。学校名を囁きかわしたりしているから、進学校であることが2割り増し佳い男に見えているのかも知れないけど。

 取りあえず、有利に《きゃー》と黄色い声援を送ってくれるような女の子は一人もいないわけだから、少し羨ましい。

『俺に声援を送ってくれそうなのは、コンラッドだけだよな』

 気が付いたら、いつも傍にいてくれた不思議な銀細工の騎士。
 家族よりも身近な存在で、親友だと信じているのだが、具現化したときの精悍そうな(多分)輪郭に見惚れてしまう自分は、そのおかげで村田を《少し羨ましい》と思うくらいで済んでいるのかも知れない。

「ところで、ドリンクとホワイトテープの買い出しって、前に聞いたのから変動してないかな?」

 ふと、村田が思い出したようにメモ帳を取り出すと、覚え書きを有利に見せながら確認してきた。

「うん、予定通りでお願い。でも、悪いなぁ…。テーピング出来るって言うから一度やってもらっただけなのに、なんかマネージャーやって貰うような展開になっちゃって…」
「気にしないでよ。恩人の為だもん」

 村田はあの一件でやけに恩義を感じてくれたらしく、あれから何かと有利のことを気に掛けて、野球やサッカーのチケットをくれて《一緒に行こう》と誘ってくれたり、提出締め切りが迫る課題の作成を手伝ったりしてくれる。
 今週末からは、草野球チームのマネージャーみたいな事までしてくれるというのだ。

 《手伝いより、一緒に野球しようぜ?》と誘ったのだが、頭脳派を自認する彼はあっさりと断ってきた。なんでも、一時間スポーツやると翌日になってから半端ない筋肉痛に苦しむらしい。《お爺ちゃんか!》と突っ込みたいところだ。

「それに、僕は君といると楽しいんだよ」
「マジ?えへへ…面と向かってそういうこと言われると照れちゃうぜ」

 にぱりと笑ったら、どこかで《きゃー》という黄色い声が上がった。また良い学校の制服を着た生徒が店内に入ってきたから、そいつに向けた声だろうか?

「ところで渋谷、ちょっとその人形見せて貰って良いかな?」
「えー?」

 有利にしては曖昧な表情で、否定とも肯定ともつかない声を上げる。そして、求めるように手を伸ばしてきた村田に対して、人形を差し出しはしなかった。

 正直言うと、ちょっと嫌なのだ。

 村田とは確かに、急速に仲良くなってはいるけれど、コンラートは何しろ十数年来の親友だ。人前では迂闊に動けない立場というのもあるから、従姉妹の赤ちゃんに捕まったときなんかは酷い目に遭って、危うく腕が折れかけた事がある。あの時はわんわん泣いて、小遣いをはたいて彫銀師に修復してもらった。それでも修復行程がまた痛そうで、コンラートは《平気ですよ、どうか泣かないでユーリ》と優しく囁きかけてくれたけれど、堪えきれずに涙をぼろぼろと流してしまった。

 もう二度とあんな思いはしたくない。

「ねえ、お願い。ひょっとして価値がある品なんじゃないかなーとか思うんだ。《何でもねぇ鑑定団》とかに出品してみない?」
「別に良いよそんなの。恥ずかしいし」

 苦笑すると、有利は大口でぱくぱくとバーガーやポテトを掻き込み、両手を合わせてご馳走様をした。

「ちょっとゴメン、急用思い出した!」
「あ、ちょっと…渋谷!気を悪くしたの?」
「そういうんじゃないよ!村田、また週末な?」

 村田には悪いが、これ以上コンラートの事を突っ込まれたくなくて、有利は脱兎の勢いで店から出て行った。



*  *  * 




『ちぇ…。渋谷ってば、流石にまだ完全に心を開くってわけにはいかないか』

 村田は舌打ちするが、それも仕方のないことだとは思う。

 中学時代に同じ学校に通っていたとは言っても、こちらは《中学受験などなんぼのもんじゃい》と構えて余裕こいていたら、丁度受験の時期に特殊な感染症に掛かってしまって、ほぼ強制的に隔離措置を執られてしまい、そのせいで地域の公立中学に通う羽目になったものだから、常に《授業も生徒も超絶抵レベル…》と呆れかえっていた。
 敵意を抱かれないようにそつのない対応はしていたけれど、心からとけ込めるはずもない。

 そこに一つの転機が訪れたのは、中学3年生の夏頃だった。突如として、村田は《悪夢》を見るようになったのだ。ファンタジーっぽい世界から古代・中世・現代に至るまでの色んな人々の人生が、眠るたびに頭の中に流入してきて、一時は何かの精神病ではないのかと思えて、恐ろしくて堪らなかった。全ての人生がまるで自分が経てきた事みたいにリアルで、魔女裁判に掛けられた時の記憶などは、生々しすぎて日中でも吐きそうになった。

『こんなこと、誰にも言えない』

 言ったら異常者扱いされる。

 だって、こんなことを誰かが言い出したら、村田はさも気の毒そうに眉を寄せながらも、《こいつ、頭がオカシイらしいや》と嘲笑していたに違いないからだ。

 学校では努めてなんでもないふりを続けていた。一度休み始めたら、もう日常には戻れないのではないかという不安感もあったからだ。
 それでも、頭の出来は良くても身体の方はてんでもやしっ子なので、すぐに限界が来た。睡眠不足が祟ったのか、体育の時間に気を失ってしまった。

 しかも困ったことに、体調が悪いところに白昼夢を見たせいか、村田は半ば覚醒しながらも保健室で譫言を言っていたらしい。村田を保健室まで運んでくれた有利が、後でその内の幾つかを口にして《大丈夫か?》と言ったのだ。

『しまった…!』

 やってしまった。と、血の気が引いた感覚を、今でもリアルに覚えている。
 これで村田の中学生活は終わりだと思った。

 普段は隙のない《出来すぎ君》が、おかしな事を口走っていたなんて、すぐに噂になるだろう。何しろ公立中学の3年と言えば、受験らしい受験を初体験する生徒達が一番不安定になる時期だ。やっかみも手伝って、村田は格好の標的にされるに違いない。

 けれど、翌日になっても何も起こらなかった。
 その翌日もそのまた次の日も、誰も村田に異常者のレッテルなど貼らなかった。

 有利が、黙っていてくれたのだ。

 ゴミ箱を運ぶ時に何気なく尋ねてみたら、彼は言う気などさらさら無かったらしく、《言った方が良かった?》等と目を丸くして聞いてきた。人の悪口を言いふらす事を《悪い》と認識する以前に、そもそも行動原理の中にないらしい。
 でも、忘れていたわけでは無かったようで、大真面目な顔をして《自分の十年前の事だけでも大変なのに、前の世代の事まで覚えてたら大変だよな?》と心配してくれた。その上、《いま生きてるのはお前自身なんだから、しっかり気を強く持てよ?》と励ましてくれた。

 彼は何の抵抗もなく、すぽっと村田の有りの儘を受け入れてくれたらしい。過去世の記憶に苛まされているなんて、冗談みたいな状況をまるっと飲み込んでくれたのだ。

『なに…こいつ?』

 その時、初めて彼がどういう奴なのか気になり始めた。
 けれど中学の間はそれ以降、有利とは接触がなく、今度こそ失敗しないようにと受験に集中していたせいもあって、高校が別になったせいもあって縁が切れたかに見えた。

 しかしつい先日のこと、村田は思わぬ展開で有利と再会することになった。
 中学時代に折り合いの悪かった不良連中に捕まっている所に、有利が助けに入ったのである。

 しかも衝撃はそれに留まらなかった。
 助けを呼ぼうとして一度は公園を離れたものの、狙っていた交番に人影がないことに舌打ちして、110番通報してから急いで戻っていくと、そこで…見たのだ。

 陽炎のような騎士が、不良連中を瞬く間に打ち伏せていくのを。
 その騎士の身につけていた鎧には、見覚えのある獅子の紋章が入っていた。それに、有利と騎士が交わすドイツ語に似た言語が、聴覚野と共に記憶に携わる海馬等を激しく揺るがした。

 村田はその紋章を旗印とする国を知っていた。
 その言語の意味を理解し、流暢に語ることが出来た。

 懐かしさと苦しみとかいった込みあげる感情の波に浚われて、胸の中を疾風怒濤の嵐が吹き荒れる。

『眞魔国…!』

 脳裏を貫く国の名前が引き金になっていたように、突然脳内が晴れ渡るのを感じた。
 村田は人為的に、同じ魂をリサイクルされながら4000年分の記憶を蓄積されていること。そもそもその要因となったのは、初代の魂主である《双黒の大賢者》であること。それは仕えていた主君、《眞王》の意図であったこと…。

 その目的は、いつか眞王が眞魔国に蘇って、ある《宿題》をやり遂げる為の手伝いをする事だった。

『その片棒を担げと?』

 4000年も昔の主従関係に巻き込まれるのは不本意ではあったが、有利に関わること自体には異論は無かった。個人的にも大変興味があったし、なにより、あの不思議な騎士が村田も知らない眞魔国の事情を知っていそうだからだ。大昔の記憶に振り回されるのはゴメンだが、このややこしい記憶をコントロール出来るのなら、やれることは全てやりたい。

『でも、しっかりうち解けてからでないと流石に口を割らないよな?』

 《無理矢理口をこじ開けさせる方法》も、大賢者としての記憶が蘇った際に、村田の脳内にもインストールされているが、採用しようとは思わない。

『だって僕は村田健だ。多少頭の出来が良くたって、ごく普通の高校生なんだ。友達から聞きたいことを聞き出す為に、《あんな事》や《こんな事》なんて、絶対にしない』

 有利と再会してからの僅かな時間で、村田は自分の《悪夢》を《現実》として受け入れた上で、更に自我を保つ術を見いだしていた。そうさせてくれたのは間違いなく有利だ。

 その彼を苦しめるような方法だけは採らない。
 村田健が、採りたくないのだ。

『ゆっくりと仲良くなろうよ、渋谷』

 ちいさく呟くと、村田は薄まりきったコーラを勢い良く吸い上げる。
 すると、ひそひそと囁き交わす女子高生達の声が耳にはいった。大人びた容姿の、なかなか綺麗な3人のお姉さん達だ。

「凄い可愛い顔した子達だよね。下手なジャニ系より良くない?制服うちと同じだよねぇ〜。1年だよね?何組だろ?」

 手入れの行き届いた長髪の姉さんが囁くと、釣り目で化粧が派手な子が鼻を鳴らす。

「えー?眼鏡の子はともかく、慌てて走ってった子は普通じゃない?」
「あたしも最初はそっかなーって思ったんだけど、なんか、急に物凄く綺麗に見える瞬間があったのよー」

 長髪お姉さんがきゃぴきゃぴと両手で頬を包むと、ショートカットのお姉さんがすかさず乗ってくる。 

「あ、それ私も同意!超可愛く見えるときあったよね?なんか、ぎゅーっと抱っこしてあげたくなるみたいな」
「えぇ〜?瞬間的にでしょ?単に光線の加減とかじゃない?」

 懐疑的な派手目のお姉さんをよそに、長髪・ショートカット組はえらく有利の話題で盛り上がっていた。

『ふぅん…』

 村田は猫のような目を細めて、有利に聞かせてあげれば喜びそうなネタの《意味》を吟味する。実のところ、ここ最近彼女たちのような反応を見せる女子や、時には男子がいることに、村田は気付いていた。

 これまではとかく目立ったところのない、長所と言えば《一生懸命》なことくらいという、平均的男子であった有利に、何が起きているのだろうか?

 単に《モテ期》に入っただけとは思えない変化は、村田自身が彼に対して感じていることろであった。あの陽炎の騎士を目にしたときから、何かが変わり始めている。

『《時々》物凄く綺麗に見えるってトコが、ミソなんだ』

 派手目のお姉さんが口にしていた《光線の加減》という表現も言い得て妙で、実際、有利が綺麗に見える瞬間というのは、磨り硝子越の様なフィルターがその時だけ消失しているような感覚なのだ。

 正確に言えば、《綺麗に見える》というよりも、《邪魔なものがなくなって、クリアに見える》状態なのだと、村田は認識している。

『誰かが、わざわざ強いエネルギーを使って渋谷を《普通》に見せているってことか?』

 それがどんな意味を持つかは分からないが、やっている奴には心当たりがある。十中八九、眞王か、彼の意を受けた魔族が関わっている。今のところ、あの陽炎のような騎士が有力候補だろうか?

『何の障害もなく渋谷を直視したら、どんな感じなんだろう?』

 眞魔国と深く関わっている村田なら、いつかその姿を目の当たりにすることが出来るのだろうか?
 眞王の仕掛けた罠にまんまと引っかかっているのではないかという疑念もあるが、それでも、その想像はなかなかに胸ときめくものであった。
 


*  *  *   




「コンラッド、ゴメンな?急にポケットに押し込んだから苦しかったろ?」
「いえいえ、なんてことありませんよ」

 ひと気の無い道までやってくると、《ぷはっ》とばかりにコンラートがポケットから顔を覗かせる。フルフェイスの兜を被っているので表情は掴めないのだが、何故だか有利には彼が優しく笑っているような気がした。

 コンラートが初めて具現化したのは有利が5歳の頃だったが、その姿を目にするずっと前から、有利には彼がとても表情豊かに感じられていた。

『ちっちゃい時から一緒にいるテディベアとかは、自分が笑ったり泣いたりしてるとそういう表情に見えるって言うから、そういうもんなのかな?』

 人差し指でくりくりとコンラートの頭を撫でると、彼はくすくす笑って甲冑に包まれた指を添える。本来は体温を持たない人形の筈なのだけど、いつも有利の服に入っているせいか、同じように暖かく感じられた。

「ユーリは優しいですね。きっと良い王様になる」
「あんたが信じてくれるのなら、俺もそうなりたいよ」

 幼い頃には有利も真に受けていたし、コンラートだって本気でそう口にしていたのだと思う。けれど十年が経過する頃には、眞魔国から何の知らせも、呼び出しの兆しもないことに、コンラートが焦れているのではないかと思うことがあった。

『俺の中に大事な魂はあるのかも知れないけど、俺自身はやっぱ、ハズレだったんじゃないのかな…』

 脳天気な有利でも、時折そんな不安が掠めることはあった。だって、異世界で魔王陛下になるのだというわりには、有利には何の取り柄もなかった。特別威厳があるわけでもなければ、頭が良いわけでも、腕が立つわけでもない。決して虚弱ではないが、ただ一生懸命やっているだけで王様業が成り立つと思うほど、子どもではなくなっていた。

 何しろ、本当ならコンラートは眞王廟から能動的にどこかに運ばれて、眞王の選んだ人物のもとに魂を届けていたはずなのである。こんな日本の一般庶民の元に届けられたのは、やはり偶発的な事故でしかないのだろうか?

『今までの魔王ってのは凄い魔力が使えたって言うけど、俺は水芸一つ出来る訳じゃないしな』

 コンラートの指導によって有利が出来るようになったことと言えば、眞魔国や周辺諸国の状況を覚えたり、眞魔国の言葉や文化風習を覚えたことくらいだ。とはいえ、それらの情報はコンラートが寝物語として聞かせてくれたお話なので、十分とは言い難いだろう。コンラートと二人で話すときには眞魔国語も使っているが、訛りとか勘違いとか、色々あると思われる。

『コンラッドの方は凄く努力してくれてるのになぁ…』

 本来の肉体を持っていたときから3時間程度の睡眠で十分活動できていたという彼は、渋谷家の面々が眠っている間に、ラジオやテレビやインターネットを通じて沢山の勉強をしている。けれど、眞魔国や魔族に関する情報が集まることは無かったようだ。

『頑張りたいけど、どう頑張って良いのか分かんないのってしんどいよな』

 コンラートの期待に応えたいのは山々なのだが、時々申し訳なくて泣きたくなることもある。そんな時、どういう加減で読み取るのか、コンラートは決まって有利の心情を思いやって声を掛けてくれるのだった。
 今も有利の指をきゅっと握ると、うっとりするような声音で囁いてくれる。

「俺は幸せです。あなたという素敵な主君がいるのですから」

 《たとえ迎えが来なくても、ここであなたに仕えていきます》言外に、そう臭わせているのは気のせいではないだろう。

 掛け値なしの忠誠を尽くしてくれるコンラート。
 たとえ治めるべき国が無くても、そう誓ってくれる小さな騎士がいてくれるのなら、有利は彼だけの魔王陛下として頑張ってみようと思うのだった。





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