第十一話 君を育くむ世界 

 

 

 渡る風が涼やかというよりも、幾らか刺すような肌寒さを感じさせる10月31日の土曜日…この日は古代ケルトの収穫祭に端を発するハロウィン当日であり、有利が通う高校にとっては本年度の文化祭実施日でもあった。

『お化けが出る?そんな胡散臭い日なら行事なんか設定しなかったのにっ!!』

 校長はこの日がどういう日なのか知るなり、そう言って頭を抱えたという…。

 ここ近年この学校には不可思議なほど奇妙な事件が続発している。たまたま生徒に怪我人がいないから良いようなものの…校長は責任問題に発展するような事件が起こりはすまいかと神経を鋭敏にさせているらしい。

 一方…生徒の方はというと、こちらは無責任に《何かまた変わったことが起んないかな》等と囁き交わしている。

 何しろ、教員にとっては迷惑きわまりない事件も、生徒にとっては日常生活の中に突然沸いて出た、お祭り騒ぎのようなイベントなのである。

 また、生徒にとっては事件の中心となっているのが常に、華やかな話題に事欠かない人物であるということも、事態を楽しむべき大きな要素となっている。

 

 

「ねえ、渋谷君の準備できたのかな?またスカート穿くと思う?」

「あー、去年のメイド服可愛かったよねぇ!あたし、ネットでダウンロードした映像壁紙にしてるよ」

「うっそ!マジ?コンラートさんも映ってるやつとかある?」

「モチロン!あたし、可能な限りの映像集めまくったもんっ!でもさぁ、ブログとかでアップすると誰かが攻撃してきて画像潰すのよ。マジむかつく!だから、個人持ちで楽しんでんだけどね」

 

 

 窓の外から聞こえてくる会話に、有利はぐったりと脱力していた。

「やっぱ…全部の映像は消えたりしないんだな…」

 ネット上に広まる恥ずかしい映像は、かなりの量を村田と勝利が始末してくれたのだが(村田などは自動識別式データ破壊ウイルスまで作ったほどだ)、流石に手持ちのデータにまでは及ばなかったか…。

「しょうがないでしょ?大々的に流布しちゃったもん。それより、ちょっと背筋伸ばしててよ。裾の糸処理がもうちょっと…ん、できた!」

 今年も用務員室を借りて着付けと最後の仕上げをしてくれた篠原は、高校生活最後の作品となるであろう傑作に、満足げな笑みを浮かべた。

「素敵な王様だわ!」

「猫の…ね……」

 有利は自分の恰好を姿見に映して複雑そうな表情を浮かべた。

 確かに、頼んだとおり《女装》ではない。

 だが、黒いふわふわ素材で作られた精巧な耳と尻尾は愛らしく頭とお尻を飾り、更に頭頂部には金色の針金を巧みに編み込んだ、小さな王冠がちょこりと載せられている。

 有利の華奢な体躯にぴたりと曲線をあわせたノースリーブのシャツと短パン、そして肘丈の手袋とお約束の(いつの間にお約束に…)ニーハイは落ち着いた光沢の黒生地で統一されており、肘と膝の素肌が露わになっていることで見る者の心をときめかせる…。

 肩から流したマントも黒いのだが、こちらは耳と尻尾と同じ天鵞絨(ビロード)生地を使用しており、有利の動きに合わせて《ふわ…っ》と動く様が優美な猫を思わせる。

 王冠・マント・手に持った金の王勺で、可愛らしい《猫王》のできあがりである。

 この王勺もまた、美術部所属の生徒が何日も掛けて作ってくれた逸品であり、優れたデザイン性に加えて渋い光沢が効いており、有利が少し格好をつけて振れば、なかなかに威風堂々たる様子になる。

「ふふ…本当、素敵よ…渋谷」

 満足げに微笑む篠原の結膜には淡く水膜が掛かっており、茶目がちな瞳がしっとり濡れて見える。誇らしげであると同時に…堪らなく寂しげな表情には有利の胸を突く何かがあった。

「篠原…どうかしたの?」

「ううん…何でもない。ちょっと…感傷的になっただけ…」

 すん…っと洟を啜って《にっ》と笑えば幾ばくかは元気を取り戻すものの、彼女らしくもなく…その声は微かな震えを帯びていた。

「何でもないことなんか…ないだろ?なぁ…話してよ」

 長い睫が気遣わしげに揺れると、大粒の黒瞳に淡く影がおちる。

 その様子は昨年の夏の終わりからこっち…ずっと篠原の心を捉えて離さない、うつくしくて切ない映像であった。

 

 有利の、快活に笑う顔…

 …はにかむように微笑む顔…

 切なげに眇められた眉……

 全部全部…大好きだった。

 

 大雑把に見えるくせに…こんな風に、友達が落ち込んでいるのを見逃すことのない、その注意力も愛おしくて堪らない…。

「…ね?」

『ああ…こん畜生……何だってこいつはこんなに可愛いのよ?』

 小首を傾げて優しく笑われたりしては、しらを切り通すことなど到底できっこない。

 苦笑を浮かべると…篠原はきつくソバージュをかけた栗毛を掻き上げる素振りで、涙の滲む目を隠そうとした。

 篠原楓の遅い初恋は、成就しないことが明確になってからも…痛みを伴う幸福感で心を満たし続けているのだった。

「あたしの作った衣装着てくれるの…これで、最後なんだって思ったら…なんか、ちょこっとしおらしい気分になったのよ。ふふ…おかしいでしょ?あたしのキャラじゃないって言うか…」

「……篠原…」

 何か言おうとする有利の背後で、チャイムの音が鳴り響く。

 文化祭の始まりが30分後に控えていることを知らせる鐘は、同時にある人物を迎えに行く時間であることをも意味していた。

「……行こっか…」

「うん」

 こっくりと頷くと、篠原は我先に飛び出していった。

 今更ながら、似合わぬ物言いをした自分が恥ずかしくなったのだ。

 

*  *  *

 

「グウェン、いらっしゃい!」

「……お前、その恰好……」

 校門に《猫王》の衣装で迎えに行くと、グウェンダルは口元を押さえて絶句してしまった。

「うぅ…笑うなよっ!俺だって恥ずかしいんだからなっ!!」

 頬を染めて上目づかいに拗ねてみせる様子がまた衝撃的なほどに愛らしく、グウェンダル以下、単に横を通りすがっただけの連中までもが目尻を下げてしまう。

「ユーリ…グウェンは笑っているわけではありませんよ?」

 校門横で警備に専念していたコンラートは、爽やかに微笑んで兄の行為に補足説明を行った。

「ユーリの姿があまりに愛らしいので、脂下がってしまいそうな口元を押さえるのに必死なんです。許してあげて下さい…」

 如何にも兄思いの弟…といった風情で、申し訳なさそうに苦笑を浮かべてはいるものの…言っている内容に容赦はない。

 コンラート・ウェラー…《容赦》という言葉を有利以外には適応しない男…。

 それでもまだ、兄にはまだ気を使っている方ではある。

「と…ところで、私に何か手伝えと言っていたな?」

「うん、客寄せを一緒に頼みたいんだ。なぁ篠原、グウェンの恰好ってこーゆー黒い服で良かったの?」

 有利は篠原に言われて、グウェンダルに黒で揃えたスーツ着用で来校して貰った。

 シャツこそ濃青色であるものの、主要な衣装の色彩が《禁色》であることに当人はまだ戸惑い気味のようだが、クラシカルなデザインの黒いスーツはこの上なくグウェンダルに似合っており、その美麗な容姿とも相まって生徒達の視線を釘付けにしている。

「うんうん、ばっちり!あとはこのマントと牙をつければ完璧よ」

「む…んぐ?」

 渡されたアクリル牙を装着し、裏地が血のような紅で表が漆黒のマントを羽織れば…非常に簡単なコスプレながら、この上なく填った《吸血鬼》のできあがりである。

 あるいは、見る者によっては神の手を持つ天才外科医のコスプレでも通るかも知れない。

「ああ、よく似合ってますよグウェン」

「……これは一体何の扮装なのだ?」

「これはね、最もポピュラーな地球の魔族の姿ですよ」

「ふむ…同族か」

 形良く整えられた指先で顎を摘めば、秀でた額から鼻梁にかけてのラインと相まって、何とも優美な横顔を呈することになる。

 周りで見守っていた生徒達は、秀麗な美貌を誇る警備員…コンラート・ウェラーが親しく語りかける渋い美青年に、興味深げな視線を送ってきた。 

「ねぇねぇ…渋谷君、このめっさ恰好良い人って、渋谷君の関係者?」

 有利のクラスメイトもちょいちょいと服の裾を引っ張って、小声で囁きかけてきた。

「ん、コンラッドの兄ちゃんなんだ」

「うっそ!似てなくない?」

「父ちゃんが違うけど、母ちゃんは一緒だよ。金髪碧眼の超絶美女」

「ふわわぁ〜!異父兄弟!?やーん、背徳的なロマンの香りがするー」

「ハイオク?」

 《ハイオク満タン》がコンラート達に何の関わりがあるのだろうと小首を傾げる有利を尻目に、きゃっきゃっと歓声を上げる少女達はなにやら熱い妄想話を始めてしまった。こういうときは深入りせず、放っておくべきだろう…。質問したりすると恐ろしい目に遭いそうな気がする。

「グウェン!行こう?」

「ああ……」

 騒がしい少女達に囲まれて辟易としていたグウェンダルは、有利に促されるまま校舎内に入っていった。

 不審者対策として玄関口で貰った、生徒の関係者であることを示す赤リボンを胸に付けているのが多少不釣り合いなものの、端麗な吸血鬼の扮装と背筋の伸びたしなやかな歩様に、生徒だけではなく教員の間からも熱い溜息が漏れだしてくる。

「素敵…渋い美形ねぇ……」

「生徒達が言ってたけど、あの方、コンラートさんのお兄さんなんですって!」

「うっわー…美形兄弟!」

 年嵩の教員までが小雀のように騒々しく囁き交わす姿に、グウェンダルは微かに眉を顰めるのだった。

「なんとも騒がしいことだな…学舎とは思えぬ」

 一階から二階に続く階段の踊り場でぽつりとグウェンダルが呟くと、有利はくるりと向き直ってぷくぅっと頬を膨らませる。

「今日は学校主催のお祭りみたいなもんだから、みんな普段よりはしゃぎ気味なの!それに、俺が通ってる学校が見たいって言ったのグウェンじゃん!俺はつまんないからやめとけって言ったのに…」

 不満げなグウェンダルの態度に、有利はおかんむりだ。

 何しろ、こんな恰好を見せなくてはならないだけでも恥ずかしいというのに、グウェンダルが何を期待しているのか知らないが、平凡な有利の高校で催す文化祭など、舞台にしても模擬店や展示にしてもそう珍しいものなど出せるはずもなく、貴族階級の彼が見慣れているような優れた芸術に比べると見劣りすること甚だしいに違いない。

「なぁ…グウェン。そもそもなんで今、地球に来ようと思ったんだよ?コンラッドも村田も何か察してるみたいなのに、全然教えてくれないんだ」

「コンラートと猊下が?」

「うん、すっごい思わせぶりな事ばっかり言うんだぜ?《君にもきっと分かる…》とかなんとか…。なぁ…何を見ようと思ったんだよ?」

「ふむ…」

 グウェンダルは有利の真っ直ぐな眼差しに戸惑いを見せたものの…意識して向き直ると、眉間に皺を寄せたまま…けれど、怒っていると言うよりは困っているような表情で言葉を紡ぐのだった。

「私にも…よく分からないのだ」

「はぁ?」

 途方に暮れたようなグウェンダルの声に、有利が頓狂な声を上げる。

 具体的な目標物なしにグウェンダルが行動するなど、有利からはとても想像がつかなかったのである。

 彼に衝動的に行動することがあるのだと思うと、なんとも不思議な気がする。

「具体的に何と言われれば言葉に窮する…。だが、私は…確かに見たかったのだ。お前を育んだこの世界を」

「俺を育んだ?」

「ああ…お前のようにお人好しで、何でもかんでも許してしまえて…他人のことに熱くなれる子どもを育んだ環境というのが、どういうものなのか知りたかったのだ」

「……何か分かった?」

「よく分からないから困っている…」

 本気で困っているらしいグウェンダルの様子に、有利は軽く肩を竦めて嘆息した。

「一週間やそこらで分かったら苦労しないって…。かといって、何年いても分かるもんでもないかも知れないけどさ…。うーん…コンラッドや村田の言うとおり、確かに俺が知ったからって教えてあげられるもんでもないなぁ…グウェンの見たいものって」

 褒められているのかけなされているのか分からないような表現ではあったが、天羽國での一件のこともあることだし、グウェンダルが有利のそんなところを王としての美点(?)と認めた上で、その因子を育んだ世界の事を…知りたいと思ってくれているのは嬉しい。

『初めて会ったときのこと考えたら…全然違うもんな』

 以前の、有利がどんな育ちをしてきたかなど知りたくもない…等という態度から考えれば、それはとんでもなく大きな差異であろう。

 頬が照れくさい想いに、《ふにり》とにやついてしまう。

 

 ひらひら…ひら…… 

 

 有利の頬を掠めるように、紅い蝶がひらりと舞う。

 誘いかけるようなその仕草に、有利ははっと我に返った。

「そーだ!急がなくちゃ!!要素のみんなも来てるんだよ」

「四大要素がか?お前…一体学校で何をしようとしているんだ?」

「お化け屋敷だよ」

 眞魔国にはないその用語に、グウェンダルは不思議そうに小首を傾げていたが…有利の教室に行くと、一層不思議そうに眉根を寄せることになる。

 教室の入り口はゴシックホラー調の造りに加工され、凝った趣向の看板には血文字に似せたレタリングと骸骨を模したパターン画が描かれている。

 教室の窓につけられているのは通常のカーテンではなく、かなりしっかりとした造りの遮光素材であり、天窓部分にも目隠しをしているので、日中にもかかわらず部屋の中は真っ暗である。

 教室内は天井まで続く黒いベニア板で仕切られ、華奢な体格の者なら並んでなんとか2人通れるかな?という程度の道幅で複雑な迷路状になっており、よくぞここまで…と思うほど多くの扉が通路を構成する壁に取り付けられている。

 扉の基本的な構造は一緒で、よくみればベニア板にペンキを塗っただけのものだと分かるのだが、カラーリングが絶妙なためだろうか…ぱっと見た限りではアンティークな洋館にあってもおかしくないような存在感を呈している。

 また、その扉に取り付けられたドアノブと鍵穴のセットは工芸部が巧みに造り上げた自信作であり、一つ一つ異なる鍵によって開く仕様となっている。この鍵がまた自然石を填め込んだ洒落たデザインをしており、宝箱を模した箱の中から鍵を選ぶだけでもちょっとしたドキドキ感が味わえる。

 ただ…ここまでは非常に力を入れて準備してきたことが分かるのだが…実は、クラスメイトの殆どがこの扉の中がどうなっているのか知らないのである。

 そのせいだろう、彼らはそれぞれに趣向を凝らした衣装を纏い、チラシ配りや看板の設置をしつつも…一様に不思議そうな視線を教室の方に送っている。

 ただ、《扉のあっち側担当》の生徒数名…これはグウェンダルにも見覚えのある篠原、黒瀬、会澤…眞魔国にも招待された面々が、他の生徒達に《折角だから、みんなにも秘密なんだよ》と説明して廻っていた。

 彼らだけは、有利から事情を聞いているのだろう。

「みんなゴメン、お待たせ!」

 有利が《猫王》の姿で駆けてくると、何人かは愛らしいその姿に歓声をあげたものの、装飾一般の指揮を執った美術部の高見沢などは幾らか不安げに声を掛けてくる。

 ここまで力を入れておきながら、展示内容自体がしょぼかった日には目も当てられないからだろう。

「渋谷…あと15分だけど、大丈夫か?俺達、何かすることない?」

「うん、あとは仕上げがいるんだけど…て、うわぁ…凄い…凄いっ!恰好良いなぁ…っ!」

 有利は入り口に取り付けられた立派な看板や、教室内の複雑な迷路に目を見開いて感激した。

「へへ…そうだろ?」

 子どものように素直に歓声を上げる有利に、高見沢もついつい笑顔になってしまう。

 そんな高見沢に向き直ると、有利はつぶらな瞳を淡く潤ませて…じいっと想いを込めて見つめるのだった。

「高見沢…受験前なのに、放課後も残ったりしてやってくれたよな…本当、ありがとう…俺、忘れらんない文化祭になると思う…」

「渋谷……」

 真摯なねぎらいの言葉は…じん…っと胸に沁みて高見沢の鼻の奥を刺激する。

 

 

 確かに、大変だった。3年の文化祭に、なんだってここまで手の込んだ仕上げなんてやってるんだろう?…と、自分でも思ったくらいだ。

 しかし、高見沢は持ち前の律儀さのせいか、こういった作業に手を抜けない性格であり、自分でも馬鹿だなぁ…と思いつつも、薄暗い教室内では殆ど見えないはずの扉の端にまで丁寧にやすりがけなどしていたのだ。

 何かの拍子に《すりばり》がお客さんの服に引っかかったりしたら、折角のお祭り気分が台無しだろうな…などという余計な想像が頭を掠めたからだ。

 その誠実な作業に初めて気付いてくれたのが、この渋谷有利であった。

『高見沢…そのドアのとこ、端っこが凄く綺麗だなぁ!安物の板なのに…丁寧にやすりかけてもらうと、そんなに違うんだな。木が喜んでるみたいだ!』

 いたく感心してそう呟く有利に、高見沢はこういった仕事が自分の天職なのではないかと思うようになった。住宅設計や建築に関わりたいというのはもともとの進路希望でもあったのだが、有利の一言が…ぽんっと背中を押してくれているような…そんな心地になったのだ。

 

 

「すぐ準備するから、5分間だけ教室に入らないでくれる?」

「あ…ああ……」

 有利にお願いポーズをされると、高見沢ははっと我に返ってこくこくと頷いた。

 いつの間にか、思い出に浸っていたらしい…。

「じゃあ…ごめんね、すぐだから!」

 ひらひらっと手を振り、有利が教室内にはいると…廊下側からも扉や窓に黒い厚紙で目張りがしているため、教室内の様子は伺えなくなった。

 

 ただ、微かに風の鳴る音…グル…というような獣の声や、しゅるしゅると何かが壁や床を這うような音が扉の隙間から響いてくるのだが…生徒達は一様にうずうずと身体を揺すりながらも、有利が出てくるのを待っている。

 

 それでも…2、3分待ったところで、今年から有利とクラスメイトになった生徒が、

「ねぇ…ちょっとだけ覗いてみない?」

 …と、囁いたのだが…去年も同じクラスだった女生徒はやんわりと断るのだった。

「駄目だよキミちゃん…渋谷君。見ないでって言ってたでしょ?」

「だってさぁ…隠されると余計に興味沸かない?」

「沸くけど…私、渋谷君が見ないでって言ったことなら…守りたいの」

 大人しそうな少女は、その外見にそぐわぬ頑なさでキミと呼ばれる友人の誘いを断った。

「えー?なんでぇ?渋谷君ってかなり不思議君じゃん。なんか秘密とか見てみたくない?」

 

 

 グウェンダルはぴくりと眉を跳ねさせる。

 有利がこの学校で為した事柄については、コンラートから詳しい報告を貰ったのでグウェンダルもよく知っている。

 大勢の生徒の前で幻影を出現させたり、要素を駆った戦闘を展開したり…そんな行いをしていれば、具体的なことは分からずとも、《渋谷には何かあるらしい》との疑いを抱くのは当然だろう。

 

 あるいは…異端者として排斥されることも。

 

『異端者…か』

 苦い想いが口内に広がっていく。

 《異端》…それは、人間界における魔族の歴史そのものであった。

 この地球においても、ほんの数百年前…長寿の魔族であればおのが人生として体験していてもおかしくないような時代に《魔女狩り》なる凄惨な虐殺が行われたと聞くし、眞魔国周辺の国々でも、魔族を忌み嫌う人間はいまだに多く存在する。

 有利は…もしかして、魔族であるがゆえに…眞魔国に帰るため、要素の力を手に入れようとしたがゆえに、この地球で異端者扱いを受けるのではないだろうか?

 

 

 グウェンダルの不安を余所に、少女は凛として言ったのだった。

 

 

「そうね…渋谷君、不思議な人だよね。きっと…私たちには言えない秘密なんかもあるんだと思う。でもね…その秘密は、絶対に私たちを傷つけるような類のものじゃないよ」

「なぁにー?なんか由梨ちゃん…渋谷君にトクベツ思い入れがあるみたい…」

「うん、助けて貰ったもん」

「あ…去年の、アレ?」

 由梨と呼ばれる少女の言葉に、グウェンダルはコンラートの報告を思い出した。

 昨年の文化祭…コンラートが苦難を乗り越えてようやく主との再会を果たしたその日…有利は逃走中の強盗から少女達を救ったのだと聞いた。由梨は、そのうちの一人なのだろう。

「うん…あの時、強盗は大きなナイフ突きつけてるし…パトカーのサイレンはけたたましく鳴り響いてるしで、私…パニック起こして息が苦しくなったの。でも、犯人は私を離してはくれなくて…私…あのまま死んじゃうんじゃないかと思った」

「そこに、超可愛いメイド姿の渋谷君が勇ましく人質交換を申し出た…と」

 キミの口調には揶揄かうような色があり、《勇ましく》とは言いつつも…どこか有利を《目立ちたがり屋》とでも思っているような節があった。

 それを感じたのだろう…由梨は微かに咎めるような眼差しで、真っ直ぐにキミを見据えた。

「キミちゃん、大きなナイフ突きつけられたことある?もう、誰かを刺してて…血が付いてるナイフ。怖いよ…ちょっと力を入れられただけで、自分が消えちゃうんじゃないかって思うくらい、凄く怖いんだよ?渋谷君だってそうだったと思う。だけど…私と目があったらね…渋谷君、笑ってくれたの」

 少女の瞳はふわりと柔らかく笑み…宝物のような思い出を語る。

 

 

 きっと…生涯忘れ得ぬであろう…思い出のことを。

 

 

「すごくすごく優しい顔で…笑ってくれたのよ。だから…私、《ああ…何があっても渋谷君を信じる》って思ったの」

「……」

 にこ…と、芯の強い微笑みで言い切られれば、キミは居心地悪そうに肩を竦めるばかりであった。

 彼女にはまだよく分からないのかも知れず、もしかしたら…一生分からずじまいなのかも知れない。

 だが…少なくとも、有利に関わった一人の少女は…有利にどんな秘密があろうとも、彼を忌避することは無いであろうと思われた。

 

 

『こうやって…お前は、この世界でも築いていたのだな…』

 他人から見たら、損なばかりで得になることなど何もないかのような行為…。

 下手をすれば、命に関わる暴挙であったかも知れないけれど…有利の示した精一杯の勇気は確実に一人の少女の信頼を得、その輪を広げていきつつある。

 

 それは…有利のクラスメイト達を見ていれば分かる。

 

 皆、教室内での変化に興味津々な様子ながら、誰かが覗こうとすると…必ず誰かがそれを止めるのだ。   

『渋谷は見るなっていったろ?』

 おそらく、全員が有利には何か秘密があると確信していながら…多くの者が、敢えてそれを暴こうとはしないのだ。

 何故なら、彼がそれを望まないから。

 踏みにじるのではなく…そっと護り、育もうとしている…。

『お前がこの世界に育まれたのか…お前がこの世界を育んだのか……』

 グウェンダルの瞳は柔らかく和み、彼の主が構築した世界の一端を…奇蹟を目の当たりにするような感動を持って見つめるのだった。

 

 ガラ…っ!

 

「みんな、お待たせっ!さー、入って入って。今から扉の向こうの説明をするからね!」 教室の扉が開かれると、相変わらず扉と迷路以外は何もない空間に、ほわ…っと燐光のような灯りが漂っていた。

「わ…これ、何?」

「え…とね?村田の知り合いの親戚に借りた、変わったライトだよ。蝶々みたいにふわふわ飛んで、紅い光が出るんだ。ちょっと神秘的な感じだろ?」

 確かに、暗く閉ざされた迷路の中にふわふわと漂う紅い蝶は現実離れした美しさで、人々の心を異空間へと引き込んでいく。

「教室にはいるときに、扉の鍵を選ぶんだ。一つだけね」

「一つだけじゃ満足しないんじゃないのか?」

「ん、でもね。その一つがその人の一番怖いものに繋がってるってエルンスト先生が言ってたから…」

「一番怖いもの!?あたし、開けてみたいっ!!」

 キミが勢いよく名乗り出ると、宝箱の中に納められた種手様々な形状の鍵から一つをとりだした。それはピンク色のハート型の石が填め込まれた、可愛らしい鍵であった。

「あ、俺もっ!!」

 名乗り出た桂木は、スクエア型にカットされた紫石つきの鍵をとる。

「鍵穴の上に、鍵と同じモチーフの印があるから、それを開けてみて?」

「了解っ!」

 勢いよく二人が駆けていく。

 二人ともクラスの中では《面白いんだけど、ちょっとお調子者》と言われている面子であり、こういった場面でいの一番に名乗りを上げるのは大体、みんなの脳裏で想定されていた。

 だが…大抵の恐怖映画を見ても《こんな出血量ありえねーっ!》《この被害者リアクション激しすぎっ!》などと爆笑している二人のこと、きっと笑い声が上がるものと思いきや…

「ぎゃーっっっ!!!」

「うわ…ひぁ……っっ!!」

 絶叫があがり、入った時の2倍の速度で駆け戻ってきた。

「渋谷…」

「あ…ありえないって…っ!あ、あれ…どうやって仕込んだの!?」

「えへへ…企業秘密……」

 一体なにを見たものか…顔面蒼白になった二人は、有利の笑顔を見た途端にへなへなと崩れ落ちてしまった。

「もー…ちょっとあれ、怖すぎるよ…トラウマになりそう」

「うん、そーゆー時は、この鍵のついてる扉を開けてみて?ただし、順番にね」

「へぁ?」

 それは、鮮やかな緑の石がクローバー型に填め込まれた、綺麗な銀色の鍵であった。

 恐る恐る…といった感じで教室に入っていった二人は、今度はなかなか帰ってこなかった。

 もうじき一般公開の時間だから…と、友人が探しに行けば…二人はどこかふわふわとした足取りで帰ってきたのだった。

「信じらんない…」

 目元を拭いながらキミが帰ってくると、滅多に泣くことのない彼女がしんみりとしている様子に周りの方が驚いてしまう。

 ただ、何があったのかと聞いても二人は曖昧に首を振るだけで教えてはくれなかった。

 

 キミの方は…幼い頃に大切にしていた縫いぐるみ…汚れたからと母に捨てられてしまったそれが、《可愛がってくれてありがとう》と、扉の向こうでぺこりと頭を下げていた。

 

 桂木の方はというと、仲良しだった保育園の時の友達が、昔のままの姿で《明日も遊ぼうね》と言っていた。遠くに引っ越してしまって、連絡を取ることも出来なくなったが…とても大好きだった子だった。

 

 それらの映像を見たとき沸き上がってきたのは、切ないような幸福感で…その事を言葉にしたりすれば、その感情がくすんでしまいそうで…とても口にすることなど出来なかったのである。

 だから、彼らはただ《凄く幸せな気持ちになるものが見れた》とだけ、皆に伝えたのだった。

 

 きょとんと顔を見合わせていた生徒達も、ただならぬ二人の様子にうずうずし始める。

「一般入場まで少し時間あるよな?」

「俺達も…ちょっとだけ見ても良いかな?」

「うん、行っといでよ。俺、ここでお客さん達来るか見てるから」

 有利にそう請け負われ、生徒達は我先にと鍵を掴んで自分たちの教室…今日はすっかり様相を変えてしまった異空間へと脚を踏み入れ…それぞれに微笑んだりしんみりしたりしながら出てくるのだった。

 同じクラスの面々ですらこの有様であったから、一般入場が始まるやいなや…3年7組の前には長蛇の列が出来たのだった。

 

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