鬼っ子シリーズO「さよならを言う前に U」
早めに約束の場所へと向かった有利だったが、コンラートは既に到着しており、そのすらりとした立ち姿に…周囲の人々がちらちらと彼に目線を向けているのが見て取れた。 恥ずかしくて凝視は出来ないが、どうしてもチラ見してしまう…そんなところだろう。 ラフな服装のコンラートは、いつもとはまた違った風合いの爽やかな出で立ちをしており、普段の有能なサラリーマン然とした姿よりも若々しく見える。 ブルーグレーの開襟ニットからは綺麗な鎖骨が覗き、張りのある首筋から胸元にかけての肌が眩しいほどだ。 風を受けてさらりと流れる前髪、意外と長い睫、淡い色の産毛…そういったものが眩しい日差しに透けて蜂蜜色に輝くと、彼の容貌をいっそう優雅に彩る。 また、濃灰色のストレートパンツが長い脚をいやがおうにも際だたせ、小気味よく締まった腰が平均的な日本人の遙か高みにあることを知らせてくれる(街路を恋人と共に歩く男性にとっては、《知らせるな、そんなもの!》というところだろうが…)。 「ユーリ!」 とてとてと歩いてくる有利に気付くと、ふわ…と微笑んでコンラートが膝をつき…両手を広げてくれる。 『ふきゃああ……っ!』 子どもっぽく甘えたりしないように…との決意はダダ流しに崩れ…有利は歓喜に乗って駆け出してしまい、気付いたときには勢いよくコンラートの胸元に飛び込んでいた。 甘いような…それでいて爽やかな香り。 コンラート独特の香気に包まれて、有利はうっとりと目を細めてしまう。 「ユーリ、パンフレットで予習はしてきたかな?まずは何に乗りたい?それとも、歩きながら食べられるものを先に買おうか?列に長く並びそうならその方が良いかも知れないよ」 「う…うん!」 こくこくと頷いて財布を取り出そうとするが、案の定…先手を打ったコンラートから、一日フリーパス券入りケースを首から提げられてしまう。 なので、有利は遊園地の中に入ると、我先にと目星をつけておいた揚げたてチュロスの店に向かい、コンラートが財布を取り出す前に蝦蟇口をぱかりと開けた。 「ユーリ…このお金、どうしたんだい?」 「あのね、バイトしたんだよ!ヨザックのお店で働いて、お金を貰ったの!」 「バイト?」 「うん、遊園地にコンラッドと行けるって分かってから、おごってもらうだけじゃなくて、俺もコンラッドにおごってあげたいって思ったんだ!そんでね、ヨザックに無理言って働かせて貰ったの!」 《はいっ!》とにこにこ笑顔でチュロスを渡せば、コンラートは少し戸惑ったような表情を浮かべたが…味わうようにゆっくりと揚げ菓子を囓ると、実においしそうに微笑んだ。 「おいしい…」 「良かった!うん…おいしいね!」 もきゅもきゅと有利もチュロスを囓ると、こちらも予想以上の味わいに弾けそうな笑顔を浮かべる。 「でも…バイトなんかしなくても、俺は全部おごるつもりでいたんだけどな…」 コンラートの口調はちょっと残念そうだ。 この男は、隙あらば有利を甘やかし倒したいという欲望の持ち主なのだ…。 「きっとそうだろうと思ったんだけど…俺、あのね…?」 「うん?」 有利は真剣な顔をしてコンラートを見上げた。 「俺…コンラッドが大好きなんだ。だから、コンラッドをくいものにしたくないんだよ」 「くいもの……それは、ヨザック辺りに教えられたのかな?」 オレンジ髪の友人は有利を気に入っているが、子育てに関しては一家言ある男なのでコンラートのように無条件に甘やかしたりはしない。 有利の人間形成(鬼だけど)を考えれば、彼の言うことの方が正しいのだろう。 だが…《甘やかしたい星人》のコンラート的には、もうちょっと甘くさせてくれたって良いんじゃないかと思うのだった。 ただ、有利の気持ちはそれはもう嬉しくてしょうがないので、《大好きなんだ》という言葉が、長期記憶の棚へと確実に入るよう反芻(はんすう)してみたりするのだった。 「うん!だからね、今日ははんぶんこずつおごりっこしようね。食べ物は俺が買って、おみやげは相手の分を出すの」 「ああ、それはいいね。ミコさん、ショーマさん、ショーリの分も買って良いんだよね?」 「うん、俺はコンラッドのお兄さんと弟とお母さんの分をだすから、ちょうどいいよね」 有利がそう言うと、一瞬のことではあったのだが…コンラートの纏う気配が変わった。 肩先に力が入り、頬が凍てついた様に強張る。 けれど…コンラートはすぐにほわりと笑みを浮かべると、何事もなかったように首を傾げて見せた。 「ヨザックに聞いたの?俺の家族のこと…」 「あ…あの……」 何と言ったものか…有利はもごもごと口籠もってしまう。 ヨザックは決して口の軽い男ではないし、彼自身そう思われることを…ことに、コンラートに見なされることを嫌うだろう。 かといって、グウェンダルのことを持ち出すのは憚(はばか)られた。 先程のコンラートの様子から鑑(かんが)みるに…彼にとって家族とは、ひどく緊張感を掻き立てる存在であるらしい。 結局、有利は情報の出所を不明瞭にしたまま謝ることしかできなかった。 「ごめんなさい…教えて貰ってないのに、勝手なこと言って……」 「こっちこそごめんね。俺はユーリの家族を知っているのに、俺は自分の家のこと…ちっとも話したことがなかったよね…」 コンラートは苦笑すると、強張った有利の頬を優しく撫でつけた。 「吃驚させてごめんね?恥ずかしい話なんだけど…俺は家族とうまくいってなくてね。おみやげは買ってもらっても渡す機会がないと思うんだ。だから…買わなくて良いよ」 「あの…じゃあ……コンラッドが好きそうなもの買っても良い?俺のも、俺が使うやつだけ買ってよ。じゃないとビョードーじゃないだろ?」 「うーん…俺はユーリの家族分も買いたいけど、確かに平等ではないね」 くすりと笑うと、もうコンラートは屈託無く有利の手を取った。 身長差があるのでコンラートはちょっと屈み気味で、有利はちょっと背伸び気味になる。 普段はそんなちぐはぐな感じを気にもとめないのだが…今日ばかりはそれが二人の気持ちの違いを表しているようで、少し居心地が悪かった。 『俺…なんかすごく…勝手なことしてるのかな?』 繋いだ手から、秘密が漏れだしてしまいそう…。 有利はコンラートに良かれと思って、ドイツに帰ることを勧めようとしていた。 だが…先程のコンラートの様子から考えると、彼の心の傷は思った以上に深いのではないだろうか? 『でも…どうしてだろう?お兄さんは一度、コンラッドを助けようとしてくれたのに…』 確かに大した助力ではなかったかも知れないが、それでも彼は手を差し伸べようとしたのだ。それは認めてもいいのではないだろうか? 『……後から…もうちょっとしてから言おうかな』 遊園地に入った途端、コンラートの気分を害したことが申し訳なくて…有利はグウェンダルの事を考えるのを後回しにした。 それはすぐに意図してのものではなく、考えようにも考えられないような状態になったのだけど…。 * * *
遊園地は予想以上に楽しかった。 コンラートとチュロスやフライドポテトをもぐもぐやりながら列に並んでいる間にも、キャラクターの着ぐるみが近寄ってきて愛想を振りまいてくれるし、茂みの中からゼンマイ仕掛けの鳥が飛び出してきたり、足下に色鮮やかなライトが投影されたりと、有利をドキドキわくわくさせるようなことだらけなのだ。 「うわ…うわぁ……っ!凄いねぇ!きれーいっ!!」 「そうだね、とても綺麗だ…」 瞳を輝かせてはしゃぐと、コンラートもこの上なく幸せそうに笑ってくれるから、有利はますます楽しい気持ちで一杯になって、弾むような足取りになるのだった。 『このままでも…いいのかも……』 そう考えたら、ふわっと心が軽くなる。 コンラートは家族の話を出したらとても驚いて…恐怖にも似た表情を浮かべていた。 もしかしたら、もう家族の事なんて考えたくないのかも知れない。 グウェンダルだって言っていたではないか。誘ったけども、《ドイツには帰らない》とコンラートは言ったのだと…。 『そーだよ…俺が余計なことなんか言わなくても、きっと、このままの方がコンラッドだって幸せなんだ…』 だが…そう考えようとする有利の瞼に、グウェンダルの顔が浮かんでくる。 『約束しよう…今度こそ、私はコンラートを弟として…家族として護ってみせると』 彼の瞳は濃灰色の…厳しい双弁であったけれど、その真摯な眼差しは有利を単なる子どもとしてではなく、信頼に足る一人の人物として見ていた。 有利が本気でコンラートを想っているのだと信じたから、彼もまた真剣な約定を交わしてくれたのだ。 その信頼に報いなくても良いのか…? 『俺…俺……どうしたら良いんだろう?』 有利の胸は複雑な感情の鬩(せめ)ぎ合いに、きりりと痛みを訴えるのだった。
* 拍手であまりつづきものはイカンよのと思いつつ…。鬼っ子はこのペースが身体に染みてしまったらしく大変書きやすいので、一段落つくまであと数話我慢して下さい…。* |