鬼っ子シリーズ:19「あなたと歩く道だから」
「君ねぇ…一体どれだけ考えなしなんだい?」 「ゴメンなさい…」 空の上の特殊な空間…鬼の国。 そこに住まう鬼っ子有利と友人の村田健は、角が生えていることと、虎柄の衣服を纏っている他はただの高校生と違いのない姿である。 彼らは畳張りの有利の部屋でおやつを摘みながらのんびりとしていた。 ところが…有利の口からドイツ行きの話が飛び出すと、村田の機嫌が急降下してしまったのだった。 眼鏡を眩しいほどに光らせ…愛らしい造作を絶妙に張りつめさせた村田健が友人を恐怖のズンドコに突き落とすような声音で非難すると、有利はしょんぼりと肩を竦めてしまう。 「ドイツに行くだって?あんな欧州の国についていって、君が無事ですむはずないだろう?あの男もあの男だ!こっちに残るんじゃなくて、渋谷を連れて行こうだなんて…」 「コンラッドは悪くないよ!だって、俺が頼んだんだもん。ドイツに行って、家族とのこととか、仕事のこととか後悔がないようにちゃんとして欲しいって…」 「じゃあ、悪いのは君な訳だ。さーて…勝利さんは自分のお部屋にいたかな…」 「ぅわーっっ!!」 有利の兄勝利が弟一筋の兄馬鹿なのは周知の事実であり、彼に一言有利の意図を伝えれば、足止めされるのは必至であった。 「やめてくれよ村田…!」 抱きついてうるうると濡れた瞳で見つめられれば、ぐぬぅと村田が苦鳴を上げる。 「しょうがないな…」 ぼりぼりと頭髪を掻き回すと、村田は有利の肩を掴んで立たせ…屋外へと促した。 「ど…何処行くの?」 「不本意ではあるが、あの男に相談してみよう」 「あの男って…もしかして眞王様?」 「ああ…君がもしもドイツで力尽きてしまったとき、そのまま衰弱死なんて事にだけはならないように保険を掛けておかなくちゃ。それに…言葉のこととかもあるだろ?通じないと何かと不便だからね」 こうして眞王陛下の居城へと連れて行かれた有利は、村田のいう《保険》を掛けられたのだった。 * * * 「ドイツに行く?」 パティスリー《ローゼンクロイツ》を訪ねたコンラートに告げられると、ヨザックが怪訝そうな顔をした。 「ああ…決めたんだ。一度ドイツに帰って…家族や仕事のことに節目をつけようと思ってね」 「坊やはどうすんだよ」 「連れて行こうと思ってる」 「連れて行くって…パスポートとかどうするつもりだ?」 「作った」 「作ったって…」 どういうツテを辿ったのかは不明だが…明らかに偽造品だろう。 それも、もう手続きはやってしまったらしい。 「グウェンも手伝ってくれたから…予想外に手続きはスムーズだったよ」 兄の名を告げたとき…少しはにかむようにコンラートが微笑んだ。 どうやら二人で何事か話し合いをして、気心が知れたらしい。 「へぇ…」 そこだけは素直に嬉しくて、ヨザックも釣られるように微笑んだ。 家族仲が上手くいっていないらしいことは聞いていたが、少なくとも、あのグウェンダルという男は見てくれの冷徹さとは裏腹に情の深い性質のようだったから…きっと、小さな行き違いが解消されれば上手くいくだろうと踏んでいたのだ。 だが…その小さいけれど重大な行き違いを引き繋いでくれたのは、きっとあのちいさな子鬼なのだろう。 『大したもんだよ…お前さんは』 今すぐ褒めて抱きしめてやりたい…。 だが、同時にあの少年のことが心配にもなった。 「しかし…大丈夫なのか?あの坊やはこっちの世界でエネルギー切れになると小さくなったり、動けなくなっちまうんだろう?」 「ああ…だから、俺がドイツにいられるのもあの子が元気でいる間だけだ。だから…グウェンには悪いが、仕事の方までは手が回らないと思う。それでも…せめてヴォルフとの誤解を解くことだけでも出来れば…俺にとっては大きな収穫だと思うんだ」 「はぁ…あの金髪坊ちゃんか」 学生時代、コンラートの館に遊びに行った折りにはまだまだ二人は仲の良い兄弟であり、寧ろ、馴れ馴れしい態度を取るヨザックに弟の方が嫉妬して食ってかかってきたくらいだ。 『ちっちゃなあにうえにぶれいな口をきくなっ!』 小枝を持って勇ましく飛びかかってきた姿が懐かしい。 コンラートの方も見ていて恥ずかしいくらい可愛がっていたから…弟が突然見限ってきたというのは、なるほど彼の心に大きな傷を負わせたことだろう。 「金髪坊ちゃんと話し合いやってる間に坊やが体調を崩したらどうする?」 「その時は…ユーリの体調を優先する。あの子が元気でいてさえくれれば…本当は、他には何も要らないんだし」 本当は…何もかも整理がつけばそれが一番良いには違いないが、それでも、有利が一番大切というのも真実であるに違いない。 後ろ髪引かれる思いをしてでも…国元のごたごたをそのまま置いてくることになるのだとしても…有利が弱って行く様を見続けることは出来ないに違いない。 「……坊やを、日本に置いていくわけにはいかないのか?」 「ユーリもそうしてくれと言ったよ。ヨザのところから電話を掛けたり手紙を書くから、こちらで待っていると…」 「じゃあ、なんで…」 「あの子は良い子だよ。本当に…良い子だ。けど、あれ以上自分の欲求を抑えさせて…我慢するのが当たり前にさせるのが、嫌だったんだ」 「………」 コンラートの言うことも分かる。 確かに…初めて会った頃に比べると有利はコンラートに気を使うあまり、我慢することが常態のようになっている。 いっそいじらしいほどにコンラートを想い、彼の幸せを一心に祈る姿にはヨザックではすら胸打たれるものがあった。 「二律背反…か」 思えば、どちらも有利自身の望みなのだ。 コンラートが完全な幸福を手に入れる為にドイツへと帰国し、家族仲とやりかけていた仕事を完遂させること…そして、その間寂しくないように彼の傍にいたいという想い。 コンラートは、それを二つとも叶えるために無茶を通そうとしている。 『いじらしいねぇ…』 二人共が切ないほどに互いの幸せを願い、祈りを込めて行動している。 その想いの欠片でも良いからヴォルフラムに伝われば、きっと上手くいくだろうに。 「…決めた」 「何を?」 「俺もついていく」 「…はぁ?」 腕組みをした筆頭パティシエに驚愕を覚えたのはコンラートだけではなかった。 「て、ててて店長!?一体何を言い出して…」 「知佳ちゃん、店のことよろしく頼むね」 ぽむっと肩を叩かれて、セカンドパティシエの上原知佳が顔色を失った。 店で出している商品のレシピはかなり詳しいところまで教え込まれているが、このパティスリーの顔はあくまでグリエ・ヨザックであり、彼がいない期間に味を落とさないように裁量するのは極めて困難と言えた。 「ヨザ…」 「止めても無駄だぜ?俺だってあの子が大事なんだ。あの子が…自分のせいであんたに本願を成就させることが出来なかった…なんて感じさせるのは御免だからな。あの子が体調を崩したら、俺があの子と一緒に日本に帰る。…だから、あんたは最後までやんなよ。その方が、あの子だって喜ぶ」 「ヨザ…どうして?」 純白のパティシエ服に身を固めた男が、その姿にどれだけ強い誇りを抱いているか知っている。グリエ・ヨザックは己の築いた味と、それを求めてきてくれる客に誇りと敬意を抱いているはずだ。 その彼が、そうそう軽い思いで店をあけるはずがない。 「どうしてって事があるかい。聞くだけ無粋ってもんだぜ?」 気っ風の良いからりとした笑いを浮かべてヨザックが言うから、コンラートもそれ以上追求することはなかった。 『友達のためだろう?』 なんてことは、口が裂けてもこの男の口から出るはずはないのだから。 * * *
「ヨザックも一緒に行けるの!?」 「ああ、店は他の店員さんに任せて一緒に行ってくれるそうだよ」 「やったぁっ!じゃあ、飛行機に乗ってるあいだも、ドイツでも、一杯お喋りできるね!」 コンラートのマンションで旅の準備をしながら、有利はヨザックの同行に手を挙げて喜んだ。 「ユーリは…旅に出ることは本当に家族にも許して貰えたの?」 「うん。勝利はすっごい反対したんだけど…でも、村田や眞王様のお口添えもあってさ、渋々許して貰えたんだ」 「あのお友達が?」 これはコンラートにとっては意外なことであった。 彼のことだから軟禁に近い形で足止めするのではないかと心配していたのだが…。 「最初は凄く怒ってたんだけどね。それでも俺が行く!…て言ったら、眞王様の所に一緒に行ってくれて、俺が疲れて力が出なくなった時のこととか相談してくれたんだ」 「本当?じゃあ…力のことは心配しなくても良いの?」 「そうだよ。だから…コンラッドは安心して、思い残すことがないように頑張ってね!」 ふんむっと励ますように握り拳を突き上げる有利に、コンラートは一瞬…ヨザックに無理をして同行して貰うのを断ろうかと考えた。 だが…結局、ついてきて貰うことにした。 根拠はないのだが…有利がまた無茶をするのではないかと心配になったのだ。 「じゃあ、俺達の旅が素晴らしい成果に繋がるよう祈念して、乾杯しようか?」 「うんうん!」 二人はテーブルに置いておいたジュースと珈琲を手に取ると、かちりと音を立てて乾杯した。 こうして、三人の男達は日本を発ち、ドイツへと旅立ったのである。 * ドイツ編、見切り発車的に始めちゃいました!行き当たりばったりで話を展開させているので、自分でもどういう方角に話が流れていくのかよく分からないのですが…。幸せなオチに繋げるべく頑張っていきます。 * |