「お伽噺を君に」
第11話









「呼ばれて飛び出て…」
「…なに!?」

 《ジャジャジャジャーン!》という大音声に合わせて、溢れ出すような魔力がゲルトを圧倒した。先程まで力を使いこなせずに乱れきっていた有利の力が、すらりと伸ばした剣先のように、ゲルトの喉笛に突き立てられる。

「ぐぅ…っ!」
「ふむ、そこな男。青い果実で発展途上な少年に対して、大人げなくて人でなしな言い回しで嬲るとはその罪、許し難し…!」
「くそ…っ!」

 しまった。
 つい苛めるのが楽しくて言葉責めしている間に、よりにもよって苦手な人格が浮かび上がってくるとは。

「致し方ない。お主を斬る…っ!」
「煩い!」

 独特の言い回しで大見得を切る上様の力が再び殺到してくると、ゲルトはすんでのところでかわして火龍を呼びつける。燃え上がる巨大な龍は火の粉を振り散らかしながら突き進み、上様の喉頸を狙っていくが、こちらも水龍で立ち向かってくる。

「邪魔をするな、この時代劇かぶれめ!後少しで眞魔国への扉を開けたものを!」
「眞魔国にお前のような暴れん坊将軍を呼んでなるものか!」
「貴様もこの俺を拒絶するのか!」

 ぐらりと沸き立つ怒りに、目が血走る。
 そうだ。いつだってそうなのだ。
 伝承に伝えられる《魔族》といえば、力が絶対的な意味を持つ呪われた存在だというのに、何故か実際の魔族社会は《ご隠居集団》と呼びたくなるくらい、人間社会への手出しを恐れている。

 何かと言えば《目立ちすぎる》が合い言葉で、魔族だけの国を持とうとすらしないし、魔族でありながら魔力を使えないことさえ気にしていないようだった。

『俺はあんな連中とは違う』

 地球の魔族としては希有な規模の魔力を持つゲルトは選ばれた存在なのだ。百年前には戦乱期に乗じて国を乗っ取ろうとしたが、現在視野に入っているのはひとえに眞魔国だ。きっと純血の魔族であれば、地球産の他の魔族のように日和見な存在などではないはずだ。魔族としての誇りを正しく持ち、馬鹿にしてくる人間など強い魔力と軍事力で叩きのめしている筈だ。

「俺こそが眞魔国の魔王に相応しいのだ!眞王に会わせろ。ユーリ等という儒子よりも、遙かに外れた資質を見せつけてやる!」

 高らかに哄笑するゲルトに対して、上様は急に芝居がかった口調ではなく、どこかしんみりとした語りで窘めてきた。

「気の毒だが、お前は眞魔国の魔王には向いておらぬ」
「…なんだと?」
「気にくわない者がいれば、お前は力づくで叩きのめそうとするのであろう?そのような魔王はお伽噺の中だけで十分だ。実際にいては、単なる暴君となろう」
「それがどうした。人間とて、そのような暴君など掃いて捨てるほどいるではないか!大体、歴代の魔王の中には俺以上の短気者も大勢居たはずだ。《殺戮王》だ《流血王》だなどと言われる魔王が、暴君でないと言い募る気か?」
「そうだ。そのような魔王も大勢いた。最初は単に《誇り高い》と思われていた男達が、その誇りとやらを護る為に、国と民を傷つけていったからだ」

 上様は、すぅ…腰を下げると力の籠もる体勢で瞼を伏せる。魔力を集中させて、ゲルトを貫こうというのか?

「偉そうなことを!では、その無力な儒子であれば、暴君にはならぬという気か?」
「俺は、そう信じている」

 にこりと小気味よい笑みを浮かべると、上様が魔力を放出する。その迸りを巧みに避けながら、ゲルトは憎しみに満ちた眼差しを叩き込んだ。

「俺は信じぬ…!」
「信じる信じぬはそれぞれだな」

 《うむ》と頷く上様にゲルトの魔力が正面からぶつかると、火と水が激しく反応して凄まじい火柱のようなものが天を突く勢いで噴き上がる。

 この時…まるでその火柱に呼応したかのように、天上の雲がぐるぐると回転を始めた。



*  *  * 




「ありゃあ…一体!?」
「あれは…」

 息せき切らして走っていった面子の中で、特段に疲れ切っていたのは村田だった。勝利も大概なインドア派ではあるのだが、意外とそつなくキャンパスライフをエンジョイしたり、バイトにも勤しんでいるせいか、実は意外と身体は出来ている。
 一方の村田は普通の高校生として体育くらいはこなしているが、苦手なのでなるべく全力疾走したりするのは避けていたのだ。それが今になって、報いを与えてきたらしい。

 有利を助ける為には一刻も早く赴かねばならないというのに、鉛のように重い脚は先程から嫌になるほどのろのろとしか動かない。

『くそ…!あそこに渋谷がいるってのに…!』

 ぜいぜいと上がる息で、喉が焦げ付くようだ。爽やかな高原の気候ですら、村田を涼めてはくれないらしく、粘つくような汗が全身に溢れて、白衣はびっしょりと濡れていた。
 
「ユーリがあそこに…!」

 コンラートの指さした方向は、天を突く光の柱の中であった。そこには上様モードと思われる有利と共に、不吉な存在感を放つゲルトがいた。

「あの野郎!懲りもせずにまた来やがったのか!?」
「前回あれだけ力を使ってるんだから、あんな技を使うだけの余裕は無いはずなのに…。いや、あれは…!?」

 村田は覚えのある感覚に慄然として天を見上げた。

「あれは…眞王の力だ!あいつ、渋谷を眞魔国に連れて行く気なんだ!」

 そういえば、今日は29日なのではないだろうか?朝方、やけに蘆花邸の脇でコンラートが花を集めていた気がするが、今考えるとあれは、せめてもの有利への贈り物のつもりだったのかも知れない。

 村田も記念日関係には敏感な方なのだが、蘆花の家にはカレンダーが無いことと、修行で昼夜の感覚に異常を来したことが何度かあったせいで失念していた。
 何かが起こるとすれば誕生日前後だろうとは思っていたけれど、何しろ眞魔国とこちらの時間感覚は少しずれているから、そこまでアニバーサリーに一致した行動を起こすとは考えていなかった。

 あるいは、眞王自身もそのつもりはなかったのに、眞王を除いてはここ4000年というものの、ついぞ発揮したことのない強大な魔力がぶつかり合ったことで、触発されてしまったのかも知れない。

「双黒の大賢者である僕を置いて行ってしまうなんて最悪だ!それに、よりによってあんな男と同行するなんて!!」
「最愛のお兄ちゃんを置いていく方が最悪だ!」
「唯一無二の忠臣を置いていく方が最悪です!」

 最悪具合について問答したところでどうにもならない。
 一同は必死のパッチで激走した。



*  *  * 




「これは…」
「お前がどう思っていようとも、どうやら眞王の方は俺という存在を必要としていたようだな?」
「そんな筈は…!」

 上様が驚愕を隠せない様子で頭上を見上げているのが面白くて堪らない。ゲルトは初めて《認められた》という思いに歓喜しながら、自分を吸い上げていく力を感じていた。

『そうだ…俺こそが、眞魔国の魔王に相応しい男なのだ!』

 ごくごく平凡に育った唯の子どもが、崇高なる玉座につくなど愚かしい限りではないか。

「さあ、眞王よ…。この俺を眞魔国へと誘(いざな)うが良い!」 

 高らかに告げたゲルトであったが、紅白歌合戦に於ける小○幸子よろしくスルスルと釣り上げられていった二人はしかし、ぴたりと中空で差し止められてしまった。

「ん?」

 見れば、先程まで勢い良く回っていた黒雲も動きを止め、洗いものを入れすぎた洗濯機の如く動きが怪しくなってしまう(日常離れして見えるゲルトだが、実はメイドや執事が雇えずに、四畳半とまでは行かないが、嫌になるほど狭いアパルトメントで炊事洗濯をしていた時代もある。(今では絶対人に言えない記憶だ)。

 思い出したくもない黒歴史を突きつけられるような感覚に、ゲルトは苛立たしげに激高した。

「ここまで来て何だというのだ!?」
「どうやら眞王の方にも色々とあるようだな。ほれ、見てみろ。眞王の召還術を妨げようとする因子が働いているようだ」
「ぬ…これは、例の《創主》とかいう存在か?」

 四つの《禁忌の箱》に封じられた創主の力だが、その封印が完全なものではなかったことを、地球の魔族も心得ている。そうであるからこそ、彼らは双黒の大賢者と共に地球に渡り、創主の手が決して伸びてこないようにと、《鏡の水底》を護ったのだ。

 懐かしい故郷や家族を捨て、二度と戻ることの出来ぬ任務についた地球の魔族。
 そんな侘びしい、捨て駒のような存在のまま終わる気はゲルトには無い。

「邪魔をするな…!」

 怒りにまかせて魔力を放出するが、流石に胸の痛みを感じてゲルトは顔を顰める。コンラートの剣を受けた傷は、実のところかなり深かった。迷いのない一刺しは貫通した後にきっちりと捻られており、思っていた以上挫滅していたのである。

『くそ…っ!ただ斬られただけならば、ここまで痛みは続かないものを!』

 予想以上に深かった傷を治す為、本来ならば1ヶ月程度は魔力を使わないつもりでいたのだが、ヴィクサムの行動が思いがけない好機を生んだことを喜ぶあまり、つい治癒も半ばで出てきてしまった。眞魔国への道を無理矢理こじ開けようとすると、ついでに自分の傷までこじ開けることになってしまう。

 しかも、その間に離れていたはずの村田や勝利、気絶していたヴィクサムまでが駆けつけてしまった。

「渋谷!そいつをたたき落とせっ!」
「有利っ!そんな変な人と一緒に行っちゃいけません!ちゃんと修行を積んで、魔力をコントロール出来るようになるまでは、なし崩しに異世界になんか行っちゃ駄目だぞーっ!!」
「ユーリ!私の腕の中に戻ってきてくれぇえ〜っ!!」

 半泣きで絶叫しているヴィクサムを、両脇から村田と勝利が殴りつけている。どうやら、彼が今回の事態の要因になったことはバレバレであるらしい。

 そうこうする間に、勝利の肩から降りた銀細工の騎士が光柱の付け根に駆け寄り、天に向かって懸命に短い腕を伸ばした。

『まさか…』

 そのまさかだった。
 珍しくゲルトが忠告なんて事をしてやったというのに、愚かな騎士は残された魔石の力を振り絞るようにして、具現化するなり天高く舞い上がってくると、主の身体を背後からがっしりと抱き留めていた。

「…馬鹿だろう、お前」
「そうだ」

 ちいさく呟く騎士は、自分でも理解しているとおりの大馬鹿者なのだろう。
 なのに、どうしてそんなに切ないくらいに幸せな顔をして笑うのだろうか?

『理解できないな』

 吐き捨てるように呟くゲルトには、そんな笑顔を浮かべた記憶も、浮かべた相手を愛した記憶もなかった。

 だからこそ、それがとても淋しいことなのだと気付くことはなかった。



*  *  * 




「ユーリ…もう、離しません…」
「コン…ラッ、ド…?」

 上様化していた有利は、具現化したコンラートに抱きすくめられたことで肉体の主導権を取り返してしまった。上様に対して親しみのようなものを感じはしても、夢にまで見たコンラートの抱擁を、他の誰かに渡すことなど出来なかったのだ。

『想像していたとおりに、凄い…気持ちいい』

 血肉を持った真実の身体ではないのだろうが、それでも逞しい男性の肉体はすっぽりと有利を包み込み、切ない囁きは胸の奥底まで染み渡るような熱を孕んでいた。

「あ…でも、コンラッド。具現化なんかしたら、魔石の力が…」
「あなたに二度と会えなくなるくらいなら、力尽きてしまった方がまだ良い」
「そんな…」
「お誕生日おめでとうも言えないまま、お別れになったらどうしようかと思いました」

 にこ…っと微笑むコンラートの瞳を、有利は初めて真正面から見つめていた。

『わぁ…っ!』

 なんという…麗しい青年なのだろうか?
 白皙の肌に映える琥珀色の瞳は涼やかで、ふわりと微笑むと綺麗な銀色の光彩が跳ねる。まるで、夕暮れ時に浮かぶ明るい星のようだ。秀でた額から高い鼻梁、端正な顎へと流れていくラインは見事な造形で、凛と引き締まっているのに、どこか品の良い柔らかさを持っている。

 唇が薄く形良いのも、淡く開かれたそこから白い歯列が並んでいるのも、想像以上の清雅さであった。

『すっげ…マジでコンラッドってば、王子様なんだぁ〜…っ!』

 それも、お伽噺に出てくるちょっと甲斐性なしの王子様などとは違って、頼りがいがあって、 ここぞという場面では絶対に有利を護ってくれる英雄なのだ!

 胸がきゅんきゅんと唸りを上げて、抱きしめられた身体が逆上せてしまうくらい熱くなるのを感じてしまった。

「こうしてあなたを抱いている瞬間が、永遠であれば良いのに…!」
「コンラッドぉ…!」

 きつく抱きしめ合って、夢中になって互いの頬を摺り合わせていたら、すぐ傍から《ちっ》と凄まじく苛立たしげな舌打ちの音が響いてきた。ふと脇を見やると、《憎しみで人が殺せたらいいのに》と言わんばかりのゲルトがいた。きっと、椅子に座ってたら激しく貧乏揺すりをしていたことだろう。

「…脳天気な連中だな全く!」
「…返す言葉もございません」

 淡く頬を染めて苦笑していると、また空からの引きが強くなってきた。舞い上がるような有利の心地が反映されたというわけではないのだろうが、ぐんぐんと身体が空に舞い上がっていく。
その様子に気が気でないのは地上の連中だ。

「有利っ!お兄ちゃんを置いていくんじゃないーっ!置いていったら、セーラー服のお前をメイン攻略対象にしたギャルゲー作っちまうぞ!?俺の禁忌を越えて、18禁指定にしちまうぞ!?」

 我が兄ながら最低な脅し文句だ。ゲルトの呆れ果てたような眼差しが痛い。…というか、兄の馬鹿さ加減にまで責任は持てない。

 それよりも気になるのは、必死の形相で光柱にしがみついている村田の方だ。

「渋谷…渋谷っ!僕を置いていかないで…っ!!」

 悲痛な叫びを上げて有利へと手を伸ばしてくる村田は、双黒の大賢者として4000年の歴史を脳に刻み込まれている。それが一体何の為であるのかも分からないまま、呪わしいほどの記憶を抱えて生きてきた彼にとって、意味も知らされず地球に取り残されることは、絶望以外の何ものでもないだろう。

 向かう先の眞魔国に、村田の望む人生があるのかどうかは分からない。だが、とうとう涙を溢れさせて悲痛な叫びをあげる友達を、放っておく訳にはいかなかった。

「村田…こっちにおいで!」

 コンラートに抱きしめられたまま精一杯伸ばした右手に、暖かい力が満ちる。ふわ…っと舞い上がった村田の身体が、この手に繋がっているのを漠然とではあるが感じていた。

「渋谷…!」

 ほっと安堵したように微笑んだ村田が、すぐ傍までやってきたというまさにその時、緩やかだった吊り上げが突如変化した。

「な…っ!」

 突然に囂々と逆巻き始めた黒雲は、どうやら眞王だけの力によるものではないようだ。拮抗する創主とやらが、眞魔国への召還を拒んでいるのか。あるいは、いっそこのまま大地に叩きつけて殺そうとしているかだ。

「村田、俺の手を掴んで!」
「うん…っ!」

 懸命に伸ばされる手を有利は必死で掴もうとしたのだが、強い剪断力が働いて後一歩というところで指は空を掻いてしまう。しかも、具現化していたコンラートが限界を超えて、また銀細工人形に戻ってしまったことも有利を狼狽えさせた。

「コンラッド!絶対に俺から離れちゃ駄目!」
「はいっ!」

 抱きしめられていた安心感が無くなった代わりに、馴染みの銀細工の感触を胸に感じながら、有利は精一杯の力でコンラートを抱きしめた。何があっても、決して彼だけは無くさないようにと。

『ゴメン、村田。ついでに勝利…!』

 ついで扱いされた兄と、存在を半分忘れられかけた崇拝者を地上に残したまま、有利の身体は囂々と逆巻く黒雲の中に消えていった。



*  *  * 




「有利、有利ぃいい……っ!!」

 唯の穏やかな夏空に戻ってしまった大気に向かって、勝利は絶望に満ちた叫びを上げ続ける。 喉が嗄れて、血の味がし始めても止めない勝利に、ヴィクサムが視線を合わせないようにしながら囁きかける。

「無駄だ、ユーリの兄君。彼の魂はもうこちらには存在しない」

 同時に、村田とコンラート、そして、よりにもよってゲルトの反応も消えた。全員が同じ地点に召還されるかどうかは分からないが、少なくとも、もうこの辺りにいないのは確かだった。

「うるせぇ…っ!元はと言えば、お前のせいだろうがっ!!」

 ガッ…!

 勢い良く勝利の拳が右頬を抉り、身体が吹っ飛ぶ。避けようと思えば、体術に優れたヴィクサムには造作のないことではあったが、そうする気にはなれなかった。この上なく無様な結末に終わった求婚劇を、誰かに戒めて欲しいのかも知れない。

「…すまない」
「今更謝るな!俺は絶対にお前を許さないからなっ!?畜生…っ!まだ十分に修行だって積んでないのによ、あの可愛い有利がどうなってるのか分かんない国に連れて行かれたんだぞ?どうしてくれるんだ!」

 地団駄踏んで悔しがる勝利を窘めたのは、ヴィクサムではなく蘆花だった。昼寝の最中に異変を察知して駆けつけたものの、間に合わなかった事を悔いているのは彼も一緒であるらしい。

「儒子の兄よ。お前はそうやって悔しがっているだけで良いのか?」
「なんだと!?」
「力を付けて、弟の力になってやろうとは思わないのか?」
「…っ!それが出来るんなら、やってやるさっ!!」

 蘆花の襟首を掴まんばかりにして喚く勝利のすぐ横に、ヴィクサムが静かに佇んでいた。口角から垂れる血を拭いもしないまま、割れた眼鏡を掛けた男は淡々と蘆花に尋ねる。

「私も鍛えてくれ」
「鍛えて、眞魔国に行けるようにまでなったら、またユーリを襲う気か?」
「分からない。だが、二度と…焦って傷つけたりはしない」
「商売はどうする気だ」
「辞める」

 思いの外、決断はあっさりと下された。
 そもそも有利を欲した要因は、あくまで地球の魔族界の中で発言力を強めることであり、魔族のバックアップによって経済規模を更に拡大させていくことだった。

 それが、有利を失った今はどうでもいいような気がしてきた。

『ユーリの他には、何もいらない』

 今になって、どれほどあの少年に焦がれていたかが分かった。色々な理由を付けたり攻略方法を思案したりすることよりも、ヴィクサムはただ心から告げていれば良かったのだ。何物にも代え難いほどに愛しているのだと。

 それで報われないのだとしても、無茶な魔力を使ってまで抵抗されることはなかったろう。

『私は、馬鹿だ』

 生まれて初めて自分を愚か者だと感じるが、そんな後悔の中に生涯浸っていられるほど、ヴィクサムは後ろ向きな男ではなかった。

『ユーリ、また必ず君に会う。今度は焦らずに、じっくりと時間を掛けて君を愛しているのだと理解して貰うからなっ!』


 拳を痛いほど握り込みながら、ヴィクサムは愛しい人の消えた空を睨み付けた。






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