君は俺のたからもの
「ユー…リ……」 信じられない。 狐に摘まれたような顔つきでコンラートは呆然と佇んでいたが、有利の身体がほわわんと自分の方に流れてくると、殆ど無意識に…しかし、力強く抱き留めていた。 「ユーリ…ユーリ……っ!」 ゆさゆさと揺すってやれば長い睫が揺れて…夢見るような黒瞳がほやんとした色を浮かべて現れる。 「コン…ラッド……?」 「そうだよ…俺だよ?ユーリ…君は、亡者に姿を変えられていたのかい?」 「へ…?俺?俺はずっとこの恰好のままだったよ?俺の周りにいたのはみんな凄い恰好のもーじゃで、怖かったけど……」 そこで有利は静かに瞼を伏せる。 「ああ…でも、最後にね…俺を助けてくれた大きなもーじゃがいたんだよ。俺をかばってくれたんだ。だから俺…そいつがおそわれてるときに助けてあげようと思ったのに…全然力になれなかったんだよ…。だから、俺…だめだめなんだ。しれんー…ちゃんとできなかった……。だからきっと今、コンラッドに会ってるのは夢なんだね?」 しょんぼりと項垂れる有利だったが… 「夢ではないよ…渋谷有利。お前は見事試練を乗り越えた。真の友たる人間と共にな…」 厳かな声が響き渡ると、辺りは眩いほどの光に包まれ…芳しいかおりと暖かな熱に包まれた。 「おめでとう、渋谷。君にしては…手放しで褒めてあげたいくらい、素敵だったよ」 何とか緩んできた目映さに、ゆっくりと瞼を開いていけば…そこには、優美な金髪碧眼の青年が豪奢な玉座に座して微笑んでおり、その傍らには…村田健が佇んでいた。 「これは…一体……」 「まぁ…大体分かるだろ?この試練はね、人間と親しくなった鬼と、その相手の人間の心根を試すためのものなのさ。お互いに見分けの付かない状況下…それも、相手の為に急がなくてはならない状況に追いつめておいて、本当の優しさを示すことが出来るのか…」 「姿形に惑わされぬ、誠心を示すことが出来るのか…見たかったのさ」 美麗な容貌の男が、張りのある声で面白そうに喉を震わせた。頭部には鋭く長い角が3本生えており、彼の威徳を示すように鮮やかな光沢を呈している。 「お初にお目に掛かる、コンラート・ウェラー…鬼の友たる男よ。俺が君を試した者、眞王だ…。さて、なかなか凄惨な様子だな。少々身綺麗にして貰おうか?」 眞王がぱちりと指を鳴らせば、コンラートの傷も服も元通りとなった。 「あ、誤解しないで欲しいな。今のは別にこの男の治癒力とか再生力なんていうご大層なものではないよ?元々…全てが幻覚だっただけ。今のは、シャボン玉を弾くようにその夢を解いて見せただけさ」 「………もーちょっとこう…俺の権威を護るために尽力しようという気はないのか?大賢者…」 「ないね。欠片ほども」 いっそ清々しいほどに言い切る村田…大賢者と呼ばれる少年は、この眞王の片腕的な存在であるらしい。 「なるほど…そういうものを見たいのであれば、あの試練にも妥当性があるか…」 確かに、試練に挑みながらもコンラートの脳裏には疑問があったのだ。 かつて地上にあったという国土を蹂躙された恨みは確かにあるだろう。だが、本当に人間を憎み、決して睦み合ってはならないというのなら、もっと地上への降下自体に規制が掛けられるのではないだろうか? または、人間と親しくなった鬼はそれこそ法によって捕縛され、収容所から出られなくなるとかいう方が彼らの目的には合致しそうなのだが…。 敢えて《試練》という形で鬼と人間の双方を試そうとするのは何故なのか不思議だった。 「俺はな…人間のせいでかつて鬼の友を失った。だが…同時に、人間に救われたこともあるのだ。だから、一様に人間と交わるなと断言するには惑いがあったのだ。完全に離別してしまうと面白い事が減るしな」 「僕には人間についてろくな体験がないから、反対したんだけどね…。この男が言い張るものだから、あの《試練》を乗り越えた者なら認めてやるというところで手を打ったんだ。くそ…良い試練だと思ったんだけどな。親しいはずの鬼と人間とが醜い争いを繰り返して、最悪、どちらかが相手を手に掛ける…なんてことも起こってねぇ…。そこで姿を元に戻してやると、とっても見物な情景にお目にかかれたものだった…」 村田が言う《良い試練》とは、成就されないことを前提にしているのではないだろうか?流石に、今回ばかりは有利のために成就を願ってくれたようだが。どうやら相当に基本的な性格は悪趣味であるらしい。 「村田…その人達……し、死んじゃったの…!?」 衝撃を隠しきれない様子で瞳を潤ませる有利を見た途端…村田の表情が変わった。 暗い悦びに浸っていた眼差しが、微かな怯えさえ滲ませて眇められたのだ。 「……死んでは、ないよ…。試練は全て幻だと言ったろう?実際に怪我をしているわけではないんだ。ただ…記憶だけは鮮明に残る。だから、そういう場合には鬼も人間も、二度と会いたいなんて言い出さないよ。それに…みんなどこかで音を上げるからね。実際には永遠に彷徨っている者なんていやしないんだ」 「そっか…」 安堵して溜息をつく有利をコンラートが優しく撫でつけてやると、すりり…と頬をすり寄せてきた。この温もりを得るために、試練を乗り越える事が出来た。あの時…有利の顔が浮かばなければ、途中で音を上げていたかも知れない。または、自らの手で有利を傷つけていたかも…。 「……渋谷、身体を休めたら…後は好きにしたらいい。試練を越えた以上、この男に関してだけは鬼の誰も文句を言うことはない…その男の家に行くなり、渋谷の家に遊びに来させるなり好きにしたらいい」 村田はひらひらと手を振ると、そのまま背を向けようとした。 細いその背中は語調の割に儚げで、コンラートは何か言葉を掛けてやりたくなったのだが…何と言っていいのか分からずに口籠もってしまう。 「じゃあ村田、コンラッドと一緒に俺んちに来いよ」 「え…?」 何の衒(てら)いもなく、気軽に声を掛けたのはやはり…有利だった。 「村田、最近キゲン悪くて俺んちにあんまり遊びに来てないだろ?俺、さみしかったんだぜ?なあ、きっと家に帰ったら宴会をひらいてごちそうも出してくれるからさ、一緒に来いよ」 「……君…怒って…ないの?」 「…何を?村田がキゲン悪かったこと?しょーがないよ。気分が凹むことなんて誰にでもあるもんな」 会話が噛み合ってない。 でも…通う感情は何ともいえず暖かい。 だからこそ、有利はこの村田と付き合っていくことが出来…村田にとって有利は掛け替えのない存在になり得るのだろうか? 「…じゃあ、お邪魔しようかな。美子さんのカレーも久し振りに食べたいし」 「あのなぁ…俺んちのごちそうというとカレーだけみたいに言うのやめてくれよ。コンラッドに恥ずかしいじゃん。他にもシチューとか肉じゃがとか…」 「全部基本材料が近いものばかりだよね?」 「…………うん……俺もちょっとだけそれはそうかなって思う…。ねぇ…コンラッド、カレー好き?」 「鬼カレー?凄く辛いのかな?」 「ううん…実はお袋、昔人間の世界で食べたカレーが忘れられなくて、ルーだけまとめ買いしてんだ。だから、俺んちのカレーはいつもバーモントカレー甘口なの。お袋、いっつも《りんごとはちみつとろおりとけてる》って歌ってるんだけど、《とろおり》ってナニ?こないだ食べさせてくれたトロがはいってるの?」 「帰ったら教えてあげるよ。たくさんたくさん…君に教えてあげたいことがあるんだ」 ゆっくりと、君と時を過ごそう。 俺達は、試練を越えて認められたのだから…。 たからもののような君と、これからも共に過ごして良いのだと…。
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