鬼っ子シリーズQ「さよならなんか言わせない」




 

 

 少し離れた場所から、賑やかな音楽と歓声が聞こえてくる。

 どうやら、この遊園地の名物であるナイトパレードが始まったらしい。

 その様子を感じて、コンラートがゆっくりと瞼を開けていったとき…子ども向けの遊び場には殆ど人がいなくなっていた。みんな、パレードを見に行ったのだろう。

 人気の無くなった遊び場には、コンラートから数メートル離れて…ぽつん…と、有利が佇んでいた。

 顔はクマのお面に隠され、表情を伺うことは出来ない。

 だが…彼が酷く緊張しているらしいことは、握りしめた拳の白さから窺い知ることが出来た。

「…ユーリ?」

 びく…っと有利の肩が震え、拳がますます握り込まれる。

「コンラッド……」

 暫くの沈黙の後…ようやく口を開いた有利は、コンラートにとって思いも寄らぬ事を口にした。

「コンラッド…ドイツに、行きなよ」

「…ユー…リ?」

 どくん…っと、コンラートの心臓が奇妙な具合に跳ねるのが分かった。

 《また、大切な人に捨てられる》…被害者めいた感情が込み上げてくるのを感じたが、

それは長い時間ではなかった。

 有利のただならぬ様子に、それが…彼の本心からの望みではない…少なくとも、彼が喜んでそう口にしているのではないと気付いたからだ。

「黙っててゴメンね。俺…コンラッドのお兄ちゃんに会ったんだ。そんで…お兄ちゃんに、コンラッドのこと教えてもらったんだ。お家のこととか、お仕事のこととか…。それでね…俺が、言うことでもないのかも知れないけど…コンラッドは、ドイツに行って、家族の人達とちゃんとお話をした方が良いんじゃないかって…やりかけてたお仕事、納得できるまでちゃんとやった方が良いんじゃないかって…そう思ったんだ」

 それは、言い回しの稚拙さはともかくとして…ちいさな子どもの口から出てくるとは思えないような、《大人のことば》だった。

「俺…手紙を書くよ。いっぱい、いっぱい…絵とかも書いて、いろんな事を書くから…コンラッドも、手紙…書いてね?んで…時々は、ヨザックの店から、電話しても良い?えと…あの……凄く忙しかったら無理はしなくて、良いケド…」

 有利の言葉は理性的で建設的で、コンラートのことをとても考えてくれているのがよく分かる。

 けれど…その言葉に、コンラートは酷く不安を誘われたのだった。

『この子は…あまりにも大きくジャンプをして、大人になろうとしているんじゃないだろうか?』

 幼い子どもが、大人として振る舞う…振る舞わなくてはならない…それはひどく、歪(いびつ)なことなのではないだろうか?

 それをさせているのは…誰だ?

『俺が、頼りないから……っ!』

 かあぁ…っと頬が染まってしまう。

 コンラートが力強く、巌(いわお)のような安心感を与えてやることができていれば、有利はこんなにまで自分の欲求を抑えるようなことはなかっただろう。

 《行かないで!》

 《連れて行って!》

 《毎日電話をさせて!》

 そんなことを言いたくて言いたくて…けれど、我が儘をいうことでコンラートを困らせると思うから、口にすることさえ有利は我慢しているのだ。

「…時々、声が…」

 《聞きたいな……》という言葉が辛うじて聞き取れるが、俯いてしまった有利はもう何を言うことも出来なくなって…逃げるように踵を返そうとするから…コンラートは持てる限りの瞬発力補を発揮して、ちいさな鬼の子に駆け寄り…

 …力一杯抱きしめると、やさしく囁きかけたのだった。

「ユーリ…お面、外しても良い?」

「ダメ…っ!」

 コンラートの腕の中にすっぽりと包み込まれながら、有利はむずがるように嫌々をすると、ぷっくらとした短い指で精一杯お面を顔に押しつけようとする。

 そんな有利に、コンラートは切なげな…背筋にじん…っと染み渡るような甘い声で囁きかけた。

「ユーリ…俺の我が儘を聞いてくれるかい?」

「我が儘…?」

「ドイツに…一緒に、行ってくれないか?」

「…えっ!?」

 吃驚した有利が顔を上げた途端…ガードの緩くなったのを見計らって、コンラートはお面を奪ってしまった。

「あ…ゃ……っ!」

 有利は真っ赤になって顔を隠そうとするが、涙でくしゃくしゃになった顔はとても隠せるような状態ではなかった。

 別れが哀しくて苦しくて…溢れ出てくる涙と鼻水で、顔のほとんどが濡れているような有様だった。

 その顔をやわらかいハンカチで拭き取りながら、コンラートは蕩けほど愛おしげに語りかけるのだった。

「ユーリが一緒に来てくれたら、俺は…頑張れる気がするんだ。我が儘だって分かっているけど…俺は、ユーリと離れたくないんだよ。俺は…確かにドイツに残してきた仕事や、家族のことも気になるけど、それ以上に…ユーリと一緒にいたいんだ…」

 夕闇の中…ナイトパレードの灯火が近づいてくる。

 まだ幾らか離れた場所から投げかけられる光は、コンラートの白い肌と琥珀色の瞳に照り映え…彼を幻想世界の王子のようにうつくしく彩った。

 そんな青年に《一緒に来てくれ》等と言われたら、初対面だったとしても《はい★》と素直に頷いてしまっただろう。

 ましてや、有利は狂おしいほどにコンラートを想い、胸を焦がしていたのだ。

 とてものこと…耐えることなどできそうにない。

「俺…も…っ!」

 どう…っと、堰を切ったように蕩々と涙が溢れ出てきて、つっかえひっかえしながらどうにか声をだす。

「でも…俺、め…めーわく…かけ…っ!」

「迷惑なんて、ちっともないよ?」

「だ…だって…、俺…ドイツ…どーやって、行けばいいか…分かんな……っ!ぱすぽぉととか…とれないし……」

「なんとかするよ」

 ちゅ…っと音を立てて頬を濡らす涙を吸い上げると、コンラートはそのしょっぱさを有利の痛みそのもののように感じて…切なげに眉を寄せた。

「ね…ユーリは…俺と一緒にいるの…厭?」    

「いやなわけ…ないよぉぉ……っっ!!」

 どあぁ…っ!と溢れ出てくる涙に、有利の自制心はとうとう決壊してしまった。

「わぁぁあ……わぁ…わぁぁん…っ!ホントは、コン…ラッドと…一緒…いたくて…ずっとずっと、泣いてばっかりいたんだよぉおお…っ!」

 ずび…すひ…っと洟を啜ろうとするが、無理に喋ろうとするものだからちいさな鼻提灯がぷくりと鼻の孔を飾ってしまう。

『うわぁぁあん…っ!!』

 色気もひったくれもない様子に、有利は首筋まで真っ赤に染めて鼻を拭こうとするが、それよりも早くコンラートのちり紙が鼻に押し当てられる。

 アレルギーの人にもやさしい、高級ソフトタッチ濡れティッシュだ。

 遠慮無くチーンっと鼻をかませて貰うと、ちょっと人心地ついてきた。

「ホントは…俺…村田が言ってたやりかたで、コンラッドを引き留めようと思ってたんだ…」

「本当?どんなやり方で?」

 村田という少年の気質を思い出して、ちょっと悪い予感のするコンラートだった。

「あのね?大きくなって、色仕掛けをしろって言われたんだ。目ぇつむって、《キスして…》って言って、それで効かなかったら脈無しだから諦めろって…」

「ふぅぅうん……」

 変な汗が背筋を流れる。

 それは大層…心臓に悪い体験をするところだったらしい。

 こんなちいさな子どもの姿ならともかく、しなやかな少年姿の有利に対しては…ちょっぴり疚しい感覚を抱くことがあるのだ。

 そんな迫り方をされてナニかしてしまった日には…ちいさくなった有利相手にどういう顔をして良いか分からない。

『万が一…万が一の話だけれど…俺がユーリとセックスしてしまったとして、最中にちいさくなられたりしたら……』

 後宮から白濁を滴らせ、くたりとした子どものあられもない姿を想像してしまうと…何らやっていないにもかかわらず、強烈な罪悪感が襲ってきた。

『うわ……』

 犯罪だ。

 如何ともしがたく犯罪だ。

 万が一鬼の世界の常識が許したとしても、神が許すまい。

 そもそも、少年の身体であったとしても有利は十五歳なのだ。

 立派に(?)子どもと称して良い年代ではないか。

 きっちり青少年健全育成条例に引っかかる。

『頑張れ…俺の自制心……』

 うっかり流されてしまわないよう、強固な自制心を培うべきだろう。  

「でも…結局、コンラッドにお兄ちゃんのこと分かって欲しくて、俺の記憶を送っちゃったんだ…。そんで…コンラッドが喜んでるみたいだったから…俺、もう引き留められないって…思ったんだ……」

 思い出したのか、また《ぅく…っ》と泣きしゃっくりが襲ってきたらしく…有利の瞳が潤み、顎に梅干しのような皺がよせられる。

「ありがとう…本当にありがとうね、ユーリ…。とても嬉しかった…。グウェンダルが、俺のことを弟として見ていてくれただなんて…きっと俺は、ユーリに教えて貰わなければ一生気付くこともなかったろう…」

 そこまでは神妙だったコンラートの表情が、突然…悪戯っぽく微笑んだ。

「ところで、ね?まだ…返事を聞かせてもらってないんだけど…」

「え?」

「ドイツ…一緒に行って貰えるのかな?」

「あ…っ!」

 それはもう…有利にとってはあまりにも自明のことであったため…うっかりぽんと明確な返事をすることを失念していたのだ。

「あの…あの……」

 有利は頬を真っ赤に染めると、うる…と濡れた瞳でコンラートを見上げ、このうえなく愛らしい声で囁いたのだった…。

「一緒に…連れて行って…」

 ドイツという国にどうやっていくのか、日本とどれだけ離れているのか…果たして、鬼の国から長期間離れていて有利の身体が保つのかどうかは分からない。

 けれど、行きたい。

 行って…コンラートの傍にいたい。

 彼を《支えたい》などと大層な事を考えているわけではなく、ただただ…純粋に彼の傍で息をしていたいと、思ってしまうのだ…。

『コンラッドと…一緒に……』

 彼と共にいられるのなら、どんな苦しみにも耐えよう。

 有利は角に今更ながら《力封じ》の輪を戻し…そう心に誓うのだった。

 ただ心の導くままに行こう。

 

 コンラートを、大好きだという気持ちのままに…。

 

* コンラッド過去乗り越え話〜日本編〜、取りあえず完了しました。《どうやってドイツに行くか》《有利の身体が保つのか》《有利はヴォルフやツェリ様とどうやって会話を成立させるか》《ヨザはついてくるのか》等については次の話で書こうと思っております。十万打企画の話と平行してぼちぼちドイツ編を書いていくつもりですので、よろしければ感想など頂けると力になります。よろしくお願いします★ *

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