鬼っ子シリーズ22「縫いぐるみ」
ドイツの空港に降り立ち、必要な手続きを済ませた一行がロビーで一休みしていると、一際長身の男性が歩み寄ってきた。 ストライドの大きなその歩様は貴族的な優雅さを滲ませつつも、何処か武人的な果断さの方を多めに含有しているようだ。 「良く、来たな…」 「ああ、グウェン。お世話になります」 響きの良い低音が簡潔な出迎えの言葉を掛けると、コンラートは《ああ》という言葉の後に半瞬ほどの間を開けて、《グウェン》と兄を呼んだ。 その半瞬の意味するものが、これまで親しむことの無かった兄に対する気恥ずかしさであることは明瞭で、心なしかコンラートの頬には赤みが差している様だ。 グウェンダルの方も幾らか驚いたらしく、その濃灰色の瞳を微かに開大させたかと思うと、一瞬…掠める様な微笑みを口角に浮かべた。 すぐに、さりげなさを装って手掌の中に閉じこめてはしまったのだが…。 『あれ?もしかして…照れてる?』 コンラートの口元にもくすりと笑みが浮かぶ。 コンラートは先日、兄がドイツ行きを勧めてきた折には本心が掴めなかったこともあり、電話口ですげなく断ったのだが…有利に説得されて直接グウェンダルとの間に会話を持つと、少なくとも以前の様に頑なな態度は示さなくなっていた。 『この人は案外、俺のことを気に入ってくれているのかも知れない』 そんな風にさえ感じられたのだ。 実のところ…グウェンダルが包含する家族愛の深さは本人が持て余すほどの量なのだが、そこまではまだコンラートも気付いていない。 グウェンダル本人も、気付かれないように留意しているのだからこれは仕方のないことであろう。 「お兄さん、こんにちは!お世話になりますっ!!」 ぴょこたんとソファから飛び上がって有利がお辞儀すると、小脇に提げていたうさぎ人形の村田もぽぅんっと弾んでしまう。 『渋谷ったら、動きが激しすぎだよ』 『ごめんごめん』 小さく謝る有利だったが、グウェンダルの方はそんな不審な動作に気付く余裕もなかった。 顔に似合わず可愛らしい物好きのグウェンダルにとって、それでなくても愛くるしい有利が大きなうさぎ人形型の鞄を斜めがけにしている姿…それも、遙か眼下でちんまりとお辞儀している姿をみて、鼻の下を伸ばさずには…いやいや、目尻を下げずにはいられなかったのである。 「お兄さぁ〜ん。俺もお邪魔しまーす」 手をひらひらとふって挨拶してくるヨザックへと故意に視線を合わせると、グウェンダルは努めて冷静な表情を作り出すことに何とか成功した。 鮮やかなオレンジ髪が目に眩しかったが…。 「疲れているだろうが、もうすぐ日も暮れる…屋敷に移動してから休んでくれ。それから…急なのだが、明日の夜は舞踏会に参加して貰う」 「舞踏会…ですか?」 「ああ、母上とヴォルフラムを屋敷に呼んでいたのだが…。あの方は…まぁ、あの通りの方だからな…。ここ一年ほどこちらに戻らず旅をされていたものだから、帰って来るなり崇拝者が詰めかけてしまってな。急な話なのだが明日の夜、宴を開くことになった」 そういった催しが余程苦手なのだろう。グウェンダルは如何にも忌々しそうな表情だ。 「ヴォルフラムもそこに?」 コンラートの思い出の中には二人のヴォルフラムの姿がある。 一人は幼い…コンラートを慕う《弟》。 もう一人は成育し…コンラートを兄とは認めない《少年》。 『今もまだ、俺は赦されてはいないのだろうか?』 赦される…。 何を赦されれば、昔のようになれるのだろうか? 彼が一体何に対してあのように怒っていたのか、それすらも知らないというのに。 「その予定だ。それに…今回は奴も来る」 《シュトッフェル》…告げられた伯父の名に、コンラートの側頭部がずきりと痛みを訴えた。 「…そうですか」 《お前が家族と呼んで良い者は墓坑のなかに居る男だけだっ!!》そう罵倒しながら、火掻き棒で殴りつけられた記憶がコンラートの背筋を強張らせ、突き上げる様な吐き気が襲う。 子ども時分は幾度も悪夢を見て飛び起き、日中に思い出せば酷い冷や汗を滲ませながら吐いたこともある。 だが…コンラートの手をちいさな手がきゅ…っと握りしめてくると、そんな強張りや吐き気がふわりと失せていくのだった。 「コンラッド、疲れちゃった?何か飲み物のむ?あ、お兄さんはすぐに屋敷に行こうって言ってたけど、やっぱりちょっと休んでいこうよ!」 両の手で…二回りもおおきなコンラートの手を懸命に握りしめ、有利はなんとかコンラートの気分を向上させようと必死だ。 まっくろでつぶらな瞳にじぃっと見つめられると…心の中で蟠(わだかま)っていた恐れがほぐれ、あたたかいものがじんわりと伝わってくる。 「平気だよ、ユーリ…」 「本当?コンラッド」 膝を突いて有利を抱きしめると、小脇から滲み出る様な声がした。 『おやおや…君、随分と渋谷の感触を堪能してるみたいだねぇ?幼児の身体はそんなに触り心地が良いかい?』 「……………」 素敵な気分、台無し。 「………行きましょうか」 コンラートは有利の手を引くと、たすたすとグウェンダルの後に従った。 『あ〜ららぁ〜……』 何となくその背中が疲れて見えたのは、ヨザックの気のせいではないだろう。 * * *
シュトゥットゥガルト郊外の閑静な住宅街に車が停まる頃には、すっかり寝入ってしまった有利は後部座席に埋まってしまっていた。 「起こすか?」 「いいえ…よく眠ってますから、このまま連れて行きましょう」 グウェンダルが問うが、勿論この男が頷くはずもない。 コンラートは蕩ける様な笑みを浮かべると、大切な宝物を扱うように(実際、彼にとっては何物にも代え難い宝物なわけだし)丁寧な動作で有利を抱き上げ、そうっと屋敷の中に運び入れた。 「おーや…随分と可愛らしい…」 通された部屋にヨザックは苦笑を噛み殺した。 室内装飾に関して実用一辺倒だったコンラートが自宅の内装をポップなものに変えたときにも笑ったものだが、グウェンダルの屋敷はその上を行くものであった。 長い歴史を感じさせる重厚な屋敷は、深紅色を基調としたペルシャ絨毯や凝った造りのタペストリー、飴色の猫足家具にアンティークな大古時計と、古物商を唸らせる様な名品揃いなのだが、コンラート達のために用意された部屋はどう考えてもその中の一室とは考えにくい様相を呈していた。 壁の色は暖かみのある卵色とオリーブグリーンで、随所に動物や鳥の絵が描かれている。天井は白い雲の浮かぶ空柄で、家具の上には可愛らしい縫いぐるみが溢れるほどに置かれている。 なんとも、ひととし取った大人が身を置くには軽く居たたまれない様な空間だ。 「お兄さんってば、ユーリ坊ちゃんのためにこんなに用意をされたんで?」 「そう言うわけではない」 「へぇ?」 ヨザックは《照れ隠しですかい?》と言いたげににしゃりと笑ったが、ふと辺りに置いてある縫いぐるみの様子を詳しく見ていくと《あれ?》という顔をした。 「ありゃ?確かにこりゃあ…殆どのものが結構年季が入ってますね」 「……私が作ったのだ」 「…はぁ!?」 コンラートとヨザックの声が揃う。 「………必要なものは用意しているつもりだ。何か足りないものがあれば鈴でメイドを呼べ!今夜はゆっくり休め!」 必要なことだけ手短に伝えると、グウェンダルは大きなストライドで闊歩して部屋を出てしまった。 「お兄さんてば…結構器用だったりする?」 ヨザックは箪笥の上に置かれた縫いぐるみを手にすると、綺麗な縫い目に感嘆と呆れの混ざった眼差しを送った。 しかし、どうしてものか…そのやたらと出来の良い縫いぐるみの傍に置かれた編みぐるみは、やはり丁寧に編まれているにもかかわらずやたらと不細工である。縫い物と編み物とでは勝手が違うのだろうか? 「なあ、コンラッド…」 呼びかけた先で、コンラートはある方向を見つめたまま沈黙していた。 余程奇妙なものでもあったのかと目線をやったヨザックだったが…彼が何に目を奪われているのか気付くと、ふわりと微笑んで荷物整理に向かった。 まじまじと見つめては、彼が気にすると思ったのだ。 コンラートの目線の先にあったもの…それは、可愛らしい少年達の人形だった。 金髪碧眼の少年と、少し大きなダークブラウンの瞳と髪を持つ少年が、仲良く遊んでいる…そんな人形だった。 「ふぅん…」 うさぎ人形の村田は何か言いかけたが、結局、何も言わないままよじよじと有利の身体によじ登り、寝入ってしまった少年の首もとを緩めてあげただけだった。 「うさぎさんも疲れたでしょ?今夜は俺と寝ませんか?」 「君とぉ?寝潰さないどくれよ?」 ヨザックのお誘いに口をへの字にしつつも、村田は嫌とは言わなかった。 * * * 二人きりになると、コンラートは有利の服を脱がせて暖かな濡れタオルで身を清めてやり、ヒヨコ柄のパジャマに着替えさせると布団に寝かしつけてやった(天蓋付きのベットはこれまた可愛らしいデザインで、天蓋部分に沢山の天使人形が顔を覗かせていた)。 そして、まだ眠れないコンラートはスーツ姿のままでベットサイドに座り込むと、枕元でそっと囁くのだった。 「ねぇ、ユーリ…俺は、またやり直せるかな?」 あの人形のように屈託無く、弟と笑い合うことが出来るだろうか? その声が聞こえたわけでもないのだろうが…有利はふにゃ…と愛らしく口元を綻ばせた(その後は、あにあにと夢の中の美味しいものを咀嚼しているようだったが…)。 「やり直したいな…」 ああ、やり直したい。 そしてそれは、きっと不可能ではないような気がする。 有利に出会うまで、なるべく目を逸らせようと…向かい合うことを避けていた問題が、どうしてだか今はとても近くに良い答えが待っているような気がする。 だって、コンラートには力強い《たからもの》がいるのだ。 「ユーリといると、俺は何でもできそうな気がするよ?」 鼻面にちゅ…っとキスを落とせば、擽ったそうに有利が身を捩る。 《たからもの》は、おねむの最中に悪戯されるのは好みではないようだ…。 * やっぱりなんとなくのんびり展開…。まあ、基本的にのんびりした話ですからね。 *
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