鬼っ子有利シリーズ23「夜のできごと」



 

 シュトゥットゥガルトにあるグウェンダルの屋敷にやってきた有利達は、旅疲れた身体をそれぞれ寝台に横たえることとなった。

 

*  *  *

 

「ん…トイレ……」

「ユーリ、目が醒めちゃった?」

 有利が目元をこしこししながら寝ぼけ眼でベットから降りようとすると、眠っていたとは思えないくらい清涼な雰囲気でコンラートが声を掛けてきた。

 見ると、シャワーを浴びてパジャマは着込んでいるものの、ガウンを羽織って本など読んでいた様子だった。

 有利が起きたのに気付くと、サイドテーブルの上に載せていた携帯ランプを提げて優雅な動作で部屋を照らした。

「トイレはこっちだよ」

「うん…分かると思う。コンラッドは寝ててぇ…。」

 ふにふにと頭を揺らしながらも、有利は覚束ない足取りながら一人でそれらしい方角に向かおうとする。

 けれど、コンラートは素早く回り込むと有利を抱きかかえて小走りにトイレへと向かった。

 ちなみに、有利が最初に向かおうとしたのは廊下に続く扉である。

 

*  *  *

 

「ゴメンナサイ…起こしちゃったね?」

 用足しをした有利がほんのり頬を染めながら部屋に戻ると、コンラートはメイドに用意させていた軽食をバルコニーのテーブルの上に並べていた。

 バルコニーには沢山の草花が素焼きの器に入れて置かれており、ランプの光を受けた白い花弁が愛らしく揺れている。

 空には満天の星が鏤(ちりば)められており、素敵な夜のお茶会が始まった。

「実は俺も眠れなかったんだよ。少しお腹に入れてから眠らないかい?」

「うん、食べる食べる!なんか、出すもん出したらお腹空いちゃった!」

 白いテーブルの上には小さくカットされたサンドイッチと果物、薄くカリカリとした焼き菓子が並び、ほどよく温められたミルクが甘い香りを漂わせている。   

「ふわぁ…美味しそう」

「さあ、召し上がれ」

 こくりとミルクを口に含めば、二人の口から同時に満足げな吐息が漏れた。

 外気は少し肌寒いが、新緑の香りをのせた大気が吹き寄せてきて暖かなミルクを一層美味しく感じさせる。

 コチ…コチ……

 ゆったりとした振り子音を立てる大時計は、2時を指し示している。もう少しゆっくりと食べてから眠っても、それなりに微睡みを楽しめそうな頃合いだ。

 けれど、有利はこの屋敷に向かう道中から眠っていたせいもあり、すっかり目が冴えてしまっている。それに、異国の地で迎える夜のお茶会は何だかとても特別な感じがして…もう眠ったりするのは無理なような気がした。

 こんな夜は、好奇心がむずむずと疼いてしまう。

 いつもは面と向かって聞けない様なお話を、コンラートから聞けるのではないか…そんな気がして、有利はおねだり顔になった。

「ここ、大きなお屋敷だねぇ…。コンラッドはちっちゃいとき、ここで暮らしてたの?」

「いいや。ここはグウェンダルの父さんの持ち物だから、俺は何度か遊びに来ただけだよ」

「お父さん?あ…そっか……」

 そう言えばグウェンダルから聞いたことがある。コンラートの兄と弟とは全て父親が違うのだと…。

 それ以上聞いたものかどうか迷っていると、コンラートの方からぽつらぽつらと色んな話を聞かせてくれた。

 

*  *  *

 

 現在のドイツには正式な貴族制度というものは存在しない。だが、古くから伝えられている家門には幾つか《フォン》という貴族を顕す呼び名を誇らかに含めているものがある。

 そのひとつがグウェンダルの父の家系であるフォン・ヴォルテール家、ヴォルフラムの父の家系であるフォン・ビーレフェルト家、母ツェツィーリエの家系であるフォン・シュピッツヴァーグ家である。

 ちなみに、コンラートの父ダンヒーリーの家系であるウェラーも、実はよくよく辿れば名のある家門であるらしいのだが、こちらは嗜好の問題なのか、《フォン》を冠して名乗ったことはここ数代ないという。

 

 

 グウェンダルの父は息子同様の堅物らしく、ツェツィーリエと結婚したときには友人・親族の殆どが《この結婚はうまくいかないだろう》と予測したそうだ。

 案の定、グウェンダルが生まれて間もなくツェツィーリエの浮気(彼女の表現によれば《つまみ食い》)が原因で大喧嘩をした挙げ句、離婚が成立してしまった。

 このため、グウェンダルは幼少期を厳格な父と、その父を育てたというこれまた厳格な乳母に養育された影響か、一見したところ岩鉄のような人格に育ってしまった…かに見える。

 だが、ここ最近の有利やコンラートとの接触、そしてこの屋敷の端々に置かれた愛らしい手作りの品などから見て取るに、実際には相当に熱量の多い性格なのかも知れない。

 

 

 恋多き女ツェツィーリエは、グウェンダルの父との離婚後も数多くの浮き名を流した。 コンラートの父とはそれなりに長い蜜月が続いたのだが、実はこの二人、正式には結婚していないらしい。ツェツィーリエの兄、シュトッフェルが推し進める婚儀をはね除けての恋愛だったことや、ダンヒーリー自身が自由気ままな旅を好んだこともあり、家と言えとの繋がりとしては最も薄い繋がりであったそうな。

 ちなみに、コンラートは危うく戸籍を入れ忘れられかけ、心配したグウェンダルの父が手配してくれなければ私生児扱いになるところだったそうだ。

 それでも、父も母もたまに会えば(普段は乳母が養育してくれた)猫っ可愛がりにコンラートに愛情を降り注いでくれたので、特に不満を感じたことはなかった。

 特に父はコンラートが大きくなると世界中を一緒に旅して回ってくれたので、すっかりコンラートの世界観はグローバルなものになっていった。

 

 

 コンラートが幼い時分に、ツェツィーリエはヴォルフラムの父と結婚し、この時グウェンダルの父やダンヒーリーはまだ存命中であった。

 彼らがこの結婚に際しても特に何か言ったという話は聞かないので、その心情は推し量るほかないが…この自由奔放な女性をつなぎ止める鎖などない…と、諦め半分で認識していたものと推測される。

 なお、ヴォルフラムの父はグウェンダルの父以上に短気な男性であったらしく、電撃的な結婚の後、僅か2ヶ月という短期間で離婚してしまった。

 これには流石のツェツィーリエも反省したらしく、《あたくし、もう二度と結婚なんかしないわ》と言っていたそうだが、それが相手を求めない…という意味でなく、結婚という縛りに囚われないという意味であったことは間違いない。

 

 

 なんだか、有利が聞いている分には随分と凄まじい家庭環境のように思われるのだが…コンラートは父のことは勿論、母のことを語る折りにも笑みを含んだ暖かみのある口調であったので、彼が放埒な母をありのままに受け入れ愛していることが伺えた。

「コンラッドの母さんはよっぽどチャーチルな人なんだね」

「うん、とってもチャーミングだね。俺もそう思うよ」

 かつてのイギリスの首相を思わせる語彙にも特に突っ込みは入れず、コンラートは有利の意図だけを汲み取ってにっこりと笑った。

「今でもとても綺麗なんだよ?誰もが好きになって、恋をしてしまってもしょうがないな…って思うくらいにね」

 そう言うコンラートの表情は誇らしげで、見ている有利も幸せな心地になるのだった。 でも…ちょっとだけ気に掛かることがある。

「あの…さ?」

「うん?なぁに?」

「コンラッドは…結婚しても、他に好きな人が出来たらその人とレンアイしちゃうの?」

 コンラートは思わず、口に含んだミルクで霧を吹くところだった。

「い…いや、俺は……」

「どう?」

 じぃ…と見上げるつぶらな瞳を前に、《するよ★》などと誇らかに告げられる人物が居るとすれば見てみたいものである。

 有利の眼差しが怪訝そうに顰められるのを見た途端に、その人物を牽引して物陰に引きずり込んでしまいそうだが…。

「しないよ。俺は…ひとりだけを見つめていたいから…」

 琥珀色の瞳が銀色の光彩を瞬かせ、まるで夜空に浮かぶお星様のようだ…と、有利は思うのだった。

「ほんと?…えへへ。俺も、大好きな人ができたらずっと俺のことだけ好きでいて欲しいし、その人のことをずっと好きでいたいって思うな」

 はにかむように頬を染めていた有利だったが、ふと眉を寄せて急に困り顔を作ってしまう。

「こ…コンラッドは……もう、そんなくらいに好きな人…いる?」

「え…?」

 今度は、コンラートもすぐに答えを返すことは出来なかった。

『好きな…人?』

 《大切な人》は誰かと聞かれれば、即答することは出来る。

 家族よりも友人よりも大切な人…それは、目の前にいるこのちいさな鬼の子だ。

 だが、まだコンラートにはこの気持ちがどういうところまでを含めた想いであるのか整理がついていないのが現状であった。

「ユーリには、いるの?」

 苦し紛れに振り返せば、有利はしょぼんとして唇を突き出してしまう。

 誤魔化されているとでも思ったのかも知れない。

「………ナイショ」

『そりゃ…そーだよね。俺のこと幾ら大事に思ってくれてるって言っても、俺…男だし、コンラッドは大人で…俺なんて、まだ本当の角も手に入れてないひよっ子だし…うー……コンラッドは恋人とか奥さんとか…やっぱ欲しいのかな?』

 うじうじと悩み掛けて、慌ててふるるっと首を振る。

『そーゆーコト考えてるとろくなことないぞっ!大事なのは、コンラッドが幸せでいてくれることだろ!?』

 嫉妬でくらくらした頭と目では、物事がただしく行われないに違いない。

 傷つけられたコンラートの心を癒やし、志半ばで断念せざるを得なかった仕事を思いっきりやらせてあげること…それこそが、有利がやらなくてはならない…やりたいことだ。

『そーだよ!そのためにはウジウジしたりしてないで、一杯食べて一杯眠らなきゃ!』

 有利はこくこくと勢いよくミルクを飲み込むと、ふんむと下腹に力を込めて元気を出した。 

「よーし、食べたっ!コンラッド、もー寝ようよ!ちょっとでも余計に眠って、元気出して明日は踊りまくらなきゃっ!!」

 椅子から飛び上がるようにして元気いっぱいになった有利に、コンラートがほっと安堵の吐息をつくのが分かった。

『ああ…ユーリは、なんて素敵な子なんだろう!』

 いつだってきらきらして、鮮やかにコンラートを照らしてくれるお日様のような子ども…この子以上に大切に思える様な女性が現れて、その人と結婚する未来など、今のコンラートにはとても想像できなかった。

 

*  *  *

 

「ふふ〜ん、ふ〜ん…」

 しゃこしゃこと歯磨きをしながらバルコニーの外を何の気為しに見ていると…視界の端に、ちらりと金色の色彩が掠めていくのを捉えた。

『?』

 よく見ると、金色のそれは誰か人の髪の毛のようだった。

 だが…手すりから身を乗り出して有利が覗き込むと、ふわ…っと翻って茂みの向こうに消えてしまう。

『あれって…もしかして……』

「どうかしたの?」

「う…ううん。なんでもない」

 コンラートはどうやら、緊張していたせいか殆ど眠っていないようだった。一緒に捜したりしては睡眠不足になってしまうに違いない。

「コンラッド、俺…もう一度トイレに行ってから寝るよ。だから、コンラッドは先に眠ってて?」

「まだ眠くないよ」

「もー、子どもみたいなこと言わないのっ!」 

 腰に手を当ててお兄さんぶって叱る有利は、いつもと逆の立場がちょっとばかしくすぐったいのだった。

「ほらほら!眠って眠って!お布団に入ってたら、眠ってないつもりでもちゃんと身体は楽になるんだからねっ!」

 半ば強引にコンラートを布団へと押し込めた有利は、寝室の扉を開けてぱたぱたと駆けだした。

 向かう先は、バルコニーから金髪らしきものが垣間見えた茂みの辺り…。

『あれがホントにコンラッドの弟なら、ちゃんと言ってあげるんだ…。コンラッドは、あんたのことが大好きなんだって…っ!』

 飛ぶ様に駆けていく鬼っ子の姿が、宵闇の中に消えていった…。

 

*  さて、次回はいよいよヴォルフラム登場です。別にどうでも良い!?いやいや、我慢強く見守って下さい。  *



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