「お伽噺を君に」
第25話










 村田が目覚めてみると、まだ身体にだるさは残っていたものの、何とか動くことは出来るようだった。

『ここは…フォンヴォルテール卿の邸宅かな?』

 調度品が豪奢であるのは当然だろうが、それぞれがかなり渋めの色調に統一されている。どこかゴテゴテとしていた血盟城の様子とは随分違っていた。村田がかつて双黒の大賢者として眞魔国に在った時には、勿論あのような装飾ではなかったから、あれは今の魔王か摂政の趣味なのだろう。

『渋谷が実権を握ったら、もうちょっとマシな装飾にして欲しいな』

 ただ、本気で彼に任せると壁中に野球選手のタペストリーを張ったりしそうなので、少し口を挟ませて貰った方が良いだろう。

「村田、目ぇさめた?」

 ユーリのことを考えていたら、丁度彼の声が耳に飛び込んできた。くるんと寝返りをうつと、揺り椅子に座ったユーリが心配そうにこちらを覗き込んでいた。

「村田、良かったぁ〜っ!意識戻ったんだな?三日間も凄い勢いで寝てるから心配したんだぜ?頭とか痛くない?」
「渋谷…君こそ、寝てなくて大丈夫なの?」
「ええと…俺はもう、たくさん寝たよ?」

 何故そこで微妙に視線が外れるのか。そして微妙に頬が紅いのか。傍らを見やれば、見覚えのある青年がやはりはにかみながら立っている。これは完全に実体化したウェラー卿コンラートだろう。
 
『………僕が寝てる間に、色んな意味で《寝》ちゃったのかな?』

 こころもち淋しいような気がするが、思っていたよりは平気なのが不思議だ。深い拘りを持っていたユーリに対して恋情をもっていたと思っていたのだが、どうやら、村田はユーリが幸せでさえあってくれればそれで充足出来るらしい。

 そんなことを思っていたら、記憶野をちらりとオレンジ色の残像が過ぎった。

「……」

 何故、彼のことを思い出すのだろう?そして彼を思い出すと、どうして充足感が増すのだろう?

『こっちに来て初めて助けてくれた奴だから、刷り込みされちゃってるのかな?』

 いや、それだけではなくて、彼と交わした《一言》が、ずっと心に残っているような気がする。調子が良さそうな男だったから、あんな場面であればきっと村田相手でなくとも口にしていたのかも知れないが、少なくともあの時、村田はその《一言》に救われ、励まされたのだと思う。

『大丈夫。猊下はやる男です』

 瞼を閉じれば、あの時の遣り取りが蘇ってきた。



*  *  * 




 村田とヨザックはシュピッツヴェーグ軍の斥候と共に本隊に合流すると、そのまま分隊に護衛されて王都に向かった。そして血盟城に入ると、やはりと言うべきか、魔王ではなくシュトッフェルと顔合わせをすることになったのだった。ただ、魔王が実質的な権力など持っていないのは明らかだったので、これで別段見込み違いなどとは思わなかった。

 シュトッフェルも、やはり予想通りのらりくらりと村田の要求をはぐらかして眞王廟に向かうことを妨害してきたが、これも大体予想の範疇であった。

 唯一見込みと違っていたのは、シュトッフェルが何らかの情報を得て軍を動かした後、思いがけない一報が入ってきたことだった。それは軟禁されている部屋から楽々忍び出て行くことの出来た、ヨザックからの報告であった。

『ウェラー卿コンラートが、双黒と共にヴォルテール領に現れた…って噂なんですがね、猊下はご存じですか?』

 その問いかけは、半分以上《ご存じ》だということを見越した上で問われたのだと思う。村田もまた驚いたのだが、ヨザックは随分と複雑な顔をしていた。村田が掻い摘んで事情を説明してやっても、その表情が普段のような晴れやかさを取り戻すことはなくて、村田の方が変な焦りを感じたものだ。

『ちっぽけな銀細工人形として、17年…』

 死をも恐れぬ勇者でありながら、《生物でなくなる》ことへの恐怖によって怖じ気づいてしまったことがトラウマになっているせいだろう。コンラートの辿った運命が如何なるものだったのかを知ると、暫くの間、彼は真っ青な顔をしたまま無言で床を睨み付けていた。

『ウェラー卿は、凄く幸せそうだったよ?』
『そうですか?』

 村田の言葉が、如何にも慰めているように聞こえたのだろうか?苦笑しているヨザックに、怒ったような顔をして尚も言って遣った。

『本当だって。もう一人の双黒…渋谷っていうんだけど、そいつのことが大切でたまんないみたいでさ、傍にいて当てられちゃうくらい、幸せそうにしてたよ』
『そうですか…』

 今度の《そうですか》は少し安心しているように見えたので、村田が少しほっとしたような顔をしていると、ヨザックも先程とは違う形で微笑んで、くしゃりと髪を撫でつけてくれた。

『良かった。《無礼者!》なんて、怒る方ではなくて』
『怒る奴じゃないと思ったから、撫でてるんだろう?』
『ええ』

 明らかに子ども扱いされている《良い子、良い子》といった感じの扱いに、村田は怒って良かったのだと思う。けれど、無骨で大きな手に撫でられるのはやけに気持ちよくて、しばらくされるがままになっていた。

『君、フォンシュピッツヴェーグ卿は軍を率いてヴォルテール領に向かったって言ってたね?その間に、僕を眞王廟に連れて行けるかい?』
『出来る奴だと見なされているのは嬉しいですが、俺には途中までしかお手伝い出来ませんよ?』

 ヨザックが言うには、シュピッツヴェーグの衛兵達を出し抜くのはそう難しいことではないのだが、問題は眞王廟なのだという。何しろ高い魔力を持つ巫女が魔力網を展開しているから、こっそりと忍び込むという芸当は、魔力を中和する能力でもなければ難しいそうだ。
 
 だが、眞王廟の近くまで行けば目的は果たせる。村田はヨザックに《可能な範囲までで良いから》と頼み込んで、連れ出して貰った。
 
 しかし、眞王廟の近くまで行くと村田の表情が変わった。

『これは…っ!』

 神聖であるべき眞王廟は、眞魔国の中で最も要素の濃い場所であるはずだった。少なくとも、村田の記憶にある場所ではそうだった。だが、予想していた以上に眞王は正気を失っているのか、周辺の要素達は歪み、悲鳴を上げているようだった。

 最初の内、村田はヨザックのもたらした情報に従って、ヴォルテール領に方向転換するつもりでいた。とてもこんな状態の眞王を、村田の力だけでどうにか出来るとは思わなかったのである。この時の村田の目的は、眞王の状態を正確に知ることだけだったから、それ以上深入りしようとは思っていなかった。彼がまともではないことを《双黒の大賢者》として告発し、十貴族会議の席でシュトッフェルを糾弾出来れば十分だったのである。

 ところが、ヨザックに訳を話してその場所を離れようとした時、村田は地中から伸び出してきた触手に絡め取られてしまった。蔓草のようなそれは村田を引きずって眞王廟に引きずり込もうとしてきた。救い出そうとするヨザックに、村田は鋭く叫んだ。

『君はヴォルテール領に向かえ…!そこでウェラー卿と双黒の渋谷有利に伝えるんだ!眞王は正気を失って、双黒の大賢者を取り込んだと…!』

 そう、その触手は大賢者の魂を4000年に渡って拘束し続けた眞王のものであった。かつて《死の道》で石化の法力兵器が用いられた際、《禁忌の箱》の一つ《地の果て》が活性化してしまったと言うから、おそらく、眞王もそいつに取り込まれてしまったのだろう。しかも拙いことに、眞王は部分的に彼本来の記憶を持ち合わせているようだった。そのせいで、彼はディーバ(増幅者)たる村田を本能的に欲したようだ。

 村田が今の眞王に取り込まれたりしたら、直接対決を余儀なくされるユーリはどうなるのだろうか?幾ら強い魔力を持った上様を発動出来るとしても、双黒の大賢者と癒合した眞王に勝てるのだろうか?
 《無理だ》。そう分かっていて、おめおめと眞王に捕まってしまった自分の愚かさを、村田は猛烈に悔やんだが、《時既に遅し》とも思った。
 またしても《無理だ》と諦めて抵抗の力を失った村田に対して、ヨザックは強情だった。眞魔国人にとっては神にも等しい筈の眞王に剣を向けると、幾つもの触手を断ち切って村田を救い出そうとした。だが、狂ったとはいえ強い魔力を持つ眞王に、混血兵士が剣だけで勝てるはずもない。ヨザックとてそれは分かっているだろうに、嬲るように腕や脚を傷つけられても、食らいつくようにして村田に迫ろうとした。

『行けよ、行けったら!君を巻き込んだりしたら寝覚めが悪い!君が離脱する間だけでも食い止めるから、早く行けっ!!』
『一人じゃ淋しいですから、ヴォルテール領には猊下をお連れします』
『見て分かんないかな!僕はもう無理だ!!』
『本当の《無理》になるまで、粘ってみちゃどうです?』
『…っ!』

 こんな状況だというのに、屈託なく笑う男が腹立たしかった。
 いつもどこかで諦めてしまう自分を見透かされているのも。

『大丈夫。猊下はやる男です』

 村田のことを何も知らないくせに《信じてますよ》と、託されることも。

 ヨザックは不自然な体勢になるのを分かっていて、絶妙な角度から村田を拘束する触手を切り落とすと同時に、下腿に引っかけるようにして村田の身体を触手の範疇外に蹴りだし、自分は倒れ込むようにして触手に捕らえられた。青紫色の毒々しい触手の渦に、鮮やかなオレンジ色の髪が飲み込まれていく様子に、村田は脳髄の中で中かがスパークするのを感じた。

『勝手なことを…するなっ!!』

 今思い返しても、あの時の集中力は我ながら奇跡的なものがあった。
 村田は転がるようにして触手を握ると、そこから意識を浸食させるようにして眞王の本体に送り込んだのである。

 おぞましい存在と一体化してしまうのではないかという恐怖はあった。だが、触手の中にちらちらと揺れるオレンジ色の髪が、動かなくなってしまうことの方がもっと怖かった。初めて会ってからそんなには経っていないし、殆どお互いのことなど知らないのに、何故か彼を失うことが、とんでもなく恐ろしいことだと思えてならなかった。
 
 ユーリが《焦がれた人》であったなら、ヨザックは《寄り添って欲しい人》なのだろうか?絶対口にしては言えないけれど、村田の中にはそのような確信があった。

 それにこうして浸食していくと、無限とも思われた眞王の存在も覆すことが可能なのだと思えてきた。真正面からぶつかって打ち倒すことは勿論出来ない。だが、村田の力は元々、眞王や魔王の力を増幅させる能力なのだ。だとすれば、自分が思う力を局地的に増強させることも可能なはずである。

『村田健を、舐めるなよ…っ!』   

 利用され、使われて、こんなところで村田健としての存在を終わらせるなんて御免だ。なんとしても《自分》として生き残ってやる。そう決意して、眞王の力の中に《自分》を染みこませていく。

 やはり眞王の力は絶大であったが、危うく溺れかけたその瞬間、遙か離れた場所で強い魔力がスパークしているのを感じた。

『これは…渋谷!?』

 間違いない。それも、眞王を狂わせている《地の果て》と連動した、《石化》の魔力とユーリは今まさに戦っているのだ。

 ドォン…っ!と炸裂するような感覚が響いて、ユーリが《石化》の呪いを解いたのが分かった。すると、それと連動していた《地の果て》もまた動揺を示した。

『いける…っ!』

 ゆらりと眞王本来の意識が覚醒しようとしているのを感じると、村田は残された力をめいっぱいそこに集中させて、この男を叩き起こした。

『てめぇ、いつまで寝てんだこの野郎っ!!お前がこんな力に負けてグラグラしてるもんだから、僕たちがとれだけ苦労してるのか分かってんのかっ!!』

 イメージの中で、眞王の耳介を掴んで怒鳴り上げてやったら、どうやら具体的な肉体にもそれは影響していたらしい。触手が消え失せて、昔と変わらぬ姿の眞王が現れると《頭にキンキン響いてます》と言いたげに、耳元を押さえて眉根を寄せていた。本来の肉体は物理的に消滅しているはずだから、今の肉体はどうやら、眞王自身と言うよりも村田のイメージ力に由来しているらしい。

『久しいな、我が大賢者よ』
『お前のじゃねーよ』
『…暫く合わない間に、ガラが悪くなって』

 4000年も無茶な運命を押しつけられたら、柄も品も悪くもなろうというものだ。
 
 勝手な男など放っておいて、村田は大地にぐったりと横たわるヨザックのもとに走った。華麗に抱き起こしたりすれば格好良いのだろうが、生憎と村田は男子高校生としても華奢な方であり、ヨザックは兵士としても屈強な方だった。結論として、村田は膝をついてヨザックの身体をゆさゆさするほか無かった。

 そして目覚めたヨザックにほっと安堵すると、彼を残していくのは多少心残りではあったのだが、眞王の力でヴォルテール領を目指すことにした。きっと、石化の呪いを解いたユーリが疲労困憊しているだろうと思ったからだ。彼は放っておくととんでもなく無茶なことをするから。

 別れに際して、村田はヨザックにひとことだけ言い残してきた。

『また、会おう』

 本当は、もっと言いたいことがあったような気がする。ヨザックが寄せてくれた信頼が、村田に力をくれたんだとか、身体を張ってくれたヨザックを死なせたくなかったから踏ん張れたのだとか。
しかし村田はそういったことを、真っ向から口に出来る性格ではなかった。きっと、ユーリならヨザックを大感激させられるような、素朴で感動的な言葉を口に出来ていたろうなと思ったら、無性に友人が羨ましくなった。

 でもヨザックは《物足りない》なんて顔はしなくて、彼らしい笑みをにしゃりと浮かべて、小気味よく返事をしてくれたのだった。

『はい!』
 
 彼は約束を守る男だと思う。
 村田も約束を守りたいな、と、思っている。

 心から。



*  *  * 




「村田、また寝ちゃったの?」

 長すぎる回想の間に、ユーリが焦れたように声を掛けてきた。確かに上下の瞼が引っ付きそうになっているから、本気でまた眠りかけていたのかも知れない。
 
「大丈夫だよ」

 そう言いながら目を擦っていたら、暖かいおしぼりを目の前に捧げられた。先程までは無かったから、様子を読み取ったコンラートが侍女に用意させたのだろう。更に見やると、眠気覚ましになりそうなスパイスが数種類用意され、それに合う濃いめの紅茶が飲み頃になっている。可愛らしいお仕着せを着た侍女が馴れた手つきでポットを操ると、空中に紅茶色の帯が弧を描いた。

「うーん、良い匂い」

侍女が慎ましやかに説明してくれたところでは、茶畑が枯れてしまって新茶は殆ど採れていないのだそうだが、ヴォルテール領には比較的状態の良い茶葉が保管されていたのだそうだ。

「目が覚めたばっかりのところ悪いんでけどさ、村田。眞魔国や、他の国々で作物が枯れたり、地の要素が病んじゃってるのって、眞王に何とかして貰えないのかな?」
「あいつだけでは無理っぽいね」
「えーっ!?空まで飛んじゃうようなヒトなのに?」

 確かに《空中から出現!》という現れ方は、如何にも《御大登場!》という感じで、村田としても多少気恥ずかしかった。
 だが、あの状況で《如何にも眞王でござい》という雰囲気を醸し出す為には、空中から現れるくらいの派手さは必要だったのだ。シュトッフェルのような男を勢いで黙らせるためには、演出も必要である。

「そもそも、現役張ってる時にも眞王だけの力じゃ《禁忌の箱》を封じることも出来なかったんだよ?だからこそ、渋谷達の力が必要なんだ」
「《鍵》として?」
「君、それ…どこで知ったの?」
「ゲルトの奴に聞いたんだよ」
「あいつか」

 ユーリが掻い摘んで話してくれた内容は、数点については補正が必要だった。どうしてもゲルトの価値観が混ざる分、事実ではあっても真実ではない面もあるのだ。

「確かに眞王は創主をわざと粉砕せず、《禁忌の箱》に封じるなんてまどろっこしい真似をしたよ。最盛期の力なら、砕こうと思えば出来るのは出来たはずだ」
「それはやっぱり、自分が復活するために?」
「いいや、身体のあるなしはあの男にはあまり関係ない。寧ろ、粉砕しなかったのはあくまで、要素との契約によるものなんだよ」
「えー?」
「良いかい?創主っていうのは元々、原始の《荒ぶる神》なんだ。これは魔族にとっても人間にとっても、同時に、世界を形成する要素にとって重大な意味を持つ。特に、要素にとっては大きな繋がりがある存在だ。創主っていうのは、極めて濃い要素の集合体が独自の意識を持ったものだとも言えるからね。迂闊に砕いたりした日には、その創主に関連した要素が連動して、絶滅する危険性もあるんだよ」

 だからこそ、地の要素繋がりで《石化》の法石と《地の果て》も連動してしまったのだろう。流石に《石化》の呪いを解いただけでは《地の果て》を滅ぼすことは出来なかったが、瞬間的にはかなり動揺させることができた。

「眞王の魔力が強いったって、それはあくまで要素に呼びかけて応えて貰うことで成立している力だからね。別の要素を使って砕くにしても、《こいつは自分の目的の為なら要素を滅ぼしても構わないという奴だ》なんて認識されちゃうと、契約が解除される危険性があった。それに、最悪の場合はその要素が無くなってしまったことで、自然界の均衡が破られる恐れもある」
「そうなんだ…んじゃ、どーやって《禁忌の箱》を始末したら良いんだよ?」
「理想としては、一般的な要素のレベルにまで分解してしまえば良い」
「そっか!濃いーから問題があるなら、粉々にして薄めちゃえば良いのか!で、どうやってやんの?」
「頑張れ」

 ぽんっと笑顔で肩を叩いて遣ったら、ユーリの唇がへにょりと曲がった。

「もしかして…具体的には分かんない?」
「理屈としては僕たちだって、4000年前に試算を弾き出していたさ。だけど、出来なかったから負の遺産が今に残っているんだよ」
「そっか〜」

 ユーリは唇を尖らせて不安そうに眉根を寄せるが、その額をコンラートがツンっと指先で突いた。

「大丈夫ですよ。ユーリは不可能を可能にする子だもの」
「そっかなー?」
「ええ、運命に祝福された子です」

 面映ゆいくらいに全面的な許容を受けて、ユーリは少し照れくさそうにしているけれど、それでも、彼の瞳に生き生きとした力が沸いてくるのが分かる。
 以前なら内心、《この親馬鹿》と鼻で嗤っていたかも知れないけれど、今なら分かるような気がした。

 託す言葉と、託される言葉。 
 それは時として、信じられないくらいの力を発揮させることがある。

 オレンジ髪をした男の笑顔と声を思い出して、村田は瞼を閉じた。
 彼の姿を明瞭に思い出すと、村田も《大丈夫》と思えてくるから。



*  *  * 




「やぁ〜っとついたぜー」

 鮮やかな柑橘色の髪をくしゃりと掻き上げれば、ついていた砂粒がぱらぱらと落ちていった。枯れ果てた大地を踏破して、グリエ・ヨザックはようやっとヴォルテール領に到着した。本気を出せばもう一日は短縮出来たと思うのだが、旅慣れない《連れ》がいたので今回はしょうがない。

「おい、あんた。ここまでで良いかい?」
「はい。お世話になりました」

 日よけのマントの下から細面な女の顔が覗く。馬上での強行軍が堪えたのか、顔色は随分と悪いが、数百年にわたって眞王廟の巫女であった女性にしては、随分と頑張った方だと思う。自ら弱音を発したことは、結局一度もなかったし。

 彼女の名は、アーニャ。姓は無いという。おそらく、天涯孤独の戦災孤児であったものが魔力の強さを買われて巫女になったのだろう。旅の中でぽつらぽつら聞いた限りではそのような感じだった。
 通常、巫女自らの意志で眞王廟を離れることはないのだが、彼女の場合は追放を受けているので、自由と言えば自由だ。

 追放になるような何をやったのかは分からないが、追求する気もない。少なくとも、ヨザックにアーニャを運べと命じたのは、眞王廟に戻ってきた眞王自身なのだから、この行為でヨザックが咎められることもあるまい。

 アーニャは丁寧に礼を言うと、そのままある方向を目指して迷い無く歩いていった。ここで、彼女はある男を捜すのだと言っていたが、まあそれ以上のことは興味がないし、ヨザックの方にも捜したい人がいる。一人は喪われたと思ってた友人であり、もう一人は、出会ったばかりだというのに何だか《放っておけない》と、母性本能(←違う)を擽られる少年だ。

「きーっと、草臥れ果ててるのに無茶してんだろうなぁ」

 理知的に見えるくせに、熱くなると自分の負担など考えずに頑張ってしまう人だから、きっともう一人の友人の為に力を尽くしているのではないだろうか?

「さあ、グリ江ちゃんが参りますよぉ〜ん」

 パカラっと蹄を鳴らすと、草臥れ果てているはずの愛馬は主の気持ちを汲んだように、もう一頑張りしようと歩を進めた。
 





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