「鬼っ子と血汚冷凍」

 

 

「《チョコレート》…これは、本当は《血汚冷凍》といってね?汚れた血を固めて冷凍した…恐ろしい食べ物なのさ」

「でも…でも…っ!そんな恐ろしいものをどうしてコンラッドがいっぱい貰うんだよ…!?」

「これは人間の女しか知らない秘儀だからさ…男は、みんな《自分はモテている》と思いこんでこの恐ろしい食べ物を口にするんだ」

 ぶるぶると震えて泣きそうな顔をしている友人に、村田は尚も畳みかけていった。 

  村田は、何しろ気に入らなかったのである。

 再三の忠告にもかかわらず、友人は先日も人間の家に遊びに行ったらしい。

『全く…人の気も知らないで…』

 まあ、鬼ですけども。

『そんなところに何度も遊びに行けば、いつかは犯(や)られてしまうぞ?』 

 それでなくとも無防備かつ可憐な友人は、鬼の世界でも色々な男女に目をつけられているのだ。

 鬼達は16歳になって真の角が生えてくるまでは取り決めにより手を出せないが、人間達はそうはいかない。何しろ、あの連中は相手が赤ん坊でもセックスするような非道さえ働くのだ(村田の知識はかなり極端であった)。

「どうしても行きたいって言うなら止めないけど…これだけは気をつけておいで?」

「分かってるって!チョコレートもあれも食べないよっ!」

 チョコレートの話も恐ろしいが、《あれ》も口にするとまずい。

 何しろ、16歳以下の子鬼が《あれ》を口にすると、雲の上の鬼世界に帰れなくなる。

 有利が16歳になるまでにはまだ5ヶ月もあるのだ。

 その期間中地上で暮らすことになったりすれば、きっとコンラートにも迷惑を掛けるだろう。

『コンラッド…』

 それでも…彼のことを考えると、有利はついついにこにこ笑顔になってしまう。

 あんなに素敵な人間と友達になれたことを考えると、いつだって胸の奥がほこほこと暖かくなるのだ。

『あの飲み物もお菓子も美味しかったなぁ…』

  ココアという美味しい飲み物を貰ったときのことを思い出す…。

 コンラートは琥珀色の宝石みたいな瞳に柔らかい光を湛え、こくこくとココアを飲む有利を幸せそうに見つめていた…。

『ユーリ…火傷するといけないから、ふーふーして飲んでね?』

 大人の男の精悍な声なのに…語りかける言葉は優しく、甘い響きさえもって有利を蕩かすのだ。

 初めてご馳走になったときはあんまり美味しかったから、きっと人間の食べ物が特別に美味しいのだと思ったけれど、先日コンラートの家にお邪魔した時にそうではないことを知った。

 必ず雷雨の時に訪れる有利に配慮して、コンラートはベランダに鍵つきの小さな扉を設置してくれた。有利が持つ鍵でだけ開く特別な扉だ。

 コンラートが会社に行っている間に訪れた有利は、その扉から入って、ふくふくのタオル(これもあらかじめコンラートが用意してくれたものだ)で身体を拭くと、ぶかぶかのバスローブを羽織ってソファに座り、山ほど盛られたお菓子を口にした。

 サクサクした歯触りの焼き菓子は以前にも食べたもので、その時はとても美味しかったのに…何故だかとても味気なかった。

『どうしてだろう?』

 そう考えていたら…コンラートが帰ってきた。

『よく来たねぇ!』

 にこにこ顔で飛び込んできたコンラートの顔を見た途端…口の中にほわりと美味しさが広がった。

『ああ…コンラッドがおいしさのもとだったんだ!』

 そう…彼が微笑みながら見ていてくれると、とっても食べ物は美味しくなるし、玩具で遊ぶのは素敵に楽しくなるのだ。

『えへへ…俺、きっとコンラッドのことが大好きなんだ』

 にこにこと一人で微笑む有利に、村田は盛大に眉を顰めた。   

 

*  *  *

 

「やあ、ユーリ。いらっしゃい!」

 コンラートはマンションの扉を開くと、駆け寄ってきた鬼っ子に優しい笑みを浮かべた。

 …が、鬼っ子はコンラートが手に提げた紙袋を見ると硬直してしまった。

「こ…コンラッド…まさかその手に持ってるの……っ!」

「ああ、チョコレートだよ。今日はバレンタインなんだそうで、沢山貰ったから一緒に食べようね?」

「駄目ーっっ!!」

 有利はコンラートの所持するチョコレートの山に飛びつくと、ぐいぐい部屋の隅に追いやった。

「だめ…あんな恐ろしいものを口にしちゃだめ!のろわれちゃうんだからっ!」

 仁王立ちになって必死の形相で叫ぶ子鬼に、コンラートはぽかんと口を開けた。

  今の有利はいつもの通りぶかぶかのバスローブを羽織り、ぷくぷくした手足が露出している(大きくなったとき丁度サイズが合うようにしているからだ)。

「そんなに暴れてはいけないよ、ユーリ?ほら、ぽんぽんが出てる。お腹を壊すよ?」

 心配そうに襟合わせを戻してやると、子ども扱いされた有利はもどかしそうに足を踏みならした。

「あのね…この食べ物はね…っ!」

 真剣に村田が言っていたことを教えてあげると、コンラートはくすくす笑って有利の頭を撫でた。

「ありがとう…心配してくれたんだね?うーん…確かに、想いを伝えたくておまじないに妙な物を入れる話は聞くけどね」

 マフラーに髪の毛を編み込んでいるとか、チョコレートに愛液や血を数滴混ぜるとか…確かに、可能性がないわけではない。

「でも、俺が今日貰ったのは全部お店で買ってきたやつみたいだよ?」

「お店?」

「うん、手作りのチョコレートは学生なんかだとよく作るみたいだけど、会社で目上の人にあげたりするときにはやっぱり買ってきた物が多いんだよ」

 一箱コンラートが取り出したものは綺麗なダークブラウンの包装紙に包まれた箱で、ブランド名の入ったリボンが刻印でとめられていることから、後で手を加えることは困難に思われる。

「そっかぁ…」

 安心したら、馥郁たる香りを漂わせるチョコレートの群れにごくりと喉が鳴った。

「食べてみる?」

「い…良いの?」

 有利はもじもじと脚をすりあわせた。

「……えらそうにおこったりしてごめんなさい…。俺が知ってるくらいなことは、コンラッドはかしこいからちゃんと分かってるんだね?」

「賢くなんかないよ?それに、ユーリが心配してくれているのがよく分かったから、とても嬉しかったよ?」

「本当?」

「うん、本当だよ?」

「えへへ…」

 有利は笑顔を取り戻すと、コンラートの差し出したチョコレートを一つ摘んでみた。

 紅いハート形のチョコレートは実に美味しそうな香りを漂わせていたが、一口囓ると赤黒い液が溢れてきた。

「うわ…っ!やっぱり血が…っ!!」

「ああ…違うよ、カシスっていう果実を煮詰めた物だよ?血だと変な色に固まっちゃうからね」

 慌てて振ってしまったせいで、ふっくらした有利の手にはカシスチョコレートの液が垂れてしまう。

 それをぺろりと舐めて拭うコンラートには全く他意はなかったのだが…舐められている有利の方は、心臓がばくばくと音を立てて踊り狂い…あわあわと上ずる声が喉奥からもれてしまう。

「ユーリ?どうかしたの?…あついね、熱でもあるのかな?」

 きょとりと小首を傾げて、コンラートが有利の額に自分のそれを当てる。

『わぁああ…っ!!』

 有利は首元まで真っ赤に染めてしまうが、コンラートの方にはさっぱり変化の意味が分からない。大きくなった有利の身体には無意識に反応を見せたものの、小さな鬼っ子に対しては純粋な慈愛の念しか持っていないので仕方のないことだろう。

 まさか…こんな小さな鬼っ子が、自分との接触に酷くときめいているなんて思いつきもしなかったのだ。

 有利の方も、自分の過緊張状態がそんな意味合いを含んでいるなど気づきもしないから、ひたすら硬直してドキドキ感に堪えていた。

「お風呂に入ろうか?」

「ううん、平気。そ、それより。チョコレートもっと食べたい!」

 前は平気だったのだが…コンラートの逞しい裸体を思い出すと、これまた頬が染まってしまうのだ。

 思わず恥ずかしいのを誤魔化すためにぱくぱくとチョコレートを食べていくと…ますます身体の奥が熱くなっていくような気がする。 

「そんなに食べると流石に身体に悪いかも知れないよ?カカオはもともと、精力剤として使われていたものだから眠れなくなるかも知れないし…少しお酒も入っているし…」

「……………お酒?」

 びくり…と有利の手が震え、チョコレートを持つ手が止まってしまう。

「は…入ってるの?」

「うん。風味づけ程度だけどね?」

「も…もう止めとく!」

 どきどきばくばく…

 有利の胸が早鐘を打つ。

 子鬼が口にしてはいけない《あれ》とは…お酒のことだ。

 酒精は一人前の鬼になり、正規の角を得れば何樽でも飲めると言うが…その反面、子鬼にとっては毒に近い代物なのだ。

 酷く長期間にわたって身体を弱らせてしまうから、決して口にしてはいけないと言われている。

『どうしよう…っ!』

 人のチョコレートを横から貰っておいて、こんなことになるなんて…。

 有利はしょんぼりと肩を落とすが、心配するコンラートに事情を話すことも出来ず…夕ご飯を作るために厨房に向かったコンラートを見送ると、彼が買ってくれた子ども服に袖を通した。今ご飯を食べれば、大きくならないことを訝しがられるはずだ。

『お酒が抜けるまで…どこかに隠れていよう』

 そして、お酒が抜けたらコンラートにご飯を食べさせて貰って、大きくなって空に帰って…。

 でも…それは何時のことになるのだろう?

 もしかしたら、いつまでもお酒が抜けないうちに元気がなくなって、二度とコンラートに会えないうちに死んでしまうかも知れない。

 怖い…。 

 ぼろぼろと涙が溢れてくるが、懸命に目元を拭うと有利は駆け出した。

 けれど…扉にとりついてがちゃがちゃしていると、押しても引いてもなかなか開かないことに気付いた。実は有利の気付かない高さに内鍵がついており、そこを解錠しないと開かないのだ。

 そうこうしているうちに気付いたコンラートが駆けてきた。

「どうしたんだい?ユーリ…今日はもう帰るのかい?あれ…でも、こっちの扉からどうして…」

「こ…コンラッド……っ!」

 振り返った有利の顔が涙でぐしょぐしょなことに気付くと、コンラートは大慌てで子鬼を抱き上げた。

「一体どうしたんだい?聞かせてご覧?」

「う…うぇぇん…っ!」

 有利はぼろぼろと涙を零すと、つっかえつっかえ事情を話さざるを得なかった…。


*  *  * 

「何て馬鹿なことを…っ!」

 コンラートは本気で怒っていた。 

 それが分かるので、有利はコンラートの膝の上で一層小さくなって《ふぇえ…》と涙を零した。

「ここにいると俺に迷惑を掛けるかも知れないだって?そんなことよりも、二度とユーリに会えないことの方が迷惑だ!ユーリが橋の下で衰弱して死んでいた…なんてニュースを聞いたら、俺がどれだけ哀しむか分かるかい?」

「ごめ…なさ……っ!」

 ひっくひっくとしゃくり上げる子鬼に、もう十分お灸は据えたかな?と確信したコンラートは、一転して優しい声を掛け…後ろからぎゅううっと抱きしめた。

「鬼の世界に帰れるようになるまで、ずっとここにいるといい…。日中は仕事でいてあげられないけど、この家の外で過ごすよりは快適なはずだよ?」

「でも…迷惑じゃあ…」

「まだ言うかい?酷いお仕置きをしようか?」

 むにぃぃ…とほっぺを両方から引っ張られると、今度は痛くてべそをかいた。

「もう言いません〜っ!」

「よし、じゃあ良いね?それに、俺は本当にここにいて欲しいんだよ?」

「本当?」

「ああ…だって、いままで疲れて帰ってきたときに、家に誰もいない毎日は何処か寂しかったけど…かといって、気を使う相手と結婚したりすると自由が無くなるような気がして二の足を踏んでいたんだが…。ユーリには何だか気を使わなくて良いし…今までだって、帰ったらユーリがいるかも知れないと思うだけでとても楽しい気分になったんだよ?」

「お…俺も!コンラッドと会えるときは胸がほこほこするのっ!!」

「じゃあ、決まりだね?」

 指切りげんまん、嘘突いたら針千本のーますっ!

 指切った!

 コンラートと有利はこうして、同居生活を始めることになったのだった。

 

* うちでは珍しい、「コンラートの方にその気が無くて有利の方がドキドキ」なカップリングで展開していきます。お付き合いの程よろしくお願いします〜 * 

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