「お伽噺を君に」 17年前のこと…後に《死の道》と呼ばれることになる峡谷地帯に於いて、ウェラー卿コンラートは法力兵器の核となっていた巨大な法石を、自らが石化することと引き替えに打ち砕いた。その瞬間、弾けるような要素の変化を多くの者が感じ取っていた。 人間の国々では法力遣いが、眞魔国では魔力を持つ純血魔族が、それぞれに勝負の分かれ目となる兵器が破壊されたことを知った。そのことは、同時に肉弾戦の再開をも意味していた。動植物の全てが石と化した灰色の峡谷は、すぐさま人と魔族の血飛沫を浴びて、暗赤色に染まったその痕跡は、今も色濃く残されているという。 この峡谷が《死の道》と呼ばれるようになった所以である。 『我らの希望たる法力兵器を破壊した魔族を殺せ!』 『悪しき法力兵器を滅ぼした英雄達を救え!』 おのおのの陣営に於いて、自らの奉じる主義のもと、怒濤の勢いで《死の道》に突撃してきた人間と魔族の軍団が激突した。だが襲いかかってきた人間の殆どは、生きて故郷に帰ることは無く、その殆どが唯の肉塊と化して《死の道》の染みとなった。眞魔国軍は英雄ウェラー卿コンラートを喪った哀しみと怒りの波動を、そのまま人間の軍隊にぶつけたのである。 ことに、フォンヴォルテール卿の怒りは激甚なものであった。これまでは弟に対して一線引いた立場にあると思われていた彼が、あれほど感情を高ぶらせて戦うとは思わなかったと、共に戦陣にあった兵士達は崇拝と畏怖を込めて語っている。 『弟君が獅子であったとすれば、さしずめ兄君は怒れる龍のようでありました』 雄々しいその姿は同時に、胸を引き裂くような慟哭をも感じさせた。石像と化したコンラートを、憎悪に満ちた剣や斧で砕こうとする人間達に、グウェンダルはそれこそ逆鱗をぞろりと撫で上げられた龍王の如く、激昂して襲いかかっていったのである。 『コンラートに触れる者は、このフォンヴォルテール卿グウェンダルの怒りに撃たれると思え…っ!指一本でも触れてみよ、その身に永遠の呪いを与えてくれる…っ!!』 グウェンダルの怒号は戦場中に木霊し、先鋒を勤めた人間軍の荒くれ者達をも震撼させた。しかもそれは唯の脅しに留まらず、剣を振るう腕は付け根から斬り飛ばされ、斧をふるう者は胴を抉られた。豪雨のように降り注ぐ矢も、未だ要素が乱れたままの土地だというのに、グウェンダルは強い魔力と精神力で土の壁を作り出して受け止めた。 文字通り、《指一本触れさせぬ》とばかりに、グウェンダルは弟の亡骸を守り抜いたのだ。法力兵器が破壊されたとはいえ、未だ要素の混乱が残る土地で魔力を酷使することは命を失いかねない行為であったが、普段の冷静さなどかなぐり捨ててしまったかのように、グウェンダルは弟の亡骸を確保する為には手段を選ばなかった。 累積する屍を乗り越えて故郷へと帰還したコンラートの亡骸に、眞魔国の民もまた慟哭した。勿論、母も末弟も同様であった。ことに、混血であるが為にコンラートを蔑視していたフォンビーレフェルト卿ヴォルフラムは、傍らで見ている者の胸が締め付けられるほどに激しく悔やみ、自らを呪った。 『何故僕はあのように愚かな行為を…!何故…何故、もっと早く兄上の価値を認めなかったのだ…!』 コンラートの石像に取り縋って泣くヴォルフラムを、伯父であるフォンビーレフェルト卿ヴァルトラーナは励ますと同時に叱咤したが、それは甥の怒りを買うことになった。《たかが混血》とコンラートを侮ったヴァルトラーナに、以前のような親しみを抱くことは出来なくなったのであろうというのが、専らの噂である。 この事件を機に、ヴォルフラムはビーレフェルト家の当代当主である伯父とは距離を置き、グウェンダルに師事することになる。コンラートが死後、眞魔国の英雄として再評価されていく中で、これまで血族から吹き込まれてきた混血蔑視思想が、如何に根拠のないものであったかを認識した。 純血貴族としての誇りに充ち満ちていた彼が変わったのは、唯知識が身に付いたからだけではないだろう。認めることで、せめて死した兄に対する悔恨を薄めたかったからに違いない。 結局、《死の道》に於ける戦いの後にシマロンとは再び休戦協定が結ばれることとなったが、この時、更にこの兄弟の怒りを爆発させる事実が判明した。 信じがたい事に、以前結ばれた休戦協定の条件が、十貴族会議で決定された内容と食い違っていたのである。シマロンを軽侮し、更には己の権益を貪ろうとしたシュトッフェルが如何に言っても過酷と言える領土の割譲を要求していた。この余計な条件の負荷こそが、シマロンをなりふり構わぬ窮鼠に変えたのである。 『貴様の勝手な行動が無ければ、コンラートが死ぬことなどなかったのだ…っ!』 グウェンダルとヴォルフラムにとって、最早シュトッフェルは摂政でも伯父でも無かった。寧ろ、近しい血が流れている事実に憤然とし、我が身を掻きむしって《呪わしい!》と叫んだほどである。 シュトッフェルの愚行を責め立て、摂政職の解任と罪状に応じた蟄居処分を求めていった兄弟に、フォンクライスト卿ギュンターやフォンウィンコット卿オーディル達も賛同した。ギュンターはかつてコンラートの剣の師を務めており、オーディルはコンラートを《我が息子》と呼ぶほどに慈愛を注いでいたからだ。 だがシュトッフェルは罪状を認めはしたものの、摂政の座を退くことはなかった。法の解釈を操って、賠償金の支払いという形で決着をつけてしまったのである。しかもこれは、十貴族会議に於いても正式に認められてしまった。ヴォルテール、クライスト、ウィンコットに加え、グランツ、カーベルニコフの二家を陣営に引き込むことには成功したのだが、ヴォルフラムがヴァルトラーナの説得に失敗したのである。 五家対五家で意見が分かれた場合の最終決定は魔王に委ねられる。ツェツィーリエはコンラートの死を悼みながらも、兄であるシュトッフェルに《今私が退けば、誰がこの国を支えるのだ》と説得されたことで、摂政職に留任させてしまった。 この決定に、グウェンダルとヴォルフラムは不快感を露わにした。手にしていた白い手袋を円卓に叩きつけると、会議を侮辱する言葉を叩きつけて立ち去った。だが、それ以上のことは出来なかった。反旗を翻して軍勢を動かすことは内乱を招き、いったんは退いたシマロンを刺激することになるからだ。 ギュンターとオーディルは流石にそこまではしなかったものの、納得行かないのは確かであり、この日から、宮廷内には不穏な空気が流れ続けた。 それから数年が経過すると、次第に大陸から奇妙な噂が聞こえてくるようになった。 『《死の道》から大地の呪いが広がっている』 《死の道》に近い耕作地帯で年々不作が続くようになり、ついには眞魔国にもその影響が出始めたのである。魔族の調査団が調べたところによると、やはりそれは法術兵器によってもたらされた影響なのだという。法石はコンラートに割られたことで直接的な力は失っているのだが、一時に強い力を発動させたことで、地中に埋められた、《禁忌の箱》と呼ばれる存在が目覚め始めたのだ。 各国家は血眼になって《禁忌の箱》を探し求めたが、地中深くに沈み込んでいるらしい箱を発掘する事は出来なかった。誰にも見つけ出されないまま、箱は隠然と大地を汚し続けているのである。 魔族はこれをもって法力を《呪われた力》と責め立てたが、人間の国家では認めなかった。調査団が魔族と同様の報告を持ち帰っても、《あれは魔族が呪いを掛けているのだ》と国中に喧伝して、魔族を倒す為の最終兵器として《禁忌の箱》を探し出すよう民に指示した。人間の指導者達は己の権益だけを追い、大地を呪うきっかけとなった法術兵器が何をもたらしたかについて、客観的な反芻をすることはなかった。 一方、眞魔国では別の理由から《禁忌の箱》を探す動きが出てきた。こちらは兵器として使用する為ではなく、再び厳重に封印するためである。 調査団の報告によれば、コンラートが石化の法石を砕くことなく、法術兵器がより長い時間発動を続けていたとしたら、《禁忌の箱》はとっくの昔に爆発的な目覚めを迎え、大地は汚されるのを通り越して崩壊していたという。この報告に、民は改めてコンラートの偉業を噛みしめ、残された自分たちに何が出来るのかを考え始めた。コンラートに与えられた《滅びまでの猶予時間》を何としても有効に使わなくてはならない。そうでなければ、いつか《禁忌の箱》は完全に目覚め、世界を飲み込むと認識したのである。 特に強くその意義を感じていたのが、グウェンダルとヴォルフラムである。後者はビーレフェルト家の力を借りることが出来なかったのでヴォルテール家と帯同して行動することにした。ヴォルテール軍は独自に大陸に入り込んで捜索活動を続けたが、これに噛みついたのがシュトッフェルであった。 『ようやく平穏が戻ってきたというのに、勝手に軍を動かしてシマロンを刺激するとは何事か』 かつて、勝手に停戦条約の条文を変更してシマロンを強く刺激した男が、厚顔無恥にもそのような非難をぶつけてきた。だが、今度はグウェンダルも引かなかった。何かと理由を付けては軍を動かし、探索を止めることはなかった。 そのような対立が続く中、次第に大地の呪いは本格化していった。もはや大陸では民が生きていくのにやっとという程度の食料しか採れぬと言うのに、《禁忌の箱》を求めて軍を動かすたびに馬と兵士が糧食を消費し、複数の国が遭遇戦を展開、そして死した兵士の代わりに農村部の若者が徴兵されていくという悪循環が続いた。 眞魔国もこの影響から逃れることは出来ず、多くの領土で不作・凶作の報が相次ぎ、呪いから大地を護る土の要素遣いの価値はいや増していった。こうなると注目されるのが、土の要素と馴染みの強いヴォルテール筋の魔力持ちである。彼らは縁故のある農村部に派遣されては魔力を魔石に封入して、不完全とはいえども大地の恵みを保ち続けた。 すると、急にシュトッフェルは猫なで声でグウェンダルに依頼してきたのである。眞魔国の、ことに、最大の耕作地帯であるシュピッツヴェーグ領で収穫高を維持することは、臣下として重大な責務であると。 だが、ヴォルテール筋の魔族とて無尽蔵に魔力を所持しているわけではない。人数的にも、個々人の能力値においても限界があり、眞魔国中の耕作地帯全てに要素遣いを派遣することは不可能であった。また、恨み重なるシュトッフェルの領土に赴いて、我が身を削って魔力を使いたい者など居るはずがない。グウェンダルが派遣を拒否すると、シュトッフェルは怒り狂って責め立てた。 《お前には国に対する忠誠心が無い》と罵倒されて、グウェンダルもまた怒りを露わにした。問題は土の要素遣いを少々宛って、目先の収穫量を維持することよりも、根元的な問題となっている《禁忌の箱》を何としても再封印してしまうことなのだ。 長年にわたって降り積もった憎しみは、とうとう爆発の日を目前に控えることとなった。 コンラートが石化してから17年が経過した今、ヴォルテール家は《土の要素遣いを動員せよ》という摂政命令に真っ向から逆らい、物理的な制裁を受ける公算が高いのだ。言葉巧みに魔王を説得したシュトッフェルが、勅令という形で要求してきたからである。 * * * ふぅ… 誰からともなく吐き出された深い溜息に、彼らは自分たちの肩にどれだけ力が入り、打ち震えるような感情に翻弄されていたのかを知った。 「兄さんとヴォルフが、俺の為に…」 思わず零れた《兄さん》《ヴォルフ》という呼称に、コンラート自身が吃驚したようだった。恥ずかしそうに顔を上げたコンラートに、ユーリは泣き笑いの表情で指先を伸ばすと、優しく兜を撫でつけた。 眞魔国の現状は極めて厳しい。だが、その中でも喜びを感じてしまうのは、コンラートが長く想い続けていた人々のうち、少なくとも兄と弟は、強くコンラートを想い続けていてくれたと言うことだった。 《良かったね》と言うことは出来なくとも、そのことだけは喜んだって良いのだと思う。 「バドック。に…いや、フォンヴォルテール卿とフォンビーレフェルト卿は領主館にいるのか?」 慌てて言い直すコンラートに、ユーリは咎めるように唇を尖らせる。 「コンラッド、お兄さんと弟君の気持ちは分かったんだろ?だったら、もっと親しみを込めてお兄ちゃん〜とか、ヴォルフぅ〜とか、愛称で可愛く呼んであげたら?」 「ショーリの要望を頑なに拒んでいたあなたが言いますか?」 「う、ソレを言われると…」 ツンツンと指先で突きながらからかっていたら、手痛い指摘を受けてしまった。確かに、勝利から《お兄ちゃんと呼べ!》という要望は即座に却下していた。でも、今回は事情が違うではないか。コンラートだって、無意識ならちゃんと愛称で呼んでいたのだし。 「それよりも今は、彼らに会う算段の方が大事です。どうだろう、バドック?」 「ええ、そのことなんですが…実は、現在グウェンダル閣下とヴォルフラム閣下は探索行の途上にあるのです」 隠そうとしてもコンラートがしょんぼりしてしまったのは感じるのか、バドックは申し訳なさそうに眉根を寄せ、そして、励ますように意識して声を弾ませた。 「ですが、予定ではあと数日でヴォルテール領に帰還される御予定となっております。もうじきです、すぐに会えますともコンラート閣下!」 「数日か…」 兄弟の愛情を感じた以上、今すぐにでも会いたいだろう。だが、情勢不安定なこの時期に、双黒のユーリと共に移動するのは危険性が高いと思われる。 『でも、本当にここでじっとしてて会えるのかな?』 先程の話を聞いていて不安だったのは、魔王勅令という後ろ盾を持ったシュトッフェルが、どのような手段を用いて土の要素遣いに動員を掛けるかという点であった。もしかして、同じ領土内の移動であってもヴォルテール軍が警戒していたシュピッツヴェーグ軍の間諜を見極める為だったのではないだろうか?だとすれば、グウェンダル達がいないヴォルテール領に攻め込んでくる可能性もあるのではないだろうか? また、探索行の途上だというグウェンダル達の軍が、シュピッツヴェーグ軍に拘束される恐れもある。 『そーなった時、俺はどう動けばいいのかな?』 迂闊な行動をしてシュトッフェルに捕まったりしたらことだ。正当なグウェンダルの発言を押さえつけ、恣(ほしいまま)に国政を操る奸臣が相手では、どんな無茶ぶりで利用されるとも限らない。 『でも…できるだけ早く、コンラッドをお兄さんや弟君に会わせてあげたいな』 その想いは、コンラートの方にも痛切に感じられているだろう。ただ、慎重な彼は動くべき時を誤るタイプではなかった。たとえ行軍中のグウェンダル達に何か起こるとしても、正確な情報無しに動くことは軽挙に過ぎる。今は正しい情報が得られるまで、動かないことが大切だろう。 「バドック、ヨザは生きているか?」 《ヨザ》とはおそらく、グリエ・ヨザックのことだろう。コンラートの旧友であると共に、随分と有能な人だったはずだ。 「ええ、勿論ですとも。あの方はグウェンダル閣下の懐刀として、戦時には斥候を、平時にはお庭番を務めておられます。今も閣下に先行して様々な情報を集めておられることでしょう」 「そうか…あいつだけでもこの場にいてくれたら、色々と動いて貰えたんだがな」 生き延びていたらしいことには安堵したものの、すぐには会えないことにコンラートは落胆したようだ。情報収集に長けていたというヨザックであれば、コンラートをポケットに詰めて騎馬で探索隊に合流することも可能であったに違いない。 「ともかく、コンラート閣下とユーリ様はこのままグウェンダル閣下をお待ち下さい」 「そうだな」 残念だが、今はそれしか方法はないようだ。 * * * 揺らぐ。 揺れる。 熱せられた大地の上で、陽に照らされた大気が蠢く。それ自体はこのような砂漠地帯であれば、太古から延々と続いてきた風景であろうが、どこか奇怪に映る。おそらく、フォンヴォルテール卿グウェンダルが土の要素に敏感な性質だからだろう。この奇怪さが指し示すものが、単なる自然現象とは異なることを感知しているのだ。 要素が何かに怯え、惑う感覚が伝わってくる。何か恐るべき存在が、彼らを常に脅かせ続けているのだ。 その脅威の名は《禁忌の箱》。それも、四つもある厄介な箱のうち、《地の果て》と呼ばれる代物であることは分かっている。だが、已然として在処は掴めずにいた。 この変化はまた、昨日今日始まったものではなかった。この17年間というもの、継続的に、地域的には濃淡はあれども着実に歪み続けている。地の要素使いがどれほど押しとどめようとしても、守護された特別な領域以外では作物の実りも格段に落ちていた。 『この大地でも、歪みが増大してきている』 ふ…っと重い息を吐き出しながら、グウェンダルは口元を覆う布地を引き上げて、しっかりと鼻まで被せた。暑苦しいが、そうしなければ熱風で気管を痛めてしまうのだ。 国境沿いにあるこの土地は元々砂漠地帯ではあったが、それでも以前は部隊を休息させる灌木の影くらいは捜せた。しかし今ではオアシスの数が激減しており、糧食を十分に確保してからでなければ、進軍することは自殺行為と言えた。 『コンラート、お前がもしも生きていたならば、このように飢え乾いた土地をどう思うだろうか?』 喪った弟を想う時、グウェンダルの胸には癒しがたい疼きが生じる。命を擲ってまで弟が護ろうとした眞魔国は今、とても《平和》などと表現出来る状況には無かった。世界的な大地の衰えと共に、僅かながら滅びを遅らせる土の要素遣いを巡って、眞魔国には争いが起ころうとしている。 ツェツィーリエはシュトッフェルに吹き込まれたことを信じ切ってグウェンダルを説得しようと試みているが、母の頼みとはいえ幾ら何でも応じられるはずもない。 『いつまで母上は、あの男を信任なさるのだ…!』 息子をあのように惨い死へと追いやった男を、何故兄として慕い、摂政として信頼できるのか、グウェンダルには到底理解し得ない。自分と同じように母だとて、苦悶の表情を浮かべたまま石化したコンラートを目にしているというのに。 「兄上、報告しても宜しいでしょうか?」 傍らに身を寄せてきたヴォルフラムが、幾つも印のついた地図を広げてグウェンダルに状況を説明する。印の付いていない領域に隊を進める為の方策について弟が語る言葉を、グウェンダルは頷きながら聞いていた。 『僅かながら収穫があったとすれば、この子が自立してくれたことくらいか』 ヴァルトラーナを慕っていたかつてのヴォルフラムは、燃え上がりやすい火の要素遣いとしての性質が拙い方に出て、何かと激しやすかった。混血を蔑視することも甚だしく、コンラートのことも混血という磨硝子越しの眼でしか見ていなかったものだ。だが、アルノルドの激戦直後に自ら志願し、無惨な姿になりながらも見事法石を砕いた兄の行為に、流石のヴォルフラムも感じ入るところがあったのだろう。それまでの考えを改め、軍人としても大きく成長していると思う。 だが今のヴォルフラムを見ていると、兄としては《辛い》と思う瞬間もある。コンラートが存命である間は、良くも悪くも感情表現の豊かな少年であったというのに、今のヴォルフラムは涙を見せなくなった代わりに、笑顔もまた失っていた。陶器人形のように整った白皙の面は、殆ど表情を浮かべることが無い。 おそらく、彼がコンラートの遺骸に立ち会って感じたのは、己の罪であったのだろう。幼い頃には溢れるほどの愛情を受けながら、ただ混血だと言うだけで不条理な蔑視を向けてしまった事を謝ることができないまま、コンラートを死なせてしまった自分が今でも許せないのだ。 それほどに苦痛を感じさせるコンラートの石化像は、見る者を辛い心地にさせた。誰よりも国の為に尽くした彼に栄光も幸福も感じさせてやることも出来ないまま、自分は一体何をしているのかと、彼を思えば思うほどに自問自答してしまう。 「どうかなさいましたか?」 「いや、なんでもない」 ふるりと頭を振ったグウェンダルは、ふとヴォルフラムの頭を撫でてやりたいような気がした。《お前はよくやっている。だから、もうそのようにコンラートのことを気に病むことはないのだ》と、慰めてやりたいとも思う。 だが、軽く上げた掌を弟の頭に乗せてやることは出来なかった。 今日も、出来なかった。 実行に移そうとした途端に、《らしくない》という自覚が湧いてきて、手が止まるのだ。 「報告は終わったか?」 「はい」 「では、予定通りに隊を進めろ」 「はい」 淡々と会話を進める二人の兄弟は、見目麗しいものの、どこか寒々とした印象を周囲に与えていた。 * * * 『おんやぁ?』 グリエ・ヨザックは《地の果て》探索隊の斥候として、探りを入れた土地の哨戒にあたっている。馬で半日程度の距離を本体から保ちながら、狼煙(のろし)などの方法で安全かどうかを知らせているのだ。 そんな中、彼は奇妙なものを発見した。砂漠に子どもが転がっているのだ。 『ええと…どこから突っ込んだら良いのかねぇ?』 まず、何と言っても髪が黒い。燦々と照りつける陽射しで焦げたりしているわけではなく、どう見ても地の黒さだ。しかも、直射日光を浴びる場所で大の字に転がっているというのに、陽射しよけのフードも被っていない。見たこともない形の白い装束を纏っているから、宗教家が妙な修行に励んでいるのだろうか? あまりにも不審なので警戒しながら馬で近寄っていくと、どうやら気絶しているらしいことが分かった。 『…濡れてる?』 これもまた奇妙なことに、少年はびしょ濡れであった。真っ白な透明感のある肌の上で水分は刻々と乾きつつはあったが、つい先程まで泉にでも漬かっていたのかと思うくらいびしょ濡れであったのは確かだ。 「ちょいと坊ちゃん、どうかなさったんで?」 「ん…」 生命徴候は感じ取っていたので、死んではいないと分かっていたのだが、少し声を掛けただけで意識を取り戻したことに軽く驚く。一体全体、この子はどこからどうやって砂漠のど真ん中にやってきたのだろうか? 『それにしてもまあ…何て綺麗な顔をしてるんだろう?』 間近で観察した少年は、驚くほどに可憐な容貌をしていた。全体的に全てのパーツがこぶりで、白薔薇の蕾みたいに愛くるしい。砂まみれでさえそうなのだから、きちんとした格好をさせればさぞかし映えるだろう。これほどの容貌で漆黒の髪を持っているとなれば、いかな身分に生まれた者であっても名を知られていておかしくないはずだが、それがどうしてこんなところに捨てられていたのだろう? 『俺が拾っちゃうよ?』 ひょいと抱き上げてみれば、見てくれ通りに軽くてしなやかな体つきをしている。なんとも、変な方向に食指が動きそうになった。 『おっかしーな…俺、少年趣味とかは無かった筈なんだけどなぁ…』 後ろ頭に変な汗を掻きながら、ヨザックは小首を傾げてしまう。 「おーい、坊ちゃん。意識はおありで?」 「…眞魔国語」 ぽそ…っと呟かれた言葉にきょとんとしてしまう。文字体ならいざ知らず、よほどの辺境でない限り口語で《何語》というのは存在しない。文字体が違うのだって、言語体系を作り上げた魔族への対抗心で、無理にシマロン辺りが作り出したものだ。それがどうして、朦朧としながら妙に懐かしそうな声で、《眞魔国語》等と呼ばれているのだろうか? しかし、そんな疑問など次の瞬間には吹き飛んでしまった。 「…ひょえっ!?」 ゆっくりと眩しそうに開かれていく瞳が紛う事なき漆黒を為していることに気付いた瞬間、《双黒》という驚嘆すべき存在を腕に抱いていることに、さしも飄々と生きているヨザックとはいえど、驚きの声を上げずにはおられなかったのである。 しかも、双黒の第一声は結構酷かった。 「………どーして、渋谷じゃなくてマッチョメンに抱かれてるんだろー…」 言葉の意味はよく分からなかったが、口をへの字にした少年がえらくガッカリしているのだけはよく分かって、何だか申し訳ないような気がしてしまった。 『笑ってくれたら、きっと可愛いだろうな』 猫が懐かないのを嘆くみたいに、ヨザックは苦笑した。 |