「お伽噺を君に」
第2話
「ユーリ、16歳の誕生日がもうじきですね」
「あ〜、そうだっけ」
人気の無い河川敷までやってくると、ポケットの中からコンラートが囁きかけてきた。有利の誕生日は7月29日だから、あと一週間ほどで誕生日がやってくる。それが、コンラートにとっては非常に特別な日なのだと有利にも分かっていた。
基本的に、コンラートは有利絡みのイベントをとても大切にしてくれる男だが、とりわけ今年の誕生日は特別な意味を持っている。
「眞魔国では16歳で将来の進路を決定するんだよな?」
その意味を有利も何度か考えてみたことがある。眞魔国からの働きかけで《何かが起こる》としたら、きっとこの誕生日なのではないかと。
ただ、その日を過ぎても何もなければどれほどコンラートが落胆するかと思うと、有利は今から心配でしょうがなかった。今のところ、予兆のような現象も起こらなければ、有利の中で何かが目覚める気配もないし。
『コンラッドは口にしたことはないけど、絶対故郷に残してきた家族や、仲間のこと心配してるよな?』
コンラートが生き霊と化したことはきっと、故郷の人たちは誰も知らない。きっときっと、多くの人がコンラートの英雄的な死に心打たれたろうけれど、何人かは、英雄なんかにならなくて良いから、ただ生きていて欲しかったと思っている筈だ。
『会わせてあげたいなぁ…』
切ないくらいにそう思うが、現段階で有利が能動的に出来ることは何もないのが口惜しかった。
「ええ。俺も16歳で軍人として生きていこうと思いました」
「日本で暮らしてると、16歳で人生決まっちゃうなんて随分早いと思うけどなー」
「でも、日本でも昔は元服があったでしょう?」
「そっか。戦国時代とかだと12歳で結婚とか普通にあったんだよな」
「国や地域によって、成熟の度合いはまちまちですからね」
「うーん、そうだとしても俺はまだまだ未熟だなぁー」
有利が溜息を漏らすと、励ますようにぱしぱしと銀細工の腕が脇腹を叩いてくれる。
「そんなことないですよ。ユーリはとっても成長していますよ」
「やっと160cm越えたくらいだけどね?」
「ふふ…身体だけではないですよ。色んな面で成長しておられますとも」
「そんな風に甘やかすと、ろくな王様にならないぜ?」
「おお、それはいけませんね。俺も少し辛口にならなければ!千尋の谷につき落として、這い上がろうとしたところに、またマキビシを捲くくらいにならないとね」
とても守れそうにもないなと分かっているから、二人してくすくすと笑い合う。褒めて伸ばす教育方針のコンラートは、基本的にとても甘いのだ。
* * *
『成長しておられますとも』
コンラートは銀細工の身体を主のポケットに埋めると、瞑目して(フルフェイスの兜と顔面が合体しているから、瞼はおろか目もないのだけれど)独白した。
肉体を失ってこの銀細工人形に宿った時、絶望しなくて済んだのは全て有利のおかげだ。多くの記憶を閲しているけれど、独自の心というものを持たない魂が、有利の肉体に宿り、成長していく中で鮮やかに色づくのが分かった。魔力を持たないコンラートがそういったものを感じられたのは、きっと霊体に近い特殊な状態になっているからだろう。
こんなに晴れやかで明るい命を感じていられるのなら《銀細工でも良いや》と、素直に思えた。
有利が眞魔国では希少とされる双黒であることも勿論嬉しかったが、それは副次的なものだろう。
『この方にお仕えしよう』
気持ちが定まると、一気にやりたいことが出てくるから不思議なものだ。コンラートは有利の成長に合わせて話しかけられるように、まずは自分がこの世界の言葉や文化風習を知っておくべきだろうと考え、ラジオやテレビから得られる情報を元に語学などを習得していった。有利が生まれたのはアメリカのボストンだった為、日本語よりは英語の習得の方が早かった。
そのうち、有利の心に寄り添える手段ではないかと考えて思いついたのが、歌やお話の語りかけだった。最初の内はそれこそ赤ちゃん言葉の羅列のような《あやし歌》から始めた。有利もコンラートの声の調子が気に入ったのか、どんなに泣いていてもコンラートがあやし歌を謳うと、太陽のような笑顔を浮かべてきゃっきゃっと笑ってくれた(おむつが濡れていたり、本気でお腹が空いている時には流石に無理だったが)。
それに気をよくしたコンラートは、有利がお座りが出来るようになった頃に《ちょっと早いかな?》と思いつつお伽噺を始めた。けれど、まだお話の中身を理解できるというこはなく、お座りできたことで両手が自由になったのが嬉しかったのか、コンラートの身体を持ち上げては、ちいさなピンクの舌でぺろぺろと舐めたりしていた。むずがゆいながらも幸せだったのだが、美子に見つかると必ず隔離されてしまう。コンラートは夜の間にこっそり近寄ってまた隔離されるというターンを繰り返した。
考えてもみれば、よく《気持ち悪い》と捨てられなかったものだ。
更に暫くして伝い歩きが出来るようになった頃、はじめてユーリがコンラートを《にんにょ》と呼んでくれた。人形と言いたかったのだろうか?
『ユーリ、俺はコンラートと言います』
何度も語りかけてみたら、難しそうに涎の混じるあどけない声で《こんりゃっど?》と呼んでくれた。その瞬間、《パパパヤーっ!》と脳裏にファンファーレが響き渡るような歓喜が巻き起こった。不完全でも何でも、大切な人に名前を呼ばれたことに感激しまくったのである。
我ながら、乳児に名前を呼ばれただけで感極まってしまうとは、如何ともしがたい名付け親馬鹿ぶりだ。
一人歩きができるようになると段々語彙が増えてきて、お伽噺も単純な構成のものだと理解できるようになってきた。そして1歳半を過ぎる頃には、初めてコンラートに向かって、《こんあっど、しゅきー!》と言ってくれた。もうもう、《今すぐとろけてしまいそうだ》と思うくらい幸せだった。どんな美姫を口説き落とした時よりも、戦場で奇跡的な勝利を収めた時よりも遙かに充実感を伴う深い感動を覚えたものだ。
『コンラッド、お話して?』
お布団の中から漆黒の瞳をきらきらさせながらおねだりするようになったのは、3歳になった頃だ。この頃に呼んでいた《コンラッド》が、結局は最終的な正式呼称となった。もともと、眞魔国でもごく親しい友人にはこう呼ぶ者も居たから、コンラート的には異論はない。
請われるまま、コンラートは様々な物語をユーリに語っていった。
黄金の太陽に、銀色の月。
美しいお姫様に、凛々しい騎士。
洋燈一つを手に持って、冒険の旅に出かける男の子。
叶わぬ恋に身を焦がす女の子。
はたまた動物たちや精霊と、神様の戯れ。
日本昔話や世界各国の童歌なんてものも、様々にコンラートは語り聞かせた。
ただ、この頃になると有利の語彙も増えてきて、コンラートのことを家族や友達に話して聞かせるようになってしまった。《コンラッドがいちばんのともだち》というのはともかく、《コンラッドがこんなお話を聞かせてくれたの》と言って、美子が聞かせてあげた覚えのない歌やお伽噺の事を口にすると、流石に家族が不思議がり始めた。
『ゆーちゃん、幻想の話をまことしやかに言いふらすと、嘘つき扱いされるぞ?』
眼鏡を光らせてそう窘めたのは、《おませ》をかなり通り越した感じの7歳児、兄の勝利だった。
『そんなことないもん!ゆーちゃんウソなんかついてないもんっ!ね、コンラッド。しょーちゃんに言って!ゆーちゃんはウソつきじゃないってっ!!』
言ってあげたいのはやまやまだったが、コンラートの特殊性をアピールするのが得策なのかどうかでかなり迷った。美子は《あらあら不思議ー!》とおおらかに受け入れてくれそうだが、勝利は《ゆーちゃんの人生を損なう》などと言って捨てたり、下手すると炉にくべて唯の銀塊に戻してしまうかも知れない。今でもどういう仕組みで動いているのか分からないが、まがりなりにもヒト型に近い形だから何とかなっているものが、銀板などにかえられてはどういう事になるのか分からない。
『すみません、ユーリ…』
勝利に嘘つき扱いされてわんわん泣いていたユーリに、後で事情を話して分かって貰うのに一週間はかかった。彼との生活の中で一番辛かった一週間である。
『わかった。コンラッドといられなくなるくらいなら、ゆーちゃんはコンラッドのことを誰にも言わないよ?』
有利はちっちゃな小指をコンラートの腰に絡めて交わした約束を、今日この日まで守り続けている。
それから、有利はコンラートと二人きりの時間を意図的に作り出しては楽しむようになった。何処に行くにもポケットや鞄に入れて、誰にも見せないように気を付けては話しかけるようになったのもこの頃からだ。
『コンラッド、見て、海〜っ!おっきいねー!』
『すごい、いっぱいのゆきっ!』
舞い散る桜吹雪や雄大な山々。
照りつける太陽や吹きすさぶ寒風。
有利の体験した初めてのことを、コンラートは常に傍にいて感じ続けてきた。
『素敵ですね』
『ええ、ユーリ。とっても楽しいですね!』
それは全て本当の言葉だった。
100年近い年月を生きてきたコンラートは、放浪癖のある父に連れられて世界中を旅して様々な事物を目にし、耳にしてきたし、この世界のことも普及が始まり始めたインターネットなどで情報としては知っていたはずだった。
けれど、有利と体験すると信じられないくらい世界が新鮮に感じられた。彼の豊かな喜怒哀楽に、心を顕さぬよう心がけてきた筈のコンラートが、否応なしに引き込まれていくようだった。
そして有利は5歳になった頃、ふとコンラートに尋ねてきた。
『ねえ、コンラッドのお国はどんなところなの?みんなコンラッドみたいにちっちゃくて、きれいな声のひとたちばっかりなの?』
急に黙ってしまったのをどう思ったのか、有利は不安そうな顔をして聞いてきた。
彼が期待しているのは、お菓子のお城に毛糸の木々、ブリキの跳ね橋がある愉快な玩具王国なのだろう。けれど、コンラートは故郷のことを偽って語り聞かせることは出来なかった。
この世界では帰還の糸口すら掴めていない眞魔国のことを、コンラート自身が歪めてしまったら、もう本当に戻る事が出来なくなるような気がしたのだ。
それに、眞魔国は有利の国でもある。
彼はいつか、双黒の魔王陛下として眞魔国に君臨するのだから。
だから、お伽噺のように表現はしても、本当のことを語り聞かせようと思った。
『ユーリ、今から俺が話して聞かせることは、今までのお伽噺とは違います。哀しいことはそのままに、楽しいこともそのままに、全てが本当のことなのです。まだちいさいあなたには、全部理解して貰うのは難しいと思うのですが…それでも、聞いて下さいますか?』
『そんなことないもん!ゆーちゃんはもうおっきいんだよ?お隣のリアンより、小指のさき一つ分おっきいんだよ?』
《お隣のリアンは犬でしょう》とは、敢えて突っ込まなかった。
『そう、では聞いて貰えますか?途中で哀しくなったりしたら止めて、もっと楽しくて明るいお話をしましょうね』
『ちゃんと聞けるったら聞けるの!』
薔薇色のほっぺをふくらませて枕に顎を乗せた有利は、語り聞かせていくとすぐにお話の中の《騎士》がコンラート自身であることに気付いたらしく、《どうしてコンケツだと、いじめられるの?》と、枕を抱っこして半泣きになりながら聞いてきた。理由を話しても納得は出来なくて、その夜はもうひっくひっくとしゃくりあげながら、《ひどい、ひどい。コンラッドがかわいそう!》と泣いている内に、疲れて眠ってしまった。
枕に擦りつけた頬にくっきりと残る涙の後に胸が痛んだけれど、同時に、別の感情も湧いてくる。
泣かせてしまったのは可哀想だったけれど、有利の清らかな涙と憤りは、コンラートの過去を静かに洗い流していくようだった。
誰かに、ずっとこうして《ひどい》と、《納得できることではない》と、嘆いて欲しかったのだろうか?
いいや、誰でも良かったわけではない。
この人が感じてくれたからこそ、こんなにも心が震えるのだ。
その絆が物理的な力として発揮されるのだと知ったのは、間もなく渋谷家が日本で生活するようになってからだった。
《アメリカに比べて日本は安全》と両親が思いこんでいたのと、有利は男の子であるというのもあって、一人で近所の公園に遊びに行くようになった。美子や勝馬が有利くらいの年頃にはそうやって遊んでいたという背景があるのだろう。
その公園には傍に小川が流れていた。基本的には子どもでも溺れる心配など無さそうな、うららかな流れである。けれど、自然というものは人工的に馴らされたように見えても、突然牙を剥くことがある。ことに、上流でゲリラ豪雨が起こった時などは、全く予期しない勢いで一気に水位が上がることがあるのだ。
『危ないユーリ、早く岸辺に上がって…!』
コンラートが警告を発した時には既に遅く、見る間に上がっていく水位があっという間に有利の小さな身体を巻き込み、押し流そうとした。
『ユーリ…!』
ポケットから飛び出した銀細工人形が、少々引っ張ったからと言って何になろう?為す術もなく激しさを増していく流れに、有利もコンラートもただ押し流されていく。
あの時ほど、銀細工に過ぎない自分を呪ったことはなかった。
《あの頃の身体が欲しい…!》
《せめて、せめて腕を》
《ユーリを護る為の腕を…っっ!!》
渇望が、血を吐くような勢いで溢れ出していった。
『…コンラッ…っ…ぅぷっ!!』
有利の悲痛な叫びが波間に浚われた時、コンラートの感情は極限状態まで高まった。
『ユーリぃいい…っ!』
その瞬間、ぐぉう…っ!と銀細工の肉体から青年の腕が伸び、コンラートがしがみついた有利の身体ごと、ぶぅんと抱え上げて一気に岸辺へと運んだ。まるで有利に語り聞かせたお伽噺の、《手無し娘》のようだった。(夫の留守に惨い姑によって両腕を切り落とされた嫁が、飢えた赤ん坊に水を飲ませようとして川に落としてしまうのだが、悲痛な願いを傍らにいた地蔵が叶え、腕が生えて子どもを救い出すというあの話だ)
その時は自分でも何が起こったのか分からなかったが、何度かそのような体験を経ていくことで、それが感情の高ぶりによって、霊体であっても一時的に本来の肉体に近い働きを為すのだとは分かった。集中力を維持できれば、ルッテンベルク師団長として活躍していた頃の甲冑姿まで再現して、一定時間動き続けることも出来た。
これも一種のポルターガイスト現象みたいなものだろうか?
有利は《すごい!スーパーサ○ヤ人みたい!》と言っていたが、個人的には《スタ○ド》の方が好みだった。その方が《ス○ンド遣い》である有利との一体感が得られると言うだけだが、ちょこっと《ウリィィィイイ……っ!》と反り返りポーズで言ってみたいという好奇心もある。
コンラートが己の秘められた力に目覚めていくのと平行して、有利も着実に成長していった。
小学校に上がる頃には、言葉の意味を確認することもなく最後までお話を聞けるようになり、次第に、自分がコンラートから《魔王陛下》として忠誠を尽くされているのだと理解するようにもなった。
『おれは、勇者に倒されちゃったりするの?』
等と心配を始めたのは、やはりゲーム世代ならではなのか。
『いいえ、ゲームや漫画とは違って、俺の住む世界では魔族や魔王と言っても、少し人間とは違った力が使えるだけなのですよ』
それから少しずつ、眞魔国の言葉や文化風習について、《旅人》の呼称を使って物語り形式で教えてあげた。有利はその中で彼なりに様々なことを考え、コンラートにも聞くようになってきた。
眞魔国のことを《物語》としてではなく、《歴史》《地理》《語学》として教えるようになったのは、理解力の増した中学生になった頃だったが、多感な思春期に入った有利が、銀細工のコンラートを異質なものとして疎むようになったらどうしようかというのも悩みだった。
けれど有利は、コンラートの心配を杞憂として笑い飛ばしてくれた。
『なーに言ってんだよ、今更。コンラッドは俺の中ですっげー大きい存在なんだぜ?家族で親友で英雄なんだ。そんな奴を疎むとか、勿体ないコトできないって!』
嬉しかった。
柄にもなく照れてしまって、ポケットの中に顔を埋めてしまったくらいだ。(別に頬が染まったりするわけでもないのに)
ただ、中学生と言えば小学生の頃の万能感が失われ、自分の将来や可能性について様々な不安を持つようになる時期でもある。有利はコンラートを見捨てはしなかったが、寧ろ自分を《期待されている割に平凡》と感じるようになっていた。
その都度励ましたりしていたのだが、具体的に示される事実の応酬は、幾ら脳天気な少年であっても落ち込ませるだけの威力を持っていた。幸い、両親はそういったことにおおらかな気質であり、学力的には優秀な兄の勝利も弟を馬鹿にはしつつも、それをもって人間性を否定するような愚かさは持ち合わせていなかったので、何とか有利らしさはスポイルされずに来たのだと思う。
だが、コンラートには不思議で堪らないことが多々あった。
有利の美点や気質から言えば、彼は成績はともかくとして、もっと衆目を集めたり、自ずと人がついてくるだけのカリスマ性をもっている筈なのだ。実際、クラス内や学校内で度を超したイジメや校内暴力事件などが発生しそうになった時、有利は大きな役割を為して解決してきた。なのに、人々はそれを《事実》とは認識しても、恐ろしいほどの速さで忘れてしまうのである。
その結果、有利は常に《平均的な子》というイメージを持たれ続けてきた。
『大体、容姿だけでも特筆すべき愛らしさではないですか!』
等と、コンラートは本気で激高したことがある。
有利が《ちょっと良いな》と思っていた女の子に告白したのだが、軽く振られた上に、後日友人達と《渋谷君って、何か印象薄い顔してるから見ててつまんないのよね。逆にちょっと変顔くらいな方が楽しくない?》等と言われていたのだ。その子を瓦礫の上に正座させて、有利の魅力について小一時間くらい語りたかった。
『コンラッドのは親の欲目なの。俺は確かに平凡な顔してるもんなー』
何度も繰り返された他人からの刷り込みは、有利自身と周囲へと、執拗なまでに《普通》であることを定着させていたが、それがコンラートにはどうしても解せなかった。
大粒の澄んだ瞳はいつだって太陽のようにきらきらと輝き、くりんとした額とまろやかな頬、こぶりな形良い鼻、細い顎へと流れるラインは指でなぞりたいような曲線を描くし、ふくりとしたちいさな唇は思わずその感触を確かめたくなるくらいに絶妙な質感を呈している。(実際、冗談めかせて銀細工の頭部を何度か埋めたことがある。大変気持ちの良い弾力だった)
何より、感情表現の豊かさや耳馴染みの良い滑らかな声など、24時間目をかっぴろげて見つめ続け、耳の穴をかっぽじって聞き続けていたって全く飽きることはない。
この可憐極まりない少年の何処が平凡だと言うのだろう?その高すぎる平均値とやらを、データを提示して見せてみろと言いたい。
その疑問が、《やはり何かある》という確信に変わったのは、ここ最近のことであった。
『公衆便所で、ユーリがムラタとかいうクラスメイトを助けた日…。あの日から、何かが変わり始めている』
コンラートに魔力はないが、霊的な存在になっている分、なにがしかの超常的な変化は感じ取れるようになっているらしい。あの日も、異様にしつこい絡み方をしてくる不良連中や、便座に湛えられた水から何か異様な力を感じていたのだ。もしかすると、眞王がいよいよ有利を召還しようとしているのではないかという期待もあったのだが、最終的に秘められた力を発動させたのは、有利の花のかんばせを便所に突っ込ませるなど考えられない処遇であったからだ。
万が一それが眞王の意志なのだとしても、とても従う気にはなれなかった。
眞魔国の民にとって、好悪の感情を越えて服従せざるを得ない眞王に対して、明確な拒絶を示したのはあれが初めてのことだった。コンラートは眞王ではなく、有利の臣下なのだと改めて自覚することにもなった。
『眞王陛下はご立腹だろうか?』
コンラートはともかくとして、それで有利にとばっちりがいくようなことは勘弁して頂きたいのだが、どうなのだろう?確証がないのでまだ有利にも話していないから、彼は《何の兆しもない》と信じていることだろう。
『けど、周囲の目線もあの日から確かに変わり始めている』
これまではコンラートが腹立たしく思うくらいに有利を《平凡》と見なしていた人々が、瞬間的にではあっても本来の愛らしさや煌めきを感じ取れるようになってきている。気付く者の数も、気づきの種類も確実に増してきている筈だ。
『こうなると、何らかの意図があって有利を《平凡》と見なすように、術が効いていたと考えるべきか?』
寄り添っているコンラートには気付かれぬよう、何らかの措置が執られたのだろうか?それが今、緩み始めていると?
『俺たちは眞魔国からの監視を受け続けているのか?』
それならば何故、魂の担い手として選ばれたコンラートに何の相談もないのか。解せぬ疑問を抱えて、コンラートはポケットの中で思案を続けた。
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