鬼っ子シリーズ:20「嫁姑戦争勃発」





 

 ぽすぽすぽす

 ぽすぽすぽす…

 

 夜遅く…マンションのベランダから奇妙な物音が聞こえてきた。

 リズムとしてはノックのようなのだが…それにしては音は柔らかく、何かふなふなと軸芯のないもので硝子板を叩いているような音だ。

「なんだろう?」

 興味を引かれた有利がとててっと駆け出す。

「あ…ユーリ。そんな恰好で…っ!」

 鬼っ子有利とコンラートはお風呂から上がったばかりで、有利はどうにかパジャマの上を着ていたが、コンラートの方は有利の髪を乾かすことにかまけて自分の身体を全く拭いていなかった為に、出足が遅れてしまった。

「大丈夫、大丈夫!」

 コンラートが止めるのも聞かず、好奇心旺盛な有利は一人でとってけてーっと駆けていってしまった。

「あっ!」

「何だい?」

 急いでバスローブを羽織ったコンラートが駆けていくと、有利はベランダの扉を開けて…何か黒い塊に飛びつかれていた。

「村田!来てくれたんだなっ!」

「まあ、約束だからね」

 有利にぎゅむむっと抱き込まれていたのは、眼鏡を掛けた黒い兎の人形だった。

 その姿は寸足らずで、愛らしい…と評しても良いデザインなのだが、どこかシニカルな印象を受けるのは眼鏡越しの黒ボタンが妙〜…に企み深そうなせいか。

 ちいさな鬼っ子が兎のお人形を抱きしめているという、牧歌的というか…お伽噺めいた情景の筈なのに、コンラートは妙な威圧感を覚えてしまった。

「猊下…一体何時から兎に?」

「なるわけないだろう?馬鹿か君は」

 《ぐぬぅ…》速攻で切り返されて、コンラートは二の句を継げなくなった。

 鬼の世界で《大賢者》と呼ばれ、眞王の側近としての立場を持つ少年は、コンラートが嫌いというより人間全般が嫌いなようである。

 過去に何かあったらしいが…それを追求する勇気と必要性の両面をコンラートは持ち合わせていなかった。

「それにしても渋谷…君、薄着すぎじゃないかい?パジャマの上だけだなんて…。この男の趣味だとすると、そのうち裸エプロンなんて要求される恐れがあるね!」

「そ…そんなこと考えたこともありません!」

 コンラート・ウェラー氏、兎の縫いぐるみに対して低姿勢。

 親には見せられない姿である。

「どうだかねぇ…。渋谷がはいてるスリッパは君のだろう?ぶかぶかのスリッパに、上だけ着せたパジャマ…。どう考えても中年の狒狒爺が幼妻に要求する身なりじゃないかい?」

「あ…こ、これは俺が勝手にはいたんだよっ!パジャマも、ホントは下もあるんだぜ?」

 あわあわと有利が弁明する。

『なんだろう、この感じ…』        

 コンラートはこの遣り取りに既視感を覚えて小首を傾げた。

 そして…心当たりを思いだすと、どっと疲労感を覚えた。

 どう考えてもこれは…昼ドラマや一般家庭内で代々引き継がれている歴史的コミュニケーション…《嫁姑攻防戦》ではなかろうか?

『以前は、結婚してもいないのに子持ちの父親の気分を味わうなんて…と思っていたけれど、まさか嫁の気分まで味わうことになろうとは予想だにしなかったな…』

 しかも、ドイツに旅立とうとするこのタイミングで村田が現れるとは…。

 コンラートは背筋に変な汗が噴き上がってくるのを感じた。

「猊下…この度はどういったご用件で?」

「ああ…僕、渋谷と一緒に同行することにしたから」

『ええええええええ!?』

 村田がついてくる…。

 それは…コンラートの心情的には、新婚旅行に姑がついてくるようなものであった。

 いや…今回のドイツ行きは別に有利とイチャイチャしてソーセージ喰ったり古城眺めたり熱燗にしたグリューワイン呑んだりするための観光旅行ではなくて、コンラートの家族仲を修復したり、可能なら仕事上の問題も片づけたいなーと思っていたわけで…。

 決して疚しいところなど一片たりとないのだが、傍で村田に見られていると思うだけで緊張感が増すのはどうしてだろう?

「ああ、旅費や食費のことは心配しないで?この人形は眞王の魔力で僕の意識を転送しているだけだから、特に飲食物を摂取する必要はないよ。それに、人目があるところでは動かないようにしているから、まぁ…何の変哲もない渋谷の縫いぐるみだと思ってくれ」

「い…いや……ですが、移動中に忘れたりすると大変ですし……」

「ああ、そこは対策を考えた」

 そう言うと…村田はお腹のチャックをちょいちょいと指し示して見せた。

「渋谷、ここ開けてみて?」

「ん…こう?」

 じゃ…っと音を立ててチャックが開くと…

「……うっ!」

 コンラートは思わず息を呑んでしまった。

 村田の腹からずるりと…内臓が出てきた!

 …と、思ったら…よく見るとそれは長い幅広の紐のようなものだった。

「これを斜めがけにしておけばぽろっと落とす心配もないだろう?」

「おー、凄い!流石村田。用意周到だね」

 有利は感心すると、早速紐を斜めがけにした。すると、縫いぐるみ型のポシェットを小脇に抱えたような姿になる。

 可愛い…。

 可愛い…が、小脇に存在するものが村田なのだと思うと、やっぱりコンラートには恐ろしくてしょうがないのだった。

「さ、パジャマのズボンを穿いて、さっさと髪を乾かしなよ渋谷。明日は何時出発なんだい?」

「えと…8時くらい」

「じゃあ、7時には起きて身支度しなくちゃね。あー、僕は朝食の必要はないから、ぎりぎりまで起こさないで?」

「猊下は荷物と一緒に待機されますか?」

 コンラートは願望も含めて余計なことを言ってしまった。

「はぁ……?」

 鼻で嘲笑(わら)うような…心底馬鹿にしたような声音にコンラートは背筋を震わせた。

「馬鹿言っちゃ困るよ。僕はこれから渋谷と一心同体なんだからね?今夜も一緒に寝かせて貰うよ」

「はぁ……」

 コンラートはぐったり脱力すると、明日からの旅路に多大なる不安を覚えるのであった。

 

* お休みの間に何の気なしにイラストを描いたら、気に入ってしまったので、お話にも反映させてしまいました。村田を同行させるかどうかは迷っていたのですが、なし崩しに参加と相成りました。さー…どう流れていくのでしょう、ドイツ編…。 *      


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