「私もいますよ、ユーリ。ああ…可哀相に、何て姿でしょう!ウェラー卿のかわりに私が抱きしめて差し上げたい…。それにしても…剥き出しの腿が美味しそうですね」

「…確かに、酷い有様だね…渋谷。まさにあられもない姿だ」

 エルンストのいたわりという名のセクハラ発言と、村田のからかいという名のセクハラ発言は共に有利の頬を真っ赤に染め上げたが、有利を優しく抱え込むコンラートには解った。

 この二人…ことに、村田健の内心が烈火の如き怒りで満たされていることに…。

 

 

『全くね…渋谷、君はそういう扱いを受けるところだったわけだ?』

 村田の瞳は冷然と檻の中を見やり、呻(うめ)きながら拷問と同義の愛撫を受け続ける生贄達に眉根を顰めた。

 《妖怪は相手を従わせる、陵辱する、殺害するの三種法によって力を得る》…その知識は高柳鋼の一件で村田も知っていたし、弱肉強食が基本思考の彼としては、その事について大した感慨はない。

 

 だが…その行為が渋谷有利に降りかかるというのであれば話は別だ。

 

 コンラートと深い関係になったことは知っている。だが…それでも有利の印象は何ら変わることなく清廉で、村田にとっては澄んだ光を湛えた存在として捉えられている。

 単純で涙もろく、頑張りやで熱い闘志に富む…村田にないたくさんの要素を持つ有利。そんな彼が村田の汚れた部分も含めて赦し、認めてくれていることにどれほど救われてきたのか…きっと有利自身も知らないだろう。

『君を汚そうとする者の存在を…僕が赦せるはずがないだろう?』

  村田は薄く微笑むと、迦陵頻伽に目を遣った。

「ふぅん…目を潰されてるわけだ」

「目が見えぬからといって何事があろうか!これしきの傷、すぐに回復してくれるわっ!」

「今はしないの?」

 いっそ無邪気とも言える口調で指摘され、迦陵頻伽は《ぐがが…》と言い淀む。

「く…この……み、見えぬから何だというのだ!」

「残念だなー、と思ってね?これを見て貰えないなんて……」

 

 村田が指し示した先…そこには、呆然と見守る王城の面々と…壁面で鈍い輝きを放つ巨大な鏡があった。

 その鏡に映し出されているのは今まさに目の前で展開されている情景であったので、有利にはその鏡が迦陵頻伽の操っていた大鏡だということに気付いた。

 おそらく、この情景は土の要素遣いであるエルンストが発信しているに違いない。彼は幻影を操る事ができた筈だ。

「見えないよねぇ。…でも、こうしたらどうかな?」

 村田の目配せを受けたエルンストが小さく頷くと、エルンストは《御意》と呟いて、するすると棘のついた触手で鏡を取り巻き…そして、締めあげた。

 

 ギガァゥァァゥァ…………っ!!

 

 迦陵頻伽の羽根が奇妙な方向に歪み、反り上がった嘴から金属の摩擦めいた絶叫が迸る。 どうやら、あの鏡と迦陵頻伽とは物理的に繋がっているらしい。

「こちらのエロ男はねぇ…君と同じ土系の妖怪なんだよ、迦陵頻伽…」

 色男とは言って貰えないことに軽く苦笑しながらも、エルンストは一層強く鏡を締めあげ…そうすることで迦陵頻伽の苦鳴を一層強めた。

「土…だと…?我は……火の…鳥……っ」

「火の鳥?手塚治虫のあの色っぽい目つきの鳥さんだとでも言うのかい?まあ、迦陵頻伽って名前だけでも随分と大きく出たもんだと思ったんだけどさ…。確かに、君がそれだけの固形物を空に飛ばしているのは大したものだと思うけど、本体は…違うだろ?そろそろ見せたらどうだい?どうせ目も見えなくなったんだ。そんな《触角》をいつまでも後生大事に使うのもどうかと思うよ?」

「き…さま……一体、何者……?」

 よほど真核を抉られたのだろうか…迦陵頻伽の声に焦りが混じり、村田に対する恐怖さえ感じられた。

「僕?僕は渋谷有利の忠実な臣下さ」

「臣下だと…?」

 ざわ…と、村田の周囲で腰を抜かしていた面々が顔を見合わせる。彼らは自分たちが浚ってきた者の本来の価値など何一つ知ることなく対峙していたのだ。

「そう…眞魔国という国の国王にして…歴代最強の力をもつ双黒の魔王…渋谷有利陛下の…ね。彼は、本来君のような下賤の者が手を触れていい男ではないんだよ?」

「同意」

 エルンストの締め上げが一層きつくなり…ぴしりと鏡面に罅(ヒビ)が入る。

「この男は土の要素遣いだと言ったろう?もう、僕らには君の醜い本体など隠しようもなく見えているんだ。ぐずぐずしてないで本体を顕したらどうだい?」

 ボゴォっ!…と王城の壁を貫いて現れた新たな触手が鋭い棘を鏡に打ち付け、罅を食い破るようにして締めあげると…

 …迦陵頻伽の絶叫と、鏡の飛散する音とが同時に響き渡った。

「え…嘘……倒した…の?」

「いいえ…ご覧下さいっ!タカヤナギ…上昇しろ…っ!」

 呆気ない幕切れに有利はきょとんとしかけたが、コンラートは鋭い声をあげると檻の方角を示し、鋼の襟首を引っ張って高度を上げさせた。

 生贄を載せた檻が地中から浮上し始めたかと思うと…ごぼごぼと乾いた大地がひび割れ、盛り上がり、地中から見るも不気味な…触手の塊のような生物が姿を現したのだった。

 籠を背中に載せた様子は亀に似ていなくもないが、辛うじて一際大きな突起部分が朧に顔のように見えるだけで、あとは腕とも足ともつかない触手が無数にうねっている。顔めいた突起に一つだけ在る目のような部分からは赤黒い血が滴り、じゅるじゅると粘性の音を発する触手の群れは痛みに苛立つようにびちびちと大地を叩いている。

「おのれ…おのれぇぇぇ……。我が鏡を、よくも……っ!」

「やっぱりね…それが君の本体かい?ああ…何て気色悪いんだろう!君のその不気味な触手で渋谷にエッチな悪戯をしようとしていたわけかい?」

 迦陵頻伽の怒りなど何処吹く風…村田の声は静かに…だが、敵の怒りも凍えそうなほど冷酷に響いた。

「許し難いねぇ…」

「うぐ…げが……っ!!」

 見ると…土の中から迦陵頻伽の本体と思しき紫色の触手群を閉め出しているのは、鋭い棘を持つ深緑の太い蔓草たち…エルンストの操る触手であった。 

  蔓草はしゅるしゅると迦陵頻伽の身体にとりつくと、本体と共に檻を破壊しようと紫色の触手に絡んでいく。だが…その意図を感じた途端…急に迦陵頻伽の声が勝ち誇ったような色を呈した。

「くは…くはは…っ!恐ろしげな顔を見せてもやはり子ども…結局この生贄達を救うことが大事なのだな!?くははははは…っ!」

「……なーに勝ち誇った顔してんだい?」

「くふふ…分からぬか…そうか……」

 村田の眉がぴくりと跳ね上がる様子に、一発逆転の機会を得たと確信する迦陵頻伽がいやらしげに哄笑する。

「我が檻の中で繋がれたる連中には、我が触手が臓腑まで入り込んでいるのだぞ!無理矢理引き剥がそうとするならば、身体の中から全ての臓腑を引きちぎってくれる!この国の王子が尻孔から口まで一本の触手に貫かれる様を見るが良いわっ!」

 《ひ…っ!》鋭い悲鳴を上げたのは村田…ではなく、その背後で硬直していたニーだった。

「や…め…お止め下さい…っ!ミェレル王子様が…ミェレル王子が死んでしまわれます…っ!」

 ニーは今の今まで、自分がどうして良いのか分からずに唯呆然としていたのだが、いざ目の前で思い人の死を突きつけられたとき、それだけは許容できない自分に気付いたのだった。

 

 清らかで美しい思い人…。

 ずっとずっと忘れたことなど無かった。

 だが…それはいつだって《清らか》な思い人だった。

 

 それがどうしようもなく汚され、辱められたと知ったとき…ニーの心に幻滅が生じたことは確かだった。

 だが…汚されたから、夢を壊すから…いなくなって欲しいとは到底思えないのだ。

『だって…ミェレル様はミェレル様だもの…っ!』

 きっと生きてあの檻から出られたとしても、狼藉を受け続けた屈辱は王子を狂わし、怯えと憎悪に心を蝕まれていることだろう。

 だが…それでも…彼が生きていてくれたことは嬉しいのだ。

『そうよ…どんな形でも、あの方にとっては苦痛にしか過ぎないことなのだとしても…私は…ミェレル様に生きていて欲しい…私の腕で抱きしめて差し上げたい…っ!!』

 ニーはエルンストの作り出した映像鏡から有利の姿を見やった。

 無惨に引き裂かれたドレスの合間から覗く、ほっそりとした四肢や白い胸元がいたいけな少年の痛みそのものに見えて胸が痛むが、彼の身体は…纏うドレスを補ってあまりある力強い腕に包み込まれていた。

 ダークブラウンの頭髪を靡かせる…美麗な青年。彼が、強く深く有利を愛していることが映像越しにも伝わってくる。

『私も…あの方のようにミェレル様を抱きしめて差し上げたい…っ!』

 その心の痛みの千分の一でも和らぐように…どれほど疎まれたとしてもお側にお仕えしたい…!

  その為には、目の前の不思議な少年に懇願するほかないのだ。

「お願いです!ムラタ様…っ!どうか…どうか、ミェレル様のために迦陵頻伽様…いえ、迦陵頻伽への攻撃をお止め下さい…っ!!」

 誇り高い貴族の娘であるニーが跪かなくてはならなかったのは、これまで王族と迦陵頻伽だけであった。

 こんな年端も行かぬ少年になど、普段の彼女なら敬意を払う必要性も感じなかったろう。

 だが…ニーはドレスが汚れるのも厭わず土下座すると、床に額を擦りつけて嘆願した。

「どうか…どうかお願い致します…っ!!」

 しかし…村田の返答は冷淡なものだった。

「イヤだね」

「ムラ…タ…様……」

 にべもない拒絶に、見守る有利の方が《ひぃっ!》と叫んでしまった。

「村田…おい!まさか……っ!」

「まさかだって?君達…寝とぼけたことを言って貰っちゃ困るなぁ…」

 村田の発言対象は有利とニー双方だった。

「攻撃を止めたとして、この迦陵頻伽が生贄戦隊絶賛陵辱中の皆さんを解放してくれるとでも思うのかい?」

「…っ!」

 そう…、そんな筈はないのだ。

 迦陵頻伽にとって檻の中の生贄は大きなエネルギー源であると同時に最大の盾である以上…手放すはずがないではないか。

「それとも君、王子様だけを解放して貰って他の生贄は放っておくつもりかい?」

 く…っと、村田が口元に浮かべたのは明らかな嘲笑だった。

「君の王子様のためだけに何だって僕たちがそんなことをしなくちゃならないんだい?大体ねぇ…こちらは王たる渋谷を浚われているんだよ?その上、あんな女物のドレスを着せられて嬲り者にされようとした…。これほどの国辱はないだろう?」

「でも…でも……っ!このままじゃあ……っ!!」

 コンラートの腕の中で真っ青になって涙を浮かべる有利に対するときだけ、村田の瞳に感情の波が揺れ動いた。

「僕の前にある選択肢は二つだ、渋谷。迦陵頻伽を絶命させるために生贄を見捨てる。生贄が死なないというだけのために迦陵頻伽を見逃す。そして僕は、選択権限が僕にあるのであれば決して後者を選択するつもりはない」

「村田…っ!」

 縋るように叫ぶ有利に向けて、村田は感情を込めずに声を発した。

 その響きは先程までの冷然としたものではなく…ただ、ひたすら静謐(しず)かな声音で、まるで…神官が託宣をもたらす際の声のようであった。

「いいかい、渋谷?僕の前にある選択肢は二つなんだ。君にとっては…どうだい?」

 有利の額に…閃くようにある発想が浮かんだ。

 

 村田は…何かを待っている。

 

 でも…何を?

「君は王だ。僕を服従させることが出来る。だから、君が後者を選択すると言うならば僕は従おう。だが…僕は期待するよ。君が僕の期待を裏切らない男だと…」

「村田…?」

「君が、誰に支えられているのかきちんと自覚している男だと…信じさせてはくれないか?」

 いっそ優しいとも言える声音を感知した途端…

 …有利はいま、自分が為すべき事を悟った。

「どうだ?お優しい渋谷有利…シンマコクの王だそうだな?くふふ…我の知らぬ国だ。どうせちっぽけな国なのだろう?その国の王が、大いなる慈愛に満ちた選択をするのか?さぁさぁ…どうするのだ?」

 いたぶるように迦陵頻伽の嘲りに満ちた声が響くが、有利の表情は静かだった。

 コンラートの胸に身を寄せて瞼を伏せると…意識を集中させ…呼びかけた。

 

 応えて…

 お願い………

 

 俺を支えてくれる人達…

 俺についてきてくれるみんな……

 

 有利の思念対象が明瞭さを増し、力を貸して欲しいと…《ある行動》のための力を貸して欲しいと訴える。

 

『有利…』

『渋谷……』

『ユーリ…』

 

 天羽國の各所に散らばる妖怪…そして、魔族が感応し、有利の力を増幅させていく。

 

『有利…そこか、そこにいるのか…っ!!』

 結界が解けるやいなや大急ぎで天羽國に入り込んだものの、空間をねじ曲げる力に長けた有翼人に阻まれて有利の居場所を見失っていた水蛇(みずち)が歓喜に満ちた表情を浮かべ、一刻も早く有利の元へ集わんと水竜と化して天を飛ぶ。

 

『我が王に、我らの力を……』

 エルンストと村田が頭を垂れ、在る限り全ての力…集い行けと有利に放たれる。

 

『ユーリ…っ!!』

 天羽國の大地に手を突き、この世界の土の要素との共鳴を果たしたグウェンダルが、有利の思念を感じ取る。

 この国の土の要素を従えたせいだろうか?ここまで強く有利の魔力を《声》として感じるのは初めてであったが…グウェンダルは魔力を通じてでいてすら言葉足らずな幼い王の言葉に、苦笑して頷いた。

『そうか…お前は、そうしたいのだな…?』

『うん…』

『なんだ?』

『あの…ね?呆れたりする?』

『何故だ?』

『甘っちょろいとか…思う?グウェンは…こういうときは徹底的に敵をセンメツする派だろう?この期に及んでこの国のことを考えるのは…偽善的だと思う?』

 有利の不安の意味が、グウェンダルには胸に刺さる。

 彼を捜し求めて彷徨うあいだ感じ続けた懸念…《統治能力のない少年》とのグウェンダルの言葉を、有利が真に受けているのではないかとの疑いはまさに恐れていたとおりであったらしい。

 主に負けず劣らず、ある意味で《言葉足らず》なグウェンダルであったが、敢えて言葉を飾ることはしなかった。ただ…短い文節で表現しきれるようにと、想いだけは存分に込めた。

『お前の信じた道を進め』

『グウェン…』

『私はお前の臣下だ。かつては、その事を忸怩たる思いで受け止めたことがあるのは事実だ。だが、今では…私自身がお前の臣下でありたいと願い、その座にいる』

 グウェンダルの言葉は彼独特の響きの良い声質を反映させるように…低く…熱く、伝わってくる。

『私の王は…私が王と認める男は、唯一人…お前だけだ。ユーリ……』

 

 《王よ》

 《我が王よ…》

 

 声音には、言の葉にのせた以上の信頼と愛情とが満ちていた。

 フォンヴォルテール卿グウェンダルの、無骨な…だからこそ嘘や虚飾のない想いが、ありのままに響いてくる。

『うん…うん……グウェン。わかった…っ!』

 涙ぐむ気配が伝わったのだろうか?

 グウェンダルが離れた地で、くすりと笑ったような気がした。

『俺…いまなら、何でも出来る気がするよ…っ!!』

 大切な人に、認められた。

 誰よりも尊敬しているからこそ…認められていないのではないかという恐怖に心が揺れ、自分の無能さを呪ったこともある。

 その人が…有利を、唯一人認める王だと言ってくれた…っ!

『嬉しい…っ!』

 素直な歓喜の想いが大気に大地に響き渡り…沢山の要素と結び会って増幅していく。

 

『有利…』

『有利様…』

『ユーリ……』

『渋谷…』

 

 どうどうと風が逆巻き…

 …熱波がその流れに乗り

 大地が鳴り…

 …水の粒子が震える。

 

『さあ…応えて……っ!』

 

 リィン…

 リィィインンン………っ!

 

「な…何……!?」

 迦陵頻伽の粘質な濁音を掻き消すように…鈴の鳴るような美しい共鳴音が天羽國を満たしていく。

 

 その音の中心にあるのは誰在ろう…渋谷有利であった。 

 

『ユーリ…』

 コンラートは、自分の腕の中でトランス状態に陥り…深く要素と結びあう有利に慈しみに満ちた眼差しを送った。

 こんな時、コンラートには直接的に有利の力になることは出来ない。だが…彼が支えているからこそこの身体は《呼びかけ》にこんなにも無防備に集中することが出来る。

 それは…有利の、コンラートへの信服の証に違いない。

『俺は…俺の為すべき事をしましょう。あなたが今、そうしているように…』

 

 リィン…

 リィィンン……っ

 リィィインンン………っ!

 

「なニをシている…」

「キさま……」

「ナ…ニをシていル……!?」

 迦陵頻伽の声が、奇妙に分離していく。

 もともと、霊鳥の名をもつにしては奇妙に割れた声を持つこの妖怪は、いまや高低大小定まらぬ、出鱈目な音階で発声している。まるで、異なる楽器で一つ一つの音を鳴らし分けているような…奇妙な音の分離。

 その分離が、有利の共鳴が進むに連れて一層顕著になっていく。

 

 まず、生贄達の体腔に忍び込んでいた触手が蠢くことを止め、妙にしずしずと孔から抜け出ていき…檻を構築していた壁が、ずるずると解けていく。

 そして…檻の崩壊を食い止めようと持ち上げた本体部分の触手が一本、ぼとりと地面に落ちた。

「う…ワぁアああ……」

「ぅうぁあああウア……」

「ァアああぁぁぁぁぁぁ……っっっ!!」

 迦陵頻伽の声は今や千々に乱れ、調子はずれな悲鳴が妙なおかしみすら感じさせる音程で放たれていく。

 

 ぼと…

 ぼとぼとぼと……っ!

 

  もはや、迦陵頻伽を一つの個体として認識することは極めて困難な状況であった。

 触手達は死に絶えたわけではなく、一つ一つのパーツをみればそれなりに元気なのだが…いまや互いを繋ぐ力を失い、見る見るうちに分解されていくのである。

「これは…一体……っ!」

「渋谷の力さ。彼が…呼びかけているんだ。迦陵頻伽という妖怪を構成する、要素の一つ一つにね」

 呆然とへたり込んだまま信じがたい光景を目の当たりにしているニーの傍らにひょいっと座ると、村田はごく親しげな口調で語りかけた。

 その表情には先程までの冷酷さはなく、普通の高校生があまり馴染みのない…けれど、交流のある姉妹校の女子生徒にでも話しかける様子であった。

「ユーリ様…の…?」

「うん、渋谷はね…その気になれば凄まじく破壊力を持った魔力をふるうことが出来る。彼に従う四大要素も相当攻撃性の強い連中ばかりだしね」

「ですが…あの力は……」

「そう、破壊じゃあないんだよ。呼びかけているんだ。もともと、あの迦陵頻伽っていう妖怪は、一個の生命体じゃあない…。複数の生命体が寄り合わされて強力な機能を持つに至ったものだったんだ。本体は餌のエネルギーを吸いながら地中で暮らす生命集合体…鳥部分は後から特殊化した器官のようだけどね。それらの個々に呼びかけることで、分離させたのさ。統合する立場…人間で言えば脳に当たる部分だけは雑念が多すぎて従わないみたいだけど、余計に悲惨なことになってるようだね」

 村田の言うとおり、迦陵頻伽は見苦しいほどに藻掻き、情けを乞い…自由が利く触手を大地に這わせて有利に詫びを入れているが、呼びかけに集中する有利には伝わっていないようだ。

 それどころか、有利に従うようになった触手達が挙って迦陵頻伽の《脳》にあたる器官を攻撃し、締めあげていく。

「何故…渋谷が破壊の力を使わないか分かるかい?」

「……あの方が、お優しい方だから…ですか?」

 破壊して、後腐れ無く立ち去ってしまえば事は簡単だ。

 彼には本来、それが出来る。彼は純然たる被害者であり、加害者たる天羽國の連中がどうなろうと知ったことはないし、他国の生贄に対しても何の責任もないのだから。

 だが…彼はそうしようとはせず、全身全霊の力で要素と共鳴し、迦陵頻伽を殺すのではなく、千々に分離させようとしたのだ。生贄を傷一つつけることなく解放するために…。

 おそらく、その方が遙かに有利の消耗は激しいだろうに…。

「そうさ」

 村田の黒瞳は濡れたように光り…柔らかい笑みを湛えて友人の姿を見守っている。 

 その様子は至極満足そうで…幸福感に満ちていた。

「彼のやり方は僕のルールブックにはない。迂遠で…苦労ばかりが多くて、自分の利益になるところが少ない。だけどね…僕は、彼のああいうやり方が好きで堪らないのさ。そんな彼を無償で支えてやりたくなる自分ってものを、好きでいられるからかな?」

「羨ましい…です……」

 ニーの尊敬する…いや、《していた》国王は、民の幸せのために迦陵頻伽と契約を交わし、確かに数百年の繁栄をもたらした…だが、その幸せは無数の生贄の犠牲の上に成り立つ奇形の果実であり、その旨味を吸い続けた民は今、罪科をその身に背負わねばならないのだ。

「君の国に今から何が起こるかわかるかい?」

「ユーリ様は、生贄になられた方々を解放されるでしょう…そうなれば、我が国で何が行われていたのか…我が国がどうなっているのか全て知られてしまう。間違いなく、報復の攻撃が随所からし向けられることでしょう。そして、それを防ぐに足る結界はもうない…。我らは、我らの脆弱な防御力と結界とで小さく纏まって…全滅を防ぐほかないのでしょうね……。鳶種を縛る寄生生物はユーリ様に無力化されたようですから、もはや白羽族に頭を垂れる必要はないでしょうし…」

「ご明察。君はなかなか察しが良い」

「……恐れ入ります」

 素直に頷いて良いのかどうか解らない。村田の称賛には、何か裏があるような気がするのだ。または、何かを試されているような…。

「さぁて…あとは、その事をあの連中が理解しているかどうかだ」

 村田の指し示す先には、腑抜けたままの国王とその臣下達がおり、我に返った幾人かはぎょろぎょろと目線を遣り取りして、この責任を誰に委ねるべきなのか…自分は誰の尻馬に乗れば効率的に生き延びることが出来るのか探し求めているようだった。

「……我が国では、他国からの侵略に対しても、身内の闘争に対しても…国王の存在と、その発言力を支える迦陵頻伽の絶大な力によって調整されてきましたから…誰も、この状況の責務を果たそうとする者が居ないのですわ。その能力を持つ者も…」

「そのようだね、では…君はどうする?」

「私…ですか?」

「今すぐには解らないだろう。だが…君はいまから渋谷のやることをよく見ておくと良い。そして…君が何をすべきなのか考えると良いと思うよ」

「何を…すべきか……」

 ミェレル様をお守りしたい。

 その事だけは明確に定まっている。

 だが…物理的に何をしていけばいいのかになると、まだそこまでの発想はニーにはないのだった。  

『ユーリ様のなさることを…見ておけと…?』

 だが、ニーには有利のように強力な力はない。

 頼みになる妖怪の助力や、力強い恋人の腕もない。寧ろ、ニーは廃人と化しているだろう思い人を介護していく立場なのだ。

 どうすればいいのかやはり解らない。だが、解らないながらもニーはじぃ…っと視線を有利に送り続けた。

 唯一人…ニーに光明を与えてくれるかも知れない人に。

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あとがき


 今回はわりと早めに続きをアップできました。
 とりあえず、次で天羽國の話は一段落つけて、学校に帰ろうと思います。殆どの方が忘れているような気がしますが、この話、文化祭直前の話です。

 ただ、学校に帰る前にコンユのえち話を書きたい気も…。
 何となく筆の流れで、迦陵頻伽に「清らかな子だけ狙ってたのに、コンラッドとやりまくってるっぽい有利浚っちゃった」みたいな事を言わせたので、これはコンラッド的には「もっと濃密にやって《俺のです》という印をつけておかなくてはいかんか!?」という気になるんじゃないかと…な、なりませんかね!?

 つづきもぼちぼち書いておりますので、なんとか10万打までにあと2話くらいで終われそうな感じです。

 ラストに向けて感想や励ましなどございましたらお願いします★