鬼っ子シリーズP「さよならを言う前に V」
ショッピングストリートにやってくると、色とりどりのキャラクターグッズがウィンドウ越しにお客さん達に目配せしているようだった。 見渡す限り果てしないくらいに沢山の商品が居並び、どれもこれも素敵に見えてしまう。 「わー!」 「凄い量だねぇ…」 コンラートとしては荷物になりそうなお土産は最後に買うつもりだったのだが…少し曇りがちであった有利の表情がきらきらと輝きを取り戻す様子に、一も二もなくショップに脚を踏み入れてしまう。 「見てみる?」 「う…うんっ!」 こっくりと頷くと、有利はたしたしとショップの中に入っていき、色んな物を試すがめすしていたのだが…その内、とぼけた表情のクマのお面を気に入ったようで、顔に当てて鏡を覗き込んだりしていた。 「気に入った?」 「うん。目のトコに空いてる穴からのぞくと、景色がおもしろいねぇ」 「じゃあ、買ってあげるよ」 「んじゃ、俺もコンラッドになにか買ってあげる!」 そう言われて、コンラートが手に取ったのはメタリック調のアヒルのストラップだった。 すかさず値段があまり張らない物を選んだわけだが…そういった他愛のない商品の中ではわりと精密な造りの洒落た品物であったので、コンラートが身につけていてもそれほどおかしくはない。 早速買い取り確認の印をつけて貰ってからお互い身につけてみると、それぞれが買って貰った物に満足して笑顔を浮かべた。 『わー…景色がおもしろいや』 有利はクマのお面をすっかり気に入ったらしく、コンラートに手を引かれている安心感もあって、すっかり顔が隠れるくらい被りきってしまった。 その様子は実に微笑ましく、擦れ違うお客さん達の頬には自然と笑みが溢れてくるのだった。 * * *
夕暮れが近づいてくると、ぽつ…ぽっ…ぽ……っとイルミネーションやライトアップ用の電灯に明かりがともされ、辺りはふわりとしたやわらかい光につつまれていった。 それはとてもうつくしいのだけれど…同時に、どこかもの悲しいような印象も受ける。 おそらく…この夕闇ふりかかる中に点される明かりが、街並みの明かりと似ているせいだろう。 たくさん遊んで、帰りの時刻が近づいてきた…そんな感覚が蘇るのだ。 幾つものイベントに参加し、乗り物も楽しんで少し疲れた二人は、ジュースを飲みながらベンチに座っていた。 目の前には小さな子どもの為の広場があり、親子連れがわいわいと賑やかに遊んでいる。 子ども達は薄暗い中でも親から《帰ろう》と言われないことに興奮しており、日常から離れた異空間での《特別》さを目一杯堪能している様子だ。 しばらく広場の様子を眺めながらぼうってしていたら…ぽつりとコンラートが呟いた。 「俺もね…ちいさい時には父さんとこうして遊園地に行ったりしたんだよ」 そういえば、コンラートの父は早くに亡くなったらしいが、詳しい話は聞いたことがない。 「お父さん…どんな人だったの?」 「ふふ…とても豪快でね、一緒にいると凄く楽しいんだけど、命の危険も沢山あったなぁ…」 「聞いても良い?」 「うん、良いよ」 コンラートは懐かしそうな…遠い目をして語り始めた。 * * * 冒険家だった父と、世界中を旅して回った話。 アマゾンでワニに囓られかけて泣いたこと、中国で父がスパイと間違えられて連行されそうになったこと、スウェーデンで危うく凍死しかけたこと…。 わりと洒落にならないような状況も混じっていたが、父…ダンヒーリーのことを語る口調はどこまでも慕わしげで、彼のことを大好きだったことが伝わってくる。 そんな父が、コンラートを庇って死んだことも教えてくれた。 「あれから…辛いこともあったけど、父さんの言葉を思い出すと、絶対に挫けてはいけないような気がしてね。俺なりに頑張ってきたんだよ…」 《お前が無事で良かった》…そう言い残して死んだ父のためにも、ウェラーの名を辱めてはならないと…そう心に誓ってきた。 「なかなか…思うとおりにはいかないんだけどね。俺の不徳の致すところで…」 コンラートは笑って言うが、語尾には流石に苦いものが混じる。 『コンラッド…』 心血を注いで取り組んだプロジェクト…崩壊しかけていた支社をまとめ上げ、目に見える形で成果がでれば、コンラートの名は轟き渡ったことだろう。 だが…《ルッテンベルクの英雄》の名は、ルッテンベルク地方の支社や工場でのみ囁かれる渾名で、彼の手で何が成し遂げられようとしていたのかは公にはなっていない。 「お父さんのおかげでこんなに立派になったよって…言いたいよね?」 「うん…そうだね。いつかね……」 彼らしくもなく、その言葉だけはどこか切なく…遠いものだった。 彼自身…それが強く感じられたのだろうか。琥珀色の瞳は何処か無機質な光沢を示し、自嘲の笑みが唇を掠めていく。 「俺は…やっぱり、どこか駄目な人間なのかも知れない」 「コンラッド…?」 父のことなど思い出したからだろうか? 言わなくてもいい言葉がほろりと唇から漏れだしてしまう。 こんな弱音など、有利のような子どもに聞かせるべきものではないのに…。 夕暮れ時の遊園地という異空間が…クマのお面を被った少年の珍妙な姿が…コンラートの自制心を奪ってしまう。 「成しとげようと…守ろうとするのに…いつも指の間からすり抜けて、消えていってしまう」 母の申し出を断ることで、彼女の無関心が忌避に変わるのが怖かった。 弟の怒りの理由を突き止めることで、更に傷つくのが怖かった。 コンラートにとって家族とは愛おしく…同時に、世界中で最も恐ろしい者達だった。 彼らだけが唯一、コンラートを深く傷つけることが出来るからだ。 兄のこともそうだ。 ルッテンベルクのことはずっと心残りだった。 だが…兄に《帰ってこい》と言われたとき、頷くことは出来なかった。 また、利用されると思ったのだ。 彼がシュトッフェルを嫌っていることは、会社の同僚から聞いている。彼は、伯父を追い落とす道具としてコンラートを使い、用事が終わったらまた興味をなくすのだろう。 実際、ルッテンベルクで功績をたてる手助けはしてくれたものの、コンラートが日本への転勤を勧められたとき、兄は特に何の手だてもとってはくれなかった。 《俺の役割は終わったと言うことか》…そう、思った。 《何とかしてください》と縋って、明確に振り払われるのが怖かった。 「なるべく傷つかなくて良いようにと、すぐに手を離してしまうから…俺の手には何も残らないんだろうね…」 膝に載せた右手を見つめていたら、ちいさな掌が両手でそっと包み込んできた。 クマのお面を被っているため表情は分からないが、有利がじいっとコンラートの手を見つめているのは、じんわりと肌合いから感じ取ることが出来る。 「あるよ…コンラッドの手には、ちゃんとある」 「ユーリ…?」 「気付いてないだけだよ。コンラッドには、ちゃんとコンラッドをだいすきな人がいるよ」 有利は右手を角につけた輪に添え…そっと外した。 大きくなる為ではなく、《あること》に力を使おうとしているのだ。 「コンラッド…目を瞑って?」 「こうかい?」 コンラートが瞼を伏せたのを確認すると、有利はそっと頭頂部の角を彼の額に押し当てた。 角をくりり…っと、擦りつけるようにくゆらせ、有利も瞼を閉じる。 次の瞬間…薄ぼんやりとした映像がコンラートの視覚野に結像された。 それは…兄の姿だった。 有利の視点からの映像なのだろう…。とても低い位置から見上げている様子は、幼いコンラートが初めて兄と会ったときのことを彷彿とさせた。 当時、既に長身で強面であった兄の表情がいつも怒っているように見えて…酷く緊張したものだった。 だが有利の瞳を通してみる兄は、やはり眉間に皺を寄せた渋面ではあったのだけれど…どこかその眼差にはやわらかい色があり、あたたかさを感じることが出来た。 その兄が…相変わらず憮然とした表情で語る過去の思い出は、コンラートにとって予想外のものだった。 兄が…常に仏頂面を浮かべていたあの兄が、コンラートに送る一文のメールにどれほど悩み、助力を受け入れたコンラートにどれほど喜んだのか…そして、昇進すらなく日本に転勤することになったことを、どれだけ気に病んでくれたのか…。 『グウェンダル…』 《兄さん》と呼ぶことにはまだ躊躇いはあるものの…コンラートの胸にはひたひたと暖かいなにかが、潮のように満ちてくる。 そんなコンラートを包み込むように、グウェンダルの声が響いてきた。 『約束しよう…今度こそ私はコンラートを弟として、家族として護ってみせると』 力強い、制約の言葉。 ずっとずっと…欲しかった言葉。 その言葉を耳にした途端、不覚にも瞼が熱くなった。 じゅわ…っと込み上げてくる涙で、瞼の裏と結膜とが痛みさえ訴える。 『ああ…俺は……』 こんなにも、飢えていたのか。 家族に、愛されることに…。
* * *
有利がふるりと頭を振ると、映像はそこで途切れた。 涙の滲むコンラートの目元はまだ開かなかったが、彼の口元に浮かぶ微笑みに、有利は自分が送った映像が彼にこのような表情をさせたのだと思うと嬉しくて… …そして、苦しかった。 『さあ…言わなくちゃ……っ!』 他人の脳に自分の見た映像を転送するという、極めて高度な技を使ったこの身は疲れ切って…とても少年の姿を取り戻すことは出来ないから、村田の言う《色仕掛け》という技はつかえないだろう。 だが、コンラートが家族の愛を取り戻すためには今がチャンスなのだ。 それなら有利はやらなくてはならない。 コンラートに、《さよなら》を告げることを。 * コンラッドが儚げな感じになってしまって自分でも吃驚です…。き…気持ち悪いかも知れませんが、もーちょっと我慢してください。 * |