朧にたゆたう画面のなかで、ゆっくりと像を結ぶ情景があった。 荘厳な装飾を施した…大広間。 豪奢なシャンデリアがきらびやかな質感の明かりでもって、食卓…と呼ぶには語弊があるほど大きなテーブルと、そこに集う人々を照らし出す。 テーブル上に整然と配置された食事群は彼らの身分にそぐう豪勢なものであったが、漂う空気は極めて冷えたものであった。 『ここは…そうか。血盟城の大広間…』 フォンヴォルテール卿グウェンダルは、自分が夢を見ているのだと自覚した。 『あの頃の…夢か』 第三者的見地に立ってあの情景を振り返るというのも奇妙なものだ…と、グウェンダルは夢の中でまで眉間に皺を寄せていた。 「えー!?」 その時…居心地悪そうに食卓を囲んでいた眞魔国重鎮の前で、素っ頓狂な声を上げた者がいた。 「俺が王様ぁ!?」 異世界からやってきたばかりの少年…シブヤ・ユーリは、漆黒の瞳をこれでもかと言うほど見開いて絶叫した。 《この子どもはどうやら、『二代続けて』やる気のない王になりそうだ》 冷厳な《声》が、グウェンダルという器の中で反響した。 『そうだ…私はあの時、確かにそう感じていた』 当時の想いが現在のグウェンダルとシンクロしていく。 「あらあら…今度の魔王陛下はやんちゃさんねぇ」 かつて… 《もっと真剣に国政に携わって下さい!》 そう何度も嘆願する長男に向かって嫣然と微笑むだけで取り合おうとはしなかった母が、少年の発言にもやはり鷹揚に微笑みながら食事を続けている。 彼女には、《魔王》の発言に特段の問題があるとは感じられないのだろう。 彼女は決して歴代の王に比べて残虐なわけでも、異常な搾取を行ったわけでもないが…王して何を見、何を感じ、何をすべきか…そういう事柄が脳の何処にもないのだ。 一人の女性としてはそれで良い。 全ての者がその魅力の前に傅(かしず)き、彼女の意向に沿って動くだろうから…。 だが、彼女は…国の頂点にだけは、立つべきではなかったのだ……。 現在では実質、この眞魔国を支えているフォンヴォルテール卿グウェンダルであったが、その実権が彼の上ではなく叔父の手にあった間…この国は…民は…どれ程の血を流し、辛酸を嘗めたことだろう…。 《戴冠など…断固として阻止せねばならん》 《王たる資格のない…それでいて魅力的な王など、無用な血を流すための呪術にしかならん……》 グウェンダルは、生来の渋面を更に厳しいものにすると、濃く煎れられた紅茶の味に口の端を曲げた。 あの味が…口内に苦く蘇ってくる。 『私は…あの日、確かに誓ったのだ…』 『あの少年を、決して王にしてはならないと…』
【第二話】 兄来る
晩秋にしては暖かい日差しがぽかぽかと降り注ぐ11月の第3日曜日。 ここ、ホテル《ミストラル・シュミッテン》1階のカフェで遅い朝食をとる人々は、誰もがゆったりとしたひとときを過ごしている。 スパやトレーニング施設などが併設されたこのホテルは不景気な時節も関わりなしと言いたげに、優れた接客技術と有閑層の期待を裏切らない充実したサービス展開によって一定量以上の集客率を誇っており、リピーターの数が年々増え続けていることが自慢のホテルである。 このカフェも採光や調度品、客席同士の距離感が見事に計算されて設えられており、上質なオーク材の小テーブルを囲む人々は、殆どが満足し切って籐の椅子に身を預けている。 だが…店内のある一角に座す長身の青年だけは、いつも以上に苦い表情を浮かべて後の3人に対峙していた。 「グウェン…夢見が悪かったのかい?」 コンラートの気遣わしげな声にグウェンダルは口をへの字に曲げ、眉間にアイロンで折付けされたような皺を載せて小さく頷いた。 「閣下ぁ、大粒渋皮栗の甘煮パイ食べますぅ?旨いっスよ」 へらりと笑いながら、大きな口で見事な食いっぷりを見せているのはグリエ・ヨザック。 手元の皿には艶やかに彩られた渋皮栗の甘煮や、宝石のように綺麗なコンポートを載せた小振りなパイが並んでいるが、グウェンダルは無言で隣の皿にある雑穀パンのサンドイッチを摘んだ。 「よっぽどヤナ夢だったんだなぁ…何か、今朝は二割り増し機嫌悪いね。でも、今日はグウェンが好きそうな…いやいや………お土産とかにしやすそうな可愛いモノ売ってる店にも行くから楽しみにしててね」 有利はもぐもぐと口の中のロールパンを咀嚼すると、やはり気遣わしげな眼差しを送り励ましてきた。 無意識な上目づかいと咀嚼する顎の動きがハムスターの様に愛らしく、グウェンダルは頭を撫でつけようと伸びかける手を必死で制止するのだった。 『………こんな日が来ようとはな…』 グウェンダルは微笑んでしまいそうな口元を引き締めようと、苦みの強い珈琲を飲み下しながら、慣れないその味によって更に眉根を寄せた。 …本当は、有利がはふはふと啜っているキャラメルマキアートだとか、先程コンラートが勧めてきたストロベリーフラペチーノなるモノなんかを口にしてみたい…のだが、それはグウェンダルの体面的には許容不可であった。 グウェンダルを知る者がこの場には3人しかいないとしても… 彼らにはとっくにグウェンダルの性向が知られている可能性が大であるとしても… 彼はどこまでも《フォンヴォルテール卿グウェンダル》であったので、人前で《可愛く甘い飲み物★》など注文出来るものではなかった。 ちらりと有利に目線をやれば、キャラメルマキアートを美味しそうに啜りつつ…上唇にクリームの薄い髭を蓄えてしまって無闇に可愛い…。 それをまた過保護なコンラートが微笑みながら指で拭ったりしているものだから、そこだけ桃色の空気が流れているようだ。 絶対にあの種の飲物に手出しをしたりするものか…と、グウェンダルは心に誓うのであった(空気が桃色になることを心配しているわけではない。念のため…)。 「あ…君」 グウェンダルの様子をどう思ったのだろうか。コンラートはウェイターを止めると、何ごとか囁きかけていた…。 しかし、さりげないその動きにグウェンダルの方は特に気を払わなかった。 彼は今、この口内を満たす液体の方に意識が行っているのだ。 『この飲み物は良い…。容赦ない苦みと酸味で自然と眉根に皺が寄ってくる』 珈琲の芳香を楽しみながら白磁のカップを口元に寄せる姿は重厚にして美麗な容姿と見合っており、人々の視線をいやがおうにも集めている。 ただ、これはグウェンダルだけの問題ではないだろう。 グウェンダルの前に位置する3名とて、単品でも衆目を浴びるに十分な条件を揃えているのだ。 コンラートの、グウェンダルに比べれば派手さはないと言いつつも、実は端正に整った精悍な容姿。 ヨザックの野性味溢れる表情に、逞しく…それでいて敏捷性を感じさせる体躯。 有利の煌めくように迸る愛らしさと、抱きしめたくなるような華奢な肢体…特にぱっちりと開いた黒曜石の双弁は、何時までも見つめていたいような色彩を湛えている。 そんな美形が揃い踏みしているという事実、また…日曜日の朝にホテル内のカフェで朝食をとる間柄としては理解しにくい組み合わせであることも人々の好奇心を誘い、多少浮き立つような雰囲気を持たせているようだ。 ただ…ここがもう少し格の低いホテルであったならば図々しい従業員や客に遠慮のない秋波を送られたり、声を掛けられる気遣わしさもあったろうが、流石にこの辺りでは第一級とされるこのホテルではスタッフの教育も行き届いており客質も良いことから、有利以外の3名が人々の雰囲気を《そこはかとなく》感じ取る程度である。 『うん、評判通りここにして良かったな』 ホテルの選出を行ったコンラートは、一人満足そうに頷いた。 * * * 『地球に行ってみたい』 グウェンダルがそう言いだしたのは、魔王聖誕祭の夜…宴がひけた後の事であった。 彼らしくもなく泥酔した状態での提案だったことから、果たして覚醒してからも希望し続けるものか不分明であったのだが、やはり翌日になってからもグウェンダルの希望に変わりはなかった。 ただ、眞魔国の重鎮たる彼が国元をあけるためには様々な雑事を片づけておく必要があり、結局来られるよう算々を整えられたのは11月になってからのことであった。 地球に来てからの宿泊については、当初有利が《折角だから俺とコンラッドの家に来なよ。ゲストルームあるよ?》と、気さくに誘いかけていたのだが…これはグウェンダルの方から固辞してきた。 熱々カップルの巣穴などに迷い込んでは、どんな居心地の悪さを味わうか知れないからだろう。 結局コンラートが予約を取ったこのホテルに滞在することになり、地球にいる間必要な諸々のもの…衣服や身の回り品なども一揃い整え、このホテルにおいておくことになった。 なお、こちらでの日本語、一般常識等々の知識についてはロドリゲスの持ち込んだ装置で既にインストール済みである。正直、アニシナの道具に頼らずにすんだことを心から感謝しているグウェンダルであった。 今朝はこのカフェの朝食メニューが美味しいとのことであったので、コンラート、有利、ヨザックが合流する形で遅めの朝食を取り、今後の日程を確認し合った。 今日一日はコンラートの運転する車に乗って市街地見学。明日以降は有利とコンラートは学校に行かなくてはならないので、グウェンダルは自力で興味を持った施設等を見学して回ることになっており、来週の日曜日に有利の学校の文化祭を見学したら、眞魔国に帰還…との運びとなっている。 「でもさぁ…本当にグウェン、俺の学校に来るの?」 「そのつもりだが?不都合でもあるのか」 《今更何を言うか》と言わんばかりの眼光に、有利はきゅうぅっと肩を竦めてしまう。 「だって…グウェンなら観劇にしたって音楽にしたって、本格的なやつを見てて目も耳も肥えてるじゃん?正直うちの学校の文化祭なんて子どもに毛が生えたような高校生が企画してやってる素人演芸や大雑把な屋台みたいなもんが集まってるだけだぜ?折角無理して時間作ってくれたのに、来てがっかりされたら嫌じゃん」 「何を言う。私はお前がこちらでどういう暮らしをしているかを見たいのだ。学校生活については、関係者以外に公開している日がその日くらいだというから行く予定にしているのだぞ?」 「うーうー…」 「何だ…迷惑なのか?」 「そうじゃないけど…」 言い淀む有利にグウェンダルの眉間の皺が一層食い込んでくるものだから、コンラートがくすりと苦笑しながら口を挟んでくれた。 「そうじゃないんだよグウェン…ユーリは、文化祭で着る衣装が恥ずかしいだけなんだよ」 「コンラッド!」 「…何を着るのだ?」 「もー、言うなよコンラッド!絶対変えて貰うんだからっ!!」 「そんなに恥ずかしがることないのに…だって、今年は女装じゃないじゃないですか」 「そりゃ確かに女装じゃ無いけど…」 「可愛かったですよ、猫耳の魔法少年」 「ほう、猫耳だと?」 あからさまに食いつきの良いグウェンダルに、コンラートはますます笑みを深くする。 「そういえば、期せずしてグウェンの望みを叶えることになるんだね。黒猫の耳と尻尾と長手袋を着けて、起毛素材のノースリーブと短パンを穿いて、長いマントを羽織るんだ」 「靴下はどんなものを穿くのだ?」 「黒とオレンジの縞模様ですよ。ハロウィンという地球のイベントのイメージカラーなんだそうです」 「なるほど、そういえばこのカフェの装飾にもお化けの様な顔をした南瓜やら黒い服を着た少女の人形がおいてあったな」 流石は乙メン…既にチェック済みであったか。 「おい、ユーリ…お前が嫌がろうがどうしようが私は絶対に行くからな」 「はぁぁぁ……そうですかー……」 気の抜けた返事を寄越しつつ、有利は卓上に突っ伏してしまった。 「失礼します。ストロベリーフラペチーノをお持ちしました。注文は以上でよろしいでしょうか?」 「ええ、これで全て揃いました」 甘い香りを漂わせる可憐なデコレーションの飲み物に、頷いたのはコンラート…。 そこへ、グウェンダルはこころなしか眉端をあげて視線を送る。 「……コンラート…お前、それを飲むのか?」 「そうしようと思って頼んだんだけど…実は欲張りすぎたみたいで腹が一杯なんだ。悪いけどグウェン、代わりに飲んでくれないかな?」 腹具合を計算出来ぬほど迂闊な男でないことを熟知しているグウェンダルは、弟が何のためにこのような小細工をするか…十分わかっている。 「……仕方ないな」 (生)暖かい三対の視線に見守られながら飲み下す飲料は、とても甘かった…。 * * *
「ねぇ…見てみて!あの人達、めっさ格好良くない?」 「何かの撮影かなぁ?ちょっと普通に歩いてんのがおかしいくらいの美形だよね!?」 「一緒にいるちまっとした子も可愛くない?」 さわさわと囁き交わす声に、有利はげんなりと肩を落とした。 眞魔国ではやたらと《可愛い》《小さい》《華奢》と言われる有利も、日本ではそこまで驚くほど小型生物というわけではない。だが…この長身揃いの三人に鋏まれると、やたらと比較されてしまうのだ。 「うう…何か俺、FBIの捜査官に捕獲された宇宙人みたい」 「いえいえ…三人の騎士に傅(かしず)かれる姫君のようですよ?」 「それはもっと嫌だ!」 全くフォローになっていないコンラートの発言に、有利は一人ぶすくれた。 ホテルを出て、コンラートの運転するレンタカーで向かった先は某巨大遊園地であった。 ホテルではかっちりとしたスーツ姿だったグウェンダルも、今日は賑やかな繁華街などを回ると言うことで、洒落っ気のあるジャケットとスカーフ、ストレートパンツという出で立ちで、同様の服装のコンラートや、濃紺のジーンズにざっくりとしたセーターを着たヨザック、黒いVカットのニットに袖無しダウンジャケットを羽織っている有利と並んでも服装の面で悪目立ちすると言うことはない。 それに、遊園地の規模も大きいので《外国人》であるということはそこまで目立つ要素ではない。 では何故注目されるのかと言えば…。 それはもう、《美形揃いだから》と言うほかないであろう。 だが…並はずれた美形兄弟と愛らしい少年の組み合わせは何処をどう移動しても衆目を浴びてしまい、ホテルと違って種々の階層が出入りするこの場所では、無遠慮な囁きと目線とが痛いほど集中してしまうのだった。 グウェンダルの方はといえば、今のところそういったものに気分を害している暇はなさそうで、胡散臭いほどの笑顔で迎えてくれるスタッフと、可愛いのか怖いのか微妙な等身大着ぐるみの行列にいたく感心しながら頷いている。 「ふむ…このように健全かつ大規模な遊技場を年中開いていて、なお客足が途切れぬとは…凄いものだな。スタッフの質も良い。クレーム対応も笑顔でこなし、有機的に結びついて迅速な清掃活動を行っている専門スタッフまで居るのか…。ほほう……」 ひょっとして、眞魔国にもこういうものを造りたいのではないかと予感した途端、有利はギュンターの夢にアニシナの道具で忍び込んだときの恐怖を思い出した。 何処を向いても《有利有利有利》という、とんでもない《有利ランド》を開設されていたのだ…。自分で勝手に盗み見た結果なのでギュンターを責めることも出来ず、当分トラウマに苦しめられたのである…。 「グウェン…眞魔国に遊園地造るときに、俺をイメージキャラクターにするのだけは止めてね?」 ビクビクしながらお願いすると、グウェンダルは怪訝そうに唸るような声を上げる。 「何故だ?今でもお前の魔王饅頭だの魔王クッキーだのは原価の割に売れるから、更に強化しようと言う案も出ているんだぞ?こういった遊技場も、お前がイメージキャラクターになればさぞかし…」 「やだよ!グウェンダルだって自分の形した人形だのお面だのが所狭しと並んでるの見たら気持ち悪くなるだろう!?」 「自分のであればな…お前のなら、おそらく可愛いだろう」 「だーかーらーっ!眞魔国人のそういう感覚だけは俺、絶対理解できねぇ!!」 この二人がやいのやいのと言い争う様はやたらと微笑ましく、グウェンダル単体であれば恐れをなして近寄れなかったろう観光客も、親しみを覚えたのだろうか…多少遠慮気味ながらも声を掛けてきた。 「あのぅ…良かったら、一緒に写真に映って頂けませんか?」 「…は?何故だ」 妙齢の、なかなか綺麗な女性二人に声を掛けられてグウェンダルは眉根を寄せた。 カメラなる代物の機能・形態はロドリゲスの持ってきた機械によってインストールされて知っているものの、その被写体に何故自分がならねばならないのかがさっぱり理解出来ない。 愛想も素っ気もない返答に一瞬怯んだ女性達だったが、周りに同じような意図の観光客が寄り集まってくると再び勢いを取り戻した。 「わ、私も一緒に撮らせて下さい!」 「私たちの方が先に声を掛けてたのよ!?」 「な…なんなのだ君達は!?」 「すみません…今、プライベートな時間なので遠慮して貰えますか?」 困惑するグウェンダルをよそに、コンラートの方は爽やか笑顔を浮かべて軽くいなしている。 『流石そつがないというか、女慣れしているというか…』 複雑な印象を抱きつつ、ぽつねんとベンチで有利が座っていると…急に頭上から影がさした。 「ねぇ君…一人で来たの?」 「へ?」 大学生くらいの男達だろうか?三人連れで、耳には少し派手な金のピアスと、指には大ぶりな指輪をごろごろっと填めている。そして着崩した緩めのジーンズに、毛皮襟加工のノーフリーブジャケット。金色に近いほどブリーチした頭髪は、麦藁のようにぼさぼさと枝毛が出来ている。 見るからに《遊び人》風な出で立ちだ。 『ゆ…強請たかりかな!?』 眞魔国への初スタツアを思い出して構える有利だったが…要求されたものは金ではなかった。 「良かったら俺たちと遊ばない?驕ってあげるからさ」 「い…へぇ?いやいや、結構です!」 ぶるぶるっと首を振りつつ両手を振るという、微妙に器用な動作を示しながら後ずさろうとするが…ベンチに座っていたものだから、前側方を押さえ込まれてしまうと動きようがない。 「あの…俺、男ですよ?分かってます?」 「分かってるって!」 「大丈夫!別に変なコトしようってんじゃないんだぜ?」 「そうそう…実はさ、こいつ…先月大切な弟を亡くしたばっかりなんだよ」 「…え?」 急に神妙な顔をして掌で顔を覆い、隣の友人に凭れるようにして語りだす男に有利は怪訝そうな視線を送った。 「それで…今日は気晴らしに遊園地に来たんだけどさ…実は、その弟ってのが君にそっくりなんだよね…」 「そうなんだよ…ねぇ、君と一緒に遊べたらこいつも気が紛れると思うんだけど……」 「それって…嘘だよね」 きっぱりと断言する有利に、一瞬…男達は二の句が継げなかった。 如何にも人の良さそうな雰囲気の、可愛い少年…。 ちょっとお涙頂戴の話でもして、気心が知れるまで遊べば夜の食事にも気軽についてくるだろうから、酒でも飲ませればいつもの《お楽しみ》が出来るものと踏んでいたのだが…。 少年は黒曜石のように澄んだ瞳を真っ直ぐに青年達へと向け…凛と響く声で告げたのだった。 「本当に大切な人を亡くしたのなら…そんな風に笑う事なんて出来ない。懸命に…どんなに笑おうとしても、悲しみは心の奥から溢れて…目に必ず出るもんだよ。そんな嘘…つくもんじゃないよ……」 声を張り上げるわけでも、殊更怒りを示すわけでもないのに…その声は、この年頃の少年の口から奏でられるとは思えないような深みを湛えて男達を諭すのだった。 「な…んだよ…」 「んな…マジでとんなくたって…あ、あぁ…そうだよ。俺の弟は別に死んでなんか無いけどさ…ちょっと話題作りしようとしただけじゃん?お堅いなぁ…」 「あー…なんかさ、もういいじゃん?その事はおいといてさ、驕ってあげるのは本当なんだから一緒に行こうぜ?」 「だから、それがまず嫌なんだったら!」 強引に有利の手を引っ張ろうとした男達の腕が…次の瞬間、あらぬ角度で急旋回した。 「ふぅ…わっ!?」 宙を舞い、大地にしたたか背を打ちつけた男達は、一体何が起こったのか理解出来ないままぽかんとしていたが…自分たちをひっくり返して地面に押しつけている外国人が相手なのだと分かると、怯えたように身体を竦ませた。 立ち居振る舞いの隙の無さ…先程見せた技量…そう言ったものだけではない…。 背筋を凍らせるような凄まじい怒気が大気を震わせんばかりに押し寄せて来て…男達の息を圧殺しようとしているのを感じたのだ。 「う…ぅわ……っ」 逃れようと藻掻くが、肩の付け根に激痛を覚えた男達は一様に息を呑んで動けなくなった。 「腕をもがれるのと、舌を抜かれるのではどちらが良い?」 「ひ…うわ……うわっ!ごめ…ゴメン…なさっ!!」 「坊ちゃんをナンパとはねぇ…良い度胸…と褒めてやりたいトコだけど、些か身分不相応だわな…隊長、どうします?」 「取りあえず場所移動だな…。こんな目につくところでは、何も出来やしない…」 如何にも残念そうに嘆息するコンラートの声には、凶暴な怒気が滲んでいた…。 「うぅ…う、うわぁ…っ」 歯の根が合わない…そんな恐怖を、男達は生まれて初めて味わうことになった。 それなりに喧嘩慣れした男達も、自分達が無力な生け贄にでもなったかのように…喉を食い破られ、臓腑を引きずり出されて地べたを這い廻わされるのではないか…そんな想像さえ掻き立てられる恐怖に直面したことなど無かったのだ。 「もう良い、離してやってよコンラッド、グウェン、ヨザックっ!」 「ですが!」 「俺が良いって言ってるんだ」 抗弁しようとするコンラートに対して、凛然と有利が断言すると…不承不承といったていで男達を解放した。 「我が主(あるじ)に感謝するんだな…。だが、二度目の赦しは例え主がお与えになったとしても俺は決して認めない…覚えておくことだ」 去り際に吹き込まれた語句の冷ややかさに臓腑を凍らされた男達は、捨て台詞を残すことも出来ずにまろびながら逃げていった。 「うっわ…凄い!やっぱり何かの撮影なの?」 「それにしちゃカメラとか照明とかないよ?」 「あのちっちゃい男の子…実はああ見えてどこかの国の王子様とか?」 その予想…惜しい。 「ありえねー!ちぃちゃん、あんた乙女チックにも程があるってぇ!」 「でも…あの三人のイケメンズって身のこなしとか凄かったじゃない?絶対あの王子様の騎士なんだって!特にあのキラキラ茶目の人は絶対王子様狙いよ?殺気が半端じゃなかったもん!絶対、許されぬ恋に身を焦がす騎士様なのよ!」 「あんた…そういう設定のトンデモBL本大好きだったよね…」 「うん、ある日《あなたは実は王子様だったんです》って言われて、ツンデレ系の美形外国人男性がお付きの人になって、房事のお勉強とかさせられる話大っ好き!」 《あなたは実は魔王様だったんです》と言われて、ツンデレ王子にうっかり求婚…的な展開は流石に予想不可であったか。 そうこうする間に大きくなっていく人垣の中で噂は噂を呼び、観客達の中で出鱈目な設定がどんどん構築されていった…。
* * *
「はぁ…酷い目にあった…」 有利達は比較的人気の少ない高台まで移動してくると、吹き付ける風に髪をかき乱されながら、眼下に広がる遊園地を見下ろした。 流石に芸能人というわけでもないこの一同を走ってまで追いかける不審人物は見あたらない(先程の捕り物劇で恐れを成したのかも知れないが)。 一同はほっと息をつくと、多少色褪せた感のあるベンチに腰を掛けた。 「ユーリ…本当にあのような連中を逃がして良かったのですか?」 許可さえ出れば岩を抱かせて東京湾に沈ませかねない男が残念そうに呟く。 「良いよ、もう…。コンラッド、来てくれたもん」 にこりと微笑む有利の横顔は…何故だか、少し切なげだった。 「どうかしましたか?ユーリ…もしかして、さっき何処か捻ったりしたのでは?」 《そうかも》等と言おうものなら、先程の男達を地獄の果てまで追いかけていきそうなコンラートに、有利は慌てて手を振った。 「違うって!んー…あ、ちょっとトイレ行ってくる!」 とたっと駆け出した有利の背中を見守りながら、コンラートは尚も不審げに顔を顰めていた。 「ヨザ…何か気付いたか?」 「んー…多分、さ……。あの連中の嘘話のせいだと思うぜ?」 ヨザックは先程、比較的有利に近い位置にいたせいで、男達の会話の終盤部分を聞き囓っていたのである。 「あいつら、坊ちゃんを《死んだ弟に似てる》なんて言って、慰めるために一緒に遊んでくれなんて誘うから…俺ぁ、てっきりコロッと坊ちゃんが騙されてついて行っちゃうんじゃないかと心配したんだがね?坊ちゃんも成長したのかねぇ…すぐに嘘だって見破ってたんだけど、そん時の様子がちょっとおかしな感じだったなぁ…」 「おかしいとは…どういう状態を指して言ってる?」 「妙に切なそうな声でさ…《本当に大切な人を亡くしたのなら…そんな風に笑う事なんて出来ない》…てさ、何かこう…胸を抉られるような響きで坊ちゃんが言うのさ…」 「それは…」 「思い出したのだろう…自分が眞魔国を強制的に退去させられたときのことを…」 それまで終始無言でいたグウェンダルが、突然口を開いた。 「あるいは…コンラート、お前が眞魔国を去っていたときのことを…な」 「…っ」 その二つの要素が有利の中で大きなトラウマになっていることはコンラートも知っている。 以前、土の要素を操るエルンストの見せた幻影がまさにその様な内容であったのだ。 そのとき有利は一人でその幻影を打破した…が、トラウマというものは乗り越えても乗り越えても…ことある事にフラッシュバックしてくるものなのだろう。 コンラートは色を失うほど両の手を固く握りしめ…悔恨の念に唇を噛んだ。 「責めているわけではない…眞王陛下のご命令、力の消耗…お前の力ではどうにもならないような事態の中で、お前は可能な限りの方法でユーリを護ろうとした…。その事は、私にもよく分かっている」 グウェンダルの彫りの深い横顔は、11月の寒風を受けながら濃灰色の長髪を靡かせ…渋然として前を見据えている。 「グウェン…」 「無力だと感じたのは…寧ろ私の方だ」 彼らしくもないその言葉は、やはり声質の方も普段の彼らしくなく…微かに掠れて風に奪われていく。 「お前がシマロンにいた間…私があいつの傍にいた時間はほんのひとときだったが、それを言い訳には出来ぬだろうな。私は…何一つあいつにしてやれなかった。いや…その前後にしても、何をしてやったかと言われれば…返答に窮する」 「グウェン…それは……」 「そもそも、私はあの《子ども》が王になるということ自体に懐疑的だった。母…いや、前王陛下のように魅力的ではあっても統治能力のない少年が王などになって一体何を成すというのか…?せいぜい、民衆受けの良い飾り物として擁立し、実権は確実に私が掌握すべきだ…と。そう…考えていた」 カローン…ッ…… 耳障りな金属音が響き…3人の魔族が振り返ったその先に… かなりの距離を置いて…少年が佇んでいた。 有利…だった。 その顔は呆然と青ざめて…彼が、よりにもよってグウェンダルの言葉の、部分的に聞けば誤解せずにはいられない所だけを漏れ聞いてしまったことが…ありありと伺えた。 『しまった…』 コンラートは心中で舌打ちしたい気分だった。 コンラートは有利が離れている間も彼との距離を正確に把握していたし、彼が近づいていることにも気付いていた。グウェンダルとて常の心理状態であれば有利の気配くらい察知できただろうが…物思いに集中していた彼は、有利の気配を補足するのが一瞬遅れたようだ。 「…あ、ゴメン……お、落としちゃった……」 懸命に笑おうとする頬が引きつり、黒曜石の瞳が動揺を顕して震える…。 足下に転がる4本の缶飲料は…おそらく、先程助けて貰った事への感謝の一端として…彼が買ってきたに違いない。 暖かい缶飲料のうち一本はミルク比率の高いカフェオレ。可愛い牛のイラストが特徴的なそれが、グウェンダルのためのものだったことも疑いようがない。 気まずい空気は、だが…ほんの僅かな言葉の遣り取りで容易に解ける類のものだった。 『さっきの言葉の前に、グウェンはこんな事を言っていたんですよ?』 『閣下ってばねぇ…』 笑顔を浮かべてそう口にしかけたコンラートとヨザックであったが、次の瞬間…彼らの表情は一様に殺気立ち、殆ど本能的な勘によって《敵》を感知すると、有利の身体を確保しようと凄まじい勢いで駆け寄った。 しかし…有利の身体は彼らの予測を超えた速度によって《敵》に拘束され、奪い取られたのであった。 『何!?』 驚愕の声を発する間もなく…有利の身体が天空に引き上げられていく。 《敵》は…有翼人であったのだ。 鷹を思わせる焦茶色の巨大な翼を羽ばたかせた男達は、同系色の頭髪と鋭い猛禽独特の眼差しを持つ有翼人で、異国めいた薄墨色の…中国の少数民族を思わせる衣装を身に纏っている。 彼らは有利を補足するや力強く羽ばたいて、コンラート達の前から姿を眩まそうとした。 「コンラッドっ!!」 「ユーリっ!!」 絶叫する有利を力づけるようにコンラートは一声叫ぶと、ヨザックにも目配せして袖口に仕込んでいたナイフを的確に男達の翼の付け根…人間で言う肩甲骨の辺りに投げつけた。 「ぐっ!!」 コンラートとヨザックの放ったそれぞれ一本は有利を捕まえていた男を掠めたものの、残る二本はもう一人の男の持つ剣に阻まれてしまう。 有翼人であるという異常な面を除いても、男達は常の世界に身を置くような者達ではない…身のこなしといい、気配の殺し方といい…戦闘や拿捕といった目的のために鍛えられた存在に違いない。 隠しナイフを身に受けた男にしても直前で身を捩ったためか、そこまで深手は負っていないようだ。 「…っ!」 コンラートは敵の力量を見極めると、制止の声を掛けて時間を取るような真似はせず、ヨザックを踏み台にして…ヨザックの方も弁えたもので、両手を掌を上面に向けた形で組んで待っていたもので…その掌を足場として踏み出すと、凄まじい跳躍力を見せて一気に補足者に詰め寄った。 「…何!?」 この動きまでは予測出来なかったのか…はたまた、相手が翼を持たぬ者として初めから格下と侮っていたのか…男達は微かながら動揺を示して迎撃に入った。 だが、その一瞬の動揺はコンラートのような強者にとっては十分過ぎる隙であった。 すかさず袖口から綾紐を取り出して命ずると、妖刀《凍鬼》に変化させて補足者の翼に深々と太刀を浴びせた。 「ぐが…っ!」 「…墜ちろっ!」 しかし…深手を負った筈の補足者はぎろりと三白眼を光らせてコンラートを睨め付けると、有利を抱えていない方の手を薙ぐようにして一閃した。 「…っ!」 「コンラッド…っ!!」 有利の絶叫が大気を裂く。 今一歩と言うところまで有利に接近していた為だろうか…コンラートの意識は一瞬補足者から逸れていた。その隙を突かれるようにして放たれた一閃がコンラートの手首から血潮を噴かせたとき…補足者の爪自体が伸びて剣のように斬りつけたのだと分かった。 『くそ…前腕部になにも仕掛けが無いと思って油断した…っ!』 ちっと舌打ちをしつつも、コンラートの身体は反射的に動くことが出来る。 落下ざまに襲いかかってきたもう一人の男に蹴りつけると、身を逸らしながら袈裟懸けに斬り伏したのである。 「が…ぁっ!!」 獣じみた悲鳴を上げて男は落下したが、コンラートもまた剣を振るったことで斬られた手首から血潮を噴き上げ、また、無理な体勢から敵を切り伏せたせいで体勢を崩して落下した。 大地に叩きつけられるコンラートと…その身体を染め上げる真っ赤な血の色に…。 有利の怒りは頂点に達した。 「う…ぅ……ぁぁぁああああああああっっっっっっっっっ!!!!」 有利は迸るような叫びに喉を奮わせ、怒りの念によって狂迷的に要素を呼び寄せた。 「風よ…火よ…水よ…大地よ…っ!!」 四大要素が挙(こぞ)って有利へと集結してきたが、その足並みは混濁しながら互いにぶつかり合い、溶け合うことのないエネルギーの坩堝となって補足者を灼いた。 「がぁぁぁっっっ!!」 皮膚を…肉を灼かれる痛みによって叫びをあげつつも、補足者は決して手を離そうとはしなかった。 「う…わ……っ」 怯んでしまったのは有利の方だった。 怒りによって奮った力は揃いが悪く、風の力で払いのけようという意図から外れて敵を灼いてしまった。風よりも、火の要素の方が強く反応してしまったのである。 要素の大安売りとばかりに全員集合させたのが裏目に出たのであろう。 鼻をつく異臭が、自分の傷つけた男からするものだと理解した途端、有利は要素をコントロール出来なくなってしまった。 「…ぁっ!」 その隙に細い首筋へと手刀を叩き込まれる。 「ユーリ…ユーリぃぃぃっっ!!」 コンラートの絶叫が遠くなっていくのが…補足者の翼の羽ばたきによるものなのか…自分の意識が薄れていくためなのか…有利には判別出来なかった。
あとがき |