コンラッドの過去 U
グウェンダルがそこで息をつくと、ヨザックが問いかけてきた。 「何をしろって言われたんです?」 「ドイツ国内の系列会社の中から、語学に堪能な者をルッテンベルク支社に…一時的でも良いので派遣してくれないかという頼みだった」 「ああ…工場内で元難民の社員にドイツ語の指導をするために?」 ヨザックが頷きながら言うが、それは《半分正解》というところだった。 「それもある。だが、それよりも先にあいつがやったのは、あいつ自身がルッテンベルク支社と工場に所属する全ての社員の使用言語を習得することだった。既に大学時代に5カ国語を習得していたとはいえ、短期間に複数の言語を習得することは容易な事ではなかったはずだ。だが…あいつはやった。通訳が捜し出せなかった国については自力で調べ、社員本人に話しかけて会話を成立させた。そして、全社員の人心を掌握した上で一大プロジェクトを敢行したのだ」 出身国ごとの特性を見抜き計画された事業は大当たりで、ほんの1年でルッテンベルク支社の運営は軌道に乗り、決算では素晴らしい成果を高らかに発表できるはずであった。 そして…いつ、誰からともなしにコンラートはこう呼ばれるようになっていた。 《ルッテンベルクの英雄》…と。 だが…順調にルッテンベルクで業績を上げていくコンラートの元に、ある日…母ツェツィーリエが訪れてこう言った。 『あのねぇ?コンラート…実はお願いがあるのよ。お兄様にお願いされちゃったの。あなた、日本にある会社に移って貰えないかしら?』 プロジェクトの成功が目に見える形で発露する…その直前の転勤依頼だった。 母に悪意はないのだろうが…物事を知らなさすぎると言うことは、時として残酷に人を追いつめるものだ。 日本への転勤…しかも、ルッテンベルク支社では特例的に《指導官》という肩書きを与えられ、重役とともに企業を動かす力を担っていたコンラートに与えられたのは、本社にいたときと同じ《課長》の座だった。 『昇進すらないとはどういうことだ!?』 後日、その事を知ったグウェンダルは杯を床に叩きつけて激怒したものだが、母に《お願い》されたコンラートはただ静かに、《1ヶ月だけ待ってください》と言うと、その間に引き継ぎをすませ、自分がいなくなっても今の重役だけで事業がスムーズに運ぶように手配すると…約束の一ヶ月後に潔くドイツを発った。 コンラートの才能を惜しむ声は当然あった。最初は本社からやってきた若僧が会社運営に関わるなど…と、反感を持っていた重役陣もすっかり彼の人柄と才能に触れ、考えを変えていたのだ。 支社や工場の社員達も激怒した。彼らは自分たちを導いてくれたのが誰だか熟知していた。年若い…大学生にしか見えないような人当たりの良い青年が、自分たちの国の言葉で親しげに話しかけ、想いを汲み取り…プロジェクトを押しつけるのではなく、共に進んでいこうと導いてくれた人物なのだ。 それが、こんな形で奪い取られるなんて…! だが、本社からの直接命令…それも、本人も希望しての転勤を防ぐ事は出来なかった。 「その、ルッテンベルクが再び混乱している。シュトッフェル当人が実りかけた果実をもぐべく乗り込んでいったのだが、強引にコンラートの残したルーチンを変更したせいでプロジェクトが滞っているのだ。また、シュトッフェルが十数年に渡って続けてきた横領の証拠も掴んだ。流石に本社中枢もシュトッフェルを見放しかけている…。今が、攻勢のチャンスなのだ」 「だから…呼びに来た、と」 ヨザックの野性的な口元が皮肉げに歪む。 蒼瞳には酷薄な色が潜み、射るような視線が容赦なくグウェンダルを薙(な)ぐ。 「そりゃあ…随分と調子のいい話じゃありませんかね?コンラッドに無理を言うだけ言っておいて…無能な伯父上殿の尻ぬぐいですか?しかも、感謝なんてされっこない。寧ろ、今度もまた成果を上げ、名をあげる直前に奪い取られるんじゃありませんか?どうやらあなたの会社には恥知らずばかりが揃っているようだし」 「そのつもりはない。私も…二の轍を踏むつもりは毛頭無い。本社の地盤固めはしているのだ…今度こそ、伯父の息の根を止めてやる。コンラートにも相応の報酬と身分保障を…」 「はん…っ!随分と都合の良い兄弟愛ですね!コンラッドが有能と分かったから、活用しようって訳だ」 「…っ!」 あまりの言いように激昂しかけたグウェンダルだったが、自分の手にそっとちいさな指が触れる感触に我に返った。 「けんか…しないで?」 「ユーリ…お前も何とか言ってやったらどうだ?このお兄さんはお前からコンラッドを奪おうとしてるんだぜ?」 「うばうとかうばわれるとか…そういうのは違うと思う。コンラッドは…コンラッドだもん。選ぶのはコンラッドだよ」 予想外の大人な発言にヨザックは眉を顰めるが…有利の様子を見やって息を呑んだ。 有利は、泣いていた。 いつものようにしゃくり上げるのではなく…静かに…溢れ出す涙を蕩々と頬に流していた。 幾つもの水滴がテーブルに落ちてクロスの色を変え…手をつけていないパフェ…もう、アイスが溶けてしまって硝子の縁から充ち満ちている上に、その表面張力の限界を試すように滴っていく。 「お兄さん…俺……コンラッドに、言うよ。お兄さんと一緒に行ってって…」 「君…」 「だから、お兄さんも約束して?コンラッドと、もっとちゃんと話をして…っ!」 有利の一言は、ヨザックの罵倒よりも痛烈にグウェンダルの胸を抉った。 確かに…以前、一度コンラートの希望を聞いたときもメールの遣り取りしか行わなかった。今回のドイツ帰還以来にしても、一度だけ電話で話したものの、それはこちらの都合を一方的に伝えただけで、グウェンダルがコンラートを弟としてどう思っているかなど一言も喋ってはいない。 「コンラッドをドイツに連れて行くっていうのなら、今度は絶対にコンラッドを見捨てないで…!ひどい目にあってるんじゃないかって思ったら、なにをおいても助けてあげて…!」 不器用だからとか、恥ずかしいとか…そんな言葉で誤魔化さずに、本当にコンラートを想うなら、見苦しくても良いから彼を庇ってくれと…有利の瞳は語っていた。 「弟の人とも、また仲良くなれるようにして?だって…コンラッドが可愛がってた人が、コンラッドを嫌いになるはずなんかないもんっ!絶対…絶対、誰かがひどいウソをついてるんだよ」 「ユーリ…お前、コンラッドが遠い国に行っても良いのか?」 ヨザックに問われれば、有利は弾かれるように顔を振るった。 「良いわけ無い…でも…俺は…コンラッドが哀しかったり苦しかったりするのはもっと嫌だ…!弟の人とけんかさせられてたり、すごくがんばってやったお仕事が、むちゃくちゃに踏んづけられているのは嫌なんだよ…っ!!」 力一杯瞼を閉じれば、ぼたぼたと溢れ出す涙がとうとうパフェの水位限界を突破させた。どろ…と溢れ出す茶色い液体が有利の苦しみそのもののようで、二人の男達は言葉を失った。 「コンラッドを、たすけて…コンラッドを…しあわせにして…っ!!それができるのは、お兄さんだよ…っ!」 「私が…か?」 飛び込むようにして縋り付いてくるちいさな子どもに、グウェンダルは戸惑うように眉根を寄せていたが…ふるえる肩を壊してしまわないよう慎重に…そっと長い腕で包み込んだ。 メイド服を纏った可憐な少年はグウェンダルの大柄な体躯からすると、もてあましてしまうほどに小さく…華奢であったのだ。 『この子は…コンラートをこんなにも大切に思っているのか…』 なりふり構わず…自分の損得など微塵も考えず…ただ純粋にコンラートの幸せを願う少年に、グウェンダルは強く胸打たれた。 「ひ…っく……」 グウェンダルの胸元でとうとうしゃくり上げてしまった有利は、上手く言葉を紡げなくなっていたが…それでも思いの丈を伝えようと声を奮った。 「…コンラッドに、とって…《家族》は、すごく大事なんだ。そうでなかったら…あんなに俺の家族のことを、しんぱいしたりしないもん…っ」 早くに父を亡くし、母とは縁薄く、弟には去られ…コンラートは哀しいほど家族との結びつきが希薄な生活を送ることになった。 だが、本来の彼は情篤く…家族を愛したいという想いを強くもっているのだろう。 だからこそ、彼はあんなにもやさしいのだ。 「でも…でもね、お兄さん…もう少しだけ待って?俺…最後にコンラッドと遊園地に行きたいんだ。そこで…最後に、言うから…だから…もうちょっとだけ、コンラッドを…つれていかないで?」 「ああ…約束しよう」 グウェンダルは重々しく頷くと、有利の身体を抱き上げ…ヨザックに渡した。 射るような彼の視線が痛かったこともあるが、あまりに可愛らしいこの少年からコンラートを引き離すことが罪悪のような気がしてきそうで、決心が鈍りかねなかったからだ。 * 遊園地の話書き始めには親子にしか見えないコンユが楽しく遊園地を満喫するだけの話を想定していたのですが、グウェンダルを登場させたらもうちょっと先に想定していた家族話が混入してきてしまいました。暫く続きます。すみません…。 *
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