第7話 檻 『コンラッド…コンラッド……っ!!』 鏡の中から飛び出した夥しい量の怪鳥に、有利は青ざめた頬を掻きむしった。 『畜生!幾らコンラッドとヨザックでも、二人だけじゃあんな量の気色悪い鳥…追い払えないよっ!』 有利の焦りを感じたのだろうか?チャスカ王はゆったりと微笑み…優雅な足取りで有利に近寄ると、するりと肩に手を回した。 「おや…寒いのですか?震えてらっしゃる…」 「……っ!」 き…っ!と上目づかいに睨み付けても、よほど余裕を感じているのだろう…チャスカ王の言葉には上位者独特のゆとりがあった。 「気になりますか?あなたの騎士が」 「当たり前だろ!?」 「それはそうでしょうね。あなたは護られるべき姫君だ…騎士の身を案じて朱唇を噛む姿は一幅の絵画のように美しい。ですが…あなたには更に取り乱し…泣いて頂くことになろう。あなたの騎士を、私は殺めてしまうかも知れないのですから…」 「あんたがやる訳じゃないだろうが!一対一ならコンラッドが負けるもんかっ!!」 「そうでしょうね。ですが、あなたがどう思おうとも私は王なのですよ。この国体の中枢に立つ男です。…であれば、この国に纏わる力が勝利を得れば、それは王たる私の勝利ということになるのですよ…」 チャスカ王が傲然と言えば流石に威風堂々とした風情が漂い、有利は自分の不利を悟らないわけにはいかなかった。 「……っ」 悔しい。 それは、確かに当然のことなのだ。 有利もコンラートへの個人的な感情と勢いとで言っただけで、大昔の武将ではあるまいし、一対一でなければ卑怯などと主張する根拠はない。 『でも…でも……っ!コンラッドは…負けないもんっ!!』 子どものように地団駄踏んで言えたらどんなに楽だろう。 でも…見てくれはどうあれ、内在する精神は結構な成長を遂げているこの渋谷有利としては、それがどれだけ見苦しいことかは理解できる。 心の方がどう思うかは、また別の問題なのだけれど…。 「さあ…迦陵頻伽様のお心遣いですよ…。姫、あなたの騎士が火噴き鳥に屠られる様をご覧下さい。あなたの涙の雫が…死後の世界でも騎士の喉を潤しましょう……」 「……く…っ」 年齢のわりに強靱な指が有利の細い腕に食い込み、抵抗を許さぬ果断さで大鏡の前に引きずっていく。 鏡の中に映し出されているのは、天を埋め尽くすような怪鳥の群れ…そして、白銀の大狼に騎乗した二人の男の姿だった。 『コンラッド…ヨザック……っ!』 姿を見るだけで涙が溢れそうになる。ほんの数十時間会えなかっただけだというのに、もう幾星霜の時を経てしまったような感慨がある。 有利の大切な…愛おしい人達。 彼らの元へ、嘴(くちばし)から邪炎を噴き上げ…威嚇的に鉤爪を打ち鳴らす異形の鳥達が襲いかかっていく。 ぎゃぁぁぁぁぁぁ………っっっ!!! 劈(つんざ)くような…聞き苦しい奇声が迸ったとき、有利にはそれが…怪鳥達が獲物を引き裂く悦びによってあげた嬌声なのだと思った。 だが…思わず顔を伏せてしまった有利の周囲で異様な声音がざわめく。 それは、醜悪な惨劇に眉を顰める良識家の声などではなく…… …明白な、落胆と驚愕の声だった。 * * * 奇声をあげながら飛来してきた怪鳥が、獲物の姿を視覚に捕らえたのか…一斉に陣形を整えだした。 「おいでなすったぜぇ…」 「ああ…」 ヨザックの声にコンラートの返答が寄越されるが、互いに会話を意識することはない。 彼らの間に流れるのは馴染みのある空気だった。 かつて…彼らは戦場の雄として血煙の中に在った。いまもまた、同じように佇んでいる。 いや、完全に同じ…というわけではないが、その違いは好ましいものだった。 「へへ…妙なもんだね。アルノルドよりも不利なくらいの戦況だってのにさ…俺は奮い立ってしょうがないんだよ。前みてぇに、何で自分が闘うのかなんて余計な理屈を捏ねなくても良い…えらく単純な理由のために、闘いてぇと思えるなんて…」 今の彼らには、護りたい対象が明確に存在する。 その事の、何と幸せなことだろう。 だが…同時に彼らは別のことも知っている。その護るべき対象に万が一のことがあったとき、自分たちは全ての希望を失うのだと。 だからこそ撤退は許されないのだと思えば、流石のヨザックも口数が多くなってしまうというものだ。彼には、緊張を解すためについ喋ってしまうという癖がある。 「えらく饒舌だな。ヨザ」 「うるせぇな…こんな時に無駄口一つたたかねぇあんたの方が変態なんだよ」 くす…と唇の形だけで笑い、コンラートは示し合わせたとおり…ヨザックの帯剣、火の要素から成る胡蝶に合図を出した。同時に、自分の剣である凍鬼にも…。 『来い…』 誘いかけるようにコンラートが呟いていることなど知るよしもなく、紡錘状に羽根をたたみ込み、天を斜走する紅い鳥達は夏の流星群を思わせる迫力で降りかかってきた。 自らの優越を信じて疑わない怪鳥群にとって、目の前の男と獣達は敵対者などではなく、純然とした獲物…肉塊に過ぎなかった。 自分たちの身体を、凍てつく矢が貫き…次いで、体内から爆炎が上がるまでは…。 ぎゃぁぁぁぁぁぁ………っっっ!!! 耳障りな絶叫が天地を揺るがすが、勿論…声の主はコンラートやヨザックではなかった。 「これは…一体……」 どうなることかと息を呑んで状況を観察していたトーリョ達が呆気にとられて目を見開いた。 先程まで、あの二人の男達の武器は長剣のみだったはずだ。それが…鳥達が襲いかかって来るや、オレンジ髪の男が持っていた剣が霧散し、代わりに現れた一対の弓と矢立を持つと、二人はそれぞれに攻撃を始めたのだ。 また、コンラートが所持していた剣も姿こそ変えないものの独自に動き、男達から離れた場所で震え始めた。 コンラート達は一度に数本の矢を弓に掛け、隆と唸らせる勢いで引くと一気に射出する。そして、その矢へと冷気が絡みつく。これは、コンラートが所持していた剣…凍鬼から放たれたものであった。 外層を冷気に凍らされ、内腔に胡蝶の烈火を仕込んだ矢は次々に怪鳥を貫き、爆炎をあげて飛散させていく。しかも…それらの動きは一瞬にして数十箇所で発生しているのだ。 天を埋める勢いであった怪鳥達は我が身を無惨に飛散させ…見る間にその数を激減させていく。 紅い蝶は集合体として機能することも出来るが、元来は一羽ずつ分離して自動性を持って動く妖怪である。ただし、単体では蝶だけに流石にスピードがないのがネックなのだが…それを、コンラートは矢として使うことで補った。 矢として射出されれば速度も増し、更に通常の矢とは異なる独立した生命体であるため、一本一本が自分の意志で方向を修正することが出来る。空中で多少鳥が動いても、追跡ミサイルよろしく追いかけて貫いてしまうのだ。 しかも、怪鳥を射た後は蝶の姿に戻ってひらひらと舞い、コンラートやヨザックの矢立に戻ってくる。矢が尽きることのない弓使い…空中戦において、これ程たちの悪い敵がいるだろうか? 射手達が機動力の高い白狼族に乗っている事も有利に働いている。鳥達が陣形を組んで突撃しようとしても、機敏に動く白狼族が焦点を定めさせてくれないのだ。 「あれは…初めて見るが、迦陵頻伽様の秘蔵の怪鳥群ではないのか?俺達の父祖の時代に、姫君を取り戻すために結界を越えてきた戦鬼族を火炙りにしたと聞いたことがある。…それが…狩猟される小鳥のように呆気なく……。第一、あの矢は火の要素だろう?同じ火属性の怪鳥に、何故あれほど効果があるのだ!?」 「俺に聞くな俺に…。だが、おそらくは…あの茶色い髪をした方…ああ、そうだ!俺はあの方の名前も知らぬ…っ!」 見やれば、次々に爆裂していく鳥の様子に狂喜するでもなく…コンラートは冷静に弓へ次なる矢をつがえると、怪鳥の密集する区域を狙って見事な射出を見せている。しなやかに背を逸らし、弦を張るその姿…凛とした横顔は見惚れるほどに美しく、場所が場所でなければ雅(みやび)な雰囲気さえ感じられたに違いない。 「いや、お前…今はそんなことは置いておいて…」 すっかりコンラート贔屓になってしまったトーリョに呆れたような眼差しを送りつつも、鳶(とび)種の仲間は苦笑せざるを得ない。 いやはや…あのような手法で自分たちが射られる立場であれば、こんな風に笑っていることなど出来なかった。華海鼠を屠った大技から一転し、千々に散開する敵を殲滅するための手法をあの短時間で編み出すとは…あの男、一体何者なのか? 「うむ…そ、そうだな!おそらく…あれは、あの方の帯剣が氷の属性を持っていることが一因なのだろう。怪鳥は確かに火の要素を持っているが、敵を灼く炎で自分を炙(あぶ)ってはどうにもならん。だから、火を吐く嘴や外層は非常に火に対して強固であるはずだ。だが…その内腔までは保護している訳ではない。そこへ凍った矢がねじ込まれ、その氷が溶かされると同時に矢の火と怪鳥の火とが反応して爆発する…そんな所ではないのかな?」 「……それを、初めて戦う敵相手に方策したというのか?予備知識など一切無いはずなのに…」 「だが、あの方は事実そうやって戦っておられる」 トーリョの瞳は既に敵を見るそれではなく、畏敬の想いを込め英雄を称賛する少年のものだった。 「…なぁ…あの方は、戦の天才なのではないだろうか?」 戦況に柔軟に戦術を合わせ、どんな装備・環境の中ででも最善の闘いを展開できる…彼こそまさに、尊ぶべき英雄…敵と味方の双方に畏怖と敬愛をもって迎えられる、戦場の天将なのではなかろうか? 「おいおい…トーリョ…戦うべき相手だぞ?」 「だが…素晴らしい方だ。俺は…あの方と正々堂々戦ってみたい。だが…同時に、あの方の元で戦うことが出来ればどんなに幸せなことだろうと思うんだ…」 「おい…っ!」 トーリョの入れ込みように、流石に仲間の眉目が眇められる。 彼の気持ちには理解できるところもある。だが…鳶種にそのような選択権限はないのだ。 「トーリョ…お前、忘れたわけでは……」 鳶種の男が言いかけたとき…事態は新たな展開を見せ始めた。 殆どの怪鳥が撃墜された空に、憎悪に満ちた影が広がりだしたのだ。 蜷局(とぐろ)を巻くような暗雲がぐるぐると渦をなし…回転し…地響きのような音が殷々と大気を震わせる。 渦の中心から、さぁ…っと紅い閃光が奔り、どんどんその強さと光量を増していくと…大気の歪みを掻き破るようにして、一羽の巨大な鳥が姿を現した。3対の翼と、人間のような1対の腕を持つ巨大な鳥は全身を赤い羽根に覆われているが、頭部から背筋に掛けて鬣(たてがみ)のような鶏冠(とさか)のような…海獣の鰭(ひれ)のようにも見える突起を出している。 「う…っ!」 鼻を突く異臭にトーリョ達が顔を顰める。 何かが酷く腐敗したような臭気。しかもそれを掻き消すように強い香水でも蒔いたかのような、濃い華の香りがする。 これにはコンラート達も鼻を顰めた。 「くっせぇ…っ!」 「くそ…新手か!?」 毒づきつつも、コンラートは何事も見落とすまいと懸命に目をこらした。 トーリョに賛嘆された将才も、彼が思うように易々と沸いて出てくるわけではない。コンラートにはコンラートの限界があり、数少ない素材の中から《本当にこれで良いのか?》と、疑問を持ち、不安を感じながらも…作戦を組み立て実行に移しているのだ。 先程も、胡蝶と凍鬼をあのような形で使うことが本当に効果を為すかどうか確信があったわけではない。もしかしたら大はずれの結果によって途方に暮れていたかも知れない。だが、そうだったとしてもそのまま呆けているつもりはなかった。その時には次なる手を考えようと精神を研ぎ澄ませていたのだ。 コンラート・ウェラーは、そうやって今日まで生き延びてきたのだから。 よって、この大型の鳥を目の当たりにしたときも、驚きはあっても絶望はなかった。 息が絶えるその瞬間まで、コンラートの脳は有利を救うために作動し続けるように出来ていたから…絶望している暇などない。 だが…その鳥が手にしているものを認めたとき、一瞬ではあるが…冷静さを失い掛けたのは事実だった。 「……ユーリっ!」 そう、鳥の腕の先…鋭い5本の鉤爪が掴んでいるのは、華奢な体躯を青い雛罌粟(ひなげし)のようなドレスに包んだ渋谷有利…コンラートの主君たる…唯一人の愛おしい存在であった。 * * *
時はやや戻る。 「迦陵頻伽様の御鳥が…墜とされていきますぞ!?」 「なんと…何という非常識な…っ!火の要素で火の鳥を墜とすなど…五行の戦法に反しますぞ!?」 鏡の前で狼狽する臣下達を抑えようと、チャスカ王は手を翳す。だが…ざわめきは止まらなかった。チャスカ王自身が蒼白な顔色を呈し、唇を戦慄かせていればそれも当然だろう。 『コンラッド…やっぱ、あんた凄ぇやっ!』 有利はというと…またしても自慢したい思いにうずうずと足下が跳ねそうになってしまっていた。ぴょんぴょん飛び跳ねて悦びを露わにし、コンラートを映すあの鏡にキスしてやりたいくらいだ。 先程までコンラートの身を案じて蒼くなっていたことも忘れてしまいそうなくらい有利は浮かれていた。 だが、当然有利が喜べば相反する陣営に身をおく者は激怒に身を灼くほかない。 それは鏡の中で超然としていた迦陵頻伽にとってもそうであったらしい。 「おのれ…おのれ……っ!!」 逆らう者が自分の想定外の動きを見せるとき、この神と称される妖怪は存外自制心がきかぬ達らしい。憤怒の炎を鏡から放出させ、危うく近場にいた年嵩の大臣を燃やしそうになっていた。 「こうなれば…っ!!」 ズアァア……っ! 「ひ…っ!」 壁づけされた大鏡から突如伸び出してきた鳥とも人とも知れぬ…赤い羽根を纏った腕状のものが伸び出してきたかと思うと、有利の肩と腰とをむんずと掴み凄まじい力で引きずり寄せた。 「ぅわ…な、何だよこれっ!?」 有利が必死に羽を毟り、引きはがそうとするが…引きずる力は強く抗う術はなかった。 「迦陵頻伽様…!ひ、姫をこんな時期に招かれるのですか!?儀式は…」 王や臣下…殊に、僧侶か呪術者かと思しき面々が血相を変えて鏡に詰め寄ったが、迦陵頻伽の声は鋭く侮蔑に満ちたものだった。 「儀式だと?平和惚けした虚(うつ)け者共がっ!ここまで敵の侵入を許しておいて何が儀式かっ!その様なことだから、我がおらねばお主らは惰弱な妖怪種として他の強靱な種族にひれ伏し、略奪され、陵辱を受けても刃向かうことさえ出来ぬ存在でしかないのだっ!こんにちまでこのような栄華を楽しめたのは誰のおかげだ?我に意見具申など…身の程を弁えよっ!!」 「迦陵…頻伽様……」 有利が聞き取ることが出来た遣り取りはここまでだった。 鏡を覗き込んだ途端…迦陵頻伽と目が合い、くらりと目眩を覚えたのだ。 『そういえばあいつ…目を、見るなって……』 この王城に連れてこられる前に、落下した有利を助けた鳶種の囁いた言葉… 『迦陵頻伽様の目を…見るな』 折角助言をしてくれたのに、役立てられなかった…。 悔しさよりも申し訳なさを感じながら…有利は身体の力が抜けていくのを感じた。 * * * 「ん……」 ひく…と顎を逸らし、呻(うめ)く様が遠目でもコンラートには見て取ることが出来た。ほっそりとした身体に食い込む鋭い鉤爪が、コンラートの焦燥をいやがおうにも煽る。 「ユーリ…っ!」 「うげ…ありゃあ、坊ちゃんじゃないか。どーするよ隊長…。さっきと同じ戦法であの鳥が爆発なんかすりゃあ、坊ちゃんも無事じゃいられねぇかも知んないぜ?」 「…分かってる!」 鋭い声が余裕の無さを物語っていて、それが自覚されるだけに…コンラートの頬には羞恥の紅が掃かれる。 有利を浚われている以上このような事態は十分に考えられたことなのだが、それでも、こうして彼の肉体に鋭い爪を突きつけられれば穏やかな心地でなどいられない。 「あれが、あの方が取り戻しに来られたという少年?」 どうなることかと固唾を呑んで見守るトーリョ達は、互いにさわさわと囁きあう。 英雄然としていたコンラートの突然の動揺もだが、彼が取り戻そうとする《少年》の姿にも驚きを隠せない。 「…あれは、どうみても……」 可憐な少女としか思われない。 愛らしい容貌と華奢な体躯。雛罌粟のような青いドレスから覗く細い腕や頚が力無く垂れる様は庇護欲をそそり、それが恐ろしい鉤爪に掴まれている様子には、浚った側の立場であるトーリョ達にも申し訳なさがわいてくる。 鳶種には《乙女》を浚う部署もあるが、トーリョ達は万が一の侵入に備えて警備に就くという役回りであり、儀式がどういった意図の元で行われているのかも全く知らされていない。 それに…元来、武人的な性格を持つ鳶種にとっては外界から年端もいかぬ者を浚って来ること自体に良い印象は持っていない。その事も手伝って、トーリョ達の想いはついついコンラートの側へと同情的になってしまうのだった。 『あのように可憐な少年を、迦陵頻伽様や王様は一体どうなさるのだろうか?』 そういえば…外界から連れてくるだけではない。時折、迦陵頻伽は天羽國の住人も《乙女》として徴集することがあった。しかも…数年前には王の長子であるミェレル王子が《乙女》に選ばれ、王はそれを受けた。 王は仁慈に篤く、王子への愛情も深いと評判だったから、これには国民全てが頭を垂れ…《流石はチャスカ王、我が子でも分け隔て無く迦陵頻伽様に捧げられるとは…》と、尊崇の想いを強くしたものだった。 『だが…俺達は、王子様やその他の《乙女》らが一体どうなってしまったのか全く知らない』 これまで習慣的に続けてきたこの《乙女》を捧げる儀式がどういう意味を持つものなのか、トーリョは初めて不思議に思った。 「侵入者よ…お主らの目的はこの少年か?」 殷々と響く声は高い音域と地響きのように低い音域とが同時に混じり合う、奇妙な声であった。迦陵頻伽とは本来《阿弥陀経》に出てくる想像上の鳥で、浄土で仏の教えを歌う半人半鳥のことだが、その名に反してこの鳥からは禍々しい存在感が発せられている。 コンラートはちらりと迦陵頻伽の様子を伺うと、くら…っと頭の芯が眩むのを感じた。 奇妙な事に…膝をついてしまいそうな畏敬の念が胸の奥から突き上げてきて、コンラートを平伏させようとする力を感じるのだ。だが…これは迦陵頻伽の威光に感じ入ったためではないのは明白であったので、コンラートは素早く視線を外すと、同じようにふらついているヨザックの肩を引き寄せた。 「あの鳥の目を見るな…多分、催眠か何かを使う」 「結界に催眠か…厭な技を使うねぇ…。イヤらしさでいくと、あんたと同じ顔の土の要素使いと同系統の技かい?」 「そうだな…火を噴く鳥を使うからてっきり火属性の妖怪かと思ったが…寧ろ、土系と考えた方が良いのかもな」 「おい…お前達、我の声が聞こえておるのか?」 視線を逸らし、ひそひそと囁き交わすコンラートとヨザックに、迦陵頻伽は焦れたような声を上げる。相当、無視されるのが嫌いな達のようだ。 「聞こえている。…で、その子を返してくれるとでも?」 無理だろな…とは思いつつも、一応聞いてみる。 「無理だ」 答えは簡潔で、当然といえば当然のものだった。だが、それに続く言葉がコンラートの逆鱗に触れた。 「この少年…渋谷有利には我…迦陵頻伽に仕えて貰わねばならぬのだからな」 陶然としたその声に、ぴくりとコンラートの眉が跳ねる。 「仕えるだと…?」 ぎり…とコンラートの奥歯が軋りあう。 『眞魔国歴代の魔王の中でも髄一の魔力を誇り、天上に瞬く星々よりも光輝在る身を…仕えさせるだと…?』 「鶏ガラの分際でユーリを仕えさせるなど…。貴様…スーパーで賞味期限ぎりぎの在庫処分品として廉価販売しても売れ残り、《50円引き》の札を貼付されそうな卑しい肉塊の分際でよく言ったものだ…っ!せめてs単価が100円を越えてから言うが良い!!」 憤りのあまり、心中の声が思わず口をついて出た。 罵倒が妙に細かく所帯じみているのは地球暮らしが長くなったからなのか…。妖怪たる迦陵頻伽にぶつけるにしてはあまりにも不適切なように思われるが、とにもかくにもこういったものは気持ちが伝わればいいのである。 「鶏ガラというたか…っ」 部分的に意味は通じているらしい。 よって、罵倒としての機能は十分には果たしているようだ。 「貴様…己の立場が分かっておらぬようだな?我は迦陵頻伽…この天羽國を統べる神にも等しい存在な……」 「知るかっ!!」 怯えも平伏もしない…のは、ともかくとして…最後まで話を聞こうとさえしないコンラートに迦陵頻伽は戸惑ったように鼻白んだ。 こういう場合、対峙の仕方にも礼儀作法というものがあるではないか。何故こうもこの男は空気を読まないのか…。 それは、ウェラー卿コンラート…彼が、有利に関することでは概ねKYになる男だから…というのもあるのはあるのだが、彼のために弁解させて貰えば、これも戦術の内の一つなのである。 何しろ、相手は催眠を使う妖怪らしい。…となれば、なるべく問答はコンラートのペースで展開しておいた方が良い。無意識のうちに声や視線で絡め取られてはたまらないからだ。 これもある意味、一種の頭脳戦(?)と言えよう。 「く…こ、この……っ!」 「ん……っ」 会話の間合いを掴みかねて迦陵頻伽が言葉に詰まっていると、鉤爪の中で有利が意識を取り戻した。 「ユーリっ!!」 「コン…ラッド……」 鉤爪の間だから伸びる指先が、切ない思いを込めて宙を掻く…。 潤む黒瞳は、捕獲された我が身よりも愛する男の身を案じて眇められ、紅を差した形良い唇は、狂おしいほどの想いを載せて男の名を呼ぶ…。 白狼族の背から見上げるコンラートもまた、同様に熱く有利を呼ぶのだった。 見つめ合う視線の甘さに、迦陵頻伽はにやりとほくそ笑む。 「くく…そうか……お前達、唯の主従ではないな?恋情絡みか…」 自分を手玉に取る程の男の意外なほど純な眼差しに、弱点を見いだしたと知った迦陵頻伽は嬉しそうにほくそ笑んだ。 そして大きく翼を羽ばたかせ…旋(つむじ)風をおこすと、煽られるようにして大地を覆う土塊がぼこりと剥がれ…植物と思しき触手の群れがうねうねと厭らしく蠢きながら浮上してきた。 それは…巨大な《籠》…いや、触手が絡み合い、均等性はないものの格子状を呈するその壁から考えて…それは、《檻》と呼ぶに相応しいものであった。 深緑から紫の色調を持つ禍々しい色彩の、檻。 その檻が捕らえている者達の姿に…外界からの来訪者は、いや…この世界の住人たる鳶種ですら…絶句した。
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