「フォンヴォルテール卿…我がクラスの出し物はどうだい?」

「猊下……」

 気配を消して背後に立つのは止めて欲しい…。

 突然声を掛けられて返事に窮していると、村田は教室の方を見やりながら苦笑した。

「僕はね…最初、こんな出し物をするという企画を聞いて激怒したのさ」

「それは…そうでしょうな……」

 普段の行動からは察しにくいものの、村田が有利の身を案じる度合いたるやコンラートにも引けを取らないものがある。このように有利の《異端》さを際だたせるような出し物に賛同するとは思えなかった。

 だが、結果的に止めきれなかったのは何故なのだろうか?彼が何としても止める気であったなら、どんな手を使ってでも止めたことだろう。

「篠原って子、いるだろ?眞魔国にも来た気の強い女」

「ええ」

「あの女がこの企画を考えたのさ。渋谷がいると止めるだろうからと思って、一人でいるときに思いっきり罵倒してやったんだが…あの女、《でも…渋谷の力は、凄いと思うのっ!うちのクラスの子なら…渋谷がどんな奴かって分かってる連中なら、渋谷が不思議な力を使ってるって分かってても、それを暴いたりはしないと思うのよ…っ!渋谷は、あの力をひた隠しにするよりも、活用すべきだと思う…》なーんてね…おめでたいことを言うのさ」

「それで…猊下は何と?」

「《なら、やってみろ》…そう言った。それで大きな問題になったりしたら、なんとしても渋谷を説得して眞魔国に連れて行くつもりでいたよ。もう…帰ってこないつもりでね」

「…猊下にとって、今日の反応は如何だったのですか?」

「まだ…判定は出来ないけどね」

 苦笑の中に混じる柔らかな色合いに、微かながら篠原の言を信じる気配が感じられた。

「大したものだよ…我が王は。すっかり一般庶民の皆さんを手懐けてる」

『素直ではありませんな…』

 グウェンダルはわざと刺々しい言い回しをする村田に苦笑せざるを得ない。きつい語彙を選びながらも…村田の声には隠しようのない喜色が混じっているのだから…。

 

 彼は…嬉しいに違いない。

 

 魔族としての力を奇妙に感じつつも、生徒達が…有利が有利であるというその一点によって彼を信じ、忌避しないでいることが…。

 

 それは、長きにわたる《転生》という桎梏の中で裏切られ…傷つけられてきた彼に、もう一度何かを信じても良いのではないかという希望を抱かせるのではなかろうか?

 魔族と人間が…本当の意味で友人としての関係を築けるのではないかと…。

「やだなぁ、フォンヴォルテール卿…スケベ臭い隠し笑いなんかしないでよ。君達兄弟は妙なところで似ているねぇ…」

「……失礼しました」

 兄弟まとめて侮蔑の言を頂戴してしまった。

「しかし…時代が変わったのかねぇ…。僕は魔女狩り全盛期のヨーロッパに転生した折に友人を随分失ったけど、彼らもこんな時代ならマジシャンとして一世風靡出来ていたかも知れないね」

「どうでしょうな…時代もありましょうが、やはり……」

「ふん…分かってるさ」

 くすくすと…今度は心から楽しそうに笑う。

 そんな顔をすれば流石に目鼻立ちの整った容姿は華が咲くように愛くるしく、可愛い物好きのグウェンダルにとっては困ってしまうくらいの愛嬌を感じてしまう。

『いかん…目尻が下がってしまいそうだ』

 そんなグウェンダルの苦悩を知ってかしらずか、村田は誇らしげに顔を上げ…元気よくチラシ配りに精勤する友人を見やるのだった。

「そうさ…あの、渋谷だから…きっと、こんなにも人間に愛されるんだ。それだけの愛情を、渋谷がまわりに蒔いているからね」

『我が王は…偉大なり』

 ちいさな呟きは冗談めかせていながら、どこか真摯な響きを含んで大気の中へ流れていくのだった…。

 

*  *  *

  

 大盛況のうちに文化祭が幕を閉じ、生徒達が片づけに着手しようとする頃…コンラートが3年7組の教室前へとやってきた。

 手には、鍵をひとつだけ持っている。

「あれ?コンラッド…鍵ってまだあったの?」

「ええ…これは、あなたのための鍵ですよ」

「俺の?」

 きょと…っと小首を傾げていると、そっと鍵を掌の中におかれる。

 それは、ひときわ美しい…蒼石の填った鍵であった。

「一緒に開けに行きましょう?」

 不思議そうに目をぱちくりさせながらも、有利はコンラートに手を引かれて迷路を歩く。
 日が陰ってきたせいで教室内は一層暗く…足下が少し覚束ないが、繋いだ手が大きくて…時折振り返る眼差しがとても優しいから、有利はきゅうっと手を握りかえして笑顔で歩いていくのだった。

  ちらちらと閃くように飛ぶ紅い蝶が闇の中で彼らを導いているようだ。

 ひとつのちっぽけな教室の中を歩いたとは思われないほどの距離を歩いた後…有利は、扉を見つけた。

 鍵に填め込まれたのと同じ、楕円形の蒼石が鍵穴の上で輝いている。

 かちりと鍵を開けた途端…ほわりと、なんともいえない芳しいかおりが広がってきた。

「わ…なに……?」

 そこは、四大要素の力を借りて有利が造り上げた世界ではなかった。

 扉は闇の中にそこだけ切り抜いたようにぽっかりと浮かび、向こう側は…淡い桜色、浅黄色、蜜柑色…そんな色彩を帯びた雲がたなびく、空のただ中であった。

 そして、ぽっかりとした雲のうえに優雅に腰掛けるのは雅(みやび)な楽人の群れ…手に手に胡弓や笛、竪琴をもつ者達。

 男女ともに梳(くしけず)った艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、肌も露わな肢体を幾重かに巻いた紗(うすぎぬ)で包み、鮮やかな色彩の羽根を背に負うた…美麗な妖怪達の一群であった。

 

「渋谷有利殿…我らの世界にお越し頂き、光栄至極に存じます」

 響いた声に、有利はほぅ…っと息を呑んだ。

 

 なんという美しい声なのだろう!

 

 グウェンダルやコンラートで美声には慣れているはずの有利も、朗々と響く…神々しいばかりの声…もはや、それだけで芸術と呼ぶに相応しい調べに、うっとりと聞き惚れてしまった。

 だが、聞き惚れるあまり思わず茫洋としていた有利も、そのうちの一人に気付くと目を見開くことになった。

「あ……君……」

 こく…と、頷くものの、その少女は声は出さなかった。表情も何処か無機質で、感情の色を伺うことは難しい。ただ…ちら…と上目づかいに送る視線に、微かに慕わしげな色が混じる。

 その少女は…あの陰惨な檻から有利が救い出した、生贄の一人であった。

「我が娘を救って頂き…なんとお礼を申せばよいのか分かりませぬ……」

「三百年近くものあいだ、失われていた我が娘…しかし、どれほど時を経とうとも子を思う親の気持ちに変わりはございませぬ。風の噂に、我が一族の名を騙る不埒者に浚われ…陵辱の限りを尽くされていると聞いたときは身が拉(ひし)がれる思いでございました……」

「辛かろう…哀しかろうと……」

「娘を捜して彷徨う日々が、我が生涯の尽きる日まで続くものと思っておりました…」

 彼らの唇が紡ぐ言葉はうつくしい調べとなって切なく響き…子を想う親の切なさが溢れ出て、有利の胸を締め付けた。

「それがこうして…我らがもとに再び迎えることが出来ようとは…っ!」

「こうして…再び抱きしめることが叶おうとは…っ!」

 ひし…と、抱き寄せられても相変わらず少女は無表情ではあったが、それでも…その腕の中が自分にとってやさしい空間であることだけは感じられるのか…静かに目を閉じている。

「我らは迦陵頻伽、全ての感情を詩に乗せて生きる者…」

「迦陵頻伽…!」

 楽人達の名乗りに、有利は驚きを露わにする。その名は、あの忌まわしい妖怪が名乗っていたものではないか。

「ユーリ…もともと、迦陵頻伽とは仏の悟りを謳う…極楽浄土の聖なる鳥なのだそうです。彼らが、本来の意味に近い種族なのでしょう。あの不気味な生物はその名を騙っていたに過ぎない…そう名乗ることでいっそう彼ら迦陵頻伽の種族を貶め、嘲笑っていたに違いない…」

「そっか…」

 《迦陵頻伽》…《かりょうびんが》…本来はそのうつくしい響きに相応しい、謳うことを最上の境涯とする種族であったのだ。

「歌うこと…それを、この娘は無惨に奪いとられていたのです」

「蔓草の猿轡を填められて、三百年ものあいだ…歌うことを奪われていたのです」

「なんという残酷な所行…なんという無慈悲な仕打ち…っ!」

「娘は、歌い方を忘れてしまったというのです」

「ですが…あなた様のことを想うその時だけ、娘の胸に詩が蘇るというのです」

「どうか…聞いては下さいますまいか……歌えますかどうか、分からぬのではありますが……」

「聞きたい!聞かせてください…っ!」

 有利は勢いよく頷いて同意した。

 そうするとひこひこと黒猫耳と王冠が動き、何とも微笑ましい様子になる。

 感情を忘れたかに見える少女の口元にまで、笑みが掠めそうになったほどだ。

「では…お聞き下さいまし…っ!」

 

 少女の両親と思しき男女が歌い始めると、弦が…笛が…滑らかに音を奏でだし、幾重にも重複し合う旋律は仲間達の間に広がっていった。

 

 妙なる歌声と楽の音とは共鳴し…ひびきあい……

 高く低く…強く弱く…

 思いの丈を伝えて大気を流れていく。

 

 その歌に感応したように、教室内に設置された扉がふるりと揺れ…その奥に潜む要素達までもが歌い始めた。

 

 大地と水と、火と風と……

 

 世界を構築する要素達が、互いに共鳴して…えもいえぬうつくしい調べをつくりだしていく。

 

「…っ!」

 少女の喉が震え…ぱくぱくと空気を求めるように開閉を繰り返す。

 だが…少女の唇から音が流れ出ることはない。

 少女の眉根は苦しげに寄せられ、涙が眦に浮かんでくる。無表情ではなくなったとはいえ…苦しみを露わにするその顔つきは、見ていて切なくなってしまう。

 

 《頑張れ》なんて、とても言えない。

 あんなにも頑張っている少女に、とてもそんなことは言えない。

 だが…有利の体腔いっぱいに広がっている想いはやはり、彼女を励ましたいという気持ちだった。

 

 だから…有利は歌った。

 

 勿論…天上の至宝とも言える迦陵頻伽達の美声の前では、有利の歌声など恥ずかしいばかりなのだが、それでも…《昔みたいにちゃんと歌えなくっていいから…だから、思い切って歌ってみて?》そう、伝えたくて…頬を真っ赤に染めて歌いあげる。

 そうすれば、意図を汲んだようにコンラートが声を合わせて歌い始めた。

 歌など正式に習ったことのない素人達の、拙い歌声…。

 だが、それは迦陵頻伽達の歌に乗って朗々と響き、不思議なハーモニーを作り出していく。

 

 

 その歌声は風に乗り、大気を震わせ…祭りの後のもの悲しさを感じつつ、校舎内で撤収中であった生徒達の耳に届いていった。

「え…?放送かかってる…?」

「違うよ。これ…生声だよ?スピーカーとかじゃない」

「何ていう歌なんだろ?凄い…綺麗……」

「うん…」

 生徒達は瞼を閉じて、じっと歌声に聞き惚れた。

 

 切ないような…幸せなような…

 懐かしいような…新鮮なような…

 

 不思議な歌は幾度か同じ旋律を繰り返すものだから、生徒達はいつしかその部分だけ鼻歌のようにハミングをするようになった。 

 

 妖怪の…魔族の…人間の歌声が絡み合い、少女を包み込むと…

 少女の喉はふたたび震え、音らしきものが流れ出ようとしたが…《ぎゅぇ…っ》というような混濁音を発してしまった途端、怯えたように喉が引きつってしまう。

 だが、有利とコンラートがその濁音に合わせて…軽快なリズムで濁音によるハーモニーを奏で出すと、少女は驚いたように目を見開き…そして、一緒になって濁音を出し始めたのだった。

 

 蛙の合唱のような、《ぎょっ》《ぎぇっ》《ぎゃっ!》といった奇妙な音声の連続音は、奇妙におかしみに富んだ響きで陽気に流れていくものだから、迦陵頻伽達までが一緒になって濁音を出し始めた。

 それがよほどおかしかったのだろうか?

 少女は…《きゃあっ》と、小鳥のように高い…笑い声を上げた。

 その次の瞬間…少女の喉からはまごう事なき妙なる音色…仲間達と同じように滑らかな、迦陵頻伽族独特の声音が迸ったのだった。

 

「………っ!」

 

 少女の…そして、仲間達の表情に歓喜の色彩があざやかにひろがった。

 

 少女は歌った。   

 力の限り、

 魂の限り…

 

 奪われ、汚され続けた魂がその浄化を求めて高らかに歌い…いつしか、何のために歌うのかも忘れ…ただ歌うこと自体を楽しむようになったとき、少女は朗らかな微笑みを浮かべたのだった。

 能面のように無表情であった少女の顔に、咲き初めたばかりの華のような瑞々しさが広がっていき、それに合わせて仲間達の歌声もまた豊かな表現を深めていくのだった。

 

「…きれい…すごく、きれいだ……っ!」

 有利の頬からは何時しか、滂沱(ぼうだ)の涙が流れ…その頬はコンラートのハンカチによってやさしく拭われた。

「噂に違わぬ美しい調べですね…。芸術方面には疎い俺ですら、心が震えるようです…」

「コンラッドは…知ってたの?この扉の向こうにこの人達がいるって…」

「トーリョから知らせがあったのです。天羽國の結界を解いたとき、すぐにこの迦陵頻伽の一族が娘の存在を感知してやってきたのだと…」

「…っ!天羽國…大丈夫なのかな?」

 結界を解く…それは、天羽國にとってあまりにもおおきな賭であろう。

 もともと弱まっていたとはいえ、その結界は彼らを護る重要な防壁であったはずだ。

「少なくとも、この一族については衝突は起こっていないようです。もともと穏和な種族でもあったので、ミェレル王の誠実な謝罪の態度にも触れ…また、あの少女自身のとりなしもあって、事なきを得たようです。そして…彼らは有利の存在を知り、なんとしても礼を述べたいとこの機会を借りたそうです」

 このように洒落た趣向にしたのは、企画に全面的に協力していたエルンストであろう。

「そうなんだ…でも、お礼なんて……」

「それだけのことを、あなたはしたのですよ…ユーリ」

 歌という形式をとれば流石に迦陵頻伽達に一歩譲るものの…こと、《ユーリ》と呼ぶその声音の滑らかさ…胸にじんと沁みるその深みについては、決して劣るところのないこの声音に…身も心も蕩けてしまいそうだ…。

「これは、あなたが破壊ではなく癒しを、罵倒ではなく励ましを贈ったことによりうまれた縁(えにし)です。融和と協調…言うに易く、なしえるにこれ程むつかしいことのない行いを、あなたがなしたから…」

 コンラートの腕は背後からすっぽりと主を包み込み、愛おしげに頬が黒髪へと押し当てられる。

「何て誇らしいんだろう!あなたを主と仰ぐことの出来る幸せを、俺は誰に感謝したら良いんだろう…っ!」

 至近距離で、感極まったように熱く囁かないで欲しい…。

 首筋まで真っ赤に染まってしまうではないか。

「あんた…そりゃあ、自分自身に感謝したらいいのさ」

「…俺自身に?」

「そんな大層なもんじゃにないと思うけど…それでもあんたが俺を良い王様だと思ってくれてるなら…それは、かなりの部分あんたのおかげだろう?…てことは、あんた…やっぱ自分に感謝しなくちゃならないのさ」

「なるほど…一本とられましたね」

 真っ向からの称賛とは、自分が受けてみると何とも気恥ずかしいものだ。

  

 頬を染め合う主従に苦笑を向けながら、迦陵頻伽達の歌はなおも響いていく。

 

 

 尽きせぬ感謝と、生きることの喜びを詩にのせて…。

 

 

おしまい

 

 

あとがき

 

 ひゃっほう!やっとこさっとこ完結しました。

 11月から書き始めて、月一ペースでノロノロと進行していたこのシリーズ、「前の話どんなだったっけ…」と、読者様も書き手もそんな調子であったように思います。

 ですが、天羽國での戦闘に突入してからはイケイケどんどんアイデアが沸いて出て、一気呵成に進行していったわけですが…如何でしたでしょうか?

 勢いに乗ったらのったで、感情が先張ってしまってわかりにくい文章を書いてしまいがちなのですが、幾らかでもこの話で述べたかった意図が伝わっていれば嬉しいです。

 今までも書いたように、このシリーズでは《グウェンダルの反省、コンラッドの活躍、離ればなれになったコンユの切なさ》が特に書きたかったテーマではあるのですが、前シリーズから一貫して続いているテーマもございます。

 それはやはり…有利が地球世界でも周りから大切にされ、有利も学校生活を大切にしているといいな…という願望です。

 私が書くと文科省くさい、押しつけがましい教育臭が漂いそうなのですが…気持ち的には有利の友人達は、有利のことを《不思議な人》と思いつつも、その秘密を暴いたり踏みにじったりするのではなく、優しく見守っていて欲しいです。

 児童文学に出てくるような、妖精や妖怪との友情を育む素朴な人々の心情が嫌みなく書ければ一番嬉しいのですが…なかなか語彙の少なさや表現力の乏しさのせいで表現しきれなかったように思います。

  このシリーズは友人達からの旅立ちの時を描くために、卒業式を基点にした話もいつか書こうと思っております。勿論…その後に続くコンラッドと有利の結婚式の話も含めて。

 ただ、なかなか面白い展開というか、主軸になる事件がまだ思いつきませんので、いつ書き始めるかは不明です。

 大変いい加減な予告で申し訳ありませんが、いつかまたこのシリーズ設定のメンバーに会えるといいな…と思いつつ、まずは筆を置きます(…というか、キーを破壊しそうな勢いで叩くのを止めます)。

 よろしければ感想などお聞かせ下さいませ!

 

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